三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

堀川恵子『裁かれた命』4

2012年06月28日 | 死刑

死刑を求刑する検察官、死刑判決を下す裁判官は、死刑についてどう考えているのか。
堀川恵子『裁かれた命』によると、やっぱり嫌なものらしい。

検察庁には長谷川武の裁判資料が残っていた。
堀川恵子氏は資料を閲覧しようとして、法律では資料の閲覧を認められているにもかかわらず、拒否される。
土本武司氏は当事者なのでコピーできた。

資料をもとに堀川恵子氏は、東京地裁で長谷川武に死刑判決を下した裁判官の一人である泉山禎治氏に電話をして尋ねる。

泉山禎治「覚えていますとも。あの事件は私は主任裁判官でしたから。彼が死刑判決を言い渡されたその瞬間の顔も、今でもずっと覚えています」

堀川恵子氏は泉山禎治氏に会って話を聞く。
泉山禎治「長谷川被告人のことは実を言うと、あなたにお電話いただいて初めて刑の執行が終わったということを知ったんです。極刑の裁判をやりますと、ずっと心のどこかにいつまでも引っ掛かっているんです。一人で決めたわけじゃない、合議をして議論をして、これでやむなしという結論になったので裁判としてはそれで良かったのかなと思いながらも割り切れないものが残るんですよ。(略)
極刑ですからね、どんな極悪非道の被告人であったとしても一人の人間がこの世から抹殺されるわけですから、処刑というものは、それが良かったかどうかは別にして、やっぱり自分がやったことに対しては責任があります。それは終生、消えません。
これから本格的に裁判員制度が始まって極刑も扱うことになりますが、裁判員の方にはかなりの負担をかけることになると思います」

二審の裁判長も小林健治弁護人に「何とか、ならないものでしょうか」と語りかけている。
長谷川武の弁護人である小林健治氏は元裁判官で、死刑判決を何度も出している。
小林健治氏が裁判官退官後に新聞記者に語ったところによると、「当時、死刑判決を下した裁判官には、裁判所から慰労の意味を込めて多少の手当てが支給された。死刑判決を下した日は必ず新橋に立ち寄り、その金でまずい酒を飲んで気を紛らわせたという」

というわけで、堀川恵子氏によると、「死刑判決を下すとき、裁判官は悩みに悩んだ末にこれで間違いないと確信をもって判決を下す。しかし、心のどこかでは「本当にあれでよかったのか」という疼きを抱え続ける。だからこそ、死刑判決が自分の裁きの段階で決まることを畏れる。被告人が高裁、そして最高裁へと上訴するよう願う。上級審で他の裁判官のお墨付きを得て死刑が確定すれば、自分の判断は正しかったのだと自分に言い聞かせることもできるだろうし、もし結果が覆れば、一人の人間の命が救われたとも思える」ということである。

では、裁判員はどうなのだろうか。
毎日新聞の裁判員経験者へのアンケート。
死刑を求刑されるような事件について、50%が「関わった方がいい」とし、「関わった方がいいが判決は全員一致とすべきだ」との回答も14%。約3人に2人は死刑求刑事件への国民の関与を肯定的にとらえていた。(5月18日)
死刑判決を出した裁判員がどう考えているか、これだけではわからないが、裁判員は自分が出した判決に疑問を感じたり、悩んだりしていないように思われる。

法務大臣はどうか。
毎日新聞の「<死刑執行>決裁は2ルート 手続きの詳細判明」という記事に、小川敏夫法相の談話が載っている。
基本的に開示に賛成だが、それに伴い生じる弊害は考慮すべきだ。執行された方や遺族の名誉、プライバシーに配慮しなければならない面がある。また、刑の執行に関して具体的なことがあまりにも明らかになった場合、未執行者の心情を不安定にする。ことさら残酷なことをしているわけではないので、(不開示部分は)都合の悪いことを隠しているわけではない。毎日新聞6月1日

「ことさら残酷なことをしているわけではない」のだったら、「未執行者の心情」を気にすることもないと思うが。
小川前法相は死刑を執行される死刑囚や執行する刑務官について何も考えていない。

堀川恵子氏は『裁かれた命』の最後にこのように書いている。
「人が苦境に追い込まれたとき、運や出会いに恵まれて救われる人もいれば、自らの力で苦境を打開していくことの出来る人もいます。人一倍の努力で苦難を乗り越えてきた人ほど、それが出来ない人の不甲斐なさを責めることがあります。努力することの必要性は否定しませんが、同時に、努力が報われる人と報われない人がいることも忘れてはなりません。
この世に生を受けたときから体格や容姿がほぼ決まっているように、心の防波堤が高い人もいれば低い人もいます。頑張って成果を出す人もいるし、同じように頑張っても成果を出せない人もいます。克服できる欠点もあれば、それを抱えたまま歩まざるをえないハンディを生まれながらに負っている人もいます。絶望に追い込まれたとき、踏みとどまることが出来る者もいれば一線を越えてしまう者もいるでしょう。
罪を犯すような事態に、自分だけは陥らないと考える人は多いかもしれません。しかし、人生の明暗を分けるその境界線は非常に脆いものです。私たちはいつ被害者になるか分からないし、それと同じようにいつ加害者になるかも分かりません。被害者や加害者の家族にもなりえます。たとえ人の命を奪わないまでも、相手の心に生涯消えない傷を負わせることもあるでしょうし、たとえ自ら手を下さなくても、傍観や無知を通して加害の側に立っていることも少なくありません。
死刑という問題に向き合うとき、いったいどれほどの人間が、同じ人間に対してその命を奪う宣告をすることが出来るほどに正しく、間違いなく生きているのかと思うことがあります。そして、その執行の現場に立ち会う人間の苦しみも想像を超えるものがあります」

