三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

テッド・チャン『あなたの人生の物語』(2)

2017年11月14日 | 

「地獄とは神の不在なり」
たまに、天使が降臨する世界。
何のために天使が降臨するのかはわからない。
天使が降臨すると、病気が治るなどの奇蹟がある一方、死傷者も大勢出る。
主人公の妻は天使が降臨した際に、割れたガラスに当たって失血死する。
妻は天国に行くが、夫は神を信じていないから地獄に落ちるしかない。
地獄といっても、神と永遠に縁がなくなる以外、人間界と変わらない。
しかし、夫は妻と再会するために天国に行こうとする。
天国の光を見た者は必ず天国に迎えられるので、夫は天国の光を見るために旅をする。
ところが、夫は天国の光で作り直されたにもかかわらず、結局は地獄に落ちる。
地獄に落ちるかどうかは、その人がしたことの結果ではなく、何の理由もない。

この世界の論理は、天国に行くか地獄に落ちるかは神があらかじめ定めていて、本人の信仰や努力は一切関係ない、しかも神の意思を人間が知ることはできないという、カルヴァンの予定説と同じです。

救われるかどうかは決まっていて、善行が意味を持たないのなら、何をしてもいいではないかということになります。

しかし、救われると定められた人間は神のお心にかなう行動をするはずだ、それでプロテスタントは禁欲的に自分の与えられた仕事を勤勉にはげむ。
このようにマックス・ヴェーバーは説明しているそうです。

人生、さまざまな不条理で理不尽な出来事がふりかかります。

真面目にしたからといって報われるとはかぎりません。
宗教とは、不条理な事柄に物語で意味を与えることにより、納得させ、受けとめさせるものだと思います。

カルヴァンの予定説によって人生の理不尽さがなくなるならば、それはそれでOKです。

私はそういう物語を信じようとは思いませんが。

『はじめて読む聖書』で、内田樹氏が哲学者のエマニュエル・レヴィナスについて語っています。

ナチスのユダヤ人虐殺を生きのびたレヴィナスは、なぜ死んだのは他の人で自分ではなかったのか、生き残ったものの責務は何かと問うた。
生き残った人間が「自分が生き残ったことには理由がある」ということを自分自身に納得させるためには、「死者たちがやり残した仕事をやり遂げる」しかない。
そして、仕事を託されたがために自分は生き残ったと思うしかない。

レヴィナスはユダヤ教の宗教文化を再構築することが自分の責務だと考えた。
ナチスによるホロコーストの後、多くのユダヤ人がユダヤ教から離れていった。
レヴィナスは若いユダヤ人たちにこう説いた。

人間が善行をすれば報奨を与え、邪な行いをすれば罰を与える。神というのはそのような単純な勧善懲悪の機能にすぎないというのか。もし、そうだとしたら、神は人間によってコントロール可能な存在だということになる。人間が自分の意思によって、好きなように左右することができるようなものであるとしたら、どうしてそのようなものを信仰の対象となしえようか。神は地上の出来事には介入してこない。神が真にその威徳にふさわしいものであるのだとすれば、それは神が不在のときでも、神の支援がなくても、それでもなお地上に正義を実現しうるほどの霊的成熟を果たし得る存在を創造したこと以外にありえない。神なしでも神が臨在するときと変わらぬほどに粛々と神の計画を実現できる存在を創造したという事実だけが、神の存在を証しだてる。


レヴィナスの考えはすごく説得力があると思いましたが、しかし神の不在、もしくは神が何もしないことをこのような形で意味づけしているようにも感じます。
神は世界を創造した後はほったらかしなのでしょうか。

田川建三氏が国際基督教大学で講師をしていたとき、毎週行われる礼拝でこんな説教したそうです。(『はじめて読む聖書』)

神は存在しない。神が存在するなぞと思うな。ただ、古代や中世で神を信ぜざるをえなかった人たちの心は理解しようではないか。
クリスチャンが考えている神は人によって全然違う。
神とはそれぞれの人間が勝手にでっちあげるイメージだから、それならむしろ、神なんぞ存在しないと言い切る方がクリスチャンらしいじゃないかということです。


田川建三氏は無神論というより不可知論だそうです。

私が不可知論と言うのは、知らないことについては、とことんまで何も言うな、ということです。少なくともその方が謙虚だと思います。わからない巨大な無限なものが向こうに広がっているというんだったら、正直に、その先はわからないのです、と言って、あとは黙って頭を下げればいいじゃないですか。

意味づけをしないということだと、勝手に解釈しました。

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テッド・チャン『あなたの人生の物語』(1)

2017年11月10日 | 


フィリップ・K・ディックの小説には、他の人がはたして人間なのか、それともアンドロイドなのか、さらには自分もアンドロイドで、記憶を植えつけられて人間だと思っているのではないか、ということをテーマにしたものがあります。

フィリップ・K・ディックの小説が原作の『ブレードランナー』も、人間とは何か、アンドロイドとの違いは何かという実存的な問題提起がなされています。
『ブレードランナー 2049』はレプリカントと人間の違いがもっと曖昧になっていて、もし続編が作られるとしたら『ターミネーター』の未来の世界のようになるんじゃないかと思います。

『ブレードランナー 2049』の監督であるドゥニ・ヴィルヌーヴの作品はいずれも哲学的な問題がテーマとなっています。

『メッセージ』もそうで、原作はどんなんだろうと思い、テッド・チャン『あなたの人生の物語』を図書館で借りました。
9篇の中短編は、いずれも哲学的、宗教的です。
3篇をご紹介。

「顔の美醜について」

カリーという美醜失認処置をつければ、美人とブスの違いがわからなくなる。
容姿よりも人間性や知性が大切にされる世界です。

ある大学で、新入生は恵まれない顔立ちの人びとに対する偏見、容貌差別への対応としてカリーをつけなければいけないという議案が提唱される。
この議案には過半数の生徒が支持していたが、化粧品業界が後ろにいる団体のスピーチの影響で、議案は否決される。
このスピーチはデジタル操作が行われており、視聴者の感情的反応を最大化し、効果を増大するために、声の抑揚、顔の表情などを調整するソフトが使われていた。

まず問題となるのはメディアによる情報操作、洗脳ということです。
たとえば、ロシアがツイッターやフェイスブックを利用してアメリカの大統領選挙に介入したことによってトランプが当選したという疑惑。
あるいは、ネトウヨのコメントには自民党からお金が出るという話。
http://tocana.jp/2017/09/post_13806_entry.html

会社の新入教育でも、社是を大声で言わせ、「声が小さい」と怒鳴っては何度も繰り返させるそうですが、これは一種のマインドコントロールです。

長時間のサービス残業をしたり、上司からパワハラを受けたり、さらには会社のために法律に触れることもしても、それがおかしいとは思わなくなるのも洗脳の一種です。

そして、美醜についての偏見、差別という問題。

ユニリーバがFacebookで公開した、黒人女性が着替えると白人女性に変身するという「Dove(ダブ)」の動画が炎上したので、削除して謝罪しています。
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1710/10/news118.html



考えてみると、ロゼット化粧品のCM「白子さんと黒子さん」だって似たようなもんです。


https://rosette.jp/u/cafe/story03.php

私たちは人や物事を偏見なしに見ることができません。

見た目で判断しがちで、美人だったら欠点を見逃すこともあります。
顔に自信のない人は行動にも自信のなさが表れます。

グレアム・グリーン『情事の終り』に、生まれつき顔に赤アザがある男が出てきますが、カリーがあれば誰もアザを気にしないわけで、この男が無神論者になることもなかったでしょう。

差別、偏見をなくすためには美醜が分からないほうがいいような気がします。

でも、美人画を見ても何とも思わなかったり、マリリン・モンローがセックスシンボルでなくなるというのも寂しい話です。

「あなたの人生の物語」
ネタバレになるんですが、
宇宙人の言語を学んだ主人公は過去や未来を現在と同じように体験することができるようになる。

秋吉輝雄氏(『はじめて読む聖書』)によると、ヘブライ語は過去・現在・未来の区別がない、時制のない言葉だそうです。

ユダヤ教の時間では、起こったことは全部、起こったことであると同時に起こりつつあることで、天地創造の物語も、神のなさった過去の偉大なる御わざというよりは、いままさに眼前で行われている感じだとのこと。
「あなたの人生の物語」の時間論というか、宇宙人の感覚はこれなのではないかと思いました。

主人公は娘が生まれ、そして25歳で死ぬことを知っている。

死ぬことが分かっていながら、子供を産む。

主人公は子供がいない現在と子供がいる過去を同時に生きているので、この選択はありです。

しかし、そういう芸当のできない私たちが、未来がどうなるか分かって、その未来の中には子供が死ぬというようなこともあって、それでもその未来を選ぶかどうか。
これは、子供との25年間を選ぶか、子供そのものが存在しない世界を選ぶか、ということでもあります。
これまた難問です。

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黒川祥子『誕生日を知らない女の子』

2017年08月29日 | 

黒川祥子氏は、虐待を受けた子どもは児童相談所によって保護され、親から離されたら、それで問題は解決すると思っていたそうですが、私もそのように思っていました。
『誕生日を知らない女の子』を読み、それは大きな間違いだということを知りました。

黒川祥子氏は「あいち小児保健医療総合センター」の杉山登志郎医師と新井康祥医師に話を聞きます。

杉山医師「虐待を受けた子どもは、とにかく問題行動をひっきりなしに起こす。そして自信の弱さが外に出て、イライラが募ると暴れてしまう。つまり、虐待的な対人関係を繰り返すのです」

虐待は後遺症が残る。

新井医師「虐待を受けた子は怒りや恐怖など、さまざまな感情に蓋をしているのですが、保護されて警戒が緩むと、蓋が開くんです。そうすると陰湿ないじめをしたり、激しい暴力衝動が抑えられなくなったりするんです。友達がいなくなるとわかっているのに、暴力の衝動が止まらなくなって、本気で取っ組み合いをしてしまうとか。
明らかに体格が違っていても、弱肉強食で生きてきた子たちですから、普通に小学校低学年が中学生をおどしますよ。生き抜くことしか考えられない環境で生きてきたので、たとえはよくないと思いますが、まるで動物の縄張り争いです。小学校一年でも二年でも、生きるために縄張りを作ろうと必死でやってますよ」


厚労省の統計では性的被害は3%だが、「あいち小児保健医療総合センター」の診察の内訳では17%ぐらい。

新井医師「性被害を受けた子どもはスイッチが入ってしまうと、自分も性的な行動をすることがよく見られます。性的な発言や自慰行為、性行為に至ることも珍しくありません。それが性化行動です。
たとえばこの柱の陰とか壁の裏とかで、ぱっとやってしまうんです。あらかじめお互いに話をしてあるからできるんでしょうね。柱の陰でさっとパンツを脱いで、『できた』『できなかった』って戻ってくる。これは、児童養護施設ですごく困っていることです。
小学校低学年でも性的な興奮は感じるので、性被害を受けた子は養護施設の中でも性行為をやってしまうんです」


虐待によって脳に変化がもたらされることがあるそうです。

杉山医師「子ども虐待の対応が後手に回ってうまくいっていないのは、子ども虐待がもたらす後遺症の見立てが甘いところに原因があります。複雑性トラウマというのですが、これは脳に器質的な変化をもたらします。画像などではっきりわかります。非常に重い後遺症が出ているわけだから、薬物療法と生活療法、それと心理療法を組み合わせて治療していくしかないんです」

生まれつき発達障害でなくても、虐待により大脳のさまざまな領域に機能障害が引き起こされることで、ADHD的な行動に出るなど、広汎性発達障害のように見えることもある。

新井医師「子どもが大人ぐらいの量を飲んでも、ふらつきもせず平気なんです。それどころか、『眠れないから薬をください』とも。被虐待児は、いつ殴られるかという警戒警報が二十四時間鳴りっぱなしの中で生きてきたので、頭の中がずっと過覚醒。すべての刺激にものすごく敏感になっていて、ちょっとの量では鎮静がかからないんです」


とはいえ、虐待をする親を断罪すればいいというものではありません。
佐藤喜宣氏によると、子どもへの虐待で一番精神的にダメージが大きいのは性的虐待ですが、「あいち小児保健医療総合センター」では、診察室にやってくる被虐待児の親の多くが「未治療の被虐待の既往」を持っており、とりわけ深刻なのが性的虐待により後遺症なのだそうです。
カルテを作った親の63%が性的虐待の被害があり、解離性同一性障害(いわゆる多重人格)という診断名がついたケースは42%にも及ぶ。
親も被害者だったわけです。

黒川祥子氏はファミリーホームの取材をします。

ファミリーホームは、養育者の住居において、5人から6人の要保護児童を育てていく制度だそうで、里親は個人という位置づけなのに対し、ファミリーホームは第二種社会福祉事業に分類される。
そんなのがあるとは知りませんでしたが、世の中にはえらい人たちがいるものだと感心しました。

『誕生日を知らない女の子』は、虐待を受けてファミリーホームで生活する4人の子供と、大人1人(自身が虐待を受け、自分の子供を虐待する)が取り上げられています。

虐待の後遺症がこれほどのものだとは思いもしませんでした。
ずっと以前、里親になろうかと思ったこともありますが、とてもじゃないけど私にはできないと思いました。

驚いたのが、児童養護施設の中には、子供の世話をあまりしない、すなわちネグレクト状態の施設があるということ。

職員による体罰や、子供同士の暴力、そして生活習慣、一般常識を教えない。
風呂に入っても身体の洗い方、頭の洗い方を知らなかったり、ウンチをした後に尻を拭くことを知らなかったり、熱いお茶の冷まし方(水を入れたり、フウフウして冷ましたり)を知らなかったりなどなど。

「厚生労働省は7月31日、虐待などのため親元で暮らせない子ども(18歳未満)のうち、未就学児の施設入所を原則停止する方針を明らかにした。施設以外の受け入れ先を増やすため、里親への委託率を現在の2割未満から7年以内に75%以上とするなどの目標を掲げた。家庭に近い環境で子どもが養育されるよう促すのが狙い。」(毎日新聞2017年7月31日)

https://mainichi.jp/articles/20170801/k00/00m/040/119000c
しかしながら、ネットによると、ファミリーホームや里親による虐待も少なくないようです。
http://child-abuse.main.jp/jian.html

