三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』(2)

2021年04月24日 | 厳罰化

非行少年に共通する特徴5点+1の続きです。

④ 不適切な自己評価
問題を抱えているのに、〝自分には問題がない〟〝自分はいい人間だ〟と信じていて、自己の姿を適切に評価できないから、「自分を変えたい」という動機づけも生じないので、誤りを正せず、不適切な行動につながる。

・自分のことは棚に上げて、他人の欠点ばかり指摘する。
・ひどい犯罪をしても、自分はやさしい人間だという。
・プライドが変に高い、変に自信を持っている。逆に極端に自分に自信がない

⑤ 対人スキルの乏しさ
対人スキルが弱い子どもが特に困ること
・嫌なことを断れない
・助けを求めることができない

認知機能の弱さが対人トラブルにつながることもある。
・聞く力が弱い→友だちが何を話しているかわからず話についていけない。
・見る力が弱い→相手の表情やしぐさが読めず、不適切な発言や行動をしてしまう。
・想像する力が弱い→相手の立場が想像できず、相手を不快にさせてしまう。

+1 身体的不器用さ
発達障害や知的障害をもつ子どもは身体的不器用さを併せもつ比率が高いとされる。
・皿洗いのアルバイトをしていたが、何度も皿を割ってしまってクビになった。
・客に料理を出すときに、ドンッと勢いよく置いてしまい、客とトラブルになる。
・建築現場で親方に危ないと怒鳴られてばかりで、嫌になった辞めた。

発達性協調運動症といって、協調運動とは、別々の動作を一つにまとめる運動のことで、たとえば皿を洗う時は、皿が落ちないように片方の手で皿をつかみ、もう一方の手でスポンジで洗うのだが、それができない。

少年院に入る少年たちは、こうしたサインを出し続けている。
これらの特徴は小学2年生くらいから少しずつ見え始めるようになる。
学校にいる間はまだ大人の目が届くが、卒業すると支援の枠から外れてしまう。
本人が支援を求めることはほとんどない。
子どもの問題を理解しようとしない親もいる。
理解ある会社に勤めても、言われた仕事がうまくできない、覚えられない、職場の人間関係がうまくいかない、時間通りに仕事に行けないなどの問題を起こして辞めてしまう。

 知能指数
知能指数70未満が知的障害とされ、約2%いる。
70~84の境界知能の人を含めると16%いる。

知能指数によって知的能力がどの程度かがわかるわけではない。
知能検査では10個の検査項目で知能を測っているが、能力の一部しか見ておらず、柔軟性、対人コミュニケーションの能力、臨機応変な対応などは測れない。
知能指数が98でも、語彙力や理解力、暗算などで必要なワーキングメモリがとても低い場合がある。
能力の偏りは知能指数検査ではわからないから、学習や行動で困った様子があっても、知的には問題がないとされる。

知的に問題があるようではないのに、学校では授業中も先生の指示を聞かず、騒いでしまう子に個別知能方式で知能検査を実施したところ、視覚的な情報の記憶やその情報を基に行動することは問題なくできるのに、聴覚的な情報の記憶や処理が苦手である、いわば「見る力」は普通程度である一方「聞く力」が弱いため、口頭での指示の聞き漏らしや聞き違いが多く、授業についていけずに、授業と関係ないことをしてしまうことがわかった。(「更生保護」8月号)


軽度の知的障害は日常生活をする上では一般の人と変わった特徴は見られず、高校や大学を卒業する、自衛隊に入隊する、大型一種免許を取るなどは可能。
しかし、軽度知的障害者や境界知能の人たちは支援を必要としているのに、普通の人と区別がつかないため、要求度の高い仕事を与えられて失敗し、怒られたり、自分のせいと思ってしまう。

軽度知的障害や境界知能をもった人たちと健常者との違いが出るのは、困ったことが生じた場合で、いつもと違ったことや初めての場面に遭遇すると、どう対応していいかわからず、柔軟に対応することが苦手。

 軽度知的障害者の特徴
・所得が少ない。貧困率が高い。雇用率が低い。
・片親が多い。
・運転免許証を取得するのが難しい。
・栄養不足、肥満率が高い。
・友人関係を結び、維持することが難しい。孤独になりやすい。
・支援がないと問題行動を起こしやすい。

 子どもを虐待する親の特徴
・生真面目で〝こうあるべき〟という固定観念が強い。
・自分の弱みを人に見せない。
・困っていることを人に相談できない。
・孤立している。
・対人関係が苦手。
・経済的な困窮。
これらは軽度知的障害や境界知能の人たちの特徴と似ている。

 少年への支援
どのようにして非行を防ぐか、非行化した少年にはどのような教育が効果があるか。
困っている少年には、社会面、学習面(認知面)、身体面の具体的支援が必要。

少年たちは「少年院に来て、どう感じているか」と尋ねると、「まあまあ」「楽しい」と答え、自分の置かれている立場が理解できない。
「ほめる」「話を聞いてあげる」ことは大切だが、それだけでは子どもの問題を先送りするだけで、効果は薄くなり、根本的な解決策にはならない。

「自尊感情が低い」という言葉がよく使われるが、大人でも自尊感情が低い人のほうが多いが、それでも社会人として生活している。
問題は自尊感情が低いことではなく、自尊感情が実情と乖離していることにある。

・何もできないのに自信をもっている
・できるのに全然自信がもてない

ありのままの自分を受け入れていく強さ、社会面での支援が必要。
感情コントロールや挨拶などは自然に身につくものだが、発達障害や知的障害をもつ子どもが自然に身につけるのは難しいので、系統的に学ぶしかない。

SSTは認知行動療法に基づいているので、言葉を理解する力、想像する力、判断する力など認知機能に問題があれば、何をやっているか理解できない。
脳機能、特に前頭葉の機能低下と反社会的行動とは関連性がある。
脳機能の障害に対応した認知機能へのトレーニングは必要である。
被虐待児や反社会的行動についても、認知機能トレーニングが子どもたちへの治療となる可能性がある。

そこで宮口幸治さんは、見る力、聞く力を養うためのグループトレーニングであるコグトレを紹介します。
https://cog-tr.net/cogtr/
もっとも、素人が簡単に手が出せるものではないようです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』(1)

2021年04月16日 | 厳罰化

少年法などの改正案が衆議院法務委員会で可決されました。
18歳と19歳を特定少年と位置づけ、家庭裁判所から検察官に逆送致する事件の対象を拡大すること、起訴された場合には実名報道を可能とすることを盛り込んでいます。

少年犯罪は減っているし、凶悪化もしていないのに、なぜ厳罰化するのでしょうか。
精神科医であり、医療少年院で法務技官として勤務していた宮口幸治さんの『ケーキの切れない非行少年たち』は、「丸いケーキがあります。これを三等分にしてください」という問題に非行少年は答えられないということから題名がつけられています。
厳罰化は再犯防止や更生につながらないことがわかります。

 非行少年の生育歴
小学校2年生くらいから勉強についていけなくて、友だちから馬鹿にされたり、イジメに遭ったり、先生から不真面目だと思われたりする。
親や本人に障害があったり、家庭内で虐待を受ける子もいる。
学校に行かなくなり、暴力や万引きなどの問題行動を起こし始める。
小学校では厄介な子として扱われ、障害があっても、その障害に気づかれることはほとんどない。
社会に出ると、要求度の高い仕事を与えられ、失敗すると責められ、嫌になって仕事を辞め、職を転々としたり、対人関係がうまくいかずひきこもりになったりする。
自分は普通だと思っているので、自分から支援を求めようとはしない。

 少年院の子はどんな少年か
・簡単な足し算や引き算ができない
・漢字が読めない
・簡単な図形が写せない
・短い文章すら復唱できない
「今の首相は誰?」「オバマです」

大岡由佳さんは少年院に入った少年について、「表面的には言葉にできても、なぜそうしたのか、自分の行動を説明するのが困難なようです。本人にもよく分からない場合も多いと思われます」(「更生保護」12月号)と書いています、

海外の文献では、少年院入院者の75%から93%が何らかのトラウマの犠牲になっていると報告されており、日本でも少年院入院者の被虐待経験率は身体的虐待が男子21.9%、女子28.9%、少年鑑別所入所者は被虐待経験率が35.7%に見られ、トラウマが背景にあるかもしれない。

非行少年に、非行の反省や被害者の気持ちを考えさせるような従来の矯正教育を行なっても、ほとんど意味がない。
反省以前の問題で、岡本茂樹『反省させると犯罪者になります』を読んだとき、「反省できるだけでも上等ではないか」と宮口幸治さんは感じたそうです。

 非行少年に共通する特徴5点+1
① 認知機能の弱さ
見る力、聞く力、想像する力が弱く、不適切な行動につながる。
見る力の弱さ 相手の表情を見ることができない。
聞く力が弱さ 誰かが独り言を言ってるだけでも、悪口を言ってると誤解する。
想像する力が弱さ 五感から入った情報の歪みを修正できない。
このため、勉強が苦手、話を聞き間違える、周りの状況がよめなくて対人関係で失敗する、イジメに遭うなどする。

想像力が弱ければ努力できない。
バイクを買うためには何か月もアルバイトをし、生活を切り詰める必要があるが、他人の努力が理解できないと、努力してバイクを手に入れたことに思い至らず、簡単に盗んでしまったりする。

時間の概念が弱い子どもは〝昨日〟〝今日〟〝明日〟の3日間くらいの世界で生きています。場合によっては数分先のことすら管理できない子どももいます。このような子どもは、
〝今我慢したらいつかいいことがある〟
〝1か月後の部活の試合や定期試験に向けて頑張る〟
〝将来、○○になりたいから頑張ろう!〟
といった具体的な目標を立てるのが難しい。
目標が立てられないと人は努力しなくなります。努力しないとどうなるでしょうか。二つ困ったことが生じます。一つは、努力しないと成功体験や達成感が得られないため、いつまでも自信がもてず、自己評価が低い状態から抜け出せないことです。もう一つは、努力しないと、〝他人の努力が理解できない〟ことです。

「今これをしたらこの先どうなるだろう」といった予想も立てられず、その時がよければそれでいいと、後先考えずに周りに流されてしまったりする。

② 感情統制の弱さ
気持ちを言葉で表すのが苦手で、すぐ「イライラする」と言う、カッとするとすぐに暴行や暴言が出るという子どもたちは、何か不快なことがあると、心の中でモヤモヤするが、自分の心の中でどんな感情が生じているのかが理解できず、モヤモヤが蓄積してストレスへと変わっていく。
厄介なのは、「ストレス発散に○○したい」という文章の○○に〝万引き〟〝痴漢〟などの不適切な言葉が入る場合。

③ 融通の利かなさ
お金が必要だが、お金がないという状況で、
A アルバイトをする
B 親族から借りる
C 宝くじを買う
D 強盗する
という選択肢があっても、融通が利かないのでDの解決案しか出てこない。
解決案が一つしか出てこないと、それが最適な解決法かどうかわからないし、同じ失敗を何度もしてしまう。

・思いつきでやることが多い→いったん考えることをせずにすぐに行動に移してしまう。気づきが少ない。見たものにすぐに飛びつく。だまされやすい。過去から学べず同じ間違いを繰り返してしまう。

・一つのことに没頭すると周りが見えなくなる→やる前から絶対こうだと思って突き進む。思い込みが強い。一部にしか注意を向けられず、ヒントがあっても注意を向けられない。見落としてしまう。

融通の利かなさが被害感につながり、目が合っただけで「にらんできた」と思ったり、肩が触れただけで「わざとやった」と思う。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福沢諭吉『脱亜論』

2021年04月08日 | 戦争

永江朗『私は本屋が好きでした』の続きとして福沢諭吉『脱亜論』について書こうと思ってて忘れてました。
というのが、嫌韓嫌中本の元祖は『脱亜論』(『時事新報』明治18年3月16日)ではないかと思うからです。

『脱亜論』の現代語訳はネットで読むことができます。
https://ja.wikisource.org/wiki/%E8%84%B1%E4%BA%9C%E8%AB%96
後半にこんな主張がなされています。

