写真師の「新カメラ日記」

JRP会員の橘が日々の事、撮影日記などを記録していきます。

望んでなった「英霊」ではない 安部総理靖国参拝に思う

2013年12月31日 | 写真

香川県瀬戸内海を臨む小さな漁村の墓所には太平洋戦争で日本の敗色が濃くなった東シナ海海戦で輸送船の乗組員として海に没した海軍水兵の叔父、小さな網元の家を継ぐはずだった母の弟の墓が故郷の海を眺めて立っています。

香川県農村部の墓所には貧しい小作農家で育った叔父、沖縄戦で上陸した米軍の圧倒的な力を前に武器弾薬が尽きて組織的な戦闘が不能となり、首里の司令部が現地司令官の自殺とともに崩壊する前夜、急遽組織された特攻部隊の一員として爆雷を背負いアメリカの戦車の前に身を投げて沖縄の土となった父の弟の墓が立っています。
父方の叔父の墓も母方の叔父の墓も遺骨の無い空っぽの墓です。それぞれの墓の周囲には同じようにあの無謀な戦争で亡くなった人たちの墓がたくさん立っていますが。おそらく遺骨の無い墓も多くあると思います。

今日は大晦日今年は自民党の政権復帰、安倍内閣の特異な新自由主義と復古主義の重なる政策の中で「原発」「TPP」「消費税」「国民の暮らし」「安全保障」などあらゆる分野で国民の願いと正反対の方向にハンドルが切り替えられ、国民との矛盾は爆発寸前といっても間違いないような状況です。
そして年末近くの「極め付け」ともいえるのが安倍総理の靖国神社参拝です。250万人近くの戦没者を生み出した元凶ともいえるA級戦犯も祀られ、戦争賛美思想を広げる特異な性格の神社に首相として参拝、そして戦争への一言の反省も無い首相談話にはあきれ果て、その言動には怒りを禁じえません。

首相の言う靖国神社に祀られている私の叔父も含まれる「英霊」のほとんどは「赤紙一枚」で戦場に追いやられた人たちで、自ら英霊になりたいと思った人はほとんどいなかったと思います。また靖国神社に祀ってほしいと思った人も居なかったとおもいます。それよりも無事故郷へ帰りたかったはずです。なのに骨になっても、いまだに帰郷のかなわない人もたくさんいます。

私の今年の思いを漢字に表すとすれば「怒」、この一字で今年は終わります。来年は「希望」という二字で表せるようになってほしいと思います。


写真日記 ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする