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「島田まげ祭」とお食い染め

(島田まげ祭道中)

雨が心配であったが、島田まげ祭を見に行きたいという女房に付き合って、昼食を早めに済ませて出掛けた。島田髷を結った女性たちの踊りの道中が7丁目から出発しているとの女房の情報に、大井神社に駐車して、本通りを東へ歩いた。大井神社では撮影会でもあったのか、踊りの道中とは別に五人ほどの島田髷を結い浴衣を着た若い娘が池の周りでカメラに向けてポーズをとっていた。

帯通りの一番南で、人だかりがあり、今しも踊りが終って次の場所へ移動するところであった。「島田まげ祭」の幟を先頭に、次の場所の清水屋前に歩く。80人ほどの髷と浴衣の女性たち、半分以上は子供たちであるが。白地に髷の色々な名称を染め込まれた揃いの浴衣に帯を締め、背中には髷の名前と結った美容院の名前が記された紅い団扇が帯に差されている。足元は素足に下駄である。二本歯の下駄ではなくて、土踏まずの部分がえぐられて鼻緒がすげられた、「右近下駄」という下駄である。動きやすい下駄なのだろう。列を成して進む姿は何とも不思議な光景であった。


(島田髷の後姿)

駅から北へ進み本通りと交差する手前で、踊りが三曲披露された。観客の前に髷は結わない同じ浴衣の女性(年齢はかなり上)がずらりと並んでいる。彼女らが髷を結った美容院の先生方なのだろう。自分の結った踊り子がそばに来るとちょっとした髷の乱れや着崩れを直してやっている。自毛もカツラもきりりと結われると、顔のすべてが見えてしまい、美しさも、それなりも、誤魔化しようがなく見えてしまう。島田髷というのはある意味、怖い髪型とも言える。踊りが回ってきて周囲のカメラマンがついついきれいな娘へカメラが集中してしまう。自分は島田髷を撮るべく、後姿をたくさん取った。これなら美人もそれなりも区別がない。

アマチュアカメラマンといえばずうずうしいおじさん達というのが相場であった。ところが、最近はカルチャーセンターのカメラ講座などが盛んなためであろうか、おばさんパワーがここでも活躍しているのに改めて驚いた。

次の踊りは大井神社である。狭い参道に大人と子供の輪が二重になって踊りを披露した。カメラの砲列が並んで女房のいたところではカメラマン同士が邪魔をし合って揉め事が起きそうになったという。自分も社殿前の石灯籠の土台に乗って、少し高い位置からデジカメを構えた。

島田髷の由来に付いては、今年の2月に「島田髷と髪の塚」で書き込んだ。行列はそこで紹介した鵜田寺で最後の踊りを披露すると放送があった。しかし、人ごみで草臥れてしまったので、お祭見物はここで終りにした。

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まーくんが生誕100日を迎え、「お食い染め」に必要だからと、お祭見物のあと大井神社の境内で小石を拾った。3つあれば良いらしいが、女房は5つほど拾った。そのあとアピタに行き、乳幼児の食器のセットを見てきた。色々キャラクターの入ったものもあり、娘は無地が好いと言っていたようだが、女房は迷ってしまった。結局、娘に電話して自分で選ばせることにして買わずに帰った。「お食い染め」は夫君の実家でやるのであるが、女房は何かと世話をやいている。
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