堀川恵子氏の言ってることに全面的に賛成である。
アメリカの研究によると、親から虐待を受けた子ども千人のうち、20歳までに2人に1人が軽犯罪で捕まっており、5人に1人が傷害や殺人を犯しているという。

イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と言ったそうだが、小川前法相も含め、石を投げる資格のある人はあまりいないように思う。

コメント (12)
この記事をはてなブックマークに追加

堀川恵子『裁かれた命』3

2012年06月25日 | 死刑

死刑になった長谷川武は初犯であり、被害者は一人。
信じられないことに、地裁の審理はたったの2回だけ。
それで死刑になっている。

1955年~1970年に死刑確定事件は246件。
そのうち、被害者数が1人で死刑になった事件は134件で約54%。
246件のうち、被告人の年齢が確認できた146件のうち、被告人の年齢は22歳以下が29人(うち9人が未成年)。

1971年以降、1990年代半ばまでは死刑の確定件数は毎年一桁に減少している。

ところが、1990年代後半から死刑確定数が二桁台に戻っている。
長谷川武の事件が数年後に起き、もうちょっとましな国選弁護人がついたら、たぶん死刑にはなっていないと思う。

死刑判決が出たのは弁護人の無能さ、やる気のなさもあるが、大きな理由の一つは長谷川武が書いた「犯罪日記」の存在である。

長谷川武は強盗殺人事件の前に三件の窃盗と強盗を犯しているが、犯行の内容を「犯罪日記」に詳細に記していた。
一審の判決文「被告人は本件各犯行後その非を悔悟反省することなく、その都度、自己の犯行を逐一詳細に「犯罪日記」と称する帳面にしたためて置くなど、被告人の有する凶悪性、反社会性、社会的危険性はまことに強度なものと認めざるを得ない」
「自分の人生は太く短く生きたい」と書いており、凶悪な事件をやるという意思が強いと見なされたわけである。

長谷川武自身も「殺そうと思って殺意を持って家に押し入った」と殺意を認めている。
堀川恵子『裁かれた命』の中で、土本武司氏は長谷川武の取り調べについてこのように語っている。
「死刑事件でこんなに手間のかからないケースは珍しかったんです。(略)彼は言ってみれば捜査官が捜査しやすい供述態度をとってくれたわけです。(略)長谷川に対しては理詰めにすることも怒鳴ることも、まったく必要がなかったんです」

ところが、長谷川武は上告趣意書では殺意を否定した。
なぜかというと、小林健治弁護人が長谷川武のために熱心に弁護したからだと思う。

長谷川武が起こした二件の強盗では被害者はすぐに現金を差し出した。

しかし、今回は被害者は大声を出したので、静かにさせようとしたが抵抗は収まらない。
上告趣意書にはこのように書かれてある。
「私は困却してしまいました。半分は無我夢中の私、奥さんは私の言うことを聞いてくれない、精神的にも切羽詰まった私、ちつとも静かにしてくれない、冷血漢の私、もう私の頭の中は何かがグルグル回つている様でした」
「私は奥さんの胸部を突差していました。私は其の時「しまつたあ」と唯それだけを感じ取りました」

土本武司氏は次のように語っている。
「この上告趣意書を読んで分かった事情や、こうやって改めて調べ直してみて分かってきた彼の情報を踏まえて考えていくと……、そういう犯罪を行う背景事情としての当時の彼の生活、その生活に基づく彼の心の動き、犯行時の心理状態については、はたして検察官である私は正しい認定が出来ていたのだろうかという気持ちが湧いてきますね。
検察官も弁護人も裁判所も、つまりあの事件に関与した法律関係者全員が本当に正しい認定をしたのかという、反省的な気持ちがありますね……」

堀川恵子「土本はさらに、もし「犯罪日記」を死刑求刑、そして死刑判決の有力な根拠にするのであれば、本来なら日記を書き始めた当時の被告人の心情、日記に書かれた事実関係の裏付けなど、日記の内容の立証に特化した捜査や審理が必要であったのに、一連の捜査でも裁判でも、そこには全く触れていなかったと言った。そして、自分たちに都合の良い部分だけを抜き出しただけだったのだろうと自省を込めてふり返った」

