三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

安楽死と仏教(4)

2020年09月27日 | 仏教

佐々木閑「自死・自殺を仏教の視点から考える」は、仏教は自殺を禁じていないとします。

仏教の「律」の観点から、自殺を考えてみましょう。律は僧侶の生活を規定する仏教の法律ですが、その律で自殺は罪とされているのでしょうか。この議論の際にしばしば挙げられるのが、仏教には「人は自殺してはならない」という規則がある、という言説です。しかし実際には、そのような規則はないのです。
釈迦が「この我々の肉体は汚れたものである」と説き示したため、これを誤解した弟子たちが、「それなら死にましょう」と言って、自殺したり、互いを殺し合ったり、他人に自分を殺すよう頼んだりしたという逸話です。これを機に、釈迦は「人を殺してはいけない」という規則を制定したといわれます。物語の中で記されている「自分で死ぬ」という言い回しから、あたかも自殺が禁止されているかのように理解する方がいますが、そうではありません。律のどこにも、自分で自分を殺すこと、すなわち、自殺が罪に問われるとは記されていないのです。(略)
『サマンタパーサーディカー』という律の注釈書は、この物語の中では相手を殺したり、お互いに殺し合ったりすることだけが罪であって、自ら命を絶つこと、自分を殺してほしいと頼むことは罪に問われないと明記しているのです。

https://shimbun.kosei-shuppan.co.jp/kouenroku/12782/

佐々木閑「仏教からみた持続的組織論」は、僧侶が抗議のために焼身自殺することを取り上げています。

お坊さんが、政治的な対抗措置をとる最後の手段は焼身自殺です。人に手を上げても、声も上げてもいけないとなれば、自分で死ぬしかないのです。自殺は戒律で禁じられてはいません。ですから、自殺はお坊さんの最後の手段です。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/192433/1/LCS_4_10.pdf
なるほど、ベトナム戦争を抗議して僧侶が焼身自殺をしたことがあります。

ですが、佐々木閑さんはその前の個所で、仏教は命を絶つ行為を禁じていると語っています。

仏教のお坊さんは、たとえ安楽死であろうが他人の命を絶つことに関わると僧団から追放です。
いまの日本では、脳死がどうだ、安楽死がどうだと、死に理屈をつけて考えようとします。しかし、法治主義の仏教は、どんな理屈があろうと人の命を絶つ行為に関われば、殺人者として排除します。戦争は、場合によっては殺人を正当化します。死刑も殺人を正当化します。社会的な状況が変えるのですが、仏教は社会的な状況とは無縁の法律に基づいていますから、人の死に関われば殺人になります。お坊さんを裁判員にして殺人事件を扱わせたら、お坊さんはどんな事件であろうが死刑判決に賛成しません。賛成した瞬間に僧団から永久追放になるからです。
仏教のお坊さんは、この律があるおかげで、どんなことがあっても殺人に加担しません。「人に手を上げてはいけない」とも書いてあって、いっさいの暴力が法律違反なのです。


『パーリ律』の「いかなる比丘も故意に人体の生命を断じ」の「人体」とは自分の体を含まないということでしょうか。
自殺自体はかまわないが、人に自殺を手伝ってもらうのはダメというのも変な話です。
厭世観、もしくは病苦から死を選ぶ比丘がいたために釈尊は殺人戒を定めたわけですから、自殺を禁じていると思うのですが。

木村文輝「「自殺」を是認する仏教の立場」は、仏教は安楽死や自殺を容認するという立場です。
http://ur2.link/3VpX

釈尊は、不殺生を基本理念とし、基本的には自殺を認めていない。
しかし、自ら死を選択する行為をする比丘がいたが、釈尊は彼らの自殺を非難していない。

仏教は他者の「自殺」を容認し、時にはそれを幇助する行為を是認する要素をも有していることに目を向ける必要があるだろう。


安楽死はその選択が周囲の人々に認められていることと、安楽死を願う者に死期が迫っていること、安楽死を願う者が耐え難い苦しみにさいなまれており、それを取り除くためには安楽死以外の他の代替手段が存在しないこと、及び、安楽死を願う者が自らの人生において為すべきことを為し終えたという充足感を抱いていることという4つの条件が満たされている場合に限り、是認され得るように思われる。

仏教の立場から是認され得る「自殺」とは、あくまで自己の生を充実させるためであり、自らの「人間の尊厳」を具現化する手段である。それ故、ここにおける死の選択は、なおも生の一環として位置づけられるものだからである。


木村文輝さんは釈尊は自殺したと書いています。

釈尊伝によれば、修行を完成した者は、自らの欲するまま、さらに永く生き続けられたにも関わらず、釈尊は自らの意志でその生命を捨てる決意をしたという。つまり、神話的な出来事とは言え、釈尊の死は自らが選択したものだという意味で、一種の「自殺」とみなすことが可能である。

私は同意しがたいです。

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安楽死と仏教(3)

2020年09月17日 | 仏教

具足戒には波羅夷罪(サンガから永久追放される罪)が4つあり、そのうちの一つである殺人戒が成立した因縁が、森章司「サンガと律蔵諸規定の形成過程」に書かれています。
http://www.sakya-muni.jp/pdf/mono18_r25_010.pdf

『パーリ律』です。

世尊は比丘たちに不浄論を説き、不浄によって讃歎し、不浄観を讃歎された後、比丘たちに「半月の独坐をしたいので、一人の食事を運ぶ者を除いて、誰も近寄ってはならない」と命じられた。そこで比丘たちは世尊の説かれた不浄の修習に励んで自分の身を厭嫌して、自ら自殺する者、あるいは互いに殺し合う者、さらにはミガランディカという似非沙門の所へ行って「殺せば、衣鉢をあげる」と依頼したりした。ミガランディカは魔にも唆されて、多くの比丘の命を奪った。
半月後、世尊は比丘たちの数が減少したことに気づいて阿難に尋ねられた。阿難は事情を説明して、他の観を修習する方便を説いてくださいと依頼した。そこで世尊は出入息念三昧の教えを説かれた。そして比丘たちに、「いかなる比丘も故意に人体の生命を断じ、あるいはそのために殺具を持つ者を求めれば、波羅夷にして共住すべからず」と定められた。

人を殺すこと禁じるというより、自殺すること、自殺を勧めること(自殺教唆)、自殺を手伝うこと(自殺幇助)、殺してもらうよう頼むこと(嘱託殺人)を禁じているように思います。

『摩訶僧祇律』は不浄観からの自殺ではなく、病苦による自殺を問題にしています。

世尊は毘舎離に住された。そのとき1人の病比丘があり、病者も看病する者も疲れ果てた。そこで病者が自分を殺してくれと願い、看病する比丘がこれを殺した。
世尊は毘舎離に住された。病者が持刀者を求めよと頼んだ。鹿杖外道に衣鉢を与えるといって命を奪わせた。
世尊は毘舎離に住された。看病比丘が病比丘に自ら刀を用いて自殺するように勧めた。彼は自殺した。
世尊は毘舎離に住された。鹿杖外道は頼まれて比丘を殺したことを憂悩していた。天魔波旬が、「あなたは人の苦しみを開放し、未だ度せざる者を度せしめた」と唆した。そこで彼はさらに多くの人を殺した。
そのとき世尊は月の15日の布薩をなそうとされた。僧衆の少ないことを疑問に思われて阿難に質問されると、阿難は「世尊は先に不浄観を説き、不浄観を修習する功徳を説かれたので、比丘の中に自殺する者、鹿杖外道に殺させる者などが出て、多くが死にました。余法を説いて身を厭って自殺せしめず、久しく存して天人をして利益せしめたまえ」と答えた。世尊は阿那般那念を説かれ、「比丘にして手ずから人命を奪い、刀を持して殺を与える者を求め、死を讃歎して死せしめる者は波羅夷にして共住すべからず」と定められた。

病人の嘱託殺人、病人への自殺教唆を禁じています。

天魔波旬とは仏道修行を妨げている魔のこと。
ALSの患者に依頼されて医者が殺したことについて、「死ぬ権利」を認めるべきだと医師を擁護する人たちは、頼まれて殺したことを憂悩する鹿杖外道に、「あなたは人の苦しみを開放し」たと言った天魔波旬の同類です。

