今日という一日

書くことが大好き!日々の気づきを楽しく書いていきます。

記憶の中の文房具屋さん

2018-05-28 20:57:58 | 国内旅行

この何の変哲もない文房具屋さんは、私にとってはパラダイスだった場所です。

「そこを曲がったところに文房具屋さんがあるかも…」とかすかな期待を抱いて校門前を曲がったら、なんとなんと、ありました!

45年経っているので当然立て替えているけど、でもこんな感じの平屋建ての文房具屋さんでした。

いやーーー、懐かしい。記憶は正しかったんだ!

当時の私は、このお店に行って、あるものを買うのが至極の楽しみだったのです。

それは「千代紙」です。

その当時、千代紙交換なる遊びが大流行していて、友達とお互いの千代紙を交換し合って、いろいろな種類を集めることに夢中になっていました。

新作柄の千代紙を手に入れるためには、近所で唯一このお店にしか売ってなかったので、長時間居座って、どれを買おうかさんざん迷いに迷って、なけなしのお小遣いで買っていました。

箱に入れて、遊びに行くときは必ず持ち歩いて、大事に大事にしていました。懐かしい…。

文房具屋さん、この場所に残っていてくれてありがとうございます!

 


桑原小学校 愛媛県松山市

2018-05-27 22:03:49 | 国内旅行

ここが私が2年間通った桑原小学校です。

        

 

懐かしさと、こんな感じだったっけ?の両方ですが、小学生の頃はもっと広いところだったと思っていました。子供の頃は何でも大きく広く見えるものなのですね。

この学校に転校して、クラスに入った時に感じた違和感。それは未だに忘れられないぐらいの衝撃でした。それは男子と女子が仲良くしているってこと。

鹿児島の小学校では、男子と仲良くするなんてあり得ない社会。話すときは常にけんか腰で、男子に暴力を振るって泣かせる事ができる女子に尊敬が集まり(私はそんな野蛮な事はしませんでしたが)、親分肌の女子の後ろにいつもくっついて、男子に喧嘩を売っていました(笑)

ところがこの桑原小学校に来たら、異様に男子と女子がいちゃいちゃしている。衝撃だったのは、クラスのまりこちゃんという可愛い女の子と、学級長のA君が付き合っていて、その二人はハート形が二つに割れたペンダントを持っていて、交換日記もしているとの話。でもまりこちゃんは本当はB君の方が好きだとか何とか。。。

目が点!!!! 小学校4年生で、いきなり三角関係のもつれです。

クラスの女子の話題は常に自分の誕生日会にどの男子を呼ぶか? 鹿児島では、男子を呼ぶなんて200%あり得ない。

そして渦中のまりこちゃんはA君もB君も両方とも呼んだのでした。

まりこちゃん、すごい!すでに手玉に取っている!

鹿児島では男子に砂かけたり水かけたりして、追っかけたり追っかけ回されたりで日々を過ごしていたのですが、転校したその日からいきなりおませな女子と仲良くしなければいけないことになり、強烈なカルチャーショックを受けました。

子供ながらにその場の空気を感じ取って、今までの自分じゃここでは仲間はずれにされると思い、転校先の環境になじむように、それはそれは健気に努力したような記憶があります。

残念ながらクラスの中には好きな男子がいなかったので、付き合うところまではいきませんでしたが(笑)

どんな環境にも適合できる能力は、この時と、その後の転校の経験で身に付けたのかもしれないです。

逆に言うと、相手に合わせる事ばかりを考えて、自分が誰なのか分からない自分になったのもこの経験が大きいかも。

 

 


子供の頃に住んだ街 愛媛県松山市

2018-05-24 21:31:15 | 国内旅行

ご存じないと思いますが、私は小学校4年生から5年生の約2年間、愛媛県松山市に住んでいました。

親の転勤で、鹿児島市から松山市に転勤。九州から四国への転勤なんて、田舎から田舎に行くだけだから、大して大きな変化はないと大人は思ったでしょうが、小学生だった私にとっては今までの常識が常識じゃなくなってしまうぐらいの価値観の一大変化をもたらした街です。

そんな記憶に残っている街に、いつかは訪れてみたいとずーっと思っていたのですが、遂に実現しました。

なんと、45年ぶり!?

小学生の記憶に戻るには、トウがたちすぎてしまっていますが、どこまで記憶をさかのぼれるか。。。

まず自分の住んでいたところをどうやって探すかですが、これは以外と簡単。目印は、愛媛大学の農学部です。私たちが住んでいた社宅の真ん前にあって、今でもその大学はその場所にありました。

     

この大学には、近所に住む大学教授の娘(ガキ大将)に連れられて、忍び込んで遊びました。ドキドキしながら忍び込んで乗ったエレベーターのあるビルは、あの茶色のビルだったかも。その当時は学生運動最盛期で、校門は色とりどりの張り紙だらけだったけど、そんな気配は跡形もなくなっていました。殺風景すぎて寂しい感じです。日曜日で雨も降っていたので、人の気配がなかったけど、確かに私の記憶にある大学はこれです!

そして道を隔てた反対側にあったのは、私が目指していた場所。そこにあったのは、私たちが住んでいた社宅ではなくて、新しく立て替えられた社宅でした。

  

住所表示は、正円寺1丁目7。

そうです、ここです。こんなきれいな建物じゃなかったけど、場所は間違いなくここです。とうとう来てしまいました。感激!

当時の社宅には広い庭の中に、砂場やブランコがあって、社宅の回りは塀と木で囲まれていました。

なぜかその塀の上を歩くのが好きで、社宅に住んでいた他の子供達と毎日毎日塀の上を歩いていました。
一体どれだけ歩いた事やら。当然、車道側の塀の上も歩いた訳で、車が行き交うすぐ隣の塀の上を子供がヨタヨタしながら歩くという事は、相当危険だったと思うのですが、あまり親や大人に怒られた記憶がないんですよね。今だったらあり得ないだろうな。でもその時感じた恐怖心が記憶のどこかに残っています。あー、怪我しなくて良かった。

そして、愛媛大学と社宅の間には広い道があって、、、と記憶していたのですが、行ってみたら、「えっ、こんなに狭い道だったの?」と、記憶の誤差に愕然としました。いやいや、そんなはずはない、もっと広かったはず… と思って、母親に確認したら、「そうよ、バスが通るのに狭くて大変だったわよ」と言っていたので、今も昔も道幅は変わっていない様です。

 

子供の頃は、もっと広い道だったんだけどな。。。

次は小学校編です。


特製パスタ

2018-05-09 21:00:18 | 家族

来年80歳になる母が、ひょんなことから22歳の大学生の孫(私の甥)と二人暮らしを始める事になり、一体どんな凸凹生活になっているのか、様子を見に行ってきました

孫が22歳になるまで、近くに住んではいても、直接二人だけで話す事は一切なかった二人が、ある日から突然一緒に暮らす事になるとは、人生いくつになっても何が起こるか分からないものですね。

孫は、私が20年前に使っていた部屋をきれいに掃除して、快適な生活を送っている様です。部屋の様子はガラッと変わり、男の子仕様のパソコン部屋になっていました。

母は、180センチも身長があるのに、54キロしか体重がない孫の体重をなんとかして増やそうと執念を燃やしていました(笑)。いろいろ作って食べさせようとしても、なかなか思うようにいかず、孫が食べなかったものを食べているうちに、自分の方が2キロも太ったらしい(笑)

そんな孫(甥)に日曜日のランチにパスタを作ってもらいました。

作っているところを見せてもらったけど、理にかなっています。タイマーをセットして、パスタが茹で上がる時間と、具材を炒める時間を完璧に合わせていいるところなど、ほーーーー、と感心しました。パスタってそうやって作るのか。

私が作るパスタは、相当適当であった事を自覚しました。なるほどね、だからうまく行かないんだ。

いい事を教えてもらった。

次回から実家に帰る楽しみが増えました。新しいパスタを楽しみにしています!

 


鯉のぼり

2018-05-01 19:51:46 | 東京

屋根より高い鯉のぼり♫

歌の情景とは違うシチュエーションですが、林試の森の中に2匹いました。

泳いでいるというか、木の間に串刺しです。

普通は屋根の上か、川の上にいるはずで、ちょっと違う様な気がしますが、
これはこれで気持ち良さそうです。

鯉が喜んでいるように見えます:)