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「竹下村誌稿」を読む 32 大井川 21

(釜谷の最高所からの眺め/1月14日撮影)

今朝から一日雨降り。


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「竹下村誌稿」の解読を続ける。

 癸未紀行

 海道奔流第一川
 籃輿舁載擔夫肩
 洛西大井雖同稱
 此不看桴彼有船


海道の奔流、第一の川。籃輿を舁(か)き載(の)担夫の肩。洛西の大井、同称と雖(いえ)ども、こはをも看(み)ず、かは船有り。

※ 癸未紀行(きびきこう)- 丙辰紀行同様、林羅山が著した紀行文。
※ 籃輿(らんよ)- 簡単な竹作りの駕籠。主として山道などに用いるもの。山駕籠。
※ 担夫(たんぷ)- 荷担ぎ。ここでは、川越し人夫。
※ 桴(いかだ)- 木材・竹などを何本も並べ、綱などで結びつけて、水に浮かせるようにしたもの。木材の運搬のほか、舟の代用とする。


 大井河分界駿遠之二州
 巨石激波瞰奔流兮
 東西往還者自古不通舟兮
 况其橋梁不可建乗輿不可渉皮嚢不可游兮
 水瞿難用淮陰侯兮
 安見流馬與木牛兮
 聞説夏潦秋霖時屡使金谷島田民戸浮兮
 常使行人不論官私数日留兮
 巫峡瞿塘灔澦之嶮若比此河不得儔兮


 大井河、界を分かつ、駿遠の二州。
 巨石、波に激して、奔流を瞰(み)る。
 東西往還する者、古えより舟を通ぜず。
 况(いわ)んや、その橋梁建つべからず、乗輿渉るべからず、皮嚢游(う)くべからざるおや。
 水瞿淮陰侯を用い難し。
 安(いずく)んぞ、流馬木牛とを見ん。
 聞き説く、夏潦秋霖の時、屡々(しばしば)金谷、島田の民戸を浮かしむ。
 常に行人をして、官私を論ぜず、数日留まらしめ、
 巫峡瞿塘灔澦の嶮、もしこの河に比せば、儔(なら)ぶを得ず。

(原文に当った所、間違いが幾つかあったので直す)
※ 兮(けい) - 漢文の助字、置き字。古詩によく見られ、語調を整える。読み下すときは読まない。意味も特にない。
※ 水瞿(すいく)- 水の恐れ。(歩いて渡れる川では、恐怖は無くて、「背水の陣」は使えなかっただろうという意。)
※ 淮陰侯(わいいんこう)- 淮陰侯韓信(かんしん)。中国秦末から前漢初期にかけての武将。「背水の陣」を初めてとった。「背水の陣」の代名詞。
※ 木牛流馬(ぼくぎゅうりゅうば)- 中国、蜀の諸葛亮の創案という、牛馬の形に似た機械仕掛けの兵器・食糧運搬車。
※ 夏潦(かろう)- 夏のにわたずみ。夏の長雨。
※ 秋霖(しゅうりん)- 秋の長雨。
※ 巫峡(ふきょう)- 中国・長江三峡の二番目の峡谷。
※ 瞿塘(くとう)- 瞿塘峡(くとうきょう)。中国・長江三峡の一つ。
※ 灔澦(えんよ)- 瞿唐峡の入口にある岩礁の名。一帯は、水量が多く急流で、岩礁がある難所。
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