三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

本田哲郎「釜ヶ崎と福音」4

2007年06月30日 | 

蓮如上人500回忌御遠忌テーマは「バラバラでいっしょ 差異(ちがい)をみとめる世界の発見」。
なかなかいいテーマだと思っていた。
しかし、本田哲郎神父に、
「それぞれの違いを認め合う、これだけではバラバラのままです」
と言われると、むむ、と思ってしまう。
「それぞれの色合いをもっていることを大事にしながら、やるべきことがある」
そうか、「バラバラでいっしょ」だけでは、だからどうなんだ、という話になるわけですね。

曽我量深師の「信に死し、願に生きよ」という言葉がある。
竹中智秀師は「阿弥陀の国か、天皇の国か」で、
「真宗大谷派は同朋会運動を始めたのですが、「信に死し」というところで終わってしまって、「願に生きよ」ということがなかなか展開しないという問題があります」
と指摘している。
「バラバラでいっしょ」にもその問題があると思う。
では、どう生きることが願に生きることになるのか。

本田神父は、
「大事なのは、その人たちの思いを心から尊重し、その真の望みに耳を傾けて連帯し、その願いにわたしたちがどのくらい本気で協力するかなのです」
「大事なのは、人の痛み、苦しみ、さびしさ、悔しさ、怒りをしっかり受け止め、いましんどい思いをしているその人がいちばん願っていることをいっしょに実現させることです」
と言う。
しかし、
「相手の立場に立って考えない方がいい」、「相手の立場には金輪際立てないというところから発想しなおすのです」

ではどうすればいいか。
「同じところに立てないのですから、教えてくださいっていう学ぶ姿勢を持つことです」
「ただ大事なのは、自分よりも多くの苦労をし、痛みを知っている先輩たちの方が、はるかにゆたかな感性を持っていることを認めて協力することです。そして少しずつ少しずつ、いつも何かを教えてもらおうという気持ちで関わること」
「いちばん貧しく、小さくされがちな仲間たちに対して」、「尊重し尊敬の念をもって関わりなさいといっているのです」

竹中智秀「阿弥陀の国か、天皇の国か」に、和辻哲郎のこんなエピソードが紹介されている。
和辻哲郎のお父さんがなくなり、葬式をすることになった。
その地方の風習として、葬式を出した家の者たちは会葬者が帰っていく時、土下座して礼を述べることになっている。
東京大学教授の和辻哲郎は「このようないなかの人々にどうして土下座などできようか」と思った。
しかし、やむを得ず土下座をし、会葬者の足音を聞き、わらじを見ていると、大地の心とでもいうべきものがよみがえってくる。
自分は一人で生きてきて、一人でえらくなったと思っていたが、大衆に支えられてきた。
その大衆に唾を吐きかけていた。
それが土下座をして初めてわかった。

竹中先生はこのあとに、諸仏供養についてこう言われている。
「供養諸仏ということは大衆の中に仏性を見ていくことですね。これはどこまでも礼拝していくことです。大衆を本当に礼拝し、尊敬していくことが供養諸仏です」
「手を合わせる世界の発見」ということか。

もう一つ本田神父の言葉で、むむ、と思ったこと。
「自分が楽しいからその喜びを人に分けてあげられる、というのはわたしたちがいつも犯す錯覚です」
おいしいものを食べると、人にも分けてあげたくなるじゃないですか、という話をしているのだが、ダメなのだろうか。

「ほんとうにだれかの支えが欲しいとき、助けてもらいたいとき、ただ明るい人、喜びいっぱいの人というのは何の役にもたちません。痛みを知っている人こそが、力を与えてくれるのです」
「慰める」ということの本来の意味は「痛みを共感、共有する」ことなんだそうだ。

「もし、わたしがだれかの痛みに共感しつつも、その人が苦しめられていることについて怒りをあまり感じないとしたら、わたしの共感は本物ではないということです」
「中立の立場をかなぐりすてて、今しいたげられ、苦しんでいるその人の側にしっかりと立ち、抑圧を取りのぞいて苦しみから解放すること」

で、本田神父は過激と思える発言になってくる。
「もし、自分の国が制度として弱者の切り捨てをしていたり、武力介入による他国への侵略や経済搾取をしているなら、わたしたちは距離をおいたところからそれを批判するだけではなく、それをやめさせる闘いに、具体的に参加することが大事であり、それこそが神の望まれる平和を実現させる効果的かつ唯一の方法でもあるのです」
「現代世界の貧困は、たまたま出現したというものではなく、作り出されたものです。富と権力の恩恵に浴しつづけたい人たちによる政治と経済政策によって、意図的に作り出されたものであることに気づくのです」
「わたしたちの怒りの矛先は、こういう社会や制度の責任あるリーダーたち、権力の座にいる者たちに向かうでしょう。洋の東西を問わず、アジアでもアフリカでも、富と権力の座にある者たちこそ諸悪の根源だと思えてくるものです」
うーん、世界を変えることなどできそうもありません。

竹中智秀師は、
「浄土へ往生するというのは、現実の真っ只中へ帰ってくるということ別ではない、同じことなのです」
と言っている。
現実でどう生きるかという問題になってくる。

1,自分が救われてから助ける
2,自分が救われる過程の中で助ける
たぶん、2,が正しいと思う。
となると
3,助けることが同時に自分が救われることになる
ということになってくるのではないか。

で思ったのが、江川紹子は『名張毒ぶどう酒殺人事件・6人目の犠牲者』の後書きで、取材や執筆の動機をこんなふうに書いたそうだ
「この実態を知ってしまった以上、私も逃げられない、と思った。ちょっぴり堅苦しい表現を使えば、知ってしまった者の責任というのだろうか」

「目の前でうめき声をあげている人の発見」でもある。

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本田哲郎「釜ヶ崎と福音」3

2007年06月27日 | 

普通、我々は神さまとか天国というと高いところをイメージしている。
「神さまは、あるいは神の子は、上から下にへりくだってくださっている。そしてわたしたちを救い上げてくださる」
こう考えがちである。
ところが、本田哲郎神父
「神さまは上におられる方に違いない。その神が人間の世界に下ってきたという、そこがまやかしだったのです」
「「神の子は、上から下にへりくだった方だ」という、この根本的な解釈ミスがすべてに影響を及ぼしてしまっているのです」
と言う。

親鸞にしても、越後から関東に行ったことについて、高貴な生まれである親鸞聖人がわざわざ下賤な者のためにご苦労をなさったなんてふうに思ったりもする。
が、竹中智秀先生は、
「いなかの人々が見いだせていなかったら、個人の救いに終わっていたのです」
と言われている。
決して、上から下、ではない。

イエスは「低みに生まれ、低みに立ちつづけ、低みに死んだ」、だから「天の御父もひょっとすると下からすべてを支え上げるはたらきをしておられる方ではないか」。
ということで、低みからの視点を本田神父は言われる。
「神は、いつも低みから天と地を御覧になっておられる方なのですよ。神の視点、神の視座は、天の高みにあるのではなくて、地の低いところにすえられているのです」
「ゴミとホコリが降りつもるような、低い低い、社会の低み、そこに天の御父のはたらきの場があり、そこからいつも天と地のすべてを見ておられる」

そうしてキリスト教批判。
「いつのまにかキリストの教えが宗教という枠組みをとるようになって、やたらに上から下にという権威主義的な発想にずれ込んできていたのです。持っている人が持っていない人に、強い人が弱い人に恩恵をほどこすのを良しとする風潮になっていきます」
となると、「キリスト教とは金持ちの宗教なのかという話になってしまう」
「ならば、病気で、貧しくて、年老いていたら、みんなのお荷物になるだけなのか。みんなの哀れみとほどこしの対象で終わりなのか、ということです」
そして、
「社会的に高い位置にいられる人、そこそこのところにおれるはずの人が、下に降りることをことさらほめるということは、はじめから下積みでがんばるしかない、そういう状況におかれている人たちを差別することになると気づいていないのです」
なるほど。

「イエスはわたしたちに貧しく小さくなれ、といっているのではありません」
「小さくなる競争とか、貧しさごっこは、やはり意味がないのです」
「まちがった英雄気取りの発想は、傲慢以外のなにものでもない」
そして、
「カトリックの修道者たちの責任はけっして小さくない。「清貧」の誓願を立てることによって、より神に近づいた生活を送っているかのように印象づけてきました」
本田神父はフランチェスコ会の人なのに、こういうことを平気で言えるものだなと感心した。

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本田哲郎「釜ヶ崎と福音」2

2007年06月24日 | 

本田哲郎神父はこう言う。
「わたしはそれまで、当然、信仰をもってるわたしが神さまの力を分けてあげるものだと思いこんでいた。教会でもそんなふうなことしか教えていなかった」

私たちにしても、教えは上にいる者が下の者に伝えるというふうに思いがちだし、上から下への救いを考えてしまう。
しかし、本田神父は神父でありながら「わたしには分けてあげる力なんか、なかった」と言う。
「福音の実践ということにおいて、この労働者の足元にもおよばないことを、つくづく思い知らされました。痛みを知る人たちこそ、クリスチャンであろうとなかろうと、福音を実践しているのだと確信するようになりました」

「痛みを知る人」とは小さくされた貧しい人のこと、具体的には釜ヶ崎の労働者であり、野宿者である。
800m四方の町である釜ヶ崎には、2万人から2万5千人の人が住んでいる。
大阪市内だけで野宿者は6600人いると言われており、死亡数は毎年800人くらい。
2001年には、他殺は6人、餓死が18人、凍死が19人。

「生きていく中でほんとうにつらい思いを日常的にしいられている人たちこそが人を解放する力、元気づける力を持っているのかもしれない」
「ほんとうは、あの人を通して神さまがわたしを解放してくれたのではないのか」
と本田神父は考えた。
しかし、まだ納得がいかない。
「ひょっとすると聖書の読み違いでは。それで、本気で、聖書の読み直しをはじめました。原文にこだわり、辞書を引き引き読み直してみました」

イエスや弟子たちはどういう人間だったのか。
「イエスさまはふつうに暮らせる人だった。だけど英雄的に、貧しい人たちの仲間になられた方、あ、すごいなあ」と本田神父は思っていた。
これは釈尊や親鸞についてもそう思ってしまいがちである。
彼らは家柄がよく、頭脳明晰、何でもできる人だったのだが、衆生済度のためにわざわざご苦労なさったというふうに。

ところが、イエスの母は律法に背いて妊娠するような罪人と見なされていて、私生児の父となったヨセフも同類とされた。
ヨセフは大工だが、当時大工は石切の仕事である。
日常的に石の粉を吸う作業だから、塵肺で早死にすることが多く、奴隷、寄留者、罪人あつかいされていた貧困層に割り当てられていた。
私生児のイエスは「食い意地の張った酒飲み」と言われ、底辺をはいずりまわるようにして生きてきた。

イエス誕生にお祝いにかけつけた東方の三博士(マタイ福音書)とは、異教の占い師のこと。
占い師は「ユダヤ社会では異端視され、「罪人」とみなされる人たちでした」
ルカ福音書では祝いの訪問者は羊飼いたちだが、「当時、羊飼いは賤業、卑しい罪人の職業とみなされるようになっていました」。
羊=人間を守る羊飼いというたとえのイメージとはちょっと違う。
十二人の弟子たちにしても、社会の底辺に立つ人たちである。
七人は漁師、漁師は穢れた仕事をする卑しい身分の人と見なされていた。
そして、徴税人、過激派などもいた。

復活後のイエスはどんな姿で弟子たちに現れたか。
マグダラのマリアは最初墓守だと思った。
墓守は「穢れた職業です。これは、社会的に罪人と見なされた者しか就かない仕事でした。死体に触れることは、穢れのさいたるものと考えられていました」
二人の弟子には一人の旅の男として。
夜、一人旅する人は当時「まことにうさんくさい、怪しげな印象をもたれたようです」
ペトロたちの前には野宿しているみすぼらしい男。
「当時、野宿の一人暮らしをしいられるということは、村共同体でもてあました、手に負えない人ということです」
復活したイエスはそういう姿で弟子たちの前に現われたのである。
「その時代の社会にあっていちばん小さくされた者の姿で、しかもあれほど親しかった弟子たちにも見覚えのない人として自分を現しているというのです」

つまりは、イエスや弟子たちは当時、悪人とされていた下層民、被差別者だろうと思う。
これは河田光夫が定義する悪人と似ている。
『歎異抄』第三章は悪人正機が言われているが、その悪人とは誰のことか。
河田光夫『親鸞の思想と被差別民』では悪人という語が差別的に使われている例をあげ、悪人とは差別され、虐げられている下層民、賤民のことだと説かれている。
具体的には、農民・漁夫・狩人・手工業者・商人、そして屠者や癩者、さらには女性たちである。
悪人として差別されていた被差別民とは、イエスや弟子たちがそうである。


悪人として虐げられ、差別されている人たちこそが救われる。
さらに言うと、私たちは彼らを通して救われる。
本田神父は、神は「必ず貧しく小さくされた者たち、いちばん「貧弱な」人たちをとおして、その人たちとの関わりをとおして、救いの力を与えるというのです」、「貧しく小さくされた仲間をとおして、神がまわりのすべての人にはたらきかけている」と言っている。
貧しく小さくされている人とは、卑しめられている人、軽蔑されている人、罪人とされている人のことである。
「わたしたちのまわりにいる、近くにいる、わたしたちの手助けをほんとうに必要としている、そういう人たちにイエス・キリストを見て、すすんで隣人になっていく。それこそがキリスト者ではないでしょうか」
「貧しく小さくされた人たちのいつわらざる願いを真剣に受けとめ、その願いの実現に協力を惜しまないとき、人は共に救いを得、解放していただける。それが神さまの力だということです」

本田神父は釜ヶ崎の労働者や野宿者と出会うことによって、初めて神の救いが事実だと実感したんだと思う。
この視点は河田光夫と似ている。
知識人としての親鸞、内面的自己追求の果てに阿弥陀仏の本願に出遇った親鸞が、関東に行くことによって下層民と同朋であり、悪人としての自己を見出した、という段階論は間違いだと、河田光夫は言う。
もっとも、親鸞の弟子たちの中には有力者も多かったそうだが。

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本田哲郎「釜ヶ崎と福音」1

2007年06月21日 | 

某氏に本田哲郎神父の名前を聞く。
それで、本田神父の「釜ヶ崎と福音」という本を読んで驚いた。
本田神父は42年生、ローマ教皇庁立聖書研究所を卒業し、フランシスコ会の日本管区長もつとめた人である。
聖書の翻訳、著作も多い。
それなのに、管区長を退任後は釜ヶ崎に住んで16年。
こういう人がいるとは。

本田神父は自分をよい子症候群だと言う。
「よい子というのは、裏を返すと、顔色を上手に見る子ということです。そして、まわりからよい子を期待されると意識せずによい子を演じてしまう」
「だけど、自分自身の中ではいつも、どう期待に応えようかと、自分がどこかへいなくなってしまうわけです。そんな子でした」

フランシスコ会の日本における責任者になってもよい子に変わりはなかった。
「よく思われようとしている自分からなんとか解放されたかった」
「努力しました。けれども、変わらなかった」
「宗教者が、祈りによっても、宗教のいろいろな儀式によっても、自分を変えることができなかったのです」
「福音の喜びや解放感を味わったことがなかったのです」
ここまで告白していいのかと思うぐらいすごく率直である。
じゃあ、救われたと喜べる坊さんがどれだけいるだろうかと思うと、むむむ…

社会派、教学派という言葉がある。
教えを学んで社会に目が向く、社会の中で教えが確かめられる。
ところが、往々にして社会派と教学派とを分け、社会派は劣等感の裏返しだと広言する人もいるそうだ。
本田哲郎神父はバチカンで学び、聖書の翻訳もしている人だから、教学派である。

管区長として釜ヶ崎を訪れた時、「正直いって、こわいという、そのひとことでした。ひたすらこわかった」
そして、
「よい子症候群のもう一つの特徴は線引きがうまいということです。こういうところの人たちと関わるには向き不向きがある。自分は向いていないんだ。人は、それぞれなんだ。わたしは専門の聖書学で自分の役割を果たしたらいいのだ、と。一度線を引くともう安心する。釜ヶ崎の人たちは自分とは関係ないと開きなおったのです」
しかし本田神父は、研究室に籠もって社会に目を向けない生活に戻ることなく、釜ヶ崎で労働者と共に生活することを選ぶ。
なぜなのか、ということです。

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アメリカの死刑と被害者

2007年06月18日 | 死刑

布施勇如「米国の犯罪被害者支援―新聞記者の視点から」という講演では、布施さんが留学したオクラホマシティ大学で、死刑というテーマの授業に殺人事件やテロで家族を失った人たち、3人(死刑賛成が1人、死刑反対が2人)に聞いた話が紹介されている。

死刑賛成の女性は19歳の娘さんが自宅でレイプされ、ナイフで刺され、首を絞めて殺されている。
彼女は加害者を「ゆるす」ことに成功したと言っているが、死刑に処すべきだという考えは揺らがなかった。
加害者を殺そうと考えたが、「でも実行できなかった。それは法が負う役目で、被告が有罪と認定され、社会に恐怖を与えると判断されれば、政府は死刑という方法を使うことができるのだから」。
そして、死刑の執行(薬物注射)に立ち会う。
「とても速く、何の痛みもなく終わった」ことに対し、彼女は「自分の娘、被害者に比べ、「あまりに安らかな」最期、これに非常な不快感を示しました」。
彼女は「死刑によって区切りを迎えた。心が解放された」と語っている。

死刑反対の人は、オクラホマ連邦ビル爆破事件で娘さんを亡くした男性と、7歳の孫娘が性的暴行を受けた後に刺殺された女性である。
男性は爆破事件が起きるまでは死刑反対だった。
「でも、いざ家族が殺されれば、人の心は変わるもんです」
彼は犯人のマクヴェイがなぜ犯行にいたったのか、その動機を探る。
マクヴェイは湾岸戦争に出征して心の傷を受け、政府を恨んだ、これが事件の大きな動機になっている。
彼はこう考えるにいたる。
「マクヴェイを死刑に追いやることは、娘ら168人を殺した理由と同じ、復讐と憎しみから死刑に追いやることになる。つまり、因果応報と怒りというのは、人を悪の行動に駆り立てるだけだ」
この男性は家族を失いながらも死刑に反対する家族の会の中心メンバーである。

女性のほうも、最初は「この手であの男を絞め殺してやりたい」と思った。
その後、入院をし、命について考える中で「物事には全て両面がある」ということに気づいた。
加害者(19歳)は家族から虐待を受け、高校を中退し、友だちはほとんどいなかった。
家庭環境とか教育環境は自分の意志で選んだものじゃない。
「彼に対する怒りにさいなまれて生きていくよりは、彼をゆるして、多くの人が知らない彼の内面を理解しよう」と思うようになり、加害者と文通を始めた。
この女性は殺された女の子の母方の祖母だが、父方の祖母は「当然、死刑だ」という運動を展開しているそうだ。
彼女も死刑の執行に友人として立ち会っている。
死刑の執行によって区切りがついたかとの質問に、「私はゆるしはした。だけれども、事件や悲しみを決して忘れることはできない。死刑によって区切りがつくなんて、私には想像できない」と答え、そして「受刑者が逝ってしまったら、私たちが知りたい答えを聞く機会は、永遠に奪われてしまうでしょう」と言っている。
「私たちが知りたい答え」とは「どうして私の家族が」という問いの答えである。

死刑に反対するこの二人に共通するのはキリスト教への信仰、そして加害者がどういう人間なのか、どうしてこういう犯罪を犯したかに関心を持つということだと思う。

テキサス州で死刑を執行する刑務所の近くに死刑博物館がある。
その博物館の館長さんは89人の死刑執行に立ち会っている。
布施さんが自分は死刑については中立の立場だと言うと、館長さんも「そうだよ」と言う。
そして、死刑か仮釈放なしの終身刑とどちらを選ぶかと尋ねると、「そりゃ、終身刑だよ」と答える。
「被害者の家族は死刑が執行されたら区切りを迎えることができると、あなたは考えますか」という質問への答えはこうである。
「その問題について遺族と直接話したことはない。しかし、クリスマス・プレゼントのことを考えてみるといいよ。子どもたちっていうのは非常にクリスマス・プレゼントを楽しみにしているものだけれども、いったん受け取って、二ヵ月も経ってしまえば、結局そんなにたいしたものじゃないと。喜びもさめるよね」

いろんなことを考えました、というのが講演録の読後感です。

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アメリカの死刑事情

2007年06月15日 | 死刑

ときどき

布施勇如という読売新聞の記者の「米国の犯罪被害者支援―新聞記者の視点から」という講演録をもらった。

布施さんは2002年から04年までアメリカに留学していた時に見聞したことを話されている。
まず、アメリカの死刑事情について。
死刑制度がある州は38州
死刑制度があっても、この30年間で死刑執行が1人、2人という州もある。
死刑執行数でダントツのトップはテキサス州、その中でもハリス郡が圧倒的に多い。

死刑執行は1999年をピークに年々減少している。
2003年、イリノイ州知事が167人の死刑囚の執行を取り消した。
そのきっかけは冤罪である。
1973年以降、冤罪で釈放された死刑囚は123人。
それと、知的障害者および18歳未満の少年に対する死刑は違憲だという判決が2005年に出されている。

ということで、スティーヴン・レヴィット「ヤバい経済学」によると、
「アメリカでは陪審員も死刑を嫌うようになったようだ―おそらく、近年無実の人が死刑になったり、死刑を待っている間に無実が証明されたりすることがときどきあることが原因の一つだろう。1990年代には平均で毎年290人が死刑を言い渡された。2000年代の最初の4年ではこれが174人に減少している」
「ニューヨーク控訴裁判所は死刑のそのものが違憲であるとの判決を下し、実質的に死刑をすべて中止させた」
アメリカ連邦裁判所判事のハリー・A・ブラックマンは1994年にこう述べている。
「私は、道徳的にも知的にも、死刑という実験は失敗だったと告白する義務があると思う」
アメリカですらこういう状況とは知りませんでした。

警察庁の統計によると、日本の殺人の認知件数と犯罪率は下のとおり。
       認知件数  犯罪率(10万人あたり)
平成元年  1,308     1.1
  2年    1,238        1.0
  3年     1,215        1.0
  4年     1,227        1.0
  5年     1,233        1.0
  6年     1,279        1.0
  7年     1,281        1.0
  8年     1,218        1.0
  9年     1,282        1.0
  10年    1,388        1.1
  11年    1,265        1.0
  12年    1,391        1.1
  13年    1,340        1.1
  14年    1,396        1.1
  15年    1,452        1.1
  16年    1,419        1.1

殺人は増えていないし、世界的に見ても少ない。
アメリカはやはり多い
だけど、人を殺したのなら自分の命を持って償うのが当然だという意見がある。
殺人件数には殺人未遂も含まれるので、仮に年に6~700件の殺人事件があるとして、すべてを死刑にしていたら、アメリカすら軽く抜いて死刑大国になってしまう。

2006年のアメリカの世論調査によると、
  死刑賛成 67% 死刑反対 28%
ところが、仮釈放なしの終身刑という制度があった場合はどちらを支持するかというと、
  死刑 50% 終身刑 46%

日本で同じアンケートをしたらどういう結果が出るだろうか。

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スティーヴン・レヴィット「ヤバい経済学」3

2007年06月12日 | 

アメリカという国、やたらと犯罪が多くて怖いとこだと思っていた。
ところが、1990年代の初めに犯罪発生率が下がり始め、40年前の水準に戻るまでその傾向は止まらなかったそうだ。

なぜか犯罪が減ったのか。
投獄率の高さ、警官の増員は犯罪の減少に効果があった。
しかし、死刑や割れ窓理論といった取り締まり戦略は効果がない。
好景気や人口の高齢化が減少の原因ではない。

では、一番の原因はというと、中絶の合法化であるとスティーヴン・レヴィットは言う。
1973年に中絶は全国的に合法になり、望まれないで生まれる子供が減った。
こういう子供たちは家庭環境などが悪いから、生まれていれば普通より罪を犯す可能性の高い。
「生まれてこなかった子供たちが犯罪予備軍になっていたはず」であり、「犯罪予備軍が劇的に減少した」から犯罪が激減した、ということである。
若い男の子たちが一番犯罪者になりやすい年代になるころは10代後半である。
1973+17は1990、実際にそのころから犯罪発生率が下がり始めている。
オーストラリアとカナダを調査してみても、中絶合法化と犯罪に同じような関係があった。

そういうことをレヴィットは言っている。
もっとも某先生の話だと、犯罪が減少したのは中絶の合法化のためだということは、犯罪学者の間では以前からささやかれていたんだそうだ。
しかし、そんなことは怖くて論文にはできなかった。
レヴィットは畑違いの経済学者だからあっさり発表してしまい、物議を醸してしまった。

某先生によると、日本でも中絶合法化と犯罪の減少とは関係がある。
昭和23年に優生保護法が実施されて中絶が認められるようになった。
日本では昭和30年代から犯罪が減少しているが、犯罪のピークが15歳だからである。
しかし、これは優生学を肯定しかねないので、たしかにヤバい。

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スティーヴン・レヴィット「ヤバい経済学」2

2007年06月09日 | 

ときどき

「専門家はマスコミが必要だし、マスコミも同じぐらい専門家が必要だ。新聞の紙面やテレビのニュースは毎日埋めなければならないわけで、人騒がせなことをしたり顔で喋れる専門家はいつでも大歓迎だ。マスコミと専門家が手に手を取って、ほとんどの通念をでっち上げている」

スティーヴン・レヴィット「ヤバい経済学」のこの文章を読んで、事件や裁判があると必ずと言っていいほど新聞の「識者談話」に登場する元検事の某教授(厳罰を主張するあの方です)を思い浮かべた。
健康番組に出てくる大学教授たちもそうだし、この本ではホームレス擁護派、女性の権利推進派、政治アドバイザー、そして警察が「専門家」としてあげられている。

「凶悪殺人鬼。イラクの大量破壊兵器。BSE。幼児の突然死。専門家はまずそういう怖い話で私たちを震え上がらせる。そうしておいてアドバイスをするから、とても聞かずにはいられない。誰がそんな怖い話を売り歩く専門家に弱いといって、親ほど弱い人たちはいない」

たとえば、養子に出された赤ん坊の研究によると、子供の個性と育ての親の個性はほとんど関係がない。
だから、「親が何をするか」は子供の学校の成績と相関しておらず、「親がどんな人か」ということが問題なんだそうだ。
寝る前に子供に本を読んでやるのは前者であるから、子供に本を読んでやることと本好きになるかとは関係がない。
家に本がたくさんあるのは後者というわけである。
つまりは、親が子供の将来のためにと思ってあれこれ何かしたからといって、子供のためにはほとんど関係ないということです。
私も張り切っていろいろしたものだが、意味がなかったのか、とほほ。

というように、知るということは大切なことだと思う。
子供のころ、夜中に便所に一人で行くのは怖かった。
大人になっても怖いという人はいないだろう。
病気についてもそうで、今は医者がかなり説明するようになったし、我々もいろんな知識を持っているから、ガンを宣告されたからといって、以前のようにおびえることは少なくなった。
知ることによって不安や怖れはなくならないまでも、少しは楽になる。
あるいは、詐欺の手口を知れば、だまされにくくなるという利益がある。
何か事件が起きると、多くの人は治安が悪くなっていると不安に思い、厳刑を求めてしまうが、実は犯罪はそれほど多くはなく、治安は良好だと知れば、ヒステリックも少しはおさまるのではないだろうか。

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スティーヴン・レヴィット「ヤバい経済学」1

2007年06月06日 | 

次男が某大学の経済学部に入学した。
経済学なんてどこが面白いのかと不思議だったが、スティーヴン・レヴィット「ヤバい経済学」を読んで、なるほど、これならと思った。

「みんなが本当に気にしていることを疑問として立て、みんなが驚くような答えを見つけることができれば ― つまり、通念をひっくり返すことができれば ― いいことがあるかもしれない」
たとえば、クラックの売人はどうしてママと一緒に住んでいるのか、という疑問。
街角に立っている売人の時給は3.3ドル、最低賃金より低い。
食べていけないので、親と同居せざるを得ないというわけである。
しかも、調査した四年間で4人に1人は殺される。
このことを知ったら売人になろうという人は少しは減るかもしれない、とは私の感想。

「ヤバい経済学」のご利益は他にもある。
アメリカでは白人と黒人の名前はかなり違っているそうで、子供の名前トップ20を比べると、重複する名前はない。
しかも、親の教育水準や所得によっても子供の名前が違っている。
「彼の名前は彼の行く末を決めるものではなく、映すものだ」

エイミー、ダニエル、エリカ、ジェニファー、ジェシカ、メリッサ、レイチェル、レベッカ、サラ、ステイシー、ステファニー、トレイシーなどはもともとはユダヤ人の名前なんだそうで、それが1960年以降、非ユダヤ系にも広まったということである。
こういう知識はどういうご利益があるかというと、ブログに書く材料になる。
経済学にはこんなご利益があるということを知りました。

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またも弁護士バッシング

2007年06月03日 | 厳罰化

「週刊新潮」6月7日号に「光市裁判に集結した「政治運動屋」21人の「弁護士資格」を剥奪せよ」という記事が載っている。
主張に賛成できないからといって、依頼人のために最善と尽くそうとする弁護士たちをどうして非難するのか、懲戒処分にして、資格を剥奪すべきだと言うのか、私にはわからない。

弁護士のほとんどは民事専門なんだそうで、刑事事件を担当する弁護士は少ないらしい
まして凶悪事件を引き受けようとする弁護士は極めて少数。
こんなふうにマスコミが一斉にバッシングしたのでは、刑事事件を断る弁護士が増えるのではないだろうか。
弁護団バッシングすることは、結局のところ自分自身が裁判を受ける権利を手放すことになりかねないのに、なぜそんなことをするのだろうか。

「週刊新潮」にこんなことが書かれている。
「彼ら〝政治運動屋〟たちに共通するのが、犯罪被害者に対して、恐ろしいまでに〝他人事〟であることだ。しかし、自分の家族が無残に殺され、加害者がこんな荒唐無稽な主張をしたとき、この弁護士たちは本当に納得できるのだろうか」

荒唐無稽かどうかは「週刊新潮」が判断することではない.
もし弁護団の意見が荒唐無稽なら、一番困るのは被告である。
また、自分の家族が殺された時にどう思うかということと、依頼人の利益のために弁護することは別問題である。
「週刊新潮」(にかぎらないが)はどうして人権を嫌うのか不思議である。
他人事だと考えているのは「週刊新潮」のほうだと思う。

コメント (20)
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