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藤枝大観音と立木釈迦像

(藤枝大観音)

千手大観音の帰りに「藤枝大観音」に寄った。藤枝大観音については前々から気になっていたが、藤枝霊園の中にあると聞いていたから、お墓参りでもないのに物見遊山で行くのに少し気が引けた。今日は観音参りの日と割り切って立寄ることにした。

藤枝バイパスを薮田西インターで降りて、県道215号線を葉梨川に沿って3kmほど遡り、左折して山中に入ったところに宝樹山盤脚院があり、その先の観音山山頂に藤枝大観音は立っている。そしてこの谷全体が藤枝霊園として開発されている。盤脚院を過ぎて、霊園の中を進むと一直線に観音山山頂に通じる石段があった。石段下に車を止め、両側に段状に続く墓地の間の石段を息を切らしながら登った。石段の尽きたところに駐車場があって、何のことは無い、そこまで車で登れたのであった。

藤枝大観音は鉄筋コンクリート造りの台形状の観音堂の上に設置されていた。一説に高さ17メートルと言われ、全体に緑青色に塗られ、宝冠と瓔珞(胸飾り)だけが金色に彩色されていた。青銅製の観音像としては日本最大の大きさだという。平成5年3月に落慶法要ならびに開眼式が行われた。

この霊園及び観音堂を開発管理している宝樹山盤脚院は、江戸時代の初めに甲州から行脚してきた、開山「國州天越大和尚」が駿河国葉梨村に庵を結んだのが始まりとされる。徳川家康はこの地域で度々鷹狩をしたが、その度に盤脚院に立ち寄り、天越和尚と囲碁を楽しみ親交を深めたという。そんな逸話によって碁盤の脚に因んで、この庵を「盤脚院」と命名したという話も伝わっている。


(立木釈迦像)

藤枝大観音の足下の観音堂に入ってみると、そこは会員制の納骨堂も兼ねているようで、壁の棚に名前の書いた小さな観音像が沢山並んでいた。また、観音堂内に珍しいものがあった。立木に彫られた釈迦像であった。案内板には次のような内容が書かれていた。

70年前、焼津市大覚寺笑子(えびす)橋のたもとの、榎の立木に近くの住民が仏師仲丸奥堂に依頼して釈迦像を彫らせたという。焼津市大覚寺といえば、あの千手大観音と同じ町内である。以来「新べえさんのお釈迦様」と呼ばれて、住民の信仰を集めてきた。ところが当局より官地ゆえに立ち退くように要請をうけ、この観音堂にお祀りすることになった。

詳しい理由は書かれてないが、川のそばにあったから恐らく河川改修か何かで邪魔になったものであろう。移動するについては、伐採して釈迦像を彫った幹の部分だけがこの観音堂に祀られていた。像の高さは約1・5メートルである。切り出された幹を見ると、70年前に像を刻んでから、周囲の樹皮が傷ついた部分を補修するように丸かって居る様子が分かる。これが100年200年と経つと両側から表皮が発達してきて、釈迦像もろとも包み込んでしまうことになると思う。樹木の回復力はそれほどのパワーを持っている。
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