三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

今年見た映画の悪口

2011年02月27日 | 映画

クリント・イーストウッド『ヒアアフター』
今年のベスト1候補ではあるが、だけど臨死体験は死後の世界をかいま見たと言われると、やっぱりね。

深川栄洋『白夜行』
話の展開が雑で、ご都合主義。
たとえば、ビルの屋上にいる人物をめざとく見つけたのに、なぜわざわざ隣のビルに上がるのか。
名前だけでどうして「○○を△△してほしい」と伝わるのか。
『風と共に去りぬ』の貸し出しを調べるのなら、まず小学校の図書館だと思うのだが、などなど。
原作は「このミステリがすごい!」2000年の2位、さらには「ベスト・オブ・ベスト」の8位だから、そこらはきちんと説明されていると思う。
というので、原作を読んでみましょう。

ノーマン・ジェイソン『夜の大捜査線』
1967年の作品、アカデミー作品賞である。
アップとズームの使い方などニューシネマ的で、何やら時代を感じる。
原作の『夜の熱気の中で』を読みたくなった。
悪口と言うよりも疑問を二点ほど。
署長役のロッド・スタイガーはユダヤ系ドイツ人だそうで、ミシシッピ州ではユダヤ人差別もあると思うが、そこらは見る人が見るとわかるのだろうか。
それと、暑いのにエアコンが壊れている部屋に、シドニー・ポワチエのスーツ姿はともかく、リー・グラントがコートを着て現れる。
金持ちは暑くても厚着をするのだろうか。

冨永昌敬『乱暴と待機』
『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』は面白かったが、同じ本谷有希子原作の『乱暴と待機』は少しも笑えない。
原作自体がダメなのか、監督(=脚本)が下手なのか、役者が大根なのか。
つまらない映画はなぜか原作を読んでみたくなる。

瀬々敬久『ヘヴンズ・ストーリー』
長ければいいというものではない。

プピ・アヴァティ『ボローニャの夕暮れ』
『ヘヴンズ・ストーリー』は被害者遺族だが、『ボローニャの夕暮れ』は加害者の家族。
いくら娘を案じてのこととはいえ、加害者側が被害者の母親の気持ちをもう少し思いやってもいいのではないか。
あれじゃあなと思うが、国民性の違いか。

カン・ウソク『黒く濁る村』
おどろおどろしくで、どんなすごい犯罪が隠されているのかと思わせるわりに、何なんだ、しょうもないというお話。

すずきじゅんいち『442日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍』
チラシには田母神俊雄氏らの推薦文が書かれていて、それを先に読んでいたら行かなかったかもしれない。

シドニー・ルメット『十二人の怒れる男』
1959年度キネマ旬報ベスト1である。
だけど、意外と雑な作りなのにがっかり。
まず、ヘンリー・フォンダは、ここがおかしいからひょっとしたら無実かも、と思って無罪に手をあげたわけではないと言う。
ところが突然、犯行に使われたのと同じナイフを出すわけで、えっと思うわけですよ。
人を説得するんだったら、これこれこうだからと、順に説明するんじゃなかろうか。
木村晋介『キムラ弁護士、ミステリーにケンカを売る』は、『十二人の怒れる男』をけなしている。
犯行現場の階下に住む老人が人の声や物音を聞いたという証言は信用できないということについては、「この疑問は正論だ」とキムラ弁護士は言う。
向かいのアパートに住む証人B女は、被告が父親にナイフで刺したと証言する。
ところが、ある陪審員がB女には鼻にメガネの跡があったと思いだし、他の陪審員も同じことを思いだす。
B女の視力が悪ければ犯人が被告だとわかったかどうか疑問が残るというので、被告は無罪になる。
「僕が思わず、バカヤローとテレビに向かって怒鳴ってしまったのは、この最後の決め手の部分だ」
キムラ弁護士は、陪審員は証人の証言に集中しているので、鼻に跡があるかどうかに注意がいくことはないし、証言から何日もたってから5人の陪審員が思いだすことはありえないと言う。
それもおかしいけれど、そもそもB女は普段はメガネをかけているからメガネの跡がついているわけで、逆に証言が間違いない証拠とも言えるはずだ。
「陪審制度の下での捜査や法廷が、こんないいかげんなものだと思われては困るので、これだけははっきり念を押しておく」とキムラ弁護士は書いているけど、冤罪やらなにやらあるわけで、捜査や法廷の中には「こんないいかげんなもの」もあると思う。

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大谷光真・上田紀行『今、ここに生きる仏教』4

2011年02月24日 | 仏教

すべては阿弥陀さんのおはからいだからおまかせするしかないというお説教をよく聞く。
ところが、大谷光真門主は『今、ここに生きる仏教』で「こんな苦しいことがあるんだけれども、それも阿弥陀様がくださっているんだから」という慰め方をしたり、そういうふうに説いている坊さんもいるが、「その考えは、私はちょっと危ないような気がします」と語っている。
そして、曽我量深の「この世の苦しみはすべて阿弥陀様の励ましである」という言葉に納得がいかないとも言う。
どうしてかというと、キリスト教の神はこの世の主宰者、創造主だから、苦しい目に遭ったときに神の思し召しとか深いお考えがあるんだろうという話になる。
しかし、阿弥陀如来は主宰者ではない。
理不尽な目に遭った人に「その苦しみは、「阿弥陀様の」とはとうてい言えない。これはもう、間違った人が間違ったことをしたとしか言えないと思うんです。普遍化して、なんでも阿弥陀様のおはからいというのは、私はちょっと受け入れられないんです」という大谷光真氏の考えは、私もかねがねそう思っていただけにうれしい。