虐待の連鎖をなくすためにも、虐待を受けた子供をどのようにして回復させるか、これまた難しい問題だとため息が出ました。

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金成隆一『ルポ トランプ王国』(1)

2017年06月06日 | 

なぜトランプは大統領選で勝利したのか疑問でしたが、金成隆一『ルポ トランプ王国』を読んで、こういうことかと思いました。

CNNの出口調査の結果によると、トランプに投票したのは、郊外か地方に住む45歳以上の白人男性、高卒か大学中退で年収は5万ドル以下、経済状況は4年前と比べて今のほうが悪いと考えている人たちが多い。

大統領選挙でのトランプの得票率は、ニューヨークのマンハッタンで10%、ブルックリンで17.9%、ワシントンで4.1%、サンフランシスコ郡で9.4%、ロサンゼルス郡で23.4%。
都市部はトランプを拒絶した。

トランプが遊説する場所はほとんどが田舎で、大都会、特にワシントンやニューヨークへの反発心が強い街。
自分の訴えがどこの人々に響くかをトランプは理解していた。

トランプは白人比率が85%の郡で62%を得票し、クリントンの33%を引き離した。
2012年の大統領選では、オバマは41%を得票している。
白人の比率は、ニューヨーク市が約33%、ロサンゼルス市は約29%だが、アパラチア地方の多くは白人の街。

2012年の大統領選で共和党候補が負け、今回トランプが勝った州は6つある。
そのうち5州は五大湖周辺のラストベルト(さびついた工業地帯)と呼ばれる州である。
製鉄業や製造業が栄え、高卒の労働者たちがまっとうな給料を稼ぎ、ミドルクラス(中流階級)を形成していたエリアだ。
ラストベルトの労働者たちは、労働組合に属し、民主党を支持する傾向が強かった。
ところが、今回の大統領選ではトランプに投票したのである。

 1 ミドルクラスからの転落
トランプ支持者とサンダース支持者の似ている点は、かつての豊かな暮らしが終わる、低所得層に転落しそうだ、という不安を抱えているミドルクラスが多いこと。

金成隆一氏の理解では、アメリカン・ドリームとは、まじめに働いて、節約して暮らせば、親の世代より豊かな暮らしを手に入れられる、今日より明日の暮らしはよくなるという夢だ。

トランプ支持者が懐かしむ50年代、60年代、70年代前半は、アメリカでは比較的格差が縮小した時代だった。
1940年生まれの世代が親より裕福になる確率は約92%だったが、50年生まれで約79%、60年生まれで約62%、70年生まれで約61%、80年生まれで約50%に落ちた。

アメリカの製造業の雇用者数は、1945年の約1200万人、1979年に約1950万人のピークに達し、その後は下降線を描き、1990年の1780万人が2016年の1230万人にと、約3割減った。
工場が閉鎖されて、廃工場、廃屋が並んでいるさびれた町は失業率が高い。

子どものころには家族そろって毎年旅行に出ていたのに、今は月末になるとお金の心配ばかりで、長期休暇を楽しむこともできない。
まじめに働いてきたのに以前のような暮らしができない、ミドルクラスから没落しそうだ。

デトロイトの元病院勤務(67歳)「私はずっと普通のミドルクラスでした。(略)
企業はもうかっても、労働者には利益が回ってこない。私にとっては、今のように自分が金銭的にぎりぎりの暮らしをしていること自体が奇妙な感じがします。それを思うと、イライラしてしまう。
もうデトロイトにはミドルクラスはほとんど残っていないと思います。20年ぐらい前からでしょうか、どんどん暮らしがきつくなった。かつてのミドルクラスは、ごく一部だけが上に這い上がり、残りの大半は下に落ちました。私は間違いなく下に落ちた大勢の中の1人」

サンダース支持者(48歳)「今のアメリカは生活費も高すぎます。サービスも食料も、何でも高い。月末にお金が残らない。私はきちんと働いているというのに、普通の暮らしを営むことも難しい。もう3年間もバケーション(長期休暇)で家族旅行にも出られない。昔は1年に1度、1週間ぐらい太陽の近くに行っていた。(略)
私は所有していた家を手放し、今はアパート暮らし。まじめに働いているのにお金が手元に残らず、家族旅行にも行けない。私たちはもうミドルクラスではない。私にとってミドルクラスとは、普通の人。週40時間はたらいて、自分の生活を支えて、正しいことをやるように努めて、社会で生きること。でもそれがいま消えかかっている。(略)
娘が「将来は歯科医になりたい」と言い始めた。でも多額の費用がかかるので、うちには学費を払う余裕がない。娘は、もう夢を追いかけられない」

大学を出ても、資格が生かせる仕事に就けないし、学資の借金を返すのに苦労する。
州立大学で経営学の学位を取得したが、溶接工をしている男性は、学費の返済残高が8万ドル、毎月700ドルの返済をしている。
州立大学を卒業してガス採掘会社に就職した男性(32歳)は、年収の半減を一方的に通告されて退職、いまだに仕事が見つからない。

オバマケアへの不満の声が多いのには驚きでした。
勤務先が掛け金を払えないと言いだして無保険になった溶接工(42歳)「オバマケアの責任だ。掛け金が跳ね上がり、勤め先が保険をカットした」

サンダース支持者(48歳)「オバマケアは負担額が大きかった。オバマケアが導入される以前に戻してほしい。(略)みんなが社会保険に入るべきだと思っていたけど、あまりに負担が大きすぎる」

2017年の保険料が2割以上あがるとの試算が発表されている。
地域によっては2倍以上に跳ね上がるケースもある。

日本も中間層の所得が減少し、世帯所得は1996年に比べて18%低下しています。
共働き世帯が増えているのに、世帯収入は2割近く落ちたのです。
一億総中流化と言われた時代は過去のものとなりました。

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日本会議

2017年05月29日 | 

上杉聰『日本会議とは何か』、菅野完『日本会議の研究』、青木理『日本会議の正体』を読み、日本はきわめてヤバイ状況にあるのではないかと不安になりました。
青木理氏は、日本会議を「戦後日本の民主主義体制を死滅に追い込みかねない悪性ウィルスのようなものではないかと思っている」と批判しています。

日本会議が結成されたのは1997年。
会員は個人が約35000人、役員総数62名のうち、24名が宗教関係者によって占められている。
日本会議に関わっている、神社本庁、霊友会、念法眞教、崇教真光、解脱会、黒住教、佛所護念会教団、オイスカ・インターナショナル、倫理研究所、モラロジー研究所などの宗教団体は、日本会議や関連団体が実施する数々の運動やイベントに多数の信者を動員する。

この動員力こそが日本会議の特徴で、日本会議は、選挙に際して公言したとおりの数字を確実に出すから、政治家は日本会議に魅力を感じる。
第三次安倍内閣の全閣僚のうち16人、84.2%が日本会議国会議員懇談会に参加している。

