三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

暁烏敏と女性と天皇と 2

2011年04月29日 | 仏教

暁烏敏は女性関係もさることながら、戦争協力も相当のものである。
「天地の果てにひびけと高声に念仏称へて戦勝を祈る」
「奇しきかな我が身のうちに血の湧きて大君の辺に死なむとぞ思ふ」
こんな歌を作って、それゆけドンドンと若者を戦場に送り出した。

折原脩三は『もう一つの親鸞』で、暁烏敏の「戦争に対する態度」と「終戦時の変わり身の素速さ」を論じる。
「「大和魂」などといういかがわしいものと親鸞と合体させたのが、いまわたしの問うている暁烏敏なのである」
そして暁烏敏の文章を紹介している。
「大和魂と私たちがいうてゐながら、その本義を明らかにしてゐませんだので、それを知りたいために目下『古事記』や『日本書紀』の神代の巻の研究に心を向けてをります。(中略)日本に生れながら、今日まで二書を研究しなかつたといふことも、確かに我が成仏の欠陥であつた。日本に生れた私が成仏する道には、先づ第一に日本の祖先である神々の生活に触れ、それによつて、日本民族の精神の中枢に融け込み、それから日本歴史を自分の精神の背景とし内容として、此処に始めて我が成仏道が成就することを考へるやふになつた」
折原脩三は「笑止である。実に次元が低い」と一刀両断。

石和鷹『地獄は一定すみかぞかし』には『正像末和讃講話』(昭和15年11月)から次の文章が引用されている。
「正定聚の菩薩になるにはどうすればよいか。信心一つである。南無阿弥陀仏のおこゝろを信ずる一つである。丁度、三国同盟が成った時の詔勅の「万邦各々そのところを得しめ、兆民その堵に安んぜしむ」、という精神と同じであります。どうして民の心を安んぜしめることが出来るか。国体を明徴にすることである。日本の国体を明らかにすることである。国体を明らかにするということは、言葉を返せば、信心ということであります。国体が信ぜられるということであります。八紘一宇と言われた天壌無窮の国体が明らかになることである。そうすれば、皆がその土に安んずるのであります」
成仏と日本民族の精神、信心と国体がどう関係あるのかと突っ込むことすら恥ずかしくなるお説教ではあります。
あるいは次の話。
「大御心に従うて手を引かれて行く。それが定聚であります。人間は、そこにはっきり落ち着かにゃ助からんのです」
「一億の民の手を引き連れて、天皇陛下の御前に平伏し、腹ふくれて、有難い思いの中に御恩報謝の行をさして貰う。そして或いは満州、或いはインド等、世界中の人達をその土に安んずるように導く。ここに日本の国体明徴は、同時に世界の新秩序を建設せしめることになる」
天皇=阿弥陀如来ということになりますか。

こうした暁烏敏の天皇賛美は折原脩三にとって許し難いと思う。
というのも、折原脩三は「(天皇と日本とを)「知」としては分離していながら、「情念」としては分離させないでいる。それが「天皇がいれば安心だ」という安心の構造なのだ。が、これは安心の構造ではあっても、絶対に健康体とはいえない。非常に「不健康」である」ときついことを書いているのだから。

もっとも、折原脩三は「わたしは戦時中の暁烏には左程抵抗は感じない。「嘘」はなかったと思う」と言う。
たしかに嘘はないだろうけど、明らかにやりすぎである。
「真宗教学懇談会記録」(昭和16年2月)からご紹介。
柏原祐義と暁烏敏とのやりとり。
柏原「天皇の御稜威に乗托することが弥陀仏の本願と如何なる関係にあるのか」
暁烏「天皇の本願と阿弥陀仏の本願と同様であると思ふ。対立せば問題となる」

大須賀秀道と暁烏敏とのやりとり。
大須賀「一元か、どちらが上か、天皇即弥陀か」
暁烏「天皇なり、平面的に天皇即弥陀ではない」
大須賀「然らばどちらが奥の院か」
暁烏「天皇が奥の院である。弥陀がその前にある」

河野法雲と暁烏敏とのやりとり。
河野「天照大神の神国は、暁烏さん完全な御浄土と云はれたが西方の浄土との関係はどうで御座いますか?」
暁烏「西方浄土は大経に説かれてあり、釈迦の理想の天地で凡情では知られぬ世界なり、仏国は唯一真宗の世界でそれを分りやすく西方浄土と云うたのである。私は神典を遅ればせながら見ると日本国は立派な理想で出来たものと思ふ。それが全て仏の本願のあらはれと頂ける。釈迦の理想の国が日本で説かれてゐる」
河野「日本の理想の国と釈迦の理想の国と同じなりや又異りや」
暁烏「同じなり」
河野「天照大神が素戔嗚尊との喧嘩をしたのはそれは穢土か浄土か」
暁烏「浄土建立の修行です」
河野「ハイそうですか、伺つておきます。(唖然たり)」
「唖然」というところが笑わせます。
この座談会を記録した人も唖然としたんでしょう。

もっとも他の人たち(曽我量深、金子大栄などなど)も似たり寄ったりだからどうしようもないけれども。
金子「神ながらの道が超国家的のものを内に持つてゐる。従つて仏の御国が神の御国となることは間違ひない。祖先の国は浄土であり、浄土の聖典は国民の聖典である。浄土の念仏がそのまま神の国への奉仕である。今更ら真宗の日本精神を考へる必要はない。本来の精神を誤解して来てゐるのである。それを私するからである。私は喜んで日本の土になります。(涕泣しばし止まず)念仏往生のほかはありません。拝仏毀釈の行はれたと云ふことは行うた方が罪があるのか、行はれた方に罪があるのかを考へる必要がある。吾々にそれ以来六十年の反省の余地が与へられてゐる。私には極めて簡単な問題がこんなに複雑になつてゐると云ふことが遺憾である。念仏奉公してゐるものが一番邪魔者にされてゐた。(感泣することしばし、暁烏師亦机にうつ伏して泣く)
すごいなと思う。
「涕泣しばし止まず」とか「机にうつ伏して泣く」とか、どういう雰囲気だったのか、立ち会ってみたかったです。

もう一つ。
金子「ここに一個の問題がある。それは戦争に勝たねばならぬと云ふことである。その為にはケツトバサレルかも知れない。勝たんが為に必要ならば王法もあり仏法もある。互ひに信じ合つて、自分自身のことを皆やることが必要である」
曽我「みな解つてゐる、解つてゐる。いふ必要はない」
何が「解つてゐる」のかよくわからないが、鈴木邦男『右翼の掟 公安警察の真実』によれば、右翼はなぜ左翼のように足の引っ張り合いにならないかというと、
「天皇万歳で一つになれる」からだそうで、真宗教学懇談会でもそうだったようで、最後はこのようにして終わっている。
円山「この会を閉づるに当り、皆さんと共に皇国の繁栄を念じ度い。竹中さんの発声で万歳三唱をお願ひします」
竹中参務 一同「万歳。万歳。万歳。(一同拍手)」

まあ、こうした発言も、当時の状況からすると一方的に非難はできないとは思う。
ところが、敗戦の翌年にはこんなことを暁烏敏は言っている。
「過去を反省すればただ懺悔があるばかりである。然し久しく懺悔に止っているのは愚痴だ。懺悔は懺悔として罪悪と共に水に流して勇ましく東天紅に向って発足すべきだ」
(『同帰』昭和21年6月)
暁烏敏の口舌に乗せられて多くの人が戦死しただろうに、「水に流して」なんてよく言えるもんだと思う。
「時代とともに変転する暁烏の思想遍歴」はまさに「アクロバット的変身」である。
折原脩三はこのように批判する。
「わたしの問いたいのは〝懺悔〟ということである。元皇族首相の東久邇のいった「国民総懺悔」などというスリカエではなくて、宗教家としての本当の懺悔である。沈黙する懺悔である。懺悔のない証拠はいくらでもあげられる。たえずしゃべっているのが、その証拠だ」

しかし、折原脩三や石和鷹が暁烏敏にこだわるのは、暁烏敏を憎みきれないものがあるからだと思う。
「たしかに矛盾の多い生涯であった。濃密なまでに人を愛し国を愛した。そして人に愛された人だ。念仏のきこえてくる生涯である」と、折原脩三は暁烏敏論をしめくくる。
蓮如もこんな人だったのかもしれない。
それにしても、弟子の名前に「暁」の字をつけるのはちょっとなと思う。

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暁烏敏と女性と天皇と 1

2011年04月26日 | 仏教

西田幾多郎は大谷派の人たち、稲葉昌丸、佐々木月樵、暁烏敏たちと交際があり、四高から真宗大学へ移る話もあったぐらいである。
上田久『祖父西田幾多郎』によると、西田幾多郎は暁烏敏を嫌っていたそうだ。
「仏教界の改革者であった暁烏に対して、幾多郎は後にはその思想行動に満足しなかった。私は祖父から、暁烏敏について、「あの男は偽せ者だ」という言葉を聞いたことがある。祖父の偽せ者だという言葉は、かなり強い否定的な批判の言葉である。時代とともに変転する暁烏の思想遍歴や、世間の眼を意識した言動に不満を持ったのだろうが、恐らくは悪評高かった暁烏の女性関係が、法を説く人として、「精神主義」を唱えた清沢満之の弟子として、人一倍女性関係に潔癖な祖父には到底許し難かったのであろう」

そこで石和鷹『地獄は一定すみかぞかし 小説暁烏敏』を読みました。
下咽頭癌で声を失った「私」は、暁烏敏『わが歎異鈔』を読んで暁烏敏の魅力に惹かれ、全集を読むようになる。
一方、喉頭を摘出した人の発声を指導する教室で知り合った女性は、暁烏敏を嫌っていて、暁烏敏の女性関係などを詳細に「私」に教える、というお話である。

私も大学のころに『わが歎異鈔』を読んで感動したが、折原脩三『もう一つの親鸞』を読んで暁烏敏が嫌いになった。
なにせ「怪僧・暁烏敏」である。
ところが折原脩三は、明治44年度版の暁烏敏『歎異鈔講話』は「今なお、わたしの「枕頭の書」となっている」と書いている。
暁烏敏には人を引きつける力と反発させるものとがある。
「女性関係」について『地獄は一定すみかぞかし』に詳しく書かれているが、たとえば「中外日報」大正4年1月に、
「彼暁氏は非常な魅力を持つた色魔で、苟も欲した女をば必ず自己のものにすることが出来、事実今迄幾人をも弄んで来た。(略)彼は伝道にことよせて頻りに女を弄んで飽きない」とあるそうだ。
ところが後日、これを書いた真渓涙骨は暁烏敏と友になるわけで、暁烏敏の常人ならざることがわかる。

暁烏敏は性欲が旺盛で、女に弱いことを正直に告白する。
しかし、それは「世間の眼を意識した言動」だから、どこかしらうさん臭い。
「尊大で、厚顔で、毛むくじゃらの魂」
「いつも自分のことばっかり」

妻公認の愛人である原谷とよ子と暁烏敏の手紙を石和鷹は大量に引用している。
たとえば、これ。
「肉体では同時に私が二人の女を抱く事はできないが、心中には何人も抱く事ができます。一夫一婦とか一夫多妻とかどちらでもよいのだ。ただ他の目的があつてではなくて真剣に愛するのに何の恐れがあらう」
それとか、この詩(の一部です)。
だからおまへがどんなにそれても
わしはます/\だきしめる
愛のリズムはそばだつ耳にや
すねるおまへのあいそつかしは
甘い小うたのやうにきこゆる
愛にもえたつわしのむねは
はて白波の海のやうだ
おまへはそこに浮べる小舟

二人のこういった文章が『地獄は一定すみかぞかし』には延々と引用されている。
こんな臆面もない手紙をよくもまあ保存し、おまけに全集に収録して公開したものだと思う。
西田幾多郎でなくてもあきれてしまう。

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山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』と『自立への苦闘』5

2011年04月23日 | あやしい教え・考え

いわゆる〝拉致・監禁〟による強制脱会の問題について、私なりに問題点をまとめてみました。
といっても、夕べ晩酌をしながら浮かんだ思いつきにすぎませんが。

1,強制脱会は有効な手段なのか
マンションの一室などに数ヵ月、時には数年も隔離して説得することによって、どの程度の割合で統一協会の信者が脱会したのだろうか。
そして、脱会した人は現在、統一協会や強制脱会についてどう思っているのだろうか。
そこらを知りたいわけですが、米本和広『我らの不快な隣人』にはマイナス面しか取り上げられていません。
『我らの不快な隣人』に山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』を引用するなら、山崎浩子氏に取材するなりして、山崎浩子氏の主張を紹介すべきだと思うのですが。
『自立への苦闘 統一協会を脱会して』には、脱会した信者が、今も統一協会のマインド・コントロールに苦しんでいることを述べています。
実際のところはどうなんでしょうね。

2,統一協会が反統一協会叩きに利用している
私は強制的に脱会させることには無理があると思います。
しかし、牧師や弁護士が金ほしさに〝拉致・監禁〟を家族にさせている、「拉致監禁強制改宗は犯罪だ!」「人権侵害を許すな!」と統一協会側は訴えて反統一協会側を非難するけれども、じゃあ統一協会はどうなんだ、そんなことを言う資格があるのかとも感じます。
どうしてかというと、米本和広氏はこう言っています。
「宗教で一番問題なのは救いを求める人を裏切ることです。その人たちが求めていることには応えず、サリンを製造させたり、高額な献金をさせるための尖兵にしたり、正体を隠して伝道勧誘させるとか、そういうことをやらせるのは問題です。上からの命令でやらされて、宗教団体の一つの駒として使われるとなったら、宗教の裏切りですよね」
では、具体的にはどういう点が問題なのか、米本和広氏は四点をあげています。

①正体を隠しての勧誘
「原理研究会という名前で大学で勧誘していたんだけど、今は原理研究会という名前も使わずに、正体を隠して勧誘してます。アンケート調査をしたり、悩みがないかと聞いて、ビデオセンターに連れていくといったことをしてるんですね」

②高額な献金を続けさせること
「奥さんがご主人に隠れて統一教会に入ってたわけです。そして、ご主人のお金を献金してたんですよ。献金総額を調べてもらったら、合計1300万円。子どもの保険を解約してるし、もう滅茶苦茶です。ご主人と僕が統一教会に乗り込んでいって「金を返せ」とやったら、一千万円返してくれることになりました」

③子どもへの強要
「自分の生き方に子どもを巻き込む自由は親にはない、と私は考える。そもそも子どもは、全人幸福社会を実現しようとか、文鮮明が選んだ人と結婚し、わが一族の血統転換を図ろうとか、永遠の命を手に入れようとか、そうしたことを希望して生まれてきたわけではないのだ。そんな権利はないはずなのに、カルトの親たちは自分の生き方に子どもを巻き込んでしまったわけである。その結果、子どもの心を深く傷つけてしまった」
(『カルトの子』)

④恐怖心を煽る
「統一教会やエホバの証人では、反対する家族はサタンの手先だということになっているから、言うことを聞かないんですね」

米本和広氏に従うならば、統一協会はこのすべて当てはまるわけで、統一協会は救いを求めている人を裏切っていることになります。
そして、米本和広氏はこうも話しています。
「統一教会で合同結婚式をしようとした山崎浩子さんの『愛が偽りに終わるとき』という本を読むと面白いんですよ。統一教会を熱心にやってる時でも、おかしいなと感じたと四ヵ所ぐらいに書いています。のぼせて熱心にやっている時期が収まると、おかしいなと気づくようになるんです。必ず疑問点が出てくるんです。統一教会の人でも、かなりの信者がおかしいなと思ってるんです」
米本和広氏も統一協会は問題が大ありだと考えているわけです。
というわけで、家族が何とかしてやめさせようとするのは当然だと思います。
ただ問題は、どうしたらやめさせることができるかということですが。

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山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』と『自立への苦闘』4

2011年04月20日 | あやしい教え・考え

『愛が偽りに終わるとき』で山崎浩子氏は、統一協会のマインド・コントロールについて書いている。
「私はマインド・コントロールの恐ろしさを知った。普通に生活し、普通に自分の頭で考えてきたつもりだったのに、いつのまにか、自分自身でさえ情報コントロールをし、心をコントロールするようになっていた。統一教会の考えで、すべてを考えるようになっていた。自分でない自分がおおいかぶさっていたのだ」

芹沢俊介氏は『「オウム現象」の解読』で、山崎浩子氏はすべてをマインド・コントロールのせいにしていて、無責任だと非難する。
「マインドコントロールという言葉を有名にしたのは山崎浩子さんです。彼女はもとは統一教会の広告塔で今は反統一教会の広告塔になった人です。彼女だって統一教会の広告塔として活動したんだから、社会的に引き受けるべき問題は彼女の側にあったはずです。社会的レベルでやったことはそれなりに責任を問われるべきものなのに、マインドコントロールと言ったとたんにその部分は免除されてしまったのです」

しかし、『愛が偽りに終わるとき』を読むかぎり、山崎浩子氏がマインド・コントロールのせいにして責任逃れをしているとは思えない。
山崎浩子氏は〝拉致・監禁〟されたマンションで元信者の牧師の話を聞きながら、統一教会に疑問を持つようになる。
そして、こう書いている。
「もし、統一原理が間違いであるとしたら、私個人の問題ではなくなる。私は世間に対して、統一原理に太鼓判を押してしまったのだから」
「私は自分が信じたものを真理とし、正しく検証することなく、他の人にすすめてきたのだ。私は、私自身の手によって、人の人生をも狂わせてしまったことになる」
「私は、自分自身が手を染めていなくとも、先頭に立って統一教会の旗をふってきたことを本当に悔いた。幸せそうな笑顔をふりまく私たちを見て、多くの人が勇気づけられ、霊感商法をやっていたのかと思うと、怖くなった。私は被害者である前に、知らずに加害者になっていたのだ」
「私がマインド・コントロールを訴えると、自己正当化していると言われても仕方がないが、彼ら統一教会員の末端信者がいい人であって、いいと思って霊感商法をしていることを知ってほしいだけである。マインド・コントロールの手にかかると、人さえも簡単に殺せてしまう。その恐ろしさを知ってほしいと思うのである」

