三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

可山優零『冥冥なる人間』正・続

2015年02月27日 | 

可山優零『冥冥なる人間』の続編が図書館にあることを知り、早速借りました。
1957年生まれの可山優零さんは1982年に交通事故を起こして頸椎損傷し、首から下を動かすことはできなくなる。
首の耐えられない痛み、頭のふけとかゆみ、体温の調節ができないので、少しの気温変化で体温が38度、39度になる。
1987年には脊髄損傷者が7万6千人ですが、ネットを調べると現在約10万人以上、年に5千人以上増えているそうです。

手を動かすことのできない可山優零さんが『冥冥なる人間』をどうして書くことができたか。
「しだいに傷病に苦しんでいる患者さんにとって貴重なベッドを、私が占領していることに耐えられなくなってきた」ので退院しようと決意し、1983年9月に精神薄弱者と重度障害者の施設に入ります。

闘病の記録をつづるために、隣のベッドの中島篤伺君(左半身と脳に損傷がある)に口述筆記をしてもらおうとしますが、中島篤伺君の書いた文字は読みにくく、書けない文字もたくさんあったので、文字を書き、辞書を調べることを教えます。
そうやって少しずつ文章がつづられ、清書やワープロ入力はボランティアの松浦和子さんがしてくれました。
1987年に執筆終了し、1992年に出版。

1990年1月から重度障害者施設を退所するまでの日記が『続・冥冥なる人間』に載せられています。
『冥冥なる人間』には、施設は糞尿の臭いがする、ベッドは赤錆が出ている、看護が雑といった不満もありますが、一人ひとりの職員は献身的だと、職員への感謝の気持ちが述べられています。
しかし『続・冥冥なる人間』では、施設や医師、看護婦、職員を強く批判しています。

冒頭、10日間ほど実習にきていた短大の学生たちが一番いやだったことは、数人の職員が患者に罵声を浴びせたり、患者を殴ることだとあります。
患者を人間扱いしない。
たとえば、胃カメラをするときに喉に麻酔をしない、清拭がいい加減なので尻が大便だらけの人がいる、全身タムシだらけの人がいるなど。
食事の時間は5分程度なので、あきれるほど早く食べないといけない。
オムツ交換は日に4回で、シーツ交換や散髪などの時には3回になる。
入浴は週に1回しかなく、1人あたり洗面器2杯分ていどのお湯しか使わない。
清拭は週に1回で、蒸しタオルを1本だけ使用。
看護師や職員は疲れること、汚いこと、面倒なことはしたがらないので、当然のことを頼んでもなかなかしてくれない。

それは、職員が少なく、給料が安く、休みがないということもあります。
施設職員の基本給は11万数千円、夜勤の特別割増手当ては、看護助手の場合は4千円、1年間のボーナスは基本給の2~3か月間ぐらい。
1992年ごろ、初年度に支給される給料は170万円前後。
東京都に申告している入所者収容人数よりも実際の人数は3人多いので、東京都の監査があると、隠蔽工作が行われる。

可山優零さんは1992年に施設を出て自立生活を始めます。
介護してくれる人がいないと死んでしまうので、介助者を一人でも多く集めないといけません。
それでも施設に暮らすよりもずっといいそうで、筋ジストロフィーの人が施設を出たかったという気持ちがようやく理解できました。

『冥冥なる人間』に「逞しく生きている立派すぎる障害者」という言葉があります。

障害者が絵を描いただけで必要以上に素晴らしく美化されるのである。障害者には有意義なものはとうてい作り出せないという間違った先入観が存在しているためである。すなわち、どうせ無能力であると決めつけている偏見の思想にほかならない。


マチェイ・ピェブシツア『幸せのありか』を見て、私の中に障害者差別の意識が根強くあると思いました。
主人公は脳性マヒで、知的障害だと思われています。
映画を見ながら、主人公が天才的能力を持っているとか、美しく優しい女性と親しくなるとか、そういう話になると思ってました。
言葉は悪いですが、見世物みたいな、そういうものを障害者に期待している私がいるわけです。



可山優零さんはそういう差別意識、優生思想を厳しく指弾します。
口で絵筆をくわえたり、足の指で絵を描ける障害者は、書物やテレビなどのマスメディアを通して世間の人に知られている。
なぜ健康なプロの画家よりも、口で絵筆をくわえた障害者がより多くニュースになるのか。
それは興味本位の商業ジャーナリズムと障害者を差別する優生思想にほかならない。
障害者の美化には、障害者には有意義なものはとうてい作り出せないという間違った先入観が存在している。
すなわち、どうせ無能力であると決めつけている偏見の思想にほかならない。
劣悪な生活環境に甘んじていなければならない障害者の多くは平凡な人たちである。
なんのとりえも芸も持ち合わせていない平凡な障害者がしばしばテレビの画面に登場する社会を望む。

可山優零さんの歯の治療のため、同じ病室だった坂さんが大学病院まで毎週一回送迎してくれます。
引け目を感じる可山優零さんに坂さんは、移動も食事も排泄も、生活の一切を人の手を借りなければ生きられないからこそ、健康な人間には備わっていない能力があると言います。

まったく生産活動のできない子供、老人、障害者は、存在するだけで人々を思いやりのある人間的な心へと目覚めさせてくれます。弱い人間と接していて身構えたり、殺気立つ人がいるでしょうか。ひとりでに愛と優しさが滲み出てきます。

尊厳死に賛成する人(某財務相とか)に坂さんの言葉を聞かせたいものです。

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「優生保護法」と強制不妊手術

2015年02月22日 | 

某氏に、2013年8月に亡くなった佐々木千津子さんの追悼文集『ほぉじゃのぉて』をいただきました。
佐々木千津子さんは1948年生まれ、生後1週間で高熱を出し、脳性マヒになった。
17、8歳のころ、姉が見合いをしたが、「障害者が妹にいるなら、遺伝が怖い」と断られる。
施設に入るしかないと思ったが、施設の職員に「生理の始末が自分でできんかったら入れん」と言われ、母親が「痛くもかゆくもない手術方法がある」と聞いてきたので、20歳の時、卵巣にコバルト線照射を1週間受ける。
一日でも休むと効果がないと言われた。
その後、倦怠感などの後遺症に苦しむ。



としみつけいこ「日本における障害を理由とした強制不妊手術の実態」という文章が『ほぉじゃのぉて』にあります。
「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことを目的とした「優生保護法」のもとで、
(1)本人の同意を要しない不妊手術
(2)形だけは「本人の同意に基づく」とされたものの、実質的には強制的に行われた不妊手術
(3)優生保護法の範囲さえ逸脱した不妊手術
という形での強制不妊手術が行われた。

(1)について
遺伝性の精神病や遺伝性疾患を持つ人に対して、医師が申請し、優生保護審査会が認めれば、本人の同意がなくとも強制的に不妊手術を行うことが認められていた。
また、遺伝性でない精神病や知的障害の人に対しても、保護義務者の同意と審査会の決定によって不妊手術を行うことが合法化されていた。
しかも、厚生省の通達には、やむを得ない場合、身体を拘束したり、麻酔薬を用いたり、だましたりしてもよいとまで記されていた。
本人の同意に基づかない不妊手術の件数は、1949年から1996年の間で、およそ16500件に上り、約7割が女性だった。

(2)について
本人・配偶者や血縁者が遺伝性疾患や精神病、知的障害を持つ場合、あるいは本人・配偶者がハンセン病に罹っている場合には、本人と配偶者の同意を得て不妊手術を行うことができると規定していた。
実際は本人の自由意思に基づいていたとは言いがたいものだった。
ハンセン病の場合、強制隔離施設の中で、結婚の条件として強制不妊手術が行われていた。

(3)について
優生保護法の範囲さえ逸脱した不妊手術があり、佐々木千津子さんの場合がこれにあたる。
優生保護法では、不妊手術として認められているのはパイプカットや卵管結索等のみで、子宮や卵巣を摘出したり、放射線照射によって機能を廃絶させることは認めていない。
それにもかかわらず、「月経の介助が面倒」「月経時には精神が不安定になる」等の理由によって、子宮摘出や生殖器への放射線照射が行われた。
施設への入所の条件として強いられたり、入所中に施設側から勧められて不妊手術が行われた例もある。
カルテには「子宮筋腫」「卵巣膿腫」等の病名がつけられ、医療行為であるかのように偽って実施されたため、どれほどの障害者が不妊手術を受けさせられたのか、実態さえ明らかになっていない。
今でも、知的障害の女性に対して、妊娠を防ぐ等の理由で、本人の意思によらない子宮摘出手術が行われたり、障害者の交際や結婚支援の前提として不妊手術が推奨されたり、要請されたりする例が報告されている。