オーストラリア・ABCテレビ「日本会議とは、日本の政治をつくりかえようとしている極右ロビー団体である」
フランス・『ル・モンド』紙「日本会議とは、安倍氏も所属し、1930年代の日本の帝国主義を擁護する強力な超国家主義団体である」
ケネス・ルオフ(ポートランド州立大学教授)は、アメリカのキリスト教原理主義と日本における宗教右派の新たな台頭を比較し、「アメリカの最右派団体、キリスト教連盟と同じ」と言っている。

日本会議の実態は宗教右派団体に近い政治集団である。
こうした宗教勢力の台頭という様相は、中東のイスラム原理主義運動などにも及ぶ世界的な動向の一環として見るべきであろうと、上杉聰氏は書いています。

日本会議の源流となったのが生長の家に出自を持つ右派の政治活動家たちであり、組織運営面で生長の家の出身者が日本会議の中枢を支えている。
動員面、資金面、影響力など主柱的に支えているのが神社本庁である。

日本会議と関連団体が長年にわたって続けてきた「草の根市民運動」は、
・国旗国歌法の制定
・外国人の地方参政権反対
・教育基本法の改正
・女系天皇容認の皇室典範改正反対
などで成果をあげている。
育鵬社の歴史と公民の教科書が大阪で採択された経緯のえげつなさが、『日本会議とは何か』に書かれてありますが、これも市民運動の成果でしょう。

日本青年協議会の会長で日本会議事務総長の椛島有三、日本政策研究センターを率いる伊藤哲夫は、「生長の家学生運動」の出身である。
「生長の家原理主義」の中心団体である「谷口雅春先生を学ぶ会」には、稲田朋美、衛藤晟一などの安倍側近の政治家、百地章、高橋史朗など御用学者・言論人が参加している。

生長の家の教祖である谷口雅春を信奉する人たちは、日本国憲法やそれに象徴される戦後体制を嫌悪し、憲法「改正」運動は憲法の存在を認めるものであり、納得できないらしい。
憲法と戦後体制を突き崩すため、小異を捨てて大同につき、日本会議という政治集団に結集したと、青木理氏は書いています。

もっとも、生長の家は政治活動から離れ、2016年6月には「今夏の参議院選挙に対する生長の家の方針」という声明文の中で、「当教団は、安倍晋三首相の政治姿勢に対して明確な「反対」の意思を表明するために、「与党とその候補者を支持しない」ことを6月8日、本部の方針として決定し、全国の会員・信徒に周知することにしました」と、はっきり宣言しています。

では、谷口雅春はどういう思想の持ち主なのか。
「極右的で、超復古主義としか言いようのない政治思想であり、自民族中心主義に陥りかねない」と青木理氏は書き、谷口雅春の著書から文章を引用しています。
『皇道霊学講話』(1920年)

全世界の人類が幸福な人間らしい生活を送るためには神から先天的に首脳者として定められたる日本皇室が世界を統一しなければならないのである。それは日本自身のためではない。全世界の人類の永遠の幸福のために必要なのだ。

 

先天的に日本国が世界の首脳国であり、日本人が世界の支配者として神から選ばれた聖民である。


谷口雅春『占領憲法下の日本』(1969年刊)

神武天皇建国以来、二千六百有余年、連綿として天皇を統治の主権者として継承奉戴し来った。建国の理想と伝統とを、一挙に破壊放棄して、占領軍の〝力〟関係で、「主権は国民にありと宣言し」と主張してまかり通って、その罷り通った憲法が今も通用しているのである。

 

ここにただ一つ、自民党政権が起死回生する道がある。それは(略)、天皇に大政を奉還することである。すなわち「主権は国民にありと宣言し」の現行占領憲法の無効を暴露する時期来れりと宣言し、「国家統治ノ大権ハ朕か之ヲ承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル所ナリ」と仰せられた本来の日本民族の国民性の伝統するところの国家形態に復古することなのである。


谷口雅春の唱える、国民主権の否定と天皇主権、祭政一致へのかぎりない憧憬と政教分離の否定、明治憲法への復元、国家重視と人権の軽視は、右派系の文化人、政界主流の与党幹部、財界人らに信奉されているそうで、三島由紀夫、鳩山一郎、三木武夫、平沼赳夫たちが谷口雅春に私淑したそうですが、信じられない話です。

政治的な力を持つ人たちが、今も谷口雅春を信奉しており、日本政策研究センターの目的は、憲法の緊急事態条項の追加、家族保護条項の追加、9条の改正だけでなく、最終的な目標は明治憲法の復元にある。
安倍政権が実現させようとしてのがまさにこれですから恐い。

天皇、皇后、皇太子への誹謗中傷を書く右派ブログがありますが、この人たちは、天皇や皇太子が「憲法を遵守する」と明言しているのが気にくわないのかもしれません。

日本会議などで実務を担当している谷口雅春信奉者たちは、きわめて真面目であり、勉強熱心で、富や名声を求めず、時には裏方に徹して尽力する。

何よりもそうした者たちの根っこには「宗教心」がある。一般の感覚ではなかなかはかりしれないが、幼いころから植えつけられた「宗教心」は容易に揺るがず、容易に変わることがない。変わることもできない。人からどう見られようと気にせず、あきらめず、信ずるところに向かってひたすらまっすぐ歩を進めていく。


鈴木邦男氏は大学時代、生長の家の学生道場で生活しています。

朝は早くから木刀をもった先輩たちに叩き起こされて、正座や国旗の掲揚、体操、掃除などさまざまな行事がある。夜もお祈り、学習会などがあって、日曜も平日も生長の家の行事には必ず駆り出されました。宗教の話は当然ですが、毎日のお祈りの後には先輩たちから『このままでは共産革命が起きる。われわれ愛国者が立って国を守らなければ』とアジられる。毎日そういう話を聞かされると、自分がこれから出撃する特攻隊員のような気分になってくるんです。(略)
生長の家というのは当時、僕ら右派学生にとって、『宗教』という以前に『愛国運動をやっているところ』だと思っていました


生長の家が政治家との決別を宣言した後も、生長の家に出自を持つ者たちは、谷口雅春の政治的な教えを信奉しつづけ、右派の組織づくりに全精力を傾けつづけ、現在の日本会議があるわけです。

谷口雅春は自民族優越主義、天皇中心主義であり、明治憲法・教育勅語の復活を目指していました。
ところが、安倍内閣はアメリカの言いなりで、憲法を変えることで国の形を変えたとしても、対米追随という戦後体制は変わらないでしょう。

なのに、そのことに谷口雅春原理主義者はなぜ不満を持たないのか、不思議です。

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河合弘之『原発訴訟が社会を変える』

2017年04月16日 | 
原発事故、国・東電に過失 前橋地裁 避難者への賠償命令
東京電力福島第一原発事故で福島県から群馬県などに避難した住民ら百三十七人が国と東電に計約十五億円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、前橋地裁は十七日、「東電は巨大津波を予見しており、事故は防げた」と判断、東電と安全規制を怠った国の賠償責任を認め、うち六十二人について計三千八百五十五万円の支払いを命じた。(略)
 原道子裁判長は、政府が二〇〇二年、「福島沖を含む日本海溝沿いでマグニチュード8級の津波地震が三十年以内に20%程度の確率で発生する」とした長期評価を発表した数カ月後には、国と東電は巨大津波の予見は可能で、東電は長期評価に基づき津波の高さを試算した〇八年には実際に予見していたと指摘。
 さらに、配電盤を高台に設置するなどの措置は容易で、こうした措置を取っていれば事故は発生しなかったとし、安全より経済的合理性を優先させたことなど「特に非難に値する事実がある」と述べた。
 国については〇七年八月に東電の自発的な津波対策が難しい状況を認識しており、規制権限に基づき対策を取らせるべきだったのに怠ったとして「著しく合理性を欠き、違法だ」とした。(東京新聞2017年3月18日)

