三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

自虐的日本観

2010年10月30日 | 
中国で反日デモが起きているが、日本は嫌われているのだろうか。
外国人が日本をどう思っているか気になるのが日本人の特徴だとどこかで読んだが、私も気になる。
ところが、福江誠『日本人が知らない世界のすし』を読むと、多くの国では日本への関心が高く、日本人に対する評判もいいようなのである。
福江誠氏は寿司の調理技術や知識を教える東京すしアカデミー代表兼校長である。
海外から寿司を学びに来る生徒が年々増え、また海外で寿司を普及する人も増えている。「ここ数年、日本食のみならず、茶道や生け花、陶芸をはじめとした日本文化への関心や敬意が世界中で高まっている。海外の人たちは日本を知りたがっているのだ。しかしながら、そのことにもっとも気づいていないのは日本の中にいる多くの日本人なのである」
禅やアニメだけでなく、寿司も世界で注目されているとは知らなかった。

「中国国内では日本式メニューやサービスを提供する店には、看板に「日式」と書かれている.日式は値段もサービスもワンランク高いレストランとして広く知られている。つまり、他の食べ物に比べて高い値段を払ったとしても食べたいと評価されており、あこがれの対象でもあるのだ」
中国の反日デモだが、どうもノーベル平和賞の問題から目をそらさせるためのヤラセらしい。
中国:反日デモ 「愛国青年たちは当局の操り人形」 ネット、冷ややかな見方も
中国各地で16~17日に発生した大規模反日デモでは、デモ隊が日の丸を燃やしたり、「日本をつぶせ」など過激な横断幕が掲げられたが、インターネットなどでは「本当に自発的なデモか? 愛国青年たちは当局の操り人形だ」などと冷ややかな意見も出ている。
 中国ではデモや集会は当局への事前申請による許可制。人権や民主化要求など当局が警戒する内政問題でデモを行うのは事実上不可能だ。一方で、外国との対立時だけ愛国デモが出現するという構図に一部の市民は嫌気を感じているようだ。
 ネットや簡易型ブログ「ツイッター」ではデモを支持する声も強い。だが、「中国でほぼ同時に各地でデモが自発的に起こせるはずはない。当局に組織されたとしか考えられない。作られた民意だ」と突き放した見方もある。また「住宅価格高騰、土地・建物の強制収用への反対デモは許されない。唯一許されるのは、トヨタの車に乗ってソニーの携帯を持ち、キヤノンのカメラを肩から下げながら反日デモに行くことだ」と皮肉たっぷりの声も。さらにノーベル平和賞授与が決まった服役中の民主活動家、劉暁波氏(54)の名を挙げ「若者たちは反日は訴えるのに、なぜ劉暁波氏の釈放は訴えないのか」との不満も聞こえる。
毎日新聞10月18日

韓国はどうかというと、
「韓国の料理人志望者は日本食への関心が非常に強い。寿司を学んで帰国するとステータスになるし、本場で学んだことが日本食レストランに就職するためにも有利になる」
そういえば李長鎬『寡婦の舞』(1983年)は、見合いでは日本語を話せることが好条件になるという結婚詐欺の話だった。
次はロシアで、ヤマサ醤油の社員がこう語っている。
「日本食はロシアの若者たちの間で、『格好いい』と受けとめられています。日本食を知らないと、流行に遅れていると思われるのです。価格は一般の食事に比べて三倍ほどなのですが、男性にとっては女性を誘って食事をするときの切り札になっています」
ポーランドで寿司店を経営する日本人。
「日本人は文化的に進んでいて、いい人たちだというイメージがあります。ラジオでも毎日のように、『日本で今流行しているのは……』といった話が取り上げられています」
寿司店を経営するスペイン人。
「バルセロナの人々に比べて、日本人の礼儀正しさと謙虚な姿勢を非常にうらやましく思ったものです」
話半分にしても、うれしくなってくる。

福江誠氏はこう言う。
「アジアの国々は日本にあこがれを持っていることに日本人は気づくべきだ」
「アメリカやヨーロッパ、親日的な北欧、東欧でも日本への関心はますます高まっている。こうした状況を一番知らないのは当の日本人自身ではないだろうか」

アメリカ在住の作家。
「日本が自信喪失しているのと同じように、世界における日本のイメージが低下しているのかというと、そうでもないのです。先日、知日派のアメリカ人たちと話をしていたときに皆が言っていたのですが、サムソンやLGの躍進はすごいけれども、アメリカでは誰も韓国のカルチャーなんて知らないし興味もない、翻って日本の場合は、寿司からアニメ、サムライ、ハイテクに至る日本文化はみんな知っている。でもソニーやパナソニックはその好イメージを生かすことなく、ウォルマートでの叩き売りに走っている」
なるほど、日本人はもっと自信を持ってもいい。
「外国人がクール、つまり格好いいと見ている日本の文化を、日本人が評価・理解できていないために、新興国にものづくりで追いつき追い越されている現状に必要以上に自信をなくし、元気をなくしていることを日本の悲劇だという」
中国や韓国は日本を嫌っているとか、日本は世界でバカにされている、と言う人がいるが、これは自虐的日本観ではないかと、『日本人が知らない世界のすし』を読んで思った次第です。

イタリア:すしと宝石 フィレンツェでエレガントさ競演
イタリア中部、フィレンツェの駅前通りのショーウインドーを飾るすしとジュエリー=藤原章生撮影 イタリア中部、フィレンツェ駅前の目抜き通り。金銀、宝石類を売るブランドショップのショーウインドーに、女性2人が熱心に見入っている。
 中を見ると、家紋を配したミニサイズのびょうぶと日本のひな人形、左隅には握りずしと巻きずしの模型が。すしの脇に、おちょことはしがあしらわれ、それに絡みつくように、店の売り物の指輪、腕輪、イヤリングがちりばめられていた。
 すしはイタリア人にとって今、最もエレガントな食べ物。その人気に乗じ、我が商品もつまんでもらえればという、なかなかワサビの利いたアイデアだ。
毎日新聞10月28日
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葬式と墓 6

2010年10月27日 | 仏教
エンディングノートというものがある。
自分が死んだらこうしてほしい、葬式はこういう形で、ということや、家族への思いなどをエンディングノートに綴る。
「「死」を考えることは、「生」を見つめること」と『よくわかる家族葬のかしこい進め方』にあり、それはそのとおり。
しかし、「終末医療はどのような方法を望むのか、葬儀はどのような形で行ってほしいかということを、エンディングノートに記すなどして意思表示しておけば、今後の人生を不安なく過ごすことができます。また、意思表示をしておくことは、残される人たちへの最後の思いやりともいえます」とあるのはおかしい。
エンディングノートに意思表示をしたら不安がなくなるなんてことはあり得ないし、場合によっては、思いやりのつもりがいらんお世話になるかもしれない。
とはいっても、全く不要だというわけではない。
おばあさんが孫のためにせっせとへそくりしては銀行に貯金していたのに、おばあさんが急死し、その貯金のことを誰も知らなかったために、おばあさんのへそくりが銀行のものになるということが結構あるそうだ。
そんな時は、どこに貯金をしているかをノートに書いておけば大丈夫。
それとか、自分のもので処分できるものはなるべく処分しておくべきだと思う。
そういう死への準備は必要である。

