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小笠山溜池敷訴訟済口証文

(散歩の途中で-ヒマラヤユキノシタ)

掛川の古文書入門講座に出席した。本日の教材は小笠山溜池敷訴訟の済口証文である。以下に読み下した分を記す。

差し上げ申す済口証文の事
(中略)
出入り双方とくと懸け合い及び候ところ、訴訟方申し立て候、惣名、小笠山の内字奥山田溜池敷が田地に相成り、高請地に相成り候由にて、古損地帳を証拠として差し出し候えども、宝永三年の頃より作付け致し候由の申し立て候えば、延宝度の損地帳に字古池敷とこれ有り候。高請地が今般相争い候溜池敷の場所とは相決め難く、併せて貞享度の御裁許後絵図面に御書き載せこれ有り候溜池は訴訟方進退(しだい)の由、双方申し口も符合致し候上は、右溜池敷きへ追々試作いたし候有り形の分は、是までの通り訴訟方進退と心得、高受等の義は追ってその筋の御差図に任せ■り。尤も御料、私領七ヶ村入会秣(まぐさ)場にこれ有る処、私領子隣村の者ども池敷の続きへ猥り試作等いたし候始末、恐れ入り奉り候。相手桶田村蓑次こと名主与惣左衛門其の外の者ども儀、右躰の義致し候はばその筋へ申し立て取り計らうべきの処、右場所へ罷り越し子隣村にて作付致し置き候試作の場所、理不尽に掻き散し、直ぐさま南沢新溜井堤其の外入樋等打ち毀し候始末、相手の者ども御察当の処、恐れ入り奉り、この上訴え等請け奉り御吟味候いては一言申し上ぐべき様これ無く恐れ入り奉り候。然る上は右溜池敷試作いたし候場所と掻き散じ候場所、立会の上、境い杭打ち建て置き、向後争論これ無き様仕るべく候。以来入会山内へ切添え、切開き並び溜池の場所に上置き等致さじ義は勿論、すべて新規の儀は仕らず筈取り決め、去る貞享度、仰せ渡され候御裁許御絵図面の通り、一同堅く相守り申すべき定めにて、右出入り双方申し分無く熟談内済仕り偏に御威光と有り難き仕合せに存じ奉り候。然る上は右一件に付き重ねて御願がましき義、毛頭御座無く候。これに依り訴答連印済口証文差し上げ申す処件の如し。


※ 済口証文 - 和解文書
※ 出入り - 訴訟
※ 高請地 - 石高が計算された土地
※ 損地帳 - 水害などで失われた耕地を補充した内容を記した文書(?)
※ 進退(しだい)- 自由にすること
※ 有り形(ありかた)- 現にあるすがた
※ 御察当 - 非難、抗議
※ 向後 - 今後
※ 訴答 - 現代で言うならば、原告と被告


各村の入会地のまぐさ場を原告側が永年にわたり溜池を作り、埋まってきた土地を田地に変えているという不満から、被告側が大挙して溜池や田地を壊した。この訴訟は直接は溜池や田地を壊した事への訴えだが、溜池や田地の正統性が争われる裁判となった。

判決は両者和解ということで決着した。中略の部分に両者の言い分が記されているらしい。長い年月の間に、出来た田地が検地されて石高の計算に入っている部分もあったりして、なかなか一方勝訴の判決が出せずに、和解に持ち込まれたものである。ここまで争った訴訟は当時としては珍しいものだったのだろう。
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