しかし、3月28日、大阪高裁は関西電力高浜原発3、4号機の再稼働を認める決定を出し、運転差し止めを認めた大津地裁の仮処分決定をくつがえしました。

河合弘之弁護士は『日本と原発』という映画を作っていまが、映画で視覚的に訴えるだけでなく、じっくりと考えてもらうために『原発訴訟が社会を変える』を刊行したそうです。
本の中からいくつかご紹介。

・利益共同体
政府はなぜ原発を止めないのかというと、利益共同体が関係している。
電力会社は原発の建設や機材をメーカーや商社に発注する。
企業には下請け業者があり、多くの労働者が働いている。
電力会社は安全キャンペーンの広報活動を重視しており、テレビや新聞等のメディアは広告収入を得ている。
原発を受け入れた地方自治体は、電力会社からの補助金や寄付が贈られ、国からも助成金が支払われる。
メガバンクは電力会社やメディアに融資することで、原子力ムラの金融部門として機能している。
大学の学者は、電力会社から研究費や学生の就職斡旋を受ける。
官僚は、電力会社に有利な規制や指導を行う見返りとして、関連企業への天下りが用意されている。
政治家や政党には、政治資金が提供され、選挙の協力を受ける。
原子力ムラは日本の経済と政治のおよそ6割を支配するほどの利権構造である。

・自己完結型永久エネルギー構想
ウランを軽水炉で燃やし、使用済み燃料を再処理してプルトニウム燃料ができ、高速増殖炉で燃やすと、また使用済み燃料が出て、また再処理してというふに、永久に核燃料ができる。
この自己完結型永久エネルギー構想は完全につぶれているが、これをあきらめると、原発をする正当理由がない。
原発は石炭や石油と同じ、いずれなくなってしまうものということになってしまう。

・技術の進歩
「科学・技術というのは、まず発明発見がある、そしてそれが実用化される。しかし、どこかで事故や失敗が起きる。その原因を究明し検証する。それに基づいて改善をして進歩していく。その繰り返しで科学や技術が進歩してきたんだと。だから、たった一回の原発事故で諦めちゃいけないんだ」という主張がある。
これは航空機や自動車といった一般論の場合と、原発を混同する間違えた理論だ。
原発の場合、被害が無限定、場所的にも、時間的にも無限定で、不可逆な損害である。
そして、種の死をもたらす。
別の言葉で言えば、人類全体を滅ぼすかもしれない危険がある。
他方、航空機や自動車の場合は、どんなに被害が大きくても個の死にしかならない。

・地震と原発
マグニチュード4以上の地震が起きた地点と原発の所在地を示す世界地図が『原発訴訟が社会を変える』に載っています。
ネットでも同じ地図があります。
https://sites.google.com/site/hamaokareport/earth
マグニチュード4以上の地震が起きた地点にある原発は、台湾、フィリピン、パキスタンなどに若干ありますが、大量に所有しているのは日本だけです。

・想定外
2008年9月10日頃に作成された「福島第一原子力発電所津波評価の概要」という文書に「今後の予定」として次の記載がある。

ただし、地震及び津波に関する学識経験者のこれまでの見解及び推本の知見を完全に否定することが難しいことを考慮すると、現状より大きな津波高を評価せざるを得ないと想定され、津波対策は不可避。

ちゃんと想定されていたわけです。

2015年4月22日、九州電力川内原発の運転差し止めの仮処分申請を鹿児島地裁は却下し、2017年4月6日、福岡高裁宮崎支部も仮処分申し立てを却下しました。
鹿児島地裁では、広範囲に壊滅的被害をもたらす火山の「破局的噴火」をどう評価するかについても争われた。
半径160km圏内にある大型カルデラ火山が5つあり、そのうち3つの火山について、噴火に伴う火砕流が原発の立地する場所にまで達していた可能性を、九州電力も認めている。
九州電力は、巨大噴火を予知した場合は原子炉を止め、5年かけてすべての核燃料を原発の敷地から運び出すとしている。
この対策は、5年後の巨大噴火を予知した場合を前提としている。
噴火の予知に成功した例は少ないし、予知できたのは噴火の数日前のことである。
噴火を予知することに成功したとしても、核燃料を運び出すのに5年もかかっていては間に合わない。
おまけに、核燃料の避難が間に合わなかった時のことは、何も想定されていない。
ところが、原子力規制委員会は、九州電力の「火山噴火対策」を十分であると認め、川内原発の再稼働を許可した。

ちなみに原発の憲法とされる「原子炉立地審査指針」にはこう書かれている。

大きな事故の誘因となるような事象が過去においてなかったことはもちろんであるが、将来においてもあるとは考えられないこと、また、災害を拡大するような事象も少ないこと。


原発は事故の危険性だけではありません。
東芝は原発子会社の損失によって倒産の危機に瀕しています。
費用の面でも割に合わないのに、原発を推進しようとする人たちの考えが理解できません。

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市川光雄『森の狩猟民』

2017年03月26日 | 

市川光雄『森の狩猟民』は、1974年8月から1975年7月までザイール(現在のコンゴ)北東部にあるイトゥリの森に住むムブティとよばれるピグミーの生活を、市川光雄氏が調査した記録。

市川光雄氏は1980年10月から1981年1月まで再度、イトゥリを訪れます。
5年間で変わっていたことは、まず市場が開かれていたこと。
行商人が多くの品物を売るようになった。
そして、ムブティ・ピグミーたちは服装があまりに立派になっており、パンタロンにニットのシャツを着ている者もいた。
6年前は、男はたいてい半ズボン一枚で暮らしており、長ズボンをはく者はなく、老人の多くは伝統的な樹布製のふんどしをつけていた。

衣服は肉の交易によって得たものである。
ピグミーたちは布を得るためには、以前よりも長時間働かなければならない。
交易人は絶えずムブティの新しい欲望を刺激する。
ピグミーは物品を手に入れるために懸命に働かなければならない。
ムブティ・ピグミーの社会は、交易が浸透するにつれて、徐々にプア・ソサエティーに変貌しつつある。

そして、市川光雄氏はあとがきで、「最近入ったニュースによると、砂金が発見され、原生林の中に人口数百人の町ができ、レストランやバーが建ち並んだ」と書いています。

『森の狩猟民』は1982年の発行ですから、35年も前です。
ピグミーたちは現在、どのような生活をしているのか気になりました。
コンゴ(ザイール)では内戦が1996年から2003年まで続いているし、ルワンダなど周辺国から大量の難民が入っています。
ネットを調べると、政府軍兵士、反政府軍勢力組織の一部の部族が集団的に、ピグミーを「戦時食」として動物のように狩猟し、料理して食してると、イギリスの新聞「インディペンデント」が報じ、国連もこの事実を確認したとあります。