どこまで本音かはともかくとして、『愛が偽りに終わるとき』を執筆した動機は統一協会の恐ろしさを伝えるためだと思う。
『愛が偽りに終わるとき』は1994年の発行だから、芹沢俊介氏は『オウム現象の解読』を出版する前に読むことはできたはずである。
芹沢俊介氏が山崎浩子氏を非難する前に、
「あまりにもみんなに迷惑をかけすぎ、多くの人を傷つけてしまった。私のせいで、どれほど多くの人の人生を狂わせてしまったのだろう。実際に、私が統一教会は素晴らしいと証をしたために、今もまだ、その時の言葉を胸に、一生懸命神のため、メシアのためと歩んでいる人たちがたくさんいるのである。そのことを思うと、心が痛む。だから、この過ちを決して忘れることなく、歩んでいかなければと思う」という山崎浩子氏の文章に目を通してほしかったと思う。

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山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』と『自立への苦闘』3

2011年04月17日 | あやしい教え・考え

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』はタレント本だという先入観があったが、なかなかのもので、カルト問題の入門書としてオススメではないかと思う。
統一協会の勧誘の手口その他が具体的に書かれており、その手口は省略するが、正体を隠して勧誘する団体は怪しいと考えて間違いない。
最初から正体を明らかにして普通に勧誘してたら、入信はもちろんのこと、話を聞く者などいない。
まして、詐欺的募金、献金強要、物売りをしてもらいますと正直に説明したら、誰も相手にしないことを統一協会はよく承知しているから、正体を隠し、嘘をついて勧誘する。

『自立への苦闘 統一協会を脱会して』によると、ビデオ・センターでの受講をした人のうち5%が献身者(家や仕事を捨てて統一協会に生活を捧げる人)になるそうだ。
入信したなら、自分のお金を献金するだけでなく、サラ金から借金し、夫名義の預金を無断で解約などして献金する。
そして、信者は正しいことと信じて、正体を隠しての勧誘、霊感商法、着物や宝石や珍味などの物品販売をするようになる。
こうして、お金を失うだけでなく、人間関係を破壊し、信者自身の心身はぼろぼろになって将来が破壊すると、『自立への苦闘』に書かれてある。

では、統一協会はどういう教えを説いているのか。
山崎浩子氏によると罪の意識を植えつける。
「人類始祖、アダムとエバは、それぞれが人間的に十分な成熟をし、個性を完成させたあと、神が定めた時に結婚して夫婦となり、子女を産み増やし、神の愛に包まれた家庭を築くべきであった。
それなのにエバは、サタンの誘いにのって、サタンと淫行を行った。そして、その後エバとアダムは、時ならぬ時に淫行を犯し、それが罪の根、原罪となった。それによってサタンの血が受け継がれ、その罪は、人類歴史上とぎれることなく綿々と流れてきているというのだ。
だから、この世はサタン世界となり、愛は乱れ、不倫がはやり、性犯罪が頻発するのだと」
キリスト教の素養がもともとない日本人がこういう考えを信じるのは不思議だと思う。
脅しの次はアメである。
「今はまさに終末であり、メシアはもうこの世に来られている」
それが文鮮明である。
自分自身や先祖を救うためには、文鮮明が選んだ人と結婚(祝福)する以外に道はない。

霊感商法について山崎浩子氏はこのように説明する。
「神のもとへと帰るためには、万物復帰が必要なのである。それが救いの第一歩なのであると統一原理では教えられている。だから、印鑑やツボを買うことは、買う側の救いになるのだ。たとえ、この世ではだまされたと言っている人でも、霊界に行けば、「よくぞ、あの時ツボを売ってくださった」と喜ぶに違いないと思っていた。それは霊界に行けばわかることなのだ」
ポアと同じ論理である。

こういう教えや霊感商法など、おかしいんじゃないかと疑問を抱かせないために、自分で考えることはサタンの誘いに乗ることであると教え、信者同士の横のつながりを禁じる。
「この世では、神側とサタン側の熾烈な闘いが行われている。サタンは実に巧妙で、いつもいつも神側から引きずり落とそうとしている。神側の考えで、神側の言動をしていくことが、唯一守られる手段なのである。
しかし、今私自身が思っていることが神側の考えなのかどうかは、私自身ではわからない。自分の行動、やろうとしていること、考えをアベル(上司的役割)に報告、連絡、相談することが必要なのだと教わった」
これを「ホーレンソー」と言う。
講義中に隣同士の男性がヒソヒソ話をしたので、講師が「横的(おうてき)になるんじゃない」と怒ったと山崎浩子氏は書いている。
「「横的になってはいけない」というのは、人間関係で横のつながりを縦のつながりより重視してはいけないということだ。横的に走ると、サタンが入りやすくなるという」
ということで、
「このような生活を長年、実践してきた信者にとって、自分の判断力で統一協会のぜひを考え直してみること自体が恐怖なのです」(『自立への苦闘』)
こうして要約すると、なぜそこまではまってしまうのかわからないので、『愛が偽りに終わるとき』を読んでもらいたいと思います。

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山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』と『自立への苦闘』2

2011年04月14日 | あやしい教え・考え

統一協会を強制脱会させられた後遺症で苦しむ元信者がいるということ。
後遺症の原因は脱会カウンセリングだと米本和広『我らの不快な隣人』は主張するが、全国統一協会被害者家族の会編『自立への苦闘 統一協会を脱会して』は脱会が原因ではなく、統一協会のマインド・コントロールの後遺症だと言う。
『自立への苦闘』にこういうたとえが書いてある。
結婚詐欺師にだまされている女性に、その男の正体を教えたことから、その女性が詐欺師から離れたが、女性は深く傷つき、精神的にもなかなか立ち直れない。
この場合、結婚詐欺師の正体を教えた人が責められることはない。
心の傷を与えたのは結婚詐欺師のほうである。
なるほど、『自立への苦闘』のほうが説得力があるように思う。

