三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

和歌山カレー事件(2)

2021年12月29日 | 死刑

和歌山毒入りカレー事件では、直接証拠がなかったため、警察も検察も林眞須美を自白に追い込む必要があった。
ところが、取調べに否認し、黙秘した。

警察の取調べは、毎日朝8時半から夜中の12時半までに及んだ。
窓のない狭い部屋で、常に3~4人の男に囲まれた。
机は蹴る、椅子は蹴飛ばす、怒鳴る、殴る、灰皿をぶつける、捜査書類で頭を殴る、机を押されて壁との間に体を挟まれる、食べ物の中に安全ピンを入れられる。
子どもたちの写真を見せられて、その写真で頭や腕を殴られる。

島田事件、赤堀事件、袴田事件などで警察は取調べで暴力を振いましたが、現在でも同じことが行われているわけです。

自白させることは無理だと考えた検察は、夫を抱きこむことにした。
離婚を勧め、離婚届を持ってきたが、サインをしなかった。

林眞須美は逮捕の三日前に流産していた。
検察は、愛人がいたと言って揺さぶりをかけた。
さらには、「眞須美が愛人と行ったモーテルの領収書だ」と言って、それらしき領収書を見せた。
「4人の子どものうち、2人はおまえの子じゃない」から始まり、カシミヤのコートを見せ、「これは眞須美が愛人に買ってもらったコートだ」と言う。
週刊誌も「眞須美が愛人の子を妊娠していた」と書いた。

夫の取調べ室には連日、寿司やウナギの出前が届いた。
取調べ室にカラオケが用意され、夫は検察と一緒に歌ったこともある。
検事は「眞須美は落とせん。どうにもならん。健治、頼むから眞須美にヒ素を飲まされたと書いてくれ」と白い紙を差し出した。

そして、八王子医療刑務所のパンフレットを見せながら、「言うとおりにしたら、八王子の医療刑務所に入れるよう手続きしてやる。ここで数年過ごすだけで出られるようにしてやるから、眞須美にヒ素を飲まされたと書いてくれ」と、検事が土下座したこともあった。

検察は、自宅で夫にヒ素入りくず湯を飲ませて殺そうとしたと主張し、裁判は林眞須美の犯行と認定した。
しかし、『もう逃げない』によると、実際はまったく違う。

1996年、祖母が急性白血病で亡くなり、保険金1億4000万円を受け取った。
車のローンの返済や居候していたマージャン仲間のIさんの借金返済などに使ったが、まだ1億円くらい余っていた。

ところが、父とIさんが競輪などに使ってしまい、金庫には300万円しかない。
母は激怒し、家から出て行けとどなると、父は「ワシが体張って億のカネ稼いだら文句ないやろ」とタンカを切り、ヒ素を飲んで高度障害保険金をだまし取ると宣言した。

耳かき1杯分のヒ素をコーヒーに混ぜて飲んで入院したが、症状が軽かったため医者から退院するように言われてしまう。
そこで母に家からヒ素を持ってくるよう命じ、少し多めのヒ素を抹茶片栗に混ぜて飲んだ。
すると、20日間以上も生死の境をさまよった。
これで1億5千万円の高度障害保険金を手に入れた。

保険金詐欺を行ううえで不可欠だったのが医師による診断書である。
父から金品を受け取って偽りの診断書を書いていた医者は5、6人いる。
両親は医者を1人ずつ家に呼んではもてなしていた。
カレー事件をきっかけに医者たちの不正も発覚したが、誰も罰を受けていない。

公判で検察は動機を、カレーづくりに参加しなかったことを主婦たちから問い詰められて激高し、カレー鍋にヒ素を入れたと主張した。
だが、母が午前中のカレーづくりに参加できなかったのは、糖尿病の検査の予約を入れていたからで、事前に参加できない旨も伝えてあった。
祭りの時間帯には家族でカラオケに行き、家族の誰もカレーを口にしなかった。

裁判所は激高説を退け、動機が不明のまま死刑判決を下した。
林健治は妻と共謀して1億6千万円の保険金を詐取したとして、懲役6年の判決を受ける。

最高裁の判決
①カレーに混入されたものと組成上の特徴を同じくする亜ヒ酸が林宅から発見された。
②被告人の頭髪から高濃度のヒ素が検出された。
③被告人のみがカレー鍋に亜ヒ酸を混入する機会を有しており、鍋の蓋を開けるなどの不審な挙動をしていたことが目撃されている。
よって、合理的な疑いを差し挟む余地のない。

しかし、河合潤は、カレーに混入されたヒ素と、林宅などから発見されたヒ素は同一ではない、頭髪鑑定ともども過誤があったと指摘している。

河合潤『鑑定不正』という本が出版されています。
https://www.ryukoku.ac.jp/nc/archives/001/202109/202109Kanteifusei_BookReview.pdf

住民の目撃証言は心許ない。
証拠はなく、自白もなく、動機も曖昧。
これで死刑判決を出したのですから、無罪推定の原則に反しています。
近所の子供がイタズラで白アリ駆除剤をカレー鍋の中に入れたのではないかと聞いたことがありますが、こちらのほうが真実らしく思えます。

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和歌山カレー事件(1)

2021年12月24日 | 死刑

以前、和歌山カレー事件の弁護人である安田好弘弁護士の講演を聞き、自白も物的証拠も動機もなく、状況証拠だけで死刑にしたのはおかしいと思ったものです。
田中ひかる『「毒婦」和歌山カレー事件20年目の真実』と和歌山カレー事件林眞須美死刑囚長男『もう逃げない』を読み、ますます冤罪ではないかという思いが強くなりました。

1998年7月25日に事件が発生。
事件の翌日、父はニュースを見ながら、「これは、あれやな、あの犬を殺ったヤツが犯人やな」と言った。
林家が引っ越してくる前に、この辺の飼い犬が何十匹か毒殺されたし、裏の畑に毒がまかれて1年間使われなかったこともあった。

当時、林家の収入源は保険の給付金だった。
保険金詐欺を繰り返しており、億単位の保険金を何度も受け取っていた。
8億円を詐取していたという。

父はいつもサングラスにステテコ姿だった。
昼夜を問わないマージャンの騒音は近所に迷惑をかけていた。
競輪で1日に2000万円をスッたことがあった。
母は人とうまくやろうとか、人からよく見られたいという気持ちはあまりなかった。
たしかに怪しそうな夫婦ですが、たまたま同じ団地に住んでいただけかもしれません。

死刑事件でたまたまというのは珍しくないようです。
三崎事件では、家出をした娘を探していて、親子3人が殺された食料品店近くで路上駐車していた荒井さんが逮捕され、死刑になりました。
名張毒葡萄酒事件は、たまたま亡くなった5人の中に妻と愛人がいた奥西さんが逮捕されました。

当初は集団食中毒と見なされた。
7月26日午前6時ごろ、患者たちの吐瀉物から青酸化合物を検出し、カレー皿からは結晶状態で見つかった。
ところが、事件から一週間以上経過した8月2日、警察は「カレーには青酸化合物だけでなく、ヒ素も混入されていた」と発表した。
いつの間にか、青酸化合物の混入は問題にされなくなった。

自治会役員やカレーライス担当の主婦たちの証言により、鍋にヒ素を混入する機会があったのは12時20分ごろから13時までの間に、カレー鍋のそばに一人でいた林眞須美しかいないと結論づけた。

しかし、祭りが始まる1時間ほど前の17時ごろからカレーを温め直しており、そのときにかき混ぜているので、毒物を「上部にふりかけた」のであれば、毒物が混入されたのはカレーライスを配る直前ということになる。

また、カレーを調理したガレージの持ち主は、事件直後テレビ局の取材に「1時から2時半の間に孫と友達(林家の次女)と3人で、2つのカレー鍋を味見したが、異常はなかったと証言している。

部外者が出入りしても不審がられない祭りの状況で、知らない人も出入りした。
時間の証言に裏付けがある人はまれで、時間の記憶にあいまいな部分がある。
犯行は「一瞬のすき」だったのではないか。

16歳の少年は、白のTシャツにクリーム色のズボンだったと証言。
ガレージの向かいに住んでいた女子高生は、髪は肩につく長さ、白いTシャツに黒っぽいズボン姿、首にタオルを巻いていたと語っている。

しかし、当時のニュース映像を見ると、髪はショートカットである。
一緒にいた主婦たちは警察官調書で「林さんは黒っぽい服を着ていた」と証言している。
ところが、公判で主婦たちは警察に誘導され、女子高生の証言に合わせて証言を変えた。

また、当初、女子高生は林眞須美の不審な行動を自宅1階の窓から目撃したと述べていたが、1階からは向かいのガレージの様子は見えない。
3か月ほどして、それは勘違いで、2階の寝室の窓から目撃したと証言を変えている。
しかし、2階からは2つあったカレー鍋の片方は見ることができるが、ヒ素が混入されていた鍋は見えない。

林家の台所の物入れに微量のヒ素が付着したプラスチック容器(「白アリ薬剤」と書かれてあった)が家宅捜査の4日目に発見された。
84人の捜査員が、1日目は約11時間、2日目は約8時間、3日目は約9時間、捜索したのに、この容器は見逃されていた。
事件発生後、林家では車庫のヒ素は処分したのに、なぜその容器を取っておいたのか。

検察は中井泉東京理科大教授が鑑定を依頼した。
この容器に付着していたヒ素と、青い紙コップに付着していたヒ素、カレー鍋に残留していたヒ素とが同一であるという鑑定結果が示された。
同一の工場で同一の原料を用いて同一の時期に製造した亜ヒ酸が希少なものであれば、林眞須美がヒ素を混入した可能性は極めて高いことになる。
しかし、実際には少なくとも50kg入りドラム缶60個分が出回っていた。

弁護団は河合潤京都大学教授にヒ素の鑑定書の解説を依頼した。
河合潤は鑑定書にいくつも問題点があることに気づき、独自に鑑定を行い、事件に使われたヒ素と、林家にあったヒ素は別物だという結論に達した。
紙コップに付着したヒ素は高純度(75%)だが、林家から見つかった容器のヒ素は不純物がたくさん混じっていた(49%)。
低濃度のヒ素が紙コップに移されることで高濃度になることはない。

河合潤さんはこのように語っています。

林家関係者犯人説などもありますが、紙コップのヒ素と林家由来のヒ素は別物ですから、それはありえないことです。私の鑑定結果は、単に林眞須美が犯人でないことを指し示すのみならず、現在も別の亜ヒ酸を所持した真犯人が野放しになっているということなのです。(『週刊金曜日』2017年3月31日号)


中井泉は河合潤に反論した。

河合さんは、われわれの鑑定結果だけでH氏(林氏のこと)が有罪か無罪かを判定しようとされていますが、われわれの鑑定だけで判決が下せるものではありません。

しかし、裁判所は中井鑑定を重要な証拠として林眞須美を有罪としたのである。

中井泉はなぜこのような雑な鑑定を行なったのか。
自白しないため、検察は中井泉に「2週間で結果を出してほしい」と依頼したのである。

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死刑囚の子供

2021年12月16日 | 死刑

「和歌山毒物カレー事件の林真須美死刑囚、再審請求し受理される」(6月11日)というニュースがあってすぐ、6月9日に和歌山市内に住む少女(16歳)が心肺停止状態になって死亡し、少女の母と妹が関西国際空港連絡橋から飛び降りて亡くなったことが報道されました。

この女性が林眞須美死刑囚の長女だったことには驚きました。
というのが、その時、和歌山カレー事件林眞須美死刑囚長男『もう逃げない』を読んでいたからです。

今までどんな日々を過ごしてきたのかと思うと、言葉を失う思いがしました。
犯罪加害者の家族の置かれている状況については今までブログに書きました。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/332e09bc1486207c007971f7c74c9403
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/bf66be4010127798e188a4f259f6132f

加害者家族支援をしている NPO法人World Open Heart理事長の阿部恭子さんは大勢から相談を寄せられるそうです。
http://www.worldopenheart.com/rules.html

家族が逮捕されると普通の生活ができなくなります。
・話し相手を失う。
・世間とのつき合いを失う。
・外出が困難になる。
・仕事を失う。
・自殺を考える。
・楽しいことや笑うことに罪悪感を抱く。

