三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

衝撃の事実

2015年06月28日 | 映画

堤幸彦『イニシエーション・ラブ』の最後5分は、そうだったかという驚きはありました。
しかし、それまでのお話がつまらなく、「衝撃のラスト」ではなかったです。
娘が「小説は面白かった。二度読んだ」と言ってたので、原作は衝撃なのかもしれません。

成島出『ソロモンの偽証 前篇・事件』の最後にある後編の予告編がおもしろく、後編がすごく楽しみでした。
しかし、後編で明らかにされた「驚愕の真実」はなあんだというものでガッカリ。
これも原作を読むと、違った感想を持つかもしれません。

中学生が学校で裁判をするとしたら、私も反対すると思います。

ロールプレイングならともかく、実際の出来事の当事者が行うわけだから、傷つく人も当然出てくるだろうし。
それにしても、みんな正直に自分の心の底を告白してさらけ出すわけで、いい子ちゃんばかりという印象を受け、それも「驚愕」の度合いを薄めています。

アリス・マンロー「子供の遊び」(『小説のように』)は、これこそ衝撃の事実です。

キャンプで仲良くなった女の子、同じ家に住む知恵遅れの女の子、現在の私、これが最後につながる。
ウイリアム・H・メイシー『君の生きた証』、スサンネ・ ビア『真夜中のゆりかご』もそうなのですが、衝撃の事実に驚くと同時に、それまでの物語が衝撃の事実によってぱっと照らされ、登場人物の行動の一つひとつが、ああ、そういうことだったのかとうなずかされます。



ずっと昔、探偵小説は人間が描けていないという批判があり、それはないものねだりで、読者は探偵小説に人生の意義とか、そうしたものを求めているわけではなく、気持ちよくだまされる快感を求めています。


そうはいっても、ただ驚かせばいいというだけではやはり物足りない。

登場人物が抱えているものがいかに重たいか、それが明らかになった事実が衝撃なのです。
これらの作品では罪ということが問題となっていますが、人間存在の不気味さとか、生きていくことの不条理さ、そういったことが物語に深みを与えるように感じます。

その意味では『イニシエーション・ラブ』も悪くはないはずですが、同じような構成のミシェル・アザナビシウス『あの日の声を探して』と比べると、余韻があまり残らないのは演出のせいなのでしょうか。

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神渡良平『中村天風人間学』(2)

2015年06月19日 | あやしい教え・考え

神渡良平『中村天風人間学』を下さった方は、この本が大変いいものだから、ぜひ読んでほしいということなのでしょう。
しかし私は、精神主義・スピリチュアル・ポジティブシンキング・自己啓発といった類いのものが好きになれませんし、危険な面もあると思っています。

いくら正しい言葉、いい言葉を使い、物事を肯定的に受けとめ、プラス思考で明るく生きていても、人生、山あり谷ありです。
そもそも人は老病死を避けることはできません。

神渡良平氏は、夫婦そろって中村天風の信奉者だけど、奥さんが49歳で乳ガンになり、56歳で亡くなった人を紹介しています。
神渡良平氏のフェイスブックにメッセージを送った、ロサンゼルスに住む日本人女性はスピリチュアル・マスターのセミナーに参加するような方ですが、夫は膵臓ガンで20年ぐらい前に亡くなっています。
こうした人たちは、中村天風の

宇宙霊の生命は無限である。不健康なるものは、宇宙霊の生命の中には絶対存在しない。
その尊い生命の流れを受けている私は、同じように安全で、人生の一切に対して絶対強くあるべきだ。

という言葉をどう感じているのでしょうか。

新興宗教の中には、病気などの不幸は邪教を信じているからだと責めるものがあります。
ポジティブシンキング、プラス思考を肯定することは、この方たちのように若くしてガンになり、そして死んでしまった人を非難しています。

もっとも、なぜ不幸になるのか、その言いわけはちゃんと用意されています。
ロサンゼルスの女性からのメッセージにこんな文章があります。

末期がんであるにもかかわらず、瞑想によって次々と過去世のカルマを解消していき、痛みまでも克服し、愛と光に包まれて、至福の中で笑みを浮かべ、歓喜の表情で高次の世界に戻っていったのです。主人は口癖のように言っていました。
『肉体は滅びても、魂は不滅で、存続するんだよ。死も生も本当はないんだよ。闘病生活はカルマの解消のまためにあるんだ。ぼくは早くカルマを解消し、新しい肉体に着替えて地上に戻り、人々を救済するために働きたい』

ガンや死別の悲嘆という苦によって、今まで作ってきたカルマが解消し、次はよりよい境遇に生まれ変わることができるということです。

カルマとは業(行為)という意味です。

ところが、カルマといえば、悪業、そして悪業の報いと説かれがちです。
カルマ(行為)には善い行為があれば悪い行為もあるし、どちらでもない行為もありますが、そもそも善い行為と悪い行為とをきちんと分けることはできません。
たとえば、戦争で人を殺すことは善いか悪いか、人によって意見が異なるでしょう。

あるいは、サイババの弟子サイマーに師事する気功師は、青山圭秀『理性のゆらぎ』『アガスティアの葉』を読んで、サイババに会いにインドに行きます。

みんなを祝福するサイババの柔和な目を見た瞬間、涙がこぼれた。またあるときはサイババが立ち止まって手をかざして祝福してくださった途端、雑念が消え、風にそよぐ木もあたりの景色もそのままで美しく感じられ、心の底から喜びが湧きあがってきた。

この気功師は、日常生活の目標を霊性の満足に置いていたら、ストレスが溜まったり、病気になることはあり得ないと断言しています。
このご夫婦や気功師はオウム真理教に入信しても不思議ではないなと思いました。
というのも、オウム真理教の教義の中心はカルマの法則であり、教祖である麻原彰晃が神格化されているからです。

これらは問題点の一部で、他にもすべてを自分の心の持ちように還元してしまい、現実社会や自分自身のマイナス面に目をつむってしまったり、神秘体験の絶対化とかの問題もあります。
もっとも、そうした問題点は既成宗教にも当てはまることで、他人事ではないのですが。

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神渡良平『中村天風人間学』(1)

2015年06月15日 | あやしい教え・考え

某氏から神渡良平『中村天風人間学』をいただきました。
いただきものに文句を言うのはなんですが、「われわれは地球という生命体の中の一つである」という副題を読み、あの手の本かとタメイキでした。

中村天風という人、名前は聞いたことがあるけど、どういう人か知らなかったので、ネットで調べました。
中村天風(1876年~1968年)は1906年(明治39年)に奔馬性肺結核(急速に症状が進む結核で、現代では急速進展例と呼ばれる)を発病。
アメリカやヨーロッパに渡り、1911年に日本への帰路の途中、アレキサンドリアでカリアッパ師と会い、カンチェンジュンガ山麓のゴルカ村でカリアッパ師の指導を受けて修行する。

このカリアッパ師ですが、ウィキペディアには本名はカルマ・カギュ派15世カキャプ・ドルジェ(1871年~1922年)とあります。
ところが『中村天風人間学』には、「老インド人」とあるし、ネットでは「六十がらみ」とか「106歳」などとも書かれていて、実在の人物かどうかあやしい。

『中村天風人間学』には、中村天風に影響を受けた人が何人も紹介されており、その中にパラマハンサ・ヨガナンダ『あるヨギの自叙伝』を読んだという人がいて、私もこの本を読んだことがありますが、ホラ話としか思えない個所が多々あります。
カリアッパ師についても似たようなもんで、二人の出会いにしろ、ゴルカ村での修行にしろ、旅先で出会ったあやしげな人物に無理難題をふっかけられて苦労しながら真理を手に入れるという、たとえばカルロス・カスタネダとドンファンといった、精神世界の本ではおなじみのパターンです。

カリアッパ、中村天風の教えとはどのようなものでしょうか。
カリアッパ師から人生の目的や意味を問われた中村天風はこのように答えます。

人間は宇宙の進化と向上に寄与するために生まれて来ました。個人的には、さまざまなことを学んで、個の意識を超え、魂のレベルを上げていくためです。肉体を得て、地上で人生を送るのは、そこに目的があります。人生は魂の学校です。
人生は、さまざまな嵐を乗り越えて、高次の意識レベルに到達し、自己実現するためにあります。そして他の人生を助け、花開かせるためです。

生まれ変わりを繰り返しながら霊性を向上、進化させるという考え(大月俊寛氏の用語を借りれば霊性進化論)でして、目新しい主張ではありません。

カリアッパ師もこう語っています。

死は恐ろしいことではなく、地上での務めが終わることを意味し、次の人生への旅立ちを意味している。人間は生まれ変わり、生まれ変わりして、その時々の人生で真理を体得し、ますます神のごとき魂を形作っていくのだ。


中村天風の答えにカリアッパ師はこう応じます。

個の意識を超えるってことは、努力してできるもんじゃない。宇宙霊と一体化すれば、自ずと個と個の境目が消え、他者とも万物とも一つになれるんだ。宇宙の根源者と限りなく一つになるってことを忘れるなよ。

これは、スピリチュアルではワンネス、つまりは梵我一如ということです。
霊性が向上することによって宇宙霊と一体化するのが人間に生まれてきた目的というわけです。
中村天風の言葉だと

自分の生命と造物主とが常に結びついている、という侵すべからざる事実。

です。

そしてポジティブ・シンキング。

運命も、健康も、自分の心の思い方、考え方で、良くも悪くもなるのだ。

『讃一切種子識経』のこういう訳を神渡良平氏は引用しています。

深層意識には無限のパワーがあり、世界は心の力によって創りだされている。(略)
ただ良いことだけを思い、福が来ることを願いなさい。豊かになったと想像し、うっとりした良い気分になりなさい。失敗や禍が来るなどという考えはすぐに捨てなさい。そうすればあなたの願いはかない、欲しいものは手に入るだろう。

深層意識とは阿頼耶識のことだそうです。
「無限のパワー」とか
ということ、生長の家などでよく聞く言葉です。
「意識は世界を変える」「夢は必ず実現する」といったことはニューエイジの標語です。

中村天風は言葉の力を強調します。

鋭敏な耳を持っているのだ。宇宙霊は! だからいやしくも人を傷つける言葉、勇気を挫くような言葉、あるいは人を失望させるような言葉、憎しみ、悲しみ、嫉みの言葉を遠慮なくいっている人間は、悪魔の加勢をしているようなものだ!(略)
人々の心に勇気を与える言葉、喜びを与える言葉、何とも言えず、人生を朗らかに感じるような言葉を、お互いに話し合うようにしよう。

建設的で前向きで積極的な生き方をするためには、建設的で前向きで積極的な言葉を使う必要がある、そうすれば幸福になるというわけで、五日市剛氏は中村天風の受け売りだったんですね。

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依存症の親を持つ子供たち

2015年06月10日 | 日記

依存症について本を読んだり、話を聞いたりしてますが、わからないのが依存と依存症の違いです。
依存症は進行性の病気で、やめるか、死ぬかだと聞いています。
しかし、ある知り合いは若いころ、酔っ払って道路に寝て財布を取られたことがあると言ってまして、今も酒好きですが、家庭や仕事に問題はないようです。
別の知り合いはパチンコにはまり、奥さんの財布から金を取ったり、子供に「500円ちょうだい」と頼んだりしたことがあり、いくらなんでもこりゃまずいと思って、それ以来パチンコはしていないそうです。
知り合いたちは依存症ではないのか、それともコントロールを取り戻すこともあるのか。

加藤力『家族を依存症から救う本』に、依存症のおおよその目安として次の4つの要素があげられています。
1「物質に対するコントロールの喪失」
ある物質を使う場所・時間・頻度・量をコントロールできなくなること。
2「物質探索行動の強化」
ある物質を手に入れるために時間とエネルギーを費やすこと。
嵐の日でも遠いところまでお酒を買いに行く。
覚せい剤を買うために他人にうそをついたり、金銭を盗む。
3「離脱症状の出現」
使用を中断したときに様々な精神的・身体的症状が生じること。
4「社会的な障害の出現」
恐喝や窃盗の事件を起こしたり、交通事故を引き起こす。
別居や離婚、友人や近所の人とのトラブルやケンカなど。
遅刻や欠勤が増え、失職する。
借金を繰り返し、多額の負債を抱える。
孤独感や絶望感が強くなり、自傷行為を繰り返す。

