三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

反マスクとエボラ出血熱陰謀論(1)

2022年11月29日 | 陰謀論

ネットを見てたら、反マスクの人が少なくないのに驚きます。
しかし、毎日新聞の世論調査(2022年11月22日)によると、「新型コロナウイルス対策のマスク着用をどう思うか」という質問に、
「これからも着用を続けたい」53%
「そろそろ外す機会を増やしたい」43%
「マスクはしていない」3%
https://mainichi.jp/articles/20221122/ddm/002/010/086000c
マスクをしない人は少数派です。

なぜ反マスクなのか。
・新型コロナウイルスの毒性はインフルエンザと変わらない。欧米ではマスクをする人はほとんどいない。
60歳未満では重症化率、致死率ともに季節性インフルエンザと同じくらいですから、もっともな意見と思えます。
しかし、60歳以上では季節性インフルエンザの3~4倍の重症化率、致死率です。
人と話をする時などはマスクをつけたほうがいいと思います。

・マスクをするのは身体に悪い。
反マスク派の考えはこちらでしょう。
マスクが身体にどのように悪いのか、そこらがはっきり指摘していないように思います。
夏には熱中症になると言ってましたが、冬だと問題はないはずです。
マスクをしても感染を防げないとも言われます。
ネットを調べると、マスクは飛沫感染をある程度防げるそうです。

・マスクは世界征服をたくらむ秘密組織の陰謀。
これは論外ですが、反マスク派の人は「コロナは存在しない」「ワクチンは毒」という反コロナ、反ワクチンでもあるようです。

全国有志医師の会というのがあり、「新型コロナワクチン接種事業の即時中止を強く求めます」とのことです。
医師347人、歯科医師150人、獣医師56人、その他の医療従事者720人 合計1273人とありますから、「医師の会」というより「医療従事者の会」です。
https://vmed.jp/
ワクチンを接種しない人、マスクをしない人が増えそうな気がします。

批判したツイッターです。
https://twitter.com/high_non_sense/status/1596882261898858497
全国有志医師の会には、波動医学、ナノオゾン水、Oリングテストなど疑似科学とされるものを医療に使っている医師がいるそうです。

左巻健男『陰謀論とニセ科学』にこんなことが書かれています。

インチキ治療でお金を巻き上げる医師やクリニック。根拠はないのに健康に良いと信じ込ませて儲ける健康系商品販売業者など、世には陰謀論やニセ科学を信じさせて金儲けをする人たちが大勢います。

たとえば、Oリングテスト、波動測定器、ニセ科学的水商品など。
ニセ医学でだまそうとする商品には、その説明にいくつかのキーワードが見られる。
波動、抗酸化作用、エネルギー、活性化、免疫力、万能など。

トム・クイン『人類対インフルエンザ』の原著は2008年の出版。
新型コロナウィルスの大流行と、それに伴う医療崩壊を予言しています。

現在では、鳥インフルエンザウイルスと豚インフルエンザウイルスが大きな脅威と見なされている。しかし将来パンデミックの中心となるのは、それらのウイルスがヒトインフルエンザウイルスと複雑に混じり合ったものであることは、ほぼ間違いない。大都市には人間がかつてないほど密集しているため、そんなウイルスの格好の標的となりやすい。しかも新型インフルエンザとなると、人間には全く免疫がない可能性もある。
パンデミックを引き起こすウイルスが誕生しやすいのは、鳥や豚などの家畜が密集しているそばに、大勢の人間が住んでいるような地域である。きわめて厄介なことに、世界にはこのような地域がいくつかある。とりわけ懸念されているのが中国南部だ。この地域では、人間が大量の鳥と生活空間を共有している。そのため、鳥インフルエンザウイルスが種の壁を飛び越えて人間に感染する危険がきわめて高い。すべてとは言わないが、非常に致死率の高い新型インフルエンザウイルスの大半が、この地域で生まれているものと思われる。

インフルエンザウイルスと新型コロナウイルスとは別のウイルスですが、パンデミックが中国で起きる可能性があると、以前から指摘されていたそうです。

人類はまだ、この鳥インフルエンザに対する歴史的免疫がない。鳥インフルエンザウイルスが鳥から人間へ伝染するだけでなく、人から人へ伝染するようなウイルスに変異したら、スペイン風邪をはるかに上回る大惨事を招く恐れがある。


