三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

『ジャニス:リトル・ガール・ブルー』

2016年11月28日 | 映画

『ジャニス リトル・ガール・ブルー』を見ました。
知人との会話です。

「ジャニス・ジョプリンは高校の時にいじめられてて、大学でもいじめられてた。高校を卒業した10年後に高校の同窓会に出席したが、誰も声をかけなかった。それからまもなくドラッグで死んだ」
「孤独だったんだ」
「ジャニス・ジョプリンは、ライブとセックスは似ている、終わるとひとりぼっちになる、と言ってる」
「ジャニス・ジョプリンは、神様、助けて、と必死に歌っている感じがする」
『エイミー』を見ると、エイミー・ワインハウスは夫と父親がクズ。有名になると、金目当てのろくでなしが近づいてきて、人が信用できなくなって、ますます孤独になるんだろう」
「『ザ・ビートルズ〜EIGHT DAYS A WEEK』でジョージ・ハリスンが、僕たちは4人だからよかった、エルビス・プレスリーは1人だから大変だと言ってた」
「「ハード・デイズ・ナイト」や「ヘルプ」はそのころのビートルズの気持ちそのまんまじゃないか」
「ビートルズはマネージャーや編曲者がよかったということもあると思う」
「ビートルズはライブをやめた。ライブはハイテンションを保たないといけないからしんどいと思う」
「30年も40年もトップでいつづけるということはほんと大変なことだと思う」
「ブルース・スプリングティーンのような人でも、ウツ病になったと自伝で書いている」
「ジャニス・ジョプリンはクスリと酒で27歳で死んだ。エイミー・ワインハウスも27歳」
「ジミ・ヘンドリックス、ジム・モリソン、カート・コバーンも20代で死んでいる。長生きできない」
「それにしても、ミック・ジャガーやキース・リチャーズはどうして死ななかったんだろう。キース・リチャーズなんてほんとひどかったのに」

というわけでもないのですが、大森庸雄『生きてるぜ! ロックスターの健康長寿力』を読みました。
かつてミック・ジャガー(73歳)は、「45歳になって、まだ『サティスファクション』を歌っているくらいなら、死んだほうがいいだろう」と語っていた。
1965年、ザ・フーのピート・タウンゼント(71歳)は「オレたちはいつも老いぼれたバンドにはなりたくないとマジに考えているんだ。オレは、30歳になったら自殺するね」と言っている。

ところが、現在は60代、70代を迎えても現役で活躍しているミュージシャンが多くなってきており、彼らはどうして健康を保っていられるのか、『生きてるぜ!』はその秘密に迫る本だそうです。


音楽ビジネスのもっとも大きな変化が、CDの売り上げが下降する一方で、ツアーからの売り上げが大きくなっていること。

大規模なワールドツアーとなれば、チケットの売り上げに加えて、Tシャツをはじめとするツアーグッズの売り上げも大きな収益をあげる。
そうなると、ステージに立つアーティストの見せるパフォーマンス力、数時間に及ぶライブに耐える強靱な体力が必要となる。
トレーニングとヘルシーな食事を心がけることが必要になる。

ロックスターというと、セックスとドラッグとアルコール、不健康な生活を送っているというイメージがつきものだが、それは遠い過去のこと。

いまや音楽界ではアーティストたちも健康面に気配りをするようになった。
長く活動しているスターたちは体を鍛え、食生活にも気を使っている。

ジョン・ボン・ジョヴィはツアーにトレーナー、カイロプラクター、栄養士を同行させ、マクロビオティック・ダイエットを実践しているスティングのツアーにはパーソナル・シェフが同行している。


ミック・ジャガーは1943年生まれで、体脂肪率8%。

ライブではステージを平均19km走る。
父親は体育講師、アスリートとして育てられた。
経済学士号の取得をめざし、ロンドン大学政治経済学院へ進む。
1969年、財政面の立て直しを図るべく、プリンス・ルパート・ローウェンスタインに経理を見てもらうことになる。
こんなに早くから経営を考えていたわけです。
1987年以降、ローリング・ストーンズはグローバル企業へと発展していく。
1977年に、「ストレッチ体操にランニング。体を鍛えないと、ステージで2時間半もあんなことは続けられないよ」と言っている。
ツアーに出る前には数か月準備をする。
体力づくりをし、甘いものを控え、最高の体調をつくりあげる。
食事は、全粒粉のパン、ポテト、玄米、パスタ、豆、鶏肉、魚、オーガニック栽培の野菜・果物を摂っている。
普段は夜は11時に寝て、朝は6時に起きる。
毎日サプリメントを摂取し、スキンケアにも気を遣う。

ポール・マッカートニーは菜食主義。

もっとも、妻のリンダもベジタリアンでしたが、ガンによって56歳で亡くなっています。

1980年代には、1日にコニャック4本をあけたというオジー・オズボーンがタバコ、酒、ドラッグをやめるのに重要だったのは、依存症者とはつきあわないようにしたこと。

アリス・クーパーはゴルフでアルコール依存から抜け出した。
アンソニー・キーディスも薬物依存からゴルフ依存症に変わった。
エリック・クラプトンはアルコール依存症から釣り依存へと変わった。
ロン・ウッドは切手の蒐集でアルコール依存症を克服。
こんなことでアルコール、ドラッグ、セックスの依存症から脱却できるものなのでしょうか。

それにしても、キース・リチャーズはドラッグはやめてもタバコは吸っているし、菜食主義やエクササイズに興味はなく、特筆できる健康法に取り組んでいるわけでもない。

なのに体脂肪率は14%。
不思議。

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松原惇子『老後ひとりぼっち』

2016年11月23日 | 

某氏が、年を取ると保証人がいないことが大問題だと言って、松原惇子『老後ひとりぼっち』をくれました。
『老後ひとりぼっち』を読み、なるほど、大問題だと納得。

ひとりで生きていく人を困らせる問題は人生の大事な場面、就職する時、家を借りる時、病人に入院する時、介護施設に入る時など、身元を保証する保証人を要求されること。
しかも、その保証人は身内を立てるのが通例だ。
子供がいない人、兄弟とのつき合いが薄い人は保証人になってもらう人を探さないといけない。

どんな場面で保証人を要求されるか
1 家を借りる時に身元保証人を要求される
身元保証と呼ばれるもので、借り手の身元保証と、家賃を滞納した時の支払い保証、死亡時における家財整理、建物の明け渡しの保証を意味する。
民間賃貸住宅では保証人になってくれる人がいなければ借りられない。
家の建て替える間に自分が住む家を借りようとした79歳の男性は、身内(会社勤務でないとダメ)の身元保証人を要求された。
公団住宅は身元保証人は必要なく、預貯金の残高証明書、納税証明書などを求められる。
アメリカでは、通常、家賃の2か月分程度の保証金を支払えば、誰でも借りることができる。
民間でも身元保証人を不要にすべき。

2 介護施設・有料老人ホームに入所する時に身元保証人を要求される

身元保証人がなければ、お金があっても入れない。

3 入院、手術の時に身元保証人・身元引受人を要求される

病院は入院費や医療費の支払い保証、手術や治療に対する同意、死亡時の手続きや身元引受人を保証させたい。
階段から転落し、救急車で搬送されて入院した68歳の女性は、家族の保証人が必要だと言われ、遠方の兄の到着を5時間待ってから手術をした。

2014年に全国603か所の病院・介護施設を対象に実施した「身元保証」に関するアンケート。

「身元保証を求めますか」の質問に対し、「求める」と答えたところは、病院では95.9%。介護施設では91.3%。
「身元保証人が立てられない時は、利用を認めない」と答えたのは、病院では22.6%、介護施設では30.7%。
「保証人が見つからない場合はどうしたらいいのか」という質問に対して、約6割の病院・介護施設が「成年後見人に保証を求める」と回答している。

これは、成年後見人の仕事を理解していない。

成年後見人の仕事は、認知症などにより本人の判断能力が落ちた時からで、頭がしっかりしているうちは後見人は何もできない。
また、弁護士の話によると、東京家庭裁判所からは「病院から身元保証を求められたら、原則的に断りなさい」と指示を受けているということだ。

ずっと以前、子供のない老齢の方が「子供がいて独り暮らしと、子供がいなくて独り暮らしは全然違う」と言われてました。

子供がいないということは、単に寂しいとかだけでなく、病院や施設に入れないということもあるわけです。

身元保証ビジネスといって、家族に代わって身元保証をする法人がある。

サービスは大きく分けて3つある。
1 身元保証人を引き受ける
2 生活支援
急病で緊急搬送された時、通院・退院の時の支援など。
3 葬送支援
死亡届、葬儀、火葬、納骨など、家の片づけ、パソコンデータ消去など。

費用はお願いするサービスにより違うが、最初に100万円ぐらい必要で、その後、預託金として100万~200万円以上が普通らしい。


2016年1月、公益財団法人日本ライフ協会が会員から預かっていた預かり金2億7千万円を流用していたことが発覚、結局破綻した。

日本ライフ協会に身元保証人になってもらい、有料老人ホームに入所していた70代の女性は、日本ライフ協会の破産で、ホームから「1か月以内に別の保証人を立てるように」と勧告され、そしてホームの管理者から「終身保証してあげますから、あなたの全財産をこちらに全部預けなさい」と言われた。

公益財団法人だからと信用していた人も多い。

国の認可責任はないのかと、松原惇子氏は憤っています。
貧困ビジネスならぬ老後ビジネスが横行しているわけです。

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『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』(3)

2016年11月18日 | 仏教

ザビエルが二度目に山口に滞在した時には500人が洗礼を受けたそうです。
短期間に大勢の人が信者になったのは、キリスト教が真実の教えだからだとザビエルは自賛します。

書簡96[僧侶の教えよりも理にかなった神の教え]
18 多くの人びとが信者になってゆくのを見て、ボンズたちはたいへん悲しみ、信者になった人たちを叱りつけて、どうして今まで信じていた教えを棄てて、神の教えを信じるようになったのかと質問しました。信者たちや聖(み)教えを学んでいる人たちは、ボンズの教えよりも神の教えのほうがはるかに理にかなっていると思うので信者になったのだと答えました。また、ボンズの質問に対して、私たちがよく答えたのに、私たちがボンズの教えについて質問したことに、ボンズたちが答えられなかったのを見たからです。日本人は、その宗派の教義のなかで、前にも言ったように、天地の創造、太陽、月、星、天、地、海その他すべての物の創造について、何も知識を持っていません。日本人はこれらすべての物には元始(はじめ)がなかったのだと思っています。私たちが霊魂はそれを創造した創り主がいるのだと言うのを聞いて、さらに深い感銘を受けました。


僧侶たちはザビエルにいろんな質問をしています。

書簡96[創造についての僧侶の反論]
20 彼らは悪魔がいること、そして悪魔が悪い者であり、人類の敵であると信じていましたので、もしも神が善であるならば、こんなに悪い者どもを造るはずがないから、私たちが言うようなことはありえないと考えました。私たちは神は善いものを造られたのですが、彼らが勝手に悪くなったので、神は彼らをこらしめ、終わりない罰を科すのであると答えました。それに対して彼らは、神がそれほど残酷な罰を科すならば、情深い者ではないと言いました。さらに彼らは、[私たちが言うように]神が人類を造ったということが真実であるならば、それほど悪い悪魔が人間を悪に誘うことを知っていながら、どうして悪魔の存在を許しておくのかと言いました。神が人類を創造したのは、神に奉仕するためですから、[悪魔の存在を許すのは矛盾であると言うのです]。またもしも、神が善であるとすれば、人間をこんなに弱く、また罪に陥りやすく創造しないで、少しも悪がない[状態に]創造したに違いないと[言いました]。そして神は、これほどひどい地獄を造り、[私たちのいうところに従えば]地獄に行く者は、永遠にそこにいなければならないのだから、慈悲の心を持つ者ではなく、したがって万物の起源である[神を]善であると認めることはできないと言いました。またもしも、神が善であるとすれば、これほど遵守しがたい十戒を命じなかったであろうと言いました。


僧侶の質問は5点です。
①「神が善であるならば、こんなに悪い者ども(悪魔)を造るはずがない」
②「神がそれほど残酷な罰(終わりない罰)を科すならば、情深い者ではない」
③「神が善であるとすれば、人間をこんなに弱く、また罪に陥りやすく創造しないで、少しも悪がない状態に創造したに違いない」
④「地獄に行く者は、永遠にそこにいなければならないのだから、慈悲の心を持つ者ではなく、したがって万物の起源である[神を]善であると認めることはできない」
⑤「神が善であるとすれば、これほど遵守しがたい十戒を命じなかった」

これらの質問は私にはしごくもっともな疑問だと思います。
神が全能であり全善なら、どうして悪が存在するのかという悪の問題はキリスト教の難問だそうです。
ところが、ザビエルの答えは「神は善いものを造られたが、勝手に悪くなった」というあっさりしたものです。
この答えで誰が納得するのでしょうか。
だったら人間を悪に陥らないように強く創造すればいいという③の疑問が生じるのは当然です。
しかし、書簡には③への答えはありません。

もう一つ大きな疑問は地獄ということです。
ザビエルが来日する以前は、日本人はキリスト教を知らなかったのだから、先祖たちは地獄に落ちていることになります。

書簡96[神の全善について山口の人たちの疑念]
23 山口のこの人たちは、私たちが日本へ行くまで日本人に神のことをお示しにならなかったのだから、神は慈悲深くはないと言って洗礼を受けないうちは、神の全善について大きな疑念を抱いていました。もしも[私たちが言うように]神を礼拝しない人がすべて地獄へ行くということがほんとうならば、神は日本人の祖先たちに慈悲心を持っていなかったことになります。祖先たちに神についての知識を与えず彼らが地獄へ行くに任せていたからです。


キリスト教では、地獄に落ちた者は永遠に地獄で苦しみ、救いはありません。

書簡96[地獄へ落ちた者への悲しみ]
48 日本の信者たちには一つの悲しみがあります。私たちが地獄に落ちた人は救いようがないと言うと、彼らはたいへん深く悲しみます。亡くなった父や母、妻、子、そして他の人たちへの愛情のために、彼らに対する敬虔な心情から深い悲しみを感じるのです。多くの人は死者のために涙を流し、布施とか祈禱とかで救うことはできないのかと私に尋ねます。私は彼らに助ける方法は何もないのだと答えます。


ザビエルは「助ける方法は何もない」とあっさり答えるわけです。

書簡96[日本人は知識を切望し、質問は限りがない]
21 また彼らの教義によると、地獄にいる者でも、その宗派の創始者の名を唱えれば地獄から救われるのですから、[神の聖(み)教えでは]地獄に陥ちた者にはなんの救いもないのはたいへんに[無慈悲な]悪いことであると思われ、神の聖教えよりも彼らの宗派のほうがずっと慈悲に富んでいると言っています。(略)


仏教は地獄に落ちた者も救われるのに、キリスト教では「なんの救いもない」わけですから、僧侶が無慈悲だと感じるのはもっともです。

書簡96[疑いの解明]
24 (略)私たちは理由を挙げてすべての宗教のうちで、神の教えがいちばん初めに人びとに[刻みこまれたことを]証明しました。すなわち、中国から日本へ諸宗派が渡来する以前から、日本人は殺すこと、盗むこと、偽りの証言をすること、その他十戒に背く行いが悪いことであると知っていましたし、行ったことが悪いことであるしるしとして、良心の責め苦を感じていました。なぜなら、悪を避け、善を行うことは[もともと]人の心に刻みこまれていたのですから。全人類の創造主[である御者(おんもの)が、すべての人の心のうちに刻みこんだ]神の掟を他の誰からも教えられずに[生まれながらに]人びとは知っていたのであると説明しました。


いくら日本人が悪を避け、善を行うべきだと知っていても、ザビエル渡来以前はキリスト教自体を知らないのですから、神を礼拝することなどできません。
このザビエルの説明で納得する人がいたとは不思議です。

書簡96[地獄に落ちた者に救いはない]
49 彼らは、このことについて悲嘆にくれますが、私はそれを悲しんでいるよりもむしろ、彼らが自分自身[の内心の生活]に怠ることなく気を配って、祖先たちとともに苦しみの罰を受けないようにすべきだと思っています。彼らは神はなぜ地獄にいる人を救うことができないのか、そしてなぜ地獄にいつまでもいなければならないのかと、私に尋ねます。私はこれらすべての[質問に]十分に答えます。彼らは自分たちの祖先が救われないことが分かると、泣くのをやめません。私もまた[地獄へ落ちた人に]救いがないことで涙を流している親愛な友人を見ると、悲しみの情をそそられます。


「神はなぜ地獄にいる人を救うことができないのか」という問いにザビエルはどう答えたのか気になります。
現代のキリスト教ではどのように答えるのでしょうか。
宗教改革の時代に生きたザビエルに、文化多元主義への理解を期待するのは無理な注文だと、私も思います。

多くの西洋人が日本の旅行記を書いていますが、短い滞在期間で、しかも限定された場所で少数の日本人に会っただけの場合だと、旅行記の記述がどの程度、日本や日本人の実態を伝えているかは疑問ではないでしょうか。

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『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』(2)

2016年11月12日 | 仏教

ザビエルの僧侶批判は性の乱れについてだけではありません。
僧侶の無知を指摘しています。

書簡96[ボンズとの討論]
17 (略)私たちは毎日、彼らの教義や論証について質問しましたが、ボンズも尼僧も、祈禱師も、神の教えをよく分かっていない人たちも、[私たちの質問に]答える術がありませんでした。(略)


どういう質問かというと、地獄と極楽についてです。

書簡96[地獄と極楽]
7 この九つの宗派のうちで、天地創造や霊魂の創造について話している宗派は一つもありません。地獄と極楽があることについてはすべての宗派が説いていますが、極楽とは何であるかについて説明する者は誰もいませんし、誰の掟によって、また誰の命令によって霊魂が地獄に落とされるかを説明する者もいません。(略)

キリスト教と仏教とでは教義が違っているわけですが、キリスト教を絶対視するザビエルはその違いを認めることができなかったのでしょう。

ザビエルの批判は5点あります。
①「天地創造や霊魂の創造について話している宗派は一つもありません」
仏教は創造神のような絶対者を否定するのだから、話さないのは当然です。
②「誰の掟によって、また誰の命令によって霊魂が地獄に落とされるかを説明する者もいません」
善悪の業報によって輪廻をするわけで、誰かの命令によって地獄に落ちるかどうかが決まるわけではありません。
③「極楽とは何であるかについて説明する者は誰もいません」
いくらなんでも極楽には阿弥陀仏がいるとか、蓮の花が咲いているとか、その程度の説明ぐらいできただろうと思いますが。
僧侶がザビエルの質問に答えることができなかったのではなく、僧侶の答えをザビエルが理解できない、もしくは理解する気がなかったのではないでしょうか。

ザビエルによると、仏教には地獄に堕ちることを防ぐ2つの方法があります。
①「宗派の創始者の名を唱える」こと

書簡96[創始者の名を呼べば救われる]
8 これらの宗派がいっている主なことは、自分の罪について[自分自身で償う]苦行をしなかった人でも、もしもその宗派の創始者の名を唱えるなら、すべての苦しみから救い出されるということです。そしてもしもこれを深く信じて少しも疑わずに自分のすべての希望と信頼をかけて、創始者の名を唱えるなら、たとえ地獄に陥ちた者でも救い出されると約束しています。(略)


②僧侶が「災難を引き受ける」こと

書簡96[僧侶が俗人に代わり戒律を守る]
10 [普通の人たちが]この五戒を守らないために身に降りかかってくる災難を、自分たちが人びとに代わって引き受けるのだと[僧侶は]説明しています。[その代わり]人びとが[僧侶のために]建物や僧堂を献納し、[僧侶の]生活を維持するために所得や金銭を献上し、とくにボンズを尊敬し、その名誉を重んずることを条件にします。(略)人びとはボンズやボンザが地獄へ行く[呪われた]霊魂を救う能力を持っていると信じきっています。それゆえボンズは人びとから尊敬を受けるにふさわしい[生活をし]五戒を守り、その他の祈禱をする義務を負っていると思っています。


普通の人びとは五戒を守ることができないために地獄に堕ちるが、五戒を保っている僧侶が悪業を肩代わりしてくれる(オウム真理教の言葉を使うとカルマの浄化)、そのお礼に人びとは僧侶に布施をするわけです。

書簡96[僧侶の偽り]
12 また、五戒を守らない女たちは地獄から救われる手段がないと説きます。そして月経があるために、どの女も世界中のすべての男[の罪を合わせた]よりももっと罪が深く、女のように不潔な者が救われるのは難しいことだと言います。女たちが地獄から救われるために残された最後の方法は、女たちが男たちよりももっとたくさんの布施をすることで、そうすれば、[地獄から]救われるのだと言います。[僧侶が]されに説教するには、誰でもこの世で金銭をたくさんボンズに与えれば、あの世で生活するのに必要な金銭をこの世と同種の貨幣で10倍にして与えられると言うのです。それで男も女もあの世で支払いを受けるために、たくさんのお金をボンズに施します。ボンズはあの世で支払うために、誰からお金を受け取ったかという証拠書類を男にも女にも渡しています。(略)

証拠書類とは免罪符みたいなものでしょうか。
それとも三途の川の渡し賃でしょうか。
どういう名称なのか知りたいです。

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『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』(1)

2016年11月07日 | 仏教

山本博文「日本人の名誉心及び死生観と殉教」(竹内誠監修『外国人が見た近世日本』)に、ザビエルが書簡でボンズ(坊主)に言及している部分を引用してあったので、『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』を見てみました。

日本の仏教事情について詳しく書かれてあるのは、書簡90(1549年11月5日鹿児島からゴアのイエズス会員に出された)と書簡96(1552年1月29日コーチンからヨーロッパのイエズス会員に出された)です。
どちらもかなりの長文です。

ザビエルは1549年8月15日に鹿児島に到着。
1550年8月に平戸、10月に山口へ。
1551年1月に京都へ行き、3月に平戸に戻り、4月に山口、9月に大分。
1551年11月15日、大分からインドへ出帆。
日本に滞在したのは2年3か月ということになります。

書簡90は日本滞在3か月で書かれたためか、ボンズ(坊主)をほめている個所がありますが、書簡96ではけなしまくっています。
( )の中は訳注、[ ]は補注です。

書簡96[ボンズたちが多い]
4 この地には修行生活をしている男や女がたくさんおります。彼らのあいだでは男をボンズと呼んでいます。さまざまな宗派があって、ある者は褐色の衣をまとい(一向宗の僧侶)、他の者は黒色の衣を着ています(禅宗の僧侶)。そしてお互いにあまり親しくしていません。黒衣のボンズは褐色のボンズをたいへん嫌い、褐色のボンズは無知で悪い生活をしているといっています。比丘尼[ボンザ]たちのうちのある者は褐色の衣をまとい、他は黒色の衣を着ています。(略)

訳注によると、褐色の衣を着た僧侶は一向宗の僧侶です。
どうして一向宗なのかというと、「褐色の衣服を着けたボンザやボンズたちはすべて阿弥陀を拝んでいます」という書簡96の記述があるからです。

書簡96に「それぞれ異なった教義を持つ九つの宗派があって」という文章があり、訳注には、九つの宗派とは天台宗、真言宗、融通念仏宗、浄土宗、臨済禅宗、曹洞禅宗、一向宗、法華宗、時宗とありますから、一向宗とは浄土真宗のことでしょう。
しかし、浄土宗、時宗、融通念仏宗も阿弥陀仏を拝みますから、阿弥陀を拝むということだけで、褐色の衣を着ているのが浄土真宗の僧侶かどうかはわからないはずです。

そもそも、どうして「浄土真宗」ではなくて「一向宗」という宗派名を訳者は使ったのか。

蓮如『御文』に「開山は、この宗をば浄土真宗とこそさだめたまえり。されば一向宗という名言は、さらに本宗よりもうさぬなりとしるべし」とありますから、本願寺教団が「一向宗」と称していたわけではありません。
臨済禅宗、曹洞禅宗という名称もおかしいです。

