三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

ネトウヨとポピュリズム

2022年07月25日 | 日記

石戸諭『ルポ百田尚樹現象』を読むと、百田尚樹さんはポピュリストだと思われます。
ポピュリズムとは何か。
ネットで調べました。

ウィキペディア

ポピュリズムとは、有権者を「エリート」と「大衆」に分けた上で、2つを対立する集団と位置づけ、「大衆」の権利こそ尊重されるべきだと主張する政治思想をいう。日本では、「大衆迎合」「衆愚政治」「扇動政治」「反知性主義」などの意味で使われることが多い。


知恵蔵

政治に関して理性的に判断する知的な市民よりも、情緒や感情によって態度を決める大衆を重視し、その支持を求める手法あるいはそうした大衆の基盤に立つ運動をポピュリズムと呼ぶ。


ポピュリズムの特徴を思いつきで並べてみます。

「あなたの気持ちを代弁します」
わかりやすい敵を作って攻撃する。
リベラル、知識人、エリート、公務員、中国や韓国、移民、朝日新聞、戦後教育、フェミニズムなど。

対立軸を作る。
知識人と大衆、専門家と素人、エリートと庶民、保守とリベラルなど。

単純化して二者択一を迫る。
敵か味方か、好きか嫌いか、損か得か、愛国か反日か、改憲に賛成か反対かなど。
韓国人も日本人もいろんな人がいるし、ある面ではいい人でも別の面ではちょっとなあということもあるのに、単純に決めつける。

受けるかどうかが一番。
人気のあれば正しいと考える。
断言する。
感情に訴える。

嘘でもなんでも面白ければいい。
根拠が不明だったり、嘘だとしても、自信たっぷりな態度を崩さない。
間違いを指摘されても認めない。
反論はごまかすか無視する。
つじつまの合わないことや矛盾があっても気にしない。
首尾一貫する必要を感じないから主張がころころ変わる。

難しいことは言わない。
難しいことを言って煙に巻く。
専門家を嫌う。
難しい理屈は理解できないから。
知識人や専門家を嫌う。
自分の知らないことを知っているから。
エリートを嫌う。
いい暮らしをしているから。
もっとも、ポピュリズム政治家はエリートの出身や高学歴、高収入の人が多いですが。

渋谷敦志『まなざしが出会う場所へ』に、トランプ前大統領について書かれています。
2017年、スーダンのダルフールで、テレビを見てると、大統領に就任したばかりのトランプが「イスラムを排除する」と言っているのを聞いた。
すべての難民の受け入れを一時停止するほか、アフリカと中東の特定7か国の市民のアメリカ入国を禁止するという。

まるでイスラム教徒のせいで、テロや暴力が広がっているかのように印象を操作している。(略)
そもそも中東諸国、とくにアフガニスタンやイラクで多くの難民を生み出す原因を直接間接につくり、世界の大混乱を引き起こしている当事者はどこのだれなのか。

大統領自らが憎悪を撒き散らした。
「メキシコ国境に壁をつくる」「移民を追い出す」などと言って、移民への排斥感情を煽って人気取りした。

「アメリカ・ファースト」について渋谷敦志さんはこう書いています。

自国さえよければいい。自国を絶対視する姿勢を、まがりなりにも世界一の大国のリーダーが、ここまであからさまにして許されるものなのかとショックを受けるとともに、とてつもない徒労感にとらわれる。強者の論理がこれほど堂々とまかり通ってしまったら、現代社会における差別的で暴力的な空気の広がりに歯止めがかからなくなってしまうのではないか。


ポピュリズムは万人に向けて自分の考えを訴えていくのではありません。
自分の考えを受け入れる人だけを相手にします。

人はそれぞれ考えが違います。
100人の人に訴えるためには100人に届くように伝えなければいけない。
ところが、トランプは100人に理解してもらおうとは思っていない。
3割の支持者がいれば当選するから、100人全員ではなく、30人に向かって訴える。
自分に反対する30人の意見は無視し、攻撃し、バカにし、笑い物にする。
過激なことを言うと、支持する人はより支持する。
事実かどうかは関係ない。
聴いている人が真実を言ってると納得しさえすればいい。
こうして支持者と非支持者とがはっきり分かれる。

1933年11月、ヒトラーが首相になる直前の選挙ではナチ党の得票率は33.1%です。
それから1年4か月後には独裁政権ができてしまいました。

日本の政治家もそういう傾向があるように思います。
首相が極右雑誌で対談し、右派のネットニュースに出演してインタビューに答える。
自分と考えの合う人のところでしか自分の意見を述べない。
だから、国会を軽視して開会しないし、記者会見ではろくに答えな。
閣議決定で物事を決める。

岸田文雄首相は「この秋に『国葬儀』の形式で安倍元首相の葬儀を行う。わが国は暴力に屈せず、民主主義を断固守り抜くという決意を示す」と言っています。
税金で国葬を行うのに、国会に諮ることなく首相の一存で決まってしまうのは民主主義の危機だと思いますが。

倉橋耕平「ネット右翼と参加型文化」(『ネット右翼とは何か』)によると、ネット右翼の数自体はあまり多くなくて、ネット利用者の2%弱(2019年)だそうです。
少数者の極端な考え方が世の中を動かすとしたら恐ろしいことです。

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石戸諭『ルポ百田尚樹現象』

2022年07月19日 | 

百田尚樹さんと有本香さんの対談です。(動画が編集されているので、この順で話しているかはわかりません)

百田「先祖伝来の日本刀を抜くときがきたなと思ってね。切り込み隊長として真っ先に斬りに行くで。腹立つ。もうね、戦争をしたい。真っ先に斬りに行く。韓国とは国交断絶すべきやね。嘘つきが身体に染みついているよね。根性がひん曲がってる。この国家を形成する人間もみなおかしい。これはヘイトだろうと何といわれようと僕ははっきり言う。韓国人はおかしい」
有本「ヘイトとかなんとかじゃないですよ。おかしいですよ」
百田尚樹「おかしい。誇りはないし、恥はないし、人間のクズやね。だからね、韓国は最低や、韓国人でもいい人はいますよと。いい人なんておるかいな、絶対」
有本「いい人がいたって関係ないんですよ。国としてああいうことになるだったらそういう評価できると思うんですよ」
百田「いい人なんていないと思うよ。いい人に見えたら絶対嘘や」

https://video.twimg.com/ext_tw_video/1507735974880907272/pu/vid/480x270/_0BD8XqI7kqCgta1.mp4

1994年、ルワンダでフツ族過激派が多数のツチ族とフツ族穏健派を虐殺しました。
ラジオ局は「ゴキブリを殺せ」と虐殺を煽りました。
百田尚樹さんは「韓国人はおかしい」「人間のクズ」「斬りに行く」と言っています。
ルワンダのラジオ局とどう違うのかと思います。
安倍晋三元首相がこういう人と首相在任中に会食や対談を何度もしていたのはどう考えてもおかしい。

石戸諭『ルポ百田尚樹現象』で、百田尚樹さんのサイン会に来た人たちに聞いています。

男性(30代)「百田さんは物事をズバッと言い切っているところを尊敬していますね」
女性(60代)「ただの大阪のおっちゃんみたいに喋っていて、飾り気がない。すべて本心で語っている」
税理士の女性(48歳)「日本人の偉大さを思い出させてくれた小説家」


石戸諭さんは税理士の女性についてこのように書いています。

彼女には在日韓国人の友人もいる。百田がツイッターで「韓国という国はクズ中のクズです! もちろん国民も!」などのつぶやきに同意しているが、こうしたツイートが在日韓国、朝鮮人に対する「ヘイト」に満ちたものだ、という批判があることも知っている。だからこそ、友人たちとは政治の話はしない。

韓国人はクズだと思っている人に韓国人の友人がいるというのも不思議です。

『虎ノ門ニュース』を制作するDHCテレビジョン社長である山田晃さん。

リベラルはおもろないねぇ。変に真面目やし。その点、百田さんはものすごく面白い。


百田尚樹さんが人気ある理由はこの4点のようです。
①「物事をズバッと言い切っている」
②「本心で語っている」
③「日本人の偉大さを思い出させてくれた」
④「面白い」

①「物事をズバッと言い切っている」
フィリップ・E・テトロック、ダン・ガードナー『超予測力』に、KISSの法則について説明されています。
KISSとは「簡単に言えよ。このバカ(keep it simple,stupid)」という意味。

・ハリネズミ型
シンプルで隙のない明快なストーリーを語るので、聴衆は引き込まれる。
何かが絶対に起こる、あるいは起こらないと断定する。
単純明快さと自信は聞き手に安心感を与える。

・キツネ型
何が確実か、あるいは不可能かを言うことを避け、「かもしれない」といった表現を選ぶ。
一つの問題をさまざまな視点から見るので、その説明は「しかし」「一方」という言葉が多く、複雑になる。

たとえば、科学者は疑似科学を頭から否定することはしません。
正しい可能性がゼロではないからです。
しかし私たちは、理屈っぽくてまわりくどい説明や曖昧な答えを聞いてもすっきりしないので、こうなんだと断定してほしく思います。

②「本心で語っている」
百田尚樹さんのサイン会の客は、自分たち普通の人の代弁者だと思っているそうです。

ツイッターなら原稿料をもらっていませんから、自分の好きなことが言えます。以前から政治について書きたかったというわけではないんです。


百田尚樹さんはみんなが思ってても口にしない本音、あるいはもやもやとしてるがはっきり言葉にできないことを大胆に発言します。
「そうそう、自分もそれを言いたかったんだ」と思うわけです。
有名人が断定しているから正しいと思えます。
しかし、差別意識と優越感を刺激し、肯定しているにすぎません。

③「日本人の偉大さを思い出させてくれた」
物江潤『ネトウヨとパヨク』による「ネトウヨ」の定義は「過剰に日本のことを高く評価し、中国や韓国への強い敵意や差別心を持つ傾向が強い人たち」です。

早川タダノリ『「日本スゴイ」のディストピア』は戦前の日本礼賛本を紹介した本です。

2005年に第一次安倍内閣が発足し、「美しい国・日本」を政策的シンボルとするようになり、官民あげて「クール・ジャパン」などとうわ言を繰り返すようになったころから、明らかに風向きが変わった。端的に表現すれば、これまでは「日本はこんなにスゴイものがある」だったアプローチが、「こんなスゴイものがある日本はスゴイ」という語り口へと変化したのである。個々のすごい事物が、自国の、あるいは自民族の優越性を喚起するネタとして位置づけられ始めたのだ。(それを準備したのが、1998年に大ヒットした藤岡信勝・自由主義史観研究会『教科書が教えない歴史』を筆頭とする、歴史修正主義の台頭だったと私はみている)(略)
べつに自分がスゴイわけでも何でもないのに、なぜか自分が褒められているかのように感覚してしまう「日本スゴイ」現象―それはハッキリ言って「大きな勘違い」で、視聴者自身は全然スゴくないままなのだ―その快感のなかで、みすぼらしい自分の現実の姿を忘れ、〈日本人としての誇り〉とか〈皇国民としての使命〉といった大義を担う存在へと動員されていくところに、大きな陥穽があるのではないだろうか。

お世辞だとわかってても、ほめられてうれしくない人はいません。

④「面白い」
たしかに百田尚樹さんは話術が巧みです。
有本香三との対談でも、ニヤニヤしながら聞いてしまう魅力があります。
どうした受けるのか、感覚的に知っているのでしょう。

トランプ前大統領や橋下徹さんもこの4つの要素があると思います。
ただし、それはポピュリズムの魅力でもあるので、怖くもあります。

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スティーヴン・キング『11/22/63』

2022年07月10日 | 

イギリスの小説にはシェイクスピアや聖書など古典からの引用が多いものがあります。
ドロシー・L・セイヤーズ『誰の死体?』だとこんな感じ。
(ディケンズ『ドンビーと息子』より)
(コールリッジ『クブラ汗』より)
割注なので字が小さいから読むのが面倒です。
それにしても、1930年代、40年代の推理小説の読者は注がなくても、出典が何かわかったのでしょうか。

どの作品から引用されているが興味がなければ、注を読む必要はありません。
しかし、人名や地名、商品名、料理の名などは意味がわからないのでは、何のことか意味不明ですから、注があったほうがいい。
ヘンティ(英十九世紀の少年小説家)
バス(ビールの銘柄)
サルミ(肉を焼いて煮込むシチュー)
熊(株の弱気配)

『誰の死体?』は1923年の出版。
そのころのイギリス人なら注は不要でしょうが、現代の日本人は注がないとさっぱりです。
しかし、注を読んでいると、読書の流れが断ち切られます。
かといって、注がないと何のことかわからない。
でも、注を読むのも面倒。

スティーヴン・キング『11/22/63』は過去改変ものです。
キングですからすらすら読めますが、意味がわからないカタカナ語がやたら多い。
スマホで調べればいいけど、一気に読みたいし。

言葉は知っているが、意味はなんとなくしかわからないもの。
ダイナー、シンク、アウトレット、アウターウエア、ステンシル文字、バナナスプリット、コンバーチブル、メーソン‐ディクソン線

文脈で想像がつくもの。
シーリングファン、ベビーステップ、ヘッドチーフ、ハットバンド、ポートホール

私には意味不明なもの。
ドラムメジャー、カウンタートップ、ポケットプロテクター、プードルスカート、スナックテーブル、クランプ、ザプルーダー・フィルム
ネットで調べても出てこないものもあります。

ファッションや音楽は私にはさっぱりです。
ボビー・ソックス、チュニック、ステッチ模様、ローライズパンツ

なぜ日本語でないのかと思うもの。
ホットフラッシュ(ほてり)、ペーパーウェイト(重し、文鎮)、スマート爆弾(誘導爆弾)、タイクリップ(ネクタイピン)、クレヨーラ(クレヨン)

すべてがカタカナ語のままというわけではありません。
日本人にわかるように訳し変えているもの、説明を文に織り込んだものもあります。
「アルコール依存症者向けの断酒会」
これはAAをこのように訳したのでしょう。
「政治的な正しさ」はポリティカル・コレクトネスの訳かもしれません。
「ギリシア古典劇で声をそろえて科白を言ったり歌ったりするグループ」の原文はコロスだと思います。
「黒人を公然と差別するジム・クロウ法」はジム・クロウ法の解説を加えた訳でしょう。
「宗教団体の機関誌〈ものみの塔〉」も同じ。

「イン・ザ・ムード」をリンディホップで主人公と恋人が踊ります。
でも、どんなダンスわからない。
ネットで調べました。



「プロペラさながらに身をまわしながら倒れていった」
「体をわが両足のあいだから一気に押し出した」
などの描写があるので、2人はもっとすばやい動きで激しく踊ったのでしょう。


映画化されたらどんなふうに踊ったかわかるのですが。


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法然と三昧発得(2)

2022年07月03日 | 仏教

玉城康四郎『冥想と経験』を読んでたら、法然は三昧発得を否定しているとありました。
『諸人伝説の詞』(『和語灯録』所収)

乗願上人のいはく、ある人問ていはく、色相観は観経の説也。たとひ称名の行人なりといふとも、これを観ずべく候か、いかん。上人の答ての給はく、源空もはじめはさるいたづら事をしたりき。いまはしからず、但信の称名也と。(然阿良忠『決答授手印疑問鈔』より)

https://www.arigatozen.com/interview_a04.php

現代語訳

乗願上人がいう。「ある人が問うていう。『仏の外に現れて見られる姿形を観想するのは、『観経』に説かれていることですが、たとい阿弥陀のみ名を一心にとなえている人であっても、これは観想すべきものでしょうか。いかがでしょう』
上人が答えていわれる。『源空もはじめはそのようなむだなことをしました。いまはそうではありません。ただ信じて阿弥陀の名号をとなえているだけです』と」(『日本の名著』5)

法然は初めは三昧発得を得ようと「いたづら事」をしたと反省しています。
「いたづら事」とは、無意味なこと、くだらないこと、 無用なこと、役に立たないことという意味です。

『つねに仰せられける御詞』(『法然上人絵伝』所収)

又云、「近来の行人観法をなす事なかれ。仏像を観ずとも、運慶・康慶がつくりたる仏ほどだにも、観じあらはすべからず。極楽の荘厳を観ずとも、桜・梅・桃・李の華菓ほども、観じあらはさん事かたかるべし。


『現代語訳 法然上人行状絵図』

近ごろの行者は、心に対象を顕現させる観想の行をしてはならない。仏の姿を観想しても、運慶や康慶が造った立派な仏像ほどさえも、心に観じ現すことは出来ない。極楽の荘厳を観想しても、桜や梅、桃や李の花や果実の美しさほどにも、観じ現すことは難しいであろう。

観想をするな、すぐれた仏像や、自然の木や花には及ばないと、法然は諫めています。

仏の三十二相を観想する方法を善導は『観念法門』で説いています。
一部ご紹介します。

先づ仏の頂上の螺髻よりこれを観ぜよ。頭皮は金色をなし、髪は紺青色をなす。一髪一螺巻きて頭上にあり。頭骨は雪色をなして内外明徹す。脳は玻瓈色のごとし。次に脳に十四の脈あり、一々の脈に十四道の光あり、髪根の孔よりほかに出でて髪螺を繞ること七匝して、還りて毛端の孔のなかより入ると想へ。次に前の光二の眉の毛根の孔のなかより出でてほかに向かふと想へ。


現代語訳

そこで心眼をもってまず仏の頂上の螺髻よりこれを観ぜよ。 頭皮は金色で、 髪は紺青色をしており、 すべての髪の毛はうず巻いて頭上にあり、 頭骨は雪の色をして内外にすきとおり、 脳は玻璃のような色をしている。 次には脳に十四の脈があり、 その一々の脈に十四本の光があり、 それが髪の根元の孔より外へ出て髪螺を七たびめぐり、 また毛端の孔から入ると想え。 次に、 前の光が二つの眉の毛根の孔より出て外に放たれると想え。

http://www.yamadera.info/seiten/d/kannenmon_j.htm
たしかに仏を観想するよりも運慶や康慶の仏像を見たほうがよさそうです。

法然が観想を否定したのはいつなのでしょうか。
『三昧発得記』は1198年から1206年までの体験が記されています。
法然が流罪になったのが1207年、死亡したのは1212年です。
しかし、曽根宣雄「法然浄土教と三昧発得」を読むと、観想を否定しているわけではないようです。

『選択本願念佛集』は三昧発得の体験を踏まえた上での書物である。
三昧発得は具体的かつ個別的な宗教体験である。
本願行である称名念仏が重要であって、三昧発得は浄土往生の条件でもなく、求めるべきものでもない。
法然浄土教の中で称名念仏行による有相見仏の三昧発得は大切な意味をもっている。
・有相見仏により阿弥陀仏及び浄土の実在を実体験し、有相の阿弥陀仏及び有相の浄土に対する確証を得たこと。
・自ら三昧発得したことが善導の追体験であり、善導教学の真髄に触れたこと。
『選択本願念仏集』に、「偏依善導」の理由を述べて、「善導和尚はこれ三昧発得の人なり」と記している。
法然にとっての口称念仏による三昧発得は、単に善導の追体験を意味するものでなく、善導教学の正しさを具体的に証明するものであった。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/bukkyobunka1992/1998/7/1998_7_53/_pdf/-char/ja

法然が観想を「いたづら事」だと言ってても、三昧発得は大切にしていたということでしょうか。
何万回も称名念仏することによって神秘体験をし、そのことで念仏往生を確信したのだとしたら、これは阿弥陀仏の本願を疑うことになる気がします。

オウム真理教の信者たちは、教えのとおり修行したら、教えのとおりの神秘体験をしたので、教えが正しいと信じました。
法然は三昧発得が幻覚なのか、それとも真実の仏を観たのか、どうやって判断したのでしょうか。
親鸞は「建久九年正月一日記」を書写しながら、どのように思ったのか知りたいです。

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