癒しの時代?

2016年03月01日 | 日記
だいぶ前、「24時間戦えますか」というキャッチフレーズがTVで流れていましたね。あれは結構インパクトの強いコマーシャルでした。このフレーズに端的に表れているように、バリバリ仕事をこなす精力的な男が魅力的、という風潮というかイメージが一般的だった時代がわりと長く続いたように思います。まあ、これには多分にジェンダーの問題も絡んでいるのでしょうが。ともかく、パワフルであることに価値が置かれていた時代にあっては、音楽的な嗜好も必然的に「力強さ」や「輝かしさ」に傾いていたように思います。圧倒的な声量を誇るテノールの雄叫びに満場の聴衆が酔いしれる、というのはその典型だったでしょうか。
然るに今の世の中はと言えば、成長社会から定常化社会へと推移し、パワーよりは癒しが求められる時代のように思います。尤も、癒しはもともと病や傷や苦しみとセットの概念ですから、癒しへの指向性は現代の病理の反映でもあるのでしょうが、人間の傷つきやすさに対する自覚は大切です。現代人は自分で自覚している以上に深く疲れ、病み、傷ついているのではないかと私は思っています。それを温かく優しく包み、緊張をほぐし、明日への希望を取り戻させることができるのは、ことさらに美声を朗々と鳴らすというのではない、もっと純度の高い声なのではないかと。
抽象的な話のようですが、W先生が以前「発声の好みや方向性も時代とともに変化するのよ。今はふわっと心地よく包み込まれるような声が多くの人に好まれるようになってきているの。」と仰ったことがあり、何かとても納得させれらたものでした。この発声にしても体を最大限に使うことは確かなのですが、全身をバランスよく十二分に使い、体は心地よく疲れるが喉には何も感じないのです。息は声帯のあたりにとどまることなく、声帯を通過した瞬間に頭上に抜けていなくてはいけないからです。これは「抜いている」とか「逃げている」ということではなく、呼気圧の強さで頭部の共鳴腔(蝶形骨洞)までストレートに呼気を飛ばして響かせているということで、そのためには下半身の筋力が相当必要です。
本日は読者の方のご要望に応えて「癒し」をキーワードとした発声談義を試みました。

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