三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

戸塚ヨットスクール 1

2011年08月31日 | 映画

「東海テレビドキュメンタリー傑作選」が上映されたので、齊藤潤一『平成ジレンマ〜戸塚ヨットスクールと若者漂流〜』と『光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日~』を見た。
本村洋氏が記者会見の席上、被害者の気持ちを考えて取材をしてほしいと、かなりきつい口調でメディアを非難している場面が『光と影』にあるが、本村洋氏のメディア非難はテレビで放映されたのだろうか。

それはともかく、
『平成ジレンマ』は戸塚ヨットスクールを一年間取材したもの。
戸塚宏氏は年に70回の講演をしている。
体罰の目的は進歩、体罰は人格を作る、なんてことを話し、それを教育関係者や親は熱心に聞いているのだから、これは何なんだと思った。
逮捕される前の訓練風景の映像を見ると、その体罰たるや、殴る、蹴る、海に頭をつけるなど半端じゃない。
これだけでも傷害事件として送致すべきだと思うすさまじさである。
それにもかかわらず、戸塚宏氏の講演を熱心に聞く親の気持ちが私にはわからない。
親たちは自分の子どもを殴ってしつけているのだろうか。

映画を見ながら、ジレンマとはどういう意味か疑問に感じた。
・戸塚宏氏のやり方は間違っているが、ヨットスクールを必要とする人がいるというジレンマ
・戸塚宏氏の体罰は必要だという理念を実践できないジレンマ
この二つのジレンマが考えられるが、製作側は後者のほうではないか。

それで、公式サイトを見たら、こんなふうに書いてある。
「戸塚ヨットスクール事件」から30年――あの時代が裁いたものは何だったのか。
1980年代、社会問題となっていた非行や登校拒否の子供達を、激しい体罰を含む訓練で再教育していた戸塚ヨットスクール。訓練生の死亡や行方不明事件を起こし、時代のヒーローから一転、戸塚宏校長は"希代の悪役"として裁かれることになった。マスコミ報道と世論に圧される形で、体罰は教育界から排除、戸塚事件は時代の象徴となった。(略)
あのとき時代は何を裁き、今にどう繋がっているのか。モンスターペアレンツの出現や学級崩壊など混迷を極める教育現場。平成ニッポンが抱えるジレンマが、スクリーンに浮かび上がる。

齊藤潤一監督はインタビューでこう語っている。
事件が起きるとマスコミは一転して、バッシングしました。戸塚校長とヨットスクールを社会的に抹殺したわけです。でもマスコミは戸塚校長を非難するだけで、ヨットスクールの代わりに情緒障害児たちの受け皿になるものを作ろうと提案し、積極的に動いたようには思えません。『平成ジレンマ』というタイトルには、自分も今、所属するマスコミに対しての自省の意味も込めています。

「子どもの頃の躾が大事なことを実感しました。自分にも小学生の娘がいます。でも、ヨットスクールに預けるのは、ちょっと考えますね」とも話している。

どうも違和感があるので、『平成ジレンマ』を書籍化した東海テレビ取材班『戸塚ヨットスクールは、いま』を読んだのだが、ますますイライラがつのった。

戸塚ヨットスクールには以前は訓練生が100名前後いたが、現在は11歳から29歳までの10人。
戸塚宏氏たちが逮捕される以前は非行少年が主だったが、今はひきこもり、ニート、不登校などの「情緒障害児」である。
「体罰は封印され、そこにはかつての緊張感はない」と『平成ジレンマ』のHPにある。

『戸塚ヨットスクールは、いま』に、体罰は、暴力か、教育かという二元論は馬鹿げていると書かれてあるが、戸塚ヨットスクールでしていることは体罰ではなく、単なる暴行である。
体罰の必要性について『戸塚ヨットスクールは、いま』に、戸塚宏『教育再生』から引用されている。
「体罰とは、相手の進歩を目的とした有形力の行使、力の行使である。体罰を受けた子どもは先生の言うことを聞く。言うことを聞いた結果、成長する。これは、「子どもを進歩させる」という教育の目的にかなっている。つまり、単なる「暴行」とはまったく異なる」
訓練生の首をつかみ、海に何度もつけていたコーチの言い分。
「あの子はね、訓練をよくさぼったんです。身体は強い子だったので、体罰をしたら、伸びると思ったんですよ。それで、しっかりやらないと、こういう目にあうんだぞと」

訓練生の間でイジメやケンカがあるが、誰も助けてくれないし、コーチたちが注意することはしない。
学校でいじめにあったという小学6年生の丘晃君(11歳)が夏休みに一ヵ月ほど来る。
「ヨットの準備や後片付けの時、「早くしろ」「ノロマ」「ボケ」などと罵声を浴びせる。そのうちに、顔を平手で殴ったり、身体を蹴ったり、さらに暴力はエスカレートして、拳で顔を殴ったり、棒で叩いたりする。
ホームシックといじめで、いつもメソメソ泣いている丘晃君。頼りは大人だけ。いじめられると校長やコーチのところに逃げ込む。しかし。校長たちは知らぬふりで助けようとはしない」

戸塚宏氏はイジメを推奨する。
「群れの中で進歩していくには何が必要か。それが「いじめ」。子どもはいじめられるから進歩する。いじめのない子どもの群れは意味がない。仲良く遊ぶだけでは進歩はない。なぜ、子どもはいじめられると進歩するのか。いじめは弱い子の弱点を突く。いじめられた子どもには、怒り、悲しみ、不安といった不快感が生じる。その不快感を排除したいという思いが、子どもを行動にかりたて、いじめられっ子を進歩させる。そして、その効果があって、ある程度進歩が認められるようになると、もうそのことでいじめられなくなる」
ただし、いじめ方には注文をつける。
いじめの理由は行動を対象にするべきで、ヨットが上手に操縦できないとかの理由でいじめるのならいいが、肉体的なこと(デブとかブスとか)で恥をかかせても進歩につながらないから、そういう時は戸塚校長やコーチはいじめた訓練生を叱る。

二ヵ月後、丘晃君は「戸塚校長がもう良いと言うまでスクールにいなさいとお母さんに言われた」というので、正式の訓練生になる。
戸塚校長が両親に「一ヵ月の訓練では不十分で、このまま中学生になってしまっては手遅れになる」とアドバイスしたからである。
戸塚ヨットスクールの入校金は315万円、生活費は毎月11万円。
丘晃君にはそこまでして入校させなければいけない問題があるように思えないのだが。

丘晃君の写真には「いじめられる丘晃君」と「勇ましい顔つきになった丘晃君」という見出しがついている。
使用前と使用後みたいである。

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鈴木伸元『加害者家族』3

2011年08月28日 | 厳罰化

長崎男児誘拐殺人事件で、長崎新聞のコラムは「加害者の両親は、自分の子どもが事件を起こしたことを知った時点で、すぐに表に出て謝罪をすべきだった」と書いていたと、鈴木伸元『加害者家族』にある。
「表に出る」とは記者会見をするということか。
すぐに表に出て謝罪しても、被害者遺族が納得するとは思えない。
さらし者になり、第三者があれこれと文句をつけるだけではないか。

英国人女性殺害事件被告の両親が記者会見をして謝罪した。
それに対して「言葉が軽かった」「息子のことを突き放していて、親なのに他人事のようだった」「発言内容は理路整然としていて正しいかもしれないが、申し訳ないという感情が伝わってこない」など、テレビで識者や関係者が非難したそうだ。
では、どういうふうに謝罪をしたらこの人たちは満足するのだろうか。
謝罪しようとすまいと、どんな謝罪をしようと、必ず非難すると思う。
自殺したら「逃げてる」と言うわけだし。

「謝罪と反省をしようとする加害者家族の姿は、ほとんどと言ってよいほど報道されることがない。彼らが口にする謝罪や反省といった言葉が、心からのものなのか、裁判対策などを含めた表面的なものなのか、判断が難しいからだ。
また、仮に心からの謝罪であったとしても、そうした加害者家族の報道をしたところで、視聴者や読者からの理解は簡単には得られない。贖罪の意識にさいなまれる親の姿よりも、「責任逃れ」をする親の姿の方が、世間が作り上げて非難の対象とする「加害者家族」のイメージに合致するからではないだろうか」

加害者家族が被害者へ謝罪するのはともかく、記者会見で謝罪をする必要はないと思う。
そんなことをするのは世界でも日本だけではないか。

『加害者家族』のあとがきに「加害者の家族の「人権」を声高に主張するつもりは毛頭ない」とある。
犯罪学の研究者の「犯罪被害者を支援する人たちがいて、加害者の家族を支援する人たちもいる。その両方があることが成熟した健全な社会の姿だと思う」という言葉が紹介されているが、この研究者も匿名である。
「被害者をないがしろにするのか」という非難を避けるためだと思う。

加害者家族の抱える問題と、冤罪被害者、犯罪被害者の問題とは通じるものがあるように思う。
匿名でいやがらせの手紙、電話、ネットへの書き込みをする人は、犯罪被害者にも遠慮しない。
被害者宅にいやがらせの電話や手紙をする奴らは、どういう思考回路をしているのだろうかと思う。
だが、マスコミも被害者のプライバシーを暴きたて、事件とはまったく関係のない私生活を面白おかしく伝えるのだから、彼らをマスコミは批判はできない。


被害者が損害賠償の請求をすると、「子どもの命を金で売るのか」といった誹謗中傷を受ける。
踏切事故でお子さんを亡くした人がJRに賠償請求をした。
以前にも死亡事故があったのに、警報機すらついていない踏切だった。
ところが、それが新聞記事になると、2ちゃんねるでは「親がバカだから子どももバカなんだ」などと中傷する書き込みが大量に書かれた。
事故の状況をまったく知らず、おまけに誤解しているのに、平気でボロクソに書く。
結局は原告の勝訴となったが、「バカと書いてまずかったな」と少しは反省したらいいのだけど。

「実際のところ被害者の遺族は、事件をきっかけに仕事を辞めたり変えたりしなければならない状況に追い込まれてしまい、加害者からの月ごとの分割支払いで受け取る賠償金によって、かろうじて生計を維持できているという場合が少なくない。また、受け取る金をすべて被害者団体などに寄付をして、自分の懐には入れないという遺族もいる」

冤罪の人も犯罪被害者だが、仮に冤罪であることが明らかになっても、一度失った社会的信用や人間関係は元には戻らないし、陰で誹謗中傷する人がいる。
佐藤直樹氏は「いったん逮捕された人間は世間が許さないのだ。世間では理屈が通用しない。世間では人権や権利が通用しない」と言う。

「加害者家族を追い詰めていく日本社会は、一方で犯罪に巻き込まれた被害者や、その家族も攻撃してきた。
犯罪被害者は、社会から好奇の目で見られることが多い。犯罪に巻き込まれた経験のない人たちからすると、あの家族が被害者になったのは何か理由があったからだという推測が生まれてくる。それが、「被害者の側にも落ち度があったからだ」という論理にすりかわり、非難や偏見をもって接するようになるのだ」


夫が殺人した女性「どんなに言い訳をしても、自分は加害者側の人間であることに変わりはありません。被害に遭われた方のことを考えると、加害者側の人間は、苦しいとか悲しいとか、そんなことを訴えられるような立場ではないと思っています」
麻原彰晃の四女「加害者側の自分が、たとえ一時であっても全部忘れて楽しく過ごすなど、絶対に許されないことだと思うのです」
そんなことはない。
加害者の家族だって「人権」を主張しなければいけない。
どんな人の人権をも大切にすることが、被害者の人権を守ることにつながると思う。

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鈴木伸元『加害者家族』2

2011年08月25日 | 厳罰化

鈴木伸元『加害者家族』を読んで思うのは、家族が犯罪を犯した時に、手を差し伸べてくれる人があまりいないということである。
誰が加害者家族を守るのかというと、まずは弁護士のはず。
だけど、やる気のない弁護士にあたったら悲劇である。
話を聞いてもらえない。
かといって、私選はお金がかかる。

加害者の子どもを学校が守ってくれるかというと当てにならない。
麻原彰晃の四女は、小学校の担任から「校長先生に呼び出されて、いきなり松本さんの担任になれと言われたからびっくりしたよ。嫌だとも言えないし」と言われる。
中学校にあがっても、教育委員会に対していじめ対策を要望したが、中学校の校長は弁護士たちが同席にしていたにもかかわらず、
「あなたがたのお父さんは、たくさんの人を殺しましたね。あなたが死んでも、しかたがないでしょう」と言ったそうだ。
そこまでひどくなくても、小学校教頭から、厄介払いをしたいのか、子どもが転校するよう暗に勧められた母親がいる。

親戚や親しい友人も去っていく。
もしくは、迷惑をかけてはいけないので自分から連絡を取らないようにする。
自分の身元が知られては困るので、人と親身につき合えない。
そうなると、困り事を相談できない。
そうして、加害者家族は孤立する。

そして、生活苦。
夫が事件を起こしたら、とたんに収入がなくなる。
家族も仕事を辞めなければいけない場合がある。
賠償金を払ったり、生活費のために家を売ろうとしても、事件によっては売れなかったり、安く買い叩かれたりする。
ウツになる人、自殺をした、もしくは考えた人が少なからずいる。
畠山鈴香の弟が「被害者の家族会はあるけれど、加害者のは、なぜないのかな。みんなどうやって生き長らえているんだろう」と言ったというが、もっともな嘆きである。

殺人と傷害致死では加害者の4割が家族、つまり被害者遺族は加害者の家族でもある。
被害者遺族=加害者家族の女性が犯罪被害者の団体に連絡をとったが、
「会には参加させてもらえなかった」そうだ。

鈴木伸元『加害者家族』によると、イギリスには「受刑者とその家族のパートナー(POPS)」という加害者家族を支援する組織があるそうだ。
「身内から逮捕者が出ることによって家族は混乱し、崩壊の危機に直面する。その家族を支援することによって、逮捕者が出所するときの受け皿とすることができ、ひいては再犯のリスクを減らすことになる」

「身内が刑務所に入った家族は、その後22%が離婚し、45%が絶縁状態になったとしている。
こうした不安定な環境におかれた子どもは、親と同じように罪を犯しやすいとPOPSは考えている。追い詰められた子どもは、飲酒や薬物、スリなどの犯罪によって、自らの怒りや恥の感情をごまかそうとするのだ。
子どもが犯罪に走るリスクを減らすためには、子どもをサポートする仕組みを作らなければならない」
加害者の家族を守ることは社会の利益になるのである。

犯罪を犯した者を罰するのは当然だが、罰には二種類あると思う。
1,悪い者が苦しむことで第三者がスカッとする罰
2,罰することで罪を悔い、更生するきっかけとなる罰
犯罪者やその家族を厳しく罰することで、懲罰感情を満足させようという、単純なアタマの持ち主である鴻池祥肇氏のような人が青少年育成推進本部副本部長(担当大臣)だったというのは日本の悲劇である。

「気をつけないといけないのは、『子供に厳しく』なんて偉そうに言ってる大人がまた、甘えた生活を送ってきた、くだらない人間に過ぎない、ってことだ」
(伊坂幸太郎『重力ピエロ』)

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鈴木伸元『加害者家族』1

2011年08月22日 | 厳罰化

子どもが空き巣で捕まった人に話を聞いたことがあるが、加害者家族は大変だとつくづく感じた。
鈴木伸元『加害者家族』を読んで、その思いを強くした。
というか、いやはや、ぞっとしました。

宮崎勤の父親の自殺を佐木隆三氏は「現実からの逃避」として非難したそうだ。
佐木隆三氏がそんなアホとは知らなかった。
もっとアホなのは鴻池祥肇氏で、長崎男児誘拐殺人事件の時に「こうした少年事件に対して厳しい罰則を作るべきだ。加害者の少年を罪に問えないのならば、親を市中引き回しにした上で打ち首にすればよい」とのたもうた。
この鴻池発言に賛同する人が多かったそうだが、この人たちは「自分の子どもがひょっとして」という考えが頭をよぎることのない幸福な人なんでしょうね。
死刑賛成の坊さんに「自分の子どもが事件を起こしたらと考えてほしい」と言ったら、「死刑になりたくなかったら悪いことをしなければいい」「子どもが悪いことをしないようにちゃんと育てればいい」と自信たっぷりに応じられたことがあるが、加害者家族として責められるのは親だけではない。

宮崎家と交流があった坂本丁治(東京新聞記者)は「加害者の家族は、罪を犯した本人以上に苦しむことがあるのだということを、私はこの事件を通じて初めて知った」と語っている。
宮崎勤の姉妹は、長女は仕事を辞め、婚約を自ら破棄、次女は看護学校を退学した。
父親の弟2人は仕事を辞め、下の弟は離婚(娘の将来を考えて妻の旧姓にするため)。
母方のイトコ2人も勤め先を辞めた(週刊誌の記事のため)。
以前、殺人事件がある地方で起き、犯人のイトコは縁談が決まっていたのに破棄されたと聞いたことがある。
イトコも加害者家族なのである。

家族が逮捕されると、まずマスコミが殺到する。
警察から「マスコミはそれなりの報道をするでしょう。家の周りがマスコミで一杯になると思われますので、できるだけ早めに子どもさんを連れて自宅を離れてください」と忠告を受ける。
自宅の周辺には人垣ができ、明々とライトがついてテレビ局の中継車が何台も停まる。
新聞やテレビは容疑者の顔写真を手に入れようと、近所や関係者に当たる。
時間や都合に関係なく訪れては、インターホンを何度も鳴らし、ドアノブをがちゃがちゃ回し、乱暴にノックする。
容疑者の子どもが学校に通っていたら、その学校や生徒に取材する。
これを集団的加熱取材、メディア・スクラムと言う。
「事件や事故の当事者のところへメディアが殺到し、家や職場を取り囲むなどしてプライバシーを極端に侵害したり、社会生活を妨げたりして、精神的にも物理的にも追い詰めていく」
近所の人に迷惑をかけるわけで、加害者家族は居づらくなる。

そして、いやがらせの電話、手紙がひっきりなしに来る。
ほとんどが匿名。
加害者が少年の場合は通っていた学校にもいやがらせがある。

そしてインターネット。
警察から「インターネットには十分注意してください。自宅の連絡先や、お子さんの名前、通学先など、個人情報が書き込まれることがあります」と忠告がある。
あることないこと書かれるわけだが、中には本当のこともあり、知り合いがこれを書いたのかと疑心暗鬼に陥る。

加害者家族やまわりの人の個人情報(自宅の住所、電話番号、家の写真、勤め先など)を暴き、攻撃、糾弾する人たちは、正義を振りかざしているが、いじめて楽しんでいるにすぎない。
その本人は匿名という安全地帯から攻撃するわけだから、自分に火の粉が降りかかる怖れはない。
2ちゃんねる用語に「スネーク」や「電凸」という言葉があるそうだ。
スネーク「特定の団体や個人に関係する場所に出没し、写真を撮ったり情報取材をしたりして掲示板に書き込んでいく人たちのこと。ある個人が住んでいる場所や勤務先を解析し、「スネーク」が現場に乗り込むのだ」
電凸「関係者に電話をかけて抗議をしたり、情報確認をしたりして、結果を掲示板に書き込むこと」

『誰も守ってくれない』という映画は、兄が小学生殺人事件の犯人として逮捕された女子中学生が主人公で、移動先がネットにすぐさま書き込まれるので逃げ続ける。
いくらなんでもそんなことはあり得ないと思ったが、現実にあることなのかもしれない。

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後藤忠政『憚りながら』

2011年08月19日 | 

自伝というのは大なり小なり臭みがある。
自己顕示欲がなければ自伝なんて書こうと思わないから、当然のことながら自伝には自慢の数々が陳列されている。
後藤忠政『憚りながら』は、元山口組系後藤組組長の聞き書き。
引退して天台宗で得度したというので、読んでみた。
最初は悪漢小説(ピカレスクロマン)みたいな面白さもあるが、読み進むにつれてイヤになってくる。

後藤忠政氏は組を解散してヤクザを辞めた半年後に得度する。
「新しい人生を歩むからには、何らかのけじめをつけなくちゃならんと思ってな」
「けじめをつける」を辞書で調べると、「過失や非難に対して、明白なかたちで責任をとる」とある。
得度することで、今までの行いの責任を取るということか。

得度するということは、それまでの生き方を全否定することだと思う。
ところが、『憚りながら』を読むと、後藤忠政氏は自分の生き方に疑問を持っていない。
「わしも若いときは悪さをして……」というワル自慢ほどイヤミなものはないが、それでも悪いことをしたという自覚はある。
しかし、『憚りながら』にはそれすら感じられない。

後藤忠政氏は15か16歳の時に留置場に入る。
面会や差し入れがない。
「俺の周りには誰も助けてくれる人はいない」
「自分独りで生きていかなきゃ、どうしようもないんだ」
「これからは自分のことはすべて、自分で解決しよう」
このように悟り、それからはこの生き方で生きてきたという。
「プライドが強くなけりゃ、極道のトップにはなれん。俺なんか今でもヤクザ辞めた今でも、そのプライドだけは捨ててないから」と言ってるように、自分の生き方、モットーに少しも疑問を持っていない。
だから、
「貧乏を抜け出すには、誰にも頼らず、自分の力で抜け出すしかないんだよ」と年越し派遣村批判をする。
だけど、みんなが後藤忠政氏のような生き方をしたら、世の中滅茶苦茶になってしまう。
自分が傷つけた人のことを考えていないから、そんなことが言えるのだろう。

自己美化するだけでなく、暴力団の論理をも肯定している。
「極道の世界では、男としての心意気を見せるとか、親分や一家のために身を捨てる覚悟を示すとか、そういうことが大事なんだよ。戦国時代の武将みたいに」
バルブでパンクした連中を非難してこう言う。
「たかが自分でこさえた借金じゃないか。ピンチかパンチか知らないが、自分が招いたピンチで、自分のケツひとつふけないってのは情けないよ。
そこで盃受けたもん(ヤクザ)と、受けてないもん(企業舎弟)の差が出るんだ。ヤクザには自分のケツはもちろん、若い衆のケツをふくという責任が絶えずついて回ってくる。俺だって現役時代は、若い衆のやったことでピンチに立たされたことが幾度もあるんだよ。それが極道というもんで、そういう時にこそ、極道としての真価が問われる」
と、自信満々。
そのわりに、有名人との交際を語らずにはおれない。

昔はよかった、それに比べて今は、日本はどうなる、と時勢を憂いてお説教をするのも、この手の自伝の特徴である。
「チンピラ同士でもちゃんとルールがあったんだよ、昭和30年代には」

バブルの5年近くで、日本も、日本人もすっかり変わったと嘆く。
「それまでの日本人が持っていた勤勉さとか、親を敬うとか、年寄りを大切にするとかいう基本的な価値観が全部崩れたんだ」
ヤクザにそんなこと言われたくない。