殺人事件を起こした被告は、調書や判決文に事実とは異なる点があっても、償いの意味でそのままにすることがある。
しかし、弁護人の働きかけで事実を明らかにすることが自分の義務だと思い、上告審で実際はこうなんだと訴える。
ところが、時すでに遅しで、否認したから反省していないと見なされてしまう。
長谷川武もそうだったんだと思う。

コメント (8)   トラックバック (1)
この記事をはてなブックマークに追加

堀川恵子『裁かれた命』2

2012年06月22日 | 死刑

東京地裁の検事だった土本武司氏宛に届いた長谷川武という死刑囚からの9通の手紙、その手紙にまつわるテレビ・ドキュメンタリーをもとに書かれたのが堀川恵子『裁かれた命』である。

土本武司氏は30年間の検事生活の中で一回だけ死刑を求刑した。
1966年5月に起きた強盗殺人事件である。
といっても、土本武司氏はこの事件の捜査検事で、裁判で死刑を求刑したのは別の検事である。
長谷川武は否認せず、1966年11月に東京地裁で死刑判決が言い渡された。
1968年4月、最高裁の死刑判決で確定する。

土本武司氏への最初の手紙は、地裁判決後の1967年1月1日の年賀状。

最後の手紙は1971年11月8日、執行の前夜である。
11月9日に執行、28歳だった(1944年生まれ)。
長谷川武は二審と三審の弁護人だった小林健治氏にも何通も手紙を出している。
手紙には怨みや怒りは書かれていない。

長谷川武を知る人たちは、大人しく感じがいい、引っ込み思案、話し下手、真面目、腕の良い職人だと語り、可哀相とも言っている。

1969年、土本武司氏は長谷川武の安否を東京拘置所に問い合わせた。
東京拘置所の返事(8月18日)に、こんなことが書かれてある。
「本人は現在健康で反省悔悟の生活を送っており、処遇上格別の問題もなく、職員に対する態度も良好です。日常本人に接している職員は現在の彼の生活態度とあの重大犯罪をむすびつけて考えるのは困難に思えると申しております。毎週一回の宗教々誨にも熱心に出席し、法話に耳を傾けるほか、被害者の命日にはその冥福を祈り読経を願い出ており、精進努力の姿が職員に右のような感を与えているものと思われます」
拘置所職員には、判決文には「更生不可能」とある長谷川武が、どうして強盗殺人を起こしたのかわからない、と感じているのである。

土本武司氏からの安否確認を聞いたのだろう、長谷川武は5通目の手紙(9月1日付)を出している。

「現在、苦しんでないかと言うとそうではないのです。一己の人間として、過去の事事が苦しい。かと言って、ぼくは此の苦しみから逃げようとはしない。何故なら、これらの苦しみも含めて、罪の償いの一部と考えるからです。
ぼくは絶対 立ち直ります。このままでは嫌です。
検事さんに本当のぼくを知って貰う為に、――否、立直ったと言いましょうか、立直ったぼくを知って貰う為に」

しかし、立ち直っても死刑は執行される。
堀川恵子「しかし、「死刑」は受刑者である死刑囚に立ち直ることなど求めてはいない。死刑とは、自ら奪った命に対し自分の死をもって償わせることであり、いわば犯した罪への罰である。反省していようがいまいが、立ち直ろうが開き直ろうが、その先にあるのは等しく「死」のみである。償いが「死」そのものである以上、その前に別の償いを求める必要はない」
立ち直るとか、反省するとか、償うとか、そういったことは死刑囚には求められていないのである。

土本武司氏は1970年7月20日付の手紙(7通目)を読み、恩赦の可能性はないかと上司に相談する。
土本武司「それまで私は自分の人生の中で接してきた家族や親友、あらゆる人の中で、ここまで私の心を揺さぶった人間は一人もいなかった……。(略)
この長谷川という人間を仮に今、社会に戻せば、再び重大な凶悪事件を犯す恐れというのは一点だにないと私は思ったのです」

しかし、死刑を求刑した検事が恩赦の措置を取るというのは筋が通らないと諭されてあきらめる。

死刑を求刑した検事でも恩赦をと考えたぐらいだから、刑務官はさぞかし死刑の執行は嫌だったろうと思う。

コメント (32)
この記事をはてなブックマークに追加

堀川恵子『裁かれた命』1

2012年06月19日 | 死刑

名張毒ぶどう酒事件の再審開始決定が取り消されたが、土本武司氏は妥当な決定だというコメントを新聞に寄せている。
私は元最高検察庁検事の土本武司氏はばりばりの死刑大賛成、厳罰化推進論者だと思っていた。
しかし、堀川恵子『裁かれた命』を読むと、隠れ死刑反対派ではないかという気がする。

堀川恵子氏が光市母子殺害事件の死刑判決について意見を求めると、土本武司氏の口から「あれは、ちょっと厳しすぎるんだよね……」という言葉がもれた。
そして、死刑についてこのように語っている。
「死刑っていうのはまさに究極の刑なんです。みんな、死刑とはたくさんある刑罰の中の一つくらいにしか思っていない。私も公に意見を求められたら、まあ、型通りに死刑で当然と見解を述べますけれど。そもそも今の社会で死刑について深い議論を交わすことなんて出来っこないですから。だから私も死刑については突っこんだ議論はしないんですよ」
光市事件の死刑判決は厳しすぎると土本武司氏が思っているとは驚きである。

さらに土本武司氏は死刑に関する議論の底の浅さに不満を述べる。

「悪い事をしたら罰を受ける、人を殺したら命で償うというのは分かりやすいロジックではあるけれど、死刑は法律が認めた、いわば国家による殺人と言ってもいい。目の前で動いている、生きている人間を殺すことなんですから。死刑は本来、究極の選択でなくてはならないんですがね……」
土本武司氏の口から死刑が「国家による殺人」だという言葉が出るとはね。

池田小学校での無差別殺害事件の加害者の執行についても、こんなことを話している。
「あの死刑囚が処刑された後に遺族の方たちのコメントが新聞に載りましたね。多くは早期の死刑執行に不満をうったえていました。それは早期の執行そのものに反対するのではなくて、執行する前に反省させてほしかった、謝ってほしかったというものでした。ご遺族の気持ちはもちろん理解できますが、それでも私はこの種の感情に簡単には同調できないんです。
死刑というのは、命を奪うこと、つまり本来なら神様しかしてはいけないことを、法の名の下において人間がやっているわけですから。それは単なる謝罪という次元を超えた最大の償いなんです。命を差し出すのだからこれ以上のことはない。それに対して謝罪してほしかったというのは本来、筋が通らない話です。それほど死刑というのは重いものであるはずなのに、多くの人はそれを理解していない」

土本武司氏は司法修習生のときに、死刑を廃止するための方策について論文を書いている。
「だけど検事に任官してから、私の中で死刑に対する考えは百八十度、変わったんです。色んな被疑者を取り調べる中で、世の中には死をもって償わせるしかない罪が存在するのだと思うようになったのです」

そうは言うけれども、土本武司氏が死刑制度に賛成なのは、法律で死刑という刑罰が定められているからであり、法律は守られるべきだという、法律家としての信念からじゃないかと思う。
千葉景子法務大臣が死刑執行の文書にサインしないことに対して、土本武司氏は「サインしないのなら辞職するのが筋である」と新聞社にコメントしている。
「死刑判決が確定しながら法的な特段の事情もないのに執行をやめるというのは、法治国家というは自らを破壊することになる。執行しない死刑制度というものを残しておくのは矛盾です。執行しないなら、もともと死刑制度そのものを廃止しなきゃいけないだろうと思うんです」
たしかに筋は通っている。

しかし、かつて土本武司氏が死刑を求刑した長谷川武について、こう言う。
「一個人、土本武司からすれば、もはや彼(長谷川武)に対して冷たいロープを首にかける必要性はなかったんじゃないかと思いますよ。そんなこと、よくある死刑事件と事件を起こした犯人であって、死刑は手続きの流れの一環に過ぎないじゃないかというふうに冷たく突き放す、わたしには突き放すことがいまだ出来ないんですよ……」

堀川恵子氏は土本武司氏について「ただひとりのか弱い人間にすぎない自分の心に生まれた死刑への疑問をかき消すために、普段の彼はあえて強硬な言葉を並べて死刑を語っている。それは社会から一方的に期待される元検事、そして法学者としての役割を果たそうとしているようにも思えた」と書いている。

コメント (32)
この記事をはてなブックマークに追加

無着成恭『ヘソの詩』とヤマギシ会

2012年06月15日 | 

宮城先生の講義録にこんな詩が紹介されていた。

山崎まどか(小学6年生)
人間は、生きるために
にわとりも殺さなくちゃいけないし
豚も殺さなくちゃならない。
生きてるっていうことは
ずいぶん迷わくをかけることなんだ。
自分で自分のこと全部できたら
人は一人ぼっちになってしまう。
他人に迷わくをかけるということは
その人とつながりをもつことなんだ。
他人の世話をすることは
その人に愛をもつことなんだ。
生きるっていうことは
たくさんの命とつながりをもつことなんだ。

お乳をやった私に
あたたかいからだを押しつけてきた子牛を
私は思った。
           (82年10月)

こりゃすごいと思い、無着成恭『ヘソの詩』に載っているということなので、図書館で借りてきました。『ヘソの詩』は明星学園の小中学生が書いた詩に、無着成恭氏の感想を書いた本。

読んでみると、宮城先生の本には詩の後半しか引用されていないことを発見。

 ごはんの時に

           六年 山崎まどか
食事のとき
自分のおちゃわんに
自分でごはんを盛ろうとしたら
「だめ!」っていわれた。
あら、どうして? って思った。
自分のことは自分ですると思ってたのに
山岸会のおばさんから
「自分のことは他人にしてもらうんですよ。
人は誰でも
生まれたときだって 死んだときだって
他人からしてもらうんでしょ。
だから
自分のことを自分ではしないの。
そのかわり他人のことをしてあげるの」
そういわれてしまった。
そういえばそうだと思った。
人間は、生きるために
にわとりも殺さなくちゃいけないし
豚も殺さなくちゃならない。
生きてるっていうことは
ずいぶん迷わくをかけることなんだ。
自分で自分のこと全部できたら
人は一人ぼっちになってしまう。
他人に迷わくをかけるということは
その人とつながりをもつことなんだ。
他人の世話をすることは
その人に愛をもつことなんだ。
生きるっていうことは
たくさんの命とつながりをもつことなんだ。

お乳をやった私に

あたたかいからだを押しつけてきた子牛を
私は思った。

山岸会とはヤマギシ会のこと。

明星学園では6年生の修学旅行に三重県にあるヤマギシズム豊里実顕地に行っていて、いくつかの詩はその時の体験を書いたものなのである。
子どもたちは牛や豚のお産を見たり、牛や豚や鶏の糞だしをしたりして、そのことを詩に書いている。
山崎まどかさんの詩もその一つ。
1982年ごろは、ヤマギシ会はまだ問題になっていなかったから、修学旅行に行ったのだとは思うが、びっくりでした。

無着成恭氏はヤマギシ会のおばさんの言葉をこのように記している。

「ね。あなた、生まれてきたとき、自分で生まれてきた? 死んだとき、その死体の始末を自分でできる? ね。自分のことは自分でせよ、なんてウソよ。自分のことであっても、最も重大なことは、みんな他人様からやってもらうのよ。自分でできることなんかおしりをふくことぐらいじゃないの。それだって、恍惚の人になってしまえば、みんな他人からやってもらうのよ。自分のことは他人からやってもらうの。だから他人のことをやってあげないといけないの。わかった?」
いいこと言ってます。
たけど、豊里実顕地への体験旅行がきっかけとなって、ヤマギシ会にはまった人がいるかもしれないし、今からするとちょっとなあと思う。

コメント (10)
この記事をはてなブックマークに追加

大阪知事、通り魔に「死にたいなら自分で死ね」

2012年06月12日 | 日記

大阪知事、通り魔に「死にたいなら自分で死ね」
大阪・ミナミの通り魔事件で、松井一郎大阪府知事は11日、現行犯逮捕された礒飛京三容疑者が「人を殺せば死刑になると思ってやった」と供述していることに対し、報道陣に「『死にたい』と言うんだったら自分で死ねよと(言いたい)。人を巻き込まずに自己完結してほしい」と発言した。
府は自殺予防対策を行う立場だが、松井知事は「(容疑者が必要とするなら)相談窓口に来ればいいし、『行政の支援は受けたくない、この世からいなくなりたい』と言うなら止めようがない」と述べた。読売新聞6月11日

2ちゃんねるに匿名で書き込むのならともかく、公の場でこんなことを平気で発言する神経がわからない。

死刑になりたいからという無差別殺人事件は毎年のように起きている。

死刑になりたい(因)→知らない人を殺す(果)
こういった事件を防止したいのだったら、因をなくせばいい。
すなわち、まず死刑の廃止を訴えるのが政治家たる松井一郎氏のすべきことである。

また、「『行政の支援は受けたくない、この世からいなくなりたい』と言うなら止めようがない」という発言はあまりにもひどい。

自己責任ということか。
松井一郎氏としては、自死したい人は「相談窓口に来ればいい」わけで、大阪府の自死対策はこれで十分だと自負しているのだろう。
その程度の対策で自死者が減るのだったら楽ちんな話である。
自殺未遂を何回かした人が言ってたのだが、いのちの電話に数十回電話したが、いつも話し中だったという。
いのちの電話に電話するのはまだ調子のいいときで、本当にダメなときは電話をする気すら起きないそうだ。
電話もできないのに、まして相談窓口までわざわざ出かけることなど無理である。
松井一郎大阪府知事は自死問題について無知で無能、なおかつやる気がないということを表明したようなものである。
こんな公務員はすぐさまクビにすべきだと、橋下徹大阪市長なら考えるのではないかと思う。

追記
親が子どもを道連れにして命を断つ親子心中は少なくない。
自分が死んだら子どもたちは困るだろうからと、子どもを殺して自分も死のうとする。
しかし中には、死にきれずに親だけが生き残ってしまうこともある。
人を巻き添えにして自死しようとするという点では、通り魔殺人と同じだと思う。
こういう事件に対しては、松井一郎氏も違った言い方をするのではないだろうか。

コメント (12)
この記事をはてなブックマークに追加

「オウム真理教元信徒広瀬健一の手記」5 ヴァジラヤーナの救済

2012年06月09日 | あやしい教え・考え

オウム真理教の事件は救済であり、慈悲の行為とされた。
広瀬健一氏によると、オウム真理教における救済とは「その対象について、まず三悪趣への転生を防ぎ、最終的には解脱させること」である。

ところが、「オウムの教義の見地からは、現代人は悪業を積んでいるために、三悪趣に転生するのは必至でした。さらに、悪業を積み過ぎているので、真理(精神を高める教え=オウムの教義)を受容できる因も尽きており、通常の布教方法では救済されないとされていました」
そこで、「かかる現代人を救済するには、武力を用いて地球上にオウムの国家を樹立し、真理の実践をさせる以外の道はない。あるいは、「ポア」しかない」というヴァジラヤーナの教義に基づく救済が説かれた。

「ポアとは、麻原が救済の対象について、その生命を絶つことによってカルマを背負い、より幸福な世界に転生させる手段でした。また麻原は、武力を用いて地球上にオウムの国家を建設し、人々にオウムの教義を実践させるとも説きました」

麻原彰晃は「数百人の商人を殺して財宝を奪おうとしている悪党がいた。釈迦牟尼の前生はどう対処したか」という質問を何人かの弟子にし、こういう説法をしている。
「例えば、ここに悪業をなしている人がいたとしよう。そうするとこの人は生き続けることによって、どうだ善業をなすと思うか、悪業をなすと思うか。そして、この人がもし悪業をなし続けるとしたら、この人の転生はいい転生をすると思うか悪い転生をすると思うか。だとしたらここで、彼の生命をトランスフォームさせてあげること、それによって彼はいったん苦しみの世界に生まれ変わるかもしれないけど、その苦しみの世界が彼にとってはプラスになるかマイナスになるか。プラスになるよね、当然。これがタントラの教えなんだよ」(『ヴァジラヤーナコース教学システム教本』)
カルマの法則と輪廻転生を信じるなら、この考えは否定できないと思う。

釈迦牟尼は前生で悪党を殺したのだが、それは「悪党がより厳しい苦界により長い期間にわたって転生するのを防ぐため」だと麻原彰晃は説明した。
「悪党は、悪業を犯し続けるのを放置されれば、地獄転生は必定です。地獄に転生する塗炭の苦しみは、殺される苦痛の比ではない。これがオウムの教義であり、信徒の感覚でした。常識とは相反するこの見地に立脚すると、教団においては、殺人も救済になり得たのです」

麻原彰晃の説法。
「ここに、このままいくと地獄に落ちる人がいたと。そしてそのカルマを見極めた者が、そこで少し痛めつけてあげて、そしてポワさせることによって人間界へ生まれ変わるとしようと。その人は、それを知って痛めつけ、そしてポワさしたと。つまり殺したわけだな。人間界へ生まれ変わったと。これは善業だと思うか、悪業だと思うか。――ところがね、観念的な、法無我の理論を知らない者は、それをそれとして見つけることができないんだね。観念的な善にとらわれてしまう。そうすると、そこで心は止まってしまうんだ。いいかな」(1989年4月28日 富士山総本部道場)

「ヴァジラヤーナの救済におけるポアとは、麻原が救済の対象について、その生命を絶つことによってカルマを背負い、より幸福な世界に転生させる方法でした。ですから信徒が日頃なじんでいたヴァジラヤーナの指導法も、ヴァジラヤーナの救済におけるポアも、考え方そのものは変わらなかったのです。
 異なるのは後者の場合、エネルギー交換を起こすための〝働きかけ〟が生命を絶つことだった点です。〝働きかけ〟が何であるべきかは、最終解脱者である麻原が、対象のカルマを見極めて決定することでした。現代人の場合、あまりにも悪業を蓄積しているために、その〝働きかけ〟が生命を絶つこととされたのです」

ヴァジラヤーナはカルマを浄化し、三悪趣に堕ちることを防ぎ、解脱へと導くためである。
いくらポアが三悪趣への転生を防ぐ慈悲の行為だとしても、殺人には違いないから、実際に手を下す弟子はカルマ(悪業)を作ることになる。
そのカルマも麻原彰晃が背負う。

「麻原は信徒について、「苦しみ」を与えることによってカルマを背負い、解脱・悟りに導きました。
 つまり、麻原が信徒に「苦しみ」を与えることによって、両者の間に〝関係〟が生じ、「エネルギー交換」が起こるわけです。そのとき、麻原の持つ最終解脱状態の情報が信徒に移り、また同時に、信徒のカルマが麻原に移ります。その結果、信徒はカルマが浄化され、解脱・悟りに導かれるのです。これがそもそものヴァジラヤーナでした。また麻原がこの〝神秘的な力〟によって、信徒の精神を高める(煩悩・カルマを減じる)ことが、そもそものポアでした。
 また、ヴァジラヤーナの指導法において麻原が信徒に「苦しみ」を与えたのは、カルマを清算させる意味もありました。教義では、自身のカルマに応じた苦しみが身の上に起こると、そのカルマが消滅するとされていたからです。
 実際に麻原は、竹刀で信徒を叩くことがありました。竹刀が折れるほど強く。また、様ざまな〝働きかけ〟をして、信徒を精神的に苦しめることもありました。よく聞いたのは、信徒の苦手とする課業を故意に指示し、信徒が強いストレスにさらされる状況を形成することです。このような方法で対象のカルマを浄化することを、「カルマ落とし」といいました。
 ヴァジラヤーナの救済において対象の生命を絶つのは、この「カルマ落とし」の意味もあったのです。
 以上のようなヴァジラヤーナの指導法、つまり麻原との「エネルギー交換」や麻原による「カルマ落とし」によってカルマが浄化され、修行が進んだり、さらに解脱・悟りに誘われたりした(と感じた)信徒が多数存在しました。ですから信徒にとっては、ヴァジラヤーナの指導法ひいてはヴァジラヤーナの救済は、幻覚的ではありましたが、その効力が五感によって知覚され、身体に刻み込まれた実際的な教えだったのです。
 以上のように信徒の日常に溶け込んでいた「エネルギー交換」と「カルマ落とし」の教義を基礎として、麻原はヴァジラヤーナの救済の説法を展開しました」

というように、オウム真理教の一連の事件は救済だと、理論的にも、体験的にも正当化されたわけである。

コメント (92)
この記事をはてなブックマークに追加

「オウム真理教元信徒広瀬健一の手記」4 神秘体験

2012年06月06日 | あやしい教え・考え

オウム真理教の信徒にとって、カルマの交換やカルマの浄化、三悪趣への転生などは単なる理論ではなく、実体験(宗教的経験)によって実感する事実である。
たとえば、カルマは病原菌のように人に移る。
「信徒のその認識は、非信徒の方との「エネルギー交換」の体験に基づいていました」

その実体験を広瀬健一氏は手記に書いている。
「当時私は、会話をするなどして非信徒の方と接したり、街中を歩いたりすると、カルマ(悪業)が自身に移ってくるのを感じました。これは、気体のようなものが振動(ヴァイブレーション)を伴いながら身体に入ってくるような感覚でした。また同時に、表現し難い不快な感覚も誘起されました。まるで、自身の生命活動を維持している源が、蝕まれるような。そして、この感覚の後に私は、自分が気味悪い暗い世界にいるヴィジョンや、奇妙な生物になったヴィジョン――カンガルーのような頭部で、鼻の先に目がある――などを見ました。
 このビジョンは、カルマが移り、自身が三悪趣に転生する状態になったことを示すとされていました。(ですから私は、この経験によって、人々が三悪趣に転生することを実感していました)さらに、その感覚(エネルギー交換)の後に私は、心身の状態も悪化しました。エネルギーの通る管が詰まり、身体に違和感を覚えたのです。あたかもカルマが管を詰まらせたかのように。同時に私は、エネルギーの流れが阻害されてそれが身体に充満しなくなり、消沈した精神状態になりました。
 この理由で私は、麻原がエネルギーを込めた石を握りながら、カルマを浄化する修行をせざるを得ませんでした。自身が三悪趣に転生するのを防ぐために。そして心身の不調から脱するために。
 また私は広告を始めとして情報によっては、接すると頭痛などの心身の変調が起きたのです。一般社会の情報は煩悩を増大させて、人々を三悪趣に転生させるという教えの影響でした」

麻原彰晃によるエネルギー交換ついてはこういう体験をしている。
「私は修行をしていないときでも、麻原の心地よいエネルギーが頭頂から注がれて心が澄みわたり、自身のカルマが浄化されるのを感じることがありました。このような状態は、奉仕行(布施と布教)によってもたらされました。
これが当時の日常でしたから私は、一般社会の影響によって人々がカルマを増大して三悪趣に転生するのに対して、麻原だけが人々のカルマを浄化できることを肌で感じました」

「私は様ざまな状況・様態で、麻原のエネルギーを体感しました。その感覚は、麻原が強く意識される状況では必ず生起しました。たとえば、私が麻原の近傍にいるとき、あるいは麻原と(電話で)話しているとき、瞑想において麻原を観想しているときなどです。なお、麻原と距離を隔てた状況において、突然生起することもありました。

 またそのエネルギーは、あるときは気体、あるときは液体のような感覚を伴って、私の身体に流入してきました。熱く感じることもあれば、冷たく感じることも、温度を感じないこともありました。
 そして、このエネルギーこそが私にとって、麻原が神格を有することの証明でした。それが私の身体に注がれると、私の心が〝聖なる〟状態になったからです。心の汚濁は浄化され、意識はどこまでも透明になり、冴えわたりました。それは、人の五感が奏で得る、至上の感覚でした」

「また私は、麻原のエネルギーが注がれると、自身のカルマが浄化されるのを実感しました。その経験も、「潔められる」という感覚が誘起されるこの型の宗教的経験の性質に起因するものでしょう。さらに「カルマが浄化される」という感覚のみならず、カルマの浄化によって起こるとされる〝現象〟が相伴って、私の身の上に現れるのでした」

こういう体験をしていたら、麻原彰晃の言うことに疑問を持つことは不可能だと思う。

おそらく武装化やサリンを撒くなどに何のためらいも持たなかっただろう。
麻原彰晃がオウム真理教で絶対的な存在になったのも無理もない。

こうしたことを防ぐためには体験を絶対化しないことが大切である。

宮城先生は、智慧がないというのは光がない状態、手探りで動くしかないことだ、と話されている。

「手探りというのはなにかというと、自分の手に触れたもの、体にふれたものしか信じないということです。つまり自分の体験、自分の考えそういうものが絶対的になる。これはおれが体験したことだ、だから絶対まちがいがない」
この体験とは神秘体験だけに限らない。
たとえば、自分が苦労したことを握りしめるとか。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「オウム真理教元信徒広瀬健一の手記」3 救済者としての麻原彰晃

