三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

小山聡子『親鸞の信仰と呪術 病気治療と臨終行儀』(2)

2017年06月22日 | 仏教

小山聡子『親鸞の信仰と呪術』の続きです。

・親鸞
① 呪術による病気治療
親鸞は、末法の世における自力による極楽往生は否定したものの、天台宗の呪術信仰を全面的に否定してもいない。
まして、天台宗教団に対して敵対的な姿勢や排他的姿勢などとってはいない。
したがって、その信仰を天台宗の信仰と完全に異質なものであると理解することには無理がある。
親鸞は、呪術をはじめとする自力の行の効果を真っ向から否定できる社会には生きていなかった。

『恵信尼文書』に、親鸞が衆生利益のために浄土三部経の千部読誦しようとしたことが書いてある。
親鸞が経典読誦による衆生利益の効果については否定していない。
あくまでも呪術による救済の限界を指摘しているのであり、呪術の効果そのものについては否定していなかった。

つまり、親鸞の信仰を、天台宗の信仰とは全く異質なものであると見なすことは正しくないことになる。
親鸞は、比叡山での20年間の習慣(経典読誦による病気治療、自力の念仏)を完全に捨て去ることはできなかった。
習慣として、呪術による病気治療が身についてしまっていたのである。

② 臨終行義
親鸞は、信心が定まった時に往生することも定まると主張している。
極楽往生のために臨終を待つことと来迎により往生することは、自力の行者にあてはまることだと説いている。
ところが、曇鸞と法然に臨終来迎があったことを和讃に書いている。

六十有七ときいたり  浄土の往生とげたまう そのとき霊瑞不思議にて  一切道俗帰敬しき(曇鸞は67歳で死亡したが、そのとき不思議な霊瑞があったので、僧侶も俗人もすべて教えに帰した)

「霊瑞」の左注に

れいすい(霊瑞)とはやうやう(様々)のめてたきことのけん(現)し ほとけ(仏)もみ(見)えなむとしたまうほとのことなり

と書かれている。
すなわち、「霊瑞」とは、来迎を指す。
親鸞は、曇鸞の臨終には来迎があったとする和讃を詠じたのである。

本師源空のおわりには  光明紫雲のごとくなり  音楽哀婉雅亮にて 異香みぎりに暎芳す(法然の臨終には、紫雲が覆うように光明があり、来迎の音楽が聞こえ、芳しい香気がただよった)

法然の臨終時に来迎があったという和讃を作っている。
源空和讃には生まれ変わりが書かれてあり、どういうことかと思います。

親鸞は、法然の教えと自身の教えが異なるとは考えていなかった。
当然のことながら、平生念仏を行う者の臨終時には必ず来迎があり、それにより正念となって極楽往生できるとする法然の教えを、親鸞は熟知していた。
親鸞は、臨終時の来迎という奇瑞を全面的に否定したのではないと考えられる。

そもそも親鸞は、他力の行者の臨終時には来迎がないとは述べていない。
他力の信心を得た者が来迎を期待することは無意味なことだ、と主張したのである。

東国の門弟たちから多くの異義がでたのは、門弟たちの理解不足だけでなく、親鸞には病気治療や臨終来迎などに論理の揺れがあったこと、教えが難解だったということもある。

・恵信尼
『恵信尼文書』によると、晩年、恵信尼は非常に困窮した生活を送っていたにもかかわらず、五重の石塔を建立しようとした。
恵信尼は、もし生前に石塔を建立することができなければ、子どもに建ててもらいたいという希望を持っていた。
これは追善供養のためである。
石塔の建立を切望する姿からは、恵信尼が自らの極楽往生を確信することができていなかったことをうかがえる。

自身の往生極楽に不安を抱いていたので、自分の後世、すなわち極楽往生を確実なものにしようとした恵信尼は、死装束についても気に掛けていた。
確実に来迎を得るためには、穢れた衣や着古した衣は適切ではなく、念入りに洗った浄衣や新調の晴れ着、もしくは極楽往生したと推定される人物の衣を身につけなくてはいけないと考えられていたので、恵信尼は阿弥陀仏の来迎を得ることができるよう死装束を用意していた。

もし、恵信尼が他力の信心を重要視し、他力の信心を得た者は正定聚の位にあると考えていたのであれば、五重の石塔や死装束について気に掛けることは全くなかったはずである。


恵信尼は親鸞と同一の信仰を持ってはいなかった。
恵信尼の念仏は、親鸞の念仏よりもむしろ法然のそれに近いといえる。

・覚如、存覚
本願寺を建立した覚如は如信の追善供養をしているし、妻や子供の存覚夫妻とともに四天王寺、住吉社に「密々」に参詣をしている。
たとえ彼らの著作物の中で他力の信心の重要性が強調されていても、実際の信仰が他力の信心を重んじるものであったとは必ずしもいえない。

思ったのが五木寛之氏のことで、親鸞についての著書はもっともなことが書かれていますが、他の著書を読むと、なんだ、これは、というものもあります。http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/d5b236b2bb76f0103f76cdd20bafcbf8
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/09f225265a27e1d7ec9721712ed4d07e覚如や存覚も教えと自分の生活とに矛盾があることを気にかけていなかったのかもしれません。

呪術による病気治療を否定した法然や親鸞でさえも、呪術を用いて病気治療を行なっていた。また、臨終行儀は不要であるとした法然が、自身の臨終時には円仁の九条の袈裟をかけ、臨終のあり方にこだわりを持っていた。法然の門弟や親鸞の家族、子孫らにも、呪術による病気治療や臨終行儀を重んじていた形跡を認めることができる。

中世という時代は、呪術による利益を得ることが一般的であり、宗教にはそれこそが求められたのだから、そのような信仰を完全に排除することは無理である。
自力信仰と完全には決別しなかったからこそ、親鸞の教えは継承され、教団の拡大が実現したのである。

現代の感覚で親鸞像を作り上げるのは間違いだと思いました。
小山聰子氏の意見についてはどういう批判がされているのでしょうか。
小谷信千代師の親鸞の往生論についてはきちんとした反論はないと聞きますが。

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小山聡子『親鸞の信仰と呪術 病気治療と臨終行儀』(1)

2017年06月18日 | 仏教

親鸞は呪術を否定しており、呪術とは関係ないと想ってたので、小山聡子『親鸞の信仰と呪術 病気治療と臨終行儀』は題名に興味をそそられ。『浄土真宗とは何か』と合わせて読みました。
親鸞やその家族、子孫の信仰と呪術信仰との関連、特に病気治療や臨終のあり方を中心に書かれた本です。

平安時代中期から鎌倉時代は、呪術への信仰が盛んな時代で、呪術は生活と密接に結びついていた。
親鸞が生きた時代には、経典読誦や念仏は呪術であり、それによって現世利益を期待し、さらには極楽往生できると考えることが当たり前であった。
ここでいう呪術とは、仏菩薩や神に由来する超自然的な力をもとに、求める現象を引き起こそうとする行為である。

物気(もののけ)をはじめとする不可視のものが跳梁し、病気の多くが物気や呪詛、神罰などによるものであると信じられていた。
物気とは、死者の霊であることが多い。
また、臨終のあり方によって極楽往生の可否が決まると信じられ、臨終の念仏が重視されていた。