森元首相や小泉元首相、自民党や国会議員たちを時事放談的にやっつける。
おっしゃるとおりだが、暴力団組長が「政界の品格」云々を言えるのか。

社会貢献をさりげなく自慢するのも特徴。
ボランティアは黙ってするものだと島田紳助を批判しながら、「わしはこんなことをしている」と語ってるし、『憚りながら』の末尾に「後藤氏に対する本書の印税は、その全額が高齢者福祉及び児童福祉のために寄付されます」と書いている。

ええっと思ったのが、アメリカでの肝臓移植。
肝臓ガンになり、あと半年か一年だと宣告を受ける。
「その時もべつに死ぬのが怖いと思ったわけじゃないんだ。それまで散々、無茶して生きてきたし、殺されそうになったことも何回かあったから。殺られたら殺られたでしょうがないって思ってたよ。極道というのは、そういうもんだから」
それだけ悟ったようなことを言いながら、肝臓を移植するためにアメリカに行くんですからね。
4月に妻と若い衆2人を連れてアメリカに行く。
7月4日、適合する肝臓があり、移植手術を受け、帰国したのは11月。
なるほど、アメリカで臓器移植をするのはお金がかかることがわかった。
でも、それだけの金をどうやって工面したのかと思う。
収入に見合った所得税をちゃんと払っているのならいいけど。

現役の暴力団組長がアメリカに入国でき、どうして肝臓移植ができたのか。
「これについちゃあ、悪いが今は「日米両国でたくさんの人たちが汗をかいてくれたおかげだ」としか言えないな」とごまかす。
ウィキペディアには、アメリカで肝臓移植を受けさせてもらう見返りに、FBIに山口組内部情報を教えた、とある。
後藤忠政氏は「ただ俺はこの移植手術に際して、自分は何も不正なことはやっていないと思ってる」と言ってる。
「やっていない」ではなく「やっていないと思ってる」である。

得度式を受けたと言っても、僧籍は取らなかったそうだ。
天台宗ではそんなに簡単に得度できるものなんだろうか。
師僧となった浄発願寺の住職に得度することを頼みに行ったとき、住職は背中の刺青を見せたという。
左肩に野村秋介氏の名前と句、右肩には後藤忠政氏の名前が彫ってあった。
浄発願寺のHPのトップページには『憚りながら』が紹介されている。

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「想定外」なんかじゃない!! 2

2011年08月16日 | 日記

テレビの討論番組で原発の是非を一般視聴者が論じ合っていたのをちょっとだけ見た。
原発の存廃について賛否がほぼ半分ずつ。
原発賛成の人が「今の快適な生活を続けていくためには原発は必要」とか、「原発がイヤなら引っ越したらいい」とか言っていて、なんとまあ自分勝手な奴らだと腹が立ち、テレビを消した。
だけど、↓の記事を読むと、原水禁運動の中でも賛否が分かれているらしい。

原水禁大会:広島で開会
 原水爆禁止日本国民会議(原水禁)系の「被爆66周年原水爆禁止世界大会・広島大会」が4日、広島市で始まった。例年通り初日の大会は、「脱原発」を明言する原水禁▽原発推進方針を凍結した連合▽「原子力の平和利用」を掲げる核兵器禁止平和建設国民会議(核禁会議)が共催。東京電力福島第1原発事故で原発問題に注目が集まるなか、3者のスタンスの違いが改めて浮き彫りになった。
 あいさつで、長崎の被爆者でもある川野浩一原水禁議長は「私たちが原発の問題を避けて通ることが許されるのか」と訴え、脱原発を主張。連合の南雲弘行事務局長は「エネルギーの在り方が根本的に問われている」と述べるにとどまった。採択されたアピールは、初日の大会テーマの「核兵器廃絶」に絞られた。一方、核禁会議は大会とは別に開いた集会で「原子力の平和利用」を推進するアピールを採択した。川野議長は開会前の記者会見で「3団体で原発について議論を進める機は熟していない」と話した。
毎日新聞8月4日

原水禁ですら核と人類は共存できると考えている人がいるわけで、これじゃ、一般の人が、原発がなくなったら電力が足りなくなるとか、温暖化防止のためには原発が必要だとか思っても仕方ない。
と、えらそげなことを言ってる私だって無知蒙昧である。
「溜息通信」63号には、温排水についても書いてある。
「「温暖化防止」も嘘だ。原発が「温暖化」に寄与しているのは、海にたれ流している温排水にある。福島原発で明らかなように、原子炉を冷やすには膨大な水を必要とする(だから海沿いに建てられている)。実に発熱量の2/3も捨てている非効率な発電装置・原発の排水量は、100万kw級で平均毎秒69tにもなる。
福島原発だと第1(6基=69.6万kw)が324t/s、第2(4基=440万kw)が303t/s。ちなみに木曽川の年平均流量が252t/sだから、福島原発だけで木曽川2.5本分にも相当する。全国54基の総排水量を想像してみてほしい。
しかも規定では、海水温より7度を超える温水を排出してはならないことになっているが、守られてはいない。
日本周辺の海水温がこの100年間で0.7~1.6℃上昇していて温暖化が進行しているとの気象庁の警告は眉唾物。(略)
54基でもって年がら年中膨大なお湯を海にたれ流していれば、海水温が上がるのは当たり前で、わざわざ遠くの海洋に原因を求めるのは、温暖化論に洗脳されて目の前の現象(原発)が目に入らないのか、それとも政治的意図があって故意に原発を除外しているのか」
なるほどねえ。

「溜息通信」に、「アエラ」4.4号の「原発学者は今回の事故をこう受け止めた」というアンケートをコピーしてあって、それを読むと、原発推進派の御用学者たちは少しも反省してない、というか考えをまったく変えていない。
宮崎慶次大阪大学名誉教授は「私はいまでも原子力を積極的に推進し、もっと増やすべきだと考えている」と、「アエラ」4.25号で語っているという。

