三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

渡辺一枝『消されゆくチベット』(1)

2022年03月29日 | 

渡辺一枝『チベットを馬で行く』は1995年にチベットを馬に乗って143日間の旅をした記録ですが、中国政府批判も書かれています。
2013年出版の『消されゆくチベット』でも、旅行記や正月、葬儀などの習俗だけでなく、多くのページを割いて批判しています。

チベットの歴史をざっと振り返ります。
1951年9月人民解放軍がラサに入った。
1959年3月、ダライ・ラマ14世は中国の弾圧から逃れてインドに亡命した。
大躍進運動と文化大革命の時にはチベットでも大勢が死んだ。
1966年に始まった文化大革命では、多くの寺院や仏像、壁画などが徹底して破壊され、基礎しか残っていない寺院も少なくない。
僧侶は暴行を受け、投獄され、還俗させられた。
寺院を破壊したのは紅衛兵だけではなく、多くのチベット人も加担している。

映画『慕情』の原作者ハン・スーインが1975年にラサを訪れた時の記録が『太陽の都ラサ』です。
ハン・スーインは奴隷出身の人や貧困層だった女性たちに話を聞き、工場などを視察して、チベットでは文化大革命がいかに多くの成果をあげたかを報告しています。
ジョカン寺は礼拝の場所ではなく、老婆をひとり認めただけだった。
マニ車を見たのは老婦人が手にしているものだけ。
文化大革命によって迷信が打破されたと思ったわけです。
ポタラ宮殿を見て、「恨みと吐き気とをもってその怪物的な美しさから逃げ帰る」と書いているぐらいです。

「映画で見る現代チベット」で何本かのチベット映画を見ました。
チベットでは生活のすみずみにまで仏教が生きていることがわかります。
http://moviola.jp/tibet2021/
『巡礼の約束』は四川省から五体投地でラサ巡礼をするという映画です。
人々は巡礼にお金や食べ物を喜捨します。
https://www.youtube.com/watch?v=mP0fre8_rFI

チベット亡命政府は1950年から文化大革命が終わる1976年までに120万人が犠牲になったとしています。
1980年5月、胡耀邦がチベットを訪れ、ラサの演説でチベット政策の失敗を表明して謝罪し、共産党にその責任があることを認めています。
https://onl.la/3g76knh
ハン・スーインが胡耀邦の発言をどう思ったのか知りたいです。

文化大革命が終わると、政府は宗教活動を認め、寺院の修復や再建が行われ、僧侶も少しずつ増えた。
1980年代には開放政策がとられ、外国人観光客が訪問できるようになった。
観光寺院化した寺も少なくない。

1987年、ラサで僧侶がチベット人の自治権拡大と人権保護を求めてデモをした。
文革後初めての政府に対する抗議行動だった。

1989年1月、パンチェン・ラマ10世が死亡した。
1989年3月、ラサで抗議運動があり、戒厳令が敷かれた。
チベット人400人が殺され、3000人以上が逮捕された。
1995年5月、ダライ・ラマ14世がパンチェン・ラマ10世の化身と認定した少年は両親とともに政府に拘引され、今も消息不明となっている。
1995年11月、政府は別の少年をパンチェン・ラマ11世として登位させた。
しかし、チベット人は誰一人としてこの少年をパンチェン・ラマとは思っていない。
2000年1月、カルマパ17世がインドのダライ・ラマ14世のもとに身を寄せた。

2008年、北京オリンピックの前にラサで大規模なデモがあり、大勢が殺されたり逮捕された。
それ以降、政府はチベット自治区やチベット人に対して再び厳しくするようになった。
作家、ブログ制作者、教師、学生、芸術家、文化人、環境保護者ら65人以上が拘束され、拷問を受けて、刑を言い渡されている。
チベットの現状やチベット人の願いを歌った歌手が何人も拘束され、多くは行方が知れない。

僧侶の逮捕、寺からの追放、強制的な還俗がしばしばあるので、僧侶が減っている。
僧侶の焼身自殺もたびたびあり、2009年2月から2012年12月まで100人以上が焼身自殺したとも、2012年に81人が焼身自殺したという。
一般市民も監視されている。

公安が目を光らせ、街のあちこちに監視カメラや盗聴マイクが設置されているので、チベット人は政治の話ができない。
当局が禁じた歌を携帯でダウンロードしていないかの検査が行われており、ダウンロードしていることがわかると、拘束されたり罰金を科せられたりする。

2008年以前は毎年2000人以上のチベット人がインドに逃げていた。
今はチベット人は移動の自由がないので、国外に脱出することはほぼ不可能。
中国人(漢人)は身分証を提示するだけでどこへも行ける。
しかし、チベット自治区以外に住むチベット人がラサへ入るためには、地元公安局発行の入域許可証が必要となる。
チベット人が外国に観光旅行することはできるが、留学や仕事のために外国に行くことは認められていない。

信教の自由は建前で、現実は違う。
公務員や党員は寺院への参拝は許されず、家に仏壇を置くこともできない。
2008年以降は、公務員を退職した人はジョカン寺に参ったり、ジョカン寺をめぐるパルコルを巡礼することができなくなった。
禁を犯せば、退職者用住宅から追い出され、年金を受け取ることもできない。

毎年どこかで自由を求めて政府に対する抗議の声があがるが、抗議行動は当局によってつぶされ、参加者は拘束される。
しかし、報道されることはほとんどない。

渡辺一枝さんがテレビでニュースを見ていたら、突然横縞が流れ、音声も消えた。
政府による電波妨害だという。
ラサのパルコルの土産物屋にはパンチェン・ラマの写真が並んでいるが、以前はどの店でも見かけたダライ・ラマの写真はない。

外国人が個人でチベット自治区に入ることは禁じられており、チベットの旅行会社を通して政府に届けた場所をガイドに案内してもらうことになる。
届け出た場所以外には行けない。

観光客が利用する車は政府の所有で、旅行会社が借りている。
ホテルや車にも監視カメラがある。
車にはGPSがついているので、車がどこを走っているかわかる。
外国人の入域禁止地域など、予定外の場所に行ったらすぐにバレる。

検問所があちこちにあり、検問所間の移動時間は決められている。
検問所に早く着いた場合、旅行会社と運転手にペナルティーがある。
観光客も検問所でパスポートなどをチェックされる。

渡辺一枝さんが、ある町で祭りを見ていたら、公安に声をかけられ、署に旅行許可証を提出して滞在の許可を得よ、カメラの中のフィルムを出せと言われた。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

裁判員と死刑(4)

2022年03月20日 | 死刑

平野啓一郎『ある男』は犯罪の社会的要因に触れています。
ある死刑囚は生育環境が悲惨であることは事実であり、彼の人生の破綻が、大いにその出自に由来していることは明白だった。

国家は、この一人の国民の人生の不幸に対して、不作為だった。にも拘わらず、国家が、その法秩序からの逸脱を理由に、彼を死刑によって排除し、宛らに、現実があるべき姿をしているかのように取り澄ます態度を、城戸は間違っていると思っていた。立法と行政の失敗を、司法が、逸脱者の存在自体をなかったことにすることで帳消しにする、というのは、欺瞞以外の何ものでもなかった。もしそれが罷り通るなら、国家が堕落すればするほど、荒廃した国民は、ますます死刑によって排除されねばならないという悪循環に陥ってしまう。


土井隆義『人間失格?』に「少年法の理念(保護主義)は、適切な生育環境が与えられていたら非行などしなかった、社会の責任である、だから更生のために援助をしなければならない、ということだった」とあります。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/c418f73cdd6e2577ff0d4b2bb2ef8959

井田良「いま死刑制度とそのあり方を考える」(井田良、太田達也編『いま死刑制度を考える』)によると、1970年代から1980年代においては、犯罪について社会的環境の所産とみる理論が主流でした。
しかし、最近では、「社会の側にも犯罪への責任がある」という考え方を持ちだせば、犯人を甘やかし、その責任を不当に低く見積もることであり、被害者への配慮を欠くという反応を受けることになりかねない。
個人の自己決定や自己責任が強調される時代となり、自己の判断と責任において生きることを強いられる。
犯罪は社会から切り離され、個人が100%の責任を負うべきと理解されるようになった。

少年事件は減っているのに、少年法が改正されて厳罰化しました。
原田國男「わが国の死刑適用基準について」によると、裁判員裁判では、生い立ちの不遇については、それでも立派に生きている人がいるとして、これを重視しない考え方が見受けられるそうです。

永山則夫も悲惨な子供時代を過ごしています。
第一次上告審では、控訴審判決を破棄し、高裁への差し戻しを命じた判決理由の中で「同じ条件下で育った他の兄たちは、概ね普通の市民生活を送っている。環境的負因を特に重視することには疑問がある」と判示しています。
はたして環境を無視していいものでしょうか。

精神科医の夏苅郁子さんはお母さんの統合失調症について書いた『もうひとつの「心病む母が遺してくれたもの」』の中で、永山則夫に触れています。

当時の永山(則夫)は、いわゆる心的外傷後ストレス障害と、精神病様状態にあったと思われます。にもかかわらず、彼は治療対象として認められませんでした。
彼を死刑とした最高裁の判決の是非が今も議論されているのは、未成年の、しかも病的状態にあった人間への裁きを、四人という殺人の「数」で判断してもよいのかが問われているのだと思います。(略)「根っからの悪にはいない。彼が人を殺すに至るまでに、何とかできなかったのか」という、やるせない思いだけは残ります。


犯罪者・非行少年は生育歴が悪い人が多いそうです。
貧困や暴力、育児放棄、そして依存症や障害などが事件の背景にある場合が少なくありません。
親がアルコール依存症だったり、虐待を受けていたりといった、機能不全家庭で育ったアダルトチルドレンの特徴の一つが生きづらさです。
http://www.yamanashi.med.or.jp/tsuru/onepoint/onepoint17.htm

高田章子「罪を犯した少年は、更生できないのか?」(『年報・死刑廃止2012 少年事件と死刑』)にこう書かれています。

死刑廃止運動にたいする抗議の電話には、「自分が強かったから、つらい環境も乗り越えて今まで立派に生きてきたのに、つらい境遇だったから人を殺してしまったなどという言い訳は許さない」という人がいるし、「自分は絶対に人など殺さないから、そんな野蛮な奴は危険だから厳罰に処して社会から隔離すべきだ」と言う人もいるが、私にはどれも傲慢な言い分に聞こえてならない。罪を犯さずに生きて来られたことは、自分を褒めるのではなく、そう生きさせてくれた、今まで出会った周りの多くの人たちに、感謝すべきことなのではないかと思っている。

そのとおりだと思います。
私たちが今のところ罪を犯していないのはたまたまです。

『ある男』に、主人公の城戸が息子を迎えにこども園に行き、息子が友達と話しているのを見て、こんなことを思う場面があります。

城戸は、この無邪気な子供たちの誰かが、いつかは人を殺すかもしれないのだと、ふと思った。たとえここにはいないとしても、今この瞬間に五歳という年齢で、同じように友達とはしゃいでいるどこかの子供が、やがては殺人という罪を犯してしまう。追い詰められてか、或いは、心得違いによってか。――それは一体、誰の責任なのだろうか。

自分・自分の家族がいつ犯罪に関わるかもしれません。

「FORUM90」に小川秀世弁護士の話が載っていました。
日弁連の人権擁護大会で、死刑廃止に反対する立場の人たちは、死刑の問題は価値観の問題だから、日弁連が多数決で決めるのはおかしい、価値観を強要するのは思想信条の自由に反すると言っているが、死刑の問題は憲法の問題であり、法律の問題だから、憲法の価値に基づいて考えたらどうなるのか、人権の理論だったらどうなるのかと考えなければいけない。

死刑問題はさまざまな人権問題と関係していると思います。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

裁判員と死刑(3)

2022年03月09日 | 日記

井田良「いま死刑制度とそのあり方を考える」(井田良、太田達也編『いま死刑制度を考える』)によると、ある調査では、殺人既遂または強盗殺人の事件の中で、検察官が死刑を求刑したのは2.6%、死刑求刑事件のうち、死刑判決が下されたのは55.8%だったそうです。(おそらく2010年の調査)

では、量刑の判断基準は何か。
原田國男「わが国の死刑適用基準について」にこう書かれています。

死刑判断については、被害者の数が第1である。次いで、犯行の動機、犯行の手段・方法等の犯罪自体の客観的な要素が重視される。そして、第3ラインとして、被害者遺族の被害感情、反省の程度等が考慮される。私は、これまで、犯罪の上記の客観的な要素からすれば、無期相当であるが、被害感情が強いから死刑にしたということはない。他の裁判官も同じだと思う。(略)遺族の被害感情が強ければ、死刑、そうでなければ、無期というのが公平であるとはどうしても思えないからである。(略)
また、反省の要素を重視しすぎると、裁判所に反抗的だから死刑、ふてくされているから死刑ということになりかねない。


応報刑論では、量刑均衡の原則といって、犯した罪とそれに対して科される刑罰が釣り合い(均衡)が取れていなければならないそうです。
軽い犯罪には軽い刑罰、重い犯罪には重い刑罰が科されるということです。
ところが、裁判員裁判では被害者感情が重視されるようになりました。