「統一協会の問題は「脱会」によって解決するものではなく、強いて言えば、脱会しても「心」が奪われたままの状態で苦しんでいる脱会者がいます」
脱会者は、不眠、焦燥感、不安定、頭痛などの症状が出たり、自責の念を持つ。
なぜ脱会したら後遺症が出てくるかというと、信者にとって脱会することは非常な恐怖だからである。
まず、脱会することは今まで統一協会信者として行なってきたことをすべて否定することになる。
そもそも、入信するにあたってはそれまでの人生を全面否定し、家族や仕事や友人・恋人、趣味などを捨てて、新たな人生をスタートしている。
ところが、脱会すれば信者として活動してきたことを全面的に否定しないといけない。
二重の自己否定であり、今まで何をしてきたのかということになる。
それに、統一協会からすり込まれた教義は簡単には消えない。
たとえば、信者は脱会する罪の重さ(霊界で罰せられる、妊娠すると身体障害者が生まれるなど)を繰り返し教え込まれる。
信者は脱会しても原理的思考から脱することが難しい。
自己卑下、従順(断れない、言い返せないなど)、完璧を求める、能力以上に頑張る、自分で判断できない、感情を押し殺す、自分を責める、誰かに依存する、など。
また、強制脱会の恐怖も教え込まれている。
「信者は、特に独身の若者は、統一協会内で繰り返し「家族による拉致監禁の脱会強要」がなされているという虚偽の事実を教え込まれ、そのことの恐怖をあおられています。信者らは、統一協会に反対する親が、同じく統一協会に敵対する牧師らにそそのかされ、彼らを精神病院に閉じ込めたり、信仰を変えるために注射を打ったり、長期間拘束して、中には強姦されるなどの被害もあると再三教え込まれているのです。そのための冊子やビデオ、講義マニュアルが統一協会内で作成され、使われています」

また『我らの不快な隣人』には、強制説得、強制脱会は信者本人だけでなく、家族の心にも傷を残し、親子、兄弟の関係が壊れることもあると書かれてある。
しかし『自立への苦闘』によると、統一協会では文鮮明夫妻を親とし、実の両親は偽りの父母だと教え込んで親子関係を断とうとするので、脱会しても親に嫌悪感を持ちつづけ、関係の修復が難しいと説明する。

それと統一協会は、自発的脱会者よりも、牧師が関与したディプログラミング(強制棄教・改宗)によって脱会した元信者のほうが精神的・肉体的後遺症に悩むケースが多いと、デビッド・ブロムリーやジェームズ・ルイスの研究(米本和広『教祖逮捕』に紹介されている)を根拠にして主張している。
しかし『自立への苦闘』には、彼らはカルト擁護論者として有名だと書かれてあって、はてさて、どちらを信用するかということになるわけです。

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原発と統一選

2011年04月11日 | 日記

福島原発の事故は選挙にどう影響したのかを調べてみました。

福井県知事選挙
西川一誠 298,307(81.6%)
宇野邦弘  67,459(18.4%)
福島の事故を受け、県内の原発をめぐる諸課題にどう対応するか。
「福島の原発事故で分かったことを踏まえ、迅速に安全対策を実行し、県民に見える形にならないと進まない。本来、国がやるべきだが、福井県として県民が納得できるような新しい基準を提示し、その基準に沿ってうまく進められなければ、課題は前に進まない。基準はこれから考える」
「関西は原発の依存度が高く、過度に依存しないような方向付けも必要。エネルギー研究開発拠点化計画の中で新エネルギーを位置付けている。既存の火力、ガスなどのエネルギーの有効な使い方も考えるべきだ。関西に電力を供給する本県が新機軸を発信して実行する大事な機会。事故を教訓に災害を制圧する防災上の組織づくりも国に要求していく」
福井新聞

島根県知事選挙
溝口善兵衛 269,636(88.9%)
向瀬慎一   33,571(11.1%)
あいさつで「県民の安全、安心を守る県土づくりを進める」と強調。福島第1原発事故を受け、島根原子力発電所(松江市鹿島町)の安全対策が急務との考えを示した。
中国新聞

佐賀県知事選挙
古川康  337,269(85.4%)
平林正勝 57,461(14.6%)
「現に(県内に)存在する玄海原発をより安全なものにしていくこと。最終的にはこれに行き着く」-。10日の佐賀県知事選で3選を決めた無所属で現職の古川康氏は「県民の関心の高い事項は原発だった」と選挙戦を振り返った。
産経新聞

いずれも現職と共産党候補の対決で、現職の信任投票みたいな選挙である。
では、4年前の2007年統一選の得票数はどれくらいだったか。

福井県知事選挙
西川一誠 322,604(84.7%)
宇野邦弘   58,486(15.3%)

島根県知事選挙
溝口善兵衛 306,254(80.6%)
小笠原年康  73,777(19.4%)

佐賀県知事選挙
古川康  332,785(79.2%)
平林正勝  87,158(20.8%)

福井県では現職が若干得票率が減ったが、島根県と佐賀県は逆に増えている。
原発の必要性も信任されたと考えていいのではないか。

ちなみに東京都では石原慎太郎都知事は、
2007年  2,811,486(51.1%)
浅野史郎 1,693,323(30.8%)
2011年     2,615,120(43.4%)
東国原英夫 1,690,669(28.1%)
と、いくらか票を減らしている。
天罰発言の影響ならうれしい
のだが。
原発に対する考えに賛成できなかったらもっとうれしい。
「ほとんど無駄に近い電力消費を抑制しなければ。パチンコやる人も我慢なさい。自動販売機なんてなくても生きていけるじゃない」と語気を強めた。一方で原子力発電は「今度の事故で全部否定したらどうなるか。冷静な判断をしないと国の経済は持たない」と、現状では原発は必要との考えを改めて示した。
毎日新聞

ロイターは「終わり見えない福島原発事故、反原発の動きに勢い」(4月10日)と書いているけれども、投票には影響なかったらしい。
そこらがどうも私には理解できない。
どうして「原発は安全と言ってたのに嘘じゃないか。だまされた」と怒らないのだろうか。