だけど、エンディングノートにあまり注文を書きすぎると、残された家族が負担に感じることもあるだろうし、下手するとトラブルになりかねない。
たとえば、エンディングノートの書式例には、「喪主をだれにするか」「弔辞を読んでほしい人」「通夜ぶるまいや精進落とし」の希望する料理という項目まであって、そこまで仕切る必要があるのかと思う。
喪主にしても、普通は長男がなるが、「次男を喪主に」と書いてあったら、長男は面白くない。
遺産の相続でも、子どもの一人に多く与えると書き残すと、子どもの間でもめることになる。
夫とは別の墓を建てて納骨してくれと遺言した人がいたが、これも子どもにとっては面倒な話である。
親と子どもでは思いが違うかもしれないから、死んだ後まで仕切るような真似はしないほうがいいと思う。

それと、元気な時と病気になった時とでは考えが変わってくる。
たとえば、「尊厳死の宣言書」に「この宣言書は、私の精神が健全な状態にある時に」とあるが、肉体が健全でなくなったら考えが変わるものである。
あるご夫婦、寝たきりになったら延命措置はしない、尊厳死がいいと普段から話していたそうだが、ご主人が突然倒れて植物状態になると、奥さんはご主人が生きていてもらわないと困るというので、今でもご主人は入院している。
それとか、ある方が末期ガンと宣告され、医者が家族に、痛み止めだけだと3ヵ月、抗がん剤などを使うと6ヵ月、どうしますかと尋ねたそうだ。
一秒でも長生きしてほしいのが人情だし、かといって、苦しんでまで長く生きさせるのはエゴではないかとも悩む。
人間、そんなに冷静に行動できるものではない。
その場にならないとわからないし、時間が経てば考えが変わるかもしれない。

まして、いざ亡くなるとなると、それまでの考えはふっとぶ。
長年寝たきりだったり、末期がんで医者からあとどれくらいと宣告されたりして、親戚に連絡し、葬儀屋に相談して心の準備をしていたつもりでも、いざ亡くなってみると、「急なことで」とか「頭がぼうっとして」と言う人が多い。
頭で考えたことと現実は別なのである。

エンディングノートでいろんな指示をするよりも、普段から家族などまわりの人とざっくばらんに話し合っておくほうが大切だと思う。
でも、そういう関係がないからエンディングノートが必要になるんだろうけど。
エンディングノートの趣旨はもっともだが、なんか商業ベースのような気がして、どうもねというのが私の感想です。

それと思うのが、迷惑をかけないということ。
現代の悪しき風潮は「人に迷惑をかけてはいけない」ということが人間のあるべき姿のようになっていることである。
エンディングノーは、死んだときにまわりに迷惑をかけない、ということがまず第一のようである。
家族葬にしてもそうで、迷惑をかけたくないから家族葬を、というのが多いし、散骨にする人の中には、子どもに負担をかけたくないと考える人がいる。
何が迷惑だと感じるか、それは人それぞれなわけだが、いつのまにか葬式や墓が人に迷惑をかけることになってしまった。
それじゃ気兼ねしながら死なないといけない。
家族葬や散骨が人に迷惑をかけないというと、もちろんそんなことはない。
どのような死に方であっても、また死のための準備万端滞りなくしていようとも、死ぬことは大なり小なり、まわりの人に迷惑をかけるわけだし、そもそも迷惑をかけずに生きること自体が不可能である。
ところが、小谷みどり氏の話にあったのだが、PPK(ピンピンコロリ)やGNP(元気で長生きポックリ)なんてアホなことがいいことのようにもてはやされていて、ポックリ死ぬことがいい死に方だとされている。
そうなると、長生きすることやわずらうことが何だか悪いことになってしまい、ポックリ死ねない人は、年を取って役に立たなくなった、迷惑をかけているというので自死をすることになる。
家族葬や直葬と自死が増えていることは無関係ではない。
いつもの論理の飛躍ではありますが。
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葬式と墓 5

2010年10月23日 | 仏教
徳留佳之『お墓に入りたくない人 入れない人のために』を読んで、散骨とは、共同体の崩壊→核家族化→個人化(個別化)の表れだと思った。
山の麓にある田舎の墓地だと、小さな墓石がいくつもあって、その横に新しく建てた○○家の墓があることが多い。
先祖代々の墓ということである。
ところが、都会に出てくると、家とか先祖をあまり考えない。
それでも家族が亡くなれば墓を新しく建てるなり、故郷の墓に納骨するのが当たり前だった。
ところが散骨などの自然葬は、家単位ではなく、家族それぞれが自分の骨の処分方法を選ぶことである。

なぜ散骨するのかというと、
1,自然に帰る
2,子どもに負担をかけたくない、もしくは子どもがいない
ということらしい。
散骨が知られるようになったのは「葬送の自由をすすめる会」の活動によってである。
『お墓に入りたくない人 入れない人のために』によると、「葬送の自由をすすめる会」の趣旨は、墓苑建設のために自然が破壊されること、墓を作るために費用がかかる、そして何よりも死者を葬る方法は自由に決められるべきだということらしい。
「葬送の自由をすすめる会」では、単に骨をまくのではなく、「自然の摂理にかない、自然環境を守る葬法」を自然葬と呼んでる。
骨粉を水槽に混ぜて魚のエサにする、庭や鉢植えに混ぜて肥料とする、穀類に骨粉を練り込んでダンゴにしたものを野鳥にあげる、といった自然葬を徳留佳之氏は紹介している。
これはチベットの鳥葬と同じ趣旨だが、ちょっとなあと思う。

散骨も演出が必要だそうだ。
「ヘリコプターによる空からの散骨も実施していますが、実際にやってみると海に流す場合とは異なり、あっという間に消えてしまって実感がわかず、実施も数例のみだそうです。セレモニーが本業の立場からすると、演出がしにくい面もあるようです」
「演出」という言葉がこういうところに使われるのはいい感じがしない。

海への散骨は262,500円、ヘリコプターでの散骨は525,000円。
遺骨を埋めて墓標の代わりに樹木を植える樹木葬は50万円。
桜の木のもとに納骨する桜葬(「桜葬」は登録商標だそうです)は、個別区画だと30万円と環境保全費の20万円。
墓に納骨したり散骨する以外にも、バルーン宇宙葬、人工衛星の宇宙葬ニーム葬花火葬月面葬フリスビー葬、珊瑚葬、絵画葬、肥料葬などなどがあるそうだ。

手元供養というのもある。
「手元供養とは、遺骨の一部をオブジェなどに納めて自宅に置いたり、ペンダントやブローチなどに収納・加工して身につけやすい形にすることで、身近で供養しようとする方法です」
室内に飾ることを前提としたプレートや置物といった「卓上型」製品、ペンダント、指輪、数珠のように、身につけるタイプの「手元型」製品がある。
しかし、手元供養する人が死んだら、それらの品をどうするのだろうか。
死者への思い入れがないと、遺骨が混じっているオブジェやペンダントなど持ちたくないだろうし、かといって処分もできないんじゃないかと心配になる。

永代供養墓というのが近年急速に増え、『お墓に入りたくない人 入れない人のために』によると、全国に500ヵ所くらいあるという。
私は永代供養墓とは、骨壺を永代に預かってくれるのかと思っていたら、そうではない。
「期限を区切り、個別に骨壺に入れて供養し、その後は遺骨を骨壺から出して「合祀」するという方法をとるケースが主流です。しかし、最初から「合祀」するところや、文字通り「永代に」骨壺で安置するところもあり、一概にはいえません」
たいていの寺院墓地には合葬墓というか合祀墓(絶えた家の骨を納めるとこ)があって、多くの寺は檀家でなくても頼めば納骨させてくれるはずだ。
これだって永代供養墓(真宗では永代供養とは言わないが)である。
永代供養墓というのは、そういうネーミングをつけ、一体10万円とか宣伝しているところを指していると思う。
ちなみに、遺骨の全部を受け入れて納骨してくれる本山がある。
東西本願寺、知恩院、延暦寺、四天王寺などで、いずれも数万円。

『お墓に入りたくない人 入れない人のために』に、立川談志氏の「死んだ後に自分の骨をこうしてくれというのは、結局、この世に未練があるからだと思うね」という言葉を紹介しているが、まさにその通りである。
散骨とか永代供養墓とか、結局は骨をどう処分するかという問題だと思う。
日本人は骨に対する思い入れが強く、骨=死者と考える。
今までは墓に納骨するのが当たり前だったが、あんな暗いじめじめしたところはイヤだというので、海にまこうとか、身近なところに置きたいと考える。
散骨することで自分が自然に帰るように思ったり、骨を手元に置いておくと死者が身近にいるように感じるわけで、骨=死者である。
散骨や手元供養、そして墓への納骨も骨へのこだわりという点では同じ。
骨=自分をどう処分するかに頭を悩ますわけである。
しかし、死んだら骨になるわけではないし、墓に納骨しても死者が墓で暮らすわけではない。
立川談志氏の言うように、生きている者のこだわりである。

東日本では火葬した骨はすべて骨壺に入れて持ち帰るが、西日本では一部の骨しか骨壺に入れない。
では、残された骨はどうなるのか。
骨や墓についてはあれこれ言う人は珍しくないが、火葬場に残した骨を気にかけている人に私は会ったことがない。
このことは骨自体がどうのこうのということではなく、生者の思いにすぎないことのあらわれだと思う。
で、徳留佳之氏によると、「火葬場でストックされた遺骨は専門の業者に委託され、業者は副葬品などの残滓を選別後、遺骨だけを粉末にし、受け入れてくれるお寺で供養してもらい、そこで土に還される」そうだが、「すべてがお寺で供養されているかどうか疑問です。真偽のほどは定かではありませんが、肥料として活用されているという話や、溶鉱炉で処分されているという話もあります」とも書いている。
小谷みどり氏によると、
「ちなみに、遺族が火葬場に置いてきた遺骨や残骨は、産業廃棄物として処分される」ということで、今度、火葬場に行く機会があったら聞いてみようと思う。
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葬式と墓 4

2010年10月20日 | 仏教
親鸞は「閉眼せば、賀茂河にいれて魚にあたうべし」、自分が死んだら賀茂川に流して魚のエサにしてくれと遺言したそうで、そのためか、真宗の盛んな土地には遺骨は本山に納骨し、墓は作らない地域がある。
因幡の源左さんの村では個人や家の墓はなく、寺に石碑があり、そこにみんな納骨するそうだ。
讃岐の庄松も、同行が「死んだら墓をたててつかわしましょうと相談がまとまったで、あとのことは心配するなよ」と伝えると、庄松は「おら、石の下にはおらぬぞ」と言ったという。
真宗では骨や墓にこだわらないのが本来で、墓に納骨しなければいけないわけではないと思う。
だけども、親鸞の遺族は遺言には従わず、墓を作り、それが本願寺になった。
遺言どおり遺体を川に捨てていたら、親鸞の教えが現代にまで伝わったかどうか疑問である。
少なくとも本願寺は存在せず、日本の歴史が変わっていたことは間違いない。

お父さんが急死した知人が「お墓というのはありがたいものですね」と言っていた。
月命日になると墓参りをしなくてはと思うし、しばらく参っていないと、花が枯れていないかと気にかかる。
墓という形をとおして亡くなったお父さんのことを思いだすわけで、墓がなければお父さんのことを忘れてしまうかもしれない。

読売新聞社全国世論調査2005年によると、「身の安全、商売繁盛、入学合格等祈願に行く」38.1%、「お守りやお札などを身につける」31.0%だが、「盆や彼岸などにお墓参りをする」79.1%と高い数字である。(徳留佳之『お墓に入りたくない人 入れない人のために』)
墓がある人のほとんどは定期的に墓参りをしていることになる。
お墓を大切にしたいという気持ちは今でも強いと思う。
そうは言っても墓に対する意識は変わっているようで、小谷みどり『変わるお葬式、消えるお墓』には、墓に対する新しい意識を三つあげている。

1,あの世の住まい
日当たりのよい墓のほうが人気があるし、墓の中は暗くてじめじめしているからイヤだという人がいるのも、墓が死後の住まいだから。
「墓が死後の住まいであれば、誰とどんな墓に住むかは重要なライフプランとなる」
夫婦で同じ墓に入りたい人、入りたくない人もいる。
「夫婦は同じお墓に入るべきである」という問いに、「そう思う」と答えた男性は42.2%、女性は29.4%。
死んでまでつき合いきれないというわけである。

2,生きた証を残したい
個性的な墓(墓の形や墓石に刻む文字など)を作る人が増えている。
樹木の根元に納骨する樹木葬もその一例だと思う。

3,子どもに迷惑をかけたくない
「自分たちのお墓の維持を子どもたちに頼りたくないと考える人たちがいる」
墓参りをする人が8割なのに、「先祖の墓を守り供養するの子孫の義務だ」という問いに、男性の49.6%が「そう思う」と回答し、女性は29.9%にすぎない。
自分は先祖の墓をきちんと守るが、子どもには期待していないと考える人が少なくないことになる。
子どもが転勤族、娘しかいない、離れた故郷に墓があるなどの場合、子どもに先祖伝来の墓を見てもらえないかもしれない。
また、「先祖の墓があると子どもに墓守やお寺とのつきあいで負担をかけるので、お墓を建てたくない」と考えている人が増えている。
自分は先祖供養は義務だと考えていても、子どもには望まないのである。