わが日本の国土はアジアの東端に位置するのであるが、国民の精神は既にアジアの旧習を脱し、西洋の文明に移っている。しかしここに不幸なのは、隣国があり、その一を支那といい、一を朝鮮という。(略)
人種の由来が特別なのか、または同様の政治・宗教・風俗のなかにいながら、遺伝した教育に違うものがあるためか、日・支・韓の三国を並べれば、日本に比べれば支那・韓国はよほど似ているのである。この二国の者たちは、自分の身の上についても、また自分の国に関しても、改革や進歩の道を知らない。(略)
その古くさい慣習にしがみつくありさまは、百千年の昔とおなじである。現在の、文明日に日に新たな活劇の場に、教育を論じれば儒教主義といい、学校で教えるべきは仁義礼智といい、一から十まで外見の虚飾ばかりにこだわり、実際においては真理や原則をわきまえることがない。そればかりか、道徳さえ地を掃いたように消えはてて残酷破廉恥を極め、なお傲然として自省の念など持たない者のようだ。(略)
今の支那朝鮮はわが日本のために髪一本ほどの役にも立たない。のみならず、西洋文明人の眼から見れば、三国が地理的に近接しているため、時には三国を同一視し、支那・韓国の評価で、わが日本を判断するということもありえるのだ。例えば、支那、朝鮮の政府が昔どおり専制で、法律は信頼できなければ、西洋の人は、日本もまた無法律の国かと疑うだろう。支那、朝鮮の人が迷信深く、科学の何かを知らなければ、西洋の学者は日本もまた陰陽五行の国かと思うに違いない。支那人が卑屈で恥を知らなければ、日本人の義侠もその影に隠れ、朝鮮国に残酷な刑罰があれば、日本人もまた無情と推量されるのだ。事例をかぞえれば、枚挙にいとまがない。喩えるならば、軒を並べたある村や町内の者たちが、愚かで無法、しかも残忍で無情なときは、たまたまその町村内の、ある家の人が正当に振るまおうと注意しても、他人の悪行に隠れて埋没するようなものだ。(略)
支那、朝鮮に接する方法も、隣国だからと特別の配慮をすることなく、まさに西洋人がこれに接するように処置すべきである。悪友と親しく交わる者も、また悪名を免れない。筆者は心の中で、東アジアの悪友を謝絶するものである。


日本が初めて外国と戦争をしたのは日清戦争(明治27年8月1日~明治28年4月17日)です。
甲午農民戦争(東学農民戦争)をきっかけに日本は6月2日に朝鮮に軍隊派遣を決定、7月23日に王宮を占拠、25日に清国軍と豊島沖海戦、8月1日に宣戦布告をします。

福沢諭吉は朝鮮の内政問題、日清戦争などに対する強硬論を「時事新報」に書いています。
記事の題名をいくつかあげてみます。

6月5日「速かに出兵す可し」
6月9日「支那人の大風呂敷」
6月19日「日本兵容易に撤兵す可らず」
7月3日「大使を清国に派遣するの必要なし」
7月4日「兵力を用るの必要」
7月20日「牙山の支那兵を一掃す可し」
7月27日「支那朝鮮の両国に向て直に戦を開く可し」
8月1日「満清政府の滅亡遠きに非ず」
8月5日「直に北京を衝く可し」
8月9日「必ずしも北京の占領に限らず」
8月11日「取り敢へず満州の三省を略す可し」

「日本臣民の覚悟」(明治27年8月28日)

今度の戦争は根本より性質を殊にし、日本国中一人も残らず一身同体の味方にして、目差す敵は支那国なり。我国中の兄弟姉妹四千万の者は同心協力してあらん限りの忠義を尽し、外に在る軍人は勇気を奮て戦ひ、内に留主する吾々は先づ身分相応の義捐金するなど差向きの勤めなる可けれど、事切迫に至れば財産を挙げて之を擲つは勿論、老少の別なく切死して人の種の尽きるまでも戦ふの覚悟を以て遂に敵国を降伏せしめざる可らず。


9月15日「半途にして講和の機会を得せしむ可らず」
9月23日「支那の大なるは恐るゝに足らず」
12月14日「旅順の殺戮の流言」
明治28年
1月9日「戦勝の大利益」
1月17日「容易に和す可らず」
3月12日「償金は何十億にても苦しからず」
3月29日「平和の機会未だ熟せず」

福沢諭吉は明治34年に亡くなっています。
明治37年に起きた日露戦争、韓国併合(明治43年)、さらには満州事変(昭和6年)からの中国侵略、対米戦争も、それ行けどんどんと対外強硬論を訴えたでしょうか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする