三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

映画の中の風景

2017年09月24日 | 映画

マーレン・アデ『ありがとう、トニ・エルドマン』はドイツの映画で、お節介焼きの父親がルーマニアのブカレストで働く娘を訪問するという話。
娘はコンサルタント会社に勤めるキャリアウーマン。
どんな仕事をしているかというと、社員を退職させ、外部委託することで、経費を削減すること。
顧客の社長にルーマニアについて聞かれた娘は、若い人は修士を出て数カ国語が話せるとほめます。
これは愛想半分だろうけど、ヨーロッパ最大のモールがあるというので、父親を連れて行きます。
『ありがとう、トニ・エルドマン』を見ると、ルーマニアはこれからどんどん発展していくように感じます。

 

ところが、クリスティアン・ムンジウ『エリザのために』というルーマニア映画では、警察医の父親が、この国はダメだからと、娘にイギリスの大学に留学させようと苦闘します。

 

娘は白昼、高校のすぐそばで襲われるし、アレクサンダー・ナナウ『トトとふたりの姉』では、スラムに住むロマの姉弟のまわりはヤク中だらけ。

 

こういった映画を見ると、ルーマニアは治安が悪いとしか思えない。
同じルーマニアの映画でも、そこで描かれる風景が違うわけです。

高野秀行さんのブログに片桐はいり『わたしのマトカ』が紹介されていて、どういう本かも知らずに読みました。
http://aisa.ne.jp/mbembe/archives/3873
「マトカ」はフィンランド語で「旅」という意味。
『かもめ食堂』の撮影のためにフィンランド1カ月滞在したときの見聞録です。
フィンランドだけでなく、ニューヨークの地下鉄、カンボジアの朝日などにも触れられていて、ほほーと思います。
北海道のホテルでマッサージを頼むと、しなしなのおばあさんが現れる。

そもそもはじめから大して力が入っているわけでもないから、わたしもついうとうととしてしまう。うつぶせで、背中越しにとぎれとぎれのおしゃべりを聞きながら、すっかり寝入ってしまった。どれくらい眠ったろうか。はっと気がつくと、なんだか背中が生あたたかい。こわごわ見るとわたしの上で、おばあちゃんが寝息をたてていた。親亀子亀のような形である。


フィンランドの遊園地でのこと。
それなりに人出があり、胃袋が裏返るような新種のアトラクションもあった。
しかし、である。

フィンランドの人たちはみごとにみんな無表情なのだ。お面のような顔のままで、たてにななめに振り回されている。おもしろいのかこわいのか、見た目からでは判断できない。特に叫び声をあげるでもなく、降りたとたんにさんざめくでもなく、淡々と安全ベルトをはずし、何ごともなかったみたいな顔をして次の乗り物に向かう。でも実際体験をしてみると、これがかなりの難易度なのである。声も出さず、表情も変えずに楽しむことは、わたしにはできなかった。

アキ・カウリスマキの世界ではないか!
映画に出てくる登場人物は現実の人たちだったのか!
アキ・カウリスマキはリアリズム作家とは知らなんだ。

片桐はいりさんの弟さんがグアテマラに住んでいて、1993年にグアテマラに行ったときのことも書かれています。
テレビの時報で時計の時間を合わせようとしたら、局によって時間が違うと弟さんが言います。
それで『グアテマラの弟』も読みました。
というのが、グアテマラでは1960年から内戦が始まり、1996年に終わりますが、内戦についてどういうふうに書かれてあるのかと思ったからです。

『グアテマラの弟』は2006年にグアテマラを再訪したときの紀行です。
そのためか、1992年にリゴベルタ・メンチュウがノーベル平和賞を受賞していることや内戦のことははまったく触れられていません。
『私の名はリゴベルタ・メンチュウ』とは別の国の話のように感じます。

しかし考えてみると、内戦の間だって、マヤ文明の遺跡に観光客が訪れていたわけです。
『ブラックレイン』の大阪や『ロスト・イン・トランスレーション』の東京が現実の大阪や東京だと思う日本人はいないでしょう。
ルーマニアにしろフィンランドにしろ、そしてグアテマラにしても同じ。
いろんな顔をしていて、そのうちのある一面でしか映像はとらえることができない。
あたりまえのことに、今さらながらなるほどと思った次第です。

(追記)
「ユニセフニュース」vol.255に、グアテマラで働くユニセフ職員の篭島真理子さんが「治安の悪さや貧富の差、男性優位や先住民への差別などが存在することが普通で当たり前」と書いています。

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ナチスとソ連

2017年09月17日 | 映画

映画(特にハリウッド映画))における絶対的な敵役はソ連であり、ナチスでした。
思いついたところでは、『レイダース/失われたアーク』『イングロリアス・バスターズ』『007 ロシアより愛をこめて』などなど。

強制収容所のような実際の話をもとにしたものならともかく、娯楽映画でドイツやソ連が悪役なのは、おそらく文句を言われないからだと思います。

『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』ような実在の国をバカにした映画なら、当然のことながらあちこちからクレームが出ます。

 

ソ連の崩壊後、ソ連は悪役の座を降りましたが、相変わらずナチスは絶対的悪として君臨しています。
最近の映画では、ナチスドイツではないけど、パティ・ジェンキンス『ワンダーウーマン』は第一次世界大戦時のドイツが悪役です。
ドイツが毒ガスを使用したことは事実ですが、当然ながら第一次世界大戦でアメリカやイギリスが絶対的善だというわけではない。
なのに、ドイツ兵がバタバタと殺されて、それでメデタシというのはあまりにも脳天気です。
ドイツ人が見たらどう感じるのか気になります。

史実を描いた作品としては、アンヌ・フォンテーヌ『夜明けの祈り』は、ポーランドに侵攻したソ連軍兵士が、修道院に押し入って修道女たちを強姦し、7人が妊娠したという実話をもとにしたもの。

ショーン・エリス『ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦』は、プラハの虐殺者と言われた親衛隊大将のラインハルト・ハイドリヒ暗殺計画を描いています。



実際にあったこととはいえ、70年以上前のことを今さらほじくり出さなくてもと考えるドイツ人、ロシア人がいるかもしれません。


ただし、この2つの映画は、単純にソ連やナチスを非難しているわけではありません。

『夜明けの祈り』では、院長は修道女たちのことを考えて産まれた赤ん坊を捨てます。
修道女たちは人に肌を見せること、触られることを禁じられており、自分は地獄に落ちるのではと苦しみ、自殺した修道女もいます。
杓子定規な教えへの批判だと感じました。

そして、ハイドリヒを暗殺すれば、ヒトラーはチェコスロバキア人への報復を必ずすることは間違いないので、レジスタンスの中でも暗殺への反対意見がありました。

実際、5千人(ウィキペディアによると1万3千人)が殺され、絶滅させられた村もあるので、レジスタンスの行動を美化しているわけではありません。

これらの映画がどの程度まで史実通りなのか、どこをどのように創作しているのか、そこは問題だと思います。

たとえばホ・ジノ『ラスト・プリンセス 大韓帝国最後の皇女』は高宗の皇女である徳恵翁主が主人公ですが、ネットで調べると、徳恵翁主の描かれ方は史実とはかなり違っています。

 

中国では抗日映画が作られているそうですが、どの程度史実に忠実なのでしょうか。

関東大震災における朝鮮人虐殺はなかったと否定する人がおり、それどころが朝鮮人の暴動は事実だという主張さえあります。

「ナチスのホロコーストはなかった」というような歴史修正主義が日本では大きな力を持っている一例でしょう。
日本で朝鮮人虐殺を主題とする映画を製作することは無理だろうし、韓国で作られたとしても日本での上映はできないと思います。

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アレクサンダー・ナナウ『トトとふたりの姉』

2017年09月05日 | 映画

アレクサンダー・ナナウ『トトとふたりの姉』は本当にドキュメンタリーなのかと思いました。

ルーマニアのブカレストに住むトト。
母親は麻薬取り引きの罪で禁固7年の実刑、服役中。

父親は顔も知らない。
保護者のいない三姉弟が暮らす水道もないアパートは、近所のヤク中のたまり場になっていて、目の前で注射を打っている。

長姉(17歳)13歳で大麻をやり、今はヘロインを使用、エイズの陽性。

次姉(14歳)児童クラブで勉強を教わるが、偶数が何か分からず、自分の生まれた年が何年か計算できない。
トト(10歳)児童クラブでヒップホップを習い、大会で2位になる。

次姉とトトは孤児院に入る。

その孤児院に赤ん坊を抱いた小さな女の子がいて、「何人兄弟?」と聞くと、「今は5人兄弟」と答える。
「今?」と尋ねると、「前は8人兄弟だった。お父さんが子供を売った」と言う。
誰に売ったのか、何のために買ったのか、その子たちは何をしているのか。

母親が仮釈放で刑務所から出でくる。

迎えに行ったトトと次姉に、帰りの汽車の中で母親は、両親も兄弟もみんな刑務所に入っていたとかなんとか、機嫌悪そうにぶつくさ言う。
家族のみんなが未来がない。

撮影されたのは2012年ごろ。
5年間でこの姉弟はどうなったか、今はどうしているのかと思うと気がふさぎました。
ネットで調べると、『トトとふたりの姉』は50以上の映画祭に招待され、監督はトトや次姉と一緒に参加することもあるそうで、ホッとしました。
https://cinemarche.net/documentary/totosisters/

ルーマニアはそんな状況なのか、それに比べて日本はいい国だと思ったのですが、考えてみるとそうは言えない。

貧困によって食べることができない子供たちに食事を提供する子供食堂が全国で増えています。
30年以上、子供たちに食事を作ってきた中本忠子さんの話だと、やって来る子供のほとんどは親が薬物依存だったり刑務所に入っており、子供の目の前で覚醒剤を使用する親もいるそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=By5_GkYh7Us
トトの環境とさほど変わらない生活をしている子供たちが日本にも少なからずいるわけです。

ロバート・チャールズ・ウィルスン『時を架ける橋』はタイムトラベルもののSF小説。

未来から来た男が「この先20年くらい、かなり荒れた時代になるだろう」と言います。
『時を架ける橋』は1989年の作品ですから、2009年までは世界は荒れた状態が続くということで、ええっ、えらい悲観的だと私は思ったわけです。
たしかに、1989年にはベルリンの壁が崩壊、1991年のソ連崩壊と、米ソの対立はなくなったけど、1992年はボスニア・ヘルツェゴビナの内戦、1994年のルワンダでの大虐殺、2001年にアメリカで同時多発テロ、そしてアフガニスタン侵攻、2003年にはイラク戦争によりフセイン政権の崩壊というふうに、世界はたがが外れてしまったようです。
だけども、私のまわりでは同じような日常が続いていて、荒れた時代、荒れた社会であっても、それとは無関係に暮らしている。
そして、トトや姉たちはその世界からはじき出されているわけです。

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岩井俊二『リップヴァンウィンクルの花嫁』

2017年08月05日 | 映画

去年の5月、岩井俊二『リップヴァンウィンクルの花嫁』を見ました。
体調が悪く、熱を測ると39.1度だったけど、この日が最後なので、解熱剤を飲んで映画館へ。
映画を見ながら死んだら『ベニスに死す』のダーク・ボガードみたいだと思いながら席に座りました。

岩井俊二らしい映像には満足しましたけど、主人公の七海があまりにもお馬鹿さんだし、後味が悪い。

小説にはそこらがうまく説明されているかと思い、図書館で予約したら、1年ちょっと経って、ようやく手にすることができました。

真白のアカウントがリップヴァンウィンクルだから、リップヴァンウィンクルの花嫁は七海。


映画の細かいところは覚えていないですが、小説は、男女が一線をどう越えるかという22歳、処女の悩みから物語は始まります。

七海の両親の離婚と再婚による家庭喪失のいきさつが詳しいので、親に相談できない気持ちは理解できます。

七海は自信がなく、意志が弱くて優柔不断、人に甘える性格だけど親しい人間は一人もいないということはわかりますが、やっぱりお馬鹿さん。


ネットで知り合った人と結婚することになった経緯や気持ちを、SNSでつぶやくわけですが、それを婚約者が見つける。
SNSなんて山ほどの人が利用しているわけで、いくらなんでもたまたま見る確率は少ないと思ったら、小説では、マイナーなSNSの「婚活編」でつき合うようになったとあります。
アカウントは変えていても、同じSNSでつぶやいたら見つかる可能性があると思わないのもアホな話です。
しかも、コメントした安室を信じて頼り切るわけで、この無防備さは何なのか。

両親が離婚していることを婚約者に言わない。
結婚式に招待する親族が少ないというので、何でも屋ににせの親族を斡旋してもらう。

その費用が20万円。
夫の浮気調査に30万円。
浮気相手の男からの救出に20万円。

こうしたあれやこれやが夫の母親の知るところとなり、離婚されてしまう。
結婚式での親族がニセモノだということをどうして姑が知ったのか。
何でも屋の安室以外あり得ないのに、七海は疑うことをしません。

家を追い出されて途方に暮れているところに、安室から電話がかかり、七海は、

「ここはどこだろう? ここはどこですか?」
「……どうしたらいいですか?」
「自分のいるところは……でもここはどこなんでしょう」
「あたし、どこに行けばいいの?」
「……帰るところがなくて」
と、声を上げて泣き出す、
この場面は岩井俊二でなければ描けない映像です。



とはいえ、大学の同級生で、一緒に鍋を食べた似鳥に連絡して泊めてもらえばいいのではとは思いました。

七海が結婚してから不幸のつるべ打ち、安室は七海をどこまで堕とすつもりか、風俗に売り飛ばすという話はイヤだなと思ってたら、住み込みのメイドで、月に百万円というウソのような話を持ってくる。


映画では、ホテルのシーンで安室が七海をだましているのがわかりますが、小説では最後らへんで謎解きされます。

ネタバレですが、末期ガンの真白から、一緒に死んでくれる人を探してほしいと頼まれた安室は、1千万円で請け負い、七海に白羽の矢を立てたわけです。
安室は葬儀屋に経緯を説明する。
「いや、この人も元々僕のクライエントで。最初は結婚式の代理出席で知り合いましてね。そっから何度もお仕事頂きまして。亭主の浮気調査から始まって、別れさせ屋仕掛けてそのネタを亭主の母親に売りましてね。孤立無援にしたところで、ここに連れてきたと。だからもともとは平和な普通の主婦だった人です」

ラストはさわやかな終わり方ですが、どうせまた安室にいいように利用されるんだろうなと思うと、イヤな感じでした。

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メル・ギブソン『ハクソー・リッジ』

2017年07月27日 | 映画

メル・ギブソン『ハクソー・リッジ』では、主人公であるデズモンド・ドスは真珠湾攻撃に衝撃を受け、衛生兵になるために軍隊に志願します。
しかし、セブンスデー・アドベンチスト教会の忠実な信徒なので、良心的兵役拒否者として、訓練でも武器を持つことすらしません。
そんなデズモンド・ドスが前田高地をめぐる戦いで大勢の負傷兵士を救出するという感動の実話です。

しかし、『パッション』や『アポカリプト』にこめられたメル・ギブソンの意図を考えると、『ハクソー・リッジ』(2016年)も単純に反戦映画、もしくは人類愛賛歌とは言えないように思います。

ハクソー・リッジでの最後の戦いの前、兵士たちはデズモンド・ドスの祈りが終わるのを待ってから崖を登り、前田高地を占領します。

つまり、ハクソー・リッジの戦いは神のお考えだったということになります。

そして、『ハクソー・リッジ』での日本兵は、殺しても殺しても次から次へと現れるゾンビのように描かれます。

スペイン(=キリスト教徒)が新大陸を征服し、先住民を殺戮したことと重なります。

『ハクソー・リッジ』には沖縄に住む人たちは登場しませんが、岡本喜八『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971年)では大勢の一般人が戦闘に巻き込まれ、アメリカ兵に殺されます。

デズモンド・ドスは戦争についてはどのように考えていたのか、映画では示されていません。
自分は人を傷つけないが、アメリカ軍が日本兵を殺すこと、まして一般人を巻き添えにすることに抵抗はなかったのでしょうか。

前田高地がある浦添市のHPを見ますと、住民の44.6%、4112人が死亡、一家全滅率は22.6%で、前田地区に住んでいた201世帯、934人のうち、戦死者は549人、戦死率は58.8%です。


セブンスデー・アドベンチスト教会も終末論と関係があります。

ウィリアム・ミラーはキリストの再臨を1843年3月21日~1844年3月21日の間と予言したことで、ミラー支持者は異端として教会から追放され、エレン・ホワイトも所属していた教会から追放されます。
その後、エレン・ホワイトたちはセブンスデー・アドベンチスト教会を設立し、安息日は土曜日であって、ローマ・カトリックは間違いだったとします。

誰もが終末を生き残れるわけではなく、神の教えに従った選ばれた人だけです。

当然のことながら、異教徒の日本兵はダメです。

木谷佳楠氏は、日本においてアメリカのキリスト教と映画との関係を知ることの意味はどこにあるかを問題にします。

アメリカ映画の中にキリスト教的価値観が強く反映されているのだから、日本の観客も知らない間にアメリカ独自のキリスト教価値観の影響を受けることになる。
日本の観客が、善悪二元論や終末観、アメリカンヒーローに代表されるメシア観を取り込んでいる可能性は否定できない。

アメリカン・ヒーローはイエス・キリストがモデルとなっているそうです。

常人以上の特別な能力を持つ一方、敵から苦しみを受け、時には人々から理解されずに悩むという人間的弱さを持ち合わせている。
さらには、自己犠牲的な行為によって生死をさまよったり、死んで復活したりする。
なるほど。

だからこそ、映画に代表されるアメリカ文化の主原料であるアメリカの宗教性を知り、吟味する必要があると、木谷佳楠氏は説きます。

納得です。

それにしても、アメリカ軍は崖にかけられた網ハシゴ(?)を登っていくわけですが、この網ハシゴはいったいどのようにしてかけたのか、日本軍はなぜ切り落とさなかったのか、不思議です。

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メル・ギブソン『パッション』『アポカリプト』

2017年07月20日 | 映画

ピーター・ウィアー『誓い』(1981年)でのメル・ギブソンは誠実そうで、役柄にぴったりでした。
ところが、実際はアル中の暴力男だそうです。
だからこそなのか、自分で教会を建てているぐらいの熱心な信者。

もっとも、「教皇聖座空位論(sedevacantism)」といって、第2バチカン公会議で決定されたリベラルな政策を受け入れられず、第2バチカン公会議後の教皇たちを教皇として認めない超保守的なカトリック信徒です。

でも、それなのにメル・ギブソンも父親も離婚しているのですが。
メル・ギブソン監督作品を見るときには、原理主義で、反ユダヤ主義で、妊娠中絶反対で、同性愛反対だということを頭に入れておく必要があります。

監督第3作の『パッション』(2004年)は、イエス・キリストがローマ兵に捕らえられて拷問され、十字架にかけられるまでをリアルに描いており、ローマ法王も聖書に書かれてあるとおりだと言ったそうです。
 

十字架をかついだイエスは、人々にあざけられ、鞭打たれ、石を投げられ、そして十字架にかけられ、全人類の罪の犠牲となって、苦しみながら死んでいく。

それにもかかわらず、イエスは人間を許してくれたことは驚きであり、喜びは深まる。
つまり、イエスの苦痛と人間の罪の重さ、そして私の救いの確かさは正比例することになるわけです。

カトリックでは、イエスが十字架にかけられたのは神のお考えで、ユダヤ人のせいではないと解釈していると、カトリックの知人が言ってました。

しかし、木谷佳楠『アメリカ映画とキリスト教』によると、『パッション』に登場するユダヤ人は、これまでの映画の中で最も悪く描かれ、その一方でローマ総督のピラトや一部のローマ兵は好意的に描かれているために、製作制作段階から「反ユダヤ主義的」な映画との非難を受けたそうです。

グリフィス『イントレランス』は、ユダヤ教のラビが撮影現場にいたものの、イエスの死がユダヤ人によってもたらされたという描写があったため、修正を求められ、30場面あったイエス物語を7場面に縮小した。


メル・ギブソンは意外としたたかなようで、映画を公開する前に、社会的影響力のある宗教家、特に福音派の牧師を味方につける戦略をとりました。

バチカンで事前試写会を開き、アメリカ国内ではメガ・チャーチを借り、福音派の牧師約5000人を集めた試写会を開いている。
こうしたことにより、抗議や非難の声は公開後すぐに沈静化し、大ヒットした。
制作費が3千万ドルはメル・ギブソンが出したそうですが、、全世界の興行収入は約6億1100万ドル。

メル・ギブソンの描く、厳しい拷問に耐え、人々の罪の贖いとして十字架にかけられるイエスは、9.11後のアメリカで求められていた国家統合のための「国民的象徴」だった。

コーネル・ウェストは、『パッション』に代表されるキリスト教保守派の思想を文化に乗せて広めようとすることは、現代風に洗練された帝国主義的風潮であり、「コンスタンティヌス的クリスチャン」、すなわち自らが達成したいと欲する目的のためにキリスト教を利用する者の考え方であると批判していると、木谷佳楠氏は書いています。

メル・ギブソンの次の監督作品はマヤが舞台の『アポカリプト』(2006年)です。
村の人間を捕まえて生け贄にして殺したり、人間狩りをしたりと、これまた残酷な場面が続きます。
 

スペインの船が遠くに見えるシーンで終わりますが、これをどう解釈するか。
スペイン人によって先住民は富を奪われ、殺戮され、マヤ文明は滅亡するわけですから、主人公の救いのなさが暗示されていると思いました。

ところがネットを見ると、スペインは野蛮な新大陸に福音をもたらしてキリスト教化したということがメル・ギブソンの狙いだ、という解釈がありました。

「アポカリプト」の意味をネットで調べると、ギリシャ語で「物事をあらわにする」という動詞で、名詞だと「アポカリプス」で「黙示録」のこと。

『アポカリプト』という題名を見て、アメリカの観客は何をイメージするかというと、世界の終末とイエスの再臨でしょう。
『アメリカ映画とキリスト教』によると、アメリカは人口の約75%がクリスチャンであり、ユダヤ教徒も含めると約77%が、「世界の終わり」をユダヤ・キリスト教的価値観、聖書的終末観で捉えています。
2010年に行われた世論調査によると、アメリカ人の41%は2050年までにイエスが再臨し、終末が訪れると信じている。
プロテスタント 54%
白人福音派 58%
白人主流派 27%
カトリック 32%
終末を待ち望む人が半数近くいるわけです。

マヤ文明に代表される非人間的な世界の終わり、そしてスペイン船によってもたらされるキリスト教文明の夜明け(イエスの再臨)。
描写が残酷であればあるだけ、マヤ文明がいかに野蛮かが印象づけられ、スペインによる征服が正当化されます。
あるサイトは、アフガニスタンのタリバン政権やイラクのフセイン政権を象徴していると指摘していますが、うなずけます。
スペイン船=アメリカ=キリスト教は抑圧からの解放者です。

となると、残酷な描写はマヤ文明の非人間性を強く印象づけ、スペインは侵略ではなく、マヤの人々に救いをもたらす福音だという結論に結びつけることになります。

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木谷佳楠『アメリカ映画とキリスト教』(2)

2017年07月16日 | 映画

木谷佳楠『アメリカ映画とキリスト教』で興味深いのは、60年代以降のキリスト教福音派やキリスト教右派の動きが詳しく説明されていることです。

第二次世界大戦中は連合国に対立する国を、その後は共産主義国を、「神の国アメリカ」の敵、あるいは「反キリスト」として捉えた。
しかし、「ユダヤ・キリスト教国家」としてのアメリカの伝統的価値観に対する異議申し立てとして生まれたカウンター・カルチャーが盛んになる1960年代に入ると、それまでの価値観が覆された。

このころからアメリカのキリスト教の中心は、比較的リベラルな立場の「主流派教会」から、保守的な立場をとる福音派へと移っていく。
その福音派の中から、さらに自分たちの保守的なキリスト教的価値観を政治に反映させようとする「キリスト教右派」が力を持つようになる。

1951年、ビル・ブライトキャンパス・クルセード・フォー・クライスト(CCC)を創設し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で活動を始めた。


カリフォルニア州知事だったレーガンや福音派の人々が、ヒッピーの巣窟と目されていたカリフォルニア大学バークレー校の浄化に乗り出し、ヒッピーたちをクリスチャンに転向させようとした。

1967年、CCCも「いま革命を」というキャンペーンをカリフォルニア大学バークレー校で展開する。
レーガンは自分が政治能力があることを有権者に示す必要があり、ビル・ブライトたちはレーガンに協力することで、自分たちが政治に影響を及ぼせるようになると考えた。

ヒッピーの街と化していたバークレーでは、短髪にスーツ姿では受け入れられず、キャンペーンは苦戦する。
そこで、ビル・ブライトはCCCのスタッフたちにヒッピー・スタイルを身につけるよう命じ、クリスチャン世界解放戦線という名の組織を結成し、CCCの活動の前面に発たせた。
また、社会活動家やヒッピーたちが好んで使っていた「革命」「スピリチュアル」という言葉を多用して、学生に話しかけた。
いわば異教徒の牙城であったバークレーに対する十字軍の戦いそのものだった。
ビル・ブライトはさらにCCCの活動をワシントンや軍隊の中にも広げていく。

1969年に行われたウッドストックに対抗するように、ビル・ブライトはクリスチャンのためのウッドストック・フェスティバルとして、Explo'72 をダラスで行い、75カ国から高校生や大学生8万人が集う一大イベントとなった。

クリスチャンのミュージシャンたちは、いかに過去の自分たちが麻薬に溺れて不幸であったのか、そして、イエスに出会ってことでいかに救われたのかという信仰のメッセージを若者に向かって発した。

Explo'72で演奏された曲はレコード化され、希望者はCCCに問い合わせると無料で入手できた。

この方法によってCCCは若者たちにアプローチすることができ、さらなる活動に勧誘することができた。

CCCが提唱した「ワン・ウェイ(イエスこそが唯一の救い)」というわかりやすいスローガンは、カウンター・カルチャーで何も変わらなかったことに幻滅し、喪失感を抱いた若者たちに受け入れやすいものだった。


CCCは保守的な神学を保持しながら、ホップ・ミュージックを中心としたコンテンポラリーな宣教のスタイルを伴って、カウンター・カルチャー世代の取り込みに成功した。

こうしてCCCの勢力は、YMCAなど従来からあったキリスト教系の青年団体を凌駕するようになった。

1970年代の時点で1万人のフルタイムのスタッフを抱えていたが、2005年には191カ国に活動範囲を広げ、2万6千人のフルタイム・スタッフと、55万人の訓練を受けたボランティアを有し、予算規模は4億ドルとされている。


1980~90年代に政治の表舞台に出てくるキリスト教右派グループは、ビル・ブライトがCCCを通して保守的な考え方を広めた世代を中心としている。


福音派の協力によってレーガンが大統領に選ばれたことを喜んだビル・ブライトは、1980年に開催されたイベントで、20万人もの福音派やキリスト教ファンダメンタリストたちをが集め、レーガンのために一日中祈りをささげた。

このイベントには、それまで反目しあっていた南部パブテスト連盟と福音派教会など保守派が初めて協力して一緒に参加した。

そのころの最大の宗教ロビーはモラル・マジョリティーで、かつての伝統的価値観の回復を求める政治団体である。

主な主張は次の3点
①世俗的人間中心主義への批判
②伝統的な家族を守ること
③アメリカ至上主義

「伝統的な家族を守ること」という立場から、人工妊娠中絶反対、男女同権法案反対、同性愛者の権利を認めることへの反対、家庭の教育に公権力が介入することへの反対を主張した。


1968年にプロダクション・コードが廃止された後のアメリカ映画は、キリスト教右派による「暗黙の検閲」を受けねばならなくなった。


イエスが誘惑に負けて女性と関係を持つ場面があるマーティン・スコセッシ『最後の誘惑』(1988年公開)の製作・上映は福音派の団体から妨害・抗議を受けたが、抗議運動の中心となったのがCCCだった。


ビル・ブライトは映画の配給を予定していたパラマウントにフィルムの破棄を前提に、原作の映画化権を購入したいと申し入れた。

映画化権の購入に失敗すると、上映を中止させるためにCCCのメンバー2万5千人を動員して、映画館の前でボイコット活動を展開し、映画館に入ろうとする人々を実力行使で阻止した。

しかし、主流派教会の牧師たちは、あまりに行き過ぎた抗議活動に異議を唱えた。

キリスト教的性道徳を掲げる福音派などの保守派と、言論の自由を求めるリベラル派との間にあった思想的葛藤がアメリカ社会の中で顕在化することになった。

『最後の誘惑』をめぐる一連の出来事の背後には、伝統的価値観の回復を望むキリスト教右派や新保守派と、そこから自由でありたいと願うリベラルとの対立構造があり、1990年代初頭になると、政治、社会を巻き込んだ「文化戦争」へと発展していく。

「文化戦争」で論争の的になっている主要なトピックは、人工妊娠中絶、同性婚、公立学校での祈禱の再開などである。
多様な価値観が林立することによってアメリカという国家が解体することを恐れる人々は、そこに確固たる道徳規範を求めていったのである。

以上、木谷佳楠氏の論攷を読み、CCCのやり方はまるで日本会議だと思いました。
草の根保守運動です。

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木谷佳楠『アメリカ映画とキリスト教』(1)

2017年07月13日 | 映画

木谷佳楠『アメリカ映画とキリスト教』は、キリスト教という切り口からのアメリカ映画批評かと思ったら、博士論文を加筆訂正したもの。
映画や映画界とキリスト教との関わりをとおしてアメリカを見ていく。
はなはだ興味深い本でした。

アメリカが排除と受容という相対する二項概念の相克によって発展してきた歴史は、アメリカ人の「我々(We)」を定義する線引きをめぐっての争いの歴史であったとも言える。
どの範囲までを「アメリカ的」と見なし、どの範囲から「非アメリカ的」だと定義するのか、その線引きは不明瞭である。

建国初期のアメリカ人にとっての「我々」とは「白人のアングロサクソン系プロテスタント信徒」(WASP)であり、「我々」を統合する宗教的価値観は、プロテスタント教会とほとんど同義だった。


1800年代中ごろ、カトリック系移民が流入してくると、プロテスタント信徒は自分たちこそが「真のアメリカ人」であると主張して、カトリック信徒を排除した。


映画産業は、1890年代から1910年にかけて、エジソンやグリフィスなどWASPを中心として開発が進められ、映画が宣教の道具として役立つと歓迎された。


やがて、当時、職業選択の自由が与えられていなかったユダヤ系移民たちが映画を大衆文化へと広めていったので、アメリカ系アメリカ人と自負する勢力から、映画業界は攻撃されやすかった。


1920年代前半から、キリスト教系団体や女性団体は、ユダヤ系映画製作者たちが作る映画によって道徳律が乱されていると非難するようになる。

恋愛映画を作ると、「ユダヤ系移民がプロテスタント信徒の風紀や道徳律を映画によって乱している」という批判が起こり、聖書に基づいたイエス物語の映画を作ると、「イエス・キリストを死に至らしめたユダヤ人が、キリストの死によって金儲けしている」と叩かれた。