子供への影響が大きい。
・子供の進路変更を余儀なくされる。
・私立で学んでいた子供が学費の確保が困難になる。
・不登校になるケースが多い。

平野啓一郎『ある男』は、弁護士の城戸章良が死刑囚の子供を探すという小説です。
ある死刑囚は、幼少期は食事さえ満足に与えられないほどの貧困と、父親からの凄まじい暴力に苦しんだ。
十代から素行不良になり、高校を中退し、両親と絶縁して、一人暮らしを始めた。
結婚して息子が生まれたが、妻や子供に日常的に暴力を振るった。
ギャンブルで借金漬けとなり、連日、取り立てに追われた。
子供会で親しくなった家に金の無心に訪れるが、断られて激昂し、夫婦と子供を惨殺、金を奪って放火した。

城戸は、同じ「子ども会」で、一緒にソフトボールの練習をし、ベースやバットといった用具を預かってもらっていたために、何度もその家に遊びに行ったことのある上級生が、ある日突然、両親共々、惨殺されたと知った朝の原誠の心情を想像した。パトカーや救急車のサイレンが轟く騒然とした町内や、父母が殺到し、泣き声が響き渡る小学校の講堂を思い浮かべた。
そのうちに、他の子供たちとは違って、彼ばかりが、登下校時に、マスコミに事件について訊かれるようになる。死んだ友達のことだけでなく、必ず{お父さん}の様子を尋ねられる。最初から、どこか呆然としていた母親の表情をふしぎそうに見ていた姿を想像する。警察が訪れ、カメラマンが怒号を発しつつ押し合いへし合いする中で、父親が逮捕され、連行された朝の情景を思い描いてみる。・・・
かわいそうに、と城戸は心底感じた。成人後の原誠の背中を思った。掛ける言葉が見つからなかった。


加害者家族の置かれている状況を思いやる想像力が必要ですが、現実は違います。
『もう逃げない』を読み、林眞須美死刑囚の子供たちが理不尽な扱いを受けていることに驚きました。

両親が疑惑の夫婦として報道されると、親戚から、配偶者から離婚したいと言われた、子供が学校に行けないなどと電話があり、母親は泣いた。
両親が逮捕された4人は児童相談所に連れていかれる。
男子部屋に行くと、小中学生7~8人に殴られた。

大人が助けに来てくれることを期待し、部屋の入り口のほうに目をやった。誰も助けてくれなかった。


両親の逮捕後、子供たちは何度も警察署へ連れて行かれ、刑事たちから話を聞かれた。
母がカレーにヒ素を入れたというストーリーと矛盾するようなことを言うと、「そうじゃないだろう!」と机をバンバン叩く。
怖くて言うことを変えると、つじつまが合わないとしてウソつき呼ばわりされた。

X学園という児童養護施設に入園する。
1人当たりの私物はロッカー1つ分と決められていた。
ランドセルや教科書、洗面用具など以外のものをどうやって入れたらいいか迷っていると、職員が勝手に荷物を仕分けして処分した。
間違ってスノコの上に土足で上がると、女性の先生はスネを蹴り、「カエルの子はカエルやな」と言った。

X学園では児相よりももっとひどい暴力にあった。
高校生たちから首を絞められたり、鉄アレイで頭を殴られたりした。
モデルガンで至近距離から額を撃たれ、弾が当たって前歯が折れた。
カレーライスに乾燥剤などを入れられ、うっかり食べて吐き気や腹痛に苦しんだ。
学園ではこづかいが与えられたが、小学生以下の子供たちは上級生に取られてしまう。

見て見ぬふりをした職員たちは日常的に暴力をふるっていた。
食事の集合時間に遅れた、食べるのが遅いと、理由をつけては子供たちをつねった。
つねる場所は服に隠れて痕が見えないところだった。
真冬に裸にされて水風呂に入れられたこともある。

体罰はもちろんよくないが、ぼくにとっては体罰よりも、職員たちの見て見ぬふりのほうが悪質に感じられる。体罰は発覚すれば処罰の対象となるが、見て見ぬふりは、それが「ふり」なだけにまったく改善されないからだ。


裁判所で検事から話を聞かれ、1日6時間以上のこともあった。
長女が「裁判所に行きたくない」と言ったら、園長が「抵抗するならおまえら国賊だ。もっと厳しい学園に放り込んでしまうぞ」と怒鳴った。
もっと厳しい学園とはS学園で、職員が子供を叱る時、「S学園に入れてしまうぞ」という脅し文句を使った。

すべての児童養護施設がこんなわけではありませんが、職員による虐待は珍しくないようです。
「施設で受けた傷 路上生活22歳 「職員の暴力」訴え」
https://mainichi.jp/articles/20210819/ddm/013/040/019000c

長女が入学した高校は入学が決まった時点で保護者たちを集め、「今度、カレー事件の容疑者の子どもが入学してきますが、特別な目で見ないでください」と伝えた。
高校の正門の前でマスコミが待ち伏せしているので、長女は不登校になり、退学した。
長女は大阪で働き始めた。

ぼくのその後の経験では、住居を探すことはもちろん、仕事を見つけることさえ難しかった。どうやって住む場所を確保し、中卒で仕事に就いたのだろう。


父が刑務所を出所した時、大勢のマスコミが長男の高校や学園に押しかけた。
校長は「卒業させてやるから、もう学校に来なくていい」と言った。
レストランで働いていた時、店長に「林眞須美の息子なの?」と質問され、「そうです」と答えると、「うちは食べ物を扱ってる店だから、衛生的に問題があるんだよね」と言われて辞めた。

罪のない子供をどうして追い詰めるのでしょうか。

(長女は)絶対に弱音を吐かなかった。一番上の姉ということもあり、ぼくたちの前でそういう姿を見せてはけないと思っていたのだろう。
誰にも気持ちを吐き出せないということが、どれだけつらいことなのか。いまならぼくにもわかる。
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シドニー・ポラック『アメイジング・グレイス』

2021年12月08日 | 映画

シドニー・ポラック『アメイジング・グレイス』は、1972年にロサンゼルスのニュー・テンプル・ミッショナリー・バプティスト教会で行われた、アレサ・フランクリン(29歳)のコンサートの映画です。
音と映像がシンクロされてなかったため、今までお蔵入りしていたもの。
撮影も担当したシドニー・ポラックは監督にクレジットされていません。
ゴスペルとは福音、幸せの便り。
イエスの言行を記した福音が『新約聖書』です。

曲の歌詞は、字幕を読むと、神をほめたたえ、信仰の喜びを歌ったものばかり。
ジェームズ・クリーブランド牧師が最初に「これは礼拝です」と言うように、歌による説教だと感じました。

キャロル・キングの「君の友だち」をアレサ・フランクリンが歌うと、友だちとは神のことなのかと思ってしまいます。
アレサ・フランクリンの歌に、yeahと声があがり、涙を流す人もいます。
圧倒的な歌唱力に対してよりも、歌詞に感激して「そうだ、そのとおりだ」と思わず声を発したような感じです。

聴衆はほとんどが黒人。
その中にミック・ジャガーがいました。
アレサ・フランクリンが「私は高き山に登る 家に帰るために」を歌います。
家とは神の国のことで、生きることは苦難に満ちているが、神の国に到ることによって報われるという内容です。
ミック・ジャガーが立ち上がって手を叩き、聴衆全員がのりまくります。(1分30秒ぐらいから)



ラリー・チャールズ『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』で、ポラットがペンテコステ派の集会に迷い込み、ハイテンションになった信者たちが異言を叫び、失神する異様な光景を思い出しました。

アレサ・フランクリンの父親C・L・フランクリンはバブテスト派の牧師で、有名な説教者でした。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア師の親友であり、キングもまたC・L・フランクリンに深い敬意をもっていたそうです。
父親はこのコンサートで説教をしており、仲のよい父娘だと感じました。

しかし、アレサ・フランクリンの両親は1948年に別居、母親は1952年に34歳で亡くなっています。
アレサ・フランクリンの伝記映画であるリーズル・トミー『リスペクト』では、父親が母親に暴力をふるっていたと、姉と妹が言う場面があります。
ウィキペディアによると、両親の別居は父親の数多い浮気のためです。

1940年、C・L・フランクリンは信徒で13歳だったミルドレッド・ジェニングスに息子を生ませています。
アレサ・フランクリンは12才で出産しますが、父親が子供の親なのではないかと噂されたそうです。
コンサートで父親の愛人クララ・ウォードも紹介されています。

『リスペクト』では、抑圧的な父親は娘を支配下に置こうとし、コンサート当時は父娘は仲違いをしていました。
アルコール依存症の治療を受けていたアレサ・フランクリンは、回復のために教会でコンサートを行ったのです。

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