原発を推進し、なんだか他人事のようなことを言ってる知事への批判票がもう少しあってもいいように思う。
ロイターが「原子力の安全性をめぐり、日本国民の世論が一気に反原発に向かうには、依然として長い距離があるように見える。現状では、原発を抱える多くの地方自治体が、政府や事業者からの交付金や負担金に依存している」と書いているようにお金の話だったら悲しい。

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山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』と『自立への苦闘』1

2011年04月08日 | あやしい教え・考え

米本和広『我らの不快な隣人』は、統一教会信者を脱会させるために家族が信者を拉致・監禁して強制脱会させている、という問題を取り上げている。
無理矢理マンションの一室に閉じ込めて脱会させるという強制脱会の後遺症で、脱会して何年もたっているのに、アトピー、抑うつ状態、睡眠障害、情緒不安定などの症状に悩まされている元信者がいるとも書かれている。
そんなことが行われているのかと驚いた。
ところが、某氏から教えてもらった全国統一協会被害者家族の会編『自立への苦闘 統一協会を脱会して』という本にはこのように書かれてある。
「統一協会は、統一協会に反対する牧師を「反牧」と呼び、「反牧は信者の家族に信者を拉致監禁して脱会強要させている」と主張して、この主張をあらゆる方法で宣伝するキャンペーンを展開してきました。
この統一協会の主張は、信者の家族と牧師を引き離して本人を脱会させにくくするためのもので、事実に反するものです。第一に、極端な例外を持ち出してすべてが拉致監禁・脱会強要だと決めつける誤りを繰り返しています。第二に、統一協会が行っている悪質なマインド・コントロールの実態を隠して、カウンセリングによって精神障害が生じているかのような誤りを主張しています。第三に、反牧はお金目的で活動していると嘘を述べ立てています」
「我が子と水入らずの話し合いの場をつくろうとした肉親の努力を「拉致監禁」などと呼ぶことは、日本の裁判所でも否定されたのです」

そうはいっても、『我らの不快な隣人』には山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』から以下の文章が引用されている。
「山崎は一年後に出版した『愛が偽りに終わるとき』で、このときの経緯を明らかにしている。
〈姉たちが〝拉致・監禁〟をするなんて――。到底信じられないような思いだった。けれど、これは間違いなく、統一教会で何度となく聞かされた〝拉致・監禁〟だった〉
〈私は、たまらなくなって、泣きわめいた。
「なんでこんなことする! なんでこんなことしなきゃいけない! 私はどこにも逃げない、東京の私の家でだって話し合いはできる。こんなの話し合いじゃない!」〉
山崎は拉致監禁の言葉を使うかどうか逡巡したようである。曖昧な「保護」は使いたくない。そこでヒゲ括弧付きで〝拉致・監禁〟と表現することにしたのではないかと思う」

統一協会の元信者であり、統一協会を批判している山崎浩子氏自身がこんなことを書いているわけで、やっぱり〝拉致・監禁〟による強制脱会はあるんじゃないかと思い、某氏にそのことを言ったら、某氏は『愛が偽りに終わるとき』を貸してくれた。
読んでみて驚いた。
米本和広氏の引用の仕方がおかしいのだ。

山崎浩子氏は、統一協会に反対する牧師(反牧)が家族をそそのかして〝拉致・監禁〟し、それで金儲けしていると教えられている。
「〝反牧〟といわれ、統一教会に反対する左翼系キリスト教牧師の存在。
この反牧は、神の御言(みことば)を伝える神聖なる仕事をしていながら、その一方で統一教会の信者を〝拉致・監禁〟し、ある事ない事ふきこんで信仰を失わせるのだという」
「道を歩いていたら突然拉致されて、そのままいなくなってしまった人もいるという」
「職業的改宗屋というのもいて、親から五百万円ぐらいふんだくっては、信仰を失わせることを商売にしているというのだ」

『我らの不快な隣人』で引用されている文の前後はこのようになっている。
山崎浩子氏が祝福(合同結婚式)で結婚することになり、相手の両親と山崎浩子氏の姉夫婦が顔合わせすることになった。
姉の家に行ってどうなったか、少々長いが以下のとおり。
「夜になって叔父たちが到着した。一周忌を前に、お墓の話し合いをするのが目的だった。
 しばらくは昔話や世間話に花が咲き、テレビを観ながら談笑していた。
 その時――。
「ヒロコちゃん、叔父ちゃんたちはあなたの結婚に対してやっぱり納得できないんだよ。だから、お互いに納得のいくまで話し合いたいんだけどね。場所を変えて話そうじゃないか」
 叔父のその言葉は、それまでのなごやかな空気をかき消すかのように、突然吐き出された。
 私は、一瞬にして変わってしまった姉たちの表情と、重く緊張した空気で〝そのこと〟を察知した。
(しまった、やられた)
 不意にあふれてきた涙が、私のこわばった頬を、とめどもなく伝う。
(姉たちが〝拉致・監禁〟をするなんて――)
 到底信じられないような想いだった。けれど、これは間違いなく、統一教会で何度となく聞かされた〝拉致・監禁〟だった。
 喉からしぼり出すような声で私は尋ねた。
「ここで話し合いはできないの?」
「いや、時間もかかるだろうから、外に出よう」
 みんなの視線が、私に突き刺さってくる。逃げることはできない。いや、逃げてはいけないと思った。
 私は今まで、この統一教会問題に対して、いつでも堂々と対処してきたつもりだった。自分が信じている統一原理というものに、誇りを持ってきた。
 だから、たとえ〝拉致・監禁〟によって、私に対してどんなことが行われようと、逃げるわけにはいかない。
 私は、教会のある人が、私に対してジョークを交えながら、こう言ったことを思い出した。それは、初盆から無事に帰ってきた日のことだった。
「いやあ、残念でしたね、つかまらなくて。私は、浩子さんが〝拉致・監禁〟されればいいと思っているんです。そうすれば、マスコミに対して、改宗組織や〝拉致・監禁〟の残虐さをアピールできますからね。ホントに残念ですよ。ワッハッハ」
 そんな言葉を聞きながら、「そんな他人事だと思って」と、みんなで笑っていたのだ。
 そのことが今現実となって私の前に現れた。今こそ、〝拉致・監禁〟の実体を知らなければならない――そう心の奥底でつぶやいた」
山崎浩子氏は無理矢理拉致されたわけではないのだ。

