三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

『子どもが教えてくれたこと』と『濡れた砂の上の小さな足跡』

2019年01月27日 | 



アンヌ=ドフィーヌ・ジュリアン『子どもが教えてくれたこと』は、動脈性肺高血圧症、ガン(2人)、腎不全、表皮水疱症を抱える5歳~9歳の子供たちのドキュメンタリーです。
http://kodomo-oshiete.com/staff.html

子供たちは元気で明るい。
だけど、時には痛みに泣き出すこともある。
そんな子供たちが「これが人生だ」とか、大人びたことを言うわけです。
自分が死ぬかもしれないことを意識しているのでしょうか。
見てて、この子たちはあと何年生きられるのだろうかと思いました。

監督のアンヌ=ドフィーヌ・ジュリアンは「私の4人の子どものうち、残念なことに2人の娘が重大な病気で他界しました」と語っています。
https://www.anemo.co.jp/movienews/report/kodomo-oshiete-3-20180620/
えっと思い、『濡れた砂の上の小さな足跡』を読みました。
3歳8カ月で死んだ長女のことを書いた本です。

2006年、娘の2歳の誕生日に、娘の病気は異染性白質ジストロフィーという遺伝性疾患だということがわかる。
神経系統のすべてを段階的に麻痺させていく病気で、運動機能、次に言語、視覚を失い、何もわからなくなって死んでいく。
死が訪れるのは発症時から2~5年のあいだ。
治療法はない。
この病気は4~16万人に1人の割合でなり、日本には約1万人いるそうです。

病名を告げられた時のことをアンヌ=ドフィーヌ・ジュリアンはこのように書いています。

さあ立ち上がり部屋を出なくては。なんでもない動作だと思われるかもしれない。でもこれだけのことが、ほかのなにより難しかった。もはや元通りのものなどなにひとつない暮らしへと投げ戻されてしまうのだから。

4歳の息子に妹の病気について伝えます。
両親や友人たちにも。

アンヌ=ドフィーヌ・ジュリアンは妊娠していましたが、おなかの赤ちゃんは4分の1の確率で同じ疾患を持っているかもしれないと告げられます。

長女はだんだんと歩くことができなくなり、車椅子になり、しゃべれなくなり、目が見えなくなり、耳が聞こえなくなり、食べれなくなって胃瘻にし、動けなくなる。

6月29日に産まれた次女も同じ病気だということがわかります。
骨髄移植でよくなるかもしれないと、次女に骨髄移植をします。
次女は高熱が突然出たりして、すごく大変でしたが、ようやく落ち着きます。
ところが再発しているのがわかります。
2007年、長女は亡くなります。

アンヌ=ドフィーヌ・ジュリアンは2人の子供を亡くしているとのことですから、次女も死んだのかもしれません。
それなのに4人目を産むということは勇気があると思います。
『濡れた砂の上の小さな足跡』が出版されたのは2011年。
2013年に、その後を描いた本が出ているそうです。
翻訳されていないようですが、読んでみたいです。

えっと思ったのが、長女の寝室が両親とは別の部屋だということ。
そして、長女をパリに置いて、夏にサルデーニャへ1週間のバカンスに行っていること。
日本だったらたぶんあり得ないでしょう。

フランス人にとってごく普通のことだとしたら、フランスでは介護疲れによる殺人や母子心中はないかもしれないと思いました。
映画や小説を見ると、フランスやイギリスなどでの安楽死や脳死による臓器移植についての感覚には違和感を感じることがあります。
子供の病気の受け止めや看病・介護についての考えや習慣も日本とは違っているのかもしれません。

小河努「障害者の強制不妊手術と中絶、そして分離と隔離」(「くれんどだより」2019年2月)に、障害者の強制不妊手術問題に対するマスコミなどの動きに違和感を感じるとありました。

新型出生前診断による中絶手術が93%を超え、尊厳死宣言公正証書の作成者も年に2000件を超えている。
そして、支援学級在籍者の増加、公的機関による障害者雇用の水増しということもある。
国民の多くが、障害者が生まれること、妊娠すること、いっしょに暮らすこと、臥床後の人生を望んでいない。
それなのに、障害者の強制不妊手術を批判し、表面的な謝罪で免罪しようとする。

小河努さんの言ってることになるほどと思いました。
障害者が生まれないようにするという点では、出生前診断による中絶は強制不妊手術と同じことですから。

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オウム真理教事件死刑囚の死刑執行(5)

2019年01月17日 | 死刑

中川智正さんと何度も面会したアンソニー・トゥー氏は『サリン事件死刑囚 中川智正との対話』に、中川智正さんのことをこのように評しています。

中川氏は死刑囚であるが、接触した人は皆「いい人」だと言う。私も同感で、運の尽きは麻原に会ったことである。もし彼が麻原に会っていなかったら、良いお医者さんになっていただろう。そう思うと残念である。

私もそう思います。

中川智正さんの俳句。

先知れぬ身なれど冬服買わんとす
証人として出廷することになった。スーツを買うよう現金を差し入れて下さった方があった。
「無駄だね」と友に笑えど医書残り
今もなお医学書を手元に置いている。


中川智正さんだけではなく、林泰男さん、端本悟さんたちも、本人を知っている人の話だと、すごくいい人だそうです。
死刑囚に限らず、犯罪を犯した人のほとんどはごく普通の人だと思います。
だからといって、いい人だから処刑すべきではないということではありません。
犯罪を犯すに至ったのか、その背景を考えるべきだと思います。

オウム真理教の場合は神秘体験が大きいです。
多くの犯罪者は、貧困、虐待、障害、アルコールや薬物などの要因があります。
恐怖も背景の一つです。

2018年12月12日、大阪府警は、傷害や恐喝未遂などの疑いで半グレ集団「アビスグループ」のメンバーの10~30代の男女49人を逮捕・送検したと発表しました。
ナンバー2は「リーダーの指示にそむけば集団リンチに遭う。やるしかなかった」と供述しているそうです。
https://www.asahi.com/articles/ASLDD535NLDDPTIL018.html
オウム真理教でも、地獄に落ちるという恐怖がありました。

また、教育も大きな要因です。
戦争において捕虜や民間人を拷問したり虐殺した兵士たちは、それはしてはいけないと教えられていたかどうか。
また、上官の命令には従わざるを得ませんでした。
麻原彰晃が最終解脱者であり、超能力を持っていると信じ込んでいる信者にとって、麻原彰晃の指示は絶対だったでしょう。

カエサルの言葉に「どんな悪い結果に終わったことでも、それがはじめられたそもそもの動機は、善意によるものであった」というものがあります。
麻原彰晃たちは救済のつもりだったのです。

また、夏目漱石『こゝろ』には「悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているのですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にある筈がありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです」とあります。
どんなにいい人であっても、さまざまな条件が組み合わされば何をするかわからない。
それが人間だと思います。

人間は、天使でも、獣でもない。そして、不幸なことには、天使のまねをしようとおもうと、獣になってしまう。 パスカル『パンセ』

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オウム真理教事件死刑囚の死刑執行(4)

2019年01月11日 | 死刑

なぜオウム真理教は事件を起こしたのか。
なぜオウム真理教は凶悪な宗教になったのか。

アンソニー・トゥー『サリン事件死刑囚 中川智正との対話』は、お金の問題、そして麻原彰晃が絶対的な力を持っていたことをあげています。
麻原彰晃に絶対の服従を要求し、生活の規則も厳しかった。
どの団体でも活動するのに資金がいる。
オウム真理教の一番大きな資金源は、信者にすべての財産を寄付させることだった。
これに不満を持つ人、疑問を持つ人が出たので、そういう人たちを拷問、はては殺人までするようになった。

しかし、教祖が絶対者で、お金にうるさい宗教はいくらでもありますが、殺人まですることはありません。
では、なぜあんな事件が起きたのか。
藤田庄市「死刑大量執行の異常 宗教的動機を解明せぬまま」(「世界」2018年9月号)を参考にして私なりにまとめると、麻原彰晃の誇大妄想、そして神秘体験と被害妄想が大きいと思います。

自分は神によって選ばれたのだという誇大妄想。
その背景には麻原彰晃の神秘体験がある。

「アビラケツノミコトを任じる」という1985年に麻原が受けた神託が、彼の宗教的妄想と使命感を決定した。神託の意味は、麻原が「神軍を率いる光の命」であり、ハルマゲドンにおいて彼は修行によって超能力を得た信徒たちを率いて戦う存在だった。


信者も神秘体験を経験して麻原彰晃を信じ、その指示に従うようになった。
麻原彰晃は国家権力を覆そうとして武装化に走り、通常兵器だけではなく、生物兵器や化学兵器を作ろうとした。

麻原彰晃は自分やオウム真理教がフリーメーソンなどによって毒ガス攻撃されているという被害妄想を持っていました。
1990年2月、衆議院選挙でオウム真理教は全員が落選した。
必ず当選すると信じていた麻原彰晃は当局による妨害があったと思い、4月、「マハーヤーナではなくヴァジラヤーナでゆく」と宣言。

広瀬健一さんはヴァジラヤーナについてこう書いています。

麻原はヴァジラヤーナの救済として「ポア」を説きました。当初ポアは、麻原が前記神秘的な力によって、信徒の精神を解脱の状態、あるいは幸福な世界に転生する状態に高めることでした。それが転じて、人々を殺害することによって、より幸福な世界に転生させることとして説かれるようになったのです。


藤田庄市氏は、オウム真理教は神秘体験を重視したが、麻原彰晃は正式に師についてきちんとした修行をしていない、つまり師匠に教えを授かるという師資相承を受けていなかったことを指摘しています。
そのため、神秘体験が真実なものか、幻覚にすぎないかの判断ができていなかった。

ヨーガでは修行がもたらす身体および意識変容を麻原の霊的能力によるものと信徒に思い込ませ、盲目的なグル=麻原信仰の道具とした。


1審で裁判官に名前を聞かれたとき、土谷正実は「私は麻原尊師の弟子です」と答えた。
トゥー氏はこのように書きます。

1審の頃は土谷は麻原をまだ尊敬していたのは間違いないという。土谷は獄中で明るい光に囲まれるという神秘体験をしたそうだ。麻原の威光が空間を超えて自分に伝わったのだと、土谷は思ったそうである。


藤田庄市氏は「事件の底を流れる宗教的動機は無差別大量殺人による救済だった」と結論しています。

現代人は悪業を積み続け地獄へ堕ちる。その彼らを救済するには彼らの命を絶ち、麻原がそのカルマを背負いポアするしかない。ポアのポイントはここにある。麻原一人が人の死に時を見切ることができ、その者と縁をつけ、カルマを代わりに負い、高い世界へ転生させるのである。ここに無差別大量殺人すなわり救済という信仰内容が確立した。

麻原彰晃も神秘体験の犠牲者と言えるかもしれません。

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