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「甲陽軍鑑」を読む 60

(家山梅園に咲いていたエリカ/一昨日)

エリカはアフリカなど原産のツツジ科の花で、700種くらいあるという。中には麻薬が好きな花もあるというが。

午後、掛川古文書講座へ出席。夜、金谷宿理事会。

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「甲陽軍鑑巻第十二」の解読を続ける。「信玄、公方へ御返状」の項の続き。

右五逆、古(いにしえ)に在ること、未だ聞かざるなり。況(いわん)や末代においてや。若し逆徒ら、この節、宥(ゆる)し置かれるは、讒臣(ざんしん)国を破り、窮鼠(きゅうそ)却って猫を噛み、闘雀(とうじゃく)人を恐れず。却って怨敵(おんてき)を成し、国を傾けんを欲する企て有らん。この條、隠して未だ上聞(じょうぶん)に入らずといえども、諸国は普(あまね)く知る所なり。若し行(てだて)猶予に及ばば、虎尾を履(ふ)み、犲狼(さいろう)を懐(いだ)くに同じ。果して諸国の御敵、蜂起せしめ、大乱の基(もとい)と成るべきか。
※ 讒臣(ざんしん)➜ 讒言して主君におもねる臣下。
※ 闘雀(とうじゃく)➜ 戦っている雀。「闘雀人を恐れず」とは、弱い雀のような鳥でも必死で戦っているときは、人が近づいても恐れない、という意。
※ 怨敵(おんてき)➜ 深いうらみのある敵のこと。
※ 上聞(じょうぶん)➜ 天皇や君主の耳に入れること。天皇や君主の耳に入ること。
※ 犲狼(さいろう)➜ やまいぬとおおかみ。


早く、信長・家康以下の凶徒(きょうと)ら、然るべくは、誅戮(ちゅうりく)の御下知を、時日に移さず、かの舘に馳せ向われ、身命を軽んじ立つに、凶党を亡ぼし、尸(かばね)を軍門に曝(さら)し、首(こうべ)を獄門に掛け、万人の愁眉(しゅうび)を開く安寧(あんねい)を処せんか。苟(いやしく)も信玄、正義を尽し、策(はかりごと)帷幄(いあく)の内に運(めぐ)らし、四海の逆浪を静め、台嶺(たいれい)の諸伽藍、七社(しちしゃ)之零藍(れいらん)、建立を遂げ、并(ふたたび)顕密兼学(けんみつけんがく)の霊地と成し、現世安穏の政(まつりごと)を糺(ただ)し、日月の餘光を輝かし、天下静謐の功を致すべき旨、宜しく公聞(こうぶん)に達せらるべし。誠惶誠恐謹言(恐惶謹言)
  正月七日   大僧正法性院 徳栄軒(とくえいけん)
   上野中務大輔(たいふ)殿
※ 凶徒(きょうと)➜ 殺人・強盗・謀反など凶悪な犯罪を行う者のこと。
※ 誅戮(ちゅうりく)➜ 罪ある者を殺すこと。
※ 愁眉(しゅうび)➜ 心配のためにしかめるまゆ。心配そうな顔つき。
※ 安寧(あんねい)➜ 無事でやすらかなこと。特に、世の中が穏やかで安定していること。
※ 帷幄(いあく)➜ 作戦を立てる所。本営。本陣。
※ 台嶺(たいれい)➜ 比叡山を中国浙江省の天台山に模して、唐風によぶ称。
※ 七社(しちしゃ)➜ 山王七社のこと。滋賀県大津市坂本の日吉大社に所属する本社・摂社・末社の二一社を、上・中・下おのおの七社ずつに区分していう称。
※ 顕密兼学(けんみつけんがく)➜ 顕教と密教を兼ね学ぶこと。
※ 徳栄軒(とくえいけん)➜ 信玄の正式法名は「徳栄軒信玄」。

(「信玄、公方へ御返状」の項、終り)
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