三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

メイ・フォン『中国「絶望」家族』(2)

2023年04月23日 | 

メイ・フォン『中国「絶望」家族 「一人っ子政策」は中国をどう変えたか』によると、中国の一人っ子政策の弊害は少子化、人口減少だけではありません。
高齢化、無戸籍、失独者、男性過剰などの問題を招きました。

高齢者はヨーロッパの全人口を上回る。
労働人口が急激に減り、整備されていない年金制度や医療制度を圧迫することになる。

違犯して生まれた第二子は戸籍(戸口)が許可されず、実在しないのと同じ。
戸籍のない約1300万人は。教育や医療といった行政サービスを受けられない。

一人しかいない子供を失った親を失独者という。
2014年までに推定100万世帯が失独となり、毎年76000世帯ずつ増加している。

ワン・シャオシュアイ監督最新作『在りし日の歌』予告編

中国の国民が男女を産み分けるための中絶を行えないよう、医療従事者はお腹の子の性別を明かしてはならないが、遠まわしな聞き方でヒントを得ることは可能だった。

2013年に一人っ子政策が見直され、2015年から2021年までは子供2人までとされたが、2021年に二人っ子政策も廃止された。
新生児の男女比は中国では二人っ子政策に転換された時点で男119、女100になった。

世界平均は男105、女100で、インドでも男108、女100。
中国では2020年までに男性が女性より3000万から4000万人も多くなった。

一人っ子政策世代は親から過大な期待を寄せられ、親の老後を一人で背負わされる。
中国では住んでいる家の値段と学歴で人を評価する。

高考という全国大学統一入試があり、高考の時期には、親は子供をサポートするために、2週間、時には1か月も仕事を休む。
十代のうちは高考があるから、異性に気を取られないようにする。
一流高校では男子と女子は「教室または廊下のような明るい場所でのみ会話すべし」「男子と女子が一対一で会話することは禁止する」という規則がある。
ある学校では男子生徒と女子生徒が手をつなぐことを禁じた。

中国の独身人口は2018年に2億4千万人。
独身男性人口はカナダやサウジアラビアの人口と同じか、それ以上になる。
仕事が忙しくて結婚しない、できない人が増えている。

結納金の彩礼は上海で16000ドル、天津で9600ドル。
理想の花婿は不動産も所有しているべきとされる。
不動産価格が高騰し、住宅ローンの支払いのために結婚できない。
結婚詐欺に遭って全財産を失う男性もいる。

男女比のアンバランスから、女性のほうが結婚に強気でいられるかというと、実際は違う。
中国では女性は社会的地位や収入が自分よりも上の相手、男性は自分より下の相手を求める。
女性は早い時期から焦り始める。
女性は25歳から27歳までに結婚すべきとされており、それを過ぎた女性は剰女(売れ残り)と呼ばれ、20代後半の女性は価値が下がるとされている。

あるブロガー

ほとんどの親は子供が学生のうちにデートすることを許そうとしないし、大学生になってからでさえ反対する親も多い。ところが子供が卒業したとたん、急にあらゆる点で完璧な相手、できればアパートを所有している相手が天から降ってくることを祈り始める。子供はその相手とすぐに結婚しなくちゃならないんだ。


女性の価値は高くなっているが、女性が大切にされるようになったということではない。
女性の商品化を促し、売春や性産業目的の人身売買が増え続けている。
女性の権利拡大の反動から、男性への服従を勧める教室が開かれるようになった。
孔子の教えにのっとった伝統的価値を教える。

夫は妻にとって天です。妻は天に対する敬意の示し方を学べなければなりません。


以前は人口の増加が危惧されていましたことを考えると、人口を抑制する政策自体は奇異なものではありません。

マルサスは『人口論』で「人は幾何学級数的に増加するが、食料は算術級数的にしか増加しない」と警告しました。

真渓涙骨『日誌』(1950年)にもこう書かれています。

人口問題を解決しない以上、所詮内乱又は戦争の絶ゆる時がないだろう。若し国策として子は夫婦間に一人と制限され、二三四五は順次「多産税」を課せられるとしたら、宗教家はこの切実沈痛の問題を何う考える乎。対策を今から討議しておくことっを忘却してはなるまい。

一人っ子政策と同じことを提案しています。

アイザック・アジモフ『アジモフ博士の聖書を科学する』(1967年)に、「(マルサスは)戦争や飢饉や疫病などが人間の過度の増殖をストップさせることになると主張した。そして、こうした大災厄から逃れる唯一の道は性行為の抑制によって子供の数を減らすことだと説いた」とあります。
そして、人口増加を危惧してこう書いています。

世界を円滑に動かすのに必要なエネルギー供給を維持することは次第に難しくなりはじめているし、この大人口のせいで、今や地球の生態学的バランスは堪えがたい圧迫を受けている。


1968年、スタンフォード大学教授ポール・エーリックは『人口爆発』で、「人口増加ですべての人間に食糧を供給することは不可能となり、何億もの人間が餓死するだろう」と論じている。

1969年、国連は第三世界の人口増加を抑制するため、国連人口活動基金を発足させた。

1972年、ローマ・クラブが『成長の限界』を出版し、資源と地球の有限性に着目し、「人口増加や環境汚染などの現在の傾向が続けば、100年以内に地球上の成長は限界に達する」と警鐘を鳴らした。

そのころは人口増加によるディストピア映画がはやったようです。
『赤ちゃんよ永遠に』(1972年)は、人口が増加して食糧危機になり、妊娠・出産禁止令が発令されるという近未来SF。
『ソイレントグリーン』(1973年)も、人口増加で食料がなくなった世界。
『2300年 未来への旅』(1976年)は、人口を一定に保つために30歳になると殺されるという話。
人口増、資源の枯渇は切実な問題だったわけです。

ところが、鬼頭宏『図説人口で見る日本史』に、何年の推計かはわかりませんが、おそらく1955年ごろ、厚生省の将来人口推計は1953年までの人口動態を反映して、1990年(1億848万人)まで増加するが、1995年(1億805万人)からは減少すると推計されていたとあります。
日本の人口が減少に転じたのは2005年。

60年以上前に国は人口減少を予測していたとは驚きです。
もっと早く少子化対策を講じていれば。

中国のように中絶を強制したり、新生児を捨てたりといった極端なことをしなくても、ある程度の経済成長をし、高等教育が普及したら、晩婚化、非婚化で自然と人口増は落ち着くようです。
結果論ですが。

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メイ・フォン『中国「絶望」家族』(1)

2023年04月18日 | 
中国で61年ぶり人口減少 前年比85万人減、急速に進む少子高齢化
 中国の2022年末時点の総人口は14億1175万人で、21年末から85万人減ったことが明らかになった。人口減は1961年以来、61年ぶり。世界最多の人口を抱える中国だが、少子高齢化とともに人口減少社会に入ったとみられる。今年にもインドに抜かれるとの予測も出ている。(朝日新聞2023年1月17日)

https://www.asahi.com/articles/ASR1K3RWCR1JULFA024.html

中国では、1979年から2014年まで一組の夫婦につき子供は1人までとする一人っ子政策が実施されたことにより、人口が減ってしまいました。
メイ・フォン『中国「絶望」家族』によって一人っ子政策を概観します。

1980年、中国共産党は党員に子供の数を自主的に1人に制限するよう要請した。
要請とは命令だった。
強制的な精管切除、妊娠中絶などが35年間続けられた。

厳格な人口抑制は不要だった。
1970年代までに「晩・稀・少(遅く、間隔を空けて、少なく生む)」という家族経学政策を導入し、10年間で女性が産む子供の数は平均6人から3人に減少した。

計画出産の実験区に指定された山西省翼城県など農村地域では、住民は無条件で2人まで子供をもつことが許可された。
これらの地域では、出生時の女児の殺害や女児の中絶に追い込まれることはなく、現在、男女比は標準で、出生率も全国平均を下回る。

一人っ子政策が実施されていたのとほぼ同じ時期に、韓国、台湾、シンガポール、タイでも出生率は急落して、子供の数は6人から2、3人に減少している。

中国の経済成長に一人っ子政策が貢献しているとされたが、急速な経済成長と人口抑制計画とは関係がない。
急成長の一因は1960年代から70年代に生まれたベビーブーム世代の人口増加による安価で豊富な労働力があったからである。

一人っ子政策をとらず、人口が増えたとしても、2人目の子供をもつことによって、親の老後を支える家族が増え、労働人口も増え、税収も増えたはずである。

1980年に人口抑制政策の実施を決めたとき、直近の人口調査は15年前で、指導者は正確な人口を把握していなかった。
高齢化、男児偏重、労働力の減少といった問題を予測した人はいたが、一人あたりのGNPを2000年までに4倍にするという目標を達成することしか頭にない勢力が強かった。
国民一人あたりのGNPを上げるためには、生産性を上げるより、人口増加を抑制するほうが容易だった。

一人っ子政策の目的の一つが、スローガンの「控制人口数量、提高人口素質(人の数を減らし、人の質を高める)」だった。
国家人口計画出産委員会を社会全体に組み込んだ。

中央から小さな村までに至るネットワーク。
計画出産行政組織は8500万人のパートタイム担当員から、国家人口計画出産委員会で働く50万人の専任職員に至る巨大組織である。
村にはグループ指導員が何人もおり、村の計画出産弁公室へ報告した。

計画出産委員会のある職員の証言。
政策に従わない夫婦や血縁者の拘留、家屋の破壊、財産の没収、後期妊娠女性の強制堕胎がなされた。

割当や数値目標が設定されていた。
1983年に避妊手術を受けさせられた人は2000万人以上にあがる。
1990年代には、第二子を出産した女性は必ず避妊手術を受けるという規則、そして第一子と第二子の出産までは最低5年あけるという規則があった。
避妊手術を受けたくない女性、5年以下で妊娠した場合は、まずは罰金が科せられる。
2010年にも、広東省のある市で1万人を対象に避妊手術奨励のキャンペーンが展開され、400人が拘禁された。

目標を達成することが最優先課題のため、何をしても刑事責任には問われないという暗黙の了解があった。
計画出産職員は避妊手術と中絶の数に応じて奨励給が支払われた。医者も多くの中絶手術を行えば、それだけ手当が増える仕組みだった。

帰宅途中の女性たちが一斉に検挙されて、集団で避妊手術に連行される。
妊娠していない少女に中絶手術を受けさせることもあった。
後期妊娠中絶も多かった。
死なずに生まれた嬰児は布に包んで父親に渡した。

出産許可証なしに妊娠した女性が手錠をかけられて連行され、強制堕胎させられる地域もあれば、職員が中央からの指示を無視したり、口先だけで同意したりする地域までさまざまだった。

計画出産職員の多くが、自分はなすべき職務を果たしただけ、国の行政命令を遂行しただけと、自分に言い聞かせていたと言った。
ワン・ナンフー(『一人っ子の国』の監督)さんがTEDで講演しています。

インタビューをした人の1人に、私の故郷の村の赤ん坊全員を取り上げた助産師がいました。私もその1人です。インタビューを行なった当時、彼女は84歳でした。
私はこう訊きました。「これまで何人の赤ん坊を取り上げたか覚えていますか?」
彼女は分娩の数は覚えていませんでした。彼女がその代わりに語ったのは、自分が行なった6万件の強制堕胎や不妊手術のことでした。彼女が言うには、時折、妊娠後期の胎児は堕胎しても生き延びるので、産まれた後に殺したこともあったそうです。それを行う時、自分の手がどんなに震えたかを彼女は覚えていたのです。(略) 
彼女はうんざりするような数の強制堕胎と不妊手術を過去に行なってきたので、今は家族が子供を持つ手助けしかしないのだと説明しました。一人っ子政策の実行に手を貸したという罪の意識に苛まれていると、彼女は言いました。そして、家族が子供を持つ手助けをすることで、過去に行なったことへの罪を償えたらと願っていました。彼女もまたこの政策の犠牲者であると、私にははっきり分かりました。

https://www.ted.com/talks/nanfu_wang_what_it_was_like_to_grow_up_under_china_s_one_child_policy/transcript?language=ja

『一人っ子の国』について町山智浩さんが解説しています。
それを聞くと、『中国「絶望」家族』に書かれていることはきれいごとのように感じます。
https://miyearnzzlabo.com/archives/59301

 

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マルコス・アギニス『マラーノの武勲』(2)

2023年04月09日 | キリスト教

『フェイブルマンズ』で、ユダヤ人はキリストを殺したと言いがかりをつけられた主人公(スティーヴン・スピルバーグ)は、ガールフレンド(福音派?)に、2000年前にはいなかった、イエスも弟子たちもユダヤ人だなどと説明します。

マルコス・アギニス『マラーノの武勲』にも同じようなやりとりがありました。
フランシスコが9歳の時、父が息子ディエゴに自分たちはユダヤ人だと説明するのをこっそり聞きます。

「ぼくらはユダヤ人なの?」
「そうだ」
「なりたくないよ・・・そんなものには」
「オレンジの木がオレンジ以外になれるかい? ライオンがライオン以外の動物になることなどできないだろう?」
「だけど、ぼくらはれっきとしたキリスト教徒じゃないか。それに・・・ユダヤ人は裏切り者だ」
「では、我々が裏切り者だと言うのかい?」
「イエス・キリストを殺したのはユダヤ人なんだから」
「わたしが彼を殺したと言うのかい?」
「違うよ・・・そんなわけないじゃない。でも、ユダヤ人は・・・」
「わたしはユダヤ人だよ」
「ユダヤ人はイエスを殺し、十字架にかけたんだ」
「だったら、おまえが殺したのかい? おまえはユダヤ人なのだから」
「違うよ、ぼくが殺したんじゃない!」
「おまえが殺したのでもなくわたしが殺したわけでもないとなると、〝ユダヤ人〟つまり〝ユダヤ人全部〟が罪人ではないことは明らかだ。それに、いいかい。イエスは我々と同じユダヤ人だったんだよ。イエスを崇拝している人々の多くがイエスの血を、彼のユダヤ人としての血を憎んでいる。実に矛盾したところがある。ユダヤ人一人ひとりがどれだけイエスに近い存在であるのか、彼らにはそのことがまったく理解できないんだ」
「それじゃあ、父さん、ぼくらは・・・つまりユダヤ人はイエスを殺していないの?」
「わたしはイエスの逮捕はもちろん、彼に対する偽証にも加わっていないし、磔にだってしていないよ。おまえはそんなことをしたかい? わたしの父は? 祖父は?
福音書では〝数人の〟ユダヤ人たちがイエスの死刑執行を要求したと書かれているが、〝ユダヤ人全員が〟とは言っていない。なぜなら、もしすべてのユダヤ人がというのならば、そこにイエスの使徒たちや聖母マリア、マグダラのマリア、アリマタヤのヨセフなど、いわば初期のキリスト教共同体を形成した者たちも含まれてしまうからだよ。ユダヤ人であるイエスを捕らえたのは、当時ユダヤ王国を支配していたローマの権力者たちさ。ローマ人こそが牢獄で彼を拷問にかけた。イエスを、ユダヤの王を騙る人間だと中傷し、同胞たちを解放しようとした一人のユダヤ人を嘲笑しようと茨の冠を被せたのも、ほかならうローマ人たちだ。それに磔刑だって彼らによって発明されたものだよ。十字架で死んだイエスと盗人だけじゃない。イエスの生まれる前から、そして彼の死後、かなりの歳月が経過するまで、何千人ものユダヤ人が磔にされて殺されたんだ。イエスの右脇腹に槍を突き刺したのもローマ人だし、彼の衣服を分配しようとくじで決めたのもローマの兵士たちだった。一方、慈悲深い態度でイエスの亡骸を十字架から降ろし、立派に埋葬したのはユダヤ人たちだった。イエスを忘れないように彼の教えを広めていったのだってユダヤ人たちだった」
「じゃあ、どうしてユダヤ人は責められるの?」
「我々が服従せずに抵抗するから、憤慨しているのさ」
「ユダヤ人はイエス・キリストを認めないから?」
「争いの焦点は宗教ではない。キリスト教徒は我々の改宗を願っているわけじゃない。それなら話は簡単だったろう。すでにユダヤ人社会全体を改宗させたのだから。本当はね、彼らは我々の全滅のために戦っているんだよ。何が何でも絶滅させたいんだ。おまえのひいおじいさんは髪を引きずられて無理やり洗礼を受けさせられたが、毎週土曜日にシャツを着替えていたという理由でのちに拷問にかけられた」


マルコス・アギニスはユダヤ人として差別された経験を持ちます。
この会話はおそらく何度も自問したことではないでしょうか。
マルコス・アギニスは現在は不可知論者だそうです。

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マルコス・アギニス『マラーノの武勲』(1)

2023年04月02日 | キリスト教

『紳士協定』(1947年)は反ユダヤ主義をハリウッドで始めて正面から取り上げた映画だそうです。
同じ年に製作された『十字砲火』もユダヤ人差別をテーマにしています。
反ユダヤ主義を取り上げた映画はその後も作られていますが、スティーヴン・スピルバーグの自伝的映画『フェイブルマンズ』もその一つ。

1964年、17歳の時にアリゾナ州からカリフォルニア州に引っ越したスピルバーグは、高校で「キリストを殺したことを謝罪しろ」と難癖をつけられます。

マルコス・アギニス『マラーノの武勲』の注にこうあります。

ユダヤ人に対し、長年にわたってなされてきたキリスト殺しとの非難、および体系的に教えられてきたユダヤ人は裏切り者であるとの言及が、カトリック教会によって正式に撤回されたのは、1962年に開催された第2回バチカン公会議の席上でのことだった。

スピルバーグに言いがかりをつけた生徒はたぶんプロテスタントだと思います。

町山智浩さんによると、スピルバーグ家が住んでいた地域は、1950年代、60年代はユダヤ人がほとんどいなかったそうです。

ユダヤ系がたった1人だと、白人の他の生徒たちがいじめるんですよ。すごいいじめをやったみたいです。民族差別を。で、なんというかですね、お金、小銭をスピルバーグに投げたりするんですよ。「ユダヤ人は金が好きなんだろう?」って言って、投げるんです。(略)
学校ではね、本当に殴られて、彼は大怪我もしています。で、大問題になったりしてるんですよね。

https://miyearnzzlabo.com/archives/94452

映画でも殴られるシーンがあります。
他の生徒たちはその場を見て見ぬふりをして通り過ぎます。



『マラーノの武勲』の解説によると、マルコス・アギニスの両親は東ヨーロッパからアルゼンチンに移住したユダヤ系で、家族のほとんどをナチスに殺害されています。
マルコス・アギニスが生まれたコルドバ州の町では、アギニス家は数少ないユダヤ人家族であり、周囲から差別を受けた。

小学6年の時、欠勤した担任教師の代わりに校長が授業をした。
国家と非愛国者について話題にし、非愛国者とはだれかと問うた。
そして、「それはジプシーとイスラエル人だ。イスラエル人たちは祖国から追放された民でね、キリストを受け入れなかったから非愛国者なんだよ」と言った。
入学時から好印象を抱いていた校長の言葉にショックを受けた。

ペロン政権(1946年~)は中学校でカトリックの宗教教育を義務化した。
ユダヤ人の保護者たちは、信仰の違いを理由に出席しなければ子どもたちが嫌な思いをするのではと危惧し、参加させることにした。
2年目に宗教を担当したのは温和な司祭だった。
だれかがユダヤ人の宗教について質問すると、司祭はためらうことなく「彼らは信仰など重視しない。唯物論者で、金のためだけに生きているからだ」と断言した。

『マラーノの武勲』の主人公は、17世紀に実在したフランシスコ・マルドナド・ダ・シルバというユダヤ人です。

1492年、スペインが統一すると、改宗に応じなかったユダヤ教徒とイスラム教徒はスペインから追放された。
フランシスコの曾祖父はポルトガルに逃げた。
ポルトガルでもキリスト教に改宗したユダヤ人(新キリスト教徒)に対する大規模な殺戮が起こる。
1536年、ポルトガルに異端審問所が設置された。

父のディエゴ・ヌーニェス・ダ・シルバは1548年にリスボンで生まれる。
ポルトガルでも異端審問が行われたので、ディエゴはブラジルに移住した。
ところが、ブラジルはポルトガル以上に異端審問所が非道だったので、スペイン領のペルー副王領に移った。
新キリスト教徒はユダヤ人であることを隠して生きる。

注によると、「マラーノ」とはこういう意味です。

キリスト教に改宗したにもかかわらず前の信仰を秘密に維持していたユダヤ教徒やイスラム教徒を侮蔑的に形容した言葉。乳離れしたばかりの若い豚の意で、不潔さや強欲さを彷彿とさせる。当初は破門者を指すのに使用されたが、13世紀以降、強制的に改宗させられたユダヤ人やユダヤの慣習を保持していると嫌疑をかけられた者たちに向けられるようになり、あらゆるユダヤ人、特に新キリスト教徒を指す侮蔑語になった。


フランシスコは1592年に現在のアルゼンチン、トゥクマンで生まれる。
ユダヤ人であることが知られることを怖れ、コルドバに引っ越す。
しかし、フランシスコが9歳の時、父はユダヤ教信奉の罪で逮捕され、リマに連れて行かれた。
財産は異端審問所の経費にするために没収される。
1年後、兄も逮捕。
姉2人は修道院に入り、母親は死亡した。
フランシスコは修道院で教育を受ける。

1610年、リマに行き、大学で医学を学んで、父と同じ医師になった。
釈放された父と再会する。
父は拷問を受けたため身体が不自由になっている。
父によって自分はユダヤ人だという意識を持つようになった。

父が死亡した翌年の1618年にチリに移る。
ユダヤ人であることを知られないためである。
そして、ユダヤ人だとは教えずに結婚する。

ところが、娘が生まれ、2人目が出産間近であるにもかかわらず、姉にユダヤ教を信仰するよう勧めたために密告された。
1627年、ユダヤ教信奉の罪で逮捕される。
財産は没収され、知人から白い目で見られるということを経験しているのに、なぜ逮捕されるようなことをしたのでしょうか。
妻や子供のことは考えなかったのかと思います。

それでも、謝罪すれば父のように釈放される可能性はあります。
なのに、ユダヤ教の信者であることを認め、異端審問官と何度も神学論争をする。
フランシスコはリマの異端審問所でユダヤ教信奉の罪で死罪判決を受け、1639年に火刑に処される。

異端審問所には取調べや裁判の記録が残っており、マルコス・アギニスはそうした記録などをもとに『マラーノの武勲』を書いたそうです。
解説によると、リマの異端審問所では1569年の開設から1820年の閉鎖までに、1442名の被告を処罰し、32名に死刑を執行しています。



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