三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

大学は出たけれど

2020年03月20日 | 

鈴木信行『宝くじで1億円当たった人の末路』によると、幼稚園から高校まですべて公立に通わせると平均で約550万円、すべて私立だと約1600万円。
幼稚園から大学まで私立に通った場合、教育費は2400万円。
中学まで公立で、高校から私立だと約1490万円。

大学が国公立の場合は生活費も含めて年130万~150万円、私立の場合は年に200万円ほどかかる。
日本の国立大学は、初年度納付金が約81万円(授業料約53万円、入学料約28万円)、4年間の合計が約214万円。
仕送り額の平均は約71000円だが、大学生の生活費(住居費を含む)は12万円弱。
私立大学は、文科系が4年間で約361万円、理科系が495万円、医歯系が2141万円。

とはいえ、大卒男子と高卒男子を比較すれば、生涯賃金は約7000万円、女子だと約1億円の差が開く。
ですから、お金がかかっても大学を出たほうがお得です。

栄陽子『留学で夢もお金も失う日本人』によると、アメリカには約4000の大学があり、ピンからキリまで。

英語力がなければ、語学学校に1年通い、コミュニティ・カレッジに入るしかない。
コミュニティ・カレッジで2年間勉強して60単位を取れば、4年生大学の3年に編入できる。
コミュニティ・カレッジとは、地域の人々のための大学で、移民も通うので、高度の英語を操れなくても授業についていける。

しかし、コミュニティ・カレッジを卒業した人が進学するとして普通の州立大学だが、8割は4年制大学に編入できない。
コミュニティ・カレッジの主な目的は移民が英語習得と職業訓練をすることで、日本だと短大、専門学校というイメージ。
コミュニティ・カレッジを卒業して得られるのは準学士号で、日本では大学を卒業したと認められないことが多い。
コミュニティカレッジで終わってしまえば、日本に帰ってもよい就職がない。

学費だけで年間9000ドル、ホームステイは月1000~1200ドルなので、生活費等を含めて2年間で6万~7万ドルかかる。

アメリカの大学は卒業までに22万ドルかかる。
州立大学の学費は年間3万ドル、4年間で12万ドル。
州立大学は州内の学生は授業料が安いが、留学生を含む州外の学生は私立並みに高額。

2016年度の1年間の学費(授業料・寮費・食費)
カリフォルニア大学ロサンゼルス校 55000ドル
カリフォルニア大学バークレー校 55000ドル(州内の学生の授業料は13500ドル弱)
ミシガン大学 56000ドル
ワシントン大学 47000ドル
ハーバード大学 63000ドル
イエール大学 65000ドル
スタンフォード大学 62000ドル
ニューヨーク大学 72000ドル

東部の名門大学の学費も、年間6万~7万ドル。
アメリカの学生の6割が学生ローンを背負っており、負債額は平均で37000ドル。

大学を選ぶ重要な条件は、寮があるということ。
寮のないコミュニティ・カレッジは年間約9000ドル、寮付きのコミュニティ・カレッジは約12000ドル。

ホームステイ代は年間で9000ドルで、都会では2万ドルになることもある。
それとは別に、教材費、保険代、衣料費、交際費、日米間の航空運賃などを100万円は見ておかないといけない。

ホームステイは食事が貧弱、バスなどの公共交通機関が少ない、英語がしゃべれないので家族の会話に入れないなどの問題あり。
ホストファミリーの中には、受け入れ難い理不尽としか思えないことの自己主張をする人がいる。
しかし、相手の言っていることを理解するにも、言い返すにも英語力が足りないし、内気な日本人は自己主張ができないので、相手の主張を全面的に飲み込むことになる。
外国留学というと、なにやらすごいように思いますが、大変そうです。

それにしても、プロバスケットボールNBAを引退した人の60%は5年以内に破産していると、『宝くじで1億円当たった人の末路』とあり、最終的に何がいいのかわからなくなります。

コメント (5)
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中島らも『逢う』

2020年03月11日 | 

中島らもさんと8人との対談、というよりおしゃべり。
野坂昭如さんとは酔っぱらい同士がクダを巻いているようなやりとりに、なんなんだこれはと思います。

20歳のころに山田風太郎『甲賀忍法帳』を初めて読み、横山光輝『伊賀の影丸』の忍者たちと同じ忍術を使ってて、山田風太郎さんが真似をしたのかと思いました。
しかし、『甲賀忍法帖』のほうが先。

中島「白戸三平さんでも、ずっと水に棲んでいたからエラができるとか、身体が変わっていくんですよ」
山田「僕ね、読んだことないんです。似てるってのは、全然知らずに同じころ描いていたんじゃないかなぁ」
中島「横山光輝さんの『伊賀の影丸』もまったく一緒なんですよ。死なない忍者も出てきたりしますからね」
山田「それも見たことないんだけど、ちらちらと聞くと、僕のほうが本家らしい」

影丸という名前だって『忍者武芸帖』の主人公そのまんま。
今だったら絶対に盗作だと非難されますが、そのころは誰も問題にしなかったのでしょうか。

松尾貴史さんはスプーン曲げの清田君のトリックは全部わかったそうです。

中島「清田君の場合はやっぱり、パームトリックとか?」
松尾「それに近いですけど、どっちかっていったら、ミスディレクションですね。たとえば、右手を上に上げて見せてる間に、さっと左手で物を取り上げてても、みなさん、あまり目いかないでしょう」
中島「取りかえているわけ?」
松尾「取りかえもあるんですけど、「たとえば、これ曲げます」っていって、次に「時間かかるんです。集中する時間がいりますから」っていうんですよ。それでまた、「たとえば」っていって、別の何かを指さして、「あそこにある棒でも、僕曲げられるんですよ」っていいながら、キュッとこう力を入れる。みんなが視線を手もとに戻したときには、まだ曲がってないふりをして、しばらく待ってるんですよ。「あ、来たぞ、来たぞ」っていって、みんなに注目させる。ほんとはもう曲がってるんですけど、曲がってる方向が目の高さに水平になるようにするから、曲がってるように見えないんですよ」
中島「なるほど」
松尾「こすってるふりをするわけですね。ものすごい時間かけて徐々にやっていくとか、あとはもう、あらかじめ用意してきてるやつで、金属疲労させといて、力入れて震えているようなふりしながら、その震えを利用して、勢いつけて、ポキンと途中で折れたように見せるとか。あと、ベルトの革のところで、グーッと抑えて曲げたりとか」


松尾貴史さんは中岡俊哉さんが主宰する超能力研究会に入会していたそうです。
松尾「たまたま俺はナカオカトシヤでよかったけど、一歩間違えて松本さん(麻原彰晃の本名)のほうへ行ってたらね」
岡本和明・辻堂真理『コックリさんの父 中岡俊哉のオカルト人生』を見ると、中岡俊哉さんは超能力や超常現象をほんとに信じていたようです。

山田詠美さんと占い師。

中島「気をつけないとめちゃくちゃヤバイ占い師っているんですよ。僕の事務所のすぐ近くに、毎晩、占いが出ているんですけど、二千円だっていうから気晴らしに見てもらったんですよ。そうしたら、「あなたはコウコウシカジカ」って、わりと当たっていることは当たっている。そのうち、「数年先に、とんでもない、死ぬか生きるかの目に遭いますよ。私、実はこういう者です」って名刺くれた。何とか教本部って書いてあんのね。で、「今から、私が本部にすぐ電話します。あなたのことを六人の祈禱師がずっと祈禱してくれますよ」っていう」
山田「お金取るんでしょ、それ」
中島「二万円でどうですか?」というから、「いらんわい」といって、去ったんですがね。あれ、たとえば女の子で、「あなたの代はいいけれども、子どもにガンの相が出てますよ」とか嫌なこといわれたら、やっぱり二万円を持ってたら払っちゃうよね」
山田「銀座の日航ホテルの前に出ている女占い師もそう。私と男友達で見てもらったら、私のほうにはすごくよくいって、彼のことを「これは大変だ」というのね。「お祓いしたほうがいいですよ」って。それでいろいろ話を聞いてたら、やっぱりもう死ぬかもしれないみたいなことをいわれて、あげく何万円だというね。「バカにすんじゃねえよ」と思って、私たちは待ち合わせの場所に行ったの。そうしたら、もう一人の待ち合わせていた男の子がすごい暗い顔してきた。「どうしたの?」と訊いたら、「今、占いをしてもらったんだけど、俺、もうじき死ぬかもしんない、って。お祓い受けろ、っていわれたんだけどさ、どうしようかな」っていう。さっきとまるで同じことをおわれたみたいなの。三人で「あの女許せん!?」」


山田詠美さんと中島らもさんは書くのは嫌いだそうです。

山田「楽しいですか、書くの?」
中島「嫌ですよ」
山田「私、嫌いで嫌いでしようがないんですよ、書くの」(略)
中島「苦痛ですか、やっぱり?」
山田「もう苦痛ですね」


