三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

『アンモナイトの目覚め』と『メアリー・アニングの冒険』(1)

2021年05月23日 | 映画

フランシス・リー『アンモナイトの目覚め』の主人公メアリー・アニングは実在の人物で、化石を採掘し、観光客に販売します。
もう一人の主役シャーロット・マーチソンは包丁が使えないが刺繍はできる若奥様。

泥だらけになった服は誰が洗濯するのか。
マーチソン家を訪れたメアリーは女中に勝手口に回れと言われる。
イギリス社会の身分や収入の格差はどれだけ大きいのか、当時の事情を知りたいと思ってたら、吉川惣司、矢島道子『メアリー・アニングの冒険』という本がありました。
 

メアリー・アニングは1799年にイギリス南部ドーセット州のライム・リージスの貧しい家に生まれた。
メアリーはドーセット方言だったそうですが、ケイト・ウィンスレットはどうなのでしょうか。

『高慢と偏見』が1813年、『嵐が丘』が1847年で、ほぼ同時代です。
メアリーはジョン・ファウルズ『フランス軍中尉の女』のモデル。

10人兄弟だが、成人したのは兄とメアリーだけ。
1800年に5歳までに亡くなる子供の割合(乳幼児の死亡率)は44%。
明治時代中期の農村では成人になるまで生きられたのは、多めに見積もっても10人中7人だそうです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3e64f99d8925688ffdcf89acdb63b02378798f10?page=1
メアリーの兄弟が特に早死にしたというわけではありません。

アニング家は非国教徒だが、信仰心が強かったメアリーは後に国教徒に改宗する。

農業小作人など未熟練労働者は週8シリングほど、よくて年収20~30ポンド程度。
当時の紳士階級がメイドと馬車を備え、体面を保つのに最低1000ポンドの年収が必要だった。
ロンドンには年1万ポンド以上の成金紳士がざらにいた。
地質学者・古生物学者のウィリアム・ダニエル・コニベア(1787~1857)は祖母から年収500ポンドを遺贈され、1805年にオクスフォード大学に進学するが、学費は300ポンドを上回らないと手紙に書いている。

1830年頃の50ポンドは現在の2000ポンド(40倍説)、あるいは約1万ポンド(200倍説)に該当し、日本円で50万円と250万円の間ぐらい。
アニング家の年収が25ポンドだとすると25万円~125万円。
紳士階級の1000ポンドは1千万円~5千万円です。
マーチソン家の年収はアニング家の40倍以上だと思われます。

そんなアニング家でも、メアリーには子守女(既婚者)がいました。
『アンモナイトの目覚め』で、年輩の女性がメアリーを教会に誘って拒まれ、「稲妻メアリー」と苦笑するシーンがあります。
稲妻メアリーは激しい性格からついたあだ名かと思いましたが、メアリーが1歳の時、子守女がメアリーを抱いて木の下で雨宿りをしていたら、雷が落ちて子守女は死亡、メアリーは助かるという事件があったからのようです。

この女性は、3人の娘のためにライム・リージスに家を買った、ロンドンで弁護士を開業していたフィルポットの末娘エリザベス・フィルポット(1780~1857)です。(3人とも未婚)
三姉妹は多くの化石を収集しており、ウィキペディアにはエリザベス・フィルポットは古生物学者だとあります。
映画でメアリーはエリザベスから軟膏を買います。
これはフィルポット家自家製のどんな怪我にも効く軟膏とのこと。

ライム・リージスの人口は、メアリーの時代から倍増しても3300人という小さな町だが、夏の盛りには避暑客で人口が数倍に増えた。
また、煤煙公害がひどいロンドンから引っ越した裕福な住民、長期滞在する客もいた。

映画では医者が自宅で開く音楽会にメアリーが招かれます。
小さな町に中流階級以上の人がそんなにいるのかと疑問に思いましたが納得。
メアリーは居心地が悪そうでした。

ライム湾の崖にはジュラ紀の地層から化石が露出している。
メアリーの父親は家具職人だが、化石を探しては観光客に売っていた。
ジェーン・オースティン(1775~1817)は1804年にライム・リージスを訪れており、おそらくメアリーの父親と会っている。

父親は1810年に44歳で亡くなり、アニング家は1810年から1816年まで貧民救済を受けた。
そのころのイギリスはナポレオン戦争の終結で不況となって失業者が増え、おまけに飢饉に加えて穀物法の制定が一層の貧困をもたらしています。

メアリーは学校へ通えなくなった。
メアリーの手紙には解剖学用語などは豊かだが、綴りや句読点の間違いが多く、初等教育が充分でなかったことがうかがわれる。

映画の冒頭はイクチオサウルスの化石が博物館に収められる場面です。
そして、メアリーが11歳の時に発掘したと語られます。

http://mini-post-uk.blogspot.com/2014/09/blog-post_18.html

実際は1811年にメアリーの兄がイクチオサウルスの頭骨を掘り出した。
残りの骨格は土中深くにあったので、地中から現れるのを待ち、1812年にメアリー(13歳)が骨格が地中からのぞいているのを見つけた。
全長5.5mの骨格を急傾斜の崖から掘り出すことはメアリーだけでできることではない。
現在、自然史博物館に保存されているのは頭骨だけで、胴体部分は行方不明とのこと。

この化石は領主のヘンリーが23ポンドで買い取った。
アニング家の年収と同じくらいの金額です。
1820年、アニング家の化石の競売で105品が400ポンド以上で売れた。
諸経費を差し引いた金額がアニング家に渡された。

化石の値段は高額のようだが、発掘の手間や販売期間の苦労を考えれば非常に安いかもしれない。

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宗教コミューン

2021年05月21日 | 問題のある考え

ゲイ・タリーズは『汝の隣人の妻』(1981年)で、「ニューヨーク・タイムズ」の記事を紹介しています。
それによると、1970年には大小さまざまな共同体がほぼ2000あると推定されていた。
場所もさまざまで、農場、都市の商業ビル、山間部、砂漠、貧民街など。
それらの施設には、ヒッピーの園芸家、瞑想的な神秘論者、生態学の伝道者、引退したロック・ミュージシャン、平和活動家、ウィルヘルム・ライヒやアブラハム・マズローの信奉者などが集まった。

ゲイ・タリーズは、1848年にジョン・ハンフリー・ノイズが創始したオナイダ・コミュニティについても詳しく書いています。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/a7e3f976af581505a58a186b1252b33d

『心憑かれて』に載っているマーガレット・ミラーへのインタビュー(「ミステリー・シーン」1989年5・6月号)に、宗教コロニーについて語られています。

わたしはもう長いことああいった宗教集団というものに興味をひかれてきたの。南カリフォルニアにはそれこそごまんとあるわ。わたしの友人の中には子供を連れて、そういった集団のひとつに参加した人たちもいるわ――なにもかも彼らにさしだしてね。中の一人はスタンダード石油のあと取り息子と結婚して、それこそ贅沢ざんまいな生活を送っていたのよ。(略)
それまでの贅沢に囲まれた生活を捨てて、そんなふうに筆舌に尽くしがたい場所に飛びこむなんて。おまけにまだ彼女はそこにいるのよ。私の別の若い友人は、「ブラザーフッド・オブ・ザ・サンズ」という宗教集団に加入したわ。そこではいっさいの私的所有を認めないの。びた一文の報酬もなく一日じゅうこき使われるうえに、生殖以外のセックスが一切禁止されてるんですって。一体どうやってそれを区別するのかしらね。そのドンという名のわたしの友人は結婚して、奥さんも同じ集団に入信させ、子供が二人できたの。でもついに彼の目が覚めるときがきて、そこを出ることにしたのね。でも教団の方では子供たちや妻を引き渡そうとしなかったわ。奥さんもまた教団を出ようとしなかった。


人民寺院やマンソン・ファミリーが有名ですが、知られていない反社会的なコミューン(共同体)も少なくないようです。

ゲイ・タリーズは、ジョン・ウィリアムソンが主宰するサンドストーンのフリーセックス、ヌーディスト共同体に滞在し、何人もの人にインタビューをしています。
ジョン・ウィリアムソンたちは職を捨てたり、本業を怠ったりして、汗を流してサンドストーンを建設する。

妻のジュディスがジョン・ウィリアムソンの虜になったジョン・ブラロはこのように考えます。

ウィリアムソンがみんなを支配する権力とは、いったい何だろうか、と頭を悩ませた。そして、それはウィリアムソン夫妻の英知やダイナミックな行動力よりも、むしろ彼らがそういう人びとの人生を特徴づける、はてしない空虚につけ入る能力の方に関係があるのだ、と結論するにいたった。
ほとんどの連中は生まれながらにして追随者であり、道案内をもとめる放浪者である。したがって理論家や神学者、独裁者や麻薬の売人、あるいは、口あたりのよい治療や解決策を約束するハリウッド界隈のヒンズー教の呪術師、そういう輩にいともかんたんにだまされる従順な門弟なのだ、とブラロは思う。カリフォルニアの根なし草のような、すこぶるファッショナブルな風土は、新しい思想や流行に対する抵抗力がとりわけ弱い。だから、もしここに決断と行動力に富んだ目先のきく人間がいて、ほかの人間の理想や空想を巧みに自分の野望と一致させることができれば、そして、曖昧でとらえどころがない態度をいつまでも崩さないでいれば、その男は遅かれ早かれ応分の弟子を惹きつけることができるだろう。ウィリアムソンはその種の人間だ、とブラロは断定した。罪やあやまちを度外視して快楽を祝福する哲学を信奉する呪術師だ。彼は自分の信奉者を〝変革者〟と呼んでおだてている。ちょうど彼らがウィリアムソンのセックス理論の先駆的実践者に変えられたように、彼らにほかの人びとを変える力をあたえようとしているのだ。

このように洞察したブラロですが、なぜかジョン・ウィリアムソンに心から謝罪して受け入れてもらいます。
ここまで客観的に考えることができているのに、どうしてサンドストーンに戻ったのか不思議です。

日本ではどうでしょうか。
小田誠「妙な空き家」(「連続無窮」25号)にはいささか驚きました。

山形県の県境付近の、高齢者ばかりの新潟県の村に住む親類が、家や土地を売り払い村を出て、別の土地で仲間たちと共同生活を送っていることを菩提寺の住職から聞く。
住職の話だと、キリスト教原理主義を掲げ、大学で信者を勧誘したり、霊感商法で名指しされている、韓国に本部を置く宗教団体が関係している。

高齢者が友人知人との関係を絶ち、家や土地を放り出して教会という名の共同生活拠点に住み込む。
家族に脱会を強制された信者が自宅に火を放ったこともある。

なぜ過疎の村で老人ばかりを入信させるのか。
家や土地があるので、金に替えさせる。
ある市内の共同生活場にいるのは70代、80代がほとんど。
以前は学生や主婦を主眼にしていたが、今は高齢の信者が身近な高齢者をターゲットにする。
老老勧誘で、場所も介護施設や病院、村役場の催しなどである。
月日の流れとともに信者は高齢化し、中には寝たきりと思われる信者もいる。
この付近では信者の数は増え続けている。
山形、福島でも同様のことが多い。

かつての勢いを無くすなかで、今度は身近な場所と人に目を付けてそこで静かに勢力を維持しようとしている。しかし勧誘する側、される側ともに体力も衰え維持できなくなっている。家を飛び出し共同生活をするが、衣食住を自身で満足にできなかったり重い持病があったりで、資金を稼ぐこともままならない事もある。家や土地も家族から売却を阻止されると、結局は資金が枯渇し立ち行かなくなる。(略)
弱った者同士があつまり、そこで最後の一滴まで搾り取ろうとしている象徴がこの村の荒れた家々だ。


貧困ビジネスならぬ高齢者ビジネスです。
これも一種の宗教コミューンでしょう。
オウム真理教は地域との軋轢を起こして知られるようになりました。
こうした目立たない集団はあちこちにあるのかもしれません。

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臨終の悪相と堕地獄(2)

2021年05月10日 | 問題のある考え

臨終の悪相と堕地獄について、『今昔物語集』「僧蓮円修不軽行救死母苦語」に書かれています。
蓮円という僧の母は邪見が深く、因果の道理をわきまえなかった。いよいよ死ぬ時に悪相を現し、はっきり悪道に堕ちると思われる状態で死んだ。蓮円は歎き悲しみ、何とかして母の後世を弔おうと思い、常不軽菩薩の行を修し、法華八講を行った。蓮円は夢の中で地獄の鬼に「私の母がいるでしょうか」と問うと。鬼は「いるぞ」と答えた。母に会うと、母は「私は罪報が重く、地獄に堕ちて言いようのない苦を受けている。しかし、あなたが私のために長年不軽の行を修し、法華経を講じてくれたので、地獄の苦から免れて、忉利天に生れることになった」と言った。すると夢から覚めた。(馬淵和夫訳参照)
https://yatanavi.org/text/k_konjaku/k_konjaku19-28
これは『法華経』による滅罪譚です。

無住『沙石集』「妄執に依りて魔道に落つる人の事」にも臨終の悪相が書かれています。
高野の遁世聖たちが臨終を迎える時は、仲間が寄り合って評定するが、一通りのことで往生する人はいない。ある時、端座合掌し、念仏を称えて息を引き取った僧がいた。「これこそ間違いない往生人だ」と評定したが、恵心房の上人は「本当に来迎にあずかり、往生する者は日ごろ悪しからん面をしていても、心地よき気色になるはずなのに、眉すぢかひて物すさまじげなる面をしている。魔道に入ったに違いない」と申された。一両年の後に、その僧は人に託して魔道に落たことを語られた。
http://yatanavi.org/text/shaseki/ko_shaseki09b-08

もっとも、臨終の相がよくても、往生したかどうかはわかりません。
高野山に隠居した道心者(菩提を求めて修行をしている人)として評判が高かった某は「最後の時には心を澄ませて念仏を唱え、そのまま息を引き取りたい」と念願していた。その願いのとおりに念仏して息を引き取った。一、二年して仲間の僧が物狂いし、某とそっくりな声で話し出した。僧たちは「臨終がめでたかったので往生されたと安堵していたのに、どうしたわけでしょうか」と問うと、「長年願っていたことなので十念は唱えたが、妄念が残って往生をしそこなった。近ごろの政治が濁っていることが気にかかり、「自分がその官職にあり、取り仕切っていたらこれほどのことはないだろう」と考え、人に知られない妄執が忘れ難く、魔道に入ってしまった」と語った。(小島孝之訳参照)

無相は臨終の悪相よりも妄念、妄執を問題にします。

仏法は真実の道心ありてこそ、生死を離れ悟りを開くことなれ。いかに学し行ずれども、名利・執着の心ありて、まことの菩提心なければ、魔道を出でず。


名利を求めることが悪道に堕ちる因となるということならわかりますが、家族や弟子の悲嘆も往生の障りとされます。
たとえば『沙石集』「妻、臨終の障りになる事」です。
山法師が病気になった。道心があり、念仏などもしていたから、これで最後と思い、端座合掌して西に向かって念仏を唱えた。妻は「私を捨ててどこへ行かれるのですか。ああ悲しい」と言って、僧の頸に抱きついて引き倒した。僧は「ああ情けない。心静かに臨終させてくれ」と言って、起き上がって念仏すると、妻はまた何度も何度も引き倒した。僧は声を張り上げて念仏を唱えはしたが、妻に引き倒されて組み摑まれてこと切れた。
https://yatanavi.org/text/shaseki/ko_shaseki04b-05

これは笑い話でしょうが、無住は続けてこのように書いています。

妻子並み居て、悲しみ、泣き慕ふを見ては、下根の機、いかでか障りとならざらん。(臨終の時に、妻子が悲しみ泣いて慕う気持ちを見せたら、資質の劣った者には臨終の障害となる)


