Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

後鳥羽天皇・順徳天皇 大原陵(2013年5月2日参拝)

2013-05-19 | 廟墓
実光院に到着すると前に天皇陵があり、
まぁ、見て損はしないので行ってみた。




後鳥羽天皇と順徳天皇が葬られているんですね。


【後鳥羽天皇】
■代数:第82代
■天皇名:後鳥羽天皇
■御父:高倉天皇
■御母:七條院藤原殖子
■御陵名:大原陵


【順徳天皇】
■代数:第84代
■天皇名:順徳天皇
■御父:後鳥羽天皇
■御母:修明門院藤原重子
■御陵名:大原陵



【参道】




さすが大原だけあって他の殺風景な天皇陵とは違い雰囲気がいい。


【大原陵】



【法華堂】






延応元年(1239)に隠岐で崩御した後鳥羽上皇はその地で火葬され、
遺骨は上皇の北面の武士であった藤原能成によってはるばる運ばれ、
大原の勝林院(異説あり)に納められます。

大原の地が選ばれたのは上皇の皇子尊快親王が梶井宮門跡であったことによるようです。

2年後の仁治2年(1241)尊快親王とその母・修明門院藤原重子の計らいにより
勝林院の傍らに上皇ゆかりの水無瀬離宮の廃材を利用した法華堂が建立され、
上皇の遺骨は法華堂へと遷されました。

これが「大原法華堂」(先代)です。

一方の順徳上皇は仁治3年に佐渡で崩御しその地で火葬されます。
遺骨は上皇に仕えていた左衛門大夫康光により運ばれ、
寛元元年(1243)に大原の地に納められます。

順徳上皇の納骨先は史料上では明確ではないようですが、
上野は父帝の「大原法華堂」に納められた可能性を指摘しています。

この「大原法華堂」はその後も存続していたようですが、
江戸時代の安永年間に焼亡し場所を西に移して再建されました。
これが現在も大原陵の隣に見ることの出来る法華堂です。
(ネットより引用)



この法華堂がいい。
実に渋いです。

御本尊は普賢菩薩で幼少の聖徳太子像が祀られているそうです。

宮内庁管轄だと思いますが、
非公開ということが残念です。

叶うことなら御本尊を拝みたいものである。