僧侶は尊敬されていたと、書簡90にザビエルは書いています。

書簡90[ボンズの厳しい禁欲生活―尊敬される理由]
46 (略)日本人のうちにはボンズが大勢いて、その罪はすべての人に明らかですけれど、彼らはその土地の人たちから、たいへん尊敬されています。なぜこのように尊敬されているかというと、厳しい禁欲生活をしているからだと思われます。彼らは決して肉や魚を食べず、野菜と果物と米だけを食べ、一日に一度の食事はきわめて規律正しく、酒は与えられません。

どの宗派の僧侶も、生き物を殺さず、殺した生き物を食べないこと、盗みをしないこと、姦淫をしないこと、嘘をつかないこと、酒を飲まないことの五戒を守っているから尊敬されていると説明します。

ところが書簡96では、僧侶は五戒を守らないと書いています。

書簡96[五戒を守らない僧侶たち]
27 (略)ボンズもボンザも、公然と酒を飲み、隠れて魚を食べ、話すことに真実がなく、平気で姦淫し、恥ずかしいとも思っていません。すべての[僧侶たちには]破戒の相手となる少年がいて、そのことを認めたうえに、それは罪ではないと言い張るのです。(略)

男色も姦淫です。
ザビエルは僧侶の男色を特に非難しています。

書簡90[ボンズたちの罪]
16 世俗の人たちのあいだでは、罪を犯す者は少なく、彼らがボンズと呼んでいる僧侶たちよりも、道理にかなっ[た生活をし]ています。ボンズたちは自然に反する罪を犯す傾きがあり、またそれを自ら認め、否定しません。これは周知のことであって、老若男女誰もがきわめて普通のことであるとして、奇異に感じたり、忌まわしいこととは思っていません。ボンズ以外の人びとは、ボンズたちの忌まわしい罪を非難するのを喜んで聞きます。彼らはそのような罪を犯す者がどれほどの悪人であるか、またそのような罪を犯すことで、神をどれほど侮辱しているかを主張する私たちに正しい理由があると考えています。
 私たちはしばしばボンズたちにそのような醜い罪を犯さないように言いました。[しかし]ボンズたちは、私たちの言うことをあざ笑ってごまかし、きわめて醜い罪について非難されても、恥ずかしいとは思いません。ボンズたちはその僧院の中に読み書きを教えている武士の子供たちをたくさん住まわせて、この子供たちと邪悪な罪を犯していますが、この罪が習性となっているので、たとえすべての人たちに悪であると思われても、それに驚きません。


一般の人びとが男色を何とも思っていないことにザビエルは驚きます。

書簡90[人びとはボンズの悪習をなんとも思わない]
18 この地の二つの[習慣]について、あまりにもひどいので驚いています。その第一は、これほど大きな忌まわしい[ボンズたちの]罪を見ていながら、人びとはなんとも思っていないことです。昔の人たちがこうした罪のなかで生活することに慣れてしまったので、現在の人たちも前例に倣っているからです。人間の本性に反する悪い習慣を続けることで、生来あるべきものが堕落することは明らかですし、不完全なことを[自覚しないで]無関心のまま[生活して]いることにより、完徳を損ない、破滅させていることは明らかです。
 その第二は、世間一般の人たちがボンズたちの生活よりも正しい生活をしていることです。このことははっきりしているのに、ボンズたちが人びとに尊敬されているのにはあきれるばかりです。ボンズたちには、他にもたくさんの過ちがあり、[世間一般の人びと]より高い知識を持っているボンズたちのほうがより大きな過ちを犯しているのです。