たしかに墓を新しく建てるとなるとお金がかかる。
ある墓苑に行くと料金表があって、永代使用料が250万円だった。
プラス墓石代だから、結構な出費である。
郊外の墓苑は最寄りのバス停からは距離があるところが多く、年を取って車の運転をやめると墓参りも一苦労になる。
そのためか、東京では民間霊園の売れゆきはあまりよくなくて、墓地が余っているそうだ。
「ここ10年以内に開設された民間霊園で、当初計画した造成区画が満杯になっているところは、ほとんどないだろう」とのことで、一つには「一等地でお墓を売り出す民間霊園や寺院墓地が増えている」ということも影響しているそうだ。
墓を建てない人が次第に増えているのかもしれない。
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葬式と墓 3

2010年10月17日 | 仏教
家族葬のよさは何か、『よくわかる家族葬のかしこい進め方』にこうある。
「立派な葬式ほどよいと考えられ、親族だけでなく、仕事の関係者や友人・知人、地域の人に広く知らせるのが一般的でした。参列する側も、義理を重んじ、少しでも故人とかかわりがあれば駆けつけるのが礼儀とされていました」
「家族葬では故人をよく知る人だけが集まるため、形式にとらわれず、ゆっくりと故人とのお別れができるのが特徴の1つです」
「従来の葬儀のように参列者や手伝いの人などが大勢いると、悲しむひまもないほど対応や式の進行などに追われ、心身ともに疲れ果てることが多いものです」
「その点、家族葬に参列するのは故人をよく知り、心から冥福を祈る人ばかりですから、思い出話などをしながら、悲しみを共有することで心が癒され、心身の負担も少なくてすみます。
これまでの葬儀は、社会的な営みとして、昔ながらの家制度を基盤に行われてきましたが、家族葬では、家族愛や故人の遺志が中心となっているといえるでしょう」
と、いいことづくめ。

たしかに、義理で知らない人の葬式に参ったり、高額の布施を言われるままに出したりするという、今までの葬式のあり方にも問題はある。
だけど、ここで語られていることは、共同体の崩壊、地域のつき合いや人との関係の希薄さということだと思う。
葬式は相互扶助ということがあって、村八分のうちの二分は火事と葬式だと言われているように、葬式をすることは大変なことなので、近所の人が手伝うのが当然だった。
ところが、近所づきあいが薄れ、葬儀屋がすべてを仕切るようになり、葬式が簡略化すると近所の人に手伝ってもらう必要がなくなった。
そういう流れの中で、誰がつけたのか知らないが家族葬という名前が生まれたんだと思う。
でも、もしも私の親戚や知人が死んだとして、そのことを教えてもらわなかったら、何か気に障ることをしたから連絡してもらえなかったのではと気になるし、今後のつき合いをどうしたらいいかと頭を悩ますことになる。
家族葬だから知らせないということは、つき合いを絶ってもいいと言ってるようなものだと思う。

葬式をしなくても火葬だけはしなければいけないので、家族が死ぬとどうしても業者に頼まざるを得ない。
家族葬にしても、「家族愛や故人の遺志が中心と」と言いながら、葬儀社主導のように感じる。
葬儀社の敷いたレールに乗ってしまうわけである。

家族葬でも仏式で行うことが多いが、無宗教式が増えているという。
『よくわかる家族葬のかしこい進め方』に、「最近は、菩提寺をもたない家が多く、葬儀のときだけ知らない寺院に依頼することに抵抗を感じる人もあり、「あの世」に対する意識の変化とともに、寺院離れが進んでいるといわれています」とある。
つき合いのない坊さんにわけのわからない戒名料を払うことに抵抗を感じるのはわかる。
しかし、「無宗教式では、葬祭業者の企画力やセンスが大きく問われます。手間を惜しまず、複数の葬祭業者に電話をしたり会ったりして、相性のよい担当者を探しましょう」と言われると、何か商売っ気が感じられてイヤだなと思う。

アホらしいと思ったのがお別れ会。
「故人の生前の希望や遺言によって葬儀を小規模なものにしたり、近親者だけの内輪で行う家族葬も増えてきました。なかには葬儀そのものを行わないケースもあります。
このような場合に、後日、友人・知人や葬儀に出席できなかった親戚などを招いて、故人の身内が催すのが遺族主催のお別れ会です。生前、親しくつきあってきた人たちと永遠の別れをする場をもたせてあげたいという、遺族の思いを形にしたものといえます」
こういうのを読むと、家族葬とかお別れ会といっても、結局は葬儀屋の新しい商売かと思ってしまう。
家族葬や直葬をして、それとは別にわざわざお別れ会をするのなら、最初から友人、知人に来てもらって葬式をちゃんとするべきだ。

そもそも、家族葬といっても、近所の人や知人に知らせないのから、兄弟、親戚にも伝えないというのまでさまざまで、参列者の人数も一人から数十人までいろいろ。
どうしてわざわざ家族葬という名前にするのかと思う。
『よくわかる家族葬のかしこい進め方』は遺族のお気持ちがどうのこうのと言いながら、死者に対して何かしてあげたいという遺族の弱みにつけ込んで、家族葬とかお別れ会というネーミングをつけて、不必要な新しい商品を紹介しているように感じた次第です。
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葬式と墓 2

2010年10月14日 | 仏教

東京では葬式をせずに直に火葬場に運ぶ直葬が3割だという。
親しい人だけで行う家族葬はおそらく4割
となると、今までどおりの葬式はせいぜい2割から3割ということになる。
なぜ家族葬、直葬が増えたのか。
1,面倒だから
2,迷惑をかけたくない
3,高齢化
ということではないかと思う。

まず、面倒だということだが、
『よくわかる家族葬のかしこい進め方』の最初に、「一般的な仏式葬儀の、臨終から初七日までの流れ」というのが8ページにわたって書かれてあって、これだけのことをしないといけないのか、こりゃ大変だと思った。
家族葬だと、参列者の席次、焼香の順番から、供花、供物の並べる順位、弔電を読む順、礼状や返礼品などが省略できる。
とはいえ、しなければいけないことは山ほどある。
こんなに繁雑なことをやるのは面倒だ、葬式なんてしないほうがいいと、正直なところ私も思いましたね。

香典返しも大変そうで、小谷みどり『変わるお葬式、消えるお墓』に、「お香典を辞退する遺族が増えている背景には、相手に気をつかわせたくないという気持ちもあるが、じつは、お返しをするのが大変だからという理由もある」とある。
私も香典を受け取らないか、福祉に寄付するかにしようと、実は考えている。

関東の習慣らしいが、東京では通夜ぶるまいや火葬の後の精進落としで食事や酒を出すそうである。
どういう意味があるかというと、『よくわかる家族葬のかしこい進め方』には「通夜ぶるまいには、故人を供養するという意味と、弔問に対するお礼の意味があり、死の汚れを清め、故人を供養するものとして、日本酒やビールなどの酒を用意するのが習わしです」
通夜の席に酒が出るのはケガレを清めるためとは知らなかった。
しかし、『変わるお葬式、消えるお墓』には「葬儀や火葬終了後に持つ食事の席のことを「お清め」と言う人もいる。これは栄養をつけて死者の悪霊を追い払うという意味からきており」とある。
どっちにしろ仏教的ではないことはたしかであるが、これも大変。