とはいえ、小池清廉「初期仏典における痛悩者への対応」によると、自殺した比丘がいます。
http://ur2.link/S7UQ
・チャンナは激痛を伴う重病のために自殺を決意した。見舞いに訪れた舎利弗は「刀を手に取らないでくれ。食べ物や薬がなければ探してこよう。看護者がいなければ私が看護しよう。どうか生き存えてくれ」と語りかけた。チャンナは「それらは足りているが、苦痛には耐えられない」と答える。チャンナの死が近いことを知った舎利弗は、修行の完成についてチャンナに問い、確認し、教誡して、チャンナの答えを得てから立ち去った。間もなくチャンナは、他人の手を借りずに自殺した。釈尊の元へ赴いたサーリプッタがこのことを報告すると、釈尊はチャンナは仏道を修め非難が無い者として刃を執ったのだと指摘する。

・重患困苦のヴァッカリは釈尊を招いた。釈尊は病者を見舞って病状を問い、無常、無我についてくわしく教誡した。問いに答えたヴァッカリは、結果として授記された。ヴァッカリは、問答が終わって一人になってから、予告した通りに自殺した。

小池清廉「臨死問答と重病人看護」には、解脱したかどうかは、重病、事故、自殺など死の原因と直接の関係はなく、臨終での問答、説法の答えにより解脱が認められたとあります。
http://ur2.link/SzYq
また、自殺したからといって授記(弟子が覚ることを仏が予言する)が取り消されたわけではないようです。

自殺企図や自殺未遂とは、自殺を企図したが死ななかった場合である。自殺者とは、自殺の既遂者をいう。律は、自殺企図者を罪としたが、自殺者(自殺既遂者すなわち死者)の罪は問わない。律は、生存者に適用されるからである。

自殺企図者を罪としたのは、禁じなかったら自殺する人が続出するからだと思います。
また、律が自殺者の罪を問わないのは、キリスト教のように自殺者を教会の墓地に埋葬させないとか、地獄に堕ちると説くようなことをしないということでしょう。

重病になればサンガの義務を遂行できなることが多いだろうから、痛悩(痛悩とは身体疾患を原因とする疼痛)者による律の違反行為は、免責される場合がある。

癡狂や心乱(精神疾患と疾病による激痛により精神錯乱)の人は違反行為をした比丘に判断力や責任能力に問題があるため、サンガが会議による一定の手続きを踏んで裁定した場合は、比丘の権利を停止する代わり、狂による律違反行為は波羅夷罪相当といえども免責となる。
その後、本人よりサンガ復帰の懺悔申出があれば、会議による手続きを経て復帰が承認されれば、再ぴ比丘としての修行が可能となる。

狂者不犯(律の違反行為の免責)は、「心神喪失者の犯罪は関しない」という近現代刑法思想と変わりはない。


結局のところ、自殺未遂者は心神喪失として波羅夷罪に問われることはなかったのではないでしょうか。

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安楽死と仏教(2)

2020年09月08日 | 仏教

安楽死・尊厳死には次の三種類があると、児玉真美『死の自己決定権のゆくえ』に書かれています。
① 消極的安楽死 治療を差し控えたり中止することによって結果的に患者の死を早めたり招く行為
② 積極的安楽死 致死薬を注射するなど積極的な行為を行うことによって患者を死に至らしめる行為
③ 医師による自殺幇助 自殺希望のある人が自分で飲んで死に至ることができるよう医師が致死薬を処方するなどの行為

小池清廉「臨死問答と重病人看護」によれば、律では安楽死(積極的安楽死や自殺幇助)を禁じています。

現代の裁判官が条件付きで認めるような自殺幇助を含む安楽死(自発的積極的安楽死・幇助自殺)は、律ではすべて最重罪の波羅夷罪である。

波羅夷罪とはサンガから永久追放される罪。
http://ur2.link/SzYq

小池清廉「初期仏典における痛悩者への対応」にも、自殺教唆や嘱託殺人は律で禁じられているとあります。

重病人に自殺を勧めることや嘱託殺人を禁じた。さらに、瀕死の重病人に対する看護を放棄することを禁止した。

http://ur2.link/S7UQ
釈尊の時代には、激痛を緩和する鎮痛剤はなかったと思いますが、安楽死を認めていないのです。

自殺を勧められて断った比丘や在家信者がいます。
・賊のために重傷を負って苦しんでいる在家たちに、比丘が自殺を勧めた。ところが、「現世において苦を引き受けてこそ、修行が完成できると知っている。衆生に慈悲を行うべき比丘が、自殺を勧めるとは何事か。自殺を勧めることと、人を殺すこととは違いがないではないか」と、在家たちは比丘を戒めた。

・重病比丘を見舞った比丘たちが「君たちは戒律を守り、修行を完成しているから、天の福を得るに違いない。自殺しても必ず天に生まれるだろう。どうして長い間、このような苦を我慢しているのか」と言った。病比丘は「このような苦があっても、自殺はできない。自殺は偸蘭遮の罪になるからです。また、自殺すれば広く梵行を修することができなくなるではないか。自分の手で人を殺すのと、人に教えて自殺させることとどこが違うのか」と答えた。
偸蘭遮罪とは、波羅夷と僧残(サンガに残ることはできるものの、一定期間、僧としての資格を奪われる)の未遂罪、ならびに禁則とされていなくとも常軌を逸した異常行為。

どんなに苦しくても自殺はしないのが律の立場であり、仏教修行者の生き方を示すものに他ならない。

重病では死ぬほどの疼痛があること、精進や七覚支などの修行的行為により、疼痛と病気が克服されることが示されている。仏教修行者にとって、これが疼痛克服のための基本的な対応方法であるというメッセージを、この経(『相応部』S. XLVI. 14)は伝えているものと考えられる。

病比丘を最後まで看護する決まりですから、律は消極的安楽死も禁じているのではないでしょうか。

釈尊が安楽死を禁じたのは、病比丘に頼まれて殺した比丘、自殺を手伝った比丘がいたからです。
重病人は身体が思うにまかせないので、自殺願望があっても自殺できないため、人に頼んで殺してもらったり、自殺を幇助してもらうことになる。
そのようなことがサンガで稀ならずあったため、律は自殺幇助や嘱託殺人などの事例を挙げ、これらを禁止した。
また、重病人に自殺を勧めること、自殺の方法を教えることも禁止した。

・我慢できないほどの苦痛を長く患っている病比丘の看病を担当する比丘は、疲れと嫌気を感じ、「私は長い間あなたを看病しているので、和上や阿闍梨に奉仕することも、誦経や思念や行道にはげむこともできないのです。あなたの病気は長引いており、治らないのではないでしょうか。私は疲れ切っています」と言うと、病比丘は「あなたの言う通りです。どうしたらよいのか。私も病気のために苦痛がひどく、我慢できないほどです。あなたが私を殺してくれればよいと思います」と答えた。すると看病比丘は病比丘を殺してしまった。

・重病を患っていた多くの比丘に、見舞いの比丘たちが病状を尋ねると、病比丘たちは「病状は進み、苦痛を我慢できない。私たちに刀、縄、毒薬、病気が悪化する食べ物を渡してくれ。断崖に連れ出してくれ」と言った。そこで見舞いの比丘たちは病比丘たちに言われたとおりにすると、病比丘たちは自殺してしまった。

・看病比丘が病比丘に「長期の看病のために修行もできず、食や薬を求めに行けば嫌われる。看病に疲れ果てた」と語った。病比丘は「自分も長患いのために苦痛に耐えられないので殺してほしい」と言った。看病比丘は「人を殺してはならないという釈尊の制戒があるからそれはできない」と答えると、病比丘は「刀を持った人を呼んでくれ」と言う。看病比丘は「釈尊の制戒があるのでそれもできない」と答え、自殺の方法をいくつか教えて席を立った。その後、病比丘は自殺した。

とはいえ、自殺した比丘もいます。

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