医療崩壊の危険性も警告しています。

日本を含むほとんどの先進国では、ここ50年以上、大規模な救急医療サービスを設ける必要がなかった。そのため、こうしたサービスを円滑に機能させるために必要な技術や知識が不足している。今から救急病院のネットワークを整備しておくことが急務だろう。

ところが、日本では病院や保健所の統合がなされていました。

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滅罪とカルマの浄化(5)

2022年11月22日 | 仏教

 4 苦行(つづき)
統一協会に1億円以上の献金をしたり、借金をしてまで献金する人がいることが明らかになっています。
しかし、京都仏教会HPによると、献金の強要は非難されるべきではありません。

物欲を捨て、執着を離れ、あるが儘にすべてを受け入れ、生を神にゆだねて生きるということを知性で理解することはできても、現実にそのように生きることは容易ではない。したがって、宗教によっては献金の指導通してこれを実践的に体得せしめようとする教団もあるのである。そして物欲を離れる体験を得させるためには、しばしば当人が無理だと感じるほどの金額であることが必要になる場合がある。もちろん、それは対象者の信仰の状態を見極め、慎重に指導を進めなければならないわけで、指導に失敗すればトラブルに発展することもありえる。しかし、このような指導は一概に批難されるべきものではなく、実際このような体験を通して信仰に生きる喜びを獲得する者もいるのである。

http://www.kbo.gr.jp/books/kenkai-02.htm

加藤基樹「苦行と滅罪」(『日本の宗教と文化』)にこうあります。

「御布施」とか「香典」というものには苦行とか滅罪という意味があります。(略)「身銭を切る」ということで苦行性というふうにいえます。

「無理だと感じるほど」の献金を強いられて、無理をしてまで工面するのは苦行でしょう。

 5 罪とケガレ
肉体は不浄であり、苦行によって肉体を浄化すべきだと考えられました。
断食、断穀、断塩は肉体を清浄にするためです。
アップル荒井しのぶ「法華経と苦行と滅罪─東アジア仏教のパースペクティブ1」にこうあります。

身体の不浄性は煩悩という内的存在の不浄性と関連付けられている。したがって、このような不浄観念が「(罪を重ねてゆく身体を、良い服や食べ物で)更に覆い養はず」というように、断穀断塩、蔬食という、生体に対する抑圧的行為に結びついていると考えられよう。すなわち、断食行という苦行は、罪をつくる主体である自己の内的存在の不浄性に対峙し、浄化するため、すなわち滅罪のために、その内的存在の「仮舎」であるところの身体を極限まで制限し抑圧すること、また捨身行者にとっては身体それ自体の損壊をすら目的とした宗教行動と考えられる。


また、世間も不浄だと考えられています。

浄穢の観念が罪の有無に基づく形で発達したことで、それはとりわけ空間的認知の点から、仏道修行者が苦行を行う山林/山岳と在俗の人々の属する里、都市である「人間(じんかん)」を、それぞれ浄穢を軸にして観念する思考法として展開した。


山林や山岳は清浄であり、人間の住む世界が不浄=罪というわけです。

深山について「清浄善根の境界」とし、欲愛などの煩悩を持つ者達が住む地を「人間」としており、その浄穢の違いは「罪が滅しているかどうか」によって決定されている。

https://www.totetu.org/assets/media/paper/k024_266.pdf

オウム真理教でも世俗=罪だと説いていました。
広瀬健一『悔悟』です。

当時私は、会話をするなどして非信徒の方と接したり、街中を歩いたりすると、カルマ(悪業)が自身に移ってくるのを感じました。これは、気体のようなものが振動(ヴァイブレーション)を伴いながら身体に入ってくるような感覚でした。また同時に、表現し難い不快な感覚も誘起されました。まるで、自身の生命活動を維持している源が、蝕まれるような。そして、この感覚の後に私は、自分が気味悪い暗い世界にいるヴィジョンや、奇妙な生物になったヴィジョン――カンガルーのような頭部で、鼻の先に目がある――などを見ました。


罪とケガレ、滅罪と鎮魂(ケガレを祓う)は関係があるそうです。
滅罪は奥の深いテーマです。

 6 滅罪の得益
①死後に三悪道に堕ちない
②死後に人・天に生まれる
③死後に仏国土に往生する
④来世の安楽
⑤除災招福

オウム真理教では、カルマの浄化は三悪道に堕ちない手段です。
滅罪も本来は解脱が目的ですが、実際には現世における災いを防ぎ、利益を得ることが求められていました。

アップル荒井しのぶさんはこう指摘しています。

『霊異記』当時の人々の滅罪の捉え方は、煩悩などの執着を断ち切って解脱するとか、罪空思想など仏教教理の上からの理解の仕方ではなく、大祓の儀式によって全ての罪が悉く無くなるように、災いや苦しみとしてあらわれる罪を祓い、贖い、免れることという理解だったと考えられる。

https://www.totetu.org/assets/media/paper/k022_222.pdf

滅罪に期待した庶民の信仰の目的が現世利益です。
加藤基樹さんによると、お百度参りも苦行です。
お百度参り(裸足、お茶断ちなど)という苦行で病気の原因である罪を滅することで、病気平癒が叶うと信じられました。
これは代受苦という考えです。

カルマの浄化を求める気持ちは日本人にとってごく自然な感情なのかもしれません。

河口慧海『チベット旅行記』に、カムの人は泥棒が多く、聖地を巡礼して今まで作った罪を消すと同時に、これからも泥棒をするので、これから作る罪も消してもらうよう祈るといったことが書かれています。
滅罪行は過去の業だけでなく、未来の業をも消すと信じられているわけです。

 7 滅罪批判
『歎異抄』に滅罪の利益を批判しています。

一念に八十億劫の重罪を滅すと信ずべしということ。この条は、十悪五逆の罪人、日ごろ念仏をもうさずして、命終のとき、はじめて善知識のおしえにて、一念もうせば八十億劫のつみを滅し、十念もうせば、十八十億劫の重罪を滅して往生すといえり。これは、十悪五逆の軽重をしらせんがために、一念十念といえるか、滅罪の利益なり。いまだわれらが信ずるところにおよばず。


中村元『仏教語大辞典』の「懺悔」の項にこうあります。

大乗仏教では、自己の罪を認めた者は諸仏の前に懺悔し、帰投し、摂受されて罪の恐れから解放されるという形のものになった。


私たちは罪報を恐れるわけですが、本当の滅罪は罪をなくすのではなく、罪の報いを恐れる必要がなくなったということではないかと思います。

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滅罪とカルマの浄化(4)

2022年11月11日 | 仏教

 4 苦行による滅罪
釈尊は苦行を否定していますが、多くの宗派では苦行を行なっています。
滅罪のための苦行には、
・過去世から現在までの悪業を清算する。
・肉体と精神を浄化する。
・自分の悪業によって来世で受ける苦しみを軽くする・なくす。
・浄土往生する。
・他者の罪を消す(回向)。
・他者の業苦を自分が代わって受ける(代受苦)。
といった意味があるようです。

アップル荒井しのぶ「法華経と苦行と滅罪─東アジア仏教のパースペクティブ1」に、こうあります。

実践の過程で身体上に「苦痛を受ける」ことこそが、自己の滅罪、浄化を、身体感覚の上に確認する行為となりうる。


熊野では断食行・断穀・断塩、火断、捨身行、焼身行、山林修行、水行・滝行といった苦行による滅罪が行われていました。
平安時代から吉野の金峰山や熊野へ多くの人が参っていますが、一般の人にとって巡礼は苦行であり、滅罪行という意味もありました。

多くの苦行僧が仏や菩薩、天、神などを見ています。

我宿罪の故に仏身を見ず。(略)罪滅するを以ての故に、現に諸仏を見る。(『観仏三昧海経』)

清浄化の証しとして見仏という神秘体験をしうると考えられていた。
https://www.totetu.org/assets/media/paper/k024_266.pdf

アップル荒井しのぶさんは『観普賢菩薩行法経』の色を見る神秘体験を紹介します。

釈迦牟尼仏及び分身の諸仏を見たてまつらんと楽わん者、六根清浄を得んと楽わん者は当に是の観を学すべし。此の観の功徳は諸の障碍を除いて上妙の色を見る。


広瀬健一『悔悟』にも、オウム真理教の極厳修行で色を見たとあります。

極厳修行において、麻原とシヴァ神を24時間にわたって礼拝――立位の姿勢から五体を床に投げ出しての礼拝を繰り返す――したときのことです。(略)私は赤・白・青の三色の光をそれぞれ見て、ヨガの第一段階目の解脱・悟りを麻原から認められました。特に青い光はみごとで、自身が宇宙空間に投げ出され、周囲一面に広がる星を見ているようでした。

このように、教えの正しさと苦行の得益を神秘体験によって実感するわけです。

統一協会でも苦行による滅罪が説かれます。
櫻井義秀、中西尋子『統一教会』に罪と罪の清算についてこう書かれています。

罪とは何か。それは原罪、遺伝罪、連帯罪、自犯罪という四つである。「堕落論」によれば、原罪はアダム、エバの堕落によって人類全てが受け継いだ罪、遺伝罪は先祖が犯した罪、連帯罪は国家や民俗などが犯した罪、自犯罪は自分が犯した罪である。このうち原罪は祝福を受けることによって清算される。残りの三つ、遺伝罪、連帯罪、自犯罪は善行の積み重ねによって清算しなければならない。日本人女性信者達の韓国での生活はこの三つの罪の清算のためにある。


罪の清算は統一教会の言葉でいえば「蕩減」です。
蕩減の本来の意味は、借金を全部帳消しにすることです。

祝福(合同結婚式)では、アダムとエバが性の罪を犯したので、自らも罪を償う意味で新郎新婦が蕩減棒でお互いに尻を3回叩きます。
「オヤヂの呟き」という統一協会脱会者のブログに「蕩減棒の思い出」があります。

祝福の行事の一つ蕩減棒の儀式がやって来た。バットよりも一回り細い棒(何の木かは不明)で、新郎新婦がお互いのお尻を力一杯に叩く。最初は男性が女性のお尻を三回、続いて女性が男性のお尻を三回、六千年の蕩減を清算する為に、力一杯。先輩家庭から『総ての罪の清算だから、決して加減をしない様に』と言われていたから、やりましたよ。(彼女の六千年の罪が清算出来ます様にと念じながら)一発目ジャストミート! 奥方様は3メートル位飛んで行きました。顔面蒼白。すると、そこの宿舎のアベル(責任者)が小声で、『もう少し緩くしてあげて…』。

https://plaza.rakuten.co.jp/norihiro5/diary/200806120000/

統一協会では日本人が作った罪を清算しないといけないと説かれます。
合同結婚式で韓国人と結婚した日本人妻は、離婚や脱会は蕩減が重くなって地獄で永遠に苦しむと教えられている。
夫が仕事をせず酒を飲んでは妻を殴ることは日本人が韓国に対して作った罪の報いだから、それに甘んじることが罪の清算になると、肉体的苦痛によって実感する。
これも苦行による滅罪だと思います。

『ミリンダ王の問い』に、如来が暴力や殺人によって利益を与えると説かれています。

大王よ、如来は人々の利益のために〈かれらを〉打ち、人々の利益のために〈かれらを〉落とし、人々の利益のために〈かれらを〉を殺すこともするのです。大王よ、如来は人々を打ったのちにかれらに利益を付与し、落としたのちにも人々に利益を付与し、殺したのちにも人々に利益を付与するのです。


苦しみを与えて導くことを、オウム真理教ではカルマ落としと言います。

麻原は、竹刀で信徒を叩くことがありました。竹刀が折れるほど強く。また、様ざまな〝働きかけ〟をして、信徒を精神的に苦しめることもありました。よく聞いたのは、信徒の苦手とする課業を故意に指示し、信徒が強いストレスにさらされる状況を形成することです。このような方法で対象のカルマを浄化することを、「カルマ落とし」といいました。(広瀬健一『悔悟』)

https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/cd331bfbd4debe96de283f7a614bbd39

日本人妻は、自分が作った罪ではないのに罪の報いを受けると信じ込まされているわけです。
業報思想の問題の一つは、自分が現世で作った罪だけでなく、過去世で作った罪、あるいは先祖が作った罪の報いまでもが説かれていることです。
ですから、過去世や他人の罪も消さなければいけないことになります。
そんなことはほぼ不可能です。

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滅罪とカルマの浄化(3)

2022年11月03日 | 仏教

 3 罪、罪報、滅罪の方法(つづき)
③十悪
積善、すなわち善業を積むことで、マイナス(罪)をなくし、プラス(得益)を得る。
十善戒を守るだけでなく、供養や布施をする、読経や写経をするなども善業。

とはいえ、西村玲「不殺生と放生会」に引用されている『金光明経』によると、殺生の滅罪は困難です。
屠殺は畜生が来世に人として生まれることを阻む罪であるから、殺された畜生は冥府で屠殺者を怨む者となる。
あらゆる罪は懺悔すれば滅するが、殺生の罪だけは懺悔してもなくならない、
なぜならば、怨む者がひたすら訴えるからである。

『梵網経』にある戒、肉食を禁止し放生を勧める次の文言を根拠とする。

なんじ佛子、故さらに肉を食せんか。一切の肉は食することを得ざれ。それ肉を食するものは、大慈悲の仏性の種子を断つ。(梵網経・三食肉戒)

 

なんじ佛子、慈心を以ての故に、放生の業を行ぜよ。まさにこの念を作すべし、一切の男子はこれ我が父、一切の女人はこれ我が母なり。我れ生生にこれに従って生を受けずということ無し。故に六道の衆生は、皆これ我が父母なり。しかも殺し、しかも食せば、即ち我が父母を殺し、亦た我が故身を殺すなり。一切の地水はこれ我が先身、一切の火風はこれ我が本體なり。故に常に放生の業を行ずべし。生生に受生する常住の法なり、人を教えても放生せしめよ。(梵網経・二十不行放救戒)

眼前の動物は、六道を輪廻する衆生であり、かつて代々の父母であり我が身である。
動物や虫魚を殺して食べるのは父母を殺して食べることと同じ。
file:///C:/Users/enkoj/Downloads/eco-philosophy6_047-053.pdf

波逸提法では、虫や植物の殺生も罪になります。
・掘地戒 大地に生命があると世間では信じられているので、自分の手で大地を掘ったり、他の人に指示して大地を掘らせてはならない。
・伐草木戒 植物に生命がやどるので、自分で草木、樹木を伐ったり、他の人に伐らせてはならない。
・用虫水戒 虫が死ぬから、水の中に虫があるのを知りながらその水を用いたり、泥や草の上にその水をそそいではならない。
・奪畜生命戒 殺そうという意志をもって動物を殺してはならない。
・飲虫水戒 水の中に虫があるのを知りながらその水を飲んではならない。
http://www.suijoji.sakura.ne.jp/asia/kairitu.html

④仏法を誹る
アップル荒井しのぶ「日本古代の法華経滅罪信仰の形成と民間への浸透について(1)」によると、『法華経』は、「滅罪の呪力を持つ経典であるが、誹るならば厳罰がある」と、『霊異記』では理解されていました。

『法華経』誦経者等を誹謗する者への護法神による刑罰としての悪報。
・乞食の僧を迫害したために呪縛された男が、その僧の観音品読誦で助かる。
・法華経持経者を誹ったために、口が歪む。
・法華経誦持の人を嘲ったために、口が歪み悪死する。
・法華経書写の経師が淫行の為に、女とともに悪死する。
・猿聖と呼ばれる法華経読誦の尼をあざけり笑った人が、空から降りた神人によって悪死する。
・法華経書写の人を悪口したために、口が歪む。
・子供の作った塔を壊したために、悪死する。
https://www.totetu.org/assets/media/paper/k022_222.pdf

日蓮『佐渡御書』に「法華経の行者を過去に軽易せし故に」とあります。
岡田榮照「日蓮に於ける滅罪」はこのように説明しています

日蓮にとつて受難こそ、体験的滅罪であり、流刑を通じて自己に於ける過去の罪障の苦果と甘受し、自己自身に対する折伏を随件していたと考えることは、従来忽諸に附せられていたかに思われる。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/13/1/13_1_170/_pdf/-char/ja

日蓮は過去世で『法華経』の行者を侮り軽んじた業報によって佐渡に流罪になるなどしたと受け取ったわけです。

⑤生死の罪
生死とは輪廻のことですから、何度も輪廻しないといけない罪が生死の罪です。
『観無量寿経』は称名による滅罪を説きます。

悪業をもってのゆえに地獄に堕すべし。命終わらんと欲る時に、地獄の衆火、一時に倶に至る。(略)
十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ。仏名を称するがゆえに、念念の中において八十億劫の生死の罪を除く。命終の時、金蓮華を見る。猶し日輪のごとくしてその人の前に住す。一念の頃のごとくに、すなわち極楽世界に往生することを得ん。
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