でも、葬式は葬儀社まかせだったので何がなんだかわからないうちに終わってしまった、という人も少なくない。
葬式よりも、死亡届を出し、保険や年金の請求、死亡届の提出、預金や土地などの名義変更などなど事務手続きが山ほどあって、悲しんでいる暇がなかったと聞く。
どちらにしろ、人がなくなるのは大変なことである。

葬式をするのが面倒だということは、自分が死んだときのことを考えると、こういう面倒なことをさせるのは子どもに負担をかけるのではと心配になる。
小谷みどり氏は直葬の相談を受けることがあって、その相談は、家族が死んだら直葬にしたいというのではなく、自分が死んだら直葬にしてほしい、どうしたらいいのか、という相談だという。
お金はあるし、子どももいるのに、なぜ葬式をしたくないか。
家族に迷惑をかけたくないからだそうだ。
自分が死んだときに迷惑をかけたくない、だから死んだことは誰にも知らせるなと家族に言うわけである。

また、葬式の費用のことがある。
ネットで調べると、日本消費者協会の調査では平成22年で1,998,861円(寺院の費用も含む)、関東は313万円(2003年)。
じゃあ、家族葬は安上がりかというと、互助会の人に聞いたら、家族葬だからといって安いわけではなく、かえって高くなることもあるそうだ。
葬式というと、参列者が香典を出し、それで葬式の費用をまかない、ちょっとは残る。
ところが、家族葬では香典をもらわないし、家族葬の料金は普通の葬式とそれほど変わらないので、出費は家族葬のほうがかかることになる。
気になるお値段のほうだが、『よくわかる家族葬のかしこい進め方』には、家族葬の料金例が868,350円とある。
ある葬儀社のプランだと、30万円から240万円まで。
お棺でも5万円から40数万円まであるそうだし(180cmの人は2割増)、骨壺も大理石や九谷焼だと高くなる。
霊柩車もマイクロバスからリムジン、宮型とお値段いろいろ。
通夜葬のお値段は民営で火葬すると246,225円、公営だと204,250円と『よくわかる家族葬のかしこい進め方』にある。
直葬は一般に18~30万円というところらしい。

もっとも、みんなに負担をかけたくない、迷惑をかけたくないというので家族葬か直葬ですると、「後日、死の事実をみんなに知らせると、弔問に見えたり、お香典を送ってくださる人が出てきます」「毎日のようにその応対に追われるのは、それはそれでとてもたいへんなようです」と小谷みどり氏は言う。
家族葬は費用がかかるということもそうだが、迷惑をかけたくないと思ってしたことが、かえって迷惑をかけてしまうわけで、まさに人生そのものです。

そして高齢化ということ。
「これくらいの年代になると、勤めていた会社との縁も切れ、地方から都会へ出てきた人は、親族とも疎遠になり、葬儀に参列するような深いつきあいをしている人はごく限られています」
「また、喪主となる子世代のなかにもすでに現役を退いた人もおり、そうなると喪主関係の参列者も少なくなります。現役で働いていたとしても、不況のあおりもあり、起業は以前ほどは社員の葬儀にあまり関与しなくなってきています」
「さらに都市部では、地域社会とのかかわりが浅く、同じマンションやアパート、あるいは同じ町内に住んでいても、葬儀に参列するほど親しくないというのが一般的です」

というのが『よくわかる家族葬のかしこい進め方』の説明。
高齢になると、友人の多くはすでに死んでいるか、体調が悪くて外に出れない。
子どもも退職しているし、近所づきあいはあまりしないし、親戚も縁が遠くなっている。
となると、義理で葬式に参列する人がいないというか、死んだことに関心を持ってくれる人が少なくなっている。
ということで、高齢でなくなると、必然的にごく身近な人だけの葬式となってしまうわけである。

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葬式と墓 1

2010年10月11日 | 仏教
小谷みどり第一生命経済研究所主任研究員の講演は面白かった。
坊さんに対して率直、かつ厳しいことをびしびしと話された。
たとえば、坊さんの社会活動で成功したものは一つもない、ビハーラもそうだ。
まず儀式や法話をきちんとしてほしい。
葬式や法事ではいやでも坊さんの法話を聞かされる。
普通の人にはそういう機会がない。
チャンスなのにつまらない話が多い。
信じられないが、自死した方の葬儀で命の大切さを話した坊さんがいた。

その他あれこれ、おっしゃるとおりで、死刑がどうのこうのということよりも、境内や墓地をきれいに掃除すべきだと私も思います。
で、『変わるお葬式、消えるお墓』を図書館で借りる。
「昨今では、私たちと菩提寺の関係はお葬式や法事だけのつきあいになってしまい、疑問や心配ごとがあっても住職に相談できないことが、お寺への不信感や、檀家の寺離れにつながっている」
これまたその通り。

ついでに杉浦由美子・河嶋毅『よくわかる家族葬のかしこい進め方』徳留佳之『お墓に入りたくない人 入れない人のために』も借りた。
杉浦由美子氏は「お葬式と仏事の相談センター」の代表として葬儀に関するサポートを行っている。
河嶋毅氏は「NPO家族葬の会」代表理事で、「家族葬の会」とは、「適正料金で安心して葬儀を実現できるように、葬儀に関する相談から葬儀執行まで幅広い運営を行っている」そうだ。
いろんなNPOがあるもんだと感心した。
この手の本を読む人や相談する人は、たぶん家族が死にそうなので、という人よりも、自分の葬式や墓をどうしたらいいかという人が多いと思う。
知識は大事で、商品(お棺や骨壺の値段など)や葬儀社のサービスの内容を知ってたら、あとでトラブルになることもない。
『変わるお葬式、消えるお墓』によると、葬式はかなりの金額がかかるのに、三割以上の遺族が業者から見積もりをもらっていない。
「業者を選定することもなく、いくらになるのか知らないまま発注するなんて、冷静な精神状態ではないからできてしまったことなのだろう」

この三冊を読んで、これからの葬儀のあり方を予想すると、
1,今までどおりの葬式
2,家族葬
3,無宗教の自由葬、告別式
4,直葬、葬式をしない
ということになると思う。
小谷みどり氏によると、「葬儀式」と「告別式」は同じではない。
「葬儀式」は宗教的な儀式で、「告別式」は参列者が献花やお焼香をして故人とお別れする儀式をいうそうだ。
通夜と告別式を行わないのを直葬、荼毘葬、火葬式と呼ばれる。
通夜葬というのは、通夜はするけど葬式はしないというもの。
身内だけの葬式が家族葬

今の葬儀事情の特徴として、『変わるお葬式、消えるお墓』は三つあげている。
1,長引く不況下で、葬儀費用が安くなったこと
「葬儀が派手になってくると、それを諫める傾向が生まれ、しばらく経つとまた派手になるという現象が歴史的にくりかえされてきた」
現在は葬儀を簡略化する傾向にあるわけだ。

