アンヌ=ドフィーヌ・ジュリアン『子どもが教えてくれたこと』は、動脈性肺高血圧症、ガン(2人)、腎不全、表皮水疱症を抱える5歳~9歳の子供たちのドキュメンタリーです。
http://kodomo-oshiete.com/staff.html
子供たちは元気で明るい。
だけど、時には痛みに泣き出すこともある。
そんな子供たちが「これが人生だ」とか、大人びたことを言うわけです。
自分が死ぬかもしれないことを意識しているのでしょうか。
見てて、この子たちはあと何年生きられるのだろうかと思いました。
監督のアンヌ=ドフィーヌ・ジュリアンは「私の4人の子どものうち、残念なことに2人の娘が重大な病気で他界しました」と語っています。
https://www.anemo.co.jp/movienews/report/kodomo-oshiete-3-20180620/
えっと思い、『濡れた砂の上の小さな足跡』を読みました。
3歳8カ月で死んだ長女のことを書いた本です。
2006年、娘の2歳の誕生日に、娘の病気は異染性白質ジストロフィーという遺伝性疾患だということがわかる。
神経系統のすべてを段階的に麻痺させていく病気で、運動機能、次に言語、視覚を失い、何もわからなくなって死んでいく。
死が訪れるのは発症時から2~5年のあいだ。
治療法はない。
この病気は4~16万人に1人の割合でなり、日本には約1万人いるそうです。
病名を告げられた時のことをアンヌ=ドフィーヌ・ジュリアンはこのように書いています。
4歳の息子に妹の病気について伝えます。
両親や友人たちにも。
アンヌ=ドフィーヌ・ジュリアンは妊娠していましたが、おなかの赤ちゃんは4分の1の確率で同じ疾患を持っているかもしれないと告げられます。
長女はだんだんと歩くことができなくなり、車椅子になり、しゃべれなくなり、目が見えなくなり、耳が聞こえなくなり、食べれなくなって胃瘻にし、動けなくなる。
6月29日に産まれた次女も同じ病気だということがわかります。
骨髄移植でよくなるかもしれないと、次女に骨髄移植をします。
次女は高熱が突然出たりして、すごく大変でしたが、ようやく落ち着きます。
ところが再発しているのがわかります。
2007年、長女は亡くなります。
アンヌ=ドフィーヌ・ジュリアンは2人の子供を亡くしているとのことですから、次女も死んだのかもしれません。
それなのに4人目を産むということは勇気があると思います。
『濡れた砂の上の小さな足跡』が出版されたのは2011年。
2013年に、その後を描いた本が出ているそうです。
翻訳されていないようですが、読んでみたいです。
えっと思ったのが、長女の寝室が両親とは別の部屋だということ。
そして、長女をパリに置いて、夏にサルデーニャへ1週間のバカンスに行っていること。
日本だったらたぶんあり得ないでしょう。
フランス人にとってごく普通のことだとしたら、フランスでは介護疲れによる殺人や母子心中はないかもしれないと思いました。
映画や小説を見ると、フランスやイギリスなどでの安楽死や脳死による臓器移植についての感覚には違和感を感じることがあります。
子供の病気の受け止めや看病・介護についての考えや習慣も日本とは違っているのかもしれません。
小河努「障害者の強制不妊手術と中絶、そして分離と隔離」(「くれんどだより」2019年2月)に、障害者の強制不妊手術問題に対するマスコミなどの動きに違和感を感じるとありました。
新型出生前診断による中絶手術が93%を超え、尊厳死宣言公正証書の作成者も年に2000件を超えている。
そして、支援学級在籍者の増加、公的機関による障害者雇用の水増しということもある。
国民の多くが、障害者が生まれること、妊娠すること、いっしょに暮らすこと、臥床後の人生を望んでいない。
それなのに、障害者の強制不妊手術を批判し、表面的な謝罪で免罪しようとする。
小河努さんの言ってることになるほどと思いました。
障害者が生まれないようにするという点では、出生前診断による中絶は強制不妊手術と同じことですから。