三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

畑中三応子『体にいい食べ物はなぜコロコロ変わるのか』

2021年02月22日 | 日記

畑中三応子『体にいい食べ物はなぜコロコロ変わるのか』は題名どおりの本。

戦後、大学教授や医者が米を食べると頭が悪くなるとか太ると言うので、私もパン食がいいと思ってました。
ところが、米は健康食品だと言われ出すかと思うと、今は糖質制限などと言われます。
小麦にしても、血糖値を上げる、小麦は依存性があるなどという研究結果があるそうです。

肉や牛乳も人によって健康にいいのか悪いのか、考えが全然違います。
肉を食べるとガンになると言う人がいますし、完全栄養食といわれた牛乳も、2000年ごろから牛乳害悪論が出だしたそうです。

体にいいとされていた食べ物が、いつの間にか体に悪いとされるんですから、何を食べたらいいのか、誰を信じたらいいのかと悩みます。
畑中三応子さんは明治からの健康にいい食べ物の流行をたどります。

食の西洋化と食の国粋主義との間で揺れ動いてきた。
19世紀末、粗食のルーツである石塚左玄は食養(食物修養)をとなえました。
正しい食事によって体質を改善すればすべての病気は治癒できると主張。
肉食礼賛の風潮に、人間はもともと穀物食だという説を展開し、肉は食べる必要がないと断言した。

しかし、人間は穀物食ではなく、雑食動物。
体を構成しているタンパク質は20種類のアミノ酸から形成され、そのうち9種は体内で合成することができず、食事で摂取する必要がある。
肉、牛乳、卵、魚は9種の必須アミノ酸をすべて備えている。

森下敬一は玄米菜食を治療に取り入れた国際自然医学会の会長。
肉、卵、牛乳は血液が酸性化する、汚れた血液がガン細胞に変わると説いた。
しかし、玄米は酸性食品、牛乳はアルカリ性食品。

酸=悪、アルカリ=善の単純な二元論で語られることが多い。
肉や卵などの酸性食品を食べ過ぎると、血液が酸性化するという説があるが、血液のpH値は食物によって変動することはない。
腎臓障害などの病気がないかぎり、酸性食品ばかり食べ続けても、つねにpH値7.4前後の弱アルカリ性に保たれる。
にもかかわらず、いまだに酸性食品を忌み嫌う人は多い。

マクロビオティックの創始者桜沢如一は石塚左玄の弟子。
玄米正食はマクロビオティックや自然食に受け継がれた。
しかし、玄米は炊飯に白米の二倍以上の時間がかかり、よく噛んで食べないと下痢をしやすいし、化吸収率が非常に悪く、栄養分が糞便に出てしまう。
粗食は低栄養を招き、かえって体に悪いと考えるのが主流になりつつある。
そんなに穀物中心の粗食という昔の食事が健康にいいなら、昔の人は長生きだったはずです。

和食を最上とするのも民族主義の一種。
自然=善、人工=悪という単純な二元論がある。
自然食には危険なデメリットもあり、食品添加物には安全なメリットもある。
栄養のバランスが大切なのだが、玄米のような自然食は盲信されやすい。

そもそも、自然食には定義がないそうです。

初期の自然食運動は「化学物質に汚染された現代文明」への対抗文化として生まれ、精神主義との親和性が高かった。やはり60年代後半のアメリカで、反文明と自然への回帰を唱え、東洋思想や先住民文化に傾倒したヒッピーのあいだで、「心と体を目覚めさせてくれる」自然食が大ブームになったのと通底している。


万能な食品はこの世に存在しない。
一種だけで完全な栄養をまかなえる食品などありえない。
自然食を好む傾向はニューエイジの一種なのでしょう。

信仰と紙一重の民間療法や極端な健康法はわかりやすいゆえに、ときとして人は救いを求めるのだ。


何とか健康法の中には宗教じみたものが少なくありませんが、民間療法もアヤシイものが多いと思います。
自分の尿を飲むという民間療法は、血糖値が下がる、ガンが治るといった体験談を耳にすることがあります。