ギャンブル依存症の本人と家族の手記をまとめた冊子を某氏にいただきました。
本人の手記はそういうものかというのが感想ですが、巻き込まれた家族、特に子供は凄惨です。
アダルトチルドレンとは、もともとはアルコール依存症の親を持つ子供たちという意味ですが、依存症の一番の弊害は子供への影響だと思います。

警察の少年育成官の話を聞いたことがあります。
泥酔して保護した若い女性を翌日の昼ごろ自宅へ連れて帰ったら、2歳ぐらいの子供が起きてじっとしていた。
その子供は母親がいないことに慣れている。
こうした事例が目につくようになってきた。

アミティ母子プログラムディレクターのシャナ・キャンベルさんは『虐待という迷宮』で、スピードをやると「時間の感覚もなくなる。たとえば母親が子どもを置いて出かけても、ついさっき出ていって、すぐに帰ってきたばかりだと思ってしまう。それが一日だと思っていたのに、実際には何週間もたっていたなんてこともあります」と話していますが、親がいない間に子供が餓死してしまうことだってあり得ます。

少年育成官の話の続きです。
虐待の対応は子供の危険度によって変わり、保護者がアルコール依存症、もしくは薬物依存症の場合だと危険度が高くなる。
依存症がない人に比べて自己コントロール能力が低く、ブレーキが効きにくいから。
虐待と子供の非行にはつながりがあり、虐待を受けて児童相談所に通告される子供が触法少年(13歳以下の犯罪した子供)として通告されることが増えてきた。
家では保護者から暴力を受けている子が、外では万引きをしたり、自転車を盗んだりして補導される。
非行の低年齢化で一番の問題は、非行に走った年齢で学力は止まり、勉強できなくなること。
5年生で万引きをするようになると、5年生で学力は止まるし、中学1年生で夜遊びしてたむろするようになると、中1で止まる。
放っておけば5年生の学力で一生を過ごすわけで、お客さんの名前が読めなかったら仕事にならない。
非行の低年齢化は人の一生を左右する。

親を何とかしないといけないわけですが、受刑者や依存症者には子供のころから暴力や性的虐待を受けつづけた人が多いそうです。
つまり虐待の連鎖です。

『虐待という迷宮』で上岡陽江さんは、「男性の薬物依存者には多いのですが、たとえばお父さんがアルコール依存でお母さんに暴力を振るっていたとする。(略)
そのような人にとっては、無力感、うちひしがれた感じ、どうしようもないやるせなさの表現が、怒りや暴力になってしまう」と語っています。

アメリカでは、2009年、刑務所や拘置所といった矯正施設に収容されている受刑者数はおよそ230万人、人口比で日本の12倍。
保護観察や仮釈放中などを含めると720万人になり、スイスの全人口に相当します。

坂上香『ライファーズ』によると、アメリカには母親か父親が刑務所に服役中の子供が、少なくとも190万から230万人はいて、その大半が10歳以下で、43人の子供に1人、もしくは2.3パーセントの子供の親が受刑者です。
アフリカ系の子供は15人に1人が親が刑務所に入っているから、アフリカ系の子供が最も深刻な影響を受けている。

暴力や性的虐待の被害を受けている子供、親が受刑者だったり依存症者だという子供は、自分も親と同じようになる確率は高いでしょうから、そうした子供たちへの支援が必要となります。

キャンベルさんが働く母子施設は、19歳から64歳の30人の女性と11人の子どもがいて、6人の母親が子どもと暮らしています(スタッフは16人で、そのうち男性が5人)。

全員、刑務所から出所する際に矯正局に紹介され、自発的に来た人です。(逃げたのはこの2年間で4人)
こうした施設が日本でもあちこちにできたらいいのですが。

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園子温『新宿スワン』

2015年06月05日 | 映画

園子温『新宿スワン』の最後らへんで龍彦と秀吉が殴り合いをします。
その時、泣き声が聞こえてきたんですね。
映画の中で誰かが泣いているのかと思ってたら、私の斜め前方に座っている女性が泣いているんですよ。
泣き声はだんだん大きくなって、号泣といってもいいくらいでした。
これには驚きました。
私はというと、何が友だちなんじゃと、いささかアホらしくなってました。
アラを探しながら見るのではなく、素直に映画に没入しないといけませんね

