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事実証談 神霊部(下) 74 年神

(裏の畑のシュンギクの花、島田のOさんから頂いた苗が育って、
食べきれなかった分が花を咲かせた。昨日撮影。)

事実証談の解読を続ける。

第74話
○文化十年(1813)の冬、雨降ることまれにて、国々旱魃の聞えありて、村々なる井の水かれて、水乏しかりしに、佐野郡幡鎌村は原ノ谷川の西渚(みぎわ)に有りながら、山添いの村にて、水ことに乏しく、川水汲むにも瀬切りて、只こゝかしこに残れる溜り水を汲みて、物炊(かし)ぐ水としけるに、
※ 瀬切り - 水の流れをせきとめること。

十二月廿八日、隣郷の狩人、その川原に鹿を追い出し、打留め、その皮を剥ぎ取り、その肉をその村の水汲み辺りに捨て置きたりしを、犬数多寄り集り、咬み散らして、その骨の類い、水の中へ入れしを、外に求むべき水のなければ、家々にてその水を汲みて、正月の餅つきに用い、なおその水にて飯をも炊き、年神祭りなどせし崇りにや有りけん、
※ 年神祭り - 年神(としがみ)は、毎年正月に各家にやってくる来方神である。地方によっては、お歳徳(とんど)さん、正月様、恵方神、大年神(大歳神)、年殿、トシドン、年爺さん、若年さんなどとも呼ばれる。現在でも残る正月の飾り物は、元々年神を迎えるためのものである。門松は年神が来訪するための依代であり、鏡餅は年神への供え物であった。各家で年神棚・恵方棚などと呼ばれる棚を作り、そこに年神への供え物を供えた。

春過ぎる頃より、その村に疫病起り、家々にて悩み死ぬる者多けれど、隣郷にはさらに悩む者なきを怪しみ、卜者に占わせしに、食穢によりて穢し、火の穢れによりての崇りなりなど言いけるにより、僧修験に乞いて祈願なさしめ、村こぞりて祈願怠らざれども、しずまらず、月日をかさねて、やまざりしを、祈願のしるしにや、夏過ぐる頃より漸く薄らぎしが、その村に限りてしかありしは、いかなる崇りにか有りけん。
※ 食穢(しょくえ)- 肉食による穢れ。
※ 僧修験 - 修験僧。山野や霊山・霊地で苦行を積み、霊験のある法力を身につけた僧。

そのわたりの人々の噂には、鹿の肉を犬の咬み散らし、穢せし所の水を汲み、神祭りせし崇りなりともいい、またその肉を食せし崇りなりとも、またその十二月初の頃にや、氏神の社より狐出でしを、打ち殺せし崇りなりとも、その狐の肉を食せし崇りにやなども云いしは、いずれが誠なりけん、さだかならねど、かゝる事は皆火の穢れによりてなれば、火の穢れの崇りなりといえるこそ実(まこと)ならめ。
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