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「富士日記」 13 (旧)七月廿四日

(オハグロトンボの繁殖地)

畑にたくさんいるオハグロトンボは脇を流れる小川を繁殖地にしているらしい。いつもこの辺りに集っている。

本日、歴史講座のS教授から頼まれた、碑文の解読を本日郵送した。

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「富士日記」の解読を続ける。

廿四日、今日は雲晴れ、高嶺の雪も消えにたれば、いざやとて出で立つ。兼ねては、主知る辺、すべかめりしを、この頃、幼子のもがさ(疱瘡)病めれば、術(すべ)なしとて、強力(ごうりき)と名付くる者を添えて、案内(あない)とせり。
※ すべかめり - ~するに違いないようだ。きっと~するように見える。

卯の半ばに家を立ちて、先ず大鳥居のうちなる、浅間社に詣でて、登山門を通りて、馬返し(あざな)せる、鈴原まで、裾野三里がほど、馬に乗りて、そこより徒歩にて登る。高嶺までを十に割りて、一合、二合と称ふるは、大方、一里、二里と云えらんが如し。
※ 卯の半ば(うのなかば)- 午前6時ごろ。
※ 浅間社(せんげんしゃ)- 現在の北口本宮冨士浅間神社。
※ 馬返し(うまがえし)- ここまで馬で行けた。
※ 字(あざな)- 実名以外に、呼びならわされた名。
※ 鈴原(すずはら)- 鈴原天照大神社がある。


三合目に、御室権現と申すは、木花開耶姫(このはなさくやひめ)、片方の祠は、信玄僧正を斎(いわ)いたるにて、こゝまでは女も登れりとぞ。
※ 御室権現(おむろごんげん)- 富士御室浅間神社。本殿は、昭和49年に富士河口湖町勝山の里宮に遷祀(せんし)され、奥宮だけが残る。拝殿は立入禁止となっている。
(原注 武田大膳大夫晴信、後に入道、信玄と号し、大僧正に任ず。)


四合目、御座石の社は、磐長姫の命。いささか登れば、右に鳥井あり。小御嶽に詣ずる道なり。今は石尊権現と云えど、大和武尊、径津主命(ふつぬしのみこと)を合わせ祀れりと、兼ねて聞き置きたれば、帰さに詣でんとて、ひた登りに登る。
(原注 磐長姫、木花開耶姫の姉。)
※ 小御嶽(こみたけ)- 現在の富士山小御岳神社。
(原注 径津主命、伊那那岐命の子。)


中宮と、額打ちたるは、大日孁貴(おゝひるめのむち)を鎮め祭れりとぞ。梺よりこの辺りまでは、木立ち深く、目慣れぬ木草多かる中に、富士松と云えるは、世にいう唐松(からまつ)にて、いと多く、雪にされたるなるべし。唐めきて立ち並べるさま、いとおかし。
※ 大日孁貴(おゝひるめのむち)- 天照大神 (あまてらすおおみかみ) の異称。
※ 目慣れぬ(めなれぬ)- 見慣れぬ。
(原注 から松、漢名金銭松また落葉松。)
※ 唐めき(からめき)- 普通と違っていて異国風に見える。
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