「姉がペラペラ一人でしゃべりまくる。
(とんでもない。一生、こんなところにいてたまるか)
 和室が二つとリビング。台所には、十キログラムのお米が三袋。たぶん、もう一袋開いているのがあるはずだから、計四袋。様々な食料品も、きちんと、たくさん備えてある。
 姉の意気込みが半端なものでないことは、それらを見ただけでよくわかる。
 私は、たまらなくなって、泣きわめいた。
「なんでこんなことする! なんでこんなことしなきゃいけない! 私はどこにも逃げない。東京の私の家でだって話し合いはできる。こんなの話し合いじゃない。こんなの話し合いじゃない!」
「ダメよ。家なんかでやったら、すぐ統一教会の人が来ちゃうもの。これしか方法がないの」
 姉は、今度は少し諭すような調子で言った。
「ヒロさん、あのね、私たちは別に強制的にやめさせるために、ここにいるんじゃないの。ただ、別の情報を知ってもらいたいだけなのよ。あんたたちは統一教会の出す本しか読んでないでしょ。だから、両方の情報から判断してくれれば、いいことなのよ。全部知って全部聞いて、それでもあんたがやるっていうなら、そりゃ仕方ないから、私は何も言わない」」
山崎浩子氏が「ヒゲ括弧付きで〝拉致・監禁〟と表現することにした」のは、脱会カウンセリングが拉致でも監禁でもないことを表すためだと思う。

そして山崎浩子氏は、〝反牧〟は金目的ではないと否定する。
「私は、当然ながら、統一教会がいう〝強制改宗グループ〟自体が存在しないことを知った。それは、困り果てた親たちの熱意に打たれ、また統一教会問題の深刻さを知り、一円の得にもならない説得を続ける牧師さんたちなのである」

また、〝監禁〟についてもこのように書いている。
「マインド・コントロールされた私たちにとっては、隔離された世界が必要だった。冷静に考える静かな時間が必要だった。信者をだますための情報ではなく、正しい情報が必要だったのだ」
統一教会を脱会させるためにはマンションなどに隔離し、時間をかけて説得すべきだと山崎浩子氏は言っているわけで、『我らの不快な隣人』の主張とはまったく逆なのである。
『自立への苦闘』にも「家族で話し合っている場所に統一協会員が突如、押しかけてきて話し合いを妨害し、信者をホームに強引に連れ戻す例が少なくありません」とある。

米本和広氏は前後の文脈を無視して『愛が偽りに終わるとき』から一部を引用したのは、山崎浩子氏の意思に反して〝反牧〟の指示を受けた家族が〝拉致・監禁〟したんだ、と読者に誤解させるためとしか思えない。
ほんとがっくりでした。

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浜井浩一『2円で刑務所、5億で執行猶予』6

2011年04月05日 | 厳罰化

では、再犯防止には何が必要か。
藤岡淳子大阪大学教授の話によると、刑務所だけでいくら矯正プログラムをしてもダメで、施設内処遇と社会内処遇との一体化が再犯率低下の鍵である。
出所後6ヵ月以内に再犯する人が多いので、半年間の社会内処遇をきちんとすれば再犯は減る。
そのためには、話せる場があること、回復のモデルが大切である。
先輩が変わるのを見ることで、自分も変わっていくことができる。
しかし、日本では矯正局と保護局とに分かれていて連携が弱い、という話だった。

浜井浩一『2円で刑務所、5億で執行猶予』に犯罪学者ボニタ・ベイジー博士の「犯罪者に限らず、社会から排除された人々の回復のプロセス」を紹介してあるが、藤岡淳子氏と同じ趣旨である。
「犯罪者が立ち直るためには、その人を立ち直らせたいという思いを強く持って人との出会いや関係性が重要であり、その関係性を通して、自分が社会にとって役に立つ人間であるという自己イメージを持つことができたときに、人は立ち直ることができるというものである」
そして、浜井浩一氏はこう言う。
「社会に居場所のない状態で人は更生することはできない。心理療法は、そのきっかけや方向性を与えるに過ぎず、本当に立ち直るためには、地域での定着支援が不可欠であり、その中で支援者との関係性が作られ、安定したアイデンティティーを形成することで、人は立ち直ることができるのである」

私なりにまとめると、人が立ち直るためにはまず「話ができる場、話を聞いてくれる人」が必要である。
そして、次の二点。
1,社会に適応した人の援助
「多くの実証研究で確認されていることのひとつが、人が立ち直るためには、社会に適応した、つまり非行少年や犯罪者ではない友人や家族が必要だということである」
2,更生した「こうなりたい」というモデル
「人は、学習の動物であり、「こうなってはならない」あるいは「こうなりたくない」と思っていても、他に「こうなりたい」というモデルやそこに導いてくれる人が存在しなければ、具体的に体験した「こうなりたくない」という人になるしかない」
「適切なモデルを提示し、それに従った学習を身につけさせなければ、つまり進むべき道を具体的に示さなければ、何の役にも立たないどころか有害である」

で思ったのが、
「“ばっちゃん”引退~広島・基町 名物保護司 最後の日々~」というNHKの放送である。
この番組で紹介される中本忠子さんたちは、社会内処遇がどうのとか、○○プログラムといったことはご存じないかもしれないが、「社会から排除された人々の回復」を実践している。
30年前から中本忠子さんの家に、家庭や学校に居場所のない子どもたちがやって来てご飯を食べていく。
今まで300人もの子どもたちが来ているという。
そして、20数年前から「食べて語ろう会」を協力する人たちと月に二回、近くの公民館で行っている。
子どもたちだけでなく、刑務所から出た人も来るそうで、この人たちも「食べて語ろう会」のお
手伝いをしている。