2,〝悲しい死〟が減ったこと
「悲しいしんみりとしたお葬式が減っているように思う」
「本来、二人称である家族の死は悲しいはずなのに、三人称の死に遭遇しているかのような受け止め方をする遺族が少なからずいるように思われる。これは悲しいと思う二人称の死の数が減っているともいえる」

その理由の一つが高齢化と延命治療である。
「高齢者が長患いや長期の介護の末に亡くなると、家族は、悲しいというより安堵の気持ちが先にたつこともある」
これはまあわかるが、
「親の遺体を「気持ち悪い」と、触れない人も少なくないそうだ」
「火葬をするだけで十分だと考える人たちが増えている」

葬式をしないだけではない。
「お葬式をしないどころか、遺体だけが火葬場に運び込まれ、火葬場に来ない遺族もいる.この場合、火葬場の職員が遺骨を拾い、骨壺を保管しておくそうだ。遺族が後日取りに来ればまだいいほうで、なかには一年以上経っても来ないこともあるという」
以前、電車での忘れ物の中に骨壺があると聞いて、どうして忘れるのか不思議だったが、あれは忘れ物ではなくて捨ててるんだという話だった。
東京では、火葬場で、骨が残らないように焼いてくれと頼んだら、きれいさっぱり焼いてくれるとも某氏から聞いたが、それは本当なんだろうか。
「お葬式をする必要を感じず、遺骨はただのモノであるという感覚は、宗教にもとづく固有の死生観が崩壊しているからなのだろうか」

3,葬儀がプライベートな儀式になってきていること
お葬式には「死んだことを社会や地域に知らせる役割もある」が、「故人との別れの場としての意味合い」が強くなってきて、「お葬式は故人を偲ぶことにより重点がおかれ、形式にこだわらない傾向が出てくる」
ということで、家族葬や自由葬が増えてきている。

小谷みどり氏はこう書いている。
「亡くなる側も、子どもや家族に迷惑をかけないために、「お葬式は無用」と言い残すことがある。「直葬こそが自分にふさわしい最期だ」と考えている高齢者は少なくない。人に迷惑をかけないという自立した考え自体は、とてもすばらしい。しかし、人は一人で生きてきたわけではない。何十年も社会とかかわりをもって生きていれば、さまざまな人との関係も構築されているはずだ。そうした、まわりの人たちの感情は、どう扱えばいいのだろうか。
つまり、大切な人の死を体験した人たちにとって、悲しみをいやしたり、故人を偲んだりする場のひとつがお葬式なのではないかと私は思っている。亡くなったことに特別な感情がなければ、確かにお葬式をする必要はない。とはいえ、お葬式をしない人が増えているというのは、殺伐とした人間関係の現れであり、とても寂しい気がする」


70代のご主人が亡くなられた方が「主人は仕事を辞めてからだいぶ経っているのに、230人もの方が来られた。ありがたかった」と言われていた。
大勢の参列者が来るのがいい葬式というわけではないが、この方の気持ちはわかる。
誰かとつながっているということはうれしいことだから。
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西田幾多郎と家族の死 2

2010年10月08日 | 
西田幾多郎は身内や友人、知人、弟子を親身になって世話をし、尽くした人である。
明治43年に友人の藤岡作太郎が死ぬ。
手紙に、「公にして当世比なき一文学史家を失ひ、私にして二十五年来の親友を失ひし事、悲哀の念に不堪候」と書いている。
西田幾多郎は藤岡作太郎の未亡人や子供のために教育資金を募集した。
それまでにも、またそれ以降も、友人が死ぬと遺族のために募金をすることを何度もしている。

また、感受性が強いというか、喜怒哀楽の激しい性格で、心配性らしくて家族には過干渉と思えるほど世話を焼きたがる。
孫の上田久氏は『祖父西田幾多郎』に、「祖父は肉身の、特に弱いものに対しては過度に見える程保護しようとした。自分以外には誰もいないという気持ちからか、そうせずにはいられなかったらしい」と書いている。
時にはうっとうしく感じることもあったそうだ。
しかし、だからこそ西田幾多郎は家族や友人が死ぬたびに大きな衝撃を受けた。

西田幾多郎は最後まで執筆を続けているのだが、絶筆は「私の論理と云ふのは学界からは理解せられない、否未だ一顧も与えられないと云つてもよいのである」という愚痴である。
上田久氏の兄は「(祖父は)死ぬまで悟り切った枯淡といった境地にいかなかったことに、むしろ心をひかれ、なつかしさを感ずる」と書いている。

夏目漱石が死ぬ一ヵ月前に、松岡譲ら弟子たちに則天去私についてこんなことを語ったと、「漱石山房の一夜―宗教的問答」(『漱石先生』)にあるそうだ。(『漱石先生』は未見です)
「例へば今こゝで、そこの唐紙をひらいて、お父様おやすみなさいといつて娘が顔を出すとする。ひよいと顔を見ると、どうしたのか朝見た時と違って、娘が無残やめつかちになつて居たとする。年頃の娘が親の知らぬ間にめつかちになつた。これは世間のどんな親にとつても大事件だ。普通なら泣き喚いたり腰をぬかしたりして大騒動をするだろう。しかし今の僕なら、多分、あゝさうかといつて、それを平静に眺める事ができるだろうと思ふ。」
私達はこれを聞いてびつくりした。異口同音に、「そりゃ、先生、残酷ぢやありませんか。」と言つた。すると主人はなほも静かに、「凡そ真理といふものはみんな残酷なものだよ。」と穏やかに答へて続けるのだった。
「一体人間といふものは、相当修行をつめば、精神的にその辺迄到達することはどうやら出来るが、しかし肉体の法則が中々精神的の悟りの全部を容易に実現してくれない。頭の中では死を克服出来たと信じて居ても、やつぱり其場になつたら死ぬのはいやだろうよ。それは人間の本能の力なんだね。」
―すると悟りといふのは、その本能の力を打ち敗かすことですか。と誰かが尋ねた。
「さうではあるまい。それに順つて、それを自在にコントロールする事だらうな。そこにつまり修行がいるんだね。さういふ事といふものは一見逃避的に見えるものだが、其実人生に於ける一番高い態度だらうと思ふ。」
―さうして先生はその態度を自分で体得されましたか。
「漸く自分も此頃一つのさういつた境地に出た。「則天去私」と自分ではよんで居るのだが、他の人がもつと外の言葉で言ひ現はしても居るだらう。つまり普通俺が自分といふ所謂小我の私を去つて、もつと大きな謂はば普遍的な大我の命ずるまゝに自分をまかせるといつたやうな事なんだが、さう言葉で言つてしまつたんでは尽くせない気がする。その前に出ると、普通えらさうに見える一つの主張とか理想とか主義とかいふものも結局ちつぽけなもので、さうかといつて普通つまらないと見られてるものでも、それはそれとしての存在が与へられる。つまり観る方からいへば、すべてが一視同仁だ。差別無差別といふやうな事になるんだらうね。今度の「明暗」なんぞはさういふ態度でもつて、新らしい本当の文学論を大学あたりで講じて見たい。といつて昔講じた文学論が元々意にみたないから、その不名誉の償ひを今しようといふのではない。それはそれで、すでにかいてしまつた恥であって、今更どうにも仕様がないが、かうした人生観文学観を確立して、それを人に伝へないのは甚だ相すまない次第だ」
悟りとは世界がどうなろうとも我関せず焉ということか。
うーんと思ってしまうが、夏目漱石の妻や子どもが書いたものを読むと、一緒に暮らすには大変な人だったらしいが。

徳留佳之『お墓に入りたくない人 入れない人のために』に、「ひろさちやさんによれば、本来の仏教も「死者が幸福になるためには死者を忘れることと教えているそうで、逆説的かもしれませんが、死者をしっかり忘れてあげることが供養の王道だとまでいっています」とある。
どこにそんなことが書いてあるのか知らないが、私としては西田幾多郎が「我が子の死」で書いている、「何とかして忘れたくない、何か記念を残してやりたい、せめて我一生だけは思い出してやりたいというのが親の誠である」ということ、そして「ゲーテがその子を失った時“Over the dead”というて仕事を続けたというが、ゲーテにしてこの語をなした心の中には、固より仰ぐべき偉大なるものがあったでもあろう。しかし人間の仕事は人情ということを離れて外に目的があるのではない」ということのほうに共感を覚える。
人情はヒューマニズムだ、我執だと言う人がいて、たしかに人情だけでは救われないが、人情がなければ救われない。
そして、仏教徒が釈尊を忘れなかったからこそ、仏教が現在まで伝わっているのである。

そして「我が子の死」の最後に「いかなる人も我子の死という如きことに対しては、種々の迷を起さぬものはなかろう。あれをしたらばよかった、これをしたらよかったなど、思うて返らぬ事ながら徒らなる後悔の念に心を悩ますのである。しかし何事も運命と諦めるより外はない。運命は外から働くばかりでなく内からも働く。我々の過失の背後には、不可思議の力が支配しているようである、後悔の念の起るのは自己の力を信じ過ぎるからである。我々はかかる場合において、深く己の無力なるを知り、己を棄てて絶大の力に帰依する時、後悔の念は転じて懺悔の念となり、心は重荷を卸した如く、自ら救い、また死者に詫びることができる」とあることに、もっともだと感じずにはおれない。
漱石のようにさばさばした人もいるが、私は最後まで愚痴を言わねばおれない幾多郎派です。
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西田幾多郎と家族の死 1

2010年10月05日 | 
名前はみんな知っているけど著書を読む人はあまりいないという有名人はマルクスやダーウィンたちがいるが、西田幾多郎もその一人だと思う。
仏教伝道協会が出している冊子に、西田幾多郎が娘を亡くした気持ちを綴った文章が引用されていた。
「あきらめなさいよ、忘れなさいよ、といってくれる人がいるが、これは親にとって堪えがたいことである。せめて自分だけは一生思い出してやりたいというのが親の心である。この悲しみは苦痛といえば苦痛だが、しかし親は苦痛のなくなるのを望まない」
どういう随筆なのかとずっと思っていたのだが、「藤岡作太郎著『国文学史講話』序」だった。
『西田幾多郎随筆集』には「我が子の死」と改題されている。
少々長いが、一部を引用。
「亡き我児の可愛いというのは何の理由もない、ただわけもなく可愛いのである、甘いものは甘い、辛いものは辛いというの外にない。これまでにして亡くしたのは惜しかろうといって、悔んでくれる人もある、しかしこういう意味で惜しいというのではない。女の子でよかったとか、外に子供もあるからなどといって、慰めてくれる人もある、しかしこういうことで慰められようもない。ドストエフスキーが愛児を失った時、また子供ができるだろうといって慰めた人があった、氏はこれに答えて“How can I love another Child? What I want is Sonia.”(どうして別の子を(ソーニャの代りに)愛することが出来ようか。私の欲しいのはソーニャなのだ)といったということがある。親の愛は実に純粋である、その間一毫も利害得失の念を挟む余地はない。ただ亡児の俤を思い出ずるにつれて、無限に懐かしく、可愛そうで、どうにかして生きていてくれればよかったと思うのみである。若きも老いたるも死ぬるは人生の常である、死んだのは我子ばかりでないと思えば、理においては少しも悲しむべき所はない。しかし人生の常事であっても、悲しいことは悲しい、飢渇は人間の自然であっても、飢渇は飢渇である。人は死んだ者はいかにいっても還らぬから、諦めよ、忘れよという、しかしこれが親に取っては堪え難き苦痛である。時は凡ての傷を癒やすというのは自然の恵であって、一方より見れば大切なことかも知らぬが、一方より見れば人間の不人情である。何とかして忘れたくない、何か記念を残してやりたい、せめて我一生だけは思い出してやりたいというのが親の誠である。昔、君と机を並べてワシントン・アービングの『スケッチブック』を読んだ時、他の心の疵や、苦みはこれを忘れ、これを治せんことを欲するが、独り死別という心の疵は人目をさけてもこれを温め、これを抱かんことを欲するというような語があった、今まことにこの語が思い合されるのである。折にふれ物に感じて思い出すのが、せめてもの慰藉である、死者に対しての心づくしである。この悲は苦痛といえば誠に苦痛であろう、しかし親はこの苦痛の去ることを欲せぬのである」
仏教伝道協会の冊子はこの部分をわかりやすくまとめたわけである。

西田幾多郎はどういう人なのかを知りたくなり、上田久『祖父西田幾多郎』を読む。
西田家は数ヵ村の庄屋を勤めていたが、父親が米相場で失敗して没落し、そして父の女道楽のために両親は別居する。
西田幾多郎は家族を次々となくしている。
明治16年、師範学校に一緒に学んでいた4歳上の次姉が、幾多郎14歳の時にチフスでなくなる。
「『国文学史講話』の序」(「我が子の死」)の中で、「回顧すれば、余の十四歳の頃であった、余は幼時最も親しかった余の姉を失うたことがある、余はその時生来始めて死別のいかに悲しきかを知った。余は亡姉を思うの情に堪えず、また母の悲哀を見るに忍びず、人無き処に到りて、思うままに泣いた。稚心にもし余が姉に代りて死に得るものならばと、心から思うたことを今も記憶している。」と書いている。

明治37年、日露戦争で弟が戦死した。
手紙に、「理性の上よりして云へば軍人の本懐と申すべく、当世の流行語にては名誉の戦死とか申すべく、女々しく繰言をいふべきにあらぬかも知らねど、幼時よりの愛情は忘れんと欲して忘れ難く、思ひ出づるにつれて堪へ難き心地致し候」と書き、そして「人生はいかに悲惨なるものに候はずや」と書いている。
また別の手紙でも「余は昨年受けたる心の傷は未だ癒ざるなり。愚痴と笑ひ玉ふな。人生の問題は深く且つ大なり。心強き人はいざ知らず、余の如き多感なる弱き心には誠にtoo heavy burden(余りの重荷)なり」とある。
弟の死後、弟の妻は再婚させ、生まれたばかりの姪を手許に置いて養育している。

明治28年5月に結婚し、翌年に長女が生まれるが、父との関係で妻が実家に帰り、激怒した父は明治30年5月に離縁させる。
妻と離婚したといっても、明治31年6月に長男が生まれている。
明治31年10月に父が死に、明治32年2月に妻と和解する。

西田幾多郎には8人の子供がいるが、5人に先立たれている。
明治40年1月、数えで6歳になったばかりの次女が死ぬ。
この娘のことを書いたのが「『国文学史講話』の序」である。
「ある時の塾会で、病気で死んだ子供のことをくり返し言うので、河合が、「先生のような悟りを啓いているお方でも、亡なった子供さんのことをそうクヨクヨ思われるのですか」と言ったら、幾多郎は大きな声で、「馬鹿」と叱りつけて、「いくらクヨクヨいっても亡なった子供は再び生き返ってくるか」と論理に矛盾したようなことを言ったそうである」
友人への手紙にも、「丁度五歳頃の愛らしき盛の時にて、常に余の帰を迎へて御帰をいひし愛らしき顔や、余が読書の際傍に坐せし大人しき姿や美しき唱歌の声や、さては小さき身にて重き病に苦しみし哀れなる状態や、一々明了に脳裡に浮び来りて、誠に断腸の思ひに堪えへず候。余は今度多少人間の真味を知りたる様に覚え候。小生の如き鈍き者は愛子の死といふごとき悲惨の境にあらざれば、真の人間といふものを理解し得ずと考へ候」
5月には四女と五女の双子が生まれるが、五女は一ヵ月で死んでいる。
そして11月に「『国文学史講話』の序」を書いている。

大正7年、母の死。
大正8年6月に長女が結婚、9月には妻が脳出血のため倒れる。
手紙には「意識の方は大分よくて大抵の事は分り候が身体は全く動くを得ず未だに昨年九月倒れたまゝにて候」とある。
それから5年あまりを病床で過ごし、大正14年1月になくなる。
おまけに大正9年6月に、三高生の長男が急死する。
「死にし子と夢に語れり冬の朝さめての後の物のさびしさ」

大正10年、三女が肺を病み、入退院をくり返す。
三女はカリエスが残り、病身のために結婚しなかった。
大正11年、四女と六女が腸チフスで入院。
四女は予後がよくなく、日記に「終身跛となるか狂となるかの岐路に立って居る我子の行末を思ふも寸時も心のくもりはれる時はない」と書いている。
「もともと智能の遅れていた友子(四女)は、この時の後遺症か、後には一人前の判断力を持たない娘となってしまった」
西田幾多郎が文化勲章をもらった翌年の昭和16年4月に、精神科に7年ほど入院していた四女が亡くなる。
昭和20年2月に長女が急死、そして6月に西田幾多郎は死ぬ。
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小説から時代を知る

2010年10月02日 | 
昭和20年代から40年代に書かれた小説を何冊か読んだ。
風俗を描いて時代を感じさせる部分が興味深い。
獅子文六『てんやわんや』(昭和24年)『自由学校』(昭和25年)で描かれる戦後間もない社会は生まれていないので知らないが、女たちの強さ、たくましさは初期の『サザエさん』を連想させる。
『自由学校』にちょっと出てくる「洋装が大嫌いで、ズロースをはくと、頭痛がする」という女性はたぶん30代前半。
女性が下着をはくようになったのは白木屋の火事からだという伝説が間違いだということは、井上章一『パンツが見える。―羞恥心の現代史』に詳しく書かれてある。
『自由学校』もその一例なわけです。
サザエさんのお母さんが下穿きをはいていないのは間違いないと思う。

獅子文六の小説はすらすらと読めるのだが、意外と難しい漢字が多い。
「餉台」「不器ッ調」「々」「躙り寄る」なんてフリガナがないとまず読めないし、「頷く」(きく)「異った」(ちがった)「剰す」(あます)「敏い」(はやい)も同じ。
今は「濡縁」「電髪」「電探機」「空閨」「行衛」が何のことかわからない人のほうが多いと思う。
「とんでもハップン」とか「フルフル、面白かったわ」という英語をまぜたセリフがあるかと思えば、そのくせなぜか「ライヴァル(競争者)」「ウィーク・ポイント(弱点)」「フィアンセ(許婚者)」が説明つきなとこも、何やら時代を感じさせる。

前にも書いたのだが、以前は50代は老人、老婆だった。
結城昌治『夜の終る時』(昭和38年)に27歳の刑事が出てくるが、その「年老いた母」は中学生の子供がいるから、せいぜい50代前半のはずだ。
アパートの管理人は「六十近い婆さん」で、「婆さんは歯のぬけた口をあけて、下卑た笑いを洩らした」
サザエさん一家の年齢は諸説あるが、磯野波平でも54歳らしいから、まあそんなもんです。
大岡昇平『神経さん』(昭和26年)となると老人はもっと低年齢化してて、近所に住んでいる朝鮮人の妻を「年老いた妻」と書いてあるが、16歳を頭として2歳までの7人の子供がいるのだから、せいぜい40代だと思う。
『夜の終る時』に、下っ端の刑事は「五十歳にならぬうちに退職を勧告されてしまう。定年制がない代わりに、もっと苛酷な方法で退職を迫られるのだ」とあった。
そういえば昔は公務員には定年がなかった。
昭和38年は東京オリンピックの前年、力道山が死んだ年だが、男性の平均寿命が67.21歳。
定年がなくても、60歳前後で死んでいくということか。
戦前の小説だが、徳永直『太陽のない街』(昭和4年)には「皮膚のたるんだ五十ばかりの老婆」という文章がある。
人生五十年だからか、男は50歳、女は45歳ぐらいから老人の仲間入りをしていたらしい。
60代が老人になったのはいつごろからか、現在は何歳から老人と形容されるのか、これからはそういうことを気にしながら小説を読んでみることにします。

風俗ならぬフーゾクに関する事柄も興味深い。
『夜の終る時』で、トルコ風呂でマッサージしてもらうヤクザが出てくるが、樹下太郎『サラリーマンの勲章』(昭和39年)でもサラリーマンがトルコ風呂に行っている。
梶山季之『女の警察』(昭和42年)では、トルコ風呂で蒸し風呂に入ってマッサージがあり、それからスペシャル。
トルコ風呂の変遷については吉村坪吉『吉原酔狂ぐらし』に、昭和32年の売春防止法施行直後からトルコ風呂ができたと書かれていた。

『女の警察』は猥褻物頒布で罰金刑になっているが、そうか、昭和42年ごろはそうなのか、と何やら感慨深いものがある。
藤原審爾は昭和41年にレズ小説『赤い関係』を書いているが、昭和41年にレズという言葉が一般に通用してたとは。
そういえば、中学生のころに18禁映画のポスターを見て、何とかして見にいきたいと思ったものでした。
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