・呪術による病気治療
貴族社会では、僧侶、医師、陰陽師によって病気治療が行われていた。
病人が出ると、まず陰陽師が呼ばれ、その原因を占う。
そして、原因が何かにより、僧侶、医師、陰陽師のうちからふさわしい者が病気治療にあたることになる。
原因が物気である場合には、主に僧侶が調伏を行い、神や呪詛である場合には主に陰陽師が祭や祓(はらえ)を行い、食中毒や風邪の場合には主に医師が投薬などによる治療にあたった。
投薬は、しばしば薬に加持を加えた上で行われていた。

僧侶は、病気治療の時に護摩を焚いて加持をし、物気を憑座(よりまし)に憑け、調伏する。
物気は憑座の口を借り、病気をもたらした理由などを話す。
その後、僧侶は物気を遠方に放つことにより、病気が完全に平癒する。

なぜ憑座は物気の言葉を語ることができたか。
なぜ病人や周囲にいる者たちは物気の声を聞くことができたか。
それは、護摩修法の時に、芥子や麻、附子などの毒物が供物として投じられたからである。
毒物の中には、麻や罌粟など、陶酔作用をもたらすものも含められていた。
護摩修法を行う僧侶のそば近くに憑座が侍らされており、護摩壇からの煙を吸入して恍惚とした状態になった。
病人も護摩の煙を吸うことで幻覚を見たはずであるし、気を失うこともあったであろう。
それによって、憑座は物気の言葉を語り、病人やその周囲にいた者たちは物気の声を聞くことができた。

・法然
親鸞の師である法然は、当時の常識であった呪術による病気治療や、臨終行儀の必要性を否定し、神仏への祈禱による治病には意味がないと説いた。
それなのに、法然は貴族からの依頼により、授戒による病気治療も行なっていた。

① 呪術による病気治療
九条兼実に招かれて、九条家の人々に授戒による医療行為を行なっている、
そして、法然が病に倒れた時には、弟子たちによって祈禱、すなわち呪術による病気治療が行われていた。

『法然上人伝記』にこんな話が記されている。
法然が瘧病を患った時、九条兼実は善導の御影を病床の法然の前に置いて供養したいといった。
聖覚も瘧病を患っていたが、法然の恩に報いるために、病をおして仏事を行なった。
すると、善導の御影から異香が薫ってきて、法然と聖覚の病気が治ってしまった。

② 臨終行義
臨終行儀についても、法然は臨終行儀を必要だとは考えておらず、平生時の念仏によって極楽への往生が定まる、としていた。
法然の臨終が近づくと、仏像と結んだ五色の糸を持つように弟子から勧められても断った。
ところが法然は、円仁の九条の袈裟をかけて息を引き取っている。
法然は、極楽往生を確実にするためにこのようなことをしたのだろう。
あくまでも天台僧として息を引き取ったのである。

要するに法然は、専修念仏の重要性を説き示し、神仏への祈禱による治病を否定する一方で、貴族の邸に出入りして病気治療の祈禱に携わる、というはなはだ矛盾した行ないをしていたのである。
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鵜飼秀徳『寺院消滅』(2)

2017年05月11日 | 仏教

鵜飼秀徳『寺院消滅』、水月昭道『お寺さん崩壊』、村井幸三『お坊さんが隠すお寺の話』によると、なぜ寺院が衰退しているか、その理由は3点あります。

①廃仏毀釈
廃仏毀釈により多くの寺が廃寺になったが、特に鹿児島県は熾烈だった。
江戸末期には1066ヵ寺あった寺院が、明治7年には寺院と僧侶がゼロになった。
打ちこわされたり、首を切られたりして山や川に遺棄された仏像の一部が、土木工事や山作業の際に今も出てくることがある。
中国の文化大革命やタリバンのバーミアン石仏破壊と同じことを、日本では幕末から明治初期に行なったわけです。

1872年(明治5年)、「自今僧侶肉食妻帯蓄髪等可為勝手事」という太政官布告が出され、僧侶の世俗化、弱体化が図られた。
伽藍などの物的破壊に加え、僧侶を俗化していく一連の弾圧により、仏教は骨抜きにされた。

②農地解放
戦後の農地改革によって、田畑や山林を保有する寺院は小作料が入らなくなり、大打撃を受けた。
布施収入だけでは生活できない寺院は、住職が兼業をせざるを得ない。
また、土地を奪われた寺は、小作人だった檀家との関係が悪化し、地域や檀家からの支えを失った。

③過疎による人口減少、高齢化
現在の寺院の衰退は、大都市圏への人口集中による家の弱まり(若い人は家の宗教とは考えない)と地方の疲弊が大きな原因である。

そして、宗教への無関心。
戸松義晴(全日本仏教会元事務総長)の話。(鵜飼秀徳『寺院消滅』)
ハワイの日本寺院がどうなったかを見れば、日本の宗教の未来をある程度予測することができる。
寺院は地域のコミュニティーの中核で、日本人のアイデンティティーの柱でもあった。
ところが日米開戦で、日系二世はアメリカ人であることを証明するためにキリスト教に改宗し、祖国アメリカに忠誠を誓った。
戦争を契機にハワイの日本仏教は「家の宗教」から「個の宗教」へ転換したのである。
日系三世は宗教に無関心になったが、父母が亡くなると、日本の寺で葬儀をする。
しかし、次の世代は、信仰は家で継承するものではなく、自分たちで決めるという。
三世以降は「私たちはアメリカ人だ」と割り切っている。

今後の寺院、僧侶のあり方としては、住職個人の資質、そして寺院の取り組みが大切となってくる。
会津坂下町の浄土宗寺院住職斎藤裕慈さんの話(鵜飼秀徳『寺院消滅』)。

空き寺を整理していく宗門の方向性は、筋違い。確かに、田舎で無住寺院が増え、多くの問題を抱えていることは否定しません。しかし、信仰が失われたがために空き寺になったのではない。田舎ほど寺の存在を大事にしていると思います。だからこそ、空き寺になっても、ムラの人が掃除をし、草取りを続けている。そうした姿を見れば、寺という存在がいかに田舎の人にとって愛おしい存在かが分かります。その点は都会とは大きく違うところです。
それと僧侶の資質とはまた別の問題としてあります。特に、大きな寺の住職は上から目線で檀家さんに対してモノを言うことが多い。『寄付は檀家の務めだ、義務だ』と平気で言う。『多めに寄付を出してもらえれば、いい戒名を付けてあげる』などと、〝取引〟もやっている。僧侶がそんな体たらくだから、住職はいらない、自分たちだけで守っていく、ということになっているのです。

空き寺の中には、檀家が寺の維持・管理をしており、住職がいないほうが金がかからないと、後継者を探さない寺もあるそうです。
水月昭道氏は、地方寺院の一般住職は法座で自分が法話をすることはまれで、葬儀や法事でも読経するだけだと書いていますが、法話をしない坊さんがそんなに多いのでしょうか。

定年退職した人を僧として迎え入れるべきだ、年金があるので小さなお寺に入っても生活には困らない、と村井幸三氏は提案しています。

臨済宗妙心寺派では、仕事を退職してから僧侶を資格を取る人が増えてきた。
長野県千曲市の開眼寺(妙心寺派)住職 柴田文啓さん(80歳)を鵜飼秀徳氏が取材。
柴田文啓さんは横河電機の元役員で、ヨコガワ・アメリカ社の社長も務めた。
65歳の時、永源寺で修行に入り、2001年、13年間、空き寺だった開眼寺の住職になる。
開眼寺の檀家は1軒、建物は傾き、ホコリだらけだった。
「檀家数の少なさがかえって都合が良かった。法事や葬儀などのスケジュールに縛られず、自由に活動できるからだ。それに退職金と年金があれば、贅沢はできなくとも生活に困ることはない。だから、ビジネスマンの余生の送り方として、寺の住職は理想的だ」と柴田文啓さんは語る。

