三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

「日本の精神性が世界をリードしていかないと地球が終わる」(2)

2017年04月11日 | あやしい教え・考え

 安倍昭恵氏と西田亮介氏との対談「日本の精神性が世界をリードしていかないと地球が終わる」に、こんなやりとりがあります。

安倍:新しいイノベーションが生まれているし、可能性として、日本はとてもポテンシャルが高いと私は思っています。その日本の精神性が世界をリードしていかないと「地球が終わる」って、本当に信じているんです。
西田:地球が終わるんですか?
安倍:本当に色んなところに、私も主人と行かせてもらっていますが、経済や環境問題にしても、テロや戦争だったりしても、どこの国も安定してないじゃないですか。先進国で比較的安定しているのは、日本しかないと思っているんです。
日本人って、元々が善悪で言うと、すごく「善」だと、私は思っているんですね。
新幹線のお掃除みたいなものであっても、あれは日本人にとっては「まぁ、すごいね」というぐらいだけど、もう観光名所になるくらい、世界からするとすごいことで。
何故外国人がすごいと思うかっていうと、あの素早いお掃除がすごいのではなくて、瞬間的にキレイにできるぐらいしか汚さない日本人のマナーの良さに驚くっていうところもあるっていう。日本って、私はやっぱりすごい国だと、本当に思っていて。
西田:まぁ、そうですね。ただ、大抵どの国にも「すごいところ」と「すごくよくないところ」があるような気もします。
安倍:千何百年ごとに世界の文化の中心が廻ってくる。そういうことを考えても、これからは日本の時代なんですね。
西田:う~ん。


森岡正博『生命観を問いなおす』に「エコ・ナショナリズムとは、自国や自民族の文化や伝統や価値観などを世界に広めてゆくことで、環境問題が解決するというふうに考える思想のことです」とありますが、安倍昭恵氏の環境問題への関心はそういうところにあるようです。

「日本の精神性が世界をリードしていかないと地球が終わる」という日本中心主義、日本至上主義の考えは、平田篤胤と似ていると思います。
平田篤胤は『霊能真柱』で、地の中心に日本は位置しており、しかも「皇国の在処は、図の如く大地の頂上也」だから、天に一番近い高い所にあると主張しています。
「万の外国どもは、皇国と比べては、こよなく劣りて卑かるべき」
なぜかというと、日本はイザナギとイザナミが産んだ国だが、その際にはね飛んだ潮が固まってできたのが外国だからです。
八紘一宇、五族協和というのは、いろんな国や民族が平等ということではなく、あくまで日本をリーダーとして、他の国・民族は日本に従うという、日本中心主義です。

辛抱しきれなくなったのか、聞き役のはずの西田亮介氏がニートについて意見を述べます。

西田:ぼくは、政治の研究の他に、若年無業者の研究やっています。いわゆる「ニート」の問題ですね。
若年世代にも今、年間60万人くらい若年無業者がいるんですけど、なかなか大変ですよ。日本の失業率は極めて低くて、失業率は下がっているにも関わらず、若年無業者の数は横ばいなんです。
つまり、子供の人口が減っていることを考え合わせると、比率としては増していることになります。第一次安倍内閣の時に、若者再挑戦のための施策というのは本格的に整備され始めたのですが、やはりその後なかなか、手薄な状態が続いています。
安倍:でも、なんかこう夢を持てない世の中よりは、夢があったほうがいいじゃないですか。
西田:う~ん。「夢」の問題でしょうか。経済や政策の問題じゃないでしょうか。
安倍:私はもう、東京じゃなくて、地方がかっこいいって時代にしたいと思っています。色んなニートの人達とも話しをしたりすることもありますが、なぜニートになるかも考えなくてはいけないと思います。
西田:主にケガと病気ですね。よく「怠けた結果の自己責任だ」などと非難されがちですが、内閣府の統計などを見ると、主たる原因はケガと病気なんですよ。
だから、就労経験を持っている人が大半なんですよね。ブラック企業などに入って働けなくなって…みたいなケースもありますし。
安倍:でもそれで、ケガや病気が治ったりすれば、また気持ちが盛り上がってきて、働けばいいわけじゃないですか。
西田:まさにそれを許さない、復職したい人の気持を受け入れていない/受け入れられていないのが今の社会の在り方ということですね。

2人の話がかみ合っていないのは、安倍昭恵氏が今の日本の現実を見ておらず、夢(すべては心の持ちようというニューエイジ的妄想)の世界にはまっているからだと思います。

では、ご主人の安倍晋三氏はどうなのでしょうか。

安倍:主人自身も特別な宗教があるわけじゃないんですけど、毎晩声を上げて、祈る言葉を唱えているような人なんですね。
西田:何をお祈りされているんですか?
安倍:感謝の言葉を。
西田:それは誰に対してですか?
安倍:神様なのか、先祖なのか、分からないですけど。何か自分の力ではないものに支えてもらっていることに対しての感謝を。
西田:どこに向かって?虚空に向かってなんですかね?
安倍:分からないです。多分、自分に言い聞かせているのかもしれないけど、よく分からないです。

ネットで調べると、安倍晋三氏は「神立の水」を愛飲しているそうです。
「神立の水」は慧光塾という経営者向けのコンサルタント会社と関係があり、慧光塾の内実は宗教だとのことです。

安倍晋三氏と安倍昭恵氏は、スピリチュアル・カルトとナショナリズム・神道原理主義が基盤にあるという点では似たもの夫婦だと思います。

テロ特措法どころではない安倍首相 霊視で組閣 「四人の神」 慧光塾

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「日本の精神性が世界をリードしていかないと地球が終わる」(1)