子どもたちの多くは家庭環境が悪い。
家族がそろって晩ご飯を食べることがない、誕生日を祝ってもらったことがない、覚せい剤を打つ親の姿を赤ん坊の時から見ているetc。
そういう子どもたちは生きていく上での「こうなりたい」というモデルがないか、間違ったモデルしかいない。
中本忠子さんは「うちに出入りする子で事件を起こした子は一人もいない。それが自慢」と話されている。
それは中本忠子さんたち「社会に適応した人」のはたらきのおかげだし、それに加えて、問題を起こしたけれども今は真面目にやっている先輩がいるということも大きいと思う。
AAの先行く仲間(自分より先に自助グループにつながった人)みたいなものである。

世の中には大した人がいるもんだと私はつくづく感心したし、伊達直人もお金を送ってきたそうだが、「食べて語ろう会」にいい感情を持たない人も結構いるようで、悪いことをしたんだから厳しくすべきだと考え、自分の住む地域から遠ざけようとする人のほうが主流なんだろうと思う。
何でもマスコミのせいにしてはいけないが、浜井浩一氏が「マスコミは、刑罰が下される前に袋叩きにして、社会的制裁を加える」と言うように、我々も「あの人は」という目で見てレッテルを張って排除するなら、せっかくできたつながりが切れて立ち直りのきっかけを失うことになる。
「人は社会とつながらずに生きていくことはできない。刑罰後の更生には社会とのつながりを取り戻すことが不可欠であるが、社会的制裁は、社会とのつながりを断ち切ってしまう。当然、これによって刑罰後の再犯が助長される。厳罰化は、刑罰と社会的制裁の微妙なバランスを壊し、更生の道を断つことで再犯を促進している。
人は、生活する場所と、支えてくれる人がいなければ、頑張れないし、更生できない。「犯罪をしたのだから自業自得」と切り捨てるのは簡単だが、そのつけは形を変えて私たち自身に返ってくることを忘れてはならない」
という浜井浩一氏の主張はしごくもっともだと思う。
「食べて語ろう会」の活動をよく言わない人に聞かせたい。

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浜井浩一『2円で刑務所、5億で執行猶予』5

2011年04月02日 | 厳罰化

加害者に罪の意識を持たせることは更生のために必要だと私は思っていた。
ところが、浜井浩一氏は「罪の意識は、科学的に見て再犯を防止できるかということです。これは科学的な結論だけ言うと、罪の意識は再犯を防止できないということです」と否定する。
ビクティム・インパクト・プログラムというプログラムらしいが、徹底的に被害者の心情を理解させるプログラムは、再犯防止どころか、再犯率を上げることがアメリカで実証されているそうだ。
ここは大切だと思うので、長々と引用します。

「あくまでも仮説であるが、犯罪者の多くは、自己イメージが悪く、自尊感情の低い者が多い。だからこそ、なかなか自分の過ちが認められない。被害者の心情を理解させることは、ある意味では彼らがいかに社会的に非難されることをしたのかを理解させることであり、自己イメージを低めさせ、心に大きな重荷を背負わせることになる。被害者が死亡している場合には、被害者の心情を本当に理解できれば、自然と「自分だけ生きていていいのか?」と思うはずである」
殺人や強姦事件で、「加害者のことを許すことができる」と回答した人は約5%、強盗では約23%、窃盗22%、恐喝約13%。
「殺人などの被害者が死亡している犯罪の遺族や性犯罪の被害者については、時間が経過しても被害感情が宥和しないことも確認されている」そうだ。

「犯罪者が更生する上で一つ大事なのは、自尊感情が高まっていくこと、つまり、自分が社会にとって有用な存在であり、社会から受け入れられている存在だということが重要なのです。しかし、このプログラムは、場合によっては、「あなたなんか絶対に幸せになってほしくない、不幸のどん底に落ちてほしい、あなたはそれだけのことをしたんだ」という被害者の激しい思いを伝える場合もあります。これは人間すべてそうだと思いますが、我々だって、いろいろな人生の中で罪の意識を感じることがあります。犯罪に限らず、人を傷つけるようなことを言ってしまった経験とか、そして、そういうことをずっと重荷に思っていることがあります。ましてや、その相手から恨みをぶつけられるととてもつらい思いをします。その重荷をずっと背負い続けると、最後はうつ病になってしまいます。うつ病のひとつの原因は、いろいろな意味での後悔や自責の念です。犯罪被害者遺族の方がなかなか立ち直れないのも、自分たちが家族を助けられなかったという罪の意識です。罪の意識は、よく考えると、非常に自尊感情を低くする作用があるのです」
このあたり、機(罪悪生死の凡夫)と法(衆生を摂受)の関係、あるいは12のステップの1と2に似ているように思う。
機の自覚だけでは自分を責めることで終わってしまう。
認められ受け入れられることで回復していく。

でも、悪いことをしたのにケロッとしているほうがいいのかと反論する人もいるだろう。
「罪の意識というのは、確かに倫理的には犯罪を起こした者が持つべきものです。倫理的には犯罪者が自分の犯した罪を忘れて更生していいというわけではありません。犯罪者は自ら犯した罪の重大性は理解しなくてはいけません。しかし、罪の意識は社会復帰を阻害します。したがって、罪の意識を感じさせつつ心の負担をどうやって取り除いてあげるかが重要です。罪の意識を持ちつつ、心の負担を一緒に支えてあげるということが大事かもしれません。本当は、人は許されると心の負担は非常に軽くなって、自尊感情を高めることができます」
「受刑者が、被害者の方から、あるいは家族殺の場合、たとえば母親を殺した場合には父親から手紙をもらった瞬間からものすごく変わります。それまでとても拒否的で、もう満期でいいと何に対しても投げやりだった受刑者が大きく変わっていくので、そういった意味では罪を謝罪し、許されるという経験は更生にとってものすごく意味のあることなのです」
許しが更生につながるというわけだが、被害者にとっても許しは救いだと思う。

重要なことは「被害者の心情を理解すれば再犯も防止できるという安易な思い込みを捨て、被害者の心情を理解させ、自らの罪と向きあわせつつ、再犯を防止するためには何が必要であるのかを考えることにある」と浜井浩一氏は説く。
では、何が必要なのか、である。

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