臨済宗妙心寺派は、2014年、リタイア組専門の修行道場を開いた。
60歳以上なら誰でも入れ、僧侶の資格を得る者は20人に上がる。

僧侶の資質について玄侑宗久氏がこんな意見を述べています。(鵜飼秀徳『寺院消滅』)

読経の際には、無意識状態で、瞑想と言える境地に入ります。(略)
人間が目や耳などの感覚器で把握しているのは、本当に狭い世界です。見えない世界や霊的な世界に想像を巡らせることが、どれほど大事なことか。
この無意識の力を引き出すのが僧侶の役割なのです。宗教的技術をもって、阿頼耶識に入っている、ありとあらゆるものを引き出す技術は、僧侶以外には不可能なことです。
こうした宗教的な叡智を僧侶が広く提示できるかどうか。提示できていないから、「葬式仏教」とか言われるんです。


これはちょっとなあと思いますが、戸松義晴(全日本仏教会元事務総長)の話にはうなってしまいました。

アメリカでは僧侶に対して、人徳と清貧を求めている。
アメリカ人の宗教者に対する尊敬の念は強く、その分、宗教者に多くの制約を求める。
人徳と清貧とは何か、こんな話を戸松義晴氏はします。

タイのエイズ患者を収容するホスピスに戸松義晴氏が行った時のこと、ホスピスは寺院が運営しており、僧侶は、感染するかもしれないのに、躊躇なくエイズ患者の手を握って回る。
手を差し伸べる患者の手を握り返すことができず、悲しくて泣いてしまう戸松義晴氏に、タイの僧侶はこう言った。

当然ですよ。あなたには守る家族がいて、守る寺があるのでしょう。でも、タイでは僧侶として出家したということは、支えてくれる人々に命を預けたということを意味するのです。だから私には妻も子供もいません。仮にエイズに感染して死んでも弟子が後を継いでくれます。何の問題もありません。


戸松義晴氏は「私はその時、初めて分かりました。出家、つまり僧侶の独身主義には意味があったんだなと」と語り、このように延べます。

日本の多くの僧侶は命を賭してまで、本来の「宗教者」にはなり切れない。

うーん、大きな問いかけです。

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鵜飼秀徳『寺院消滅』(1)

2017年04月29日 | 仏教

寺院の現況について書かれた本を3冊読みました。
鵜飼秀徳『寺院消滅』、水月昭道『お寺さん崩壊』、村井幸三『お坊さんが隠すお寺の話』です。

 寺院の現況
全国に約7万7000ヵ寺の寺院があり、そのうち住職のいない無住寺院は約2万ヵ寺。
宗教活動を停止している不活動寺院は2000ヵ寺以上と推定されている。

臨済宗妙心寺派の寺院は、2015年現在で3362ヵ寺あり、そのうち30.7%に当たる1032ヵ寺が無住状態である。

妙心寺派の無住寺院は1980年代半ばで160ヵ寺ほどだった。

井上研士氏の分析によると、宗教法人の約36%(およそ6万法人)が25年後には消滅の危機にある。


浄土宗の、過疎地寺院への調査によると、檀家数301軒以上の寺では、後継予定者がいない割合は13%、檀家数100軒以下では43%となる。


地方(特に山間部)にある寺院の空き寺化は今に始まったことではないが、深刻化して危機的な状態にある。

長崎県の宇久島は人口2330人、寺院は11ヵ寺あり、そのうち4ヵ寺は住職が不在。
活動寺院の7ヵ寺でも、住職が寝たきりだったり、後継者がいなかったりする。

尼僧も1980年代では全国に2000人以上いたが、現在は数百人程度ではないかと推定される。

年齢はおおむね70代以上で、40歳以下の尼僧は皆無だから、尼寺も消滅の危機にある。

石井研士(國學院大學神道文化学部長)の話から(鵜飼秀徳『寺院消滅』)。

戦前までは神棚と仏壇は家庭に100%あったが、今は、神棚がある家庭は40%、仏壇は50%で、東京だと、神棚のある家の割合は22%ほど。

島田裕巳『0葬』には、2013年、2人以上の世帯で暮らす30代から60代の調査によると、仏壇のある家39.2%、ない家60.8%。

独り暮らしの家だと、仏壇のない家がもっと多いと思われます。

不活動宗教法人は4500ぐらいあると言われているが、実数はもっと多く、今後さらに増えると予測されている。

2040年までに消滅する可能性がある市区町村は896ある。
2040年をピークに、日本の死亡者数は減少する。
地域が消滅していくのに、寺や神社だけが残るということはあり得ない。

 寺の収入
寺院の収入だけで維持していくことができるかどうかの採算分岐点は、村井幸三氏によると檀家400軒、水月昭道氏だと檀家300軒、鵜飼秀徳氏は少なくとも檀家200軒と、地域差はあるでしょうけど、かなり違っています。

1ヵ寺あたりの人口は、全国平均が1677人だそうで、1世帯の平均が3人家族だとすると550軒、4人家族だとすると420軒ですから、一ヵ寺あたりの檀家数は平均400軒ということになりますが、どうなんでしょうか。


村井幸三氏によると、檀家の葬儀は年間に檀家数の10%というのが目安だった。

ところが、高齢者の死亡数が減り、今は檀家数の5~7%だといわれている。
400軒の檀家だと、年間24~5件ということになる。

水月昭道氏によると、寺院の収入はお布施と年会費(護持費)。

100軒の檀家があれば、布施収入は年間300~400万円。
年会費は1軒あたり1~2万円が普通。
檀家数300軒だと1千200万円の年収となる。

もっとも、布施の金額は地域・宗派によって大きく違います。

鵜飼秀徳氏によると、東京が50万円、京阪神や名古屋がその半分、地方都市だと10万円を切るところも多い。
島根県の浄土宗寺院では、葬儀は導師が5万円、脇が3万円だが、広島に住む檀家の葬儀では20万~30万円。
陸前高田市の浄土宗の葬儀の布施相場は20万~30万円だったが、震災後は下がった。
東北では葬儀の布施相場は東京以上に高いが、法事などではあまり布施を包まない。

浄土真宗本願寺派による葬儀の平均布施金額の教区ごとの調査では、全国平均は23万円ぐらいで、東京教区が40万円超と一番高く、10万円以下は沖縄教区と鹿児島教区。(棒グラフなので正確にはわからない)

山口教区では30万円強で、東京教区に次いで多いが、隣の安芸教区では15万円と半額。

島田裕巳『0葬』によると、ある民間墓地で院号のついた戒名を調べた調査では、明治では全体に占める院号の割合は18%、大正では20%、昭和の前半10%。

院号が急増するのは高度経済成長の時代に入ってからで、昭和30年代から40年代は55%、50年代から60年代は64%、平成に入ると66%と、3分の2の人に院号がついている。
しかし、島田裕巳氏が調査した山梨県の村では、院号のついた戒名は昭和50年代から60年代は5%である。
都会では院号のインフレ化が進行し、その分、戒名料が高騰した。
戒名料の平均額は40万2000円で、20万円未満が24.7%、20万円以上40万円未満が32%、100万円以上は8.2%。
2001年の同じ調査では戒名料の平均額は38万1700円。

