三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

夏が終わって

2013年09月30日 | 青草民人のコラム

青草民人さんです。

今年の夏は異常気象なのか、各地で最高気温を更新したり、記録的な大雨が降ったり、竜巻が起きたりして、各地で大きな被害に見舞われた。天変地異は、人間の想像をはるかに越えるものであることは、東日本大震災で身に染みたはずなのに。「喉越し過ぎれば熱さ忘れる」なのか、新たな災害の発生に、改めて自然の脅威と人間の無力さを身近に感じた。

自然法爾という言葉がある。我々を取り巻く環境は、決して自分の都合のいいようにはならないのが常である。夏は暑いとわかっていても、その暑さに辟易し、なんとか涼しく過ごそうと大枚を払ってクーラーをつけて、外気をますます暑くしている。東電の原発事故で、原子力発電のもつ功罪を問い始めた私たちではあるが、元を正せば、人間の営みがその遠因になっていることを深く自覚せねばなるまい。


人間は、科学の力で自然を征服したつもりになっているが、自分の生活に新しい壁を次々につくってしまっているだけではないだろうか。我々人間ももともとは自然の一部である。暑さ寒さにある程度は順応できる力をもっているはずだ。それを科学の力で武装して、何でも思い通りにできると錯覚してしまった。自然の脅威の前で、はだかになって始めて無力な自分を思い知る。


暑さの中でも、ときおり自然の風をひんやりと感じる瞬間がある。灼熱の日差しの中でも、木陰の涼しさは、体温を和らげる。蝉の喧噪も、夜のコオロギの鳴き声を聞けば、季節の移ろいを感じ、夏への郷愁さえ覚える。


「暑さ寒さも彼岸まで」日本人の季節感は、一種の自然との一体感をもって営みを続けてきた先人の知恵なのかもしれない。「自然法爾」、自然に身を委ね、あるがままに生きる。暑さも寒さも乗り越えられない試練ではなく、私たちの生き様を問うことばであるように思う。


さて、東京オリンピックの招致が決定した。国民の一人として、期待感が高まるのは当然のことではあるが、安倍総理のプレゼンテーションの言葉が気になった。福島原発の漏水について、完全にブロックされており、東京は安全であると。その発言の中に福島の安全・安心につながる意味合いはまったく感じられない。

オリンピック招致と被災地の復興を結びつけたいという発言もプレゼンテーションの中に何回も出てきたが、多額の費用がかかるオリンピックへの歳出で、被災地への復興費用はどうなるのかといった懸念が当然起こる。東京オリンピックが優先で、東北がまた置き去りにされはしないか。お祭り騒ぎの中で、国民全体が震災そのもののことを忘れてしまうのではないか。

夢や希望を与えるオリンピックであるなら、いっそ東北で開催してほしかった。世界の人々が日本を訪れる機会である。世界で唯一の被爆国であり、被曝国でもある日本。原子力の功罪を経験した国民である。世界の人に感動を与えるだけでなく、私たちの国が経験した功罪を知ってもらう機会にもしてほしい。

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大本営発表

2013年09月26日 | 日記

「大本営発表」という言葉をネットの辞書で調べたらこんな意味でした。
1 太平洋戦争中、大本営が国民に向けて発表した、戦況に関する情報。末期には、戦況が悪化しているのにもかかわらず、優勢であるかのような虚偽の発表をくり返した。
2 転じて、政府や有力者などが発表する、自分に都合がよいばかりで信用できない情報。
ということで、大本営発表は「信頼できない公式発表」「虚偽の発表」の代名詞となっている。