図書館でピグミーに関する本がないかと調べると、近年に発行されたものは寺嶋秀明『森に生きる人 アフリカ熱帯雨林とピグミー』(2002年刊)ぐらいでした。

寺嶋秀明氏は、伐採が森を破壊しており、森が危機に瀕していることを危惧しています。
イトゥリの森では、あまりに道路が悪く、切り出しても港まで運ぶことができないため、木材の伐採はまだそれほど盛んではない。
しかし、カメルーン南部のピグミーが住む村では、伐採の影響が深刻になっている。
カメルーンの首都ヤウンデからコンゴ共和国の国境近くまで車で移動していると、毎日、丸太を満載したトレーラー100台以上とすれ違う。

『森の生活民』によると、狩猟採集民は食料を手に入れるために長時間働いていたわけではないそうです。
ブッシュマンの労働の調査によると、ある地域には206人が住んでいて、このうち生計維持者は111人だった。
男は週に平均3~5日の割で狩猟に出かけ、一回の猟に5~12時間を費やしている。
女はほとんど毎日、植物性食物の採集に出るが、一日の労働時間は1時間から数時間にすぎない。
食物獲得のための労働は、生計維持者1人あたり、週に平均2~3日を費やすだけという報告もある。
ブッシュマンの生活の大半は、食物獲得にではなく、余暇にあてられており、生活は想像されたほど厳しいものではない。
オーストラリアの原住民も、労働時間は1人一日平均3~4時間と5時間強である。

ピグミーは今も狩猟採集の生活を続けているのでしょうか。
寺嶋秀明氏は、オルテガ『狩猟の哲学』にある「労多き仕事」と「幸多き仕事」ということを取り上げ、ピグミーは「幸多き仕事」だと書いています。
「労多き仕事」とは、仕事それ自体ではなく、報酬のためにする仕事である。
「幸多き仕事」とは、それ自体が目的となる仕事で、仕事をしていることが楽しく、生き甲斐を感じる。
しかし、30年前に市川光雄氏が書いている、ピグミーの消費生活が現在も進行しているとしたら、ピグミーたちは「労多き仕事」をしているかもしれません。

香山リカ『堕ちられない「私」』に、ウルグアイのムヒカ大統領の言葉が引用されていました。

私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今は、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか? バイク、車、などのリボ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払っていったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。


市川光雄氏はこのように書いています。
石器時代の人類は、富の追及を生活の目的としていたわけではなく、生きるのに必要なものを得れば事足りたのである。
彼らの必要量に比べれば、自然はほとんど無尽蔵の宝庫だった。
欠乏感がないことを「豊か」だとするならば、当時の人類はそれなりに豊かな生活をおくっていた。

ピグミーの生活の変化は私たちとの合わせ鏡のようです。


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黒岩比佐子『明治のお嬢さま』

2017年02月07日 | 

黒岩比佐子『明治のお嬢さま』によると、かつて大名だった華族の令嬢たちは、小さいころから小笠原流の礼式をきびしく教えこまれ、歩き方や座り方、襖の開け方や箸の使い方まで細かく注意されて育っていた。

食事のときに箸の先が「一寸や一寸五分」も汚れる食べ方は行儀が悪いとされ、ご飯やおかずに触れていいのはわずか「六分」だった。

一寸は約3.03cm、六分は約1.8cm。
箸をそれしか汚さずに食事をするのは至難の業だと黒岩比佐子氏は書いていて、これはすごいと思いました。

華族の令嬢たちは、歩き方から寝ている時の姿まで、すべて品よく、美しく見えなければならないと、教えこまれた。

小林信彦氏はロバート・ベントン『クレイマー、クレイマー』評の中で、「だいたい、食事のとき、子供は、なぜ、ちゃんと、椅子にすわらないのだろう!」と書いていますが、私の2歳になる孫も食事中に歩きまわります。
食事もさることながら、寝ているときの姿をどのようにしつけるものやら。

『月刊食道楽』1907年3月号によれば、中流といわれる家庭(4人家族)の一カ月の生活費はおよそ30円から40円になっている。

一般の労働者の日当で現在の物価と比較すると、約1万倍。

家令(皇族や華族の家の事務・会計を管理し、使用人の監督に当たった人)は150円から300円、家扶(家令の下で家務・会計に携わった人)が50円から100円、家従(家扶の次にあって庶務をつかさどった者)は20円から30円。

家令は月に100万~200万円という高給取りだったわけです。
それに対して女中の月給は、1897年(明治30年)には1円30銭、1906年(明治39年)でも2円だった。
住み込み、食事付きであるにしても、月に2万円程度では、休みの日にお出かけして買い物をし、外食すればなくなってしまいます。

『女学世界』1907年12月号の「大名華族の家庭」によると、毛利家や島津家では当主夫人の衣装代が一カ月に4~500円、令嬢の分は200円という規定になっている。

毎月、服代に100万円以上使うのは一苦労だと、私なんかは思います。

前田侯爵家の娘が有栖川宮家と近衛家に輿入れした。

宮家の婚礼はすべて洋風で、割に質素だったが、それでも衣装代に7千円、首飾りだけで5千円近くした。
近衛家に嫁いだ娘の場合は、新調した箪笥17棹に着物をつめられるだけつめたので、呉服店2店への支払いが3万5千円になり、特別仕立ての帯は700円もした。

大工の日当が安かったためか、屋敷の新築費用はそれほど高くはなかったが、それでも鍋島家の普請費用が30万円、黒田家は4~50万円。

5千倍だと、20億円ぐらい。

1895年(明治28年)生まれの浅野長武の談話によると、生まれた屋敷は広さが8千坪で、部屋は7~80くらいあり、使用人は全部で150人いた。

奥には女中が20人ほどいて、子供には決められた女中が世話をしており、食事でも、入浴でも、庭に出るときでさえ、必ず専属の女中がそばについていて、一人でいることはまずなかった。

大名家にはどうしてこんなにお金があるのかと思うし、なんとまあ贅沢な暮らしをしていたものだとうらやましく思います。
でも、それは自分の生活と比較するからうらやましく感じるわけで、お嬢様たちはどう思っていたのでしょうか。

蜂須賀家では、台所から食堂まで一町(約109m)くらい離れており、料理を運ぶ間に熱い味噌汁やお茶もすべて冷めてしまった。
これが「貴族の猫舌」という所以で、すべての華族や皇族の食生活がそうだった。
自分では財布を持たず、買い物をしてもお金を払ったことがないので、経済観念に欠けている。

贅沢な暮らしを贅沢だと気づかないのでは、それを心から感謝したり、喜ぶこともないだろう。財産を失い、使用人が一人もいなくなったときに初めて、それまでの生活がどれほど贅沢だったかに気づくのではないか。そう考えると、お嬢さまとして育てられたことは、決していいことばかりとは思えなくなる。

たしかにそのとおりで、幸せとは何かを考えさせます。

明治の上流階級の令嬢には「自由」というものはあまりなく、衣裳も学校も決められていて、結婚相手選びさえ本人の自由にはならなかった。

華族女学校の生徒は卒業後すぐに結婚するか、中退して結婚するかのどちらかだった。
上流階級の夫人が息子の将来の嫁を探すには、華族女学校へ行って品定めをするのが早道だった。
授業参観に来た母親が『見た目」で嫁候補を選ぶ場合、性格まではわかるはずもない。
学業成績はそんなに重視されなかった。
美貌の持ち主は目立つので、気に入られる可能性が高く、不器量な令嬢よりも有利だった。

美人ということですが、『明治のお嬢さま』には令嬢の写真がたくさん載っています。

岩崎俊弥(岩崎弥太郎の甥)が写真を見て一目惚れし、恋煩いで寝込んだという盧八穂子にしても、さほど美人とは思えません。
美人にもはやりすたりがあるということを再認識しました。

この人がたぶん八穂子さん。
『明治のお嬢さま』に載っている写真とは違います。

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橋本毅彦・栗山茂久編著『遅刻の誕生』

2017年01月31日 | 

1857年から2年間、長崎海軍伝習所に滞在したオランダ人のウィレム・カッテンディーケは、『滞在日記抄』の「日本人の性癖」という一節で「日本人の悠長さといったら呆れるくらいだ」と書いている。

修理のために満潮時に届くよう注文したのに一向に届かない材木、工場に一度顔を出したきり二度と戻ってこない職人、正月の挨拶まわりだけで二日を費やす馬丁など。
カッテンディーケの悩みは幕末から明治初年に日本に到来した外国人技術者にとっての共通の悩みだった。
日本人労働者の勤務ぶりにしばしば業を煮やしたが、その主たる原因は、日本人が時間を守らないこと、まるで時計の時間とは無関係に物事が進行する日本人の仕事ぶりだった。
現在の日本人が当然のこととしている時間厳守の行動様式が、明治初期にはほど遠い状態だった。

『遅刻の誕生 近代日本における時間意識の形成』は、いつごろから、どういう経緯を経て時間規律を身につけるようになったのか、様々な論点から12人の方たちが論じています。


まずは不定時法と定時法について。

定時法とは、時計の進み方に合わせて一日を等分する。
不定時法では、昼間の時間と夜間の時間をそれぞれ等分して時間を計測した。
日の出時を明け六つ、日没を暮れ六つとし、昼と夜をそれぞれ六等分する。
季節によって昼間・夜間の長さが異なるので、一刻の長さも昼と夜とでは違ってくる。
時間の認識は、一刻、すなわち2時間を分割した30分程度がいいところだった。

ヨーロッパの広場の時計が文字盤の針の連続的な動きを見せて、民衆はいつでも時刻を知ることができたのに、日本では日に数回鳴る鐘や太鼓の音によって間欠的に知らされるだけだった。
明治以前の「刻」は、切れ目のはっきりしない、漠然とした幅のある「時間帯」として意識されていた。
だから明治の職人たちは、時計が指す7時に集合するようにと指示されても、ピンと来なかった。

日本では季節による昼夜時間差はそれほど大きくないが、ヨーロッパでは冬至と夏至には昼夜の時間差が10時間にもなるので、自然の昼夜と労働や社会活動の時間を一致させることができなくて、年中同じ時刻を用いる定時法が適していた。

西洋では機械時計が14世紀に登場し、15世紀には定時法が普及した。

18世紀には労働における時間規律が励行されるようになった。
産業革命とともに、機械の指導時間に合わせて、作業者も工場に来て仕事を開始することが強制されるようになり、さぼることや遅刻が厳しく罰せられるようになっていく。
19世紀における鉄道の普及も、定時運行のために時間規律を励行させ、各地の時間を同期させた標準時の制度を誕生させた。

では、いつから日本人は時間規律を身につけるようになったのか。

鉄道、工場、学校、軍隊において時間規律が定着した。

海軍兵器局の工場では、1875(明治8)年、午前7時30分が始業だったが、労働者は6時30分までに工場に到着することを要求されていた。

季節によって変化する一刻単位の時の鐘でしか時間を知ることができない時間感覚になれた労働者に分単位での時間厳守を期待することはできず、定時始業は労働者を待たせるということで解決された。
官の工場では、労働者が官員に迷惑をかけないように待つのが当然とされた。

1883(明治16)年には、起業時間が冬期だけ30分繰り下げられ、朝の待ち時間がなくなった。

汽笛によって時間を知らせるようになった。
しかし、起業時間までに門を通ればいいから、作業開始時間が確定できない。

1886(明治19)年には、7時の入門報鐘と同時に閉門することになったため、7時10分の起業時間に一斉に作業を開始することができた。
このころから、定刻に遅れることはいけない、という認識が生まれたということでしょうか。

一連の変化を通じて言えることは、労働者側の時刻認識の深化である。1875(明治8)年には、せいぜい「6時の鐘を聞いて家を出てくる」程度の時刻認識しか要求していない一方で、6時半から起業30分前の7時までを遅刻許容時間帯として、この間の遅刻者の賃金を減額する。これによって、工場の操業には影響のない形で出勤時刻厳守の教育を行っていたと評せよう。1883(明治16)年には15分前の汽笛を報時手段として工場の時刻体系によって出勤を促すが、15分までの遅刻を想定し、賃金減額で対応する。そして1886(明治19)年には、報時体制は前同様でありながら、門を閉じることで遅刻者を排除する。排除できるということは、それが工場の操業に支障をきたさない程度に少なかったことを意味しよう。明らかに、労働者たちは時刻を守るようになってきたのである。


1888(明治21)年に柱時計の生産が始まり、明治30年代以後はアメリカ製柱時計の輸入はほとんどなくなり、ドイツ製置時計の輸入も明治40年代には激減した。
掛時計・置時計は、1897(明治30)年には全国所帯の3分の1弱が、1907(明治40)年には7割以上の所帯に普及した。
腕時計・懐中時計は、明治末には全国民の1割、成人男子のみでは4人に1人が所有するまで普及した。
時計の普及が時間規律の定着にはたした影響は大きいでしょう。

とはいっても、庶民レベルでは時間規律の定着は遅れたそうで、鉄道は定時に運行されるはずだが、1900(明治33)年前後になっても、従業員の間で10分から20分の遅延は「一向平気」という認識が存在した。

驚いたのが、官員と労働者とでは就業時間の長さが違うということ。
1872(明治5)年、海軍省では夏季は8時から12時までの4時間勤務だった。
1873(明治6)年、海軍造船局は夏季短縮体制はとらないことになったが、それでも勤務時間は9時から15時までの6時間。
6時間は当時の中央官庁や県庁で一般的な勤務時間だった。
9時から17時までの8時間勤務になるのは、1886(明治19)年のことと思われる。

1922(大正11)年の閣令で定められた官公庁の勤務時間の規定。

4月1日から7月20日までは、午前8時から午後4時、
7月21日から8月31日までは、午前8時から正午まで、
9月1日から10月31日までは、午前8時から午後4時まで、
11月1日から3月1日までは、午前9時から午後4時まで。
土曜日は正午までの半ドン。
官庁での夏季の勤務時間短縮は昭和期までおよぶ。
公務員は遊んでいると誤解されているのはこういうところから生じたんでしょうか。

伍堂卓雄は1924(大正13)年の講演会で、よく働く者、中位の者、あまり働かない者の実働時間を調査すると、10時間制の職場において、優良者の平均実働時間は8時間14分、中位者は7時間40分、劣者の平均は6時間24分、もっとも悪かった者は3時間49分だったと披露している。


明治から大正にかけての調査によると、紡績工場での欠勤率は、4月は多くの職工が出勤し、8月が休みが多い。

その差は20~30%にもおよぶ。
工場の長時間労働が、職工が時間の規律を守らない、就業前の身支度に時間がかかる、マイペースで作業をこなす、作業中に雑談をするといった悪循環の関係になっている。

もう一つ、国民の実生活では、西欧化は遅々としていたということ。

明治・大正時代までは、和食・和装・そして日本家屋が生活の基本だった。
昼間、西洋館の中で洋服を着て働いていた役人や会社員も、家庭に帰ると着物に着替えて畳に座って、米のご飯を食べていた。

1900(明治33)年ごろまでは、都会の男子の外出着の一部が洋服になったに過ぎず、1930(昭和5)年ごろにも農村は全部和服で、都会でも洋服が優勢になったのは男と子供の外出着のみで、女は基本的に和服の生活をしていた。
では、女性の洋装化はいつごろからなのか、興味のある問題です。

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青木理『抵抗の拠点から』

2017年01月20日 | 

青木理『抵抗の拠点から 朝日新聞「慰安婦報道」の核心』は、朝日新聞の慰安婦報道へのバッシングをめぐる考察や、朝日新聞記者へのインタビューをまとめたもの。

「週刊文春」2014年2月6日号に植村隆氏は慰安婦問題について捏造記事を書いたという記事が載り、バッシングが始まった。
朝日新聞は8月5日6日に慰安婦問題報道に関する検証記事を掲載し、9月には社長が記者会見したが、朝日新聞や植村隆氏への攻撃は収まらなかった。

植村隆氏は1991年8月と12月に、はじめて名乗り出た元慰安婦の証言を最初に報道している。
しかし、続けて報道した北海道新聞や読売新聞など他のメディアは問題にされず、2本の記事を書いただけの植村隆氏だけが常軌を逸した攻撃を受けた。

新聞や週刊誌では、「国賊」「反日」「国益を損なった」「日本人をおとしめた」などの言葉が使われたし、ネットではもっともっとひどい。

なぜか。

狙いは朝日叩きにこそあるのであって、それを表象する者の筆頭格として、または分かりやすい物語の持ち主として、植村氏に低劣な攻撃が押し寄せてきた。


ウィキペディアの「植村隆」の項に、植村隆氏が文藝春秋社と西岡力氏に損害賠償を求めたとあります。

植村は自身が関わった記事を「捏造」と決めつけたとし週刊文春の発行元である文芸春秋社と記事を執筆した西岡力(東京基督教大学教授)に対し1650万円の損害賠償などを求める訴えを東京地裁に起こし、司法記者クラブ 東京都内で記者会見した。植村は、23年前に自分が書いた2本の記事が「捏造」と批判され続け、その結果、家族や周辺まで攻撃が及ぶとし「私の人権、家族の人権、勤務先の安全を守る」と訴えた。
(略)
裁判で被告である西岡力と文芸春秋社側は、「捏造」と書いたことについてそれを「事実である」と主張せず、「意見ないしは論評である」と答弁書で主張した。原告側弁護士の神原元は、「「捏造だ」は「事実の摘示」ではなく意見ないしは論評である」という第2回口頭弁論の被告側の答弁は、「捏造論が事実でないと認めた」に等しく、真実性を主張できない以上、「植村はすでに勝利したに等しい」と主張している。


植村隆氏の娘への中傷に対しても訴訟を起こしています。

Twitter上に植村の娘の名前と写真を晒し、中傷する内容の投稿をした事件では、Twitter社、プロバイダに対し、発信元の情報を開示するよう求める訴訟などで投稿者を特定し、2016年2月に提訴。同年8月、東京地方裁判所は関東在住の40代男性に対し、「父の仕事上の行為に対する反感から未成年の娘を人格攻撃しており、悪質で違法性が高い」と指摘し、請求どおり170万円の賠償を命じた。慰謝料請求額100万円に対し、裁判長は200万円が相当だとも述べた。


松本サリン事件でマスコミから犯人扱いされた河野義行さんは、「週刊新潮」だけが謝罪しなかったと講演で話されていたのを思い出しました。

植村隆氏へのバッシングは個人の問題にとどまりません。
これによって慰安婦問題などなかったとされかねないし、メディアは非難・攻撃を怖れて萎縮するようになります。

吉田清治氏の証言が嘘だからといって、日本軍の関与による不当な募集や、強制的な管理・運営があったことは事実
ところが否定派は、吉田証言はでっち上げだ、だから強制連行もなく、慰安婦問題は作られたものだと主張する。

そして、日本の負の遺産を伝えようとすると、猛烈な罵詈雑言の対象となってしまう。

メディアが自国の負の歴史や戦争責任を追及するのは当たり前のことだし、かつては当たり前のように行われてきたのに、最近はまるで異常なことのように認識され、批判の対象とされてしまっています。


小田嶋隆「表現の自殺」(「アンジャリ」32号)にこのように書かれています。

戦前の最も言論弾圧の厳しかった時代でも、当局が新聞社や出版社に直接的に介入する形で表現の改変を求める事例は、ごく少数に過ぎなかった。(略)
実態としての言論弾圧は、媒体や著者が当局や政府の意図を「忖度」して、あらかじめ自らに課したもので、その意味で、ほとんどの例は、形の上では「弾圧」というようりは「自粛」だった。

読売新聞や産経新聞は朝日新聞を叩くことで、メディア全体を叩き、自分で自分の首を絞めているわけです。

「週刊現代」2014年10月11月号のトップ記事《世界が見た「安倍政権」と「朝日新聞問題」》に、日本では大半のメディアが朝日叩きに狂奔しているが、〈世界の潮流〉は違うと書かれ、各国のメディア人や知識人らの声を紹介している。

『フィガロ』の東京特派員
安倍首相を始めとする日本の右傾化した政治家たちは、「朝日新聞は国際社会における日本のイメージを損ねた」と声高に叫んでいますが、事実は正反対です。仮に、日本の全メディアが産経新聞のように報道してきたなら、今頃日本は国際社会において、世界のどの国からも相手にされなくなっていたでしょう。


後藤正治『天人 深代惇郎と新聞の時代』深代惇郎がロンドン特派員時代に書いた文章が引用されています。

英国国営放送BBCの社長の言葉
BBCも体制の一翼だ。しかし、われわれの体制とは、自分に敵対する意見を、常に人びとに伝え続けねばならないことだ。それが民主社会だと思っている。


青木理氏は「現在の日本では「政治が右と言うものを左と言うわけにはいかない」と言い放つ人物が公共放送のトップに座っている」と皮肉っています。

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