水月昭道氏の本にもどり、檀家数300軒だと布施収入1200万円というのは、住職の収入ではなく、寺院の収入であり、会社の売上高と同じ。

1千200万円で、教化費、本堂・境内の営繕費、光熱費、賦課金(本山への上納金)、通信費などをまかない、残りが人件費(住職の給料)となる。

水月昭道氏の寺は、門徒戸数は約150軒、布施収入は約450万円、年会費が150万円(実際は若干少ない)。

老住職(水月氏の父)の給料は年200万円で、所得税・市県民税・保険・年金などを支払うと、手取りは100万円台に下がる。

兼業せざるを得ない僧侶は、以前は学校や役場に勤めることが多かったが、今は葬儀があるからといって休めないので、公務員をしている僧侶は減っている。


平成27年度の浄土真宗本願寺派における一般会計歳入予算は56億3千万円で、前年比では4億円のマイナス、つまり収入源なので、末寺も厳しい状況にあることは間違いありません。


臨済宗妙心寺派の調査によると、住職が兼業している寺院では、布施収入ゼロが約2割、100万円以下は76%を占める。


檀家数300軒の規模となると、住職1人では葬儀・法事をこなせないので、お坊さんを雇わないといけないし、事務を支えてくれるアルバイトも必要だと、水月昭道氏は書いていますが、檀家数300軒のお寺がそ事務員を雇うほど忙しいものでしょうか。


それと、水月昭道氏の試算には寄付がないのが疑問です。

地方では数万円で葬儀一式をするところは多いが、普段から彼岸、盆、施餓鬼などの仏事や年中行事で檀家と深く係わり合いをもっている。
布施の額は少なくても、寺の寄付は進んで出す地域もあるそうです。

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神舘和典『墓と葬式の見積もりをとってみた』

2017年04月23日 | 仏教

『墓と葬式の見積もりをとってみた』(2015年)は、題名通りに神舘和典氏が墓や葬儀はいくらかかるかを実際に取材した本。

 1 一般の墓地

都立青山霊園の敷地使用料は1㎡あたり271万4千円、管理料は610円で計算されている。
2014年度の募集では、もっとも面積の小さい1.55㎡の墓地は、420万6700円。
谷中霊園では、1.6㎡の使用料が268万8000円。
多磨霊園は、1.75㎡の使用料が153万8250円。

 2 樹木葬

千葉県にある樹木葬霊園は、最初の1人が70万円、2人目からは40万円。
ペットも可で、納骨代はお気持ち。
管理費は年に5千円。
墓苑使用のほか、プレート代、名前の刻印、納骨代、戒名代、掃除代が含まれる。
最後の1人の納骨から33年後には、遺骨はみんな一緒の合祀墓に移される。
最初から合祀タイプを選ぶ場合は、1人につき50万円。

一緒に見学をした女性は、墓があるが、父親の骨壺に水がたまって骨が水浸しになっていた。

「私、なんて親不孝をしていたんだろうと、とても悲しい気持ちになりました」
そこで、土に還る樹木葬を検討しているというわけですが、どうして骨壺に水が入っていたら親不孝なのかわかりません。

品川区の樹木葬霊園では、13年間は鼻の下の土に眠り、その後10年は骨壺で安置され、合祀墓に移される。

家族タイプは4人分190万円から、夫婦タイプは2人分140万円から。
管理費はそれぞれ年間1万5千円と1万円。

都立霊園でも樹木葬の墓地が造られており、価格は安い。

樹木墓地は、木の周囲に一体ずつ遺骨を埋葬する。
樹林墓地は、共同埋葬のスタイル。

 3 散骨

海洋散骨には3つのスタイルがある。
①委託型
散骨を行う会社に委託する。
5万円前後。

②合同型

複数の家族が同乗して散骨を行う。
10万~15万円くらい。

③プライベート型

一つの家族が船を借りて散骨を行う。
20万~30万円。
ハワイやグアムで散骨するのは、30万~40万円。

散骨を希望する理由

「自然に還りたい」
「墓参りをしなくてもいい」
「低コストである」

 4 納骨堂

納骨堂は、主に4タイプある。
①機械タイプ
自動車の立体駐車場というイメージ。

②仏壇タイプ

二段に分かれていて、上段に位牌、下段に遺骨を納める。

③ロッカータイプ

銀行の貸金庫のように、遺骨がロッカーに納められている。

④墓石タイプ

墓地を室内に作ったスタイルで、室内墓地ともいわれる。

新宿にある立体駐車場のような機械タイプの納骨堂では、一基90万円、管理費は年間1万5000円。


都営霊園にも納骨堂がある。

建物内にカロートというスペースがあり、一か所に3人まで納めることができ、納骨してから20年間経ったら、合祀墓に移される。
青山霊園が60万1000円、谷中霊園が47万2000円で、管理料はない。

島田裕巳『0葬』に、2010年の調査によると、墓がある人は62.7%、ない人は35.6%で、2003年には、墓がある人73.2%で、ない人23.9%だったから、7年で墓がない人が10%も増えている、とあります。


樹木葬、散骨、納骨堂と、いろんなタイプの埋葬が生まれたのは、少子化と、人口の都市集中によって、墓地を代々継承するシステムが崩れ始めたからだと、神舘和典氏は説明します。


新宿の納骨堂には神舘和典氏の知人(40代の女性)の母親のお骨が入っている。

母親が他界して、父親が自分と妻の分を購入したが、墓参りに訪れても、そこに母親の遺骨があるとは感じないという。

(姉は)墓地にお参りしていた頃は、石に向かって手を合わせるときだけでなく、空を見上げた時にも、母が見守ってくれている気持ちになったそうです。私も同じでした。
ただ、矛盾するようですが、自分が入るお墓だったら、私自身は納骨堂を選ぶかもしれません。父がそう考えたように、自分の子どもに負担をかけたくないからです。母は、生前、子どもたちにお墓参りの負担すらかけたくなかったらしく、私の骨は海に撒いてもらいたいわ、と話していました。


負担とは何かというと、金と時間と労力でしょう。

親は自分が死んだ後も子どもに手間をかけさせたくなく、しかし子どもは手間をかけてでも親を想いたいのだ。

この神舘和典氏の言葉、すごく深いと思いました。

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『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』(3)

2016年11月18日 | 仏教

ザビエルが二度目に山口に滞在した時には500人が洗礼を受けたそうです。
短期間に大勢の人が信者になったのは、キリスト教が真実の教えだからだとザビエルは自賛します。

書簡96[僧侶の教えよりも理にかなった神の教え]
18 多くの人びとが信者になってゆくのを見て、ボンズたちはたいへん悲しみ、信者になった人たちを叱りつけて、どうして今まで信じていた教えを棄てて、神の教えを信じるようになったのかと質問しました。信者たちや聖(み)教えを学んでいる人たちは、ボンズの教えよりも神の教えのほうがはるかに理にかなっていると思うので信者になったのだと答えました。また、ボンズの質問に対して、私たちがよく答えたのに、私たちがボンズの教えについて質問したことに、ボンズたちが答えられなかったのを見たからです。日本人は、その宗派の教義のなかで、前にも言ったように、天地の創造、太陽、月、星、天、地、海その他すべての物の創造について、何も知識を持っていません。日本人はこれらすべての物には元始(はじめ)がなかったのだと思っています。私たちが霊魂はそれを創造した創り主がいるのだと言うのを聞いて、さらに深い感銘を受けました。


僧侶たちはザビエルにいろんな質問をしています。

書簡96[創造についての僧侶の反論]
20 彼らは悪魔がいること、そして悪魔が悪い者であり、人類の敵であると信じていましたので、もしも神が善であるならば、こんなに悪い者どもを造るはずがないから、私たちが言うようなことはありえないと考えました。私たちは神は善いものを造られたのですが、彼らが勝手に悪くなったので、神は彼らをこらしめ、終わりない罰を科すのであると答えました。それに対して彼らは、神がそれほど残酷な罰を科すならば、情深い者ではないと言いました。さらに彼らは、[私たちが言うように]神が人類を造ったということが真実であるならば、それほど悪い悪魔が人間を悪に誘うことを知っていながら、どうして悪魔の存在を許しておくのかと言いました。神が人類を創造したのは、神に奉仕するためですから、[悪魔の存在を許すのは矛盾であると言うのです]。またもしも、神が善であるとすれば、人間をこんなに弱く、また罪に陥りやすく創造しないで、少しも悪がない[状態に]創造したに違いないと[言いました]。そして神は、これほどひどい地獄を造り、[私たちのいうところに従えば]地獄に行く者は、永遠にそこにいなければならないのだから、慈悲の心を持つ者ではなく、したがって万物の起源である[神を]善であると認めることはできないと言いました。またもしも、神が善であるとすれば、これほど遵守しがたい十戒を命じなかったであろうと言いました。


僧侶の質問は5点です。
①「神が善であるならば、こんなに悪い者ども(悪魔)を造るはずがない」
②「神がそれほど残酷な罰(終わりない罰)を科すならば、情深い者ではない」
③「神が善であるとすれば、人間をこんなに弱く、また罪に陥りやすく創造しないで、少しも悪がない状態に創造したに違いない」
④「地獄に行く者は、永遠にそこにいなければならないのだから、慈悲の心を持つ者ではなく、したがって万物の起源である[神を]善であると認めることはできない」
⑤「神が善であるとすれば、これほど遵守しがたい十戒を命じなかった」

これらの質問は私にはしごくもっともな疑問だと思います。
神が全能であり全善なら、どうして悪が存在するのかという悪の問題はキリスト教の難問だそうです。
ところが、ザビエルの答えは「神は善いものを造られたが、勝手に悪くなった」というあっさりしたものです。
この答えで誰が納得するのでしょうか。
だったら人間を悪に陥らないように強く創造すればいいという③の疑問が生じるのは当然です。
しかし、書簡には③への答えはありません。

もう一つ大きな疑問は地獄ということです。
ザビエルが来日する以前は、日本人はキリスト教を知らなかったのだから、先祖たちは地獄に落ちていることになります。

書簡96[神の全善について山口の人たちの疑念]
23 山口のこの人たちは、私たちが日本へ行くまで日本人に神のことをお示しにならなかったのだから、神は慈悲深くはないと言って洗礼を受けないうちは、神の全善について大きな疑念を抱いていました。もしも[私たちが言うように]神を礼拝しない人がすべて地獄へ行くということがほんとうならば、神は日本人の祖先たちに慈悲心を持っていなかったことになります。祖先たちに神についての知識を与えず彼らが地獄へ行くに任せていたからです。


キリスト教では、地獄に落ちた者は永遠に地獄で苦しみ、救いはありません。

書簡96[地獄へ落ちた者への悲しみ]
48 日本の信者たちには一つの悲しみがあります。私たちが地獄に落ちた人は救いようがないと言うと、彼らはたいへん深く悲しみます。亡くなった父や母、妻、子、そして他の人たちへの愛情のために、彼らに対する敬虔な心情から深い悲しみを感じるのです。多くの人は死者のために涙を流し、布施とか祈禱とかで救うことはできないのかと私に尋ねます。私は彼らに助ける方法は何もないのだと答えます。


ザビエルは「助ける方法は何もない」とあっさり答えるわけです。

書簡96[日本人は知識を切望し、質問は限りがない]
21 また彼らの教義によると、地獄にいる者でも、その宗派の創始者の名を唱えれば地獄から救われるのですから、[神の聖(み)教えでは]地獄に陥ちた者にはなんの救いもないのはたいへんに[無慈悲な]悪いことであると思われ、神の聖教えよりも彼らの宗派のほうがずっと慈悲に富んでいると言っています。(略)


仏教は地獄に落ちた者も救われるのに、キリスト教では「なんの救いもない」わけですから、僧侶が無慈悲だと感じるのはもっともです。

書簡96[疑いの解明]
24 (略)私たちは理由を挙げてすべての宗教のうちで、神の教えがいちばん初めに人びとに[刻みこまれたことを]証明しました。すなわち、中国から日本へ諸宗派が渡来する以前から、日本人は殺すこと、盗むこと、偽りの証言をすること、その他十戒に背く行いが悪いことであると知っていましたし、行ったことが悪いことであるしるしとして、良心の責め苦を感じていました。なぜなら、悪を避け、善を行うことは[もともと]人の心に刻みこまれていたのですから。全人類の創造主[である御者(おんもの)が、すべての人の心のうちに刻みこんだ]神の掟を他の誰からも教えられずに[生まれながらに]人びとは知っていたのであると説明しました。


いくら日本人が悪を避け、善を行うべきだと知っていても、ザビエル渡来以前はキリスト教自体を知らないのですから、神を礼拝することなどできません。
このザビエルの説明で納得する人がいたとは不思議です。

書簡96[地獄に落ちた者に救いはない]
49 彼らは、このことについて悲嘆にくれますが、私はそれを悲しんでいるよりもむしろ、彼らが自分自身[の内心の生活]に怠ることなく気を配って、祖先たちとともに苦しみの罰を受けないようにすべきだと思っています。彼らは神はなぜ地獄にいる人を救うことができないのか、そしてなぜ地獄にいつまでもいなければならないのかと、私に尋ねます。私はこれらすべての[質問に]十分に答えます。彼らは自分たちの祖先が救われないことが分かると、泣くのをやめません。私もまた[地獄へ落ちた人に]救いがないことで涙を流している親愛な友人を見ると、悲しみの情をそそられます。


「神はなぜ地獄にいる人を救うことができないのか」という問いにザビエルはどう答えたのか気になります。
現代のキリスト教ではどのように答えるのでしょうか。
宗教改革の時代に生きたザビエルに、文化多元主義への理解を期待するのは無理な注文だと、私も思います。

多くの西洋人が日本の旅行記を書いていますが、短い滞在期間で、しかも限定された場所で少数の日本人に会っただけの場合だと、旅行記の記述がどの程度、日本や日本人の実態を伝えているかは疑問ではないでしょうか。

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『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』(2)

2016年11月12日 | 仏教

ザビエルの僧侶批判は性の乱れについてだけではありません。
僧侶の無知を指摘しています。

書簡96[ボンズとの討論]
17 (略)私たちは毎日、彼らの教義や論証について質問しましたが、ボンズも尼僧も、祈禱師も、神の教えをよく分かっていない人たちも、[私たちの質問に]答える術がありませんでした。(略)


どういう質問かというと、地獄と極楽についてです。

書簡96[地獄と極楽]
7 この九つの宗派のうちで、天地創造や霊魂の創造について話している宗派は一つもありません。地獄と極楽があることについてはすべての宗派が説いていますが、極楽とは何であるかについて説明する者は誰もいませんし、誰の掟によって、また誰の命令によって霊魂が地獄に落とされるかを説明する者もいません。(略)

