バロメーター

2012年01月29日 | 日記
今日は聖歌隊のヴォイトレの日でした。午前中に合唱団の練習を終え、フェリーで教会へ。暮のクリスマス会で素敵なア・カペラのアンサンブルを聴かせて下さった4人組ですが、今日はお仕事の都合でお一人欠席で、3名でのレッスンでした。
ここのヴォイトレは、ストレッチや発声、コンコーネまでを全員一緒にやって、その後お一人ずつのレッスンをしています。しばらくの間クリスマス会に向けてアンサンブルの練習に集中していたので、今日は久し振りにお一人ずつの声を聴きました。牧師さんと若い信者さんはイタリア歌曲、牧師夫人はモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」のソプラノパートを持ってこられました。
レッスン後のティータイムで、牧師さんが「いつも思うのですが、私たちは猿回しの猿みたいなものですね。先生に言われる通りに声を出していれば喉にも来ないしラクに歌えるけれど、自分で練習しているとヘンなところに力が入ったり、妙に疲れたりしてうまくできないんですよ。」と言われました。続けて「でも、先生に来て頂くようになって約2年になりますけど、今日の礼拝でMさん(音楽がご専門の女性信者さん)が「聖歌隊の皆さん、随分良くなってきましたね。2年前とは全然違いますよ」と言われたんですよ。多少は進歩しているのでしょうか」と。すると牧師夫人が「最初の頃に比べると声がラクに出るようになりました。自分でも2年前とは明らかに違うと思います」と言われました。そこで私も申し上げました。「2年前とは本当に違いますよ。私も人さまには偉そうに教えさせて頂いていますけど、自分で練習すると声がかれたりするんです。発声って本当に難しいもので、良い状態の時には変なリキみもなく、声が自分から離れていくので、その状態を覚えられないんです」と。
これまで私が習った先生は皆そのようにおっしゃっていましたし、今にして私も同じことを言っています。つまり、良い発声の時は全身の筋肉の引っ張り具合のバランスが絶妙にとれた、いわば±0の状態なので、力が入っているとか緊張しているという感覚がないのです。しかも、十分に開いた息の通り道を呼気が高速で頭上に通り抜けていくので、まさしく「風が吹き抜けた」ような心地で、声を出している最中にその「よい状態」を観察したり分析したりすることができない、つまり「よい状態を覚えられない」のです。
逆に言えば、声を出している最中に身体のどこかにリキみを感じたり、自分の声がとても立派に聞こえたりする時は「よくない状態」だということですね。良い状態を覚えられないのであれば、よくない時のバロメーターを持つしかありません。そして「あまり練習しないこと」が大事です。これは器楽とは大きく違う点です。よい発声を身につける秘訣は、なるべく自分ひとりでは練習しないでレッスンに頻繁に通われることです。レッスンでだけ声を出していれば、声を出すことと「よい状態」とが結びつきやすくなりますから。また、発声が良く、自分の声質に似ている歌手のCDを繰り返し聴くことも大事です。CDに合わせて声帯が内唱(共振)するからです。
声楽の練習は、ヤミクモに声を出すよりもむしろ、良い発声の時の状態を思い浮かべたり、良い発声のCDを聴いたり、楽譜や歌詞を深く読み込んだり、質の良い食事や睡眠、適度な運動を心がけたりといった間接的なアプローチの比重が高いものです。そのことが性格にも反映するのでしょう、声楽家には楽器の演奏者と比べて能天気な人が多いですね(笑)。

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2 コメント

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練習が悩みの種~? (ドレミファそら豆)
2012-01-30 11:23:16
練習は毎日にするもの~!!
このお題目が私を時々苦しめます.((+_+))
音楽が生活のなかに入ってからは「馬鹿でも毎日練習すれば上手になる!」って言う言葉が呪縛のように私を苦しめる時が多々ありました。
今では練習する時間がなかなか取れないのが幸いしています。(?)
いつごろからか・・・自分で練習すると癖が出てくるって気がついてからは、気持ちがとても・とても楽になりました。
そして歌うことが楽しくなりました。
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Unknown (吉田)
2012-01-31 00:12:53
そら豆さん世代の方は皆さん真面目なんですよね。ピアノやヴァイオリンを習うような場合は確かに家での予習復習が不可欠ですが、歌は例外なのです(嬉しいことに)。それでも、その真面目さは楽譜や歌詞を読む勉強に生かされますよね。楽器のお稽古の経験がある人は、そのあたりに手がかからないので私もラクです。
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