おもしろいのが、人びとは僧侶の妻帯は汚らわしいと考えているということです。

書簡90[ボンズが尼僧や少年と犯す罪]
17 ボンズたちのうちには、修道者のような装いをし、褐色の衣を着て、頭もあごひげも三日か四日ごとに剃っていると思われる人たちがいます。彼らは思いのままに生活し、同じ宗派の尼僧(比丘尼、ボンザ)とともに生活しています(注)。一般の人たちは[ボンズたちのこの生活を]非常に汚らわしいと考え、尼僧たちとの親しい交わりを悪いものと考えています。世俗の人たちの言うところでは、尼僧たちの誰かが妊娠したと気づくと、すぐに堕胎するために薬を飲んで処置するとのことで、これは周知のことです。僧侶や尼僧の住居を見たところでは、世俗の人たちがボンズたちについて考えていることには、十分な理由があると思われます。ある人たちにこの僧侶たちは他の罪を犯すのかと質問しますと、読み書きを教えている少年たちと罪を犯すと言いました。修道者のような服装をしているボンズたちと聖職者のような服装をしている[禅宗の]ボンズたちとは、互いに反目しあっています。

訳注には、褐色の衣を着たボンズとは「妻帯している一向宗の僧侶のこと」とありますし、山本博文氏は「薩摩藩での一向宗の禁制の理由の一端がここに示されている」と書いています。
しかし、浄土真宗には尼僧はいません。
当時の本願寺教団は強大ですから、浄土真宗の僧侶が妻帯していることは人々に周知されていたと思います。
妻帯を隠しているわけではないので、妊娠したからといって堕胎薬を飲むはずはありません。
ザビエルの誤解か、あるいは褐色の衣を着た僧侶は浄土真宗以外の宗派かだと思います。
また、山本博文氏の論に従うなら、薩摩藩は僧侶の男色はOKだが、女色は弾圧する理由になることになります。

書簡96には、山口で街頭で説教をしたが、「この人たちは、一人の男は一人の妻しか持ってはならないと説教している人たちだよ」とか、「この人たちは男色の罪を禁じている人たちだ」とあざ笑う人がいたとあります。
日本人の性に関しての寛容さはザビエルには理解の範囲を超えていたのかもしれません。

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青草民人「人工知能 AI」

2016年11月02日 | 青草民人のコラム

有名な囲碁や将棋の名人が人工知能(AI)に負けてしまったり、手術に関する指示が人間の経験よりAIの選択のほうが優れていたりというニュースを聞いた。先日の毎日新聞の記事に、49パーセントの職種が、今後10年から20年のうちに、AIやロボットに代替可能になると書かれていた。

少子高齢化に伴い、日本の生産人口は2060年には4418万人と、ピーク時の1995年の8716万人の半減となると予想されている。生産人口の減少と高齢者の増加を補う意味では、AIやロボットがその代替をすることでバランスがとれるというメリットがある。

しかし、単純作業を含む仕事の多くがAIやロボットに奪われることで、失業を余儀なくされる人たちが出てくることは大いに考えられるとともに、現実的に二極化しつつある貧富の差をさらに助長することにもつながることが予想される。


機械の指示や命令に従って、間違いのない作業を行うという仕事に創造性は見出せない。また、人間の活動そのものがAIやロボットに依存する生活になってしまうことも、自らの人間性を破綻させることにつながってしまう。


すでに、仮想体験と現実が交錯したキャラクターゲームが世に送り出され、空前のブームになっている中で、正常な人間の生活リズムすら狂わされてしまっている。AIによる自動運転を可能にする自動車の販売も開始され、大切な人命をマシンに委ねる時代も来た。


未来の生活を描いた漫画や映画の世界が、少しずつ現実化している。


人工知能(AI)の発達は、職種を減らすばかりではなく、人間の生活そのものの変化に影響を与えている。  


学校の学習においても、単純に知識を暗記する活動は、すでにITC機器の出現によって、いつでもどこでも必要な知識が引き出せるようになることで無用になる。学校でこれから学ばなければならないことは、広範な知識を覚えることではなく、こうした知識を自分なりに再構成する思考力や判断力、そしてそれを効果的に活用するために表現する力(表現力)である。AIにはできない創造性のある資質や能力を高めること、豊かな感性を持つことが、これからの教育には求められる。


便利で快適な生活のために、効率化や省力化ばかりに目が向けられ、創造性や人間性を見失っては、人間の尊厳そのものが見失われてしまう。以前、「デジタルとアナログ」という題で書いたことがあるが、まさにアナログ的な人間の資質や能力が、これからの時代社会を生き抜くために、再び脚光を浴びる時が来たように思う。人間は考える葦であることを再認識したい。

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