今日という一日

書くことが大好き!日々の気づきを楽しく書いていきます。

カンボジアの旅、バンテアイ・スレイ

2013-05-11 23:27:35 | カンボジア

カンボジア2日目は曇りのち晴れ。朝は曇っていたけど、徐々に晴れ間が出てきました。

4月~5月の雨季の前のカンボジアは1年の中でも一番暑い時期と言われ、気温は30度以上。
カンボジアの事を何も知らずに旅行を決めた私たちは、そんなことは当然知らず、行ってみたら、
「暑いね~」、聞いてみたら「今週からすごく蒸し暑くなりました。今は一番暑い時期です」 と言われた。

ちなみに一番いい時期は、11月~1月ぐらいらしいです。カンボジア旅行を考えている人は冬を狙ってくださいね。

今回の旅でアンコール・ワット以外で行ってみたかった場所は、ベン・メリアという遺跡。
ここに行くためには車で1時間半ぐらいかかるらしく、ガイドのお勧めで、ベン・メリア+2箇所を回ることにしました。
カンボジアのガイドは、ガイドだけするだけではなく、客が何をしたいかを聞いて、翌日の営業までするのです。
観光業も競争が激しいのでしょうね。

それで最初に訪れた場所が、バンテアイ・スレイ。これはヒンズゥー教の寺院です。

 

郊外に行くと、遺跡の規模が少し小さくなり、田舎ののんびりした雰囲気の中に忽然と現れるという感じです。
この遺跡の保存状態は他の遺跡に比べてかなり上質。壁面の彫刻もきれいに残っていました。

  

特に有名なのが『東洋のモナリザ』 と言われているデバター像です。近寄れなかったので遠目で見ただけ。もっと近くで
見たかったな~。

ところでシェムリアップから少し離れると、舗装された道路はなくなり、車の外の景色は、地元の人が住んでいるや
農村の風景になります。

住宅はほとんどが高床式の簡素な住居です。なぜ高床式かというと、昔はトラがそこらじゅうにいたので、高床式は
身の安全を守るための知恵から生まれた住居のようです。いまだに高床式ということは、まだトラがいるって事?

もちろん、電気、ガス、水道はないので、調理は外で薪で火をおこして行い、夕食は暗くなる前の5時ぐらいから食べ始めて
暗くなったら寝るという生活のようです。トイレは自然の中で行い、水は井戸水。ごみはどこでも捨てる。

カンボジアの人口の85%が農業を中心とした自給自足の生活で、ほとんどの人が米をつくっているようです。
二毛作で、雨季に入る6月になると米を作り出すが、それまではやることがないので、朝から高床式住居の下のハンモックで
のんびりしているようです。実際、ハンモックでゆらゆらしている人をたくさん見ました。

西洋や日本の生活と比較すると、生活レベルは相当な貧困ですが、中国のように貧富の差がある社会ではなく
国民全員が貧困な感じ。

ガイドが言うには、お金を持っているのは、役人と医者らしいです。カンボジアでは太っていることが裕福であることのステータスで
『太りたいけど太れません』と言っていた言葉が耳に残りました。

カンボジアはまだまだ日本の戦後状態に近いのかもしれません。


カンボジアの旅、アプサラ・ダンス

2013-05-10 16:44:33 | カンボジア

東南アジアはいろいろなダンスがありますが、カンボジアにはアプサラという伝統的なダンスがあるようです。

 

こちらは男女が4人ずつペアになって、軽妙な掛け声を出しながら、恋の駆け引きのような踊りが繰り広げられます。

 

後半のプリマドンナのような美しいダンサーの衣装は、博物館にもあったので、こちらは伝統的な踊りのようです。
腰をかがめたこのポーズ。相当筋力がないと決まらなそう。

 


カンボジアの旅、アンコール・ワット

2013-05-09 23:37:03 | カンボジア

それではお待ちかねの真打登場、アンコール・ワットです。

アンコール・ワットは午前中に行くと逆光になるので、午後から行くのが定番。
お天気にも恵まれ快晴でした。

 

第1回廊を抜けると、アンコール・ワットの中心部が見えてきました。

 

アンコール・ワットはヒンドゥー教の宮殿です。王様はここで神になろうとしたらしいです。
ガイドの説明を聞いていると、シヴァ神、ヴィシュヌ神、ブラフマー神というような神様の
名前がいっぱい出てきて、ここで夜な夜な繰り広げていたであろう怪し~い宗教儀式の雰囲気が
伝わってきました。(妄想のしすぎ?)

この宮殿には壁面に美しい女性のデバターとよばれる女官がたくさん描かれています。
そのうち、これは歯を見せて笑うデバターで、珍しいので人気になっています。
出歯ター

そんな美しいデバターの近くには、戦争の生々しい跡が。実弾がそのまま残っています。
この話をする時のガイドのセンリさんはちょっと辛そうだった。戦争の話はタブーなので
深い話はできなかったけど。

そして、カンボジアと日本の関係を紐解く貴重な落書きも残っていました。
徳川第3代将軍家光の命を受けて、インドの祇園精舎に行くつもりが、アンコール・ワットが
祇園精舎と勘違いしてここにきてしまった人の落書きらしいです。確かに漢字らしきものが
確認できたけど、何が書いてあるのか分からず。墨で描いたであろう落書きが消えずに良く
残っていましたよね。

そしてアンコール・ワット見学が終わり、記念撮影。

カンボジア人のガイドは、なぜか写真を撮るときに、

「2個 2個 4個 (ニコニコ ヨンコ)!(^^)!」 と叫びます。

この掛け声って、日本のどっかで流行っているんでしょうか?それともオリジナル?
日本人を長くやっていますが、こんなフレーズ初めて聞きました。

戸惑いながらもこのポーズ。 ニコニコ ヨンコ !(^^)!

 


カンボジアの旅、タ・プローム

2013-05-07 22:23:02 | カンボジア

次に向かったのは、タ・プロームと呼ばれる寺院です。資料によると12世紀後半の建造物。
当時は一万人ぐらいの人が住んでいたらしい寺院です。当時は相当な人口密度だったはず。
僧侶はここでどんな暮らしをしていたんでしょうか?

 

ここは何で有名かというと、建物と共存している巨大なガジュマロの樹で人気の場所です。

  

共存というよりもこれはもう破壊者ですね。ガジュマロの樹というのは、ものすごく成長が早いらしいです。
戦争中はこのあたり一帯は完全に封鎖されてしまい、何年間も誰も近寄ることが出来なかったその間に、
ガジュマロはぐんぐん成長し、平和になって行ってみたら、『どっひゃ~、こんなことになっているよ~』というのが事実らしいです。

それにしてもこんなになるまでほっときすぎですよね~。

アンコール遺跡群は150年前にフランス人が発見して、世の中に知られるようになったらしいですが、それまで誰も気が付かずに
密林の奥深くに眠り続けていたというのもミステリーです。

見つけたフランス人はビックリしたでしょうね。でもカンボジア人、なぜ何世紀も気づかない?それも不思議。

ガジュマロの樹はやりたい放題に伸びていますが、でもこんなしゃれたエポックも。
樹の根っこの間から見える微笑みの菩薩様です。

 


カンボジアの旅、トゥクトゥク

2013-05-06 23:40:50 | カンボジア

タイでもいっぱい走っていたけど、カンボジアにもたくさんいました、トゥクトゥク。

 

特に欧米人はこの乗り物大好きみたいですね。観光地巡りをトゥクトゥクでやっている人をたくさん見ました。

ちなみに私も大好き。乗ってるだけで楽しくなってきちゃいます。街の風景が違って見えるから不思議。

この道は勝利の道。戦で勝つと軍隊はこの道を通ってアンコール・トムに戻ってきたらしいです。
今はトゥクトゥクで観光客待ちをしているおっさんが独り占め。平和な国になったんですね~。

 


カンボジアの旅、バイロンの回廊

2013-05-06 14:06:16 | カンボジア

カンボジアでは子供のころから学校で何年もかけてカンボジアの物語を勉強するらしく、
その物語が描かれているのが、ここバイロンの回廊です。

遠足で遺跡に来ている子供たちも見かけました。

これはクメール軍の行進の様子。クメール人はオールバックのヘアスタイルで
長い耳たぶが特徴のようです。将軍は象に乗って行進です。

こちらは中国人の行進。髪型が違うところが特徴。中国人もクメール隊に
参加していたんですね。

これはクメール人でも身分の低い隊員。洋服を着ずに、裸の行進です。

アンコール・トムの壁画の面白いところは、戦争中の生活様式も描かれているところです。
車輪の下にいる人は、かまどでご飯を炊いている人だと聞きました。それにしちゃ、小さなかまどですよね。
これじゃ一人分?

延々と壁画は続くのですが、なぜこんなに詳しく知る事ができたかというと、それは
現地人ガイドのセンリさんと、ブロットさんのおかげです

カンボジアのホテルに着いてから、アレンジしてお願いした人たちなのですが、
レベルの高い日本語力に驚きました。しかも日本に行ったことは一度もなく、カンボジアで1年間
勉強して身に付けた語学力だというから、2度びっくり。

本当に勉強熱心で、手抜きせずに細かく説明してくれます。その真摯な態度はカンボジアの歴史を
より多く知ってもらいたいという使命感と、まじめな人柄から来るのか、それとも所属しているAPEXという
観光会社の教育制度がいいからなのかは分かりませんが、とにかく熱心。

もちろんアンコール遺跡も素晴らしいけど、それよりもガイドの熱心さに心打たれたかも。

こんな貧しい国で、ポルポト政権の残酷な歴史の悲劇を引きずった国で、日本語を懸命に勉強して
がんばっている人たちがいることを知ったのは驚きでした。

建設現場で働く労働者の賃金が1日3.5USドルの国で、ガイドとしてどれぐらいの収入があって、
どれぐらい生活が楽になっているのかは分かりませんが、「がんばって」と応援の手を差し伸べたくなりました。

でも家に帰ってきてから、世界地図(成美堂出版)を見たら、カンボジアの平均寿命は57歳。
悲しい現実ですね。

 


カンボジアの旅、アンコール・トム

2013-05-06 01:00:48 | カンボジア

アンコール・ワットとアンコール・トムは、ほぼ同じ場所にあり、同じような建造物なのですが、この二つは似て非なるものでした。

何が違うかというと、宗教が違う。

アンコール・ワット(12世紀初頭)はヒンドゥー教の建造物であるのに対し、
アンコール・トム(12世紀末)は仏教の建造物なのです。

カンボジアはその時の王によって宗教が変わるということを何度か繰り返しているようです。

こちらはアンコールトム(仏教)に続く南大門です。道の両側には神々と阿修羅がいてお出迎え。
修復中で顔だけ白い阿修羅もいました(ちょっとこれは微妙)

 

神々にご挨拶をしながら歩いていくと、南大門に到着。よ~く見ると、門の上部は四面塔になっていて、
3メートルもあるでっかい顔が鎮座しています。

 

ここからしばらく行くと、バイヨンと呼ばれる寺院が現れます。古代遺跡ロマンの始まり始まり~。ツゥームレイダーにこんな映像あったような。

 

中に入ると微笑みの菩薩様があちらこちらにいらっしゃいます。分かりにくいけど、左(最初)の写真は菩薩様が3人並んで
同時に見ることができる、ベストショットポイント。1ドル払って舞踊団(?)とのこんな記念写真も。

  

さらに進むとパプーオンという建物に到着。階段を使って登ることができるけど、かなり急です。体力も必要。ふぅ~
この階段は観光客向けに作られたもので、当時の王様は当然これではなく、柵のない石だけの急こう配の階段を上がったらしいです。
王様も命がけですね。

 

上から見た景色。当時の王様はここから眺めて何を考えていたのでしょうか?

 

 次回はバイロンの回廊編です。 

 


カンボジア到着

2013-05-05 09:48:07 | カンボジア

4月26日、カンボジアのシェムリアップ到着

なぜカンボジアに行くことになったかというと、あまり具体的な理由はない。
みんなの日程が合うのが4~5日しかなく、ヨーロッパは遠すぎるので、じゃぁアジアにしよう。
「香港台湾はあまり行きたくないから、アンコールワットは?」と友人の口から出た意見に、
「アンコールワット、それ良さそう、それ賛成」 と、いとも簡単に行先が決まり、
その勢いでチケットが取れるかどうか旅行代理店で聞いてみたら、偶然にも3席取れちゃった。
それも格安48000円。え~い、行っちゃえ!

それからバタバタと大急ぎでカンボジアビザの申請を現金書留でやって、
「地球の歩き方」を1冊買って、チケットとホテルの予約だけで飛行機に乗りました。

 

ホーチミンで乗り換えて、約1時間のフライト。到着したのはアンコールワットのある都市、シェムリアップです。

 

今回の旅の同行者はなかちゃんとふみねえ。どうぞよろしくね。