「優生保護法」は1996年に障害者差別に関連する条文を削除して「母体保護法」に改定された。
強制不妊手術について国は「適正な手続きの下に行われていたもので、合法だった。したがって、補償することは考えていない」として、実態調査さえ行っていない。
1997年、スウェーデンなど北欧でも強制不妊手術が行われていたことが問題となり、スウェーデン政府は調査委員会を設置、公的補償を開始している。

『ほぉじゃのぉて』には強制不妊手術を受けた人の手記が載っています。
飯塚淳子さん(仮名)
中学3年のときに知的障害者のための施設に入所させられ、1年で施設を出ると職親の家に連れていかれた。
職親とは、知的障害者を預かり、指導訓練をする人。
職親の家に2年いる間、給料をもらうことはなく、与えられたのは花柄のワンピース1枚と、ビニールの赤い靴1足だけ。
職親の奥さんに連れられて病院へ行き、優生手術を受ける。
子供を産めなくされたことは、その時はわからなかった。

村中拓美さん(仮名)
入所していた施設職員が、重複重度障害者のトイレ介助をするたびに、「ホントに子どもも産み育てられないのに、こんなもんだけ月に一度きちんとあったって仕方ないんだよ。手術を受けてこんなもん取ってしまえばいいのに……」と毎回言っていた。
それを聞かされていたので、自ら母に懇願し、医者に頼み、周りの反対を聞かず、子宮摘出手術を受けた。
自己責任だと思っていたが、「そんなふうに思いこまされていたんだから、自分を責めなくていい」という言葉に救われた思いがした。

「優生保護法」は妊娠中絶できるための法律だと思っていましたが、強制不妊手術がこうした形で行われていたとは知りませんでしたし、職親という制度も初めて耳にしました

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高野秀行『謎の独立国家ソマリランド』(2)

2015年02月17日 | 戦争

ソマリランドは国連や外国の力を借りず、自分たちだけで内戦を終結させ、平和を維持しています。
どのようにして内戦を終結したのか、高野秀行『謎の独立国家ソマリランド』の説明を私なりに要約します。

バーレ政権の時代、マイノリティの氏族は政府軍につき、マジョリティであるイサック氏族のゲリラと闘い、首都ハルゲイサ市民の弾圧と虐殺に協力した。
バーレ政権が崩壊し、イサック氏族が政府側だったマイノリティの氏族に復讐すると予想されたが、イサック氏族の長老たちはそれを選択しなかった。
独立宣言後、イサック氏族の間で主導権争いが始まり、内戦になる。
1993年、事態を憂えた氏族の長老たちが集まり、数か月にわたって会合を続け、戦闘が中止した。
が、またもやイサック氏族の二つの分家が合意を不服とし、武装解除を拒否して再度内戦が始まった。
1995年に、また氏族の長老が会合を開き、和平と武装解除が行われた。

ソマリ人の伝統的な掟=契約を「ヘール」という。
たとえば「殺してはいけない者の掟」があり、女性、子供、老人、賓客、傷病者、宗教的指導者、共同体の指導者、和平の使節、捕虜に危害を与えることを禁止している。
ヘールに従ってヘサーブ(精算)が行われる。
一人殺された場合(事故死も)、男ならラクダ百頭、女ならラクダ50頭、殺した側の氏族が被害者側の氏族に支払う。(今は現金で払うことが多い)
この賠償金は氏族の構成員が人数割りで出す。
内戦では何千人も殺されているので、ディヤ(賠償金)の支払いはなかった。
1回目の和平交渉のときは、娘20人ずつを交換するという方法をとった。
2回目のときは娘の交換も行われなかった。
各氏族がとりあえず停戦を行い、国作りの方法をあらためて検討し合うことで合意した。

内戦の終結、武装解除、複数政党制への移行が可能になったのは、2代目大統領エガルの力が大きい。
民兵は武器を渡して政府軍に編入され、カネを得た。
もっとも、重火器は政府に差し出されたが、自動小銃の相当数は一般家庭に保存されている。

高野秀行氏はソマリランドを国際社会が認める必要性を訴えます。
自分たちの力で平和を勝ち取り、維持している国を認めることが、紛争よりも平和のほうがいいことを伝えることになるからです。
ソマリランドの安全度は、国土の一部でテロや戦闘があるタイ
やミャンマーよりずっと高いそうです。

アフリカの発展途上国で、産業がろくにない国がやっていけるのは、外国や国連、NGOからの援助によってである。
無政府状態の首都モガディショでは国連やNGOなどから援助物資が送られてくる。
援助物資の横流しがなくても、トラックのチャーター代、ガソリン代、荷物の積み卸しの人件費、食糧保管場所の場所代、保管の警備費、食糧分配場所の場所代、ブローカーへの費用などのお金が地元に落ちる。
和平会議や慰問のために外国の首脳が訪問すれば、警備のために百人単位の兵士が動員され、その警備代は外国か国際機関が出すことになる。

トラブルを起こせば起こすだけ、カネが外から送られてくる。誰も真剣にトラブルを止めようと思うはずがない。

内戦や紛争がなかなか終わらないのはどうしてかと思ってましたが、こうしたことも原因の一つなんですね。

「<シリア>避難高校生が「ジハードに」…数千人が行方不明も」という記事がありました。
トルコ南部のシリア人避難所の高校で、男子高校生の9割近い280人が「ジハードに行く」と、個別にシリアに戻ってイスラム国などの武装組織に入り、死亡もしくは行方不明になっており、トルコ全体では数千人規模のシリア人高校生が行方不明になっている可能性があるそうです。

子どもたちは日ごろから「なぜ欧米は多数の市民を殺すアサド政権を攻撃せず、アサド政権より市民に信頼のあるISを攻撃するのか」などと、怒りを口にしている。ISはその残虐性で知られるが、彼らが信じるシャリア(イスラム法)を守り、敵対しない市民には危害を加えないため、理想化する若者も少なくない。(略)
避難所で高校教諭を務めていた男性(43)は「若者世代はシリアで11年に始まった反体制派運動に対するアサド政権の弾圧や市民殺害に強い怒りを抱いている。米軍主導の有志国連合による空爆がアサド政権ではなくISにのみ向けられ、失望したり反発したりしている」と話す。(毎日新聞2月5日)


ソマリアがそうだったように、ISを国連や欧米が武力で制圧し、欧米の言いなりになる適当な人を大統領につかせ、民主主義を強制しても、反発され、混乱が増すだけでしょう。

戦争を起こしたり、治安が乱れている場所にせっせとカネを落とす行為は、暴力と無秩序を促進する方向にしか進まない。

高野秀行さんはこのように書いていますが、ほんとその通りです。

ソマリランドでは氏族間の紛争に当事者とは違う氏族が仲介の労を取っています。
その土地に合った紛争解決法があるわけで、アメリカと一緒に戦争することが日本の役割ではなく、第三者として調停することこそが積極的平和主義だと私は思います。

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高野秀行『謎の独立国家ソマリランド』(1)

2015年02月13日 | 戦争

無政府状態が続くソマリアの北部がソマリランドとして独立宣言し、長老たちの話し合いによって内戦を終結させたが、ソマリランドを国家として認めている国はないというのをどこかで読んだことがあり、ソマリランドという国を知りました。
高野秀行『謎の独立国家ソマリランド』の新聞書評を読み、図書館で予約したのですが、手にするまで一年以上もかかるほどの人気です。
2009年と2011年にソマリランドへ行った見聞記が『謎の独立国家ソマリランド』です。

ソマリランドの歴史を。
1960年 イギリス領ソマリア(現在のソマリランド)とイタリア領ソマリア(南部)が合併して独立
1982年 ソマリランドで反政府ゲリラ活動が始まる
1988年 旧ソマリア政府軍によって首都ハルゲイサは廃墟と化した
1991年 バーレ政権が崩壊し、ソマリランドは独立を宣言
1991年~93年、1994年~96年と二度内戦になったが、氏族の長老たちの話し合いで内戦は終結、武装勢力は武器を返上し、民兵は正規軍兵士や警察官に編入された。
それから十数年、ソマリランドは平和を維持している。

この町が何よりもすごいのは、銃を持った人間を全く見かけないことだ。民間人はもちろんのこと、治安維持のための兵士や警官の姿もない。いるのは交通整理のお巡りさんだけだ。アジア、アフリカの国でここまで無防備な国は見たことがない。

日々の生活では独自の正貨を使っており、公務員の給料はソマリランド・シリングで支払われる。
言論の自由は広く浸透しており、新聞は政府や与党の批判を載せている。

ソマリアの北部が独自に内戦を終結させることができたのはなぜか、高野秀行氏は三点をあげています。
・南部ではイタリアが氏族の仕組みを破壊したが、北部はイギリスの間接統治だったために、氏族の伝統が維持された。
イギリスは間接統治だから、長老や氏族の力をそのまま残し、長老たちを通して支配したので、長老や氏族の権威は強くなった。
それに対し、イタリアは氏族の仕組みを壊し、イタリア人の移民を送り、社会をかなり変えてしまった。
・北部は以前から氏族間でしょっちゅう戦争を行っていたので、停戦になれていた。
ガイドのワイヤップは「南部のやつらは戦争をしない。だから戦争のやめ方もわからない」と説明しています。
・南部は産業が豊かで首都もあるが、北部は貧しくて奪い合う利権が少なかった。
ソマリランドには産業は何もなく、主な収入源は欧米諸国に住む家族や親族の仕送り。

ソマリ人が戦闘を行うのは氏族の単位です。
同じ言語と同じ文化を共有する人々を民族と呼び、民族の中に氏族が存在することがある。
氏族とは「同じ先祖を共有する(あるいはそのように信じている)血縁集団」のこと。
血縁結社といっても、血ではなく契約だから、どこでも好きな氏族に入れるそうです。
ソマリ民族では5つの大きな氏族があるとされ、氏族の中に分家があり、さらに分分家、分分分家、分分分分家、分分分分分家……と細かく分かれていく。

どこの誰かが嘘をついたらわかるとワイヤップは言います。
「わかるんだよ。自己紹介で氏族を全部訊くから。同じ氏族なら絶対に共通の知り合いがいるし、他の氏族でも誰かしら友だちや知り合いや妻の親戚やら妹の夫の親戚とかいるんだ。そこで嘘をつけば絶対にばれる。だから、俺たちはいつも相手が誰か知っている。だから嘘は絶対につけない」
日本の田舎で、どこそこの○○の分家の次男の嫁の実家がどうのこうのという話になるようなもんでしょうか。

ソマリランドをネットで調べてたら、ソマリランドへの添乗員付きの旅行がありました。
2009年に高野秀行氏がソマリランドに行こうとして苦労したのに、今はツアーで簡単に行けるわけです。
『謎の独立国家ソマリランド』の力なのか、すごいもんだと驚きました。

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2014年キネマ旬報ベストテン

2015年02月10日 | 映画

「キネマ旬報ベストテン発表特別号」を買いました。

邦画の20位までです。(59人)
1位『そこのみにて光輝く』(236点、32人選出)
2位『0・5ミリ』(222点、34人)
3位『紙の月』
4位『野のなななのか』
5位『ぼくたちの家族』
6位『小さいおうち』
7位『私の男』
8位『百円の恋』
9位『水の声を聞く』
10位『ニシノユキヒコの恋と冒険』(67点、9人)
10位『蜩ノ記』(67点、11人)

12位『WOOD JOB!~神去なあなあ日常~』(63点、13人)

13位『福福荘の福ちゃん』(これは以外でした)
14位『愛の渦』
14位『舞妓はレディ』
16位『まほろ駅前狂騒曲』
17位『超高速!参勤交代』(47点、11人)
18位『白ゆき姫殺人事件』
19位『ミンヨン 倍音の法則』
20位『三里塚に生きる』
21位『おとぎ話みたい』(40点、4人)
選んだ人の人数と順位は比例しているわけではありません。
私の予想は、ベストテンでは7本当たりましたが、ベスト20は13本でした。

その他
23位『家路』
24位『ほとりの朔子』
30位『柘榴坂の仇討』
32位『るろうに剣心 伝説の最期編』
36位『渇き。』
49位『5つ数えれば君の夢』
70位『ふしぎな岬の物語』

ヨコハマ映画祭
1位『そこのみにて光輝く』
2位『紙の月』
3位『0.5ミリ』
4位『WOOD JOB!~神去なあなあ日常』
5位『私の男』
6位『ぼくたちの家族』
7位『愛の渦』
8位『家路』
9位『野のなななのか』
10位『ほとりの朔子』
10位『舞妓はレディ』
キネマ旬報ベストテンと重なっているのは6本です。

洋画の20位まで。(62人)
1位『ジャージー・ボーイズ』(236点、32人選出)
2位『6才のボクが、大人になるまで。』(169点、27人)
3位『罪の手ざわり』
4位『エレニの帰郷』
5位『ブルージャスミン』
6位『インターステラー』
7位『リアリティのダンス』
8位『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』
9位『ウルフ・オブ・ウォールストリート』
10位『ラッシュ/プライドと友情』(67点、10人)

11位『アデル、ブルーは熱い色』(63点、11人)

12位『収容病棟』
13位『郊遊(ピクニック)』(ひたすら眠かったです)
14位『グランド・ブダペスト・ホテル』
15位『消えた画 クメール・ルージュの真実』
15位『猿の惑星 新世紀(ライジング)』
15位『リスボンに誘われて』
18位『あなたを抱きしめる日まで』
19位『her/世界でひとつの彼女』
20位『ダラス・バイヤーズクラブ』(42点、7人)
20位『チョコレートドーナツ』(42点、9人)
20位『ドラッグ・ウォー 毒戦』(42点、8人)
私の予想は、ベストテンが6本、ベスト20が11本と大はずれ。

その他
23位『グレート・ビューティー/追憶のローマ』
25位『ゴーン・ガール』(選外とは驚き)
25位『ネブラスカ』
28位『それでも夜は明ける』(アカデミー作品賞がこの順位とは)
37位『アクト・オブ・キリング』
37位『イーダ』
50位『アメリカン・ハッスル』
20位『LIFE!』
61位『イロイロ ぬくもりの記憶』
90位『ある過去の行方』
107位『プリズナーズ』
115位『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』

「スクリーン」ベスト20です。
1位『6才のボクが、大人になるまで。』
2位『ジャージー・ボーイズ』
3位『ゴーン・ガール』
4位『ダラス・バイヤーズクラブ』
5位『グランド・ブダペスト・ホテル』
6位『ブルージャスミン』
7位『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』
8位『あなたを抱きしめる日まで』
9位『インターステラー』
10位『チョコレートドーナツ』

11位『ネブラスカ』
12位『アメリカン・ハッスル』
13位『罪の手ざわり』
14位『ウルフ・オブ・ウォールストリート』
14位『リスボンに誘われて』
16位『リアリティのダンス』
17位『エレニの帰郷』
18位『her/世界でひとつの彼女』
18位『ラッシュ』
20位『それでも夜は明ける』
20位『LIFE!』
その他
24位『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』
32位『アデル、ブルーは熱い色』
見事なまでにアメリカ映画が上位を占めています。
ベストテンはすべて英語。
キネマ旬報ベストテンと重なっているのは4本、ベスト20では15本でした。

今年の予想をしますと、クリント・イーストウッドは『アメリカン・スナイパー』で2年連続の1位となるほはほぼ確実。

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アンリ=ジョルジュ・クルーゾー『恐怖の報酬』

2015年02月05日 | 映画

アンリ=ジョルジュ・クルーゾー『恐怖の報酬』を見ました。
ウィリアム・フリードキン監督のリメイク版(1977年)は見ていますが、どんな映画だったか中身はまるっきり覚えていない。
でも、ハラハラドキドキした記憶はあります。
双葉十三郎氏は「ロイ・シャイダー以下の配役が弱体なうえ、あらゆる角度からクルーゾ作品に遠く及ばなかった」と評しており、楽しみにして見たわけです。
だけども、期待したほどではありませんでした。

食い詰めた男たちが流れてきた南米の田舎町の描写がとにかく長い。
ようやくニトログリセリンをトラックで運ぶことになるわけですが、4つの難関をいかに乗り越えるかが興味のポイント。
黒澤明の『隠し砦の三悪人』はこのアイデアをいただいたのではないかと思いました。

でも、最初の「なまこ板の道路」というのはでこぼこ道らしいのですが、揺れないようにするんだったら、ゆっくり走ればいいと思うのですが。
それに、今の映画の特殊効果を見慣れているので、この程度ではさほどハラハラしない。
そして、ラストがいかにもとってつけたようで、リメイク版のロイ・シャイダーの疲れた顔のほうがよかったように感じました。



小林信彦氏がテレビでロッセリーニ『戦火のかなた』を見た時のことを『地獄の観光船』でこう書いています。

正直にいって、佐藤忠男さんのすぐれた解説に頷きながらも、「戦火のかなた」が、私にとって、〈かなた〉のものとなったのを私は感じた。家族たちは、途中で眠ってしまい、「名作だ!」と宣言したてまえ、私は、巨人・阪神戦の結果を気にしながらも、ポー河のパルチザン処刑の有名なシーンをぼんやり眺めていた。

昔はよかったとよく言われますが、こと映画に関しては、年間ベストテンを見ても近年の映画は昔と比べて遜色ないと思います。

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