井田良さんは、犯罪が減少しているのに、死刑適用基準を緩和して、より多くの死刑を言い渡す方向に変化させなければならない理由はあるのかと問います。

殺人の認知件数は1954年の2790件をピークとして一貫して減少しており、死刑言渡しの数も減少した。
刑法犯の認知件数は平成15年から減少し続けており、令和2年は戦後最小を更新しています。
刑務所や少年院など矯正施設の収容者数も減り、何か所も廃庁になっています。

ところが、2000年代に入って死刑判決言渡し数・確定数は増加傾向に転じた。
被害者遺族が刑の軽すぎることに不満をもち、刑事司法に批判を加え、マスメディアもこれに協力して重い処罰を求めるようになった。
被害者遺族の処罰感情の表明に影響されて、裁判所の死刑適用基準が微妙に変化している。
しかし、従来の死刑適用基準を重くする方向に変更すべきことを正当化するような事情・要因はまったく存在しない、と井田良さんは言い切ります。

岩瀬達哉『裁判官も人間である』は、2008年に導入された被害者参加制度によって、法廷が感情化し、刑事裁判に与えた影響は甚大なものがあったと指摘します。

裁判員裁判がはじまった2009年5月から2014年3月末までの約5年間で、検察官の求刑より重い判決を言い渡す「求刑超え」は43件にのぼった。
裁判官だけの裁判では求刑超えとされたケースは2件だけだった。

元東京高裁裁判長「本来、量刑は責任に応じた刑を科すべきで、そこには自ずと幅が生じます。反省しているとか、更生の可能性があるとか、妥当と思われる幅の範囲内で量刑を決めるのが現代刑法の基本。その幅を超えてはいけないし、下回ってもいけない。いわゆる「量刑傾向」を守らなければ著しい不公平が生じるからです。
ところが、国民の司法参加がはじまって以来、法廷はものすごい空気に包まれるようになった。傍聴席の半分を被害者の家族や友人が占め、裁判官を睨みつけている。少しでも軽い刑を言い渡そうものなら許さない、というオーラが伝わってくる。それを跳ね返しながら、量刑理論に従った刑を言い渡すのは大変。目の前にすごい圧力があるから」

 

元東京高裁裁判長「世論というものは必ずしも公平じゃなくて、自分たちがなるかもしれない被害者の立場に立ちやすい。裁判官でも自分が担当しない事件については、重めの意見が出やすいものです。まして一般市民から選任された裁判員は、いったん被告人とされ、法廷に立たされた人には予断を持ちやすい。その被告人にも家族があって人権があって、同じレベルで考えてあげないといけないという気持ちをなかなか持てない。社会というのは犯罪によって被害を受ける立場にあるわけだから、裁判員は被害者的立場がストレートに出やすい。その裁判員に、人の一生を左右させる判断を委ねるというのは、僕は間違いだと思う」


被害者の応報感情と被害者支援について、平野啓一郎『ある男』はこのように述べられています。

何か、よほどのことがあれば、人を殺してもいいという考え自体を否定することが、殺人という悪をなくすための最低条件だと思う。簡単ではないけど、目指すべきはそっちだろう。犯人のことは決して赦さないだろうけど、国家は事件の社会的要因の咎を負うべきで、無実のフリをして、応報感情に阿るではなくて、被害者支援を充実させることで責任を果たすべきだよ。いずれにせよ、国家が、殺人という悪に対して、同レヴェルまで倫理的に堕落してはいけない、というのが、俺の考えだよ。


では、被害者の支援をどう考えればいいのかが、高橋則夫「死刑存廃論における一つの視点」で論じられています。

光市母子殺害事件差し戻し控訴審は元少年に死刑の判決を言い渡した。
この事件は、被害者遺族の思いがメディアを通して広範に報道された結果、国民の多大な関心事になった。
しかし、国家刑罰権は被害者という私人の応報感情のみで行使されるわけではない。
応報感情の充足の前に、被害者の回復感情の充足という課題に取り組むべきである。
高橋則夫さんは、この課題の答えの一つとして修復的司法を取り上げています。

怒りや恨みを別なものに変えていくお手伝いも被害者支援の一つだと思います。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

裁判員と死刑(2)

