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警察小説と警察ドラマ

(ムサシの散歩道にたたずむアオサギ - つがいで近辺を縄張りにする)

今日、今野敏著の「天網 TOKAGE2」という小説を読了した。最近、警察小説というジャンルが出来たようで、この本の帯にも「これぞ本格警察小説の極み!」と大きく書かれていた。かつては警察官が主人公の小説があっても、推理小説の探偵役となっているケースが多かった。ところが、警察小説は、事件の謎解きもあるが、事件の捜査の中で、警察組織内の手柄競争、縄張り争い、上層部との葛藤などを描く方に主力を置いているようだ。

警察小説として最初に意識して読んだのは、横山秀夫の警察小説である。読みながら、謎解きに終始する推理小説よりも格段にシリアスで読み応えがあると思った。その後、今野敏、佐々木譲などの警察小説を大変興味深く読んでいる。それらの小説で、警察内部には、花形の捜査一課だけではなくて、実に様々な部署があることを知った。それらが有機的に機能すれば、警察は素晴らしい組織になるはずである。

警察組織は階級の上下が絶対的である階級組織で、その命令系統も絶対である。しかも、かつては一般会社でも横行したセクト主義が今もって大変重要な行動パターンになっている。それは県警間の縄張り意識であり、警察署間、担当課間の児戯に等しいような縄張り意識である。個人的には手柄至上主義で、チームとしての連係プレーがなかなかやりにくい。一方で、目立った行動を牽制し合う事なかれ主義も蔓延って、犯人追求に懸命になる警察官は組織から浮いた存在になることが多い。真実はまた別なのかもしれないが、小説を読んでいる限りそんな感を深くする。

今夜、「踊る大捜査線」からスピンアウトした「容疑者室井慎次」という映画をテレビで見た。見るのは何度目かだが、大変面白い。警察上層部のポスト争いのために、巡査の絡んだ事件の真実を明らかにしようとする室井は翻弄される。色々な人たちが出たり入ったりして、よく見ていないと何が何やら良く判らなくなる。この人は何のために出てきたのか、余り必然性のない人たちも多い。これも警察小説の延長上にある映画であると思った。

新聞のテレビ欄を見ていると毎日のように警察もののドラマが何本かある。おおむね、組織防衛と面子だけの上層部、無能な中間管理職などが出てくる。こんなに悪者として描かれながら、フィクションだとの断り書きがあるから、クレームが付いたという話は聞いたことがない。描かれている内容が真実をついているのか、クレームを付けたときのマイナスイメージを恐れているのか、小説やテレビでやりたい放題のような気がする。もっとも自分もそれで胸をすかせている一人なのだが。

弱者を叩けばダメージが大きいが、権力者を叩いてもそれほどダメージはないという、メディアの安易な発想がこんな状態を呼んでいるのだろうか。時々出てくる警察の不祥事が、フィクションを現実に変えてしまうからやっかいである。
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