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「松平記 巻五」の解読 4

(散歩道のアジサイ その3)

お昼に、女房の友達が数人来宅、4時近くまでおしゃべりして帰った。長い自粛生活に、そろそろ飽きて、活動し始めたようだ。その間、自分は奥で昼寝をしていた。

アメリカでコロナ騒ぎが収まらない中、警察官による黒人殺害に端を発する抗議デモに、大統領の発言が油を注ぎ、暴動、略奪が発生している。トランプ大統領がやっていることは、習近平主席が香港に対してやっていることと、瓜二つである。違うとすれば、秋の大統領選で、アメリカ国民がNOと言える余地があることであろうか。

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「松平記 巻五」の解読を続ける。

一 同年九月十二日、信長比叡山に押し寄せて、三院衆徒(しゅと)(こう)、日吉山王神輿(みこし)まで、残らず皆な焼き立て、三千の衆徒一々首を切り給う。もっとも山門法師の悪逆は、普通に勝(まさ)れたれども、かくも給う事、前代未聞の事なり。
※ 三院(さんいん)➜ 比叡山における三つの院。止観院、宝幢院(ほうどういん)、楞厳院(りょうごんいん)をいう。
※ 衆徒(しゅと)➜ 奈良・京都の諸大寺の僧侶たち。平安末期以後は僧兵をさす。比叡山では、上の階級に属する僧をいう。
※ 冓(こう)➜ 構え。部屋。寝屋。


一 元亀元年(1570)十月中旬、信玄、遠州へ発向し、乾の天野宮内右衛門案内にて、飯田の城を明け渡す間、見付の台へ、信玄籏(はた)を立たれ、家康衆三千にて出合い、一言坂にて合戦す。大敵、殊更嵩(かさ)みて見ゆる。本多平八、内藤三左衛門申すは、ここ信玄の大勢(おおぜい)と合戦し、味方大勢討たれて後、家康の旗本小勢に成りて合戦、大切(たいせつ)なれ。先ず引き取りて、信長よりの加勢と一つに成り、信玄を切り立て討ち捕るなりとて、評談(ひょうだん)し、本多、鹿角(しかつの)立物(たてもの)に、(から)の頭(かしら)掛けたる甲(かぶと)にて、敵味方の間へ乗り入れ、人数を左右(そう)無く引き上げる間、跡目(あとめ)に付け、信長衆押し、大久保治右衛門、同勘七、都筑藤一、大久保荒之助、四人しんがりにて引き取る。
※ 大切(たいせつ)➜ 切迫するさま。緊急を要するさま。事が切迫していることを云う。
※ 評談(ひょうだん)➜ 評議すること。相談。
※ 立物(たてもの)➜ 兜の鉢につける飾り金物。
※ 唐の頭(からのかしら)➜ 兜の上につけるヤクの尾で作った飾り。
※ 左右無し(そうなし)➜ あれこれとためらわない。無造作だ。
※ 跡目(あとめ)➜ あと。うしろ。しり。

(「松平記 巻五」の解読、つづく)

読書:「遠国からの友 剣客春秋 10」 鳥羽亮 著
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