2012年06月03日 | あやしい教え・考え

手かざしによる浄霊とカルマの浄化とは理屈としては似ていると思う。

櫻井義秀『霊と金』によると、浄霊とはこういうことである。
「(世界救世教教祖)岡田(茂吉)によれば、人間は日々の生活で心身に汚れたものを蓄積するため、霊が曇り、身体には毒素が溜まる。人間には自己治癒力があるので、毒素を排出しようとして病になったり、不幸や災難といった出来事に遭遇したりする。これが自然の浄化作用と考えられ、岡田は神から授かった力により、霊の曇りを取り除き、浄化を促進して病や災厄をなくすことができると語った。この浄霊の力と技法は岡田の高弟達に伝授されたが、教団が拡大する際に、治療の講習会に出席したものにおひかり(元々は治病観音力)と呼ばれる御守りが与えられ、おひかりを身につけたものには神の力を取り次ぐことができるとされたのである。今風にいえば、誰でもヒーラーになれる道が開かれた」
つまり、「心身に汚れたもの」がカルマ(悪業)であり、「不幸や災難といった出来事」はカルマ落とし、「霊の曇りを取り除く」ことがカルマの浄化になる。

しかし、オウム真理教のカルマの浄化と浄霊とは大きく違う点がある。
浄霊は研修会に参加することで誰もが習得できるが、オウム真理教ではカルマの浄化のためには麻原彰晃の存在が不可欠だということである。

広瀬健一氏はこう書いている。
「ここで、麻原について説明させていただく必要があります。麻原は教義上、カルマの浄化に不可欠な存在だったからです。
 輪廻の原理とカルマの法則が支配するオウムの宗教的世界において、麻原は「神=救済者」といえる存在でした。カルマを滅尽した最終解脱者であり、苦界に転生する運命にある私たちのカルマを浄化し、私たちを幸福な世界への転生、ひいては解脱に導くことのできる「神通力」を具有するとされていたからです。(略)
 麻原は人のカルマの状態を見極め、これを効率的に浄化する指導ができるとされていました。
 さらに麻原は、私たちに「エネルギー」を注入して最終解脱状態の情報を与え、また私たちが蓄積してきたカルマを背負う――つまり、カルマを引き受ける――とも主張していました。このようなカルマの移転は、「エネルギー交換」あるいは「カルマの交換」と呼ばれていました。このエネルギー交換は、接触でも、会話・思念でも――私たちまたは麻原の一方が相手を思念した場合でも――、さては麻原に対する布施でも、私たちと麻原の間に何らかの〝関係〟が生じれば、程度の差はあれ起こるとされていました」

カルマを金と考えたらわかりやすいと思う。
悪いことをすると借金(悪業のカルマ)が増える。
麻原は借金を肩代わり(エネルギー交換)したり、金を与える(イニシエーション)ことによって借金をなくしてくれる。

「また信徒は、麻原のエネルギーを得るために、「イニシエーション(秘儀伝授)」を熱心に受けていました。イニシエーションとは、麻原が信徒にエネルギーを注いで最終解脱状態の情報を与え、また信徒のカルマを背負う〝儀式〟です。加えて、イニシエーションを受けると、麻原との縁や絆が強まり、解脱に至る因が培われるとされていました。
 イニシエーションは種々ありましたが、最も代表的なのが「シャクティー・パット」でした。シャクティー・パットにおいて、麻原は信徒の額に親指を当て、一〇分間にわたってエネルギーを直接注入しました。このとき多くの信徒が宗教的経験を得、麻原に対する帰依を深めたのです」
シャクティー・パットなんてアホらしいと、私はバカにしていたが、手かざしと同じ理屈だとは知らなかった。

「カルマを浄化しないと苦界に転生するのですから、カルマを背負ってくれる麻原は、まさに「神=救済者」でした。その神の力を、信徒はイニシエーションによって体感していたのです」

では、麻原彰晃の力によらずに、自分が善業を作ることによってカルマを浄化することはできるのか。
功徳となる行為(善業)は麻原彰晃や教団に対する奉仕行である。
在家信徒の代表的な奉仕行は布施と布教(入信勧誘・チラシ配りなど)である。
しかし、自分の努力(善業を積む)だけで借金(カルマ)を減らせるわけではないらしい。

「布施を含む奉仕行は教義上、さらに重要な意味がありました。麻原が意思する善行の実践によって、彼との〝絆〟が強まるとされていたのです。その結果、麻原の「エネルギー」を得ることができ、それによって自身のカルマが浄化されると説かれていました」
いくら善行を積んでも、麻原彰晃がいなければカルマの浄化には結びつかないのである。

コメント (69)
この記事をはてなブックマークに追加