広島知事:式典での首相「脱原発」発言に不快感
 が難しいのでは」と不快感を示した。菅首相は式典で「原発に依存しない社会を目指す」と表明していた。
 湯崎知事は式典でのあいさつで原発に触れなかったが、「放射能被害の共通性はあるが、それを式典で言い、脱原発が注目されるのが良いことなのかと思い、言わなかった」と説明した。湯崎知事は福島第1原発事故後、「原発のあり方については国民的な議論が必要」として自らの考えを示さず、「エネルギー問題と原爆投下は並列して比較するものではない」との見解を述べている。
(毎日新聞8月9日
ちなみに、湯崎英彦広島知事は通産省資源エネルギー庁原子力産業課課長補佐だった人。
湯崎英彦広島県知事は宮崎慶次大阪大学名誉教授と考えが同じらしい。

この人たちは核のゴミについてどう考えているのだろうか。
「使用済み核燃料、いわゆる「核のゴミ」の国際的な最終処分場を日米主導でモンゴルに造る計画が、水面下で加速している」という新聞記事があった。
「「モンゴルは東洋のスイスになるべきです」。米シンクタンクの2人と経済産業省の官僚が、バトボルド外相(現首相)、ボルド国防相ら政府要人に語りかけながら、後に最終処分場建設計画へと発展する提案書(英文)を差し出した。
 南を中国、北をロシアに挟まれた内陸国モンゴルは、両大国の度重なる干渉に苦しんできた。3人は、「永世中立国」を宣言したスイスが国連機関を誘致して安全保障を強化した例を引き合いにし、「使用済み核燃料を貯蔵する施設を建設、国際機関が管理すれば、中露両国も、うかつにはモンゴルへ手出しができません。北東アジアの安全保障強化にも貢献する」とたたみかけた」
まるで詐欺師の口舌である。
「日米では住民の反発で最終処分場の建設は現状では極めて困難だ。国連加盟国の中で人口密度が最も低く、地盤も強固なモンゴルに白羽の矢が立てられたのは、原子力を国家戦略に据えた先進国の「事情」があった」毎日新聞7月31日

原発というのは、自分さえよければ他人はどうなろうとかまわないという浅ましさをむき出しにさせる何かがあるらしい。
新谷尚紀『お葬式』にこんなことが書いてあった。
「ホモ・サピエンスは、逆にある意味では増殖し続ける不気味な種です。困った種でもあるのです。
つまり、自分たちで自分たち自身を殺さなければ、増殖しすぎて、限られた地球資源の中では自分たちの種が維持できないような種ではないか。だから、ホロコースト、大殺戮をこの種はするのだ、というのが私の想定している仮説なのです」
20世紀に戦争という大量殺人が何度も起きたが、
「ホモ・サピエンス自身の種のセルフコントロールではないか」と新谷尚紀氏は言う。
原発をさらに増やすべきだとおっしゃる方々は、人類滅亡願望があるのではないかという気がしてくる。

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「想定外」なんかじゃない!! 1

2011年08月13日 | 日記

「溜息通信」63号をいただく。
「脱原発特別号」である。
毎度のことだが、超辛口。
「今、福島原発で起こっていることは、原発の危険性を訴え続けてきた側にとっては、全て「想定内」のこと。40年も前から原発の危険を直感した人たちは、それこそ万語を費やして「想定」される問題点とその危険性を説いてきたのに、推進側の人たちは耳を傾けず、「心配しすぎ」「空想」「無知」「素人の戯言」と一笑に付しておいて、「想定外」だったとは聞いて呆れる」
今でも「心配しすぎ」と一蹴する人もいるけれど。

電気事業連合会『内部資料・原子力発電に関する疑問に答えて』(『決定版原発大論争!』1988年刊に所収)に、「津波、地震がきても大丈夫なのか」という問いには、
「原子力発電所は、その地方で想定され得る最大級の地震に対しても十分な耐震性を持たせてあります。
また、津波が来ても重要な機器や施設が被害を受けないよう設計しています」
と答え、最後は、
「したがって、原子力発電所においては、津波による被害は考えられません」
と締めくくっている。

ところが、津波による危険性は23年前に生越忠氏(地質学者)が指摘している。(上掲書所収)
「津波には、表1に示したような等級があるが、最大の四等級になると、波高が数十メートルに達することもある」
「比較的なだらかな海岸に押し寄せた津波も、砂丘を簡単に乗り越えて内陸の奥深くまで侵入することがあるから、浜岡原発のような砂丘地に立地された原発も、津波による被害が心配されるのである」
ということで、浜岡原発は廃炉にして当然なわけである。
「万一、原発が波高の非常に高い津波に襲われた場合、それでも原子炉が正常な運転を続けられる(あるいは安全に停止できる)という保証など、どこにもないのである」
今回の事故をぴたりと予測している。

しかも、なんと2006年3月の衆議院予算委員会で吉井英勝議員が、津波の引き潮によって水が汲めなくなり、原子炉の冷却機能が失われる危険性について質問しているのである。
「吉井分科員 ですから、原子炉をとめるまでも、とめてからも、その冷却をする冷却系が喪失するというのが、津波による、引き波による問題なんです。
 あわせて、大規模地震が起こった直後の話ですと、大規模地震によってバックアップ電源の送電系統が破壊されるということがありますから、今おっしゃっておられる、循環させるポンプ機能そのものが失われるということも考えなきゃいけない。その場合には、炉心溶融という心配も出てくるということをきちんと頭に置いた対策をどう組み立てるのかということを考えなきゃいけないということだけ申し上げて」
これまたずばりで、決して杞憂ではなかったわけだ。
いやはや。
それにしても、よくここまで調べたものだと、「溜息通信」には脱帽。

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平雅行『歴史のなかに見る親鸞』5

2011年08月10日 | 仏教

平雅行『歴史のなかに見る親鸞』に、松本史朗『法然親鸞思想論』について「松本氏の法然論は賛成できないにしても、研究としてはもう少し緻密にできているのですが、親鸞関係の多くの論文はほとんど妄想としか言いようがありません」と、ずけずけ批判している。
松本史朗氏は、『歎異抄』は造悪無碍を説いている、と主張している。
造悪無碍というと、殺人や盗み、嘘、乱交を平気でするような人を指しているのかと私は思っていた。

ところが平雅行氏によると、そうではない。
興福寺奏状には、専修念仏は「囲棊双六は専修に乖かず。女犯肉食は往生を妨げず。末世の持戒は市中の虎なり」と放言している、と非難している。
慈円『愚管抄』は、専修念仏が「この行者に成ぬれば、女犯を好むも魚鳥を食も、阿弥陀仏は少しも咎め玉はず」と喧伝していると、述べている。
つまり、悪とは、女犯・肉食と囲棊・双六のことなのである。
「造悪無碍の「悪」の実態とは、そもそもこの程度の話です」
なあんだ。

「女犯肉食は恥ずべきことなのでしょうか。これを恥とも思わない人々が、造悪無碍の徒と指弾されたのです」
女犯と肉食は往生の妨げになるのだったら、一般人は全員失格である。
女犯を認めた「行者女犯偈」の意味合いはここらにあるらしい。
つまり、生きていくことは悪を造らざるを得ないことを問題にしているわけである。

なぜ顕密仏教は造悪無碍の言説に神経を尖らせたのか。
平雅行氏によると、日本中世は世俗社会の仏教化が進展し、社会全体では戒律への関心が高まっている。
たとえば、一般の人でも六斎日(月に六回)には八斎戒を遵守した。
「こうした斎戒や殺生禁断には、罪の浄化力があると考えられていました」
「それ以上に重要なのは社会的機能です。六斎日の精進によって、時間と空間が浄化され神々がその威力を回復すると考えられました」
「六斎日の精進は、社会全体の平和と繁栄を維持するうえで大きな効果があるとみなされました」
「逆にいえば、斎戒や殺生禁断を守らないことは、社会の安寧を乱す行為ということになります」
斎戒、殺生禁断は個人の問題ではないのである。
「それに対し専修念仏は、そのような作善に意味はないとして社会規範を揺るがせました」

もう一つの問題は肉食のケガレである。
神祇祭祀の時、贅沢な食事を慎むことで神に願いを聞いてもらおうとして、獣肉を食べることはタブーとなった。
ところが12世紀ごろから、獣肉食のタブーをケガレで説明するようになった。
鎌倉時代になると、猪や鹿の肉を食べた者は食後30日から100日は神社参詣が禁じられた。
しかも、獣肉を食べた者と同座したり、煮炊きの火が同じだと、ケガレが伝染するので、感染した者も参詣を憚らなければならなかった。
ところが、念仏者たちは肉食のケガレを無視して神社に出入りする。
「専修念仏はこのタブーを無視したばかりか、「無視しても神罰は当たらない」と放言した、というのです」
造悪無碍の実態は「おそらくこの程度のものだったと思います」

「六斎日の精進が当然視され、それを拒否する者は造悪無碍の徒と非難され、迫害されます」
京都にいる親鸞は、こうした東国の宗教的環境の激変を知らなかった。
「情報過疎も手伝って、親鸞は状況把握に失敗しました。そして造悪無碍が本当に起きているのだと誤認し、その封じ込めを善鸞に託したのです」
そこらに善鸞の悲劇があるらしい。

そして平雅行氏は「晩年の親鸞は思想的に破綻していったと私は考えている」と言う。
『歴史のなかに見る親鸞』批判を読んでみたいものだ。

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平雅行『歴史のなかに見る親鸞』4

2011年08月07日 | 仏教

 善鸞の義絶
善鸞の母親は誰か。
義絶状に「みぶの女房」の名前が出てくる。
善鸞は親鸞への取りなしを「みぶの女房」に頼み、そのことに親鸞は怒った。
平雅行氏は「みぶの女房」が親鸞の最初の妻であり、善鸞の実母、もしくは近親者だとする。
その説明にはもっともだと思いました。

「この時代は、離婚や再婚は珍しい話ではありません。落ち目になった夫について行くぐらいなら、普通の貴族女性は再婚を考えたでしょう。妻子が流罪先まで同行するのは、中世ではめったになかったと思います」

義絶状偽物説について。
「善鸞義絶状がニセ物ではないかという疑問が提起されたのは、今から50年も前のことです」
それに対し、岩田繁三氏、宮地廓慧氏、平松令三氏らは真撰だと主張した。
ところが、
「偽作説は収まる気配を見せません。最近では松本史郎氏や今井雅晴氏が偽撰説を唱えていて、むしろ偽撰説のほうが勢いづいている感すらあります」

偽物説が論拠は何か。
「善鸞が受け取ったはずの義絶状が、なぜ敵方の真仏―顕智に伝来したのでしょうか。善鸞がこれを敵方に見せることはあり得ません」

では、どうして真仏・顕智が義絶状を手に入れたのか。
平雅行氏は「文書の宛所と受給者との乖離」という中世文書の特質から容易に説明がつくと言う。
「中世文書の世界では、文書の実際の受取人が、その文書の宛先と別人であるような事例がいっぱいある。たとえば文書の宛先が善鸞になっていても、実際には最初から別人がそれを受け取ることになっているのは珍しいことではなく、中世古文書学の一原則とされるほど、ありふれたことなのです」
正文の命令書を相手に見せて、幕府の命を履行するよう要求する。
そして案文を相手に渡す。
「正文(本物)は重要な権利書ですので、将来に備えて大切に保管し、案文(写し)を相手に渡すのです」

こういう慣例は善鸞義絶状にも当てはまる。
「東国の性信は親鸞のもとに使者を派遣して、問題解決を訴えます。善鸞のほうもおそらく同じ行動をとったでしょう。双方からの働きかけを前にして親鸞は悩んだと思いますが、最終的に善鸞の義絶を決意します。そこで親鸞は、同日付で二通の文書を書きました。義絶状[A]と通告状[B]です
親鸞も義絶状と通告書を性信に渡し、性信は善鸞に義絶状を見せ、案文を手渡す。こうして義絶状と通告状が性信の手元に残る。

「中世文書の在り方からすれば、義絶状が善鸞の反対勢力に伝来するのは、むしろ当たり前のことです」
「もしも親鸞が義絶状[A]を善鸞に直接交付したら、どうなったでしょうか。善鸞にとって、この文書は致命的なものですので、義絶状を隠すに違いない。こんなものを自発的に公表するはずがありません。ところが性信の側には、善鸞を義絶したという親鸞の通告状[B]が届きます。ということで、今度は義絶されたと主張する性信と、そんな事実はないと主張する善鸞との間で泥仕合が続くことになります」

「義絶状が義絶状として機能するためには、本人に義絶状を直接渡してはなりません。対立者を通じて手渡されて、はじめて義絶状は機能するのです」
「少なくとも義絶状の正文を本人に与えたような事例を、今のところ私たちは日本中世で確認することができていません」
これまた説得力がありました。

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平雅行『歴史のなかに見る親鸞』3

2011年08月04日 | 仏教

 恵信尼との結婚と別居
「恵信尼文書」の「き」(直接体験)と「けり」(間接体験)の用法から、恵信尼は直接見聞した事実を手紙で述べている、だから恵信尼が親鸞と初めて会ったのは親鸞が法然のもとに通っていた時期だ、という説が出された。
しごくもっともだと思うのだが、平雅行氏はこの説
を認めない。
「恵信尼の直接体験と解さなくても、文章理解は可能である。恵信尼の説明が途中から、親鸞の直接話法に変わっているところに、混乱の原因がある」
したがって、越後に流されたのは恵信尼の実家とされる三善氏のコネということもあり得ない。(平雅行氏は恵信尼の実家は三善氏ではないという立場)

また、親鸞が越後に流罪になる一ヵ月前に伯父の宗業が越後権介に補任されているので、宗業の影響があるという説がある。
「もっとも越後権介など、実質的な権限はありませんので、これを過大視して考えることには慎重でなければなりません」
「彼の要請で親鸞の配流先を越後にしたということは考えにくい。殿上人にもなっていない宗業に、そのような政治力があろうはずがありません」
ということで、親鸞はたまたま越後に流されたらしい。

親鸞は藤井善信という名前に改めた。
その理由。
「一般に中世では、地方の下級官僚を任命する際、藤原氏は藤井に、源氏は原に、橘氏は立花に、平氏は平群に書き改めるのが通例でした」

流罪生活はどのようなものか。
中世では、流罪人の身柄を在庁官人(県庁の役人)や御家人に預けて、監視・扶持させていた。
親鸞は地元の在庁官人に預けられたはずだと平雅行氏は言う。
「囚人がどういう扱いを受けるかは、預かり人の自由裁量の部分がかなり大きかったようです」
「全般的にさほど厳しい管理下に置かれていたわけではない、と言えるでしょう」

恵信尼は三善為教(為則)の娘と考えられているが、平雅行氏はまたまた定説を否定する。
三善為教(為則)は京都の官人であり、越後介の官職を金を払って手に入れただけで、越後に土着していたわけではない。
一方、恵信尼や子どもたちは親鸞と別れた後は越後で暮らしている。
恵信尼の実家の基盤は越後にあったために、子どもたちと越後で暮らすようになった。
もしも三善為教(為則)の娘であれば、京都で生活したはずである。
京都に住む覚信尼に何名かの下人を譲っており、越後に住む子どもたちもいるので、恵信尼が所有していた下人は相当な数にのぼる。
平雅行氏は「恵信尼は越後の在庁官人の一族であった可能性が高い」と言う。

「恵信尼文書」から、恵信尼は教養豊かな女性なので、京都の貴族の娘だ、と想定されている。
これについても、在庁官人は「政務を担当するには文筆能力が必要ですので、家族もそれなりの教養があったはずです」
北条政子も在庁官人の娘であり、高い教養を持っていた。
「恵信尼は越後の在庁官人の娘であったと推測してよいと思います。親鸞と恵信尼が結ばれたのは、越後での流罪中のことです」
親鸞は預かり人の娘と結婚した可能性が高い、というのが平雅行説である。

松尾剛次『親鸞再考』には、親鸞は赦免後、一度、越後から京都に戻り、それから関東に移ったとある。
なるほどと思ったのだが、『歴史のなかに見る親鸞』によると、赦免されても京都に戻る人ばかりではないそうだ。
讃岐に流された道範という僧は、京都に向かおうとするが、体調を崩したこともあって、高野山に戻っている。

では、関東から京都に親鸞は戻ったが、恵信尼や子どもたちはどうしたか。
親鸞と家族は一緒に京都に帰り、しばらくは家族そろって暮らしていた、というのが平雅行説。
恵信尼が覚信尼の子どもと会ったことが「恵信尼文書」に書かれているのがその証拠。

では、恵信尼はなぜ親鸞と別れて越後に移ったのか。
東国門弟は親鸞や家族の面倒をみてくれたが、子どもたちの家族の世話までは頼めない。
東国門弟に頼ることなく、子どもたちが生活できるようにしないといけない。
恵信尼が越後で子どもたちと暮らしたのは、
「恵信尼の実家に頼らないと、生活の目途が立たなかったからでしょう」
親鸞が京都に残ったのは、覚信尼が宮仕えのためで、
「そのためには、親鸞が伯父一族に支援を頼み込まないといけません」
「子どもたちのことを考えれば、夫婦は越後と京都に別れるしかなかったのでしょう」
ふーむ。

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