キリスト教と仏教とでは教義が違っているわけですが、キリスト教を絶対視するザビエルはその違いを認めることができなかったのでしょう。

ザビエルの批判は5点あります。
①「天地創造や霊魂の創造について話している宗派は一つもありません」
仏教は創造神のような絶対者を否定するのだから、話さないのは当然です。
②「誰の掟によって、また誰の命令によって霊魂が地獄に落とされるかを説明する者もいません」
善悪の業報によって輪廻をするわけで、誰かの命令によって地獄に落ちるかどうかが決まるわけではありません。
③「極楽とは何であるかについて説明する者は誰もいません」
いくらなんでも極楽には阿弥陀仏がいるとか、蓮の花が咲いているとか、その程度の説明ぐらいできただろうと思いますが。
僧侶がザビエルの質問に答えることができなかったのではなく、僧侶の答えをザビエルが理解できない、もしくは理解する気がなかったのではないでしょうか。

ザビエルによると、仏教には地獄に堕ちることを防ぐ2つの方法があります。
①「宗派の創始者の名を唱える」こと

書簡96[創始者の名を呼べば救われる]
8 これらの宗派がいっている主なことは、自分の罪について[自分自身で償う]苦行をしなかった人でも、もしもその宗派の創始者の名を唱えるなら、すべての苦しみから救い出されるということです。そしてもしもこれを深く信じて少しも疑わずに自分のすべての希望と信頼をかけて、創始者の名を唱えるなら、たとえ地獄に陥ちた者でも救い出されると約束しています。(略)


②僧侶が「災難を引き受ける」こと

書簡96[僧侶が俗人に代わり戒律を守る]
10 [普通の人たちが]この五戒を守らないために身に降りかかってくる災難を、自分たちが人びとに代わって引き受けるのだと[僧侶は]説明しています。[その代わり]人びとが[僧侶のために]建物や僧堂を献納し、[僧侶の]生活を維持するために所得や金銭を献上し、とくにボンズを尊敬し、その名誉を重んずることを条件にします。(略)人びとはボンズやボンザが地獄へ行く[呪われた]霊魂を救う能力を持っていると信じきっています。それゆえボンズは人びとから尊敬を受けるにふさわしい[生活をし]五戒を守り、その他の祈禱をする義務を負っていると思っています。


普通の人びとは五戒を守ることができないために地獄に堕ちるが、五戒を保っている僧侶が悪業を肩代わりしてくれる(オウム真理教の言葉を使うとカルマの浄化)、そのお礼に人びとは僧侶に布施をするわけです。

書簡96[僧侶の偽り]
12 また、五戒を守らない女たちは地獄から救われる手段がないと説きます。そして月経があるために、どの女も世界中のすべての男[の罪を合わせた]よりももっと罪が深く、女のように不潔な者が救われるのは難しいことだと言います。女たちが地獄から救われるために残された最後の方法は、女たちが男たちよりももっとたくさんの布施をすることで、そうすれば、[地獄から]救われるのだと言います。[僧侶が]されに説教するには、誰でもこの世で金銭をたくさんボンズに与えれば、あの世で生活するのに必要な金銭をこの世と同種の貨幣で10倍にして与えられると言うのです。それで男も女もあの世で支払いを受けるために、たくさんのお金をボンズに施します。ボンズはあの世で支払うために、誰からお金を受け取ったかという証拠書類を男にも女にも渡しています。(略)

証拠書類とは免罪符みたいなものでしょうか。
それとも三途の川の渡し賃でしょうか。
どういう名称なのか知りたいです。

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『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』(1)

2016年11月07日 | 仏教

山本博文「日本人の名誉心及び死生観と殉教」(竹内誠監修『外国人が見た近世日本』)に、ザビエルが書簡でボンズ(坊主)に言及している部分を引用してあったので、『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』を見てみました。

日本の仏教事情について詳しく書かれてあるのは、書簡90(1549年11月5日鹿児島からゴアのイエズス会員に出された)と書簡96(1552年1月29日コーチンからヨーロッパのイエズス会員に出された)です。
どちらもかなりの長文です。

ザビエルは1549年8月15日に鹿児島に到着。
1550年8月に平戸、10月に山口へ。
1551年1月に京都へ行き、3月に平戸に戻り、4月に山口、9月に大分。
1551年11月15日、大分からインドへ出帆。
日本に滞在したのは2年3か月ということになります。

書簡90は日本滞在3か月で書かれたためか、ボンズ(坊主)をほめている個所がありますが、書簡96ではけなしまくっています。
( )の中は訳注、[ ]は補注です。

書簡96[ボンズたちが多い]
4 この地には修行生活をしている男や女がたくさんおります。彼らのあいだでは男をボンズと呼んでいます。さまざまな宗派があって、ある者は褐色の衣をまとい(一向宗の僧侶)、他の者は黒色の衣を着ています(禅宗の僧侶)。そしてお互いにあまり親しくしていません。黒衣のボンズは褐色のボンズをたいへん嫌い、褐色のボンズは無知で悪い生活をしているといっています。比丘尼[ボンザ]たちのうちのある者は褐色の衣をまとい、他は黒色の衣を着ています。(略)

訳注によると、褐色の衣を着た僧侶は一向宗の僧侶です。
どうして一向宗なのかというと、「褐色の衣服を着けたボンザやボンズたちはすべて阿弥陀を拝んでいます」という書簡96の記述があるからです。

書簡96に「それぞれ異なった教義を持つ九つの宗派があって」という文章があり、訳注には、九つの宗派とは天台宗、真言宗、融通念仏宗、浄土宗、臨済禅宗、曹洞禅宗、一向宗、法華宗、時宗とありますから、一向宗とは浄土真宗のことでしょう。
しかし、浄土宗、時宗、融通念仏宗も阿弥陀仏を拝みますから、阿弥陀を拝むということだけで、褐色の衣を着ているのが浄土真宗の僧侶かどうかはわからないはずです。

そもそも、どうして「浄土真宗」ではなくて「一向宗」という宗派名を訳者は使ったのか。

蓮如『御文』に「開山は、この宗をば浄土真宗とこそさだめたまえり。されば一向宗という名言は、さらに本宗よりもうさぬなりとしるべし」とありますから、本願寺教団が「一向宗」と称していたわけではありません。
臨済禅宗、曹洞禅宗という名称もおかしいです。

僧侶は尊敬されていたと、書簡90にザビエルは書いています。

書簡90[ボンズの厳しい禁欲生活―尊敬される理由]
46 (略)日本人のうちにはボンズが大勢いて、その罪はすべての人に明らかですけれど、彼らはその土地の人たちから、たいへん尊敬されています。なぜこのように尊敬されているかというと、厳しい禁欲生活をしているからだと思われます。彼らは決して肉や魚を食べず、野菜と果物と米だけを食べ、一日に一度の食事はきわめて規律正しく、酒は与えられません。

どの宗派の僧侶も、生き物を殺さず、殺した生き物を食べないこと、盗みをしないこと、姦淫をしないこと、嘘をつかないこと、酒を飲まないことの五戒を守っているから尊敬されていると説明します。

ところが書簡96では、僧侶は五戒を守らないと書いています。

書簡96[五戒を守らない僧侶たち]
27 (略)ボンズもボンザも、公然と酒を飲み、隠れて魚を食べ、話すことに真実がなく、平気で姦淫し、恥ずかしいとも思っていません。すべての[僧侶たちには]破戒の相手となる少年がいて、そのことを認めたうえに、それは罪ではないと言い張るのです。(略)

男色も姦淫です。
ザビエルは僧侶の男色を特に非難しています。

書簡90[ボンズたちの罪]
16 世俗の人たちのあいだでは、罪を犯す者は少なく、彼らがボンズと呼んでいる僧侶たちよりも、道理にかなっ[た生活をし]ています。ボンズたちは自然に反する罪を犯す傾きがあり、またそれを自ら認め、否定しません。これは周知のことであって、老若男女誰もがきわめて普通のことであるとして、奇異に感じたり、忌まわしいこととは思っていません。ボンズ以外の人びとは、ボンズたちの忌まわしい罪を非難するのを喜んで聞きます。彼らはそのような罪を犯す者がどれほどの悪人であるか、またそのような罪を犯すことで、神をどれほど侮辱しているかを主張する私たちに正しい理由があると考えています。
 私たちはしばしばボンズたちにそのような醜い罪を犯さないように言いました。[しかし]ボンズたちは、私たちの言うことをあざ笑ってごまかし、きわめて醜い罪について非難されても、恥ずかしいとは思いません。ボンズたちはその僧院の中に読み書きを教えている武士の子供たちをたくさん住まわせて、この子供たちと邪悪な罪を犯していますが、この罪が習性となっているので、たとえすべての人たちに悪であると思われても、それに驚きません。


一般の人びとが男色を何とも思っていないことにザビエルは驚きます。

書簡90[人びとはボンズの悪習をなんとも思わない]
18 この地の二つの[習慣]について、あまりにもひどいので驚いています。その第一は、これほど大きな忌まわしい[ボンズたちの]罪を見ていながら、人びとはなんとも思っていないことです。昔の人たちがこうした罪のなかで生活することに慣れてしまったので、現在の人たちも前例に倣っているからです。人間の本性に反する悪い習慣を続けることで、生来あるべきものが堕落することは明らかですし、不完全なことを[自覚しないで]無関心のまま[生活して]いることにより、完徳を損ない、破滅させていることは明らかです。
 その第二は、世間一般の人たちがボンズたちの生活よりも正しい生活をしていることです。このことははっきりしているのに、ボンズたちが人びとに尊敬されているのにはあきれるばかりです。ボンズたちには、他にもたくさんの過ちがあり、[世間一般の人びと]より高い知識を持っているボンズたちのほうがより大きな過ちを犯しているのです。


おもしろいのが、人びとは僧侶の妻帯は汚らわしいと考えているということです。

書簡90[ボンズが尼僧や少年と犯す罪]
17 ボンズたちのうちには、修道者のような装いをし、褐色の衣を着て、頭もあごひげも三日か四日ごとに剃っていると思われる人たちがいます。彼らは思いのままに生活し、同じ宗派の尼僧(比丘尼、ボンザ)とともに生活しています(注)。一般の人たちは[ボンズたちのこの生活を]非常に汚らわしいと考え、尼僧たちとの親しい交わりを悪いものと考えています。世俗の人たちの言うところでは、尼僧たちの誰かが妊娠したと気づくと、すぐに堕胎するために薬を飲んで処置するとのことで、これは周知のことです。僧侶や尼僧の住居を見たところでは、世俗の人たちがボンズたちについて考えていることには、十分な理由があると思われます。ある人たちにこの僧侶たちは他の罪を犯すのかと質問しますと、読み書きを教えている少年たちと罪を犯すと言いました。修道者のような服装をしているボンズたちと聖職者のような服装をしている[禅宗の]ボンズたちとは、互いに反目しあっています。

訳注には、褐色の衣を着たボンズとは「妻帯している一向宗の僧侶のこと」とありますし、山本博文氏は「薩摩藩での一向宗の禁制の理由の一端がここに示されている」と書いています。
しかし、浄土真宗には尼僧はいません。
当時の本願寺教団は強大ですから、浄土真宗の僧侶が妻帯していることは人々に周知されていたと思います。
妻帯を隠しているわけではないので、妊娠したからといって堕胎薬を飲むはずはありません。
ザビエルの誤解か、あるいは褐色の衣を着た僧侶は浄土真宗以外の宗派かだと思います。
また、山本博文氏の論に従うなら、薩摩藩は僧侶の男色はOKだが、女色は弾圧する理由になることになります。

書簡96には、山口で街頭で説教をしたが、「この人たちは、一人の男は一人の妻しか持ってはならないと説教している人たちだよ」とか、「この人たちは男色の罪を禁じている人たちだ」とあざ笑う人がいたとあります。
日本人の性に関しての寛容さはザビエルには理解の範囲を超えていたのかもしれません。

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大石学「外国人が見た近世日本と日本人」

2016年10月13日 | 仏教

竹内誠監修『外国人が見た近世日本』は、16~19世紀に日本を訪れた外国人の記録を元に、日本人や生活について論考した本です。
大石学「外国人が見た近世日本と日本人」(竹内誠監修『外国人が見た近世日本』)には、外国人が書いた日本の宗教事情について引用されています。

(1)「この国民は特に迷信的でも無ければ宗教的でも無い。彼らは朝夕、食前・食後、あるいは時々祈ることも無い。一カ月に一度寺院に参詣する者は信心深いと言わざるを得ぬ」(カロン『日本大王国史』)
フランソア・カロンは1619年に来日、22年間滞在し、第8代オランダ商館長となった。

(2)「日本各島ともどこも宗教組織は同じである。然し宗派は無数に分かれる。そして各宗派は他の宗派に対し互いに極めて寛大な態度に出てゐる。各宗派の間には盟会或協調の如きものすら見られる。宗派の上に一人の長が居る。これが内裏である。その権力及び職能はかなり法王に似てゐる」(ツンベルク『ツンベルク日本紀行』)

カール・ぺーテル・ツンベルクは1775年から1776年にかけて来日した。

(3)「日本人は必ずしも宗教を信ずる訳ではないが、皆お勤めと思って信心をしている。だから神道も仏教も、分別ある日本人は何の満足も与えていない。教養のない日本人は、ただ信心は自分の義務であると覚っているから、満足しているが、彼らには神道であろうが、仏教であろうが信心さえすればよいので、中にはこの二つを一緒に信心している者すらある……たとい表面的には仏教徒もしく神道信者であろうとも、教養ある日本人は儒教の教養を奉じ、政府もまた、この道を実践しているのである」(カッテンディーケ『長崎海軍伝習所の日々』)

リッダー・ホイセン・ファン・カッテンディーケは1857年から1859年まで滞日し、長崎海軍伝習所の教官を務めた。

日本人の宗教心の薄さは今に始まったことではないようです。

しかし、宗派の対立のなさ、天皇の優位、儒教の普及などが、西洋人が考える信仰心とは異なっており、日本人は宗教心が薄いと誤解したのではないかという気がします。

シーボルトは「江戸では、人が足繁く訪れる場所、寺の境内などの壁や垣根のそばに、およそ二フィートの□の箱がよく置かれている。そこではさまざまな小間物の必需品、楊枝などが、しっかりと値をつけて販売されているが、売り手はいない。客はなんでも好きなだけ手を取り、お金を足元にある小さな引き出しの中に入れる」と驚いているそうです。

ザビエルも書簡に「盗みを極度に嫌う」と書いています。
盗みが厳しく罰せられ、理由の如何を問わず処刑されるから、盗みが少なかったということはあるでしょう。

しかし、それよりも宗教が人々の生活を律していることが、無人販売所なのに、商品を盗む者も代金を奪う者もいなかった原因であり、すなわち日本人なりに宗教心が篤いのではないかと思います。

