goo

金谷でもお寺巡りに

(金性寺の白い大理石のお地蔵さん)

昨日、島田のお寺巡りの帰り、島田駅まで歩き、金谷駅までは電車で戻った。大井川線は時刻表を確認することもなく、我が家まで歩いた。途中、いくつか金谷のお寺を巡ろうと足が向いた。

金谷の通りの北の裏道を川沿いに歩くと、山側にいくつかお寺がある。最初は金性寺。「聖徳太子尊碑」と刻まれた石碑から、細い石段の道を真っ直ぐに登ると左に金性寺がある。本堂前で子供が二人、草取りをしていた。頑張ってるねと話しかけると、おじいちゃんと呼ばれて、住職が顔を見せた。記憶を頼りに、境内に大岩のあるお寺はどこでしたかと聞く。自分は最近来たのでよく分からないと答え、裏に大理石のお地蔵さんが出来たので見て行って欲しい。大理石のお地蔵さんは日本唯一だと思うという。本堂裏へ回ると、腰をひねった親しみやすい地蔵尊が祀られていた。大理石の肌が真っ白である。確かに変ったお地蔵さんであった。


(利生寺の大岩、一枚岩だという)

自分の記憶で大岩のあるお寺は利生寺のことだった。川沿いに歩いて、その道から少し上がったところに、正面に大きな巌が見えていた。正面の大岩は女岩、その左手の岩は男岩と呼ばれて、その間を小さな流れが区切っていた。このお寺は「歳代記」に度々登場するお寺で、幕末の御札降り騒ぎの時には、この大岩の上に御札が降ったと記述されていた。境内には、岩山観音、八大龍王、聞き耳地蔵、水掛け地蔵、歯子観音と、それぞれ由緒の付いた細々とした仏が祀られていた。地元のお年寄りが集いやすい空間である。幸せの鐘という小さな鐘を一つ撞いてみた。


(尾根上の墓地から富士山が見える)

人家を縫うように坂道を登って、旧国道1号線まで出、洞善院に行った。ここは大きなお寺で、金谷町の歴史をひも解くと、たびたび出てくるお寺である。檀家も多いのだろう、お葬式でも何度か来た。堂々とした立派な伽藍を後に、尾根上の道を歩く。両側にはびっしりと墓石が建っている。こんなところ一帯が墓地になっているとは初めて知った。尾根が尽きるその先には、金谷、大井川、島田と広がる景色がある、その先の山の上に真っ白な富士山が見えていた。見晴らしがよくて、ここの墓地に入る仏さんはさぞかし気持が良いだろうと思った。

それより下ったところに、もう一ヶ寺、古い甍が見えた。墓地の間を降りて、お寺の正面に回ると、医王寺とあった。いつも旧国道を通るときに、お寺があることは承知していたし、金谷で医王寺は有名なお寺である。しかし、医王寺がこのお寺だったとは知らなかった。医王寺の薬師堂の天井には、渡辺崋山の十哲の一人、金谷に住んでいた永村茜山の手になる龍の絵があって、県指定の文化財になっている。絵は知っているが、実物はまだ見たことがない。日を改めてじっくり見せてもらおうと思った。

この後、北へ伸びる西原のふもとを、曲がりくねって進む里道を歩いて、自宅へ帰った。この道も通して歩くのは初めてである。車で帰るときはもっと東側の広い真っ直ぐな道を通る。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )