長尾たかしの・・・未来へのメッセージ

自民党衆議院議員長尾たかしのブログ。平成11年からネット上で情報発信を継続。サラリーマン生活を経て政界へ。

格差社会に思う・・・宿命を受け入れる潔さ、不条理を生き抜く図太さ

2006-02-07 11:04:49 | 教育
いろいろなところで人様のお話を聞くが、時々「下流社会」を勘違いしている人がいる。下流社会とは、単に所得が低いということではない。コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低い社会を意味する。所得が高い低いの問題ではない。生き抜く力がないという問題である。

昨日、遅めの昼食を取りながらテレビを見ていたら、アスキーの元社長西和彦が出ていた。日本のビルゲイツとまで言われた経営者だが、ITバブル崩壊と共に経営責任を問われた。絶頂期には個人資産300億あったと言う。「当然500億にしたい、1000億にしたい。人間なら誰しもそう思うでしょう」。今は紙切れの株券が残っただけ。地方へ行くにも、ビジネスホテルを利用。質素である。しかし、今が一番幸せだという。心の豊かさがあるという。そういう意味で、彼は「上流社会」に生きているのである。そして、世の中を生き抜く力を持っているのである。

格差社会という言葉も飛び交っている。格差は良いか悪いか。そういう問題ではないと思う。格差は「ある」。どれだけ「ない」と主張しても「ある」。なくそうとしてもあり続けるだろう。格差の良し悪しを論ずる前に、機会が平等であるか、そして評価が公平であるかが大切である。これは長尾たかしが目指す世の中に詳細を記した。

格差をつけられた側から見れば面白くないだろう。しかし、人間生まれ持った環境は決して平等ではない。差があり、区別があり、格差もあるだろう。例えば、親を選んでこの世に生まれてくることは出来ない。国も、土地柄も、それは宿命的に与えられる。競馬好き、パチンコ好きの親を持った子供と、研究好き、読書好きの親を持った子供と、読書力に差が出る、格差が生まれるのはどうしようもない宿命なのである。

同時に、格差を埋めることも現実的には不可能である。男女にも区別、違いがあり、例えば勤務評価についても男女が原因でなくとも格差が生まれる。そこでもし、格差を埋めるために、男何割、女何割というような、基準を設け、「評価の分配」を行えば、それは「不公平」ということになる。私が男女共同参画社会に疑問を感ずる部分はここにある。

格差はないほうがいいとも思う。しかし、もし格差がなければ世の中成り立たないとも思う。世の中とは本当に不条理である。

今、教育現場に必要なことは
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「宿命」を受け入れる潔さ
「不条理」を生き抜く図太さ
   (「戦後教育で失われたもの」新潮新書 森口 朗)
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である。私も社会人になった時、学生時代に経験したことは全て吹き飛んだ。社会とはかくも不条理なものかと愕然とした。しかし、陰湿な虐めも、受験戦争も経験していたからか、多少の不条理に対する免疫が出来ていた。

教育とは、社会に出て生き抜く術を身に付けているかどうか、図太く生きていけるかどうか。そのためにあるような気がする。
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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
個体差はあるんでしょうね (天星人語)
2006-02-07 12:23:07
こんにちは。通りがかりで失礼します。

個人差(個体差)はあるでしょう。しかし、

仰せの通り機会平等であることは最低条件ですね。
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