 ↑ 泣き声が聞こえたのはこの場面ではありません。

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虚実の皮膜

2015年06月02日 | 日記

福田和也氏オススメの石原慎太郎『わが人生の時の時』を読みました。
ヨットやスクーバダイビング、戦時中の思い出、弟のことなどの掌編が40編。
自慢臭はところどころにありますが、面白いです。
特に怪異譚。
深夜、みぞれまじりの雨の中、道路端に立つ男の話は、都市伝説にあるタクシーの乗客の話そのままですが、怖い。

ですが、こういった話が重なると、『わが人生の時の時』は小説なのですから、あれこれ言うのは無粋ですが、石原慎太郎氏は霊や占いなんかを信じているのかと思いました。
たとえば、ベニグノ・アキノがアメリカからフィリピンに帰るとき、石原慎太郎氏の奥さんが方位と気を計算したら、暗剣殺と何かが重なるので忠告したが、それでもフィリピンに帰ったベニグノ・アキノが暗殺されたという話。
あるいは、お寺の跡地の再開発でビルを建てる際、墓地だったあたりを5mの深さまで手掘りでさらって、残っていた骨を拾い上げ、入念に供養をしたが、コンクリートの杭が一本だけが12、3mのところでつっかえてしまい、その場所を手で掘ってみると、ぼろぼろのされこうべを掘りあてたという話。
父親が死んだとき、媒酌をした関西に住む老婦人の家の茶室に父親が現れた話は二箇所に書かれています。

小野不由美『残穢』は、ドキュメンタリー・ホラーというらしいですが、淡々とした描写は、実際にそんなことがあったんじゃなかろうかと思わせます。

「今まで読んだ小説の中で一番怖い」というのもわかる怖さです。

同じ怪奇小説であっても、小野不由美氏は虚実を意識して書いているのでしょうが、石原慎太郎氏は不可思議な出来事が本当にあったと信じてるようで、なるほど霊友会の信者だと納得しました。

虚実の皮膜といえばウディ・アレンです。

『マジック・イン・ムーンライト』は、女霊媒師のウソをあばこうとする手品師が本物だと信じざるを得なくなり、という物語。
ウディ・アレンは『恋のロンドン狂騒曲』などでも占いや心霊主義にだまされる人を皮肉っていて、あっちの世界が本当にあるんですよという話になるわけがなく、女霊媒師はどういう手口を使っているかというミステリ仕立てになっています。

金持ちの未亡人が、浮気をしていたかと夫の霊魂に尋ねると、浮気をしたことはない、お前だけを愛していたという返事。

もちろんウソなわけですが、ウソの答えのほうが未亡人にとっては望ましい。
井上陽水の「夢の中へ」じゃないけど、虚構のほうがいいに決まっています。

以前、2ちゃんねるの漫画板に、「私たちは現実を忘れさせてくれる夢を見るために漫画を読むんだ」と書いたら、「一緒にしないでくれ」とか「現実逃避だ」とか叩かれたことがあります。

『カイロの紫のバラ』での、女主人公が現実から目を背けて映画を見るラスト。
映画だって、夢を見るために映画館に駆けつけるに決まっているではないですか。
とはいえ、霊魂や占いなどの超常現象を私は認めませんが。

今年の映画では『フォックスキャッチャー』に圧倒されました。

デュポン家の御曹司は、こうありたいという自分像(虚構)につぶされてしまいます。
そういえば『アナと雪の女王』で「ありのままの自分」と歌ってて、『シンデレラ』でも同じことを言ってて、デュポンさんもありのままの自分を認め、ウディ・アレンのように虚実の皮膜を楽しんでいたら。
いくら虚構のほうがいいといっても、現実と虚構の境目がわからなくなり、虚構の世界にはまり込むのはやはり危険です。
たぶん麻原彰晃も神のお告げという虚構を真実だと思い込んでしまったんでしょう。

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