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山下博司『古代インドの思想 自然・文明・宗教』

2016年09月22日 | 仏教

山下博司『古代インドの思想 自然・文明・宗教』は、古代インドの思想について難しいことが書かれてあるのかと思ってたら、自然環境や気候によって文化・宗教がどのように展開していくか、古代インド思想の背景的事情について書かれており、興味深かったです。

まず、アーリア人のインド侵入について。
8000~5000年前、地球は高温期で、現在よりも気温が2~4度高く、サハラ砂漠は緑化し、インドも森林に覆われていた。
5000年前に高温期が終わり、次第に寒冷、乾燥化していった。

3500年前(BC1500)にアーリア人がインドのパンジャブ(インダス川上流)に侵入した。
そして東に移動したが、アーリア人が入ってくる以前のガンジス河流域はジャングルだったので、耕作地を拡大して、少しずつ前進していった。

アーリア人がガンジス川上流域に進出したのがBC1000年ごろで、ガンジス河中流域がBC800~500年ごろ。

マガダ国は先住民の国だったらしいし、釈迦族もモンゴロイドだという説がある。
ガンジス川中流域への進出は、釈尊が生まれたちょっと前ということになると、
釈尊が生きていたころ、ガンジス河全域をアーリア人が支配していたわけではないわけです。

BC6世紀ごろ、ガンジス河流域に大きな社会変容が生じた。

農業生産力が高まり、余剰農産物が出回り、農産物の取引が盛んになり、貨幣経済が興り、金持ちが現れ、都市が勃興し、商工業が活況を呈するようになった。
生産活動に従事しない修行者が現れるためには、社会全般に経済的余裕がなければならないが、その余裕があった。
職業に流動性が生じ、身分秩序が緩み、バラモンの地位やバラモン教の権威が低下した。
その反面、既成概念を脱した自由な思想が顕在化し、インド人の世界観、人生観が大きく転換した。
マックス・ヴェーバーは「この時代のガンジス河中流域は思想や表現の自由を最大限に認められた、人類史上稀に見る事例」と評している。

やがて4世紀ごろから都市が衰退するとともに、都市型の宗教である仏教は衰える。
サンガ(仏教教団)は俗世間と接触を保つ必要がある。
なぜかというと、生産活動をしないのだから、托鉢で食料を確保しなければいけない。
そして、子供をもうけて後継者を作ることはできないので、サンガのメンバーを補充するために新しく出家する人を勧誘しないといけない。
そのためには布教活動をする必要がある。
そういうことで、都市の衰退とともに仏教も衰えていったのである。

もう一つ驚いたのが、中緯度地方と低緯度地方との違いです。
自然に恵まれ、生産活動に明け暮れせずに食料を得ることができたインドでは、ヨーロッパのプロテスタントのような、勤勉を尊び蓄財を奨励する職業倫理は現れなかったとそうです。

生産能力や解決能力は一見して良いこと、当然のこととして捉えられがちだが、そうした考えは中緯度に住むものの特殊な思考に過ぎない。
ものを作り出したり問題を解決したりする行為や姿勢は、中緯度に暮らす人々がもっとも得意とするところである。

しかし、低緯度地方は自然がより豊かなこともあり、常夏の気候条件のもと心の緊張がほぐれ、ややもすれば労働意欲が削がれがちである。

エチオピアでは仕事をしないことのほうが善なのである。
タイでも、まじめな努力家より、極端にいえばズルをしてでも楽に成果をあげる者のほうが「賢い」と見なされる。

インドでも、暑さや渇きの厳しく、乾期では日陰でも40度を突破し、内陸では50度にまで達する。木々の葉は落ちて、木陰でもほとんど日陰ができない。

ものごとを積極的におこなおうとすると、苦痛や困難を免れない。

そういうこともあり、はるか昔から、労働や生産にかかわる倫理よりも分配をめぐる道徳が強調されてきた。

勤勉よりも気前のよさが求められ、布施や喜捨の功徳が讃えられる。
所有や蓄財は悪であり、分配や放棄が善であるとされ、ものを手放す度合いで人間の価値が測られる。
マッソン=ウルセルは「インド人は誰でも快楽主義者と苦行主義者の二面性を内包している」と言っているそうです。

インドの精神文化では「行為」はあまり積極的・肯定的な意義をもっていない。

むしろ、「行為をやめること」が絶大な哲学的・宗教的価値を帯びる。
たとえ良いおこないであっても、「行為」である以上、輪廻という厄介な結果を導く。
良いおこない(善業)も、悪いおこない(悪業)も、魂を縛る鎖であることに変わりないからである。
したがって、解脱、すなわち輪廻からの脱却を実現するためには、できる限り「行為」そのものを慎まなければならない。
逆説的だが、インドの宗教における「行」とは、極論すれば、何かを「おこなうこと」ではなく、何も「おこなわないこと」なのである。

いかなる行為も、それにふさわしい結果を生み出すというカルマの法則を、ヒンドゥー教徒が固く信じてきた。

善因善果、悪因悪果、すなわち因果応報である。
しかし、現実は善因善果・悪因悪果にはならない。
一生というスパンに限定すれば、因果律が成り立たない。
カルマの法則の弱点を補強するために、来世と輪廻の概念が組みこまれた。

インドは時間は、一日の太陽の日の出と日没の繰り返し、一年の春夏秋冬の繰り返しのように円環的であり、生と死もくり返す。

それに対し、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という砂漠の遊牧民の宗教は、一回限りの生だから、直線的である。

カルマの法則と輪廻を組み合わせることで、何代にもわたる長いスパンで因果律が最終的に貫徹するとした。

行為の結果は、瞬時に現れることもあれば、長い時間を経て、たとえば何回かの輪廻転生を経て、やっと実を結ぶ場合もある。

カルマの理論はインド人に、行為の結果で輪廻することがないように、行為を遠ざかる道を選ばせた。
あらゆる行為は、それが善い行為でも悪い行為でも、因果律が支配するこの世界に霊魂をとどめさせる。
永遠の幸福のためには、行為から完全に身を引く必要がある。
「行為→結果→行為→結果→・・・」の連鎖を断ち切らないといけない。
そのためには、行為を放棄することになる。

仏教の出発点は一切皆苦だということですが、これがわかりにくい。
すべてが苦だとは思えませんから。
人生や世間を苦しみとし、そこから脱するという考えがインドの思想ですが、
インド人は自分を不幸だと感じているのかというと、そうでもないそうです。
「自分は幸せか」「どの程度満たされているか」といった、国別の主観的幸福度の調査結果によると、インド人の幸福度は中の下といったところである。
上座部仏教のタイやビルマでは、幸福感の指数はかなり高い。
カルマの法則や輪廻の教えを説くインド系宗教を信じる人々や民族が悲観的・厭世的であるとは限らない。

その矛盾を山下博司氏は以下のように説明します。
インドの宗教はまず苦難を描写するのは一種の約束事で、効果的なハッピーエンドのために、まず苦しみや悲しみが強調された。
生存を苦と観じるからこそ、悟り(ハッピーエンド)への可能性が芽生える。
苦とは出口が見える苦しみ、希望を宿した悩みである。
しかし、文化その他が異なる国や民族にはこの説明は当てはまらないのではと、私は納得できませんでした。

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