三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

長谷川博一『殺人者はいかに誕生したか』

2016年03月26日 | 死刑

長谷川博一氏は臨床心理士、人と寄り添い、対話を通してその人の心を理解し、それまで背負ってきた荷物を少しでも降ろしてもらうことで、しあわせな人生への歩みなおしをお手伝いすることだと、『殺人者はいかに誕生したか 「十大凶悪事件」を獄中対話で読み解く』の冒頭に書いています。
長谷川博一氏は裁判所からの正式鑑定や、弁護士の依頼による心理鑑定で、あるいは誰からも依頼されずに加害者本人に会って、個人の生育のストーリーを丹念に辿り、精神疾患との関連も検討し、犯行時に置かれていた環境を精査する。
すると、「十大凶悪事件」の加害者は虐待を受けて育ったことがわかった。

犯罪者は放置されたままの過去の被害者

池田小学校事件の宅間守がそうで、母親は父親に毎日殴られていたし、母親は宅間守を妊娠したときに堕ろそうとした。
心の中に「虐げられた子ども」が存在していて、親に対する大きな怒りの感情に翻弄されている。
8回目の面会で、こんなことを言ったそうです。

「子どもたちには何の罪もない。自分が子どもの立場やったら、無念やったろうなぁ」
「途中で、もうやったらいかん、やめないかん思って、そやけど勢いがあって止まらんかった。誰かに後ろから羽交い締めされたとき、やっとこれで終われるって、ほっとしたんや」
「本能ちゅうんですかね、良心の呵責ですわ」

宅間守は危険運転や5階からの飛び降りなど、身に危険が及ぶ行為を何度も繰り返しています。

「なりたくてこんな人間になったんやない。気づいたらもうなっとって、自分ではどうしようもできんかったんや。だから責任はない」


幼女誘拐殺人事件の宮崎勤は統合失調症だと言われているが、長谷川博一氏によると解離を生じていた。
解離性健忘は、記憶が現在の意識との連絡を絶ってしまう。
解離性同一性障害(多重人格)は、別人格が台頭し、本来の人格はそれを把握していない。
離人症は、自分の心が身体から遊離して、現実世界を生き生きと過ごせない。
自分がしたことを覚えていないのです。
虐待を受けた人は、大多かれ少なかれ解離性障害を示す。

他の事件の加害者にも解離性障害の人がいます。

連続児童殺害事件の畠山鈴香さんの人生は悲惨というほかありません。
小学1年のとき、宗教活動に熱心な担任から「水子が憑いている」と言われ、子どもたちから「心霊写真」とはやし立てられた。
小学4年のとき、給食指導に熱心な担任は給食を全部食べさせようとし、時間内に食べることのできない畠山鈴香に「両手を出して。食べ物入れるから」と言い、掌に食べかけの給食を入れた。
指のすきまから汁が落ち、机や服が汚れるので、「ばい菌」というあだ名がついた。
ばい菌は汚いから洗ってやるという理由で、トイレの個室に閉じ込められ、上からホースで水をかけられることもあった。

高校の卒業文集には
「いじめられた分、強くなったべ。俺たちに感謝しなさい」
「もう二度と秋田の地に帰ってくるな」
と書かれ、最下部には「畠山鈴香・・・自殺・詐欺・強盗・全国指名手配・変人大賞・女優・殺人」と記してある。
このような文集を許した学校・教師が存在すること自体が犯罪だと思います。

ひどいことを言われ、いじめられても反発しないのは、父親の暴力を受けていたことによる。
母親を殴っていた父親は娘も殴るようになり、最初はかばっていた母親も、かばうと余計に激昂するので見て見ぬふりをした。
畠山鈴香さんは夫と離婚し、生活保護を受けながら子育てするが、精神科で処方される薬は増えていき、普通の人が服用すると丸一日は起き上がれないほどの量だった。
娘を橋の欄干から突き落としたとされるが、本人は覚えていない。
解離性健忘のためである。
だから、子供がなぜ川に落ちたのかはわからない。

どの死刑囚も、なりたくて犯罪者になったわけではありません。
自殺サイト連続殺人事件の前上博は、犯行前から継続して病院やカウンセリングに通い、治療してくれるよう懇願していた。