鴨長明『発心集』「真浄房、暫く天狗になる事」です。
鳥羽の僧正の弟子に真浄房という僧がいた。鳥羽の僧正が病になり、見舞いに行った真浄房は「来世に必ずお会いしてお仕えしましょう」と申し上げた。それからほどなく僧正は亡くなられた。みんなは真浄房が後世者なので必ず往生すると思っていたが、物狂わしい病で亡くなった。真浄房の母が言うには、「真浄房がやって来た。私の臨終の様子を皆が納得できないように思っておられるので、その説明を申そう。私は名誉や利益を捨て、来世に向けての修行をしていたので、迷いの世界に留まる身ではなかったのを、師の僧正が今生の別れをなさった時、「来世で必ずまためぐり会ってお仕えします」と申し上げたことが誓文になり、僧正が「あのように言ったではないか」と解放してくださらないので、魔道に引き入れられた。僧正を仏のごとくに頼りにしていたばかりに、つまらないことを申して思いがけぬところにいる」と、天狗になったことを告げた。そして、この苦しみを抜け出せるよう、後世を弔ってほしいと頼んだ。そこで供養すると、老母が「悟りの境地に到りました。今から不浄の身を清めて極楽に参ります」と言った。これを聞いた人は「修行の徳を積んだ人でも、死後に出会おうというような誓いを立てるべきではない」と語った。(浅見和彦訳参照)

たとい行徳高き人なりとも、必ずこれに値遇せんという誓いをば起すまじけり。(たとえ修行を積んだ人でも、必ずまた会おうという誓いを起こすべきではない)

https://yatanavi.org/text/hosshinju/h_hosshinju2-08
天狗は仏道修行を妨げる魔王の使いです。

親鸞の手紙に「この身はいまはとしきわまりてそうらえば、さだめてさきだちて往生しそうらわんずれば、浄土にてかならずかならずまちまいらせそうろうべし」などと、浄土での再会を約していますが、こういう気持ちも妄念となるようです。

無住は「まことの道に入る時は、法執とて、仏法を愛するまでも、道の障りなり」と、仏法に対する執着も問題にしています。

無住は以下のように追善供養を勧めます。
子供や弟子は父母・師長の臨終が悪いのをありのままに言うのが気の毒に思い、多くはいいように言うものだ。無意味なことである。悪ければありのままに言って、自分がねんごろに弔い、よその人までも憐れみ弔うことこそが、亡魂の助かる因縁どもなる。

親鸞は『教行信証』に元照『阿弥陀経義疏』の

念仏法門は愚痴・豪賎を簡ばず、久近・善悪を論ぜず。ただ決誓猛信を取れば、臨終悪相なれども十念に往生す。

という文章を引用しています。
臨終の悪相と浄土往生は無関係だと元照や親鸞は考えていたのです。

無住は法然の浄土教理解を認めていないそうですが、往生がこれほど困難だとしたら、称名念仏によって往生すると説く法然の教えが人々に受け入れられたのもわかります。

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臨終の悪相と堕地獄(1)

2021年05月03日 | 問題のある考え

淺井昭衞(冨士大石寺顕正会会長)『日蓮大聖人の仏法』の宣伝チラシが郵便受けに入っていました。
こんなことが書かれています。

死後の未来のことなどわからぬ、という人もあろう。しかし仏法は空理・空論ではない。すべて証拠を以て論ずる。
その証拠とは臨終の相である。
臨終は一生の総決算であると同時に、臨終の相に、その人が死後の未来に受けるべき果報が現われる。だから臨終は人生の最大事なのである。(略)
では、地獄に堕ちる相、あるいは成仏の相とはどのようなものかといえば(略)
地獄に堕ちる者は、死してのち遺体が黒くなるうえ、硬く、重くなり、恐ろしい形相となる。
一方、成仏する者は、臨終ののち色が白くなり、軽く、柔らかく、かつ何とも柔和な相となるのである。


宮本輝『春の夢』にも、臨終の恐ろしい形相が書かれてあります。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/s/%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E8%BC%9D

「地獄に堕ちる者は、死してのち遺体が黒くなるうえ、硬く、重くなり、恐ろしい形相となる」ということの典拠は何かと調べたら日蓮でした。

「妙法尼御前御返事」
大論に云く「臨終の時色黒き者は地獄に堕つ」等云云、守護経に云く「地獄に堕つるに十五の相・餓鬼に八種の相・畜生に五種の相」等云云、天台大師の摩訶止観に云く「身の黒色は地獄の陰に譬う」等云云、(略)先臨終の事を習うて後に他事を習うべしと思いて、一代聖教の論師・人師の書釈あらあらかんがへあつめて此を明鏡として、一切の諸人の死する時と並に臨終の後とに引き向えてみ候へばすこしもくもりなし(『大智度論』に「臨終のとき色の黒い者は地獄に堕ちる」とあり、『守護国界主陀羅尼経』には「地獄に堕ちる臨終の相に十五種の相があり、餓鬼に生ずるのに八種の相があり、畜生に生ずるのに五種の相がある」とあり、天台大師の『摩訶止観』には「身が黒色なのは地獄の闇に譬える」とある。(略)
まず臨終のことを習って、後に他のことを習おうと思い、釈尊一代の聖教と論師や人師の書や釈を考え集め、これを明鏡として、一切の人の死ぬ時と臨終の後とを引き合わせてみたところ、少しも曇りがない)

https://nichirengs.exblog.jp/23976368/

「日蓮大聖人と私」というサイトにある説明を要約します。
「臨終の時色黒き者は地獄に堕つ」の文は『大智度論』には見当たらず、出典ははっきりしない。
『摩訶止観』に「『正法念』に云わく「画師の手の五彩を画き出すが如し。黒・青・赤・黄・白・白白なり。画手は心に譬え、黒色は地獄の陰を譬え、青色は鬼を譬え、赤は畜を譬え、黄は修羅を譬え、白は人を譬え、白白は天を譬う」と」と、六道の境界を黒・青・赤・黄・白・白白でたとえている。
http://aoshiro634.blog.fc2.com/blog-entry-150.html?sp

『守護国界主陀羅尼経』は雑密経典です。
Toyoda.tvというサイトに「地獄に堕つるに十五の相」が書かれてあります。
阿闍世王が釈尊に「悪衆生は死後、地獄に堕ちると知ることができるのでしょうか。また、死後に餓鬼界や畜生界に堕ちる、あるいは人界や天界の衆生として生ずることをどうして知ることができるのでしょうか」と質問し、釈尊は臨終の相について説く。

大王よ、いずれをかまさに地獄に生ずべき十五種相と為すと名づくや。
一は自の夫妻男女眷属を惡眼もて瞻視す。
二はその両手を挙げて虚空を捫摹(悶絶のこと)す。
三は善知識の教えに隨順せず。
四は悲號啼泣嗚咽(悲しみ、大声をあげ、さけび、むせび、泣くこと)して流涙す。
五は大小便、利を知らず覚えず。
六は閉目して開かず。
七は常に頭面を覆う。
八は臥して飮噉(噉=喰らう)す。
九は身口臭穢。
十は脚膝戰掉。
十一は鼻梁欹側(欹=い そばだてる。そば立つ)
十二は眼[目*閏]動。
十三は両目變赤。
十四は面仆臥。
十五は踡身(身が縮こまる)して左脇を地につけて臥せる。
大王よ、まさに知るべし。もし臨終に十五相具する衆生、此の如く阿鼻地獄に生ずと。

餓鬼、畜生、人、天におもむく相は略しますが、黒色の相はいずれも出てきません。
http://toyoda.tv/ajaseo.jukihon.10.htm

経や論には「地獄に堕ちる者は、死してのち遺体が黒くなる」ということは説かれていないように思われます。

現在は納棺を専門とする人が死に化粧をしてくれるので、亡くなった人は生きているような穏やかな表情をしています。
しかし、昔は痛み止めがあまりなかったので、苦痛にさいなまれ、苦悶の表情で亡くなることは珍しくなかったと思います。
また、病気によっては身体が黒ずむこともあったでしょう。
今でも寝たきりの人、紙おむつの人は少なくありません。

そもそも、死んでからどこに行くか、いかに日蓮であってもわかるはずがありません。
臨終の相で死後の行く先が決まると決めつけるのはいかがなものかと思います。

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