2022年03月02日 | 死刑

原田國男『裁判の非情と人情』に、死刑事件での裁判員の判断について、こんな感想が書かれています。

ときどき、あれ、ということもある。たとえば、報道によれば、仙台の少年の死刑事件の裁判員は、その記者会見で、「私個人は14歳だろうが、15歳だろうが、人の命を奪ったという重い罪には、大人と同じ刑で判断すべきだと思い、そう心がけた」と言ったという(2010年11月)。これは、一般の国民のスタンダードな考えなのかもしれない。国民の目線をここに感じる。
司法研修所の司法研究で実施したアンケート調査の結果でも、国民側の回答では、約25パーセントの人が、犯行時少年であることを、刑を重くする要素に考えている。ところが、裁判官側の回答では、そのように考える人は、0パーセントであった。
何故かというと、おそらく、裁判官は、少年事件をやっていて、少年の大半は更生しているという現実を知っているからだろう。見た目がとんでもなく悪い奴でも、結局は更生して立派な社会人になっている。国民とはここでの経験の共有ができない。少年による重大な事件の報道を見て、読んで、そういう少年というのは悪い奴だ、だから刑を重くしないと効き目がないという発想になりがちだ。少年の更生改善を謳う少年法の理念をあっさり否定してしまうのである。

少年が更生する可能性の高さを知らない人が多いということよりも、応報感情や被害者感情が少年の更生より重んじられている、そして少年に死刑を科すハードルが下がったからではないでしょうか。

今まで永山基準があるため少年への死刑判決は慎重でした。
ところが、岩瀬達哉『裁判官も人間である』によると、光市事件裁判が永山基準を緩和し、死刑は「選択も許される」刑罰から、「選択するほかない」刑罰へと変わりました。

原田國男「わが国の死刑適用基準について」(井田良、太田達也編『いま死刑制度を考える』)からです。
永山事件の第1次上告審判決で判示された永山基準に「極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許されるものといわなければならない」とある。
ところが、光市事件第1次上告審判決は、「特に酌量すべき事情がない限り、死刑の選択をするほかない」と判示し、原則死刑、例外無期という判断枠組みを示した。

原田國男さんはこの判示に疑問を呈しています。

永山判決は、原則死刑、例外無期などとは言っていない。永山事件のほうが、はるかに責任刑としては死刑しかないという評価が可能な事案である。そうすると、この判示は、破棄するためとはいえ、妥当ではないのであって、総合評価の姿勢を崩すべきではなかったというべきである。(略)やはり、特段の事情がなければ死刑という判断手法はとるべきではないと考える。

原則は無期で、死刑は例外だという永山基準を変えるべきではないという意見です。

高橋則夫「死刑存廃論における一つの視点」(井田良、太田達也編『いま死刑制度を考える』)には、光市事件で最高裁は、犯罪が悪質な場合には原則として死刑という判断を行い、控訴審判決もそれに従ったのは、永山基準のうち「被害者遺族の感情」を重視したのではないかという推測が働く、とあります。

世論に押されての政治的判断や政策によって裁かれていいものなのかと岩瀬達哉さんは危惧します。
光市事件は死刑の選択基準を緩和し、少年であっても死刑を言い渡すという厳罰化への流れを生み出した。
しかし、更生の可能性を切り捨てることを憂慮する刑事裁判官は少なくない。

元東京高裁裁判長「僕はね、個人的には光市の母子殺害事件は、本当に死刑が相当だったのかって疑問に思っている。少年犯罪についての世論調査は、少年はけしからん、もっと罪を重くすべきだという意見が4割近くにのぼるけど、裁判官でそう考える人はいないと言っていい。少年というのは精神的にもろいところがあって壊れやすいけれど、ほんの少し手を差しのべてあげると驚くほどに立ち直るものなんです。僕の裁判官時代の経験でも、ひどい罪を犯した少年が更生教育によって立派な社会人、家庭人となって、目立った活躍はなくても社会に貢献できている人が多い。だからこそ少年法の精神として、いま一度、チャンスを与えようというのがあるわけです。これを厳罰化で奪うことは間違っていると思いますね」


宮地ゆう、山口進『最高裁の暗闘』に、光市事件を担当した第三小法廷の濱田邦夫裁判長は「死刑と無期、2通りの判決文案を調査官室に作らせ」、「死刑派は無期派に迫った。「どちらが社会に対して説得力があるだろうか」その結果、無期派が折れたのだった」とあるそうです。

原田國男さんは、

実際に、刑事裁判官は、一定の客観的な事情があれば、原則死刑で、特別の事情があれば、無期とは考えていないと思う。総合してやむをえないといえなければ、死刑にしない。また、そういう意味でも、裁判官の死刑意見が全員一致でなければ、死刑にしないのが慣行だと思う。

と書き、注に「光市母子殺害事件の第2次上告審において破棄差し戻しの反対意見があったことからすると、死刑の執行は難しいと思われる」と記しています。

裁判員裁判では、死刑事件に限らず、すべての事件で多数決はやめるべきだと思います。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする