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「震雷記」の解読 7



(大山に落ちた雷獣《「震雷記」の挿絵》、どうみてもハクビシン?)

夜、区の運営委員会に出席する。次期総代としての初仕事である。役員の連絡のため、ラインというものに、よく分からないまま加入させられた。費用は掛からないらしいのだが、新しいことへの挑戦は、これ以上、御遠慮したいところではある。もう時代にかなり遅れているようだ。

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「震雷記」の解読を続ける。

〇前にも言えるごとく、雷霆(らいてい)の時、雲に乗り落るときも、随って、落ちる生類(しょうるい)、和漢色々、種類多しと見えたり。今年、明和乙酉(二年、1765)七月廿三日、相州大山に落ちたるは、その形、猫よりは大きく、形、略(ほぼ)(いたち)も似て、色(いろ)、鼬より黒し。爪五本ありて、甚(はなは)だ逞(たくま)しし。先年、岩付(いわつき)に落ちたる雷獣(らいじゅう)は、大体今年のに似たりといへども、胴短く、色、灰白色なり。
※ 雷霆(らいてい)➜ かみなり。いかずち。 
※ 生類(しょうるい)➜ 命のあるもの。いきもの。
※ 岩付(いわつき)➜ 武蔵国埼玉郡岩槻。
※ 雷獣(らいじゅう)➜ 落雷とともに現れるといわれる日本の妖怪。

唐の書にも往々見えたれども、何れも違(たが)い多し。唐の狄仁傑(てきじんけつ)が、形(かたち)人に似て、殊に人語をなせしと言えり。又李肇(りちょう)
国史補に曰く、雷州に雷獣多し。その形、人に似て、人、是をとって食うと言えり。捜神記には、雷の形、猿猴(えんこう)に似て、色、赤と言えり。
※ 狄仁傑(てきじんけつ)➜ 唐の政治家。高宗の時、江南の巡撫使として活躍。また、突厥・契丹の征服に功績があり、国老となった。
※ 李肇(りちょう)➜ 後漢から東晋に及ぶまでの有名人の逸話を徳行・言語・政治・文学など三十六門に分類して収載している。
※ 捜神記(そうしんき)➜ 四世紀に東晋の干宝が著した志怪小説集。猿や鳥などの動物、仙人や神様を使って、中国の話言葉を本にした短編小説である。
※ 猿猴(えんこう)➜ 猿類の総称。

我国にも、土佐の国には、春夏の頃、山中にて雷獣を討ち取り食う。その味、星鮫(ほしざめ)のごとく、甚(はなは)だ美なりと言えり。又信濃深山にも、このものをとり喰う。房州二山という所には、正、二月頃、村民言い合いて雷猟(らいがり)とて、山中を猟(か)り出し取ると言えり。然らざれば、その年、夏秋、雷多しと言い伝う。寺嶋氏の三才図会(さんさいずえ)に詳(つまびらか)に載せたり。
※ 星鮫(ほしざめ)➜ ドチザメ科に属するサメの一種。サメのなかでもっとも味がいいと定評がある。
※ 三才図会(さんさいずえ)➜ 正しくは、和漢三才図会。寺島良安により江戸時代中期に編纂された日本の類書(百科事典)。正徳二年(1712)成立。
(「震雷記」の解読つづく)

読書:「朝焼けの辻 八丁堀剣客同心 15」 鳥羽亮 著
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