飲尿法について松尾貴史さんが中島らもさんに語っています。(『逢う』)

松尾「最近、飲尿法やってる人、結構いるじゃないですか。僕はもう、そういうのは信じません。エセ科学です。そんなもんは」
中島「尿というのは、この世でいちばん清潔な水であるっていうのは確かやけどね。無菌状態で出てくるから。いちばんきれいなことはきれいなの」
松尾「そやけど、体の中に置いててもしようがない毒素も出してるわけですから。尿が身体にいいいう根拠っていうのが、どうもね。
尿の中には、人間の前の日一日の、まあ、どんな行動して何食うたかわからんですけど、そのときの身体のすべての、どこが悪い、どこがいいっていう情報が組みこまれたものが出てるんですって。だから、次の朝いちばんの、ほんとに凝縮された尿をのどの扁桃腺を通すことによって、扁桃腺の付近にセンサーがあるっていうんですが、それが、パーッと情報を読み取って、自然治癒能力を高めるべく命令を下すっていうんですよ。どこそこが弱ってるから、こんなものが入ってきたら、それをたくさん吸収しろよとかね。
そういったことを、ガンの権威か何かの人がいうているから、それは正しいっていう。俺は違うと思うんですけどね」
中島「それいい出したら、ウンコも食べないかんやろ」
松尾「そうでしょう。俺が神様なら、尿道の途中にそのセンサーつけるわ。そんなもんいちいちのどに返さないかんっていう、そんな自然の摂理があるんやとしたら、自分の小便飲んでる動物がいるはずでしょ。おりますかって、そんなん」。

ごもっとも。

万能食品がないように万能薬もありません。
いろんなものをバランスよく、かつ腹八分目が健康にいいという当たり前の結論でした。

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2020年キネマ旬報ベストテン

2021年02月14日 | 映画

2020年のキネマ旬報ベストテンです。

まずは邦画。
1位『スパイの妻』204点
2位『海辺の映画館 キネマの玉手箱』188点
3位『朝が来る』139点
4位『アンダードッグ』136点
5位『本気のしるし 劇場版』127点
6位『37セカンズ』118点
7位『罪の声』117点
8位『喜劇 愛妻物語』114点
9位『空に住む』97点
10位『アルプススタンドのはしの方』86点
『スパイの妻』を1位にした人は5人、『海辺の映画館 キネマの玉手箱』を1位にした人は11人です。

11位『れいこいるか』80点
12位『MOTHER マザー』70点
13位『セノーテ』68点
14位『ミッドナイトスワン』67点
15位『初恋』66点
16位『一度も撃ってません』63点
17位『浅田家!』59点
18位『風の電話』58点
19位『おらおらでひとりいぐも』51点
19位『窮鼠はチーズの夢を見る』51点

読者選出ベストテン1位の『天外者』はなんと0点、選考委員は誰も選んでいませんでした。
2位が『ミッドナイトスワン』、3位の『コンフィデンスマンJP プリンセス編』は選考委員1人が3位にしているだけ。
毎日映画コンクール日本映画大賞は『MOTHER マザー』。

ヨコハマ映画祭ベストテン
1位『海辺の映画館 キネマの玉手箱』
2位『喜劇 愛妻物語』
3位『浅田家!』
4位『朝が来る』
5位『スパイの妻』
6位『アルプススタンドのはしの方』
7位『罪の声』
8位『本気のしるし 劇場版』
9位『一度も撃ってません』
10位『佐々木、イン、マイマイン』
次点『37セカンズ』

洋画です。
1位『パラサイト 半地下の家族』304点
2位『はちどり』179点
3位『燃ゆる女の肖像』171点
4位『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』161点
5位『異端の鳥』117点
5位『死霊魂』117点
7位『フォードvsフェラーリ』107点
8位『ペイン・アンド・グローリー』99点
9位『1917 命をかけた伝令』91点
10位『TENET テネット』88点
韓国映画が1位と2位でした。
アメリカ映画は3本で、近年では珍しく少ないです。

11位『レ・ミゼラブル』84点
12位『ジョジョ・ラビット』80点
13位『リチャード・ジュエル』77点
14位『Mank/マンク』75点
15位『鵞鳥湖の夜 』72点
16位『凱里ブルース』66点
17位『ミッドサマー』59点
17位『シカゴ7裁判』59点
19位『ヴィタリナ』50点
20位『バクラウ 地図から消された村』47点

スクリーン誌洋画ベストテン
1位『パラサイト 半地下の家族』186点
2位『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』119点
3位『1917 命をかけた伝令』110点
4位『ジョジョ・ラビット』100点
5位『ペイン・アンド・グローリー』64点
5位『燃ゆる女の肖像』64点
7位『TENET テネット』60点
8位『ジュディ 虹の彼方に』56点
9位『リチャード・ジュエル』55点
10位『フォードvsフェラーリ』51点
キネマ旬報ベストテンとは7本が重なっています。

11位『レ・ミゼラブル』48点
12位『Mank/マンク』38点
13位『名もなき生涯』37点
14位『博士と狂人』37点
15位『異端の鳥』34点
16位『ミッドサマー』31点
17位『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』29点
17位『マーティン・エデン』28点
19位『はちどり』25点
20位『スキャンダル』24点
キネマ旬報ベストテンの20位までとは14本が同じ。

22位『鵞鳥湖の夜 』
44位『死霊魂』
44位『バクラウ 地図から消された村』

毎年のことですが、ベストテン予想は難しい。
邦画と洋画の上位20本、計40本を見た選考委員は何人いるんでしょうか。

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柳宗悦『妙好人因幡の源左』

2021年02月07日 | 仏教

ロベルト・ロッセリーニ『神の道化師、フランチェスコ』(1950年)はフランチェスコと仲間たちのエピソードをユーモアを交えながら淡々と描いた映画です。
柳宗悦『妙好人因幡の源左』を読んだ時、源左の映画をこういう感じで作ってくれないかと思いました。

源左の長男の竹蔵は、中年の頃、一時精神に異常を来した。高い木に登ったりして、皆をてこずらせた。源左が下から「竹や、済まんが降りてごせいや」というと、素直に降りて来た。竹蔵が狂ったまんまに歩けば、何もいわずに後について歩いた。日暮れになった時、たった一言「竹や、まあいなあいや」

『フェリーニのアマルコルド』にも似た場面がありました。

源左が夕立雨に、びしょ濡れになって帰って来た。願正寺の和上さんが、「爺さん、よう濡れたのう」というと、
源左「ありがと御座んす。御院家さん、鼻が下に向いとるで有難いぞなあ」