「自分に都合がよいばかりで信用できない情報」について。
木村隆『演劇人の本音』で澤地久枝氏は、ミッドウェー海戦のでっち上げについて語っている。

木村「(ミッドウェー海戦の)敗因の定説となったのが、〝運命の5分間〟。艦船攻撃用の魚雷を陸上攻撃用の兵装へ、さらに再び艦船用へと積み替えたためにあと5分間時間が足らずに米軍機の来襲を受けて敗れたというもの。ところが、澤地さんはこの〝公刊戦史〟の虚構を覆した。それは作戦ミスを糊塗するためのでっち上げだった」
澤地「はい、あれは大嘘よ、真っ赤な嘘です。(略)で、旧海軍の軍人さんに聞いたのです。みんなが口をそろえたように「あなたの思い違いだ」って」
木村「ぐるみでウソついてた?」
澤地「知っててウソをついた人と、定説だから疑問を持たずに疑わなかった人と…。私は自分の頭が壊れたのかと思った。(略)もう旧海軍軍人たちからは袋だたきに遭いましたね。海軍出身の作家からも、ある日、電車に乗ってひょいと上を見たら「澤地久枝、誣告呼ばわりは許さない」という大きなタイトルの車内吊りがあってびっくりした(笑)。つまり5分間説にしてきれいにミッドウェー海戦をおさめてきたのに、とんでもない素人の女が、大事な定説に異議申し立てるのはけしからんと旧軍人さんたちからは袋だたきでした」
木村「恐ろしいのは戦史や歴史の都合のいい歪曲、捏造ですね」
澤地「そうです。真実を知る軍人たちは、隠蔽してお墓の下に持っていこうとしている。一回オープンにした日記も全部封印しちゃう」

「自分に都合がよいばかり」の情報が、事実だとされてしまうわけである。
保阪正康氏は『仮説の昭和史』で、「わたしたちはこの「大本営発表」に含まれている構図は今の問題として存在することを知っておくべきだ。東京電力の福島第一原子力発電所の事故に伴う情報開示の操作は、大本営発表がかかえていた〝原罪〟と同根である。
国民の生命、財産を守るよりも、「官」と「公」の面子を守るために事実と虚偽を混ぜ合わせ、あるいは事態をとりつくろうための言い換え、そして都合がわるくなっての沈黙、という流れが垣間見えている」と言う。

IOC総会での安倍首相の「汚染水は完全にブロックされている」という発言について、毎日新聞の「月刊・時論フォーラム:9月・座談会 2020年東京五輪」(9月26日)には、こんなヨイショが。
森健さん 大きかったですね。世界が注目しているあの席で「原発事故の影響が、この先どうなるのか分かりません」と一言でも触れてしまったら招致はダメだったでしょう。(略)
吉崎達彦さん 国内に目を向ければ、日本人の発想として「お客さんが来る時には家の中をきれいに」しなければならない。五輪で世界中からたくさんの人が来ます。それに備えて、原発事故関連で今まで見て見ぬふりをしてきたことを、何が何でも片付けなければならなくなりました。7年後と期限が切られた意味も大きい。
森健さん 安倍首相は原発事故について「健康問題については、今までも現在もそして将来も全く問題ない」とも断言しました。「将来まで約束できるだけの根拠があるのか」といった批判もありますが、あの場での言葉は招致を勝ち取るための言葉であり「やらなくてはいけない」という決意表明として聞くべき言葉かなと思います。
秋山信将さん そうですね。政府に説明責任があるのはもちろんですが、国民やメディアも批判するばかりでなく「言ったからにはしっかりやってくれ」という姿勢、政府に約束を履行させる責任があると思います。

保阪正康氏は「戦勝を執拗に伝える、表現を入れ替える、虚言を弄する、沈黙に逃げ込む――これが「大本営発表」の方程式だ」と書いている。
東京に決まったんだから、嘘だろうが何だろうが結果オーライというのも大本営発表じゃなかろうか。

この三人の方には「ひとは良心をなにかに捧げてしまうと、みずからの誤りを認めようとしなくなる」
(小河原誠「現代思想の冒険者たち14 ポパー」)という言葉を差し上げましょう。

もう一例をご紹介。
全国柔道事故被害者の会の小林泰彦氏の息子さんは、中学3年の時に柔道部の練習中に顧問との乱取りで投げられ、急性硬膜下血腫を発症、重篤な高次脳機能障害者となった。

顧問は不起訴。
内田良『柔道事故』によると、検察は「柔道場で柔道着を着て柔道技を使えば、どこまでが柔道でどこからが犯罪なのか、線を引くのは難しい」と説明したという。
民事訴訟では原告が勝訴している。

小林泰彦氏は息子さんの事故に際して、学校にありもしないことを捏造されたそうだ。
「経過概要(学校のとった措置状況)」には、次のような記載があった。
顧問教諭をはじめ、養護教諭、近くにいた教諭らが応急処置をするとともに、救急車を要請してA病院救命センターに搬送。同時に保護者への連絡を行った。尚、柔道部の練習と傷病との間には直接の関係がないと、保護者から聞いている」