アメリカにおけるイエスを描いた映画は、その製作段階から常に「反ユダヤ主義」「神への冒瀆」という批判にさらされる危険性を内包していた。


ユダヤ系映画製作者たちは「真のアメリカ人」になるためにユダヤ系であることを隠すようになり、ユダヤ系ヨーロッパ人としてのアイデンティティを捨て、同化していく道を選んだ。


1930年代、「アメリカ人」としての地位を獲得しつつあったカトリックの人々から、ハリウッドに対する抗議の声が上がると、ユダヤ系映画製作者たちは自主検閲機関を設立し、1934年、プロダクション・コード(映画製作倫理規定)を設けた(1968年に廃止)。


プロダクション・コードは12項目があるが、①神への冒瀆、②性的不品行、③殺人や窃盗行為の3点を禁じることに集約される。

根底にあるキリスト教的価値観は、結果としてアメリカ映画を観る全世界の人々に影響を与え、単なる笑いや感動を伝えるだけのものではなく、アメリカの価値観を教え、キリスト教的倫理を伝え、「アメリカ的生き方」を示すようになった。
これは2000年来、教会が担ってきた役割だった。

移民の手によって発展したハリウッド映画産業は「非アメリカ人」として攻撃される危険性を持っていた。

その最たるものが冷戦時代の赤狩りである。

1947年からの赤狩りにおいて、厳しく追及を受けたのは主に移民たちであり、アメリカ系アメリカ人は主として糾弾する側にいた。

ハリウッドの移民たちは、アメリカの成員かどうかを判断する踏み絵として赤狩りに加担し、自主的に映画の検閲を行い、共産主義者を閉め出すことを余儀なくされた。

WASPに属するセシル・B・デミル、ジョン・ウェイン、ウォルト・ディズニー、ロナルド・レーガンらは、非米活動調査委員会の調査に積極的に協力したが、ギリシャ移民のエリア・カザンのように「裏切り者」「ユダ」として扱われることはなかった。


1950年代、「神を否定する共産主義」というアメリカ人にとっての共通の「敵」を得たアメリカは、「我々」を統合するものとして、神に対する信仰をアメリカ人の最大公約数として求めた。


その「敵」に一致して対峙するための方途として、国民を「神の名の下にひとつにする」という道を歩み始める。

1956年、「我々が信じる神のもとに」を国の正式なモットーとして採用し、1ドル紙幣や硬貨に印字した。
こうして、「神の国アメリカ」という自己イメージは強固なものとされていった。

冷戦終結以降、アメリカは確固たる「敵」を失っていたが、2001年に起きた同時多発テロを契機に、イスラーム過激派、テロリストという新たな「敵」を得た。

9.11以降、宗教を軸にする対立構造は、「アメリカ対テロ組織」、あるいは「ユダヤ・キリスト教対イスラーム」という単純な対立構造を顕在化させた。
多様である国民がひとつになることが要請され、愛国心や排他的な伝統価値観を標榜する保守勢力が力を増していくことになる。

「アメリカ人」「非アメリカ人」という線引きは、人種や宗教のみならず、保守派かリベラル派かという思想的立場による対立構造の中でも規定されるものへと変化した。


保守派対リベラル派の対立は、建国時のピューリタニズムと民主主義という二つの思想が、多民族国家となった変化にいかに対応するかをめぐって生じた対立構造である。

建国の精神にあるキリスト教的道徳観に基づいた社会へと回帰するのか(保守派)、民主主義に基づく多様性を重視した社会の構築を目指していくのか(リベラル派)。

アメリカのリベラル化は、キリスト教右派と新保守主義の共闘を生み、そこから自由でありたいと願うリベラル派と主流派教会との間における対立構造を顕在化させた。


アメリカ対非アメリカの関係を「キリスト教対反キリスト」「善と悪」という単純化された二元論的構図に当てはめ、自国民のみならず世界市民に対しても、どちらに立つかの選択を迫る。


『アメリカ映画とキリスト教』を読んで思ったのは、アメリカの歴史は「敵」を見つけ出すことによって、多民族国家であるアメリカを一つにまとめようとする歴史といえるのではということです。

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2016年キネマ旬報ベスト・テン

2017年02月16日 | 映画

毎年のお楽しみ、「キネマ旬報ベスト・テン発表特別号」です。
まずは日本映画から。

日本映画の選考委員は4名で、全部で131本選ばれています。

60位からは点数が10点以下で、題名すら知らなかった映画がほとんど。
3人が選んでいる映画もありますが、ほとんどが1人だけ選んだ作品です。
1点だけの作品は順位が122位。
では、20位までの作品です。

1位『この世界の片隅に』

40人が選んでいて、そのうち15人が1位にしています。
2位『シン・ゴジラ』
38人、6人が1位です。
3位『淵に立つ』
4位『ディストラクション・ベイビーズ』
5位『永い言い訳』
6位『リップヴァンウィンクルの花嫁』
7位『湯を沸かすほどの熱い愛』
8位『クリーピー 偽りの隣人』
9位『オーバー・フェンス』
10位『怒り』105点

11位『海よりもまだ深く』87点

11位『64-ロクヨン-前編/後編』
13位『君の名は』
13位『団地』
15位『だれかの木琴』
16位『聖の青春』
17位『俳優 亀岡拓次』
18位『葛城事件』
18位『ヒメアノール』(もっと上位かと思ってた)
20位『溺れるナイフ』54点