スウェーデンの学者が行った研究。
生まれて間もなく里子に出された子どもたちが青年期に入るまでの間、行動の追跡がなされた。
子どもたちには実の親と育ての親がいて、どちらの親も「犯罪歴をもつ」と「犯罪歴をもたない」で分けると、4つの群ができる。
①「実の親に犯罪歴あり・育ての親に犯罪歴あり」
②「実の親に犯罪歴あり・育ての親に犯罪歴なし」
③「実の親に犯罪歴なし・育ての親に犯罪歴あり」
④「実の親に犯罪歴なし・育ての親に犯罪歴なし」
子どもたち自身の犯罪歴を調べたところ、①が40%、②が12%、③が7%、④が3%という発生割合だった。
この結果は、遺伝的要因も、環境的要因も、どちらもそれ単独では子どもを犯罪に走らせる力は強くないということを示唆する。
生来(遺伝)的なリスクを抱えていても、環境にそのリスクを助長するような条件がそろわない場合には、犯罪行為に走りにくいと考察できる。

生まれながらのモンスターはいないということです。
我が家は大丈夫だとは言えません。
他人事ではないと思います。

コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

青草民人「にんべんのつく漢字」

2016年03月19日 | 青草民人のコラム

先日、朝会で話す機会を校長先生からいただき、「備えあれば憂いなし」という防災の話をさせていただきました。
1月17日は、阪神淡路大震災から、21年目、満20周年を迎えた日です。

その時に校長先生から、話をするときは、文字を書いて話したほうがいいとアドバイスをいただきました。それは、言葉だけでは聞こえの悪い子には理解できない、ということもあると聞いたからです。


私はさっそく筆を借り、「備える」という文字を書きました。そして「憂」という文字を書き、そのとなりに「にんべん」を添えて、見えないように折っておきました。話のあらかたはこんなことです。


「備えあれば憂いなし」ということわざを知っていますか。1月17日は阪神淡路大震災という大きな地震があってから、満20年を迎えた日です。

普段から避難訓練をしているのはどうしてでしょう。それは、雪が降った日に長靴がないと大騒ぎするように、普段から災害が起きたときに備えていないと、いざというときには、心配なことがたくさん起きてしまうということです。それを憂いといいます。
いつもまさかの時のことを考えていろいろなものを備えておくことが大切です。
(備の文字を示す)
そして、もう一つの備えは、憂いが起こらないように普段から周りの人と助け合うことです。人と人とが助け合うと憂いは優しさに変わります。
(ここで憂いの横に「にんべん」を付けました)
憂いという文字に人が着くと「優しい」という文字になるのです。
自分でも話していて、なるほどと思いましたが、漢字というのはよく考えられているものです。
備えるという文字も、調べたら、「にんべん」に矢を入れるえびらというものを象形した「つくり」でできていました。つまり、敵に備えて矢を担いだ姿を表している文字なのです。

後で、校長先生からお話についてご指導していただきました。話そのものについては、まずまずということでほっとしました。


その後、校長先生からこう言われました。

「そういえば、「夢」に「にんべん」がつくと「儚い」という文字になるね」と。
「あー」と思わず声が出ました。それを聞いたとき、人間のもつ夢とは、儚いものなのかなと思いました。

子どもたちには夢をもちなさいと励ますのですが、夢をもつことは大切なことであるけれど、大金持ちになりたいだの、人より偉くなりたいだの、長生きしたいだのといった、貪欲に近い夢は、やはり煩悩でしかないのかなと思いました。

「にんべん」恐るべしです。 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

青草民人「おかげさま」

2016年03月15日 | 青草民人のコラム

昨年の秋のことで恐縮ではありますが、落ち葉の季節になりまして、学校の校庭の木の落ち葉が大変気になることがあります。
校庭の中ですと、主事さんたちがきれいに掃除してくださいますが、近隣の路上にも落ち葉が散らかります。主事さんも気にしてはいてはくれますが、木枯らしが吹くと手が回りません。ご近所の方々から苦情が来ないかと、毎年頭を悩まします。
以前いた学校でも、近隣の方から落ち葉の始末が悪いと苦情をいただいたことがあり、私自身トラウマになっていました。

そんなある日、朝、学校に出勤すると校門の近くにお住まいの方が、家の門前で、明らかに学校のものである落ち葉を掃いておられました。
私は申し訳ないという気持ちでいっぱいになり、苦情覚悟で、「申し訳ありません。学校の落ち葉でご迷惑をおかけしています」とお声をかけました。

すると、そのご近所のご婦人は、こうおっしゃいました。
「いえいえ、こちらこそ、毎年楽しませていただいています」と。
私は、その言葉を聞いたとき、驚くとともに、すばらしい方だなと感じました。

どういう意味でそうお答えになったのかはわかりませんが、私は、自然の摂理にしたがって毎年落ちてくる落ち葉を、今年もこうして健康で掃き掃除することができて幸せですとおっしゃったのではないかと受けとめさせていただきました。


モンスターペアレンツだの、言ったもの勝ちだのと、ことさら自分の主張を他者に押しつけるような物言いが多い中、面倒なことも自分の身に引き替えてお答えになったそのお言葉に、仏の心を聞いた思いがいたしました。


私どもは、何かにつけて自分の都合のよい解釈をするものです。自然の摂理にしたがって落ちる木々の葉も、空から降ってくる雨や雪も、時と場合によっては迷惑千万なものに違いはありませんが、こちらの受け止め方一つで「ありがたい」ものにもなるのです。


真宗の教えの言葉に「自然法爾(じねんほうに)」という言葉があります。これは、私たちも含め、あらゆるものは自然の摂理にしたがって、あるがままに存在しているという意味です。


ですが、私たち衆生には煩悩があり、我が身というものを通して、身の回りのものを見て、判断し、行動してしまうのです。「邪見憍慢悪衆生」と正信偈にありますが、まさに邪な見方をし、驕慢な心で判断し、行動してしまう悪衆生なのです。

しかし、この方のものの見方は、真に仏の見方、正見だったのです。

仏教の教えは、難しい経典の中にあるのではありません。身近なところに仏様はいらっしゃるのですね。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ピーター・チャン『最愛の子』

2016年03月11日 | 映画

ピーター・チャン『最愛の子』は、誘拐された3歳の息子を探し続ける両親の話です。
ネットで調べると、中国では毎年20万人もの子供が誘拐されるとあるし、年間5000件の誘拐があるとも書かれています。
どっちの数字が正しいのでしょう。

子供が行方不明になった親の会があるそうです。
『最愛の子』では、親の会の交流会で、一人ずつ自分の体験や気持ちを語り、それに耳を傾けるシーンがあります。
子供を捜すために仕事を辞めた人。
精神異常とされて入院させられた人。
報奨金目当ての電話が何度もかかってきたが、「希望は飯みたいなもんだ。今は詐欺師の電話さえ恋しい」と話す人。

『最愛の子』にはいろんなエピソードが語られますが、きちんとリサーチしているでしょうから、子供が行方不明になった親たちが実際に経験したことばかりだと思います。

妻が妊娠したので出産許可証を申請すると、第一子の死亡届を出せと言われ、「子供は死んでない」と担当者に文句を言うシーンも事実でしょう。

ちょっと驚いたのが、「自分の不注意のせいで子供がさらわれたんだ」と泣き崩れる母親を励ますために、全員が手拍子を打ちながら、「がんばれ、がんばれ、がんばりましょう」コールをすること。

無理に励まさないのが自助グループの鉄則ですが、国民性の違いなのか、場合によってはこれもありなのか。

それと、母親役の女優さんがいずれも美人ぞろいということ。
映画の最後にモデルとなった人たちが出てきますが、養母はヴィッキー・チャオには似てませんでした。

コメント (15)
この記事をはてなブックマークに追加

ネッド・ベンソン 『ラブストーリーズ コナーの涙・エリナーの愛情』

2016年03月07日 | 映画

家族が死んだ際、死別の受け止め方が親子、夫婦で違ってて、なくなった人の話がなかなかできない、ということを聞きます。

野田正彰氏の話に、子供を亡くしたお母さんはその子への思いが強くなり、他の子供たちのことを気にかけなくなる傾向がある、子供たちは「お母さんの子供はあの子だけではないのに、死んだ子のことばかり言っている。私はいてもいなくてもいいようにしか思われていない」と感じる、ということがありました。

そうして親子、夫婦の感情がずれていくことがあるそうです。
阪神大震災で子供を亡くし、2~3年後に離婚した夫婦が30%を超えていて、仲が悪かったわけではなくても、子供を失うことで齟齬が大きくなるということです。

子供の死がきっかけになって別れた夫婦を描くネッド・ベンソン 『ラブストーリーズ コナーの涙・エリナーの愛情』は、夫と妻それぞれの視点から描いた二本の映画です。
同じ場面のセリフでも、『コナーの涙』と『エリナーの愛情』ではちょっと違っていて、夫と妻が異なって記憶していることを映像で表現しています。
私は男だからか、妻のエリナーの気持ちにもう一つ共感できませんでした。

両方の祖父母も出てきて、孫が死んだつらさや悲しみを語ります。

一人の死をめぐって無数の物語があるわけです。

夫の父親が「流れ星は一瞬にして過ぎ去る。それでも目にするのは喜ばしいことだ」と言います。

いい言葉でしょ。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加