2017年04月08日 | あやしい教え・考え

何年か前、ある会で安倍昭恵氏が挨拶をされるのを聴く機会がありました。
挨拶の途中、言い間違いをしたことに気づいた安倍昭恵氏は、「ごめんなさい。間違えました」と謝りました。
それで私は、この人は誠実な人だなと好感を持ったわけです。

安倍昭恵氏は、貧困、差別、LGBT、女性、子供、難民、原発、平和といった人権問題や社会問題に関わり、発言しているところに共感を持てます。
しかし、その一方で、『歴史通』で「アッキーのスマイル対談」を連載していたり、森友学園問題をめぐる発言や行動にはうなずけないものがあります。

毎日新聞にこんなことが書かれてありました。

強い自然志向でリベラル色をにじませる半面、神道や伝統を礼賛し、教育勅語を唱和させる籠池氏の塚本幼稚園(大阪市)に心を寄せる。昭恵氏の行動原理は分かりにくい。
 昭恵氏から指名を受けてインタビューをしたことのある東京工業大の西田亮介准教授(社会学)は「イデオロギーや思想は感じられなかったが、直感的でスピリチュアルなものへの共感が強く、サブカル的、オカルト的なところがある不思議な人だった」と振り返る。「本人に悪意はなく、ありのままに生きているのだろうが、ある程度の政治的影響力があることを考えれば脇が甘かったと言えるだろう」と話した。(毎日新聞2017年3月24日


そこで、社会学者・西田亮介氏による安倍昭恵氏へのインタビュー(対談)である、BLOGOS編集部「日本の精神性が世界をリードしていかないと地球が終わる」(2016年11月9日)を読んでみたら、安倍昭恵という人が何となくわかった気がしました。

「ある程度の政治的影響力がある」ということ。
松井三郎氏(京都大学名誉教授)が「アフリカにおける勿体ない実践成功例」という講演で、ケニアでエコサントイレを作ろうとして外務省と交渉したけどダメだったことを話しています。

外務省の役人はなかなか理解してくれなくてですね、えいやとばかりに、安倍夫人のところに、首相官邸に行きました。安倍夫人が会ってくれまして聞いてくれましたよ。あの人はすごいですね。その晩に首相と話をしてですね、首相からすぐ連絡が入ってですね、ぐるぐるっとまわって、今年予算がつきました。8000万円もらいましてですね。今年2つの村に入りましたけれども。あのご夫婦のホットラインはすごいですね。

エコサントイレの必要性は認めますが、鶴の一声で助成金を出す力が自分にはあることを安倍昭恵氏はどのように考えているのか。
森友学園にも「夫婦のホットライン」が使われたと思われても仕方ない。
すべて善意だとは思いますが。

「直感的」ということについて。

西田:まず、なぜぼくに興味をお持ちになられたのかということを伺いたいと思います。
安倍:「直感的にお会いしたいと思いました」っていうそれだけで。ほぼ直感で生きているので。
西田:「ほぼ」というのは、どういうことですか?
安倍:「深く考えないで」というか。何をするか考える時にも、「じゃぁ、これ!」みたいな感じで生きているので。

なるほど、と納得しました。
何も考えていないわけです。


安倍昭恵氏は自分の直感に自信を持っているようですが、直感の根拠は何かというと、「スピリチュアルなものへの共感」であり、「オカルト的」なものだという点がトホホです。

西田:麻や大麻には結構関心をお持ちになっていたんですか?
安倍:そうですね。
安倍:麻は、日本にとって伝統的でとても大事な、それこそ、神様と繋がっているもの。
谷崎:しめ縄でもそうですし、神道の儀式に必ず必要なもの。
安倍:なぜあれをずっと使っているかって、それなりに「波動の高い植物」だからだと、私は思うんです。
その神社の神事で使われている麻のほとんどが「中国産」になってしまっていて、ビニールでできたものあるんですね。それは大きな問題で、日本の根幹の神道の中で使われる麻は「国産」であるべきなんです。

どういう意味で「波動の高い植物」と言ってるのかということがありますが、物理学の用語としてではなく、スピリチュアルでの「波動」ということでしょう。
そして、「日本の根幹の神道」という発言から、安倍昭恵氏が神道原理主義者であることをうかがわせます。

森岡正博『生命観を問いなおす』によると、スピリチュアルとナショナリズムとエコロジーは重なり合っています。
安倍昭恵氏の中ではそれらは矛盾なく共存しているんだと思います。

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藤原弘達『創価学会を斬る』

2016年12月26日 | あやしい教え・考え

『創価学会を斬る』を書いた藤原弘達の夫人である光子さんは、『創価学会を斬る』の出版妨害に際に「あの時はダンボール箱に三箱以上の嫌がらせの投書が来ましたし、警察がうちの子供に警備をつけなくてはならないほど脅迫が相次ぎました」(「週刊新潮」2000年3月30日号)と語っています。
さらには、藤原弘達が亡くなった日、夜中じゅう、「おめでとうございます」という電話が続いたそうです。
『創価学会を斬る』の出版は1969年、藤原弘達が死んだのは1999年ですから、30年も経っているのにです。

図書館に『創価学会を斬る』があったので読んでみたら、創価学会の政治への関わりを主に問題にしており、教義についてはさほど触れられていません。

藤原弘達は創価学会の折伏についてこのように書いています。

折伏であるということで入れかわり立ちかわり押しかけてゆく。そして一種の洗脳がはじまるわけである。学会員にとっては、折伏こそ不可欠の宗教的義務であり、使命なのであるから、他人の都合など全くおかまいなしなのである。それも時には集団で押しかけるから、よほど意思強固、思想的立場のはっきりした人でないと、ズルズルと押し切られてしまうことになるようである。その際、現世利益をふりかざすのも彼等の常套手段である。


「折伏」の意味をネットで調べると、

1 仏語。悪人・悪法を打ち砕き、迷いを覚まさせること。摂受 (しょうじゅ) と共に衆生を仏法に導く手段。
2 転じて、執拗に説得して相手を自分の意見・方針に従わせること。

とあり、創価学会の折伏は二番目の意味だと、藤原弘達は考えているのでしょう。

『折伏教典』から引用しています。

個人の不幸、家庭の破滅、社会の悲劇、これらはすべて根本的には邪宗教に根源をもつ。逆にいうならば、正法を誹謗したり、正法を知らない罪により起こっているのである。

 

富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である。

現在の創価学会会員は大石寺の御本尊を拝んでいないと思います。

池田大作『立正安国論講義』からの引用です。

相手のもつ邪法を打ち破り、邪見、偏見におおわれていた、清浄無染にして、力強い、尊厳極まりなき、妙法蓮華経という大生命をあらわさんがためである。これ最も相手を尊敬する行為であり、かつ生命の尊厳を基調とする民主主義の先駆をなすものではないか。しかもまた、いかなる迫害にも屈することなく一切衆生の幸福を願って忍耐強く折伏していくことは、最大の寛容ではないか。


藤原弘達の意見です。

彼等にいわせれば、折伏は慈悲の行為なのであるから、大いにそういうようにおどしあげたり、中傷することも、それぞれ慈悲の行為の変形として許されるという理屈になるのであろう。


『創価学会を斬る』の「創価学会・公明党七つの大罪」という章から、大罪を3つご紹介。
・時代錯誤(アナクロニズム)の罪

日蓮の段階で果たしえなかった一種の宗教改革をば、現代社会の条件に強引にあてはめようとする、はなはだしいアクロバット性に大きな問題があるということである。

これは日蓮原理主義ではないでしょうか。

時代錯誤と歴史性無視のマイナス面が、逆にこの宗教勢力の魅力になっている。


・他人を「ノロウ」ものの罪
他人に対する寛容性のなさを実例を挙げて批判しています。

創価学会教学部編になる『日蓮正宗創価学会批判を破す』という本の中に次のように書かれている。
「ちょっと前のことになりますが、学会の悪口をいっていた宗教学者の佐木秋夫氏がお山へ行きたいというので、戸田先生から案内するようにいわれて同行することになったのですが、出発の日に、東京駅で私が待っていたところ、佐木氏の方では、その前日でしたか『子どもが死んだから行けなくなった』というのですね。これは、ハッキリとした罰ですよ。そして帰ってきてからきいたのですが、佐木氏はイナカへ帰って、邪宗日蓮宗で葬式をだしたというのです。まるっきり、なっちゃいないですね。」(略)
 いったい創価学会は人間の死というものをなんと心得ているのであろうか。(略)創価学会を批判する人であったとはいえ、その人の子供の死を罰としてとらえ、しかもこれを当然視する態度はいったい何たることであろうか。

 

「御利益」とか「救い」というが、実は折伏そのものが、人の不幸につけこむものだと断定せざるをえない。
家族が死んだ、病気になった、破産した、クビになった、そうした不幸な人々のところにわざわざやってきて「それは邪教を信じているからだ。日蓮正宗を信じなさい」と説くわけだ。こうしたやり方にも、会員個々の主観的意図とは別に、人間性を無視した目的のためには手段を選ばないサディスティックな異常性を認めざるをえない。


・思考停止、愚民化誘導の罪

創価学会のもっている行動様式の中で、もっとも危険なものと考えられるのは、一種の盲目的服従を組織の原理にしているというところにある。

藤原弘達によると、創価学会の内部からは批判らしい批判が起こっていないそうです。
では、自民党の言いなりになって安保法制やカジノ法案などに賛成している現在の公明党に対する創価学会会員の批判はあるのでしょうか。

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佐々木閑『「律」に学ぶ生き方の智慧』

2016年12月22日 | あやしい教え・考え

佐々木閑『「律」に学ぶ生き方の智慧』に、「生き甲斐のための組織」が問題ある組織かどうか、律と照らし合わせて評価するチェックポイントが書かれています。
私なりにまとめてみました。

・運営の仕方
教団がどういう仕組みで運営しているか、規律がどういう手段で守られているか。
オウム真理教などは、教祖やその側近の恣意的な命令で決まり事が決定される。
統率者の個人的思惑で方向が決まる組織は暴走する可能性が高い。
しかし、サンガという組織を運営するためのマニュアルである律は、サンガのみんなで決めており、釈尊の命令ではない。

・勧誘の方法

どのように勧誘するかについての問題点は、藤原弘達『創価学会を斬る』からご紹介しますので、またまた次回をお楽しみに。

・入会の手続き

仏教のサンガは入会も脱会も自由で、やめたければ、「やめます」と言えば、それで脱会となる。
出たり入ったりを繰り返すことも構わない。
出家は我慢の道ではない。
自分の本当の居場所だと思い、修行生活が自分の進む道だと確信しているから、サンガにいる。
ただし、親の許しがないのに人を比丘・比丘尼にすることはできない。

また、生まれたときからサンガで生活する人はいない。

サンガのメンバーは一般社会の中で生まれ育ち、ある年齢に達してから自分の意志で入ってくる人たちである。
サンガの中で生まれたり、物心がついたらサンガのメンバーだったということはない。
宗教団体やコミューンには、オウム真理教のように家族ぐるみで加わるというスタイルのものがある。
すると、そこの価値観で育った子供は特定の固定化した物の見方しかできなくなり、一般人として普通の価値観で暮らす自由を子供たちから奪うという問題がある。

・信者の扱い

信者をどう扱おうとしているか、組織内の上下関係がいかなる基準によって決定されているか。
特定の人物の主観的な基準で決める組織や、競争主義で序列が決まる組織は、組織全体の勢力拡大を目的としている可能性が高い。
内部が厳しい上下関係で統制されているなら、個人よりも組織の発展やリーダーの面子を重視する全体主義的組織である。
サンガでの師弟関係は、修行の効率化という目的に沿った合理的なものである。
師匠と弟子との関係は、上の者が権力で下の者を支配することは許されない。

師匠と弟子との関係が理性的なものである以上、体罰が用いられることは決してない。

律は「いかなる理由があれ、僧侶が他者に暴力行為を働くことは許されない」と規定している。
ところが、日本の仏教ではこの原則が無視され、指導のために弟子を殴ることが違和感なく認められることがある。

このことで思うのが、仏教では苦行でも快楽でもない中道を説きます。
ところが、明治政府から僧侶の肉食妻帯が許されると、どの宗派の僧侶もいそいそと戒律を捨てました。
その一方で、釈尊が否定している苦行を行い、時には暴力を振るうこともあるように、ある面では厳しいというのも妙な話です。

・資金の獲得方法

組織の資金をどんな方法で獲得しているか、メンバーに負担をかけないように運営している組織か、生活に脅威を与えるほどの寄付を要求する組織か。
法外な寄付を要求するなら、必要以上の金銭を集める強欲な集団といえる。
オウム真理教は、出家者の個人資産すべてをオウム真理教に寄付させていた。
仏教の場合、出家する人が自分の財産をどう処理するかは、その人が決めることであって、サンガが口を出すことは決してない。

・社会との関係

教団と社会との関係をどう設定しているのか、公開されているか密室か。
生産活動を一切しないサンガが存続するためには、世間からの支援なしには運営が立ち行かないので、サンガ内部は常に開かれていた。
そのためには尊敬される姿を見せなければいけないので、最低限、世間から非難されることのない行儀作法を身につく行動マニュアルが律である。
世間での信用を失墜させる行為は御法度である。
オウム真理教は外部に自分たちの実態が漏れることを嫌い、教団を閉鎖的な秘密空間にした。

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中川智正「当事者が初めて明かすサリン事件の一つの真相」

2016年12月16日 | あやしい教え・考え

某氏より中川智正「当事者が初めて明かすサリン事件の一つの真相」(「現代化学」2016年11月号)をいただく。
オウム真理教の事件で死刑判決を受けた中川智正死刑囚が書いた手記です。
前半はオウム真理教がサリンを作成した経緯について、後半は毒性学のAnthony T.Tu博士(コロラド州立名誉教授)の質問に答える形で執筆したものです。

「現代化学」に掲載されているわけですから専門的ですが、〈質問5 どうして高学歴の科学者がオウム真理教のような宗教に入り、事件を起こしたのか?〉は興味深い内容でした。

 私個人でなく、教団の科学者一般の話を書きます。
 第一に、そもそも科学と宗教はまったく別のものです。化学は検証可能な仮説を証明しようとします。一方、宗教は原理的に証明不可能な命題に対してある種の判断を与えるものです。たとえば宇宙の起源とされるビッグバンがどのように(How?)起こったかは科学の対象です。なぜ(Why?)起こったかは科学の対象ではありません。そこに神がいるとしても、いないとしても、科学とは矛盾しないと思います。
 第二に、重大事件にかかわった者が入信したのは、ごく一部の例外を除き1988年以前で、当時の教団は殺人やサリン製造などとは無縁の宗教団体でした。教祖の麻原氏は、そのような宗教団体を犯罪組織にしたという点で、宗教家以前に犯罪者ですが、ヨガや瞑想の指導者としての能力はきわめて高かったのです。また、麻原氏は、教団の外部に対してだけでなく、内部の大部分の者に対しても、「実際に殺人を行う(行っている)」とは言いませんでした。私を含めて、教団が殺人を犯すなどと思って入信した者は皆無でした。少し考えていただければわかりますが、このような事情がなければ、いくら1990年代前半でも、日本とロシアで数万人の信者が教団に入信するはずがありません。ヨガや瞑想の部分で麻原氏に対して絶対的な信頼をおいてしまった者が、私を含め、事件に関与したのです。逆にいうと、麻原氏は自分を深く信頼している者を選んで、殺人や化学兵器の製造などを命じたのです。具体的には本稿で実名を出した者たちに大してです。率直にいって、麻原氏を単なる詐欺師であると書くことは簡単で世間の受けもよいのですが、事実は事実として述べないと質問にお答えする意味がないので、あえてこのような内容を書きました。
いかなる理由があろうとテロは許されない、とはしばしばいわれます。これはそのとおりです。しかし、ある人物が、危険な宗教やテロ組織に入ってしまう背景と後にテロを実行する背景は、多くの場合、違っているように思われ、両者は区別すべきではないでしょうか。この辺りから考えていただくことが、今まであまり実施されていないテロ対策につながるのではないかと思います。
最後に、事件の被害者の方々、ご家族の方々には重ねてお詫び申し上げます。

「本稿で実名を出した者たち」とは、サリン製造に関わった村井秀夫、上祐史浩、土谷正実、遠藤誠一といった人たちです。

手記には、「教団が殺人を犯すなどと思って入信した者」はいないのに、どうして「事件に関与したのか、その説明はありません。
中川智正さんが個人的な手記を書いて、そこらを説明してくれることを期待しましょう。

誰もが「危険な宗教やテロ組織に入ってしまう」可能性はあるわけで、まともな宗教と、そうではない教団をどのようにして見分けたらいいのか。
佐々木閑『「律」に学ぶ生き方の智慧』に、一生を支えてくれる「良い生き甲斐組織」と、不幸をもたらす「悪い生き甲斐組織」の違いを区別する判断基準が律だと書かれています。

人は死ぬまでずっと変わらない本当の生き甲斐を探し求める。
生き甲斐の代表が宗教であるし、宗教以外にも生き甲斐はさまざまある。
同じ生き甲斐を共有する組織を作るようになると、中身に善し悪しがでてくる。
中には表看板と内実がまったく違っていて、とんでもないニセモノだったということがある。
充実した人生を手に入れるつもりで入った組織が、その人自身やまわりの人に不幸をもたらすケースがいくらでもある。
さらには、ニセモノだと気づかないうちに洗脳されてしまって、ニセモノの世界でニセモノの幸福に身を任せることがある。
たとえば、ヒトラーを崇拝してナチス党員になった人、大東亜共栄圏の理想を信じて軍事政権に従った人、革命を夢見た連合赤軍のメンバーなど。

生き甲斐を求める人たちを不幸に突き落とす恐ろしい罠はいたるところにある。
だから、惹かれて入った教団の裏側に隠された内実を的確に見抜く目が必要となる。

律(ヴィナヤ)の意味は「正しく導くもの」「指導」。
律という仏教世界の法律集、組織運営のためのマニュアルは、この判断基準を明確に示してくれる。
たとえばオウム真理教と仏教の教えはほとんど同じだが、律のあるなしが大きく差を生じさせる。

ということで、佐々木閑『「律」に学ぶ生き方の智慧』に説明されている判断の仕方は次回のお楽しみに。

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田原大興「沖縄の習俗とのはざまで」

2015年12月18日 | あやしい教え・考え

「同朋新聞」を読むと、アイヌや沖縄の文化・宗教には現代日本が失ったものがあるみたいな感じで書かれた文章を散見し、アニミズムや祖霊信仰をそんなに持ち上げてどうするのか、と偏狭な私は思っています。
そしたら、「真風」第18号に田原大興「沖縄の習俗とのはざまで」という文章があり、大変興味深かったです。

ユタと呼ばれる霊能者は運勢・風水・病気・位牌や墓について判断や助言をしたり、呪術・祭祀を司ったりしているが、霊魂への対応でしばしば親戚関係や地域社会を混乱に陥れることもある。
日本の伝統仏教は、葬式仏教への受容が高まり、同時に土着・民間信仰との関係も深まり、ユタの商売敵のような存在になった。
仏教者の沖縄の民間信仰への対応は、肯定派、もしくは妥協・受容派が主流のようだ。

沖縄の一般家庭の仏壇には本尊がなく、祖先の位牌と香炉が祀られている。

位牌に関する問題が多く、位牌相続者の継ぎ方が悪い、法事を欠いたので供養ができていないなどと周囲から攻撃される。
法事では、沖縄伝統の重箱料理やお菓子といったお供え物の数や並べ方、その向きなどについて親族間でしばしばもめる。
あの世のお金を燃やすのだが、燃やす枚数でも意見が割れたりする。
「何枚ですか」と聞かれ、「好きなだけどうぞ」と応えたため、老年の女性に叱責を頂戴したこともある。
三部経を読んでいたら、「もういいよ」と肩を叩かれて強制終了したこともある。

墓に納骨する際に禁忌が多い。

特定の干支の人は骨壺を持ったり、墓に入ったりできないとか、線香の数が決まっているとか、重箱料理はすべて食べないといけないなど。
墓を新たに建立すると、完成のお祝いと納骨を盛大に行うのだが、日時がなかなか決まらない。
干支がよくない、日がよくない、汐が悪いと、完成しても数か月、時には数年間も納骨できないこともある。

へえーと思いましたが、迷信や禁忌に振り回されるのは沖縄だけではなく、どこでもある問題です。

田原大興氏は、迷信に則った行為を見かけたので、「いつからですか」と訊くと、「十年ほど前から」ということがあったと書いています。
私は若いころ、迷信はだんだんとすたれていくと思っていましたが、新しい迷信や禁忌は次々と生まれ(誰が作るのか)、気にする人は次々と気にします。
沖縄では仏教よりもキリスト教のほうが優勢だと「真風」にありますが、沖縄のキリスト教徒も同じようにしきたりにこだわっているのでしょうか。

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禁じられた数字

2015年10月06日 | あやしい教え・考え

山田真哉『「食い逃げされてもバイトは雇うな」なんて大間違い』に、「禁じられた数字」について書かれています。
山田真哉氏の説明です。

「禁じられた数字」とは「事実だけれど正しくはない」という数字のこと。
人の判断を惑わし、人をだます武器にもなるので、社会全体のために決して使うべきではない卑怯な数字である。
「禁じられた数字」がきわめてやっかいなのは、文字ならばしっかりと考えられるのに、数字になったとたんに思考停止に陥り、騙される人がとても多い点である。

具体的に、禁じられた数字とはどういうものか、4つの代表的なパターンがあげられています。

 1 作られた数字
はじめから「こういう数字がほしい」という結果ありきで生まれた数字

Q 次の都市のなかで、いまいちばん行きたいところはどこですか?

 ロンドン
 パリ
 ローマ
 ハワイ
この設問には欠陥がある。
ヨーロッパの都市が3つあるのに対し、リゾート地はハワイひとつしかない。
そのため、ヨーロッパに行きたい人の票は分散し、リゾート地に行きたい人がハワイに集中する。
これは誘導的な設問でして、死刑の賛否を問う調査も似たようなもので、設問がおかしいです。

厚生労働白書(平成17年度版)に、3世代世帯割合の高い地域では出生率も高い傾向がややうかがえるとある。
しかし、3世代世帯だから子供が生まれるのではなく、子供が生まれるから3世代世帯になるのであり、出生率が高い地域は、必然的に3世代世帯割合も高くなる。
これは因果関係を逆転させているわけです。

「生き残りバイアス」という話がある。
「当社の10本の投資信託、そのすべてがすばらしい運用実績です」
この数字は事実であっても正しくない。
100本の投資信託を作って運用し、その成績上位10本の投資信託だけを残したにすぎない。

 2 関係のない数字

本当は関係がないのに、さも関係がありそうに思わせる数字

映画の宣伝で「構想7年 ついに映画化」というものがあるが、構想はアイデアレベルの話なので、無駄に7年も考えたのか、事情があって中断していたのか。

映画がおもしろいかとは関係のない数字。

政治家が「利用者は少ないかもしれないが、この空港を作るためにすでに800億円もかかっているのだから、いまさら中止できない」と言ったとする。
800億円と「だからもったいない」という意見とは直接的な関係はない。
建設を続行した結果、もっと損をするかもしれないし、完成しても採算が取れないかもしれない。
今後、800億円の赤字額が縮小するのか、拡大するのかという点だけが判断の基準になる。

 3 根拠のない数字

さしたる根拠がないのに、もっともらしく聞こえてしまう数字

「○○の優勝で経済効果1000億円」というのも根拠のない(弱い)数字である。
分析者によって、経済効果の対象に含める範囲が違うし、「優勝セールで買ったから、冬のバーゲンには行かない」というマイナス効果も発生するが、経済効果の金額から引き算するわけではない。

 4 机上の数字
計算上はうまくいくけれども、実際にはうまくいかない数字

こういう求人広告。
「工場勤務 時給1000円 月30万円可 寮完備」
月30万円ももらえるんだからいい仕事だと思いそうだが、月30万円を時給1000円で割ると、300時間。
休みなしで30日間、毎日10時間も働かないといけない。

「日本の中小企業の7割が赤字」と、国税庁が発表している。
しかし、中小企業には黒字だと税金をたくさんとられるので、わざと赤字にしている会社がけっこうある。

他にもいろんな例が挙げてあります。
驚いたのが、「費用対効果」は、どんな場面でも使えるオールマイティで便利な言葉だということ。
効果が意味するモノはひとつだけではないし、場面や人によって違うこともある。
たとえば、「この食器洗い乾燥機を買えば水道代が安くなります」という宣伝文句。
水道代は安くなっても、電気代がかかるので、たいした節約にならない。
前提がおかしかったり、効果の対象もあいまいだったりすることが多々ある。
費用対効果とは、使っている人の頭のなかでしか成立していない「関係のない数字」「机上の数字」だというのだから驚きです。

これらは、たぶん詐欺ではないし、悪徳商法でないけれども、人を惑わし、だますために数字を利用しているわけです。

でも、私にしたって、自説に都合のいい数字は引用しても、まずいものは無視しますから、意図的ではなくても、無意識にみんなやってることなのかもしれません。

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神渡良平『中村天風人間学』(2)

2015年06月19日 | あやしい教え・考え

神渡良平『中村天風人間学』を下さった方は、この本が大変いいものだから、ぜひ読んでほしいということなのでしょう。
しかし私は、精神主義・スピリチュアル・ポジティブシンキング・自己啓発といった類いのものが好きになれませんし、危険な面もあると思っています。

いくら正しい言葉、いい言葉を使い、物事を肯定的に受けとめ、プラス思考で明るく生きていても、人生、山あり谷ありです。
そもそも人は老病死を避けることはできません。

神渡良平氏は、夫婦そろって中村天風の信奉者だけど、奥さんが49歳で乳ガンになり、56歳で亡くなった人を紹介しています。
神渡良平氏のフェイスブックにメッセージを送った、ロサンゼルスに住む日本人女性はスピリチュアル・マスターのセミナーに参加するような方ですが、夫は膵臓ガンで20年ぐらい前に亡くなっています。
こうした人たちは、中村天風の

宇宙霊の生命は無限である。不健康なるものは、宇宙霊の生命の中には絶対存在しない。
その尊い生命の流れを受けている私は、同じように安全で、人生の一切に対して絶対強くあるべきだ。

という言葉をどう感じているのでしょうか。

新興宗教の中には、病気などの不幸は邪教を信じているからだと責めるものがあります。
ポジティブシンキング、プラス思考を肯定することは、この方たちのように若くしてガンになり、そして死んでしまった人を非難しています。

もっとも、なぜ不幸になるのか、その言いわけはちゃんと用意されています。
ロサンゼルスの女性からのメッセージにこんな文章があります。

末期がんであるにもかかわらず、瞑想によって次々と過去世のカルマを解消していき、痛みまでも克服し、愛と光に包まれて、至福の中で笑みを浮かべ、歓喜の表情で高次の世界に戻っていったのです。主人は口癖のように言っていました。
『肉体は滅びても、魂は不滅で、存続するんだよ。死も生も本当はないんだよ。闘病生活はカルマの解消のまためにあるんだ。ぼくは早くカルマを解消し、新しい肉体に着替えて地上に戻り、人々を救済するために働きたい』

ガンや死別の悲嘆という苦によって、今まで作ってきたカルマが解消し、次はよりよい境遇に生まれ変わることができるということです。

カルマとは業(行為)という意味です。

ところが、カルマといえば、悪業、そして悪業の報いと説かれがちです。
カルマ(行為)には善い行為があれば悪い行為もあるし、どちらでもない行為もありますが、そもそも善い行為と悪い行為とをきちんと分けることはできません。
たとえば、戦争で人を殺すことは善いか悪いか、人によって意見が異なるでしょう。

あるいは、サイババの弟子サイマーに師事する気功師は、青山圭秀『理性のゆらぎ』『アガスティアの葉』を読んで、サイババに会いにインドに行きます。

みんなを祝福するサイババの柔和な目を見た瞬間、涙がこぼれた。またあるときはサイババが立ち止まって手をかざして祝福してくださった途端、雑念が消え、風にそよぐ木もあたりの景色もそのままで美しく感じられ、心の底から喜びが湧きあがってきた。

この気功師は、日常生活の目標を霊性の満足に置いていたら、ストレスが溜まったり、病気になることはあり得ないと断言しています。
このご夫婦や気功師はオウム真理教に入信しても不思議ではないなと思いました。
というのも、オウム真理教の教義の中心はカルマの法則であり、教祖である麻原彰晃が神格化されているからです。

これらは問題点の一部で、他にもすべてを自分の心の持ちように還元してしまい、現実社会や自分自身のマイナス面に目をつむってしまったり、神秘体験の絶対化とかの問題もあります。
もっとも、そうした問題点は既成宗教にも当てはまることで、他人事ではないのですが。

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神渡良平『中村天風人間学』(1)

2015年06月15日 | あやしい教え・考え

某氏から神渡良平『中村天風人間学』をいただきました。
いただきものに文句を言うのはなんですが、「われわれは地球という生命体の中の一つである」という副題を読み、あの手の本かとタメイキでした。

中村天風という人、名前は聞いたことがあるけど、どういう人か知らなかったので、ネットで調べました。
中村天風(1876年~1968年)は1906年(明治39年)に奔馬性肺結核(急速に症状が進む結核で、現代では急速進展例と呼ばれる)を発病。
アメリカやヨーロッパに渡り、1911年に日本への帰路の途中、アレキサンドリアでカリアッパ師と会い、カンチェンジュンガ山麓のゴルカ村でカリアッパ師の指導を受けて修行する。

このカリアッパ師ですが、ウィキペディアには本名はカルマ・カギュ派15世カキャプ・ドルジェ(1871年~1922年)とあります。
ところが『中村天風人間学』には、「老インド人」とあるし、ネットでは「六十がらみ」とか「106歳」などとも書かれていて、実在の人物かどうかあやしい。

『中村天風人間学』には、中村天風に影響を受けた人が何人も紹介されており、その中にパラマハンサ・ヨガナンダ『あるヨギの自叙伝』を読んだという人がいて、私もこの本を読んだことがありますが、ホラ話としか思えない個所が多々あります。
カリアッパ師についても似たようなもんで、二人の出会いにしろ、ゴルカ村での修行にしろ、旅先で出会ったあやしげな人物に無理難題をふっかけられて苦労しながら真理を手に入れるという、たとえばカルロス・カスタネダとドンファンといった、精神世界の本ではおなじみのパターンです。

カリアッパ、中村天風の教えとはどのようなものでしょうか。
カリアッパ師から人生の目的や意味を問われた中村天風はこのように答えます。

人間は宇宙の進化と向上に寄与するために生まれて来ました。個人的には、さまざまなことを学んで、個の意識を超え、魂のレベルを上げていくためです。肉体を得て、地上で人生を送るのは、そこに目的があります。人生は魂の学校です。
人生は、さまざまな嵐を乗り越えて、高次の意識レベルに到達し、自己実現するためにあります。そして他の人生を助け、花開かせるためです。

生まれ変わりを繰り返しながら霊性を向上、進化させるという考え(大月俊寛氏の用語を借りれば霊性進化論)でして、目新しい主張ではありません。

カリアッパ師もこう語っています。

死は恐ろしいことではなく、地上での務めが終わることを意味し、次の人生への旅立ちを意味している。人間は生まれ変わり、生まれ変わりして、その時々の人生で真理を体得し、ますます神のごとき魂を形作っていくのだ。


中村天風の答えにカリアッパ師はこう応じます。

個の意識を超えるってことは、努力してできるもんじゃない。宇宙霊と一体化すれば、自ずと個と個の境目が消え、他者とも万物とも一つになれるんだ。宇宙の根源者と限りなく一つになるってことを忘れるなよ。

これは、スピリチュアルではワンネス、つまりは梵我一如ということです。
霊性が向上することによって宇宙霊と一体化するのが人間に生まれてきた目的というわけです。
中村天風の言葉だと

自分の生命と造物主とが常に結びついている、という侵すべからざる事実。

です。

そしてポジティブ・シンキング。

運命も、健康も、自分の心の思い方、考え方で、良くも悪くもなるのだ。

『讃一切種子識経』のこういう訳を神渡良平氏は引用しています。

深層意識には無限のパワーがあり、世界は心の力によって創りだされている。(略)
ただ良いことだけを思い、福が来ることを願いなさい。豊かになったと想像し、うっとりした良い気分になりなさい。失敗や禍が来るなどという考えはすぐに捨てなさい。そうすればあなたの願いはかない、欲しいものは手に入るだろう。

深層意識とは阿頼耶識のことだそうです。
「無限のパワー」とか
ということ、生長の家などでよく聞く言葉です。
「意識は世界を変える」「夢は必ず実現する」といったことはニューエイジの標語です。

中村天風は言葉の力を強調します。

鋭敏な耳を持っているのだ。宇宙霊は! だからいやしくも人を傷つける言葉、勇気を挫くような言葉、あるいは人を失望させるような言葉、憎しみ、悲しみ、嫉みの言葉を遠慮なくいっている人間は、悪魔の加勢をしているようなものだ!(略)
人々の心に勇気を与える言葉、喜びを与える言葉、何とも言えず、人生を朗らかに感じるような言葉を、お互いに話し合うようにしよう。

建設的で前向きで積極的な生き方をするためには、建設的で前向きで積極的な言葉を使う必要がある、そうすれば幸福になるというわけで、五日市剛氏は中村天風の受け売りだったんですね。

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倉塚平『ユートピアと性』(1)

2015年05月23日 | あやしい教え・考え

倉塚平『ユートピアと性 オナイダ・コミュニティの複合婚実験』はフリーセックスのユートピアについて書かれているとどこかで読み、図書館で借りました。
『ユートピアと性』によると、オナイダ・コミュニティはいわゆるフリーセックス、自由恋愛が認められていたわけではなく、セックスのコミュニティ管理を実行していたとのことです。
まとめてみましょう。

ジョン・ハンフリー・ノイズは1811年生まれ。
1848年にニューヨーク州北部のオナイダ湖の近くの農場で、信奉者である数百人のキリスト教的完全主義者たちと共同生活を営み、コミュニティは1879年に崩壊するまでの31年間存続した。

ジョン・ハンフリー・ノイズは次のような考えを説いています。

キリストの説く隣人愛の教えとは、万人を区別することなく愛することである。特定対象に愛を集中することは独占的所有欲から発するものであり、差別と不和と分裂を生む悪魔の業に等しい。さらにこの無差別的隣人愛は、たんに精神的レベルに止まるべきではなく、肉体的レベルにまで及ばなければならない。なぜなら神は性の交わりに二種類の機能をお与えになったからである。すなわち生殖という劣った機能と人を愛するという優れた社会的機能である。留保的性交によって受胎を避け、後者の機能のみを発揮しつつ、コミュニティの各人はその異性のすべてと愛の交わりをしなければならない。それは無私の精神から発するものであり、罪から解放された完全主義者がまさしく地上に天国をもたらさんとする行為なのであると。


言葉の説明をしますと、「完全主義者」とは、罪を犯すことのない信仰者になったと称する人。
完全主義者は完全な社会を求め、地上における天国を求め、社会改良運動に乗り出し、悲惨な境遇にある人たちが罪を犯すことのないように社会を改善しようとした。
中には、ユートピア建設によって黄金時代の到来を目指す人たちもいた。
完全主義者は罪から解放されているので、何をしてもいいということになる。

「留保性交」とは、妊娠することを防ぐために、性交はするが射精しないという、ノイズの大発見。

そもそも男は霊的にも女の上に立つ存在であるが、その理由の一つとして自制心があることである。女をなんどもオルガスムに達しさせてやり、しかも自分はそれに達するのを我慢してこそ、神がその似姿として作り給うた者にふさわしい。

接して漏らさずということらしいです。

性交それ自体は自然な行為で飲食と同様恥ずべきものではない。いやそれどころか、愛という崇高な目的に奉仕する。神はそのためにこそ男女の性器を作られたのだから、それを使用しなければならない。

ほほ~という教えですが、オナイダ・コミュニティではフリーセックスや乱交を認めていたわけではありません。

ノイズの複合婚は厳しいルールと規律に基づくコミュニティ管理下のセックスであった。

央委員会の管理下に置かれ、淫乱な行為は厳しく排除されたし、ある特定パートナーと継続的に交わることはスペシャル・ラブとして許可されなかった。彼らはこの性的関係を複合結婚と呼んだ。


複合婚を成り立たせた前提を倉塚平氏は3つあげています。
1 留保性交の厳格な実施
のちに妊娠、出産が認められますが、男女の組み合わせも管理しています。

2 スペシャル・ラブの禁止

母性愛、夫婦愛、家族愛を否定し、一夫一妻制は奴隷化の制度と見なした。
夫婦関係は加入と同時に解消され、男女二人だけの排他的な恋愛はスペシャル・ラブの名のもとにエゴイズムとして糾弾され、引き裂かれた。
親が自分の子をとくに可愛がることもスペシャル・ラブとして批判された。
男女の愛、親子の愛、友情といった、特定個人に対する愛はコミュニティを崩壊させる最も強力な力として働くからである。

3 組み合わせの上長者優位

男の子は13歳~17歳で複合婚にイニシエートされるが、20歳ぐらいまでは更年期後の女性としか交わることを許されなかった。
ある調査では、コミュニティで育った女性がイニシエートされた年齢は、10歳1名、12歳7名、13歳8名、14歳4名、15歳2名、18歳1名で、初潮年齢と同じ。
初潮が始まるとイニシエートされた。
イニシエートしたのは、ノイズがコミュニティにいるときはいつも、ノイズが外に行っているときは側近の2、3の者が行なった。

ノイズは性交に神の生命の霊を媒介伝達する機能を認めた。

神の霊に捉われる二度目の回心体験を得るために「霊の人」との性交を通じてその霊を伝達してもらわなければならない。


1869年から優性主義思想による出産が認められた。
カップルはノイズを中心とする中央メンバーが決めたが、カップルの関係は永続的なものではない。
ノイズはというと、8~10人の子供の父親になった。

1879年8月、複合婚を廃止。

1881年1月、有限会社に組織替えした。
ノイズはナイアガラの滝の近くにある豪邸で優雅な余生を送り、1886年、この世を去った。
何ともうらやましい人生です。

オナイダ・コミュニティは巨大な株式会社に成長し、1987年の売り上げは2億6800万ドルとのことです。

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