平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
東京行幸についての御触れ - 駿河古文書会
さらに「御觸面書留帳」が続く。移封があって、去る人、来る人、てんやわんやで、まだ定まらない時期に、明治天皇が東京へ行幸になるとの通知が来て、以下の御触れとなった。慶応から明治へ改元されたのが九月八日、御触れはその二日後の日付になっている。
新政府と旧幕府側の争いが続き、東国の民衆は多大な苦難を味わった。天皇はこれら東国の民衆を慰撫したいと願われ、九月二十日に京を立ち、十月十三日に東京に入られた。この道中では各地で、老人、家業出精の者、親孝行ものを表彰しながら、ゆっくりと進まれた。十月四日に藤枝に宿泊、翌五日、府中では、孝子6名、忠婢1名が表彰された。以下の御触れは、行幸の際の表彰の下調べも兼ねていた。
今度、東京へ行幸に付、御道筋へ近在、近郷より拝しに罷り出候儀、勝手次第たるべき事
一 水災のために流失いたし候者、これ有り候わば、取り調べ、来る十五日まで差し出すべく候
一 御当日、遠方より継ぎ立て人足、二、三泊にて、宿方へ罷り出で候者これ有り候わば、取り調べ、差し出すべく候
一 七十才以上の者、並び親孝行の者、家業出精の者、これ有り候わば、取り調べ、来る十五日までに差し出すべく候
右の通り相心得、この回状村下へ請印せしめ、早々順達留り村より、井宮村松寿院仮役所へ、相返すべきものなり
九月十日 地方役所
追って、御役所取り建つまで、当分の内、本文の通り、安西井宮村松寿院借り受け、仮役所にいたし、明十一日より取り扱い候間、諸願い、諸届け、同所へ差し出すべく候
一 その村々高札面へ、これまでの代官、領主、地頭などの名前これ有り候分は、右名前だけ早々紙にて張り置き候様、致すべく候
追って順よく継ぎ立つべく候
安倍郡
北長沼村始め
上土新田
同外二ヶ村受新田
浅畑沼新田
川合新田
川合村
南沼上村
北沼上村
浅畑新田
東村
北村
羽高村
有永村
池ヶ谷村
柳新田
北安東村
南村
宮内村
右村々役人
最後の一つ書きは、旧の代官、領主、地頭などの名前は、紙を張って、名前の部分だけ紙を貼って消しておけという内容である。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )