面白いアニメーションを見つけました。
日本にとっては当たり前なことでも、海外から見ると不思議なことってたくさんあるんですね。
ちなみに、こちらの本も面白かったです。
特に日本の鉄道サービスの優秀さ。
宅配便の配達を2時間おきに指定できる国なんて日本以外にはありえないようです。
サービスにおいては、間違いなく世界一の国に私たちは住んでいるのかもしれませんね。
ヨーロッパのお城か?と見間違うこの建物は品川駅から徒歩15分ぐらいのところにある三菱所有の非公開の
お屋敷、明治41年に建てられた、「開東閣」です。
こんなものが品川にあるなんてことが信じられない方には、下の写真。見慣れた品川のオフィスビル群をここからも眺めることができます。
こんな景色、初めて見た。
そして5月のこの日は園内のバラが満開。こんな色とりどりの大きなバラを見たのは初めてです。
この日は友人が誘ってくれたソロプチミストのイベントに参加し、特別にこの建物に入る機会に恵まれました。
感心するのは、その建物とお庭が驚くほど手入れされていて、現役の建物として利用されていること。
三菱財閥の財力のスケールに驚愕です。
この日は黒澤博幸氏の大迫力の津軽三味線のコンサートも堪能し、洋館で食べるフランス料理は
どこかにタイムスリップしたかのよう。
東京の魅力を再発見した一日でした。
ごきげんよう
直子さんが遭遇した、日本人の誠実さを示すエピソードを忘れていました。
それは松阪で晩ご飯を食べるために行った、自然薯のレストラン。
気取ったところの全然ない、素朴なお店で、GWなのにお客さんは
地元の家族連れが一組いるぐらい。
「ここ、大丈夫なの?」
と心配しましたが、自然薯の雑炊はヘルシーで美味。大満足の味でした。
事件が起きたのは、お店を出てホテルに戻ってからの事。
直子さんの携帯に知らない人から電話が入り、
「誰?」 と思ったら レストランの店主で、
「おつりを渡すのを忘れたので、今からバイクでホテルまで届けに行く」 との事。
千円札と5千円札を間違えて出してしまったことによるミスだったらしいですが、
当の直子さんは、全く気付いていなかった…。
それにしても、わざわざバイクで届けてくれるとは、日本人の誠実さは驚嘆に値します。
日本人の私でもビックリ!
こんな国は世界中探しても、日本だけだと思う。あっぱれ!
とあるメルマガで見つけた記事です。
私はこの試合を当時テレビの前で見ていました。
「あ~、これで終わりか」 という場面が何度もあったにもかかわらず、
同点延長の繰り返しで、「こんなことって…」 と神がかり的なものを感じました。
そのドラマはこちらです
ある甲子園に出場した、監督のお話です。
(ここから)
私たち箕島高校にとって忘れられない、宝物のような話を聞いてください。
1979年の夏の甲子園大会の3回戦で、石川県代表の星陵高校と延長18回の試合を戦いました。
この試合、1対1のまま9回を終えて延長戦に入っていきました。
延長12回の表、星陵高校の攻撃で1点を入れられてしまいました。
そして、12回裏の箕島高校の攻撃が始まったのですが、
簡単にツーアウト、ランナーなしという場面に追い込まれました。
そのときに、私は監督として考えました。
ツーアウトランナーなしか、ああ、この試合もう負けだろう。
敗戦インタビューでは何をいおうか。
そのときキャッチャーの島田宗彦がバッターボックスに向ったのですが、
途中から引き返してきました。
そして、私たちの前に立って、
「監督、ぼくホームラン狙ってもいいでしょうか」
突然言ったのです。
彼の気迫に圧倒された感もあって「狙えー」といってしまったのですが、
そうはいったものの、彼は小柄で、
決してホームランを狙えるような子ではありません。
彼が再びバッターボックスへ向かう後ろ姿を見ながら、
「あれ、何であの冷静な子があんなことをわざわざ言いにきたのだろう。
ホームランをねらうのだったら、自分の胸の内で狙えばいい。
あんな大きな声でみんなに言って、もし3振でもしてしまったら、
えらい恥をかくじゃないか」。
彼がバッターボックスに立つころ、
もしかしたらと思い当たることにぶつかりました。
監督がダメだと思った気持ちが、以心伝心でチーム全体に移ってしまった。
その原因をつくったのが私、
そのことに気づいたのがこの島田宗彦。
キャッチャーというポジションで、彼は常にチーム全体を見る目を養ってきました。
本当に彼が言いたかったのは
「監督もみんなも元気出せよ。まだ試合終わってないじゃないか」
ということだったと思います。
もうダメだと思った瞬間に、チーム全体が試合から遠ざかってしまって、
自分の中に閉じこもってしまった。
その離れた気持ちを再び試合に戻してくれた一言が
「ホームランをねらっていいですか」
という一言です。
その一言でみんなが一斉に顔を上げ、
そして、みんなが「島田頼むぞ、行け」、そんな声が出るようになりました。
気持ちを試合に戻してくれた。
そして、彼は、見事なホームランを打ってくれました。
さらに延長戦が続いて、延長16回にも星陵高校が1点を入れて、
ツーアウト、ランナーなしという場面がありました。
その時には、もう敗戦インタビューのことは考えませんでした。
箕島の子たちもすごい、星陵の子たちもすごい、そんなふうに思っています。
18回、私たちは、何とかサヨナラ勝ちを収めました。
宿舎に帰ったときに、選手を集めてミーティングをしました。
選手たちは正座をして、待っていてくれました。
私は円陣の中に入って、子どもたちの顔を一人ひとり見回していきました。
どの子もどの子も目に涙をいっぱい浮かべながら、それでもキラキラひかる目で私のことを見つめてくれました。
最後の一人まで見終えたときには、
「有難う。こんなすばらしい試合を。自分はお前たちの監督でよかった」と思いながらも、
胸がいっぱいになって声が出ませんでした。
私も子どもたちと一緒になって涙が溢れて止まりませんでした。
お互いに涙を流しながら、
「この子たちと気持ちが通じたな、心が通い合ったな」、
そんな充実感をもつことができました。
そして、それから後の苦しい試合を勝ち抜いて優勝することが出来ました。
それは、きっとチームのみんなの心が一つになれたからだと感じました。
私は、そんな野球というすばらしいスポーツに出会えたことを感謝していますし、
野球を志すたくさんの子どもたちと出会えたことに感謝しています。
今は、現場を離れましたが、下手くそでも、一生懸命見守り続けていきたいと思います。
(引用元:岩国RC創立45周年記念講演会にて
和歌山県立箕島高等学校元野球部監督 尾藤 公 の講話より)
海女さんの次は、最後のオオトリ、鳥羽水族館です。
帰りの電車に乗るまでのすきま時間でさえも、私たちは無駄にしません!
まずは、鳥羽水族館の花形スター選手、ここでしか見ることができないジュゴンのセレナです。
人魚伝説のモデルになったと言われている哺乳動物で、その巨大な体とは対照的なつぶらな瞳が
何かを語りかけているように見えます。
そしてセイウチのパフォーマンスショー。
GWの真っただ中、子供連れの家族や、若いカップルでごった返す中、
子供も連れていなければ、若くもないおばさん二人(はっきり言ってお呼びじゃないよね)は、
こどもに遠慮なんかしてなるものかと、人ごみの中に無理やり押し入り、最前列でセイウチに
タッチしてきました。
直子さん夢中でタッチしまくり。子供よりも喜んでいました(笑)
それにしても、セイウチの芸達者ぶりにはビックリ。腹筋したり、ハーモニカを吹いたりと大活躍でした。
あっぱれ!
さて、これでようやく2泊3日の旅は終了です。
「いっぱい遊んだね、楽しかったね」 と言ったら、
「でもイルカ島には行けなかった…」 と直子さん
まだ行くんかい?
直子さんの好奇心は、どこまでも尽きることがないようです。
それでは次回の旅行をお楽しみに。次はどこでしょうか?
そして小雨の降る中、傘をさして10分歩いて 『相差かまど』 という海女小屋に到着!
予約も取らずに、突撃訪問して、アポなし交渉。
「今日はこれから団体客が入るから、今からはダメで、12時過ぎだったら ……」 と
壁に貼ってある予約表を見ながら、あたふたする現役海女さんをねじ伏せて、無事テーブルをゲット!
もはや私たちの行く手を阻むものはありません(笑)
『突然押しかけて、迷惑かけてすみませんね~』、なんて殊勝なことを言っていては、旅は楽しめません。
「だって、まだこんなに席が空いているんだし、二人ぐらいどうにだってなるじゃない、
こういう時は機転を利かせて臨機応変よ、現役海女さんは客商売に慣れていないから、まだまだだねぇ~。」
これぐらいの肝が据わっていてこそ、旅は楽しめるってもんです。ホッホッホッ (一体何様だ?)
かまどで焼いてくれた魚介類は、さざえ、大あさり、バタ貝、牡蠣、干物。全部とれたて新鮮で、まいう~でした。
ところでこの海女さんたちが着ている、海女着、ここでは体験で着せてくれるのです。
う~ん、正確には、着せてもらったのではなく、海女さんたちが団体客の接客で大忙しだったので、服だけ借りて
自分たちで勝手に着ちゃいました。
どう?似合ってますか?
ついでに、こんなおふざけまでして、大喜び。
あ~、楽しかった。
2泊3日の旅の最終日は鳥羽で海女になりました。
これは強く願った直子さんの粘り勝ち。だって、前日は一旦はあきらめた企画だったのです。
予約は取れない、雨が降りそう、車がない、雨の中荷物を持って歩いて移動できない、
海女小屋からどうやって鳥羽駅まで戻るのか?(鳥羽駅までは車で30分以上かかる)
ダメダメづくしで、さすがの直子さんもこれにはお手上げ。
「明日は鳥羽水族館でラッコでいいよね」と確認し合ってその日は寝たのでした。
一夜明けて、空は天気予報通りのどんより雨雲。あ~やれやれ。
ホテルのバスで、石神さん(女性の願いを一つだけ叶えてくれるというパワースポットで有名)に行って、
そのままホテルのバスで鳥羽駅まで行くつもりでホテルを出ました。
事態が急変したのは、石神さんの近くにある『相差海女文化資料館』で、海女小屋体験のチラシと運命の
出会いをしてしまったから。
そのチラシには、海女さんが海の幸(サザエ、大あさり、ホタテ、伊勢海老など)をかまどで焼いている写真が
載っていました。
『本物の海女文化にふれる体験』
「これか~、これを直子さんはやりたかったんだね~。この海女小屋ってどこにあるんだろうね?」
と私が訪ねた次の瞬間、直子さんは資料館のお姉さんに「これってどこですか?」 と速攻で聞いていました。
行動はやっ!
聞けば、ここから歩いて10分ぐらいの場所らしく、今日のこの時間だったら多分席は空いているとのこと。
その上、荷物はこの資料館で預かってくれる。傘も貸してくれて、鳥羽駅へはローカルのバスが出ていることまで
教えてくれた。
「なんだ、行けるじゃん。行っちゃう?行ってみよっか?」
このノリの良さは天下一品。そうと決まれば、さっさと計画変更。
ホテルのバスの運転手に、「私たちここで降りますから」 と告げて、あっけにとられる運転手とホテルのお客さんを
尻目に、単独行動に出たのでした。
今にして思えば、この写真の石神さん(新明神社)が願いを叶えてくれたのかもね~。
海女になった私たちの写真は次回です。
旅の鉄人、直子さんの行動力と好奇心には毎回感心します。
旅というのは、やればやるほど上手になるんだなというのは、直子さんを見ていて感じること。
2泊3日の旅行でも、リュック一つで身軽に動きまわり、松阪では自転車を借りて半日町の散策をしました。
直子さんが牛肉の次に目を付けていたのは、松阪もめん。
松阪もめんのお店に入って、とっかえひっかえワンピースを試着して、ちゃっかりお気に入りの一枚を
見つけて、さっさと着替えて、買ったばかりのワンピースで旅行を楽しむところはさすが!
観光案内所に行けば、
「これ買ったのよ~、見て見て~」
「わぁ、すてき~。良くお似合いですよ~」
いつの間にか観光案内所のお姉さんたちと、和気あいあい、友達みたいになっている。
さすが!旅ってこうやって楽しむのね~、勉強になります。
さて、お似合いですよ~と褒めてもらったドレスはこちら。私は帽子を買いました。
旅行2日前に、直子さんから電話があって、急きょ予約を取って、松阪肉元祖と言われる名店の
『和田金』 に行ってきました。
お昼だからランチコースのお値打ちメニューがあるのかと思いきや、
昼も夜も同じメニューで同じ価格という強気の営業。
お値段、脳天クラクラ の1人14,300円(税抜き)
そこまでの価値があるのか、都内で食べるステーキと何が違うのか、疑問はいろいろありますが、
まずは百聞は一見にしかず、和田金を知っているという経験値を上げるための投資(?)と思えば
価値がある?
老舗レストランは、実はこんな巨大なビルでした。
一体畳何畳あるのか分からないぐらい広い大広間に、テーブルとついたてを置いて仕切り、
一つのテーブルには専属の中居さんが付きます。
まずは網焼きコースから
前菜やお吸い物を食べながら、炭にきれいに火が入るのを待ちます。この待っている時間が期待感を高めてくれます。
満を持しての松阪牛の登場
お肉は特製のたまり醤油を付けて焼きます。このたまり醤油は非売品。ここでしか味わえない本店の味です。
お肉はからしを付けて戴きます。ナイフフォークではなく、お箸で裂いて食べるのが和田金方式。
たかが肉を焼いて食べるだけのことに、これだけの演出。それに負けないぐらいの和田金の自信の一品です。
フィレステーキの次は、すきやきです。
名店のすき焼きの作り方を、じっくり拝見しました。
肉は一般にすき焼き肉として売っているものよりも厚めで2枚で130グラムらしいです。
鍋に肉を入れて、砂糖を入れて、特製たまり醤油を適度に入れて、だし汁をほんの少々。これだけです。
肉に火が通ったら、最適な焼き加減で、中居さんが取り分けてくれます。
この最適な状態で食べることができるのは、焼く人が専属でいるから。自宅でやってうまくいかないのは
焼くのと食べるのを一人二役でやるので、最適な状態を逃してしまうからなのかもしれませんね。
そしてお野菜
野菜は至ってシンプルで、たまねぎ、にんじん、ネギ、みつば、そして豆腐。以上。
ネギは長ネギではなく、地元のネギの穂先の部分を使います。そして、意外なことにたまねぎを使います。
たまねぎの甘みが、美味でまいう~でした。これは自宅でも応用できますね。
すき焼きといえば、定番の『しらたき』 は登場しません。しらたきの成分は肉を硬くしてしまうらしいです。
以上が和田金流すき焼き。
松阪牛元祖、明治11年から130年間ブランドを守っている和田金のすき焼きは、最高レベルのものであることは
間違いないですよね。多分これ以上のすき焼きは世の中にはないのかもしれません。
ただ、すき焼きはすき焼き。
うまく言えないけど、頂点のすき焼きを知ったことで、「こういうことか」 とすき焼きの世界観を知るいい勉強に
なりました。
知った上で、個人的には、庶民の味方、吉野家のすき焼き定食も好きですね~。