井上陽水さんは音楽を聴かなくなったそうです。

中島「趣味を仕事にしてしまって不幸だな、と思うのは、どんなときですか?」
井上「音楽を、聞かなくなったことですね。欧米の音楽とか、いろいろな外国の音楽とか、もちろん日本にもいろいろな音楽があるけど、そういうのを吸収しながら、自分のやり方で表現していく人もいるけど、僕は全然聞かなくなった」
中島「僕も一緒ですよ。他人の書いた小説は読まないですよ。影響されるから」

それじゃ音楽家や小説家になっても楽しくないように思います。
でも、村上春樹さんはカーヴァーやサリンジャーなどアメリカ小説を翻訳しています。
人それぞれでしょうか。

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ダグラス・G・グリーン『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』

2020年03月05日 | 

『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』はジョン・ディクスン・カー(1906年~1977年)の評伝。
出版部数、印税、収入なども書かれています。

処女作の『夜歩く』は1929年に、300ドル(現在の4550ドル)の前払い金と次の二作をハーパー社から出すという条件で契約を結んだ。

1930年、カーは1年に2冊の作品をハーパー社のために書き、ハーパー社は印税を毎月100ドル(現在の1555ドル))支払うことになった。

1933年の『弓弦城殺人事件』は出版後一か月で重版され、およそ4500部が販売された。
『盲目の理髪師』はイギリスでは、出版後およそ一か月で約1500冊売れ、アメリカでは出版後六か月間で2715冊売れたが、期待はずれだった。

1935年7月、カーはハーパー社と、1936年の秋から1年間に2冊の本を出版するという契約を結び、毎月291ドル(現在の5500ドル)の収入を保証されることになった。

1936年5月、モロー社はカーが年に2刷の本を書くと約束したら、モロー社とハイネマン社の両方から毎月50ポンド、あるいは250ドル(現在の4680ドル)以上の金額を支払うと申し出た。
ハーパー社との契約を合わせれば、毎月500ドルから600ドル(現在の11230ドル)になり、大恐慌の時代としてはかなりの収入になった。

1935年、『火刑法廷』をジョン・ディクスン・カーの名前で出せば、イギリスで約千冊の予約注文を保証できるが、別の筆名で出すと、新人作家の作品となると約400冊くらいしか期待できないと指摘される。

1935年、『デヴィル・キンズミア』のアメリカでの販売部数は、出版後2か月が経過した時点で566部、『盲目の理髪師』は同様の期間で2715部だった。

アメリカで千部売れたとしても、カーの手もとに入る印税は200ドル(現在の3780ドル)にすぎない(ということは、1冊あたり50セントの印税)。
1937年に出版予定の『火刑法廷』は1937年中に印税を550ドル(現在の9936ドル)もたらすと見積もった。
定価2ドル(現在の36ドル)で2750部の売り上げを見込んでいる。

同じ年、歴史物の『エドマンド・ゴドフリー卿殺害事件』は価格が2.5ドル、200ドルの印税をもたらすと考えた。
翌年以降の数字を加えても、『エドマンド・ゴドフリー卿殺害事件』は2400部どまりと予想された。
カーの探偵小説は歴史物の3倍以上売れたということである。

カーの本名での収入はアメリカが3分の2、イギリスが3分の1。
1940年代は25セントのペイパーバックが花盛りになり、十万部以上が印刷されることもしばしばだった。
1940年から1943年にかけてカーの著書15冊がアメリカのペイパーバックになった。

1942年、『皇帝のかぎ煙草入れ』は好調な売れ行きを見せ、定価2ドル(現在の31ドル)の本が1か月で6405部売れ、1943年末までに総販売部数はほぼ9千部に達した。
1944年6月、再版の権利を買った出版社は定価1ドル(現在の14ドル)で5千部を印刷し、9月にはハードカバーの廉価版が定価49セントで2万部、ペイパーバックが定価25セントで15万部印刷された。
『死が二人をわかつまで』は1944年8月の出版から1944年末までに12829部売れた。

思ったのは、1930年代のカーの作品はあまり売れていないということ。
初版の発行部数は少なくても3千部だと聞いたことがあります。
ウィキペディアによると、1930年代のイギリスの人口は約4千7百万人。アメリカは1億2千万人から1億3千万人で、現在の日本と同じくらいです。
なのに、ハードカバーの本が現在の3千円以上と高いことはあるにしても、カーの小説はせいぜい数千冊程度しか売れていません。

カーに比べて、フィッツジェラルドは驚くほど原稿料が高いし、本も売れています。
1934年の『夜はやさし』は1万5000部です。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/fa52031ff8a4e1d3f2b01a8144e21d9e
そのころのアメリカでは、探偵小説よりも純文学のほうが人気があったんでしょうか。

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