三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

平雅行『歴史のなかに見る親鸞』2

2011年07月29日 | 仏教

 親鸞が流罪になった理由
親鸞は公然と妻帯したために流罪となったと言われている。
しかし、平雅行氏は「親鸞が妻帯をしていたから流罪になったということも、まったくあり得ない話です」と、あっさり否定する。
中世の顕密仏教界では妻帯は「公然」と認められていたからである。
「中世の顕密僧が妻帯していたというのは、今では研究者の間では常識に属することです。それだけに、親鸞が「公然」と妻帯したのは「革命的」だ。などといった話を、いまだに公言している歴史研究者がいるのは、とても残念です(松尾剛次『親鸞再考』)」
うーん、厳しい。

松尾剛次氏は親鸞の最初の妻を玉日姫だと主張するが、これも一刀両断。
「玉日伝説を事実とみなす研究が増えていますが、非常に残念なことです。私は賛成できません」
その理由。
「第一に、摂関家の娘と親鸞との婚約などあり得る話ではありません」
「殿上人にすらなれない家柄の者と、摂関家の娘を妻合わせるというのは、当時の身分制の在り方からすれば考えられない話です」
「第二に、親鸞が九条兼実の娘と結婚していたのであれば、建永の法難の際、兼実の働きかけで親鸞は流罪を免れたはずです。幸西と証空は、兼実の要請で慈円が身柄を預かり流罪を免れました」
平雅行氏は第八まで理由を述べているが、私はこの二つで十分納得した。

観音が女犯を認めたとされる「行者宿報偈」によって、親鸞は妻帯したとされるが、これまた平雅行氏は否定。
では、「行者宿報偈」はどういう意味があるか。
「親鸞が「女犯」を「宿報」と表現した時、「女犯」は単なる女犯ではなく、本人の意志を超えた普遍的で絶対的なあらゆる罪業の象徴表現と化しました。その結果、意志薄弱な男に対する女犯の許可という如意輪観音の話は、普遍的人間における罪と救済のドラマへと昇華されました」
自分の力ではどうすることもできないことの象徴が女犯であり、その赦しが「行者宿報偈」だというわけである。
「私たちは生きてゆくために「こんなこと」までやらざるを得ませんが、しかしそういう苦悩を背負った存在であるがゆえに、私たちはまた赦される。そういう思想が「行者宿報偈」には見えています」
「あらゆる人間が背負う普遍的で絶対的な罪業への赦しの世界、これが親鸞を法然のもとへ衝き動かしたのです」

で、親鸞が流罪になった理由だが、平雅行氏は「彼の思想が問題になったのです」と言う。
どういう思想か。
「顕密仏教が処罰すべき人物と考えたのは、「偏執」、つまり諸行往生を否定する僧侶です」

法然はどうして諸行を否定したのか。
平雅行氏は悪人正機説と悪人正因説は異なると言う。
7世紀、中国の迦才『浄土論』に「浄土宗の意(こころ)は、本は凡夫のため、兼ねては聖人のためなり」とあるように、凡夫正機説、悪人正機説は早くからある。
悪人正機説は「民衆の愚民視を随伴した救済論」である。
「顕密仏教は、次のように考えました。「善い人」は聖道門で自力で悟りを開くので、阿弥陀仏は彼らの面倒をみる必要がない。でも、「悪い人」は能力的に劣っているので、阿弥陀仏に救ってもらうしかない。だから阿弥陀は「悪い人」を救済の正機に据えた。これが悪人正機説です」
女人正機説を見ると、悪人正機説の問題が理解できる。
「なぜ女性が弥陀の正機なのかといえば、女性は男より罪が重いからです。そのため女性正機説を説いた文献では、女性の愚かさや罪深さを執拗なまでに説いています」
「ありていに言えば、女性正機説は「女は男よりバカだから、弥陀はバカな女をまず救済する」という教えです。それは確かに救済の教えではありますが、女性をバカにした差別的救済論です。そして悪人正機説もそれと同じ難点を抱えています」
なるほど、納得。

「法然は、浄土門の救済対象を悪人・凡愚に限定するのではなく、人間一般に広げました」
「これまで南無阿弥陀仏、称名念仏は「無智のもの」にあてがわれた一時しのぎの方便と考えられてきたのですが、法然はこの称名念仏こそが唯一の往生行だと主張します。これがただ一つのまことの行であって、これ以外に往生行はない、というのが法然の考えです」
つまり、こういうことだと思う。
顕密仏教―人間の中に善人と悪人がいる→いろんな行があるが、悪人は念仏しかできない
法然―人間はすべて悪人である→念仏以外では救われない

「念仏や浄土教はレベルの低い連中向けの大衆宗教だという考えに対し、念仏や浄土門はすべての人を対象にした教えである、と法然は主張しています」
「悪人・凡愚のための教えを、普遍的人間の教えへと昇華させたのが、法然という思想家の最大の達成です」
この悪人正因説と造悪無碍の問題は関係あるのだが、これはまたあとで。

建永(承元)の法難では四人の僧侶が死罪になっている。
上横手雅敬氏は「四名の死刑は公的手続きを経たものではなく、後鳥羽院の私憤による私刑ではないか」と問題提起をされているそうだ。
「公家社会では保元の乱で久しぶりに死罪が復活しますが、その三年後に平治の乱が起きました。そのため平治の乱が勃発したのは死罪復活が原因ではないか、死罪はむしろ治安維持に逆効果だ、という考えが広まっていて、公家法の世界では実質的に死罪は全面禁止の状態が続いていました。ですから、公的な手続きを踏んで死罪に処すには高いハードルを越えないといけません」
私怨によるリンチだとしてら、親鸞が『教行信証』に書いた「法に背き義に違し、忿を成し怨を結ぶ」という言葉も納得できる。

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平雅行『歴史のなかに見る親鸞』1

2011年07月25日 | 仏教

平雅行『歴史のなかに見る親鸞』ははなはだ面白い。
なるほど、そうなのか、と思ったところをいくつかご紹介。

 親鸞の家柄
親鸞の祖父宗光は従四位上だった。
伯父の宗業は従三位となって公卿の地位に昇り、上級貴族の仲間入りをしている。
「四位と三位との間は天と地ほどの違いがあります」
その宗業にしても、九条兼実は宗業を「凡卑の者なり」と言い、孫の九条道家は「宗業はその身はなはな下品(げほん)のものなり」と評している。
貴族といってもその程度の家なのである。

親鸞の弟尋有は僧都になっているが、尋有が親鸞の七歳下だとすると、僧都になったのは79歳。
「顕密仏教の世界では、僧侶の昇進は実家の家柄によって、ほぼ決まっていました。旧仏教の世界はもう一つの貴族社会と言ってよいほど門閥主義が横行していて、家柄が低ければ立身出世は不可能です」

親鸞が慈円のもとに入室したという『御伝鈔』の記述は「完全な作り話です」と平雅行氏は言う。
建永(承元)の法難の際、慈円は流罪者二人の身柄を預かっている。
親鸞が慈円の弟子ならば、親鸞の身柄も預かっていいはずで、そうしなかったのは特別な関係がなかったから。

それと、
「親鸞の一族は四位、五位クラスの大夫層で、このクラスの僧侶が、王家・摂関家出身の門跡のもとに直接入室したとは思えません」
親鸞が慈円の弟子ではなかった理由はあと二点あるが省略。

御家人の子弟の多くが禅僧になったのは、禅宗では門閥主義が緩やかだったからだという。
「よく禅宗の教えと、武士の気質があったなどといった説明をしていますが、あんなのは嘘です。北条氏・足利氏といった上級武士の子弟は、政治的バックアップが可能ですので、そのほとんどが顕密寺院に進出しています」
だからといって、親鸞は出世できないから比叡山を下りたわけではない。
「親鸞の家柄と叡山出奔とは何の関係もありません。彼が法然のもとに走ったことと、延暦寺での出世が困難であったこととは、まったく関係がありません」
というふうに、今まで私が習ってきたことが次々と明快に否定されていく。

それと、顕密仏教が堕落していたわけでもないそうだ。
12世紀の初め、清水寺の僧侶が著した『東山往来』に次の相談が載っている。
問い「隣家の娘が男の子を産んだのですが、五月生まれは親に祟るといって、その子を捨てようとしています。せっかくの男の子でもありますので残念です。祟りの話は本当でしょうか。教えてください」
答え「慈愛にみちたご質問、うれしく思います。子どもの件は、ぜひ止めてください。中国古典を調べると、孟嘗君・王鎮悪・田夫・王鳳のように、五月生まれで親の誉れとなった人が多数います。私の考えるところ、人の運命は生まれ月で決まるのではありません」
他にも、歯が生えて産まれた子を殺す風習や鶏の夕鳴きは不吉なのかといった質問にも、古今の書物から実例を引いて迷信を否定し、自分の考えを述べているそうだ。

「合理性との関係は密教祈禱についても言えます。たとえば治病祈禱の場合、僧侶はただ加持祈禱をしていたのではありません。患者に漢方薬を与え養生の仕方を教え、本人に懺悔をさせたうえで祈禱を行いました。さまざまな医療技術を駆使しながら、祈禱を行ったのです」
今の坊さんよりましなのではないかと思ってしまった。

「文献をもとに実例で挙証する」挙証主義が顕密仏教の特徴だそうで、
「『教行信証』の徹底した文献収集は、顕密仏教の挙証主義の伝統を踏まえています。法然や親鸞は、顕密仏教の腐敗と堕落のなかから登場したのではありません。顕密教学の達成の最先端から、彼らの思想が誕生しました」ということです。
旧仏教は「旧」仏教ではなかったわけである。

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『無縁社会 〝無縁死〟三万二千人の衝撃』2

2011年07月22日 | 

『無縁社会』に紹介されている無縁死した人たちは、すべて同じ境遇、同じ死に方というわけではない。
独り暮らしであっても、兄弟や知人、近所の人と交流のある人がいれば、人づきあいをしない人もいる。
人づきあいをするかどうかも、その人の性格とか考えであって、第三者がどうこう言うべきことではない。

そもそも、独り暮らしの気楽さと孤独死は裏表である。
『無縁社会』に、35歳独身男性が「あまり人と会わない生活っていうのも、正直言って、居心地のよさっていうのもあって、なかなか動けないという状態ですね」と話している。
ここでも『無縁社会』は「私たちは「無縁社会」の解決は容易ならざる厄介なものだと改めて感じさせられた」と、わけのわからない感想を述べている。

曽我量深の「一人で居ると寂しくて、大勢居ると喧しい」という言葉を持ち出すまでもなく、気楽さと寂しさはセットなのである。
家族がいると煩わしいし、一人だと不安。
これは古今東西、普遍的な悩みである。
つまりは人間は自分勝手な生き物だということです。

誰にも看取られずに死ぬのがイヤだったら、早めに施設に入ればいい。
そうすれば、少なくとも遺体の発見が遅れるということはない。
だけども、60代で施設に入った男性を『無縁社会』で取り上げているが、いい選択だと賞賛しているようには読めない。
NHK取材班は何が問題だと言いたいのか、どうなったら解決だと考えているのかよくわからない。

「孤独死をさせないためにはある程度の「監視」の目が必要で、高齢者の自由度やプライバシーは低くなる。一人で自立して生きてきた人のなかには、一人で亡くなるというリスクを覚悟している人は少なくないのではないかと思う」と小谷みどり『変わるお葬式、消えるお墓』にあるが、『無縁社会』よりよほど説得力がある。

それと単身化(独り暮らし)ということ。
『無縁社会』によると、50歳の時点で一度も結婚したことがない人の割合を生涯未婚率と言い、2005年は男性が16%だが、2030年には約30%になる見込み。

結婚しない人が増えている要因
①コンビニの普及など、一人で生活するのに不自由しなくなった。
②経済的に不安定な非正規労働が広がった。
③ライフスタイルが変化し、結婚しなければいけないという社会的規範が弱くなった。
④女性の経済力が向上し、結婚しなくても生活できる人が増えた。
なかでも②の要因が深刻だという。
結婚すると住宅費や子どもの教育費などの新たな出費が生まれる。
「賃銀も立場も定かではない非正規労働に従事している場合、将来、そうした費用をまかなえないのではないかという不安を抱えることになり、結婚したくてもできなくなってしまう」
結婚したくてもできないということのほうが、無縁死よりも大問題だと思う。

『無縁社会』で、56歳の独身男性がこう言っている。
「人とのつながりがなくなるのは、生きてる孤独死みたいなもんですよね。誰にも関心を持たれない、自分も何の役割も果たしていない。生きてても死んでても一緒でしょ。存在がなくなったのと変わらないじゃないですか。だから、人とのつながりは、自分の存在の確認だと思います」
死に方ではなく、どのように生きるかだと思う。
どのように死ぬかは自分では選べないのだから、『無縁社会』のように脅さないほうがいい。

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「光市母子殺害」テレビ発言 橋下知事が逆転勝訴

2011年07月18日 | 厳罰化

光市事件弁護団へのバッシングは、有川浩『図書館戦争』が「正しくあろうとしているはずなのにそれは市民には理解されず、むしろ非難の対象にさえなる」と書いているようなものだった。
スティーグ・ラーソン『ミレニアム』には、
「かりに大新聞の裁判担当記者が、たとえば殺人事件の公判の報道で、弁護側の情報を入手したり被害者の家族を取材したりして自分なりに何が正当であるかをつかむ努力をまったくせず、検察側の情報だけを真実として示し、何の検討も加えずに記事にした場合、どれほどの抗議が起こることになるか」とある。
スウェーデン国民があの騒ぎを目にしたらどう思っただろうか。

刑事弁護人の仕事はどのようなものか。
橋下徹氏が光市事件弁護団への懲戒請求を呼びかけたことに対する損害賠償事件の、一審の判決文には次のようにある。
被告人には資格を有する弁護人を依頼する権利があり、いかに多くの国民から、あるいは社会全体から指弾されている被告人であっても、その主張を十分に聞き入れた上で弁護活動を行う弁護人が必要であり、弁護人には被告人の基本的人権を擁護する責務がある。被告人の主張や弁解が仮に一見不可解なものであったとしても、被告人がその主張を維持する限り、それを無視したり、あるいは奇怪であるなどと非難したりすることは許されないし、被告人が殺意を争っている場合においては弁護人が被告人の意見に反する弁論を行うことは、弁護士の職責・倫理に反するものであり、厳に慎まなければならない。
被告人の弁明を誠実に受け止めて、これを法的主張として行うことは弁護人の正当な弁護活動であり、仮にこれによって関係者の感情が傷つけられ、精神的苦痛を及ぼしたとしても、ことさらその結果を企図したのでない限り、その正当性が否定されることはない。以上のことは憲法と刑事訴訟法に基づく刑事裁判制度から必然的に導かれるものである。

橋下徹氏は弁護士なんだから、被告人は弁護を受ける権利がある、どんな犯罪者でも必ず弁護しなくてはならない、刑事弁護人の職責はこういうことなんだと説明すべきなのに、「許せないと思うなら、一斉に弁護士会に懲戒請求をかけてもらいたい」などと、受け狙いの発言をした。
弁護団が橋下徹氏に損害賠償を求めた裁判で、最高裁はなぜか賠償請求を棄却した。
 上告審では、呼びかけが不法行為に当たるかどうかが主な争点となった。
 同小法廷は判決で「事件の情報を持っていないのに、弁護団を非難したのは配慮を欠いた軽率な行為で、不適切だ」と批判。しかし、弁護士の懲戒請求が広く認められている点を重視し、「発言内容は、視聴者の判断に基づく行為を促すものだったに過ぎない」などと指摘。「弁護士業務に重大な支障は生じておらず、弁護団の精神的苦痛が受忍限度を超える程度だったとはいえない」と結論付けた。名誉毀損の成立も認めなかった。
(産経新聞7月15日)
それくらいのことは我慢しなさい、ということである。

まあ、予想された判決ではある。
裁判所としては光市事件の被告を何としてでも死刑にしたい。
マスコミも協力してくれたので、世論も「死刑!死刑!」と圧力をかけている。
それなのに、バッシングに一役買った橋下徹氏が名誉毀損ということになると、こりゃまずい。
で、一審では一応筋を通し、最高裁でひっくり返す。
そういうことじゃないかと思う。

それに、たとえば大雨によって河川の堤防が決壊した責任は国にあるとして住民が国を訴えた裁判は、たいてい一審原告勝訴、最高裁原告敗訴となっているように、結局は国の都合のいい判決が出るようになっている。
福島原発の事故で、東京電力や国を訴える裁判が起こされても、結局は最高裁で棄却されると思う。
裁判官も出世したいですからね。

だけども、一審の判決後に橋下徹氏はこのように謝罪している。
「大変申し訳ございません。私の法解釈が誤っていた。裁判の当事者のみなさん、被告人、ご遺族に多大な迷惑をおかけした」
「表現の自由の範囲を逸脱していたという裁判所の判断。判決内容を見ていないが、私の考え方が間違っていたものと重く受け止めている」
いわば被告が犯行を認めて被害者に謝罪したようなものなのに、最高裁は被告の自白を無視して無罪判決を出したわけである。

橋下徹氏の談話。
 判決について「1審や2審で負けたので、あまり偉そうなことは言えない」としながらも、「長い裁判で、知事になってからも自分で書面を書いてきたが、僕は弁護士に向いているのかもしれない。国民の皆さんには、制度を正しく活用していただきたい」と余裕もみせた。
(産経新聞7月15日)
気に入らない弁護士の懲戒請求をテレビで呼びかけてもかまなわいことになったわけだから、刑事事件の弁護人をやる弁護士はますますいなくなる。
弁護士として有能だと自負されている橋下徹氏自身が、死刑を求刑され、マスコミから叩かれるかもしれない事件の国選弁護人を是非引き受けてもらいたい。

一方、原告代理人の島方時夫弁護士は「刑事弁護をする人はバッシングを受けても我慢しなければならないのか」と不満を述べた。
(読売新聞7月15日)
もっともな不満だと思うが、裁判官千葉勝美の補足意見は,次のとおりである。
「弁護団としては,社会的な高い地位を有し,また,社会的な耳目を集め,多くの論評の対象になる著名事件の刑事弁護を担当していることから生ずる避けられない事態等ともいうべきものであり,一種の精神的圧迫感があったであろうことは想像に難くないが,甘受するしかないのではなかろうか」
千葉勝美氏も最高裁判事を退任して弁護士になったら、どんなにボロクソに非難されても「甘受」する立派な刑事弁護人になってほしい。

この裁判のニュースを見ると、どれも淡々と伝えている。
森達也『A3』にこうある。
「刑事司法や治安権力だけが変わったわけではない。多くの人の意識が変わったからこそ、刑事司法や治安権力の基準が変わったのだ。メディアはこの変化に便乗しながらさらに善悪の二元論を煽り、刑事司法や治安権力はこの変化に追随しながら併走する」
橋下徹氏の逆転勝訴を喜ぶ人たちは、自分で自分の首を絞めていることを考えてほしいと思う。

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『無縁社会 〝無縁死〟三万二千人の衝撃』1

2011年07月15日 | 

無縁社会とか孤独死という言葉が生まれているように、独りぼっちで死に、死んだら誰からも思い出してもらえない人が増えているらしい。
人間は一人で死ぬのだから、どういう死に方をしようが孤独死なのだが、誰かに看取られずに死んだり、死後しばらくして遺体が発見されることが孤独死ということになっている。

NHK取材班『無縁社会 〝無縁死〟三万二千人の衝撃』を読む。
「無縁死」とは「ひとり孤独に亡くなり引き取り手もない死」のことである。
「「身元不明の死」や「行き倒れ」、「餓死」や「凍死」。全国の市町村への調査の結果、こうした「無縁死」が年間三万二千人にのぼることが明らかになった」
衝撃の事実というわけである。
もっとも『無縁社会』では、餓死や凍死の無縁死は触れていない。

この手の本を読むと、どこまで実態を伝えているのかと思う。
『無縁社会』にしても、ことさら危機感を煽っているのではないかと感じる。
「若い世代に広がる〝無縁死〟の恐怖」なんて章があるんですからね。
無縁死といっても、独り暮らし(単身化)、誰にも見取られずに死ぬこと(孤独死)、遺体の発見が遅れること、遺体の引き取り手がないことなど、それぞれ関係はあるにしても、『無縁社会』ではごっちゃにしている。

名前さえ分からない身元不明の遺体は年間千人近く。
自治体の担当者たちの「増えている」という声を『無縁社会』は紹介しているが、実際のところはどうなのかと思う。
子どもや近い親戚がいない人は昔だっていたわけだし、身寄りがなくて引き取り手のない死体というのは今も昔も少なくないのではないか。

『無縁社会』に、
「無縁死はますます増えてしまうのではないか。私はそれを不安に感じざるを得ない」とあるけれども、これを書いた人は何が、どのように不安なんだろうか。
私が代わって考えてみました。

宗教的理由
1,苦しみながら死んだり、遺体が腐敗するなど死に際が悪いといいところに行けない
2,追善供養しないと迷う

感情的理由
1,誰にも看取られずに一人で死ぬのは寂しい
2,死んでも誰も悲しんでくれず、忘れられてしまうのは寂しい
3,死後何日も経過して腐乱死体となって発見されるのはイヤ
といったところだと思う。

無縁死だったら、新谷尚紀氏の言う「記念」「供養」「記憶」がなされないことになるので、不安に感じるというわけです。。
もっとも、孤独死したら、死んでからいいところに行けないのでは、という不安を持つ人はどれくらいいるのだろうか。

私としては、『綴り方教室』の豊田正子さんが74歳の時に脳梗塞で倒れて、「風呂場で倒れ2日2晩そのまま,凍死寸前に助けだされました」(『生かされた命』)というようになったらイヤだと思う。

司法解剖医の出羽厚二岩手医科大学教授はインタビュー(「冤罪ふぁいる」№09)でこんな例を話している。
「孤独死は確実に増えているように感じます。たとえば、都会の真ん中で死んでいても、1年くらい発見されずにそのまま、といったケースがかなりありますね」
「最近、礼金敷金はいらない代わりに、1年分の家賃を前払いするというスタイルの賃貸アパートが増えているようなんですが、こういうケースでは、孤独死をしていても長期間発見されないんですね。で、部屋代が滞納になって初めて大家さんが見に行って、死体を発見するというパターンはよくあるようです。逆に、街中の立派なマンションを所有している人の場合も、共益費などが銀行引き落としになっているので、1人暮らしだと1年前に亡くなっていてもなかなかわからない。孤独死をした上、愛犬に身体を食べられてしまったという悲惨なケースもありましたね」

げげげ、と思う。
しかし、近くに子どもが住んでいても、一週間ぐらい連絡を取らないでいる間に死んでしまい、遺体が腐乱することもあるし、家族と同居していても、家族が出かけている間に倒れることだってある。

小谷みどり氏は『変わるお葬式、消えるお墓』にこう書いている。
「助けてほしかったのに誰にも気づかれずに苦しんで亡くなったのなら問題だが、住み慣れた自宅で迎えたやすらかな死が本人にとってそれほど不幸だとは私は思わない」
『無縁社会』にも、テレビを見ながら死んだり、便器に座って死んだ人が出てくる。
「ポックリ死にたい」と誰もが言うのだから、うらやましいという話になってもよさそうなのに、なぜかそういう話にはならない。

人のいるところでポックリ死ぬことはあまりないわけで、ポックリ死は孤独死になるし、時には遺体が発見されるまで時間がかかることもある。
ポックリ死にたいということと、孤独死はイヤだというのは矛盾している。
でも、矛盾とは気づかずに、矛盾する願望を我々は持っている。

たしかに遺体が腐乱していたりすると、こういう死に方をしたくないと思うし、墓参りに誰も来てくれないとしたら寂しい。
だけど、死に方によってその人の人生を判断するのはご無礼である。
突然死んだために看取る人がなく、また遺体の引き取り手がいないからといって、その人の人生が悲惨だったわけではない。
『無縁社会』は無縁死した人を、かわいそうな人、寂しい人生だった人、というイメージを植えつけているように思った。

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成瀬巳喜男『娘・妻・母』

2011年07月12日 | 映画

成瀬巳喜男『娘・妻・母』(1960年作品)を見る。
嫁と姑、小姑とのさりげないギスギス感は、我が家にも共通するものがあります。
高峰秀子の目の表情がうまい。

音楽の使い方が下手だと思う。
たとえば、
母親の面倒を誰が見るのかということを、母親がいるのに、兄弟で話し合うのだが、この時になぜかクラシックが流れる。
音楽なんか必要ない場面なのに。
このころの映画、たとえば小津安二郎『東京暮色』でも、娘が自殺するシーンでも、それまでと同じような音楽を流していて、何を考えているのかと思う。

原節子(34歳の役)の兄が森雅之で、嫁が高峰秀子(5歳ぐらいの子どもがいる)というのは年齢的に変だと思って、実際の年を調べてみました。
三益愛子(母、60歳)1910年生 50歳
森雅之(長男)1911年生 49歳
高峰秀子(妻)1924年生 36歳
原節子(長女、34歳)1920年生 40歳
草笛光子(次女)1933年生 27歳
杉村春子(次女の姑)1906年生 54歳
宝田明(次男)1934年生 26歳
淡路恵子(妻)1933年 27歳
団令子(三女)1935年生 25歳
草笛光子以下は年相応の役柄。
三益愛子と森雅之が実際には一歳違いとはね。

長女が結婚したのは戦時中、ということは十数年も結婚しているのに、夫とケンカして実家に一週間も帰り、友達が来たからというので、和菓子屋にお菓子を持ってこさせる。
こんな嫁じゃ、舅や姑がいい顔をしないのももっともだと思う。
ある意味、ふてぶてしいわけだが、実家に帰ると、寄る辺ない女の哀れさ、そして母親を連れて再婚するというしおらしさを見せるのが不自然。
それにしても、この年になっても結婚話で映画が作れる原節子は偉大である。

住んでいる土地しか財産がなく(「お父さんがああいう人だから」)、これを兄弟でどう分けるか、という話になるように、ものの値段がセリフによく出てくる。
住んでいる土地(160坪)がたぶん4万円。
夫が死んで支払われた生命保険が100万円。
姉の夫の葬式に次男が香典を3千円包んで、長男が「多すぎる」と怒る。
次女の姑は「500円で十分だ」と言う。
三女が家に入れているお金が2500円なので、長女は5000円にする。
次女が夫と見に行く映画の三本立てが50円で、三女が買ってきたショートケーキは一個80円。
笠智衆扮する老人の、近所の子どもの子守り代が70円。

昭和35年の国家公務員上級の初任給が10,800円、初級(高卒程度)が7,400円。(平成19年にⅠ種が181,200円、Ⅲ種が140,100円)
その他、大卒平均初任給が13,030円、ハガキは5円、手紙が10円、週刊誌30円、コーヒー60円、映画200円。
約10倍から15倍といったところか。
となると、香典が500円というのは、嫁の姉婿の葬儀に5000円から7500円を包むということになり、これは普通なのか、それとも少ないか、どうなんでしょう。
それにしても、イチゴのショートケーキが80円とは高い。
あのころのケーキはカステラの上にクリームがのってるだけで、それほどおいしくはないと思う。

長男が長女に「定期でも年に6分だろ」と言って、だから50万円貸せと言うのだが、年6分というと6%である。
10年で元本の倍になるのに、それでも大した金にならないと言えるとはいい時代である。
中北千枝子(1926年生まれだから、1960年に34歳と役柄どおり)が投資信託の勧誘をしてて、日生のおばちゃんはこんなことをしてたのかと笑った。
月に千円だったか、1万円だったかを積み立てて、6年で○○円になると団令子が説明していた。
正確な金額は覚えていないが、結構な金額だった。
高度経済成長は健全なバブル時代だったのだと思う。

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原発依存とアフリカの援助依存と金融危機

2011年07月09日 | 日記

玄海原発の再稼働は白紙に戻ったらしい。
もっとも、玄海町の岸本英雄町長や町議の多くは運転再開を認めていたのだから、停止のままということはないと思う。

 玄海2、3号機を巡って岸本町長はこれまでも、地元経済・雇用への影響を考慮して運転再開に前向きな見解を繰り返してきた。福島第1原発事故から1カ月後の4月中旬に「電源車の配備などの津波対策で外部電源の確保が確認できた」として、原発の安全性確保にいち早く「お墨付き」を与えるなど、全国の原発立地自治体の首長の中でも「再稼働積極派」に挙げられる。
 また、「玄海原発は九州の電力の3割を賄っており役割は重大。早期運転再開で夏場の電力需要に備えるべきだ」とも主張。町議の多数も再稼働を容認している。
(毎日新聞7月4日)

読売新聞は7月6日の社説で「玄海原発 再開へ首相自ら説得にあたれ」と訴えている。
「政府の指示で、九州電力は地震や津波による電源喪失など、過酷事故への安全対策を実施した」
だから大丈夫と言いたいのだろう。

もっとも、安全性が確保されたとか、電力の供給のために原発が必要だというのはタテマエで、「町の雇用や経済の影響も考えざるを得ない」というのがホンネのようである。

 ◇町は原発マネー頼み
 玄海町が原発再稼働を容認せざるを得ない背景には、財政面での原発依存もある。同町の今年度当初予算(57億円)の歳入で、原発関連は6割以上を占める。仮に玄海原発2、3号機が来年2月まで再稼働しないと、佐賀県に入る核燃料税19億6900万円のうち同町分の最大1億5000万円が失われるほか、2年後には一部の交付金も減額される。
 原発の立地自治体には、電源3法交付金や原発の固定資産税、核燃料価格をもとに課税する地方税の「核燃料税」など巨額の財源が与えられる。
 交付金は「電源開発促進税法」に基づいて電気代から徴収され、「特別会計に関する法律」と「発電用施設周辺地域整備法」を通じて、原発、水力などの電源立地地域のインフラ整備や福祉などに活用される。徴収額は標準家庭なら月110円程度に相当し、11年度予算での税収は3460億円(見込み)。うち半分程度が立地地域などに配分される。原発1基を誘致すれば、50年間の交付金収入だけで1359億円にのぼる。資源エネルギー庁によると、出力135万キロワットの原発なら、立地地域は運転開始まで10年間で481億円、その後40年間で878億円の交付金収入が得られる。ほかに固定資産税収入なども入る。
 玄海原発1号機が運転を開始した75年度以来、同町には昨年度までの36年間で、総額約265億円の交付金、補助金が交付されてきた。今年度も当初予算段階で総額約15億円の交付を見込むうえ、原発の固定資産税約20億円を計上している。
 豊富な「原発マネー」の多くは町民会館や産業会館などの公共施設や道路、下水道などの社会基盤整備に充てられた。町の就労者の6分の1が原発関連の仕事に従事するなど、雇用や地域経済の面でも依存度が高い。
 ただ、こうして整備したハコモノなどは、維持費がその後も続く一方、原発の固定資産税収は先細りし、将来的に町財政を圧迫する危険をはらんでいる。
毎日新聞7月5日

たまたまフランク・ヴェスターマン『エルネグロと僕』という本を読んでいて、アフリカの多くの国が援助依存症になっているという指摘があり、原発依存症と同じじゃないかと思った。
ヴェスターマンはオランダ人、開発援助の仕事をしながらジャーナリストをしている。

「南アフリカを除いて、サハラ以南のすべての国が脱植民地以来ひたすら退歩の道をたどってきた。四半世紀の間、懸命の開発援助がおこなわれたにもかかわらずだ」
ギニアビサウの国民総生産は半分以上が援助資金である。
「ギニアビサウにいる友達を訪ねたとき、ギニア人が援助依存症にかかっていて、嫌々ながらも西側諸国からの点滴に頼るほかない民族に成り下がっていることに気づかされた」
ビルや橋を建設するような援助だけがなされてきたわけではない。
「あらゆる試みがあった。大がかりな援助に小規模な援助、計画的な援助、プロジェクトごとの援助もあれば参加型の援助もあり、技術援助に社会的援助もおこなわれた」
「開発プロジェクトが10年ごとにその時々の流行に左右されるのを僕は苦々しく思ってきた。あるときの合い言葉は自給自足、かと思えば今度は持続可能は発展、次は男女同権という具合だ」

きめ細かい援助をしても、結果はどうかというと、
「援助はなにひとつ実らなかった。援助による恩恵より、援助に伴う腐敗、援助によって社会が分離する作用の方が強く働いたのではないかと考えたくなる」
外国の援助は国を分断するらしい。
「互いに縄張りを侵すことのないように、外国人専門家連中は国をいくつかの区域に分割してしまった。その結果、一九世紀にあった列強によるアフリカ分割の再現さながらに、フランス、オランダ、スウェーデンなどの勢力圏が目に見えない網の目のように市町村の境を越えて張りめぐらされている」
そうして、独裁者たち、そして援助国の政治家、企業などがふところをふくらませているわけである。
この構造は日本の原発と同じではないかと思う。

こんな記事があった。
「原発依存は日本の現実、補助金頼りの構造」米紙
 5月31日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、福島第1原発事故で原発の安全性に深刻な懸念が生じた後も、日本で草の根の大規模な反対運動が起きないのは、政府や電気事業者から支出される補助金に依存する地域構造があるからだと分析する長文の記事を掲載した。
 「日本の原発依存」という見出しの記事は、補助金や雇用が日本の原発を「揺るぎない現実」にしていると報道。
 松江市の島根原発を取り上げ「40年以上前に立地の話が持ち上がった時は、地元の漁村が猛反対し、中国電力は計画断念寸前に追い込まれた」と指摘。しかしその約20年後には「漁協に押された地元議会が3号機の新規建設の請願を可決した」とし、背景に公共工事による立派な施設建設や潤沢な補助金があったと伝えた。
 同紙は、補助金への依存により、漁業などの地場産業が衰退していくと報道。
共同6月1日

原発ができることで地元の自治体に金が入り、住民は職を得ることができる。
しかし、補助金は麻薬みたいなもので、補助金で作ったハコモノの維持管理のためには金が必要となり、新たな原発を誘致せざるを得ない。
また、地場産業は衰退するから、就職先としての原発が不可欠になるという悪循環。
もちろん、政治家や企業、原子力村の住民に金が入ることは言うまでもない。

『エルネグロと僕』に、
「開発援助の動機の根本には人種主義があるのではないだろうか。他者に「われわれ」の技術、「われわれ」の生活様式や信仰を教えようという考え方の前提には、「われわれ」の方が知識があり、白人の文明が非白人ものより優っているという見方がある」とある。
欧米とアフリカ、東京など都会と過疎地という関係も似ている。

「援助には必ず毒が入っている、時には自己利益という毒がたっぷりと」
50年代にオランダが熱帯向けの開発援助要員の派遣を決定した理由。
「第一に、インドネシアから追放されたかつての入植者の受け入れ先を確保するため、第二に「ソ連陣営が低開発国を贈り物で取り込むのに先手を」打つため」
1954年の政府報告に一言一句違わずに記されているそうだ。
原発も、都会や原子力村住民の自己利益という毒が生み出したものだと言える。

そして、チャールズ・ファーガソン『インサイド・ジョブ 世界不況の知られざる真実』というドキュメンタリー映画を見て、金融危機と原発問題が起きた原因は同じ構造だと思った。
サブプライムローンやリーマン・ショックなどによる金融危機は、銀行や証券会社、格付け会社、経済学者、官僚たちが自らの金儲けのために好き放題のことをしたことが原因である。
彼らは巨額の報酬を得たが、会社をつぶした責任を誰も取らず、巨額の損失は国と一般市民に負担を負わせている。
おまけに、戦犯御用学者や企業トップがオバマ政権に登用されているのだから、オバマ大統領もブッシュのように金持ちの味方なのだろう。
大学の教授たちは学問一筋、世間のことは疎くてよく知らない、金儲けのことなんて考えたこともない、という顔をしているのだから、人は信用できない。
『インサイド・ジョブ』を見ながら、こいつらバチが当たれ!と思った。

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新谷尚紀『お葬式』4

2011年07月05日 | 仏教

新谷尚紀『お葬式』に書かれてある事例は興味深いものが多いのだが、一地方の習慣を日本全体のこととして説明しているのではないかと疑問に感じるところもある。
たとえば、奈良県のある村に明治18年から昭和37年までの死亡者リストが残されている。
ある墓地では、埋葬された100人のうち2、3人しか墓石が建てられていない。
別の墓地でも、墓石を建てられている死者は30%にも足りない。
では、墓石を建ててもらった人は誰かというと、多くは子どもと戦死者である。
「幼い子どもが死んでかわいそうだというので、両親が建ててあげているのです。あるいは、お嫁に行く前に病気で死んだ娘がかわいそうだと両親が建ててあげています。あとは戦死者です。遺体は帰ってきていないけれども戦死した若者にだけは墓石を建ててあげています」
子どもや戦死者は不成仏霊であり、祟る霊なので、特別にお祀りしないといけないし、墓も別に建てる必要があると考えられていたということはあるにしても、子どもと戦死者以外には個人墓を建てないというのは、全国的な習慣なのだろうか。

新谷尚紀氏は、家の墓を作るようになったのは戦後の高度経済成長期以降の現象であり、
「家ごとの先祖代々の墓という大型の墓石が現在では目立つからといって、それが墓石の基本であり伝統であると考えるのは、墓石の変遷史からみれば大きなまちがいなのです」と言う。
たしかに、現在の墓のデザインは近年のものではあるにしても、大人の墓や先祖代々の墓を昔は作らなかったわけではない。
田舎にある古い墓は個人墓や夫婦の墓が多い。
町中の寺の境内にある墓地では、土地が限られているためか、先祖代々の墓は珍しくない。
両墓制の墓が現在も各地に残っているし、鳥取県や福井県などにはお墓のない村もある。
新谷尚紀氏が紹介する奈良県の村も特殊な事例ではないかという気がする。

へえっと思ったのは、靖国神社のように戦没者を神に祀り上げるという信仰の背景には御霊(ごりょう)信仰があると考えられているが、新谷尚紀氏は「それは正確ではない。その信仰の中核といえば、むしろ平田篤胤の説いた「御国の御民」の思想とそれにもとづく御霊(みたま)信仰である」と言う。
「御国の御民」の思想とは、天皇だけでなく、
「一般の人びともまた神の子孫に他ならないとする考え方」である。
「神道式の葬儀、神葬祭による死者のみたまが祖霊としてさらには神として祀られるという方式が、国学の理念のもとに定式化されてくる」
ということは、戦死者を神として祀らなければいけないという考えは幕末から起きたものであり、日本古来の信仰ではないことになる。

慰霊と追悼の違いを新谷尚紀氏はこのように説明する。
「追悼は通常死と異常死の両者ともに該当する語であるが、慰霊は事故死や戦闘死など異常死の場合は主である。そして追悼の場合は死者はあくまでも追想しながらその死が哀悼される死者であるのに対して、慰霊は事故死と戦闘死とで大きくことなる」
「(事故死の)慰霊の場合、さまよえる死者の霊魂が想定されてその招魂と慰霊のため、浮遊する霊魂の安息所、共に落ち着くことができる場所としての慰霊碑が建立され、犠牲者たちの集団的な霊魂が共に慰められ、かつおのおのの死者の安息を願う行事が行なわれることとなっている。それが慰霊碑の一般的機能であり、霊魂の安息と、悲劇を繰り返さないことへの祈願と誓願とが中心となっている。
しかし、戦闘死の場合には招魂霊魂による積極的意味づけなされ、社祠が設営されるなどして戦死者は霊的存在として祭祀の対象となりうる。つまり、死者が神として祀り上げられる可能性があるという点が特徴的である」
平田篤胤の「御国の御民」思想は現代でも生きているわけだ。

また、『お葬式』にはさまざまな地方の墓や葬儀の事例が多く紹介されているが、有元正雄氏の言う「真宗篤信地帯」はない。
おそらく、真宗が盛んな地方ではケガレを忌むなどの習慣が断ち切られているし、先祖供養をしない、死穢をいとわないのが真宗のタテマエだから、民俗学としてはあまり興味をそそられないのかもしれない。

それと、新谷尚紀氏は、近代の二元論批判としてこういう例をあげている。
「(暴力団を)治安対策として、警察は徹底的に排除しようとします。そうすると、どういうところに矛盾が出てくるかというと、より巧妙に隠れたところで悪事を働き、弱いものが犠牲になります」
「しかし、前近代社会では、これは作り話に過ぎないでしょうが、どっちつかずの乱暴集団もいたわけです。清水の次郎長とか国定忠治、また新門辰五郎ではないですけれども、あるときは弱きを助け、あるときは権力に反抗し、町方では顔役としてトラブルを処理していたという話も伝えられています」
このことも、有元正雄氏によれば、真宗があまり盛んではない関東と周辺地帯では、治安が悪く、無宿者が多いのに対して、真宗篤信地帯では治安は確保され、博奕はあまりなされていないという説と関係がある気がする。
で、またまた「風が吹けば桶屋が」論だが、暴力団がでかい顔をしていることは、真宗の衰退と関係があるとしたら面白いのだが。

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新谷尚紀『お葬式』3

2011年07月02日 | 仏教

初七日や四十九日は二七日や三七日と同じ重さの法要だと思うのだが、なぜか気にする人が多いし、たいていはきちんと勤める。
どういういわれがあるのかと思ってたが、新谷尚紀『お葬式』によれば、初七日は死者がこの世に執着せずにあの世に送ってしまう行事の一つらしい。
また、忌明けには死者の霊魂があの世へと旅立つので、四十九日は物忌みが終わり、衣料や食料が通常の生活に戻る区切り目となる。

忌明けまで着る服が喪服だが、本来、喪服は白なんだそうだ。
なぜ喪服は白いのか、新谷尚紀氏はこのように説明する。
「葬式は死者の死穢に触れる行為であり、死者に引きずり込まれるかもしれない、死穢に感染する危険なことと考えられました」

「白い服装というのは、この人は死んだ人と同じ服装だ、死んだ人の身内だと言うことを表します。そして、世間から隔離されました。なぜかというと、死というものはある力をもって普通の人たちに悪い影響を与えると考えられたからです。それが死の「穢れ」と呼ばれるものです。
つまり、死んだ人は親しい人を呼ぶ、とか、連れていかれる、引っ張られる、などとよく言われました。死者と死穢には、生きている親しい人を死の世界へと引っ張り込む力がある、そんな危険な死者の血縁的な関係者は、親子や親族、身内の範囲で同じ服装をして固まっておいてもらい、一般の人たちには死穢を感染(うつ)さないようにしていたのです」
白い服は「ケガレに用心してくださいね」と知らせるためで、忌中の張り紙と同じ意味なわけだ。

「黒い喪服へとかわってくるのは、早い例は明治から大正のころの東京など、大都市での政治家や資本家など上流階級の葬儀でした。遅い例は戦後の高度経済成長期以降の全国各地の農山漁村の一般の人びとの葬儀の変化です」
だけど、昭和16年に死んだ曾祖母の葬儀の集合写真を見ると、ほとんどの人が黒の着物に羽織りで、白い着物を着ている人はいない。

劉一達『乾帝の幻玉』という小説(袁世凱が死んでしばらくしたころの中華民国が舞台)に、
「宗の旦那は黒子(ある人物のあだ名)が白い喪服を着ているのを見て、きっと顔三(黒子の叔父)が「逝った」のに違いないと考えた」とあるのだが、この会話からは白い喪服とケガレとはあまり関係がないように思う。
山崎豊子『花のれん』に、主人公は夫の葬式に白い着物を着る。
これは再婚しないという意思表示だったと思う。
どちらも小説だから、白い喪服の意味については当てにはならないが。

加地伸行『儒教とは何か』に、喪服の意味についてこのように書かれている。
「礼は形式で示されるから、悲しみの表現を形式に表すという具体化を行なう。原則は最高度の悲しみの表現であるから、非常の衣服を着ないで、悲しみで身辺のことなどには気を配らないことをあらわす喪礼用の姿となる。たとえば、父が亡くなると、遺子は縄のひもをつけた冠をつけ、「しょ(草かんむりに且)」(牝麻)のはちまきをし腰帯をして、目の荒い粗末な衣服で、しかもすそを縫っていないで裁断したままのものを身につけ、菅(ちがや、植物)で作ったぞうりをはく。また、悲しんで身体がやせ、立っていることができないことを表すために、竹の杖をつく。つまり、喪服のルールに従う」
私は喪服というものは、悲しみのあまり着るものまでは気がまわらず、服が汚れて黒くなった、だから喪服は黒いんだ、と何かで読んだ記憶があるが、間違いだったのか。
どちらにしろ、喪服の起こりはケガレとは関係ないらしい。
ネットで「白い喪服」で検索すると、白はケガレを清める意味があるとか、白はあの世への出発という意味、といった説明がされている。
はてさて、真相はいかに。

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