写真師の「新カメラ日記」

JRP会員の橘が日々の事、撮影日記などを記録していきます。

カメラを持って鳥撮りに 沖縄を返せ!

2013年12月26日 | 写真

写真は今日撮った漁の名手といわれる鷹の仲間「ミサゴ」」です。夜明け前に我が家の居候猫「ビー子」に起こされ朝の餌を用意して猫の出入り口から空を見ると星と月の輝きが見えたので、カメラを用意して野鳥の楽園といわれる河北潟干拓地まで出かけました。
空は雲が広がり期待していた北アルプスからの朝焼けは見られず峰々も雲にさえぎられて期待はずれに。そこで冬鳥も増えて賑やかになっている河北潟干拓地で鳥を撮ってきました。思いのほか鳥の姿も少なかったのですが、それでも「コハクチョウ」「カンムリカイツブリ」「トモエガモ」「アオサギ」「ハヤブサ」そして写真の「ミサゴ」などにレンズを向けることができました。天候の悪いこの季節としてはまずまずでした。

今日のしんぶん赤旗は仲井真沖縄県知事に「米軍基地建設のための辺野古埋め立て承認をするな」と1500人が沖縄県庁を包囲した記事が一面トップでした。
いまTVニュースは安倍総理の靖国参拝の様子と同時に「英霊」という言葉で戦争犠牲者を事実とかけ離れたものに祀り上げ、侵略戦争を是とする自らのいびつな歴史観にたった「積極平和主義」なるものを語っています。
私は第二次世界大戦が日本、ドイツ、イタリア三国が自国と侵略国の多数の人民に多大な犠牲を出して、反ファシズムの連合国に降伏した1945年は三歳でした。ちょうど父や母たちは外国の戦線や銃後といわれた国内でその戦争の渦中にいた世代です。
私の父方の叔父は沖縄戦線で、母方の叔父は東シナ海の海戦でともに亡くなりいまもその骨の行方も分からない状態です。
父方の叔父はよく安倍が「英霊」と祀り上げる代表のような沖縄における特攻作戦の犠牲者の一人でもありますが私なりに調べた結果は決して安倍の言うようなかっこいいものではありません。残された家族も働き手の中心だったり、これから中心なる人を奪われて大変な戦後になりました。
戦後の日本はそんな犠牲者を出した反省の上に作り上げた「日本国憲法」で決して戦争にはかかわらないという立場であの何も無い貧しい国から現在の国になっています。その一番根っこともいうべき日本国憲法をないがしろにする現在の沖縄が象徴する安保政策をやめて私の叔父の骨がうずまっているあの沖縄から基地をなくし「平和の象徴」のような島にしない限り叔父の魂は眠れないと思っています。
今日は沖縄返還運動でよく歌われていた「沖縄を返せ」の調べが頭の中で響く一日でもありました。

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