三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

滅罪とカルマの浄化(2)

2022年10月22日 | 仏教

 3 罪、罪報、滅罪の方法
罪と悪とは同じなのか、それとも違うのか、気になったので、中村元『仏教語大辞典』を調べてみました。

①悪いこと。人をそこなう事がら。理法に背いて現在と将来に苦を招く力のある性質。
②悪の行為。悪業のこと。


①つみ。悪。
②人としての道に反すること。


罪悪

悪とみなされる罪。

となると、悪とみなされない罪があるのかと思います。
たぶん罪と悪は同じようなものと考えていいのでしょう。

小笠原亜矢里「『観無量寿経』における滅罪について」に、『観無量寿経』で滅罪の対象とされるのは主に①罪、②業障、③悪業だとあります。
『仏教語大辞典』を調べました。

業障

①悪業のみをなす障り。
②悪の行為によって生じた障害。
③成仏をさまたげる悪業。


悪業

悪い行ない。好ましくない果を招く、身・口・意一切の動作をいう。すなわち十悪。人は自身の業(行為)にひかれて六道に行く。修羅道以下は悪業によってつれていかれる悪道である。

これまた似たような意味です。

滅罪

懺悔・念仏・陀羅尼などによって罪を滅すること。こうした滅罪を目的に儀式化されものが悔過・懺法などである。


滅罪の対象となる罪、滅罪の方法、滅罪によって得られる得益は経典によってさまざまです。
滅罪の方法としては懺悔、悔過、積善、供養などがあり、具体的には布施、読経、写経、造像、斎会、観仏、称名、祈禱、沐浴、苦行、斎戒、不殺生、放生、出家といったことです。

①破戒
戒律を破れば罰則があります。
波羅夷はサンガからの追放。
僧残は一定期間、比丘としての資格が剥奪され、その後に懺悔する。
不定、捨堕、波逸提、提舎尼、衆学、滅諍は懺悔する。
http://www.horakuji.com/lecture/vinaya/construction.htm

懺悔とは何か、『仏教語大辞典』です。

人に罪のゆるしを請うこと。犯した罪を仏の前に告白すること。悔い改めること。


具体的には布薩と自恣です。
布薩

半月ごとに同一地域の僧が集まって自己反省し、罪を告白懺悔する集まり。


自恣

安居が終わった最終日に修行僧が互いに自己の犯した罪を告白し、懺悔して許しを乞うこと。


懺悔と同じような言葉が悔過です。

①過ちを悔いること。懺悔すること。
②仏前に懺悔して、罪報を免れることを求める儀式。古くは「悔過」と訳されていたが、その後「懺悔」と訳されるようになった。

奈良時代に吉祥悔過や薬師悔過などが行われていましたが、密教の流通とともに廃れていきます。

②破和合僧
出家の功徳が『ミリンダ王の問い』に説かれています。
デーヴァダッタがサンガを破壊したことで、一劫の間、地獄で苦しみを受けることを釈尊は知っていたのに、なぜ出家を許したのかというミリンダ王の問いにナーガセーナが答えます。

かれの無限の業は、わが教えの下で出家したならば終りをつげるであろう。前生〈につくった業〉に基づく苦しみは、終りをつげるであろう。だが、出家したとしても、この愚かな人間は一劫の間、〈苦しみをうける〉業をなすであろう」と知って、デーヴァダッタを出家させたのです。
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滅罪とカルマの浄化(1)

2022年10月11日 | 仏教

中野義照『印度古法典概説』に消罪について書かれてありました。

消罪しない者は輪廻転生の苦海に入り国家も共業合成して不安不平とならざるを得ないのである。
目に見えざる罪咎を祓い善を生ぜん為に、慎みある生活を為し衣食を摂し性欲を却け応分の布施を為し聖地を巡礼し聖典を読誦するが如きことは、法律的生活以外の仏教の生活に於いて既に古くから行われて来たことであり、密教が流行するに及びて以後の大乗仏教国の消罪法は全く婆羅門教道教のそれと外貌を一にする迄になって居る。


消罪とは滅罪のことだと思います。
中野義照師の文章を読み、オウム真理教のカルマの浄化は消罪(滅罪)だと気づきました。

オウム真理教は仏教の教義から多くを取り入れており、カルマの浄化もその一つです。
オウム真理教の教義では、業(カルマ)によって輪廻する境界が決まるから、三悪道に堕ちることを防ぎ、輪廻転生から解脱するためにはカルマ(悪業)を浄化、すなわち滅罪する必要があります。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/d6d3a340f9f9659d7c9a8a7ef2e69d2c

 1 滅罪の意味
まずは滅罪の意味をネットで調べました。

滅罪 迷いの世界に生死輪廻する原因となる罪悪を除滅すること。除罪とも言う。そのための方法として、称名・観仏・礼拝・懺悔・陀羅尼などが挙げられる。(『新纂浄土宗大辞典』)

http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E6%BB%85%E7%BD%AA

 2 滅罪を説く経典
多くの経典が滅罪を説いていますが、いくつかご紹介。

日本で最初に受容された護国三部経は滅罪の功徳を説きます。
・『法華経』
光明皇后は、全国に「法華滅罪之寺」を建て、これを「国分尼寺」と呼んで『法華経』を信奉した。
『源氏物語』に、死期の迫った紫の上(43歳)は法華経千部供養を行なったとある。

年ごろ、私の御願にて書かせたてまつりたまひける『法華経』千部、いそぎて供養じたまふ。わが御殿と思す二条院にてぞしたまひける。七僧の法服など、品々賜はす。


ウィキペディアに、「ツォンカパは主著『菩提道次第大論』で、滅罪する方便として法華経を読誦することを勧めている」とあります。

①『金光明最勝王経』
藤谷厚生「金光明経の成立と展開」
『金光明経』の中心テーマは懺悔滅業の思想である。
個人の懺悔によってその個人の悪業が浄化すると説かれていたものが、内容の発展において具体的な懺悔滅業の実践法が体系化して説かれた。
経典受持による功徳によって、個人のみならず国家の救済までも説かれるようになる。
このような護国の思想の背景には、国家自身の業が前提となっている。
つまり、国家にも善業(安楽)と悪業(困苦)があり、悪業を滅除することによって国家が安泰となる。
しかも、国家の業は王自身の業とも密接に関わっている。
王は国家に代わって善根功徳(王が経典(法)を受持し講説すること、また仏や僧を供養すること)をなすことによって国家が善根を積むことになる。
その功徳によって国家の悪業を善業へと転換し、国家の安泰が得られるようになる。
このように、護国の思想の根底には滅業の思想が前提となつている。
file:///C:/Users/enkoj/Downloads/%E9%87%91%E5%85%89%E6%98%8E%E7%B5%8C%E3%81%AE%E6%88%90%E7%AB%8B%E3%81%A8%E5%B1%95%E9%96%8B-2.pdf

②『観無量寿経』

十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ。仏名を称するがゆえに、念念の中において八十億劫の生死の罪を除く。


③道元『修証義』

彼の三時の悪業報必ず感ずべしと雖も、懺悔するが如きは重きを転じて軽受せしむ、又滅罪清浄ならしむるなり。(過去現在未来の悪業の報いを受けなければならないといっても、懺悔するなら悪業の報いは軽くなる。また滅罪は心は浄らかにさせる)

他にもたくさんあると思います。

中野義照師が書かれているように、平安時代、密教が渡来して以後は滅罪の方法は密教の修法が中心となったそうです。

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