柳宗悦に「受取り方の名人」(『柳宗悦妙好人論集』)という随筆がある。
「私たちは何かというと、腹を立てたり、悲しんだり苦しんだり致します。それはものの受取り方が下手なためだと思います」
「どんな逆境も妙好人は、素晴らしい順境として受取ってしまいます」
というので妙好人が紹介されるのだが、これがちょっとねというシロモノです。

豊前国の新蔵。
「ある日の事、近くに相撲がありまして、新蔵も見に出かけました。所が一人の相撲取が投げられて大変な怪我を致しました。仲間たちが話合いますには、こんな怪我人が出来たのは、定めし穢らわしい人間が近くにいるからだろう。探し出せというので、手分けして探しますと、遂に破れ衣を着て髪を藁で結った、穢多のような風情の一人を見出し、ああこの男のためだという事になり、大勢して新蔵を殴るやら、蹴るやら、ひどい目に会わせました。新蔵はやっとの事でその場をのがれ、家に戻るや嬉しそうに女房に申しました。
「今日は近頃にない有難い御意見を受けて参った」
すると女房は、
「それはそれはお仕合せな事、早く私にもお裾分けして下され」
と申します。新蔵は言葉を継いで、相撲場でかくかくの事があったと一部始終を話して、
「この世で穢多と間違えられるような身が、来世では阿弥陀様と同体にならせて頂けると約束して頂いておるのに、歓喜の心もうとうとしく、毎日を送るこの私に御意見を下されたのだと思うと、喜ばずにはおられぬではないか、お前も一緒に悦んでくれよ」
といい、夫婦もろ共、己を忘れて歓喜雀躍したと申します」

もう一人、赤尾の道宗。
「越中赤尾の道宗が、篤信な者だという評判が界隈に拡まった時、一人の真言宗の坊さんが、どれ一つ試してやれと思って、たまたま草取りをしている道宗を見附け、後からいきなり蹴とばしました。道宗はよろめいて倒れましたが、ただ「なむあみだぶつ/\/\」といって、また草刈りを始めました。それで二度蹴とばしました。道宗はまた倒れましたが、なおも黙っております。それで坊さんは、
「お前は他人に蹴られて、何故怒らぬのか」
と尋ねますと、道宗は、
「いいえいいえ、私は人から蹴られるような悪者で御座います。蹴っていただければ、それだけ前世からの悪業をいくらかでも償って頂けるわけで、誠に有難く存じます」
そういって称名しつつ御礼を申しました」

こういう、心の持ちようで苦しみを喜びとして受け止めるという考えは真宗とは違うと思う。
新興宗教の機関紙(既成教団もそうだが)には、信仰によって難病や障害の苦しみを克服したという実例がよく載せられている。
まあ、たしかに感動はするけども、何かうさんくささも同時に感じる。
新蔵や道宗のように、外に原因がある理不尽な苦しみを、自分の問題として受け入れようとするのは、ある意味、危険だと思う。
合理化の手段として差別やカルマの法則を認めてしまうからである。
体制を維持するために宗教が利用されたのがよくわかる妙好人話でした。

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大谷光真・上田紀行『今、ここに生きる仏教』3

2011年02月21日 | 仏教
信心と社会への関わりについて、信心とは自己を問うもの、自己のあり方を問題にするものであり、社会に関わるのは真宗の問題ではないという考えもあるが、社会と無関係に生きているわけではないから、「社会の中における自己の生き方を問うことが、自己を問うことになる」という平川宗信氏の考えはもっともだと思う。
信心をいただいたらそれでおしまいというわけではなく、いかに生きるかということが問われるはずだし、それは生きがい論みたいなお話で終わるものではない。

『今、ここに生きる仏教』の中で大谷光真門主はこう語っている。
「ある方のお説教を聞いていたんですが、おはずかしい凡夫であるということが強調されて、それで阿弥陀様に救われると。そこはいいんですけれど、その凡夫がもうちょっと世の中に何かできることはないかっていうようなお話がぜんぜん出てこないんです。凡夫が救われる、で終わっちゃった。私は、阿弥陀様のお慈悲を受けたらお裾分けするような行動をとりたいのです」
お裾分けが御恩報謝ということになる。
別のところでもこのように話している。
「「御恩」というのは、阿弥陀様に救われて仏になるという救いをいただいているということですね。それに対して「報じる」といっても、阿弥陀様にまっすぐお返しすることはできないというか、返してもしようがない。ですからその方向を変えて、世の中に向かって自分のできることを精一杯する。第一義的には、阿弥陀様に救われたという浄土真宗を、今度は周りに伝えていくということだろうと思いますが、必ずしもそこにとどまらなくて、社会的な活動でも何でも、自分がいいと思ったことをする」
仏恩報謝の念仏と強調するのは、見返りを求めての念仏ではないということであって、念仏を称えることが御恩報謝をだから、他のことは何をしなくてもいいということではない。
「実際、阿弥陀様に向かって「ありがとうございます」と言うのは大事なことですし、それはおろそかにしてはいけないと思いますが、そのことは、「身を粉にしても報ずべし」だとは、私には感じられない」と大谷光真氏は言う。
上田紀行氏は「仏さまからいただいた御恩を仏さまに返すのではなく、他の人に返す」ことが大切で、「仏さまからいただいた御恩も、それを仏さまに返すだけというのでは、閉じられた関係」になると言っている。
Aさんから何かもらったら、Aさんにお返しするだけでなく、Bさんにも返していく。
大学のころ、年上のイトコにおごってもらった時、「今度は○○(年下のイトコ)におごればいい」と言われたが、そういうことだと思う。

社会にどうお返しするかということだが、上田紀行氏の論は何か極論を大上段に振りかざしているように感じる。
『宗教と現代がわかる本2010』に高橋卓志『寺よ、変われ』の書評がこう書かれてある。
「多種多様な活動を展開し、「寺よ、変われと叫ぶ著者の姿勢は敬服に値する。だが、その一方で、こうしたバイタリティに溢れる著者の八面六臂の活躍は、果たして他の多くの「普通」の寺院や僧侶にもできるものなのかといった疑問も拭いえない」
お参りに行ったときに愚痴話を聞くとか、地道で日常的なことが基本だと思う。
その中でだんだんとすべきことが見えてくるかもしれない。

政治について大谷光真氏はこのような考えなんだそうだ。
「格差を生み出し、一部の人だけが利益をむさぼるようなやり方です(略)。私は二〇代の終わり頃までは、ほとんど政治に関心のない保守的な人生を送ってきましたが、年とともに世の中の政治に批判的な傾向が強くなって(笑)」
政治と宗教の関係もなかなか厄介ではあるが、格差の問題など教団が取り組む必要があると思う。
「私は実はブッシュさんに仏教を説いてあげないといかんなと思ったんです。ああいう単純な二元論では、次々と争いが広がっていくばかり」
日本の政治家についてはどう思っているか知りたいものです。

こんなことも大谷光真氏は言っている。
「たとえば徴兵制などは、国民が逃げないとわかっているから成り立つわけですね。そうでなければ、みんな国外逃亡してしまう。教団ではそういう枠組みがもう緩んでしまっているのだから、教団の体制を変えないと現代に適応できないというのが、私の感想です」
徴兵制がどうして成立するかについてはなるほどと思ったが、教団の体制を変えるというのが宗会の廃止になるのだろうか。
象徴天皇的存在はいやなのかもしれないが、下手すると独裁になると思う。
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大谷光真・上田紀行『今、ここに生きる仏教』2

2011年02月17日 | 仏教
大谷光真門主が『今、ここに生きる仏教』の中で過激なことを語っていて、それは危機感を持っているからだと、某氏に聞いた。
たとえばこういったこと。
「ひと時代前はそれ(お念仏一つ)で通用したと思いますが、今はそうも言っていられない時代ですね。実際、本当にお念仏一つでやれるかというと、それは本当にたいへんなことですから」
以前、死刑問題をある坊さんと話していて、「結局は南無阿弥陀仏しかないんだ」と言われ、思考停止としか思えなかった。
上田紀行氏は「最後の阿弥陀様のお救いということさえ出せば、みんなぐうの音もでませんから、それで僧侶の権威を守るというか……」という指摘をしてるが、ほんとそのとおり。

「僧侶の側から言いますと、教えを伝えるのが使命だと。ご門徒に向かっては聞きなさいということを強調しているんですが、僧侶の側はあまり聞かないで一方的にしゃべるという傾向があります」
しゃべるにしても相手に届くような話ならともかく、ズレがあり、しかもそのことに気づいていない人がいる。
こんなことをお説教する坊さんがそうだ。
「先日も、七〇歳余りのご住職がお説教なさったんですけれど、「近頃はいのちを大切にしない。自殺なんてけしからん。いろんな人によって恵みを受けて支えられているいのちなのに粗末にする。自殺なんてけしからん」というようなことを言われる」
こういうお説教をする坊さんは少数だとは思うけど、どうなんでしょう。

たまたま読んでいた『歎異抄講座』に、松野純孝氏の「単に経典の言葉としてだけでなく、現在の日常の言葉として、たえず現代の言葉にしようとする。それでなければ自分の言葉にならない」という文章があった。
仏教語がほんとに通じない時代だと思う。
先日、お葬式の時に、喪主の挨拶で「○○は安らかに天国に行きました」と言われたのにはがっかりしたというか、ここまで来たのかとも思った。
仏式の葬式なんだから「浄土往生の素懐をとげました」とまではいかなくても、もうちょっと言いようがあると思う。
「極楽」とか「往生」なんて言葉を使うのは縁起が悪いということなのだろうか。