その他の作品です。

27位『映画「聲の形」』
38位『家族はつらいよ』
1位が2人で20点。

『殿、利息でござる!』が43位(16点)と81位(7点)にあります。

こういうミスは初めて見ました。
合計すれば23点、33位です。

外国映画です。
選考委員は72名で、全部で189本。
82位から10点以下で、1点だけの作品は179位。

1位『ハドソン川の奇跡』

イーストウッド監督の指定席に戻りました。
37人が選び、16人が1位にしてます。
2位『キャロル』
23人が選び、3人が1位。
3位『ブリッジ・オブ・スパイ』
4位『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』
5位『山河ノスタルジア』
ジャジャンク-はキネ旬に愛されている監督の1人。
6位『サウルの息子』
7位『スポットライト 世紀のスクープ』
8位『イレブン・ミニッツ』
こちらもキネ旬に愛されている監督。
9位『ブルックリン』
10位『ルーム』80点

11位『ボーダーライン』72点

12位『チリの闘い』
13位『グリード チャンプを継ぐ男』
前年の公開なので順位的には損をしていると思います。
14位『リリーのすべて』
15位『ダゲレオタイプの女』
16位『グランドフィナーレ』
16位『手紙は憶えている』
18位『ズートピア』
19位『レヴェナント:蘇えりし者』51点
1位にした選考委員はゼロ、こんな低い順位とは信じられない。
20位『ヘイトフルエイト』48点
これも意外。

10位までにアメリカ映画は7本、20位までだと13本。

21位『オデッセイ』
22位『光の墓』
23位『母よ、』
24位『エブリバディ・ウォンツ・サム!!世界はボクらの手の中に』
27位『オマールの壁』
28位『さざなみ』
30位『ディーパンの闘い』
カンヌ映画祭パルム・ドールなのにこの順位とは。

41位『シング・ストリート 未来へのうた』

41位『マネー・ショート 華麗なる大逆転』
48位『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』
選んだのは4人だけでした。
48位『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』
1位が2人で20点。
70位『10クローバーフィールド・レーン』
2人だけの14点と、これまた意外に低評価。

ヨコハマ映画祭
1位『この世界の片隅に』
2位『湯を沸かすほどの熱い愛』
3位『ディストラクション・ベイビーズ』
4位『シン・ゴジラ』
5位『永い言い訳』
6位『淵に立つ』
7位『怒り』
8位『聖の青春』
9位『葛城事件』
10位『君の名は。』
次点『リップヴァンウィンクルの花嫁』

SCREEN外国映画ベストテン
1位『ハドソン川の奇跡』
2位『スポットライト 世紀のスクープ』
3位『リリーのすべて』
4位『ブリッジ・オブ・スパイ』
5位『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』
6位『キャロル』
7位『レヴェナント:蘇えりし者』
8位『オデッセイ』
9位『ルーム』
10位『グランドフィナーレ』
アメリカ映画が強い。

11位『サウルの息子』
11位『スティーブ・ジョブズ』
11位『ブルックリン』
14位『ニュースの真相』
15位『さざなみ』
16位『山河ノスタルジア』
16位『シング・ストリート 未来へのうた』
18位『アスファルト』
19位『ズートピア』
20位『皆さま、ごきげんよう』
その他
21位『母よ、』
22位『手紙は憶えている』
28位『チリの戦い』
31位『イレブン・ミニッツ』

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2016年キネマ旬報ベスト・テン予想

2016年12月31日 | 映画

キネマ旬報ベストテンの予想です。
今年はネットで見たいろんな人のベストテン予想をもとに考えてみました。

まずは日本映画から。
『この世界の片隅に』
『永い言い訳』
『淵に立つ』
『怒り』
『ディストラクション・ベイビーズ』
『湯を沸かすほどの熱い愛』
『シン・ゴジラ』
『オーバー・フェンス』
『君の名は。』
『リップヴァンウィンクルの花嫁』

11位以下です。

『ヒメアノ~ル』
『クリーピー 偽りの隣人』
『葛城事件』
『団地』
『64−ロクヨン−』
『聖の青春』
『海よりもまだ深く』
『溺れるナイフ』
『俳優 亀岡拓次』
『家族はつらいよ』

主演男優賞は三浦正和を推したい。
主演女優賞は宮沢りえ。
助演男優賞は香川照之、助演女優賞は山田真歩(気になる女優さんです)。

私のベスト3。
『聲の形』
『ヒメアノ~ル』
『グッドモーニングショー』

外国映画のベストテン。
『ハドソン川の奇跡』
『レヴェナント 蘇えりし者』
『サウルの息子』
『山河ノスタルジア』
『スポットライト 世紀のスクープ』
『キャロル』
『ルーム』
『オデッセイ』
『ヘイトフル・エイト』
『ブリッジ・オブ・スパイ』

11位以下です。
『ディーパンの闘い』
『シング・ストリート 未来へのうた』
『リリーのすべて』
『さざなみ』
『イレブン・ミニッツ』
『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』
『光りの墓』
『ブルックリン』
『マネー・ショート 華麗なる大逆転』
『クリード チャンプを継ぐ男』

私のオススメを順不同で。
『レヴェナント 蘇えりし者』
『オマールの壁』
『ラサへの歩き方』
『最愛の子』
『10クローバーフィールド・レーン』
『ジャニス:リトル・ ガール・ブルー』
『キャロル』
他にもありますが、とりあえずこういうところです。

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