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木町観音堂、96蓮馨寺 - 駿河百地蔵巡り 15回目

(黄瀬川から見る富士山)

昨日、ブログを書く段になって、全く材料がないことに気付いた。ないと思っていても何かしら出てくるもので、そのことには自信があったけれども、昨夜は頭が真っ白のままであった。暮れから1月と寒さが増して、フットワークが悪くなっていた。だから材料も底を付いたのである。その反省から、今日は寒さも緩むというニュースに、地蔵巡りに出かけることにした。一ヶ月ぶりである。

駿河一国百地蔵を中心にした地蔵巡りの旅も、15回の今日で、一応の区切りとなる。引き続き、「しずおか百地蔵」(靜岡リビング新聞社刊)を元に落穂拾いをしながら、もう一回りする予定である。これは、西は藤枝から東は清水までに地域が限定されている。このエリアは自分の見るところ、地蔵信仰の厚いところで、その分、地域に密着したお地蔵さんがまだまだたくさんある。

いつものように、朝7時半には電車に乗ったけれども、今日のスタートの沼津駅に着いたのは9時を回っていた。ずいぶんと遠くまで来たものである。花粉が飛び始めているだろうという判断から、花粉対策の眼鏡を掛けた。花粉は防げるが度が入っていない分、見える世界が少しぼやけている。気持もややぼやけて、一日ふわふわと雲の中を歩いているような気分であった。

沼津駅のスタートだが、今日のターゲットはすべて三島市のお地蔵さんである。三島市に入るまで、ほぼ旧東海道に沿った道を歩いた。かつて東海道歩きで2度歩いているから、記憶に残る旧跡が次々に出てくる。

 
(潮音禅寺の地蔵尊)

黄瀬川の手前はまだ沼津市である。左手に潮音禅寺がある。街道の三大美女の一人、遊女亀鶴の碑が残るお寺で知られる。境内に立寄ると、小さな祠に石の地蔵尊が祀られていた。どんないわれが残るお地蔵さんなのか知れないが、番外の地蔵尊として数えよう。

黄瀬川に架かる橋が架け替え工事に入っていた。古い橋は撤去され、歩行者のために仮橋が架かっていた。黄瀬川を越えると、柿田川湧水で有名な清水町である。黄瀬川の橋のたもとでお地蔵さんを見たような記憶があった。この工事の様子では、どこかへ移されたのだろうと、土手を下って行くと、左手の智方神社の鳥居脇に、新しいコンクリートの台が出来て、8体の石仏や石碑が並んでいた。

案内札が立ち、「川施餓鬼地蔵尊像」の標題の下に「1馬頭観音、2庚申塔、3馬頭観音、4馬頭観音、5正観世音菩薩塔、6観音像、7石仏、8蛇塚」とそれぞれの案内があった。「川施餓鬼地蔵尊像」とうたいながら、地蔵尊像が無かった。地蔵尊像が無ければ、番外としても数えられない。


(木町観音堂の言成地蔵)

対面石の八幡神社、伏見の一里塚を見て、千貫樋が交差する境川を跨ぐと、清水町から三島市に入る。木町(西本町)に入って、木町観音堂の場所を聞くと、手前の角を北へ折れた先にあるという。木町観音堂は立派なお堂であった。境内入口左に小さいお堂の言成地蔵が安置されていた。格子の中に石の地蔵座像が見えた。


(蓮馨寺本堂)

伊豆箱根鉄道、三島広小路駅脇の踏み切りを渡ると、左手に第九十六番蓮馨寺がある。階段を上がった上層の本堂に「駿河一国百地蔵尊第九十六番」の板が貼られていた。御本尊阿弥陀如来の隣りの厨子の中に、日限地蔵尊(別名約束地蔵)が安置されているという。「約束地蔵」とよばれるのは、その縁日に男女が逢引きの約束をしたという話からである。(つづく)
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