「現代の言葉」「自分の言葉」で語らなくてはいけないということだが、本多弘之『現代と親鸞』にもこう書かれている。
「現代人に感動と共に頷かせる。そういう語りというか、そういう文脈を、あきらめずに、探究し、呼びかけていかなければならないのではないかと思います」
「どうも、浄土というと、すでに浄土という言葉で語られているイメージがありますから、それを他の言葉にしてしまったら、それが全部失われてしまうという不安感がありますけれど、もう、通じないのですから、わかってもらえないのですから、そういう言葉を敢えて使わなくても、何か語り直せるのではないか、そんなことを思うのです。
難しいことですけれど、それをやはりやらなければ、死語を幾ら語っていても、死語の羅列では、それは生きた人間に呼びかけることはできない。そのくらいの危機の時代になっているのではないかと、そんなことを思うのです」
たしかに「極楽」よりも「浄土」はもっと通じないと思う。

しかし、どういう言葉で語ればいいかということになるが、本多弘之氏の文章は難解である。
たとえばこの文章。
「超越性そのものを体験したというのであれば、ある意味で、その超越性は完全に内在になってしまう。そうではなくて、常に超越を超越として孕みつつ内在を生きていく。常に、超越性なるものをいただいて、この濁世を安心して生きていく。そういう原理が本願の信心であるのです」

大谷光真氏の次の意見は仏教語では通じないという考えへの反論と言える。
「仏教は言葉がわからないからよくわからないという不満がよく聞こえてきます。たしかに、一般には使われていない言葉が多いので、わかりにくいのは確かなのですが、本当にわかりにくいのは言葉ではなくて、言おうとしている内容のほうなんですね。(略)
ですから、たとえ仏教専門用語を外して説明できたとしても、わかりにくいということは、あまり改善されないのではないでしょうか」
仏教語か一般の言葉かということでなく、教えを自分が消化して、そうして自分の言葉で語るべきなのだが、定型句を「自分の言葉」だと思い込んでいることはある。
で、「命を粗末にしてはいけない」という法話を自死者の通夜で言ってしまうんだと思う。
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大谷光真・上田紀行『今、ここに生きる仏教』1

2011年02月14日 | 仏教

某氏より大谷光真西本願寺門主と上田紀行氏の対談『今、ここに生きる仏教』をいただく。
私は上田紀行『がんばれ仏教!』を読み、ひっかかるところが多々あったが、『今、ここに生きる仏教』にも同じような感想を持った。
上田紀行氏が坊さん批判をするので反発を感じるのではなく、坊さん批判に的外れなところがあるからである。
それに、一例(特殊)をあげて、それを単純に普遍化するなど、上田紀行氏の話し方は何かアジテーターみたいなところがある。
たとえば、
「仏教系大学の若い人たちの会に行くと、自分は本当は寺を継ぎたくないんだという人が、すごく多いんです」と上田紀行氏は言う。
「お坊さん自身が家に縛りつけられ、そこで阿弥陀様を説いているわけで、そのことが、私には大きな不幸のように思われるんです」
しかし、寺院の子弟にかぎらず、家業を継ぐのはいやだと思うほうが普通だ。
『がんばれ仏教!』で上田紀行氏が絶賛した臨済宗神宮寺の高橋卓志師だって寺を継ぐ気はなく、いやいや寺に戻ったと上田紀行氏自身が書いている。
また、高橋卓志師は宗門大学である花園大学ではなくて龍谷大学に行ったのだが、上田紀行氏は
「彼の場合は、花園大学に行っていたらダメになっていたと思うんです」という決めつけ、もしくは大谷光真氏へのおべんちゃらを言うのもいただけない。

日本の伝統教団や寺院批判は、これも某氏からいただいた『宗教と現代がわかる本2010』に載っている野町和嘉氏と植島啓司氏の対談でも言及されている。
野町和嘉氏は「仏教で言えば、チベットあたりに比べると、形骸化しているとしか言いようがないですね。もともと仏教の根底にあるのは輪廻ですから、本来は墓もないんです。インドにもチベットにもない、四九日後には生まれ変わるわけですから。それに比して日本のお寺っていうのは、ほとんどお墓のお守りに明け暮れていますよね。ですから生きている社会とはコミットしませんね。新興宗教は違いますけどね」と言っている。
日本仏教が「形骸化」しているという指摘が間違っているとは思わない。
しかし、「お墓のお守り」することがどうして「生きている社会とはコミット」しないことになるのだろうか。
約8割の人が定期的に墓参りをするわけだから、墓のお守りをきちんとすることによって社会とコミットすることになると思う。

『宗教と現代がわかる本2010』には玄侑宗久「苦悩に向きあう僧侶の言葉」という文章も掲載されており、冒頭にこういうことが書かれてある。
「今回のご依頼は、じつは「僧侶の言葉はなぜ現代人になかなか届かないのか」というテーマだった。ハタと困った。
私の周囲には社会に深くコミットしている僧侶が多いため、特に「届かない」という実感はない」
僧侶である玄侑宗久氏は上田紀行氏や野町和嘉氏とは違うふうに考えているわけである。

野町和嘉氏や玄侑宗久氏が言ってる「社会とコミットする」とは具体的にどういうことかわからないが、私の知っている愛知県の寺では、子ども報恩講には200食分のカレーを作る。
聞くところによると、その地域ではそれが当たり前だという。
オウム真理教信者の「寺は風景でしかなかった」という発言が衝撃を与えたが、寺が単なる風景ではなく、生きている社会とコミットしている地域もあるということを上田紀行氏や野町和嘉氏は知らないのではないかと思う。

また、野町和嘉氏の「新興宗教は違いますけどね」という言葉、こういう誤解もよく聞く。
たとえば、阪神大震災の時に山折哲雄氏は「新興宗教は被災者支援を活発にしているのに、既成教団は何もしていない」と放言し、西本願寺から抗議されると、「テレビで見ててそう思った」と弁解したそうだ。
被災直後はもちろん、今も地道な活動をしている僧侶が少なくないことを上田氏、野町氏、山折氏は知らないと思う。

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「キネマ旬報2010年ベストテン特集号」

2011年02月11日 | 映画
お待ちかねの「キネマ旬報2010年ベストテン特集号」を買う。
ベスト20の予想は邦画が13本、洋画が12本当たりました。
驚いたのが『おとうと』が24位、『アバター』が53位だということ。
うーん、どうしてかいな。
『NINE』は4人が1位で26位、『新しい人生のはじめかた』は2人が1位、1人が2位で35位なのに、『人生万歳!』は8人が投票して47位。
順位が上だからおもしろいというわけではないわけです。

キネマ旬報ベストテンの順位と興行収入の多い少ないは関係がない。
2010年度の興収ランキング上位はキネ旬ベストテンではどの順番か、以下の通り。
邦画
1『借りぐらしのアリエッティ』29位
2『THE LAST MESSAGE 海猿』選外
3『踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!』64位
4『ONE PIECE FILM Strong World』選外
5『劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド・パール 幻影の覇者ゾロアーク』選外
6『のだめカンタービレ最終楽章 前篇』選外
7『告白』2位
8『のだめカンタービレ最終楽章 後篇』選外
9『SP 野望篇』選外
10『名探偵コナン 天空の難破船』選外

洋画
1『アバター』53位
2『アリス・イン・ワンダーランド』選外
3『トイ・ストーリー3』20位
4『カールじいさんの空飛ぶ家』19位(09年)
5『バイオハザードIV アフターライフ』選外
6『インセプション』10位
7『オーシャンズ』選外
8『ナイト&デイ』63位
9『シャーロック・ホームズ』選外
10『ソルト』70位

ベストテンからはそれぞれ一作しか入っていない。
邦画のベスト1『悪人』は興収ランキングだと16位、洋画のベスト1『息もできない』となると300台ぐらいじゃなかろうか。

手元にある「キネマ旬報ベスト・テン全史」は1997年発行のものだが、興行ベストテンも載っていて、これがなかなか興味深い。
年度が1月~12月とは限らず、9月~8月、4月~3月の年があったり、なぜか1月~翌年6月と翌年度とダブってしまうわけのわからない年度もある。
70年~73年の邦画は興行ベストテンが発表されていない。

キネ旬のベスト1が興行でも1位だった作品は『アラビアのロレンス』、『E.T.』(82年と83年の二年連続1位!)と『ラスト・エンペラー』だけだと、どこかに書いてあったが、『にっぽん昆虫記』と『赤ひげ』も両方とも1位である。
『アラビアのロレンス』は63年1月~64年6月が2位で、71年10位。
ベスト1で興行ベストテンに入った作品は、『大いなる西部』は58年1月~59年6月で3位、59年1月~60年6月では2位。
その他、『エデンの東』5位、『米』9位、『道』8位、『チャップリンの独裁者』4位、『ロッキー』4位、『クレイマー、クレイマー』4位、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』8位、『アマデウス』8位、『マルサの女』5位、『ダイ・ハード』8位『ダンス・ウィズ・ウルブス』5位、『Shall we ダンス?』2位といったところだと思う。
1950年から1996年までのベスト1は約90本だから、まあそんなところでしょうか。

興収ベストテンに入る映画はシリーズものが強い。
『網走番外地』シリーズは65年が2位と4位と6位、66年は1位と3位と9位、67年が10位、69年が7位。
『クレイジーだよ』シリーズは66年が6位と8位と10位、67年が3位と4位、68年が4位。
『若大将』シリーズは66年が4位と5位、67年が5位、68年が6位。
『トラック野郎』シリーズは75年が8位、76年が7位と10位、77年が4位と5位、78年は5位と10位、79年が5位、
これらは短期集中型だが、『007』シリーズは64年が3位と6位、、65年が1位、66年が1位、67年が1位と三年連続1位で、70年4位、72年2位、73年が2位、75年が4位、78年が3位。80年が2位、81年が2位、以降も着実に興行ベストテン入りをしている。
最強は何といっても『男はつらいよ』シリーズで、75年が1位と2位、76年は3位と4位、77年が6位と9位、78年は4位と6位、79年3位と4位、80年7位と8位、81年4位と5位、以下省略するが、毎年、ほとんどの寅さんは興行ベストテンに入っているのだから大したものです。
忠臣蔵も強くて、『忠臣蔵』(松竹)54年2位、『赤穂浪士』(東映)55年1位、『大忠臣蔵』(松竹)57年6位、61年『赤穂浪士』(東映)2位、62年『忠臣蔵』(東宝)8位。
58年4月~59年3月は1位が『忠臣蔵』(大映)、4位も『忠臣蔵』(東映)と二本も入っている。
昨年も『最後の忠臣蔵』が作られたわけで、どこがそんなに魅力あるのかと思う。

リバイバルしては興行ベストテンに何度も入る作品もある。
『駅馬車』51年4位、61年10位、62年7位。
『風と共に去りぬ』52年1位、61年6位、67年4位、72年4位。
『シェーン』53年2位、70年8位。
『ベンハー』60年1位、73年10位。
『ウエストサイド物語』61年2位、69年3位。、
『サウンド・オブ・ミュージック』65年3位、70年2位。
ビデオの時代では考えられない。

今年の抱負は禁欲して映画を見る回数を減らすことだったが、ダメなような気がします。
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死刑囚の俳句 2

2011年02月08日 | 死刑

『異空間の俳句たち 死刑囚いのちの三行詩』には死刑執行前に作られた俳句も紹介されている。

和之(31歳)
 執行当日
布団たたみ
雑巾しぼり
別れとす


よごすまじく首拭く
寒の水
「解説によれば、執行当日に「綱 よごすまじく……」と書かれた色紙を手渡された係官は、「もうこれは人間ワザではない。神様に近い存在だ」と感じ、「手の震えが止まらなかった」という。執行の瞬間、立ち会った全員が夢中で「南無阿弥陀仏」を唱和していたとも伝えられている」

弓石(27歳)
 執行の朝
寒の水 もて
今朝の畳を
拭きに拭く

菊生(43歳)
つばくろよ
鳩よ雀よ
さようなら

菊生という朝鮮人の死刑囚は執行される5ヵ月前から俳句の指導を受けたそうだ。
「それまで日本語を話すこともたどたどしく、書くことはもちろんできなかったし、読むことすらあいまいだった」
菊生の「俳句は私の友だちです。」という文章が『夜露死苦現代詩』に載っているので、一部引用。
「私わ今年の一月から山河先生に俳句おおしえてもらっています。先生わだれでもしぬまでにええのおひとつ作ったらよいと一しょめんめにおしえてくれますが、私がことばや字をしらんのがだんねんです。私わいまかいているこの字もここえきてから皆んなからならったのです。
私わことばや字をならいながら俳句お自分の友だちとおもいべんきょしています。俳句はさびしい私のきもちを一ばんよくしってくれる友だちです。俳句をならったおかげで蝿ともたのしくあそぶことができます。火取虫がぶんぶんと電とうのまわりをとんでいるのも私をなぐさめてくれるとおもうとうれしいです。運動じょの青葉にとまってちゅうちゅうないている雀もやねでくうくうないている鳩もみんな私の友だちです。(略)夏になったので友だちがたくさんいるのでうれしいです。先生わのみもしらみも俳句になるといいましたが、ここにわいません。また蚊もときどき一匹ぐらいならいるが、どこにいるかわかりません。夏でもここわえいせいですから蚊やをつることわいりません。夜わ窓をあけて火取虫をよんでやります。私の友だちは皆かわいらしいです」

白水(47歳)が刑場で係官に伝えた句。
抱かれると
思う仏の
膝寒し
「句の師からは、最後の瞬間まで句を作れ。それを係官に伝えれば、必ず後に書きとめるからと伝えられていたという」
この師とは北山河(1893~1958)という俳人である。
1949年から亡くなるまで、毎月二回、大阪拘置所で句会を開いて指導した。
死刑囚は俳句を作ることによって自分を見直し、生き直そうとしたんだと思う。

死刑囚は句会でのんきに俳句をひねっているという誤解を持つ人がいるかもしれない。
しかし、現在の死刑囚は隔離された状態にあり、俳句の指導なんてことはされていない。

死を目の前にして生きる死刑囚の中には一種の悟りの境地にあるという見方を向井孝氏は否定する。
「死を前にして「悟り」の心境にあった死刑囚がいるとか、いたとか。そんな「宗教的」な見地からの解釈には納得しかねる」
「死刑囚の辞世の句がどのようなものであれ「悟って」きっぱりと死を受け入れた、という見方を強調することだけは承服しかねる「悟った」かのごとき詩(うた)を詠んだ、その一瞬の後に、なんとしても生きてやるぞ、という、まったく別の詩を詠むこともする。それが人間じゃないか」

向井孝氏はこうも言う。
「ここにある句は、形がちがい表現がちがっても、みんないのちをうたっている。死を正面につきつけられた者として、周囲のできごと、自然の風景、そのうつろい。それらを一瞬も逃がさずに捉えている。俳句という形にそれを移すことによって、時間、いのちをいつくしんでいる」
備洲という死刑囚はこう書いていると、稲尾節氏が語っている。
「「人間はとても死にやすく出来ている。少し高い所から落ちても、少しの間、水の中に入っていても人は死ぬ。」だからこそ、「死をさけること―生きることがなによりも尊いことだという絶対的ともいえる価値観を持つ」に至った」
「いのち」ということだが、阿弥陀のいのちがどうのこうのという話より、向井孝氏や備洲死刑囚のほうが説得力があると思う。

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死刑囚の俳句 1

2011年02月04日 | 死刑

都築響一『夜露死苦現代詩』はラップ、相田みつを、玉置宏の曲紹介から、餓死した女性の日記、知的障害者のクイズ、認知症者のひとりごと、そしてエロサイトの惹句、湯飲みや暖簾の人生訓・健康訓などなどを取り上げた本で、オススメ。
その中に死刑囚の俳句もあって、北山河・北さとり『処刑前夜 死刑囚のうたえる』『異空間の俳句たち 死刑囚いのちの三行詩』から死刑囚の俳句が紹介されている。
早速、『異空間の俳句たち』を図書館で借りた。
いくつかを紹介します。

風縷(27歳)(年齢は被処刑時のもの)
冬夕焼け
愛したくなる
誰も彼も

武雄(61歳)(西武雄氏である)
われのごとく
愚かよかなし
冬の蝿

民(推定20代前半)
春雷や
冷たき母で
あればよし

解説にこうある。
「死刑執行の前日。かつては本人の希望や支援者たち(この場合は外部からの俳句指導者たち)との「別れの宴」が催された。
この句は作者がその最後の席で、母を前にして、句の指導者である故北山河氏に見せたもの。この「冷たき母であればより」の意味が分かってくれるでしょうね、と天民は問い続けたという」
天民の手記の最後。
「犯行当時の、または捕らえられた当初の私は、自分が悪事を犯すようになったのは、みんな周囲や社会が悪いのだ、というぐらいに考えていました。今になって、それはみんな自分のひがんだ根性、心の向けどころが間違っていたから起こった罪の結果であったことを教えられています。出発点を間違った者の悲しみを味わっております」

白子(26歳)
 仮の姉と最後の面会を終えて
姉と手を
握りし汗を
もち帰る

祥月(31歳)
秋天に
母を殺せし
手を透かす
「かつては母親をはじめ、肉親を殺害したものには「尊属殺人」として死刑が宣告されていた」

桜ほろほろ
死んでしまえと
降りかかる
「獄内の罰則で入れられた懲罰房では、終日母の位牌を抱いたままうずくまっていたという」

足袋つづる
この手に母を
殺したる

 絶句
梅雨晴れの
光を背負い
ふりむかず

初久(36歳)
返り花
われを死囚と
子は知らず

牛歩(54歳)
過去と未来
いづれが長し
花菖蒲
「「殺人者がたむろする世界(獄中)に暮らしてみて、そこと一般社会との壁が紙より薄いのを感じて驚いた」と作者は記している。「被害者の身内の人と面会したとき、そしてわが身内の者たちと次々に会ったとき、これが胸をえぐられるというものかと痛切に身にしみた」とも」


何をもって償ふ
穴まどひ
「「被害者の遺族の人たちとわが身内たちの、悲痛と慨嘆の渦中にあって、精神に異常を来すこともなく、苦しさの中での身の処し方を覚え、馴染んでいったところに私は私の悪人たるところを見た」と作者は書く」

宏昌(28歳)
生まれざりしならば
と思う
夜の長さ

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パール判事と東京裁判

2011年02月01日 | 戦争

半藤一利、保阪正康、井上亮『「東京裁判」を読む』を読んで驚いたのは、東京裁判で無罪判決を出したパール判事の評価が低いこと。

井上「東京裁判否定論者はことあるごとにパールを引き合いに出しますが、彼のことをかなり誤解している節もありますね」
保坂「客観的な事実認定について、間違った判断をしています。それに予断と偏見もあるし……」
井上「満州事変についても「日本の謀略とは限らない」というようなことを書いています」
半藤「それから、日本での言論弾圧は当然だったと言ってるんだね。これはちょっと、いくらパールさんでも言い過ぎじゃないのと思いますね」
井上「東條をえらく持ち上げていて、「東條は正直な意見を抱き、その意見を述べるについてはなんら躊躇せず、その信念の鞏固なことを示した」なんて言っています」
保坂「宗主国を批判するときに使う材料として日本を論じる際、彼はかなり恣意的な便法を使った。そこの検証をきちんとやらなきゃいけないんだよね」
保坂「彼は基本的には全インドを代表する司法人じゃなかったんですよ。世界的なレベルの国際法の権威だなんて言われていますが、全然違う。日本では彼はオーバーに言われている。もともとはベンガルの一司法人です。インド司法界の大物が出て来れない事情があって、それで彼が出て来た」