聖なる愚者を思わせます。

源左と友達の直次とのやりとりは映画的だと思います。

源左の友達であった山名直次が床に就いた。
娘のこの「お爺さん、ちったあ念仏となえなはれのう」
直次「おらあ腹にいらんだいやあ」
この「お爺さん、聞きたけらや、そこに岡本さんがあっだけ、呼んで御縁に会わしてもらはあ、おがだいなあ」
直次「うんにゃ、おら岡本さんに聞きゃあでもええいや。源左の方がええいや」
この「お爺さん、一つ親の話だし、源左さんも岡本さんも、おなじこったあないかいなあ」
直次「われがそがに聞かしたけらや、源左を呼んで来てごせいや」
そう云われて娘このは、源左の所に来てみると、源左も大分前から寝ておるとのこと。病床へ来て見舞いを云い、こう伝言した、「直次爺さんも寝とっなはって、お前さんに会いたいちゅうで、来てみただけど」
源左「おらも、えらあて、よう行かしてもらはんだがのう。会いたいだけど何の用だらあかいのう」
この「寝とってみらや、後生が気にかかるらしいだいのう」
源左「気にかかるだって」
この「あのやいなあ、お爺さんは寝とったって、ちょっとも念仏が出んだけ、念仏となえさして貰らやあ、気がにぎやこうて、ええだけどって云うだけど、ねきからお爺さんにゃ、念仏が出んだいのう」
源左「よしよし念仏は称えんでもええけんのう。助かるにきめて貰っとるだけ、念仏はいっかな後生のたりにゃならんだけのう」
このはそのまま直次爺さんに伝えた。直次は「はあ」と云ったぎりだったが、それから二、三日して、直次が「出てごせ」というので行ってみると、
直次「源左は、そがなことを云ったって、おらあ、いっかなわけが分らんだいや」
この「なして分からんだいなあ」
直次「わっちゃ、念仏となえとなえちゅし、源左は称えでもええちゅし、わりゃ助かるにきめて貰っとるだけ心配せえでもええちったって、おらあ分らんだいやあ。源左はどがあしとるか行って見て来てごせえや。おらあ、いっかな喜ばれんだが、源左に、喜べるか喜べんか、源左の喜びを聞いてごせえや」
また、このが使いに出た。
源左「源左はえらあて寝とるちってごせ」
この「寝とるって、どがなだいなあ」
源左「源左もいっかな喜ばれんちってごせ。直次爺さんはどがあないのう。お爺さんは何だっていやえ」
この「お爺さんは、どっかにも喜びが出んだっていなあ」
源左「源左も病いの方がえらいだけ、喜びが出んだがのう」
このはそのままを直次に伝えた。
直次「ふん」と云って思案顔であった。それからまた幾日が過ぎて、このに「出てごせ」と云って来たので行ってみると、
直次「われがせんと聞いて戻ってごしたけど、おらあ源左の云うことが、いっかなわけが分らんだいや。この年になってなりが悪いだけど、世話せにゃならんけお寺にゃ参っても、人並に参っとって、いっかなおらが事だと聞いとらんだけ、分らんだいや」
この「なして分らんだいのう」
直次「源左は助かるにきめて貰っとるちったって、そがに親心ちゅうむんが、はや分るかいや」
この「なんで分らんだいのう、お爺さん、分る分らんは、こっちが知ったことじゃないだけ。お爺さんが助けるって云われるだけ、真受けさして貰うだがのう。わが力じゃ参れる身にはなれんだけ」
直次「なら、源左はえらあても、なんまんだなんまんだ喜こんでおったが。まあ一辺行って見て来てごせえや」
このは使いに出た。
源左「今更くわしいこたあ知らんでもええだ。この源左がしゃべらいでも、親さんはお前さんを助けにかかっておられるだけ、断りがたたん事にして貰っとるだけのう。このまま死んで行きさえすりゃ親の所だけんのう。こっちゃ持ち前の通り、死んで行きさえすりゃええだいのう。源左もその通りだって云ってごしなはれよ」
このはこれを直次に伝えた。
直次「源左はまたそが云ったかえ」
それから幾日が過ぎて、また直次から「出て来てごせ」と云われ、このが出かけて行くと、直次は頭をかかえて、「おらあ、よんべ、ぽっちりぽっちり思うや。源左は念仏となえでもええちったけど、聞かして貰ってみりゃ、称えさして貰わにゃ気が済まんがやあ。称えりゃ邪魔になっだろうかい。源左に、ちっくり聞いてみて来てごせや」
このは爺さんにも念仏の気が出て来たわいと思って、源左の所に使いに行った。
源左「よしよし、出る念仏は抑えでもよし、無理に出ん念仏を引張り出しゃあでもよし、称えてもよし称えでもよし。邪魔にならんでのう。何んにもこっちにゃいらんだけのう。ようこそようこそ、なんまんだぶなんまんだぶ」
直次はそれからは、「なんてなんてようこそようこそ」と喜んだ。
昭和5年2月20日朝1時頃、源左はこの世を去った。直次は源左の往生を囲炉裡端で聞いて「源左にぬけられたわい」と云った。翌23日の暮方5時頃に直次も往生を遂げた。

このが直次の家と源左の家とを小走りで行ったり来たりするのが目に浮かぶようです。

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