小林泰彦氏は息子さんの傷病が柔道部の練習とは無関係だと考えてもいなかったし、そう主張してもいない。
学校側が文言を捏造したのである。
「氏が学校側に情報の開示を求めなければ、急性硬膜下血腫という事態は、柔道とは関係のない不慮の何かによって生じたことになっていた。柔道の問題も、顧問教諭の指導の問題も検討されることなく処理されていたのである」
内田良氏は「出来事を隠蔽するどころか、捏造さえしてしまう。これが追い込まれた組織がときにとってしまう反応なのである」と言う。
学校の報告はまさに「大本営発表」である。
柔道事故だけでなく、原発訴訟も、イジメ裁判にしても、被害者が民事裁判を起こすのは、多くの場合、関係者のこうした不誠実な対応(大本営発表)のためである。

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内田良『柔道事故』2

2013年09月22日 | 

学校での柔道事故は以前からあったそうだ。
1971年に、柔道による頭部外傷の多さと危険性を指摘した論考が出された。
1980年には「学校における柔道中の事故」という論考(講道館の月刊誌「柔道」に掲載)で、死亡事故の多さと「重大な事故は、頭部に集中している」と指摘されている。
しかし、事故防止のために何もなされなかった。

内田良氏が2009年に柔道事故のデータを公表し、2010年には「全国柔道事故被害者の会」が設立された。
内田良氏は柔道事故の実態を白日の下にさらしたので、「柔道に恨みでもあるのか」「柔道界の敵だ」という声を耳にすることがあったという。
ある学会でも、柔道事故に関連する報道について、「柔道バッシングだ」「ネガティブなところを強調しすぎ」という意見があった。

「全国柔道事故被害者の会」は柔道界を打倒するための組織ではなく、「原因分析」をして「再発防止」を願う組織である。
村川義弘氏「私たちは柔道をなくそうともおもっていない。柔道はあるのだから、あるものをよくするという方法を探して、改善に向かってもらいたい。そして実はその答えが海外で出ているのだから、柔道はよくなるはずなんです」

全国柔道事故被害者の会の佐々木栄治氏は次のように訴えている。
「柔道は怪我がつきもののスポーツ」
「最近の子どもは体力がないから怪我をする」
「受け身を取れば怪我をしない」
これらすべて大人の都合です。言い訳です。責任の回避、責任転嫁です。
怪我がつきものであれば、まずその原因を取り除いてください。
体力がないのなら怪我をしない体力をまず付けさせてください。

溝口紀子氏(バルセロナオリンピック銀メダリスト)へのインタビューが『柔道事故』に載っている。
フランスでコーチをした経験がある溝口紀子氏は、フランスの練習との違いについてこう語っている。
「私が現場で痛感してきたのは、スポーツ科学の知識があるかどうかです。これに尽きます。たとえば、試合に負けたとき、日本では、指導者がとにかく説教をします。「なぜそこで攻めんかったんや!」とひたすら説教し続けるわけです。フランスではそんなことはしません。「はい、こっちに来なさい、さっきの試合をビデオで確認しますよ」と自分の負けた試合を見て指導者と敗因を分析するのです。根性も大事かもしれないけれど、負けた原因が根性だけではないことは、確かなことです」

「フランスでは、ピーキング(重要な大会へ向けてコンディションを合わせていくため、調整すること)をするんです。日本にはその考え方がないですよね。柔道って、年中試合があるんですが、それらにすべて出ていては自分が壊れちゃうから、自分で調整し、自分で自分のピークを作りあげていく。(略)日本だととにかくすべての大会に出場して、怪我をしていても無理やり出場して、それでいて「成績を残せ」と強く言われる」

スポーツの科学化が日本では遅れている。
「精神論や根性論による訓練は、もはや時代遅れである」と内田良氏は言う。

柔道の世界はムラ社会なんだそうだ。
溝口紀子氏は高校進学のときに強豪校への推薦を断った。
そのために、試合でいくら相手を投げても「一本」にはならず「有効」とされたという。
推薦を断ったときに、
「あなたが一人その学校に行けば、友だちが5人行ける」と言われた。
これを業界用語で「抱き合わせ」と呼ぶ。
「抱き合わせ」は大学進学へもつながることがある。
溝口「これは「利権」なんです。就職にもつながっていくわけですから。つまり、「ムラ」です」

溝口「社会の教員免許をとろうとしたら、先輩から「そんなものはとるな」「本気で柔道をするんだったら、そういう余分なことはするな」と散々言われて驚きました。柔道をやる人は、柔道一本でいかなければいけない。他のことは考えちゃいけないんですよ。柔道を選ぶということは全部を犠牲にしなきゃいけない」

中学→高校→大学→就職というレールが日本では敷かれていて、レールに乗れば就職までできる。
柔道しかしなくても、実績を残せば何とかなるわけである。
溝口「柔道だけやっていればいい、という日本の考え方は世界では通用しないですね」

「男たちのムラ社会では、男たちは進学から就職まで全柔連関連の利権に群がり、だからこそ、事故や暴行があっても発言ができない。それが全柔連の歴史だったと溝口氏は主張する」
「全国柔道事故被害者の会」が求めていることは、暴行(体罰)の一掃と、第三者委員会の設立である。

内田良氏や溝口紀子氏が指摘する、しごき(暴力)、利権(ムラ)ということは、他のスポーツでも同じではないかと思う。
中学、高校と運動部に入っていた知り合いと話していて、上級生から殴られるのは当たり前だったという話になった。
自分が上級生になると、今まで殴られていたからというので、下級生を殴ったそうだ。
驚いたのは、知り合いが「今はすぐに問題になるから」と暴力を否定していないこと。
内田良氏が「暴力行為による技能向上をノスタルジックに肯定している」と書いているが、まさにそのとおり。
柔道界の人たち(に限らないけど)もたぶんそうなんだろうと思う。

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内田良『柔道事故』1

2013年09月19日 | 

内田良『柔道事故』の書評を読み、毎日新聞の社説「武道必修化 柔道は延期すべきだ」を思い出した。
 武道必修化への不安が急速に広がっている。学習指導要領が改定され、4月から中学1、2年の体育の授業で実施される。原則として柔道、剣道、相撲が対象で6割ほどの学校が柔道を選択するとみられる。
 直視しなければならない数字がある。中学と高校での柔道事故で昨年度までの28年間に114人の子どもが命を落とし、275人が重度の障害を負った。部活動中の事故が授業中を上回る。授業中が少ないのは動きが激しくなく時間も短いためで安全なわけではない。東海・北陸7県の中学で昨年度に起きた事故を分析すると、頭や首を負傷する割合は授業中が部活動中の2.4倍だった。必修化では男子に比べて運動経験の少ない女子も全員が対象となることを考慮しなければならない。(略)
 日本の3倍近い競技人口を持つフランスでは近年、重大な事故が起きていない。柔道指導者は国家資格で、380時間以上の研修が義務づけられている。19歳以下が競技人口の75%を占めるだけに安全対策は最重要課題なのだ。柔道の本家が頭を下げ、学ぶべきことは少なくない。(略)毎日新聞2012年2月12日

そこで内田良『柔道事故』を読む。
「私たちは柔道で子どもが死亡しているということをまったく知らない」

学校柔道において1983~2011年度の29年間に、118名の子どもが命を落としている。
中学校が40件、高校が78件。
民間の道場においても重大事故は発生しているが、この数字には民間の道場の死亡数は含まれていない。

不審者の危害による死亡事故は、1983年度以降、学校敷地内で9名(事例数としては2件)、通学路で26名(26件)起きている。
こちらは大騒ぎされて、体感治安が悪化し、セキュリティ産業が栄えている。
ところが、柔道事故による死亡者のほうが数倍多いのにもかかわらず、なぜか社会的な関心は払われていない。

2001~2010年度の10年間で、小学校・中学校・高校でのスポーツ活動中の死亡事故は364件あり、部活動が54.8%、体育の授業が29.4%である。
部活動の死亡率は、中学校では柔道が10万人あたり2.385人で、次点のバスケットボールが0.382人。
高校ではラグビーが3.840人、柔道が3.450人、3番目の剣道が1.468人。
「柔道の部活動における死亡率は、他の部活動と比べて突出して高い。それにもかかわらず個々の事故事例は「仕方のないこと」「不慮の事故」として闇のなかに葬り去られ、事故防止策が検討されることもなかった」

死因の多くは投げ技・受け身の衝撃による頭部外傷によるものである。
とくに大外刈りが危険だという。
「投げ技による「頭部外傷」の死亡は、とくに初心者において多く起きている」

柔道の死亡事故で、中学校全体のうち中学1年が52.5%、同様に高校1年が65.4%と、初心者が死亡事故に遭っている。
中学校において2012年度から武道が必修化されたが、部活動よりも保険体育の授業のほうで頭部を負傷する割合が高い。
熱中症も柔道部の死亡率が高い。

柔道は危険なのかというと、そうではない。
「海外での柔道による死亡事故事例は、起きているとしても、ごくわずかであると推察される」

イギリスでは1988年以降、18歳以下の子どもの柔道事故による死者、重傷者は1人もいない。
アメリカでも2000年以降の調査の結果、死者、重度の運動機能障害者は報告されていない。
フランスも同様である。
フランスの人口は日本の約半分だが、柔道競技人口は日本の3倍。

海外では死亡事故がほとんどないのに、どうして日本の柔道が危険なのか。
シゴキ、体罰という名前の暴力が柔道事故の背景としてあるそうだ。
シゴキともいえる無制限の乱取りや絞め技で柔道事故が起きている。
体罰というと、「そこには、罰としての身体的な加害はときには必要なのだという価値観が見え隠れする」
体罰ではなく、暴力。

「部活動の事故事例数の多さだけが、問題ではない。裁判で争われたいくつかの事例では、部活動の顧問教師が直接に生徒を柔道技で投げたり、生徒に暴力を振るったりして、死亡や後遺障害に至らしめたとされるものもある。直接に物理的な攻撃がなかったとしても、きわめて過酷な「指導」や、杜撰な事故後の対応が問題視されたものもある。また学校管理下ではないものの、町道場での指導においても柔道経験者が裁判に訴えられたケースがある」
町道場の指導者が小学1年を繰り返し投げ続けて死亡させた事件では罰金刑が確定している。

何人かの柔道家が「日本では試合に負けたらもちろん殴られるけど、勝ったとしても勝ち方が悪かったと殴られる」と言っているそうだ。
「そこを支配するのは、根性論であって、科学や知性ではない」
日本の精神至上主義は私たちの心の奥底に根づいているわけだ。

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映画の感想

2013年09月15日 | 映画

夏休み、娘たちが何本も映画のDVDを借りてきた。
感想を聞きました。

木下恵介『二十四の瞳』
長女「セリフが聞き取りにくい。眠ってしまった」
次女「長い」
妻が「5年かけて撮影したのか」と尋ねるので、どうしてかと思ったら、子供たちが1年生が6年生になるのだが、顔立ちが似ているんですね。
12組の兄弟姉妹なんだそうだ。

ウィリアム・ワイラー『ローマの休日』

次女「よくある話」

岩井俊二『Love Letter』

長女「最初は何のことかわからなかったけど、不思議な感じでおもしろかった」
次女「なかなかいい」

山下敦弘『リンダ リンダ リンダ』

次女「青春という感じ」

内田けんじ『運命じゃない人』

長女「ゆるくていい」
次女「最初はおもしろくない。テレビならチャンネルを変えていた」

吉田大八『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』

長女「ねえちゃんにはムカツク。にいちゃんが不憫。お嫁さんはけなげ」
次女「俳優がうまい」

吉田大八『桐島、部活やめるってよ』

長女「好き」
次女「もう一回見たら、たぶんおもしろい」

ナイト・シャマラン『シックス・センス』

長女「一番オススメかも」
次女「あざといけど、おもしろい」

クエンティン・タランティーノ『レザボア・ドッグス』

長女「好みによる」
次女「グロい」

ジャン=ピエール・ジュネ『アメリ』

次女「フランスってこんなんかなと思った」

クリント・イーストウッド『ミリオンダラー・ベイビー』

長女「主人公のおじさんの出ている映画は好き」
次女「よかった」

ベン・アフレック『アルゴ』

長女「映画的にはよかったが、現実は複雑。イランが悪役になっているけど、アメリカだって悪い」
次女「何の話かわからない。ベン・アフレックはかっこよくて、頭がよくて、アカデミー賞をもらうなんて許せない」

長女が「映画の作り方が変わった」と言う。

『ローマの休日』や『二十四の瞳』のように、話が時系列に沿って進み、登場人物の考えていることが観客にわかる映画が昔は普通だった。
ところが、『運命じゃない人』『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』『桐島、部活やめるってよ』などは、話が行ったり来たりするし、視点がころころ変わる。
『ミリオンダラー・ベイビー』のように、登場人物がどうなったかわからないまま終わる映画も少なくない。
そういう映画に慣れたら、『ローマの休日』『二十四の瞳』といった名作であっても、単純すぎて物足りなく感じるのかもしれない。
それにしても、二十数年前に『二十四の瞳』を見たとき、映画の終了と同時に拍手がわき起こったもんですが。

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出産したらお辞めなさい

2013年09月11日 | 日記

ネットを見ていたら、曽野綾子氏が「週刊現代」8月31日号に寄稿した「何でも会社のせいにする甘ったれた女子社員たちへ」について賛否両論が巻き起こっているという記事があった。
そこで「週刊現代」を見ました。

社会に出て、自立して生きる女性は増えている。男性と肩を並べ、仕事をこなす。「女だからって差別しないで」、と願ったのは彼女たちだったのに。今やモンスター社員と化した女子社員に、物申す。

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出産したらお辞めなさい
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最近、マタニティ・ハラスメントという言葉をよく耳にするようになりました。マタハラとかセクハラとか、汚い表現ですね。妊娠・出産した女性社員に対する嫌がらせやいじめを指す言葉ですが、この問題に対し、企業側は、反対意見を言えないよう言論を封じ込められているようです。
しかし、このような問題の現実を正視しないでいるようでは、女性は本当の意味で社会進出できないでしょう。経済の単位である会社には、男も女もないんですから。
そもそも実際的に考えて、女性は赤ちゃんが生まれたら、それまでと同じように仕事を続けるのは無理なんです。なぜなら、赤ちゃんは始終熱を出す。大抵はたいしたことないですけど、母親としては心配です。その場合、「すみません、早退させてください」となるのは無理もありません。でも、そのたびに「どうぞ、急いで帰りなさい」と快く送り出せる会社ばかりではないはずです。
ですから、女性は赤ちゃんが生まれたら、いったん退職してもらう。そして、何年か子育てをし、子どもが大きくなったら、また再就職できる道を確保すればいいんです。
私の家では今までに女性秘書が3人勤めてくれましたが、全員が今うちに「再就職」をしているんです。結婚と同時に辞め、子どもが中学にあがるくらいになった頃、復帰してもらいました。お互いに相手のことがわかっていますから、雇うほうも楽ですしね。
それにしても、会社に迷惑をかけてまで、なぜ女性は会社を辞めたがらないのでしょうか――。子どもができたら、共働きをしないと生活が苦しくなってしまう、という心配は出てくるでしょうね。
この考え方が、私とは少し違うんです。というのも、私たちが若くして子育てをした頃は、みんな貧乏暮らしをするものでした。6畳一間のアパートで新婚生活を始めて、子どもが生まれて手狭になると、やっとローンを組んで家を買う。これが当たり前でした。
本来、子どもができたら自分勝手なことに使えるお金が減るのは当然なんです。それを、「子どもは国の宝なんだから、国がちゃんと面倒をみろ」と主張するのは、少し考え違いだと思います。子どもは、貯金を減らすなり、ほかのことに使っていたお金を減らすなりして、育てるものです。
同じような観点から考えると、ふくれ上がる保育所の待機児童の問題も異常だと思うのです。子どもは、自分の家で育てるものです。だから昔は、みんな親と同居していたでしょう。そうすれば、おばあちゃんに子どもをみてもらって、お母さんは買い物にだって行ける。事実、私自身もそうやって仕事をしながら子供を育てました。
ところが、いまの若い人は親と同居したくないし、収入が減るのも嫌だから、保育所に子どもを預けて働くのが当然というわけです。そして、「働く母親のためにもっと保育所を増やせ、待機児童をなんとかしろ」とおっしゃる。国家もその方向で動くでしょうが、本来子どもを育てるのは親個人です。保育所はあった方がいい。けれど、できるだけ長い時間、親は子どもと一緒にいるべきなんです。
また、彼女たちは会社に産休制度を要求なさる。しかし、あれは会社にしてみれば、本当に迷惑千万な制度だと思いますよ。
産休は、いつからいつまでと期間を決めて、会社を休みます。辞めてしまって、ずっといなくなるというのなら新しい人材を補填ほてんすれば済むけれど、そういうわけにもいかない。結局、産休で抜けた人の仕事を職場のみんなでやりくりしてカバーしないといけません。こんなことでは、女性を責任あるポストに置くわけにいかないのも当然でしょう。

この後は有料なので、どういうふうに論が展開しているかはわからないが、なるほど、なるほど、おもしろい。
で、私の感想。

「それにしても、会社に迷惑をかけてまで、なぜ女性は会社を辞めたがらないのでしょうか――。子どもができたら、共働きをしないと生活が苦しくなってしまう、という心配は出てくるでしょうね」
「女性」を「ウツ病患者」と入れ替えてみたらどうでしょうね。
ウツ病の人が会社に迷惑をかけてまで辞めたがらないのは生活が苦しくなるからだ、昔は違った、という論理になる。

「私たちが若くして子育てをした頃は、みんな貧乏暮らしをするものでした」
だったら、戦前は子供が戦死するのが「当たり前でした」と曾野綾子氏は言いそうである。

ウィキペディアによると、三浦朱門氏は「父の口利きで1948年から日本大学芸術学部非常勤講師となり」とある。
曾野綾子氏の夫にはコネがちゃんとあるではないですか。

三浦朱門氏は「日大の教員になったのは三流私大なら不勉強な自分でも教えられるだろうと高を括ったため」と自著に書いているそうで、石原慎太郎氏とならぶ暴言・失言の御大だから、自嘲ではなくて自慢だろうけど、曾野綾子氏のように潔癖な人がこういう夫と暮らすのは楽ではないと思う。

「私の家では今までに女性秘書が3人勤めてくれましたが、全員が今うちに「再就職」をしているんです。結婚と同時に辞め、子どもが中学にあがるくらいになった頃、復帰してもらいました。お互いに相手のことがわかっていますから、雇うほうも楽ですしね」
子供が中学にあがるころに復帰となると、13年ぐらいか。
会社を辞めて、13年後に雇ってくれる会社がどれほどあるかと思う。
それと、曾野綾子氏の秘書は3人いるということだろうか。
元秘書が「再就職させてくれ」と頼んできたとしても、現在、秘書がいたら普通はお断りせざるを得ないのではないか。
それとも、曾野綾子氏は頼まれるままに何人でも雇っているのだろうか。

「子供を虐待する親の気持ちがわかるか」という質問に、男のほとんどは「いいえ」と答え、女も60代以上だと「いいえ」ばかり、しかし50代の女は「はい」という答えがあり、30代では「はい」、すなわち「子供の虐待をする親の気持ちがわかる」と答える人のほうが多い。
子育てに関わらない男、あるいは子育てが終わってしばらく立った人は、子育てをしているときの自分の気持ちを忘れてしまっているのではないかと思う。

今、子育てをしている人にとって児童虐待は他人事ではない。曾野綾子氏は81歳、働きながら子育てをする女性の気持ちがわからなくなっているのかもしれない。

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ログインはしたものの

2013年09月09日 | 日記

新しいパソコンを買ってはや二十日、なまら無駄な時間が過ぎております。
パソコンのOSはWindows8。
ネットではWindows8の使い勝手の悪さが書かれていますが、一太郎ユーザーとしてはこの買い物、大失敗としか言いようがありません。

Windows8は最初にスタート画面が出る。
パソコン師匠の話だと、スタート画面はスマホ感覚ですればいいとのことですが、携帯を持っていない私にはただお手上げ。
やっとデスクトップ画面になったのはいいものの、スタートボタンがないので、シャットダウンの仕方すらわからない。
ネットであれこれ調べて、Start Menu8(無料)をインストールして、やっと今までどおり使えるようになる。

メールをしたくても、どうすればいいかわからないので、プロバイダに電話したら、「Windows8にはメールがついていない。Windows Live メールを使っている人が多いですよ」とのことで、これもダウンロード。

Windowsを十数年使っている私がこんな状態なわけで、こういう製品を売ろうとするMicrosoftは何を考えているのかと思う。

どうしようもなく困っているのが、一太郎・ATOKとWindows8の不具合。

私は一太郎・ATOK2008を使っていたのですが、勝手にMicrosoft IMEに変わってしまったり、ローマ字入力がカナ入力になってしまったりする。

ATOK2008がWindows8に対応していないらしくて、それならと一太郎・ATOK2013を買いました。
ところが、一太郎2013はツールバーのアイコンが今までと違っていて、これまた使い方に四苦八苦。

ただし、一太郎・ATOK2013は優れものだと思います。

たいていの人はワードを使っているので、メールで文書のやりとりをするためにはワードが必要となります。
でも、一太郎2013はワードを読み込んで一太郎画面で編集できるし、一太郎文書をワードで保存できます。(もっとも、罫線や画像枠もちゃんと読み込むことがあれば、レイアウトが滅茶苦茶になることもある)
ワードに他のワープロを読み込んだり、保存したりする機能はあるのでしょうか。

それとか、「ごがつ」を変換するときに、連想変換候補をクリックすると、「若葉の輝きに満ちた季節、夏ももうすぐです」など文例が出てくるのには感心しました。


で、一太郎・ATOK2013だとWindows8で問題なく使えるかというと、そうは問屋が卸さない。

キーボードの配列通りに入力できなかったり、Internet Explorerの検索やメールに書き込もうとすると、ATOKが動かなくなり、半角英数字しか入力できなくなったり。
たとえば
 ( → *
 」 → ¥
 「 → 」
など。

不具合のたびにネットで調べるわけですが、そんな調子なので、文字を入力するのにやたら手間がかかる。

再起動すれば元に戻るらしいけど、面倒な話ではあります。
これじゃ、一太郎の利用者が減るのも仕方ない。

パソコン師匠はMicrosoft IMEに変えればいいという意見でしたが、Microsoftの陰謀ではないかと思うと、いまいましい。

ちなみに、私のノートパソコンはWindows7ですが、一太郎・ATOK2008で問題はない。

そういえばWindowsXPのサポートをMicrosoftがやめるそうで、役所や企業はどうするのかという話を聞きます。

OSを変えるのならソフトも新しくするんだろうし、慣れるまで大変。
便利さを追求して、かえって不便が生じることが多い娑婆世界ではありますが、パソコンは典型的な例だと思います。

それとですね、電話のリース期間が終わったので、新しい電話機にしたのですが、電話工事が終わって、ネットをしようと思ったら、インターネットに接続できなくなってました。

NTTに電話して来てもらったら、ケーブルが途中で断線していたとのこと。
電話工事をするまでは問題なかったのに。
二日間ネットができない状態になり、やっぱり私はネット中毒だと再認識。

で、NTTのセキュリティソフトをインストールを途中までしてくれたのですが、いくら待ってもインストールが完了しない。

一晩たってもまだインストールしている。
シャットダウンして、やり直したら、「インストールされています」というメッセージ。
本当にインストールできているのか、いささか心配ではあります。

もう一つ、gooからメールが来て、gooブログの無料版は2014年3月10日に終了するとのこと。

やっとこさで編集画面にログインできたわけですけど、お金を払ってまでブログを続ける気はないので、半年でこのブログはおしまいです。
他の無料ブログに引っ越したものかどうか。

(追記)
gooブログ無料版の廃止ではなく、gooメール無料版の廃止でした。
いやはや、勘違いでした。

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ログインできました

2013年09月03日 | 日記

ブログへのログインができず、まあいいかとあきらめていたら、某氏からパソコンの師匠を紹介してもらいました。
師匠のご指導の下、思いもかけずログインができるようになりました。
ブログを開始するときの基本設定で、私の生年月日を間違って入力していたわけです。
なんともアホらしい話ではあります。
正直なところ、これでブログをやめることができると思って、なんだかホッとしていた気持ちもあり、ブログを続けていくのは面倒だという思いがなくもありません。
何はともあれ、雨にもかかわらず我が家に来ていただいた某氏と師匠には感謝です。

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