どうなんだろうかと思い、中島岳志『パール判事』を読む。
東京裁判を否定する人は、無罪判決を出したパールのことを持ち出し、日本の行為を正当化する。
早とちりな人はパールが大東亜戦争肯定論者なのかと思うようで、靖国神社にはパール判事の顕彰碑まである。

しかし、パールは日本には戦争責任はないと言っているわけではない。
日本の植民地政策を正当化したり、「大東亜」戦争を肯定する主張など、一切していない。

パール判事は東京裁判を批判し、アメリカによる原爆投下に対しても痛烈な批判をする一方、南京虐殺を事実と認定し、フィリピンでの虐殺を「鬼畜のような性格」をもった行為だとして非難しており、日本の行為すべてを免罪したわけではない。

パール自身も「あの戦争裁判で、私は日本は道徳的には責任はあっても、法律的には責任がないという結論を下しました」と語っているそうだ。

パールは、検察が提示した起訴内容のすべてについて、「無罪」という結論を出した。しかし、これはあくまでも国際法上の刑事責任において「無罪」であるということを主張しただけで、日本の道義的責任までも「無罪」としたわけではない。


パールは「戦勝国が戦敗国を裁く」という構図を批判したのである。
戦勝国が戦敗国に対する復讐として裁判を行うことは、平和と秩序を維持するという裁判本来の目的を崩壊させ、意義を損ねる。
パールは、戦勝国の戦争犯罪についても、戦敗国と同様、平等に裁かれるべきであるとした。

彼ら(連合国)は、日本の帝国主義を断罪し、その指導者たちを「平和に対する罪」で裁こうとする一方で、自らの植民地を手放そうとしないばかりか、日本が撤退した後の植民地の奪還を図り、再び帝国主義戦争を起こしている。そのような状況が、裁判と同時進行的に繰り広げられていることの欺瞞と矛盾を、パールは冷静に指摘した。

もっとも保阪正康氏たちによると、インド人であるパールの宗主国イギリスへの反発ということもあるそうだが。

では、なぜパールは無罪だとしたのか。

罪刑法定主義、そして無罪推定の原則からである。

罪刑法定主義とは、いかなる行為が犯罪であるか、その犯罪にいかなる刑罰を加えるかは、あらかじめ法律によって定められていなければならないとする主義である。

パールは通例の戦争犯罪を裁く意義を積極的に肯定するが、「平和に対する罪」と「人道に対する罪」は事後法であり、そもそも国際法上の犯罪として確立されていないため刑事上の「犯罪」に問うことができないとした。
東京裁判の時点で、国際法は「侵略」を犯罪とするまでに整備されておらず、いかに道義的・社会通念的に問題があろうとも、戦争の当事者を「平和に対する罪」で処刑することはできないということである。

そして犯罪が立証されないと、被告は無罪という推定無罪の原則がある。

パール判事は南京虐殺や他の虐殺事件、あるいは捕虜の虐待は事実として認定してはいるが、A級戦犯がこれらの事件の遂行を命令した証拠、もしくは不作為の罪に問うことができる証拠も存在しないと論じた。
彼らがしていないとパールが考えていたのではなく、証拠不十分のため立証されていないから罪を問えないとしたのである。

東京裁判を否定し、日本の侵略を認めたくない人たちはパール判事の判決を自分の都合のいい文脈で利用している。

たとえば田中正明氏は、田中正明編『日本無罪論』(1952年刊)の解説文に「この裁判とは別に、われわれ冷静に反省してみて、たしかに日本は侵略戦争の意図も実践もあったと思う」と書いている。
ところが田中はのちに、「パール判決書」を利用しつつ独自の「大東亜戦争肯定論」を展開している。

東京裁判の東条英機を主人公にした『プライド』という映画に、パールの長男は「傷つけ、憤らせている」として、抗議の手紙を書いた。

当初、映画関係者などから「パール判事とその判決がメインの映画を作りたい」という企画を提示されていたという。

しかし、出来上がった映画は、東条英機の生涯が中心で、父とその判決は二次的な扱いだった。父の判決が、東条の人生を肯定するための都合のいい「脇役」として利用されていることに、彼は納得がいかなかった。


パール判事は非暴力主義の信奉者であり、世界連邦実現を推進する立場だった。
日本に招かれて各地で講演をした時には、「平和憲法の死守」と「再軍備への反対」を強く訴えている。

パールの言説を利用する右派論壇は、このようなパールの思想を一切無視している。彼が日本に対して発した渾身のメッセージから目を逸らし、都合のいい部分だけを切り取って流用している。


何を語るかということは大切だが、どういう立脚点から語るかはより重要だと思う。
東京裁判に関するパール判事と靖国神社の意見は、東京裁判批判は同じようでも、まるっきり違った土俵での話なのである。

それにしても、保阪正康氏や半藤